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2018年02月の記事は以下のとおりです。

「寧A、無B」の「無」について

(内容:「寧A、無B」の形で用いられる「無」の働きと意味について考察する。)

「水は『東西に分かれることがない』のか、『分かれない』のか」という先のエントリーで、「無」が存在文や所有文の謂語動詞ではない時、副詞として謂語を連用修飾して「~しない」という意味を表すと説明することがあることについて触れました。

そのため、「無」の後に動詞が置かれて「無A」の形を取るとき、私的にはむしろ「Aすることがない」と訳すべきだと思うのに、ことさらに「Aしない」と訳し、「不A」に同じと説明されることがあります。
それは中国の語法学で説かれる説であり、学問上の一つの考え方として捉えることはできます。
そして、私がこの考え方を是としないことについては、前エントリー「水は『東西に分かれることがない』のか、『分かれない』のか」で述べました。

しかし、そのこととは別に動詞Aが「無」の後に置かれ、「無A」の形をとった時、それを「Aしない」という意味だと言えない形があります。
たとえば、

・寧信度、無自信。(韓・外儲説左上)
(▼寧ろ度を信ずとも、自ら信ずる無し。)
(▽寸法書きを信じる方がよく、自ら信じるということはない。)

の例は、これを「自ら信じない」と訳すことはできません。
この「無」はあくまで「無」であって、「不」とは働きが異なるからです。

本題に入る前に、「寧A、無B。」の形について述べておきます。
これは、古来「むしロAストモ、Bスルコトなカレ」、「むしロAストモ、Bスルコトなシ」と読み慣わされていて、それぞれ「いっそAしても、Bしてはいけない」、「いっそAしても、Bすることはない」などと訳されています。

実はこの日本語訳自体があやしくて、「寧」の字は「安寧」が原義で、そこからの引申義で願わしい選択、すなわち「(…するよりも)、~するほうがよい」とか「~するほうがよく、(…はしない・~することはない)」という意味を表す連詞として用いられるようになりました。
従来の「いっそ~しても」という日本語訳は、「いっそ」にいかにも投げやりな調子が感じられますが、あくまで二者を比較した上で、望ましい方を選択する意味を表すのです。

さて、そのことはさておき、この「無B」が語法的にどう説明されるかが問題です。

楚永安『文言复式虚词』(中華人民大学出版社 1986)には、次のように書かれています。

这是个表示取舍关系的格式。在其所关联的两个并列的小句中,用“宁”表示选取,用“无”表示舍弃。相当于“宁肯……也不”。
(これは取捨関係を表す形式である。その関連する二つの並列した小句において、“寧”を用いて選択を表し、“無”を用いて捨てることを表す。“宁肯……也不(……しても、~しない)”に相当する。)

これだけを読めば、なるほどと納得してしまいますが、用例に照らし合わせながら読み直すとあることに気づきます。

①进之!宁我薄人、无人薄我。(《左传・宣公十二年》)
  ――前进!宁肯我们逼近敌人,也不让敌人迫近我们。
(進め!我々が敵に迫っても,敵に我々に迫らせない。)

②臣闻鄙语曰:“宁为鸡口,无为牛后。”今大王西面交臂而臣事秦,何以异于牛后乎?(《战国策・韩策一》)
 ――我听俗语说:“宁肯做鸡嘴,也不做牛尾巴。”现在大王您面西拱手象臣子那样事奉秦国,这与做牛尾巴有什么不同?
(私は次のようにいう俗語を聞いております、“鶏のくちばしになっても、牛のしっぽにならない。”今大王様は西面拱手して家臣のように秦国に仕えておられますが、これは牛のしっぽになるのとどんな違いがありますか?)

③人曰:“何不试之以足?”曰:“宁信度,无自信也。”(《韩非子・外储说左上》)
 ――有人说:“为什么不用脚试一试鞋呢?”那个郑人说:“宁肯相信尺码,也不相信自己的脚。”
(ある人が言う、「なぜ足で靴を試さないのか?」その鄭国の人は言った、「寸法書きを信じても、自分の足を信じない。」)

③の用例はまさにここで問題としているものそのものであり、その訳も「也不相信自己的脚」なのですから、やはり「無」を「~しない」と訳してもいいではないかと思えるのですが、実はそう簡単にはいきません。

①の用例「無人薄我」は、楚永安の説明に従えば、「無」を用いて「人薄我」を捨てることを意味することになります。
つまり「人薄我」(敵が我が軍に迫る)を捨てるわけです。
ここが注意すべきところで、「敵が我が軍に迫らない」のではなく、「敵が我が軍に迫る」ことがないのです。
そうでなければ、「人薄我」という選択を捨てたことにはなりません。
言い換えれば、「人」は「無」の主語ではないということです。

もう少し他の例を見てみましょう。
「鶏口牛後」が人口に膾炙しているために、たくさん用例が見つかりそうに思えたのですが、それほど多いわけではありません。
まして、「寧A、無B」複文の後句、すなわち「無B」の部分が主謂構造になっているものは、手元のデータでは次の二例しか見つけられませんでした。

寧我負卿、無卿負我。(東坡志林・卷五)
(私があなたにそむいても、あなたが私にそむくことはない。)

この例は、「あなたが私に背かない」のではなく、「あなたが私に背くことはない」の意です。
つまり、捨てられた選択は「卿負我」(あなたが私にそむく)なのです。

帝不悦曰、「兵寧拙速、無工遲。」(新唐書・韋挺列伝)
(主上は不快げに、「軍隊は行動が緩やかであっても、糧食の運搬が遅れてはならない。」と言った。)

この例も「糧食の運搬が遅れない」のではなく、「糧食の運搬が遅れることはない」の意で、捨てられた選択は「工遲」(糧食の運搬が遅れる)です。

こうして見てくると、「無」以下が主謂構造をとる時、その主語が「無」の前に来ることはないことがわかります。
つまり、「寧A、[主語]無B」の形をとることはないということです。

つまり、先の『韓非子』の例は、「寧信度、無自信。」ですが、この後句にもし主語「我」を補うとすれば、次のようになるはずです。

寧信度、無[我]自信。

「自」があるので、内容の重複する「我」を入れてくることはないはずですが、入れるとすればこの位置になる。
「無」が捨てる選択は「自信」すなわち「私が自分を信じること」なのです。

そうであるとすれば、このような「無」を述語の行為や状態を否定する働きとみなすことはできません。
「我無信。」(私は信じない。)ではないからです。

『文言复式虚词』には、次のようにも書かれています。

 这个格式中的“无”,可同“毋”字替换,作“宁……毋”。
(この形式の“無”は、“毋”の字と換えて、“寧……毋”とすることができる。)

また、

“宁”也常与“不”相配合,组成“宁……不……”的格式,表示取舍。
(“寧”は“不”と組み合わされて、“寧……不……”の形式をとることもあり、取捨を表す。)

先の「寧我負卿、無卿負我。」によく似た例に、次のものがあります。

a.寧人負我、不我負人。(北斉書・文襄帝紀)
(人が私にそむくことがあっても、私が人にそむくことはない。)

b.寧我負人、不人負我。(南史・柳元景列伝)
(私が人にそむくことがあっても、ひとが私にそむくことはない。)

例aは別に「寧人負我、無我負人。」の形の例が見られ、例bは「寧我負人、無人負我。」の例が見られ、同じ意味で用いられていると思います。

「寧A、不B」の形のすべてがBの選択を捨てる働きを「不」がとっているとは思いません。
たとえば、

・寧使人負我、我不忍負人也。(資治通鑑・晋紀三十一)
(ひとに私にそむかせても、私は人にそむくことはできない。)

のような例も見られることから、「不」が単純に以下の選択を捨てる働きをしているとはいえず、謂語動詞の動作行為を打ち消すことも多いと思われ、むしろ「不」の場合は、その方が多い印象を受けます。
漢の劉邦の有名な言葉、「吾寧闘智、不能闘力。」(史記・項羽本紀)は、やはり「私は智を闘わせても、力を闘わせることはできない。」という意味で、もし強引に後句に主語「我」を入れれば、やはり「我不能闘力。」になるでしょう。

ただ、結論としてはっきり言えることは、「寧~、無AB。」「寧~、不AB。」の形をとってABが主語と謂語の関係の時、「無」や「不」は謂語Bを否定修飾するのではなく、あくまで「AがBする」ことの選択を捨てる働きをしているのです。

したがって、「無自信」の「無」は、「自分を信じない」ではなく、あくまで「自分を信じる」ことを捨てる、つまり「自分を信じることはない」の意なのです。

韓愈『雑説』馬説 さらなる疑問「且」の意味は?

(内容:韓愈の『雑説』に見られる「且欲与常馬等不可得」という句の「且」の意味について考察する。)

韓愈の「雑説」四、馬説について、さらにもう一つ疑問が生まれました。
また例の同僚から、また「ほんとに些細なことなんですけど…」と質問を受けたのが、「且」の用法です。

欲与常馬等不可得。

この部分の「且」の意味について、同僚が見た指導書には、次のように述べられています。

「まあ、せめては…」の意。いったん譲歩して、そのような条件下で考えてみるものの、それさえできないということ。

これが気になられたわけです。
というよりも、私もあまり深く考えていた部分ではなかったので、正直驚きました。
恥を隠さずに告白すると、単純に「その上」とか「さらに」の意だと思い込んでいたのです。

それにしても、この指導書はそう書いただけで、その解釈の根拠が一切明示されていないわけですが、どうせ何かタネ本があるのだろうと、いくつか解説書をあたってみました。
すると、明治書院の『研究資料漢文学6 文』に、

○且 まあまあ、せめては……。いったん譲歩して、そのような条件下で「まあせめて……(だが)それさえ(できない)」意。

と書かれていました。おそらくこれですね。
ほとんど同じなので、指導書の記述は、この書によるか、もしくはこの書が元にした参考書に基づくものと思われます。

この「まあ」が気になります。
教科書や参考書の類いであまり用いない、くだけた表現なので、これもきっともっと古い時代に元になったものがありそうに思いました。

そこで汲古書院の『漢語文典叢書』を探してみると、荻生徂徠『訓訳示蒙・巻四』の「苟 聊 薄 且 姑 蹔 頃 少」の項に次のように記されていました。

「且」ハ「マア」ト譯ス.「借曰(シヤエツ/カリイフ)之辭」ト云フモ.「未定辭」ト云フモ.此譯ニテ通ズ.又.「ソノウヘ」ト訓ズルコトアリ.訓ノ通リナリ.但シ.屹トシタル詞ノ.「ソノウヘ」ニ非ズ.只.詞ノツギメニオク.「ソノウヘ」ナリ.カウシタ道理ガ有テ.ソノウヘカウシタ道理モアルト云フ時ナドノ.「ソノウヘ」ナリ.又.「スラ」ノ假名ヲ.上ノ句ノ末ニ置クトキ.此ノ字ヲ.下ノ句ニ.ヲクコトアリ.「且」ノ字バカリモ.「猶且」ト連續シテモ.「猶」ノ字バカリモ.ヲクナリ.皆同ジコトナリ.又.「行且歌(アリキナガラウタフ)」「且歌(ウタヒナガラ)」「且行(アリキナガラ)」ナドト使フトキハ.「ナガラ」ト云フホドノ意ナリ.アリキテハ.マアアリキサヒテ歌ヒ.歌ヒテハマア.ウタヒサヒテ行ク意ニテ.「マア」ト且ノ字ヲ用フルナリ.

また、「將 且 行 往 看」の項には、

「且」ハ「將」ノ字ト同ジ訓ニ用フルコトアリ.詩經ニ「我且往見(ワレマサニユイテミントス)」トアル類ナリ.文選賦ニ「且千(チヂバカリ)」トアルモ「且千(マサニ―ナラントス」ト云フ意ナリ.コレモ「ヤガテ」ノ譯ナリ.元來「マア」ト譯スルガ正譯ナリ.「マア」トハ末ヲノコス詞ナル間.スヘニカウセウト云フ意ヲ.モツテヲルナリ.故ニ「將」ノ字ト通ズ.

とあります。

古くより「且」は「まあ」と解されていたことがわかります。
確かにこうすると決まっている、もしくは決めているのではなく、とりあえずしばらくはこうしようという意味がこもる字であり、「末を残す詞」、つまり今はこうしておくが、いずれはこうしようという意味だというのです。
『研究資料漢文学』の「まあまあ、せめては……。」云々の記述は、こういった日本古来の理解の延長線上にあるものだと考えてよいでしょうし、例の指導書もそれをそのまま孫引きしたということになるでしょうか。


さて、問題は古漢語語法で、この箇所の「且」の字がどう説明されるかです。
浅学にしてよく知らなかったのですが、「且」にはさまざまな用法があるようです。

まず、手元の漢和辞典を引いてみました。
すると、概ね次のような用法が指摘されています。

①「まさニ~セントす」と読んで、今にも~しそうである・~しようとしているの意。
 →これは将来を表す時間副詞としての用法ですね。

②「A且B。」(Aすら且つBす。)AでさえBするの意。
 →これはいわゆる抑揚表現で、複文の前句に用いられるものですね。後に「況C乎。」(況んやCをや。)などが続き、「ましてCはなおさらだ。」と訳すのが通例です。

③「且つ~」と読み、「その上」「さらに」などと訳す。
 →これは内容の深まりを表す用法ですね。

他に、「且」には仮設連詞の働きがあるという中国の虚詞詞典の記述を踏まえて、「もシ」と読む用法を載せている漢和辞典もあります。

まず、ざっとこんなところが検討対象になりそうです。

殷孟倫/楊慧文『韓愈散文選注』(上海古籍出版社 1986)を見ると、「且欲与常馬等不可得」の「且」の注には、

且――副词,表示“将要”。
(且――副詞。“まもなく~しようとする”(の意)を表す。)

とあります。
つまり、「且欲与常馬等不可得」は「(他の)普通の馬と等しくあることを求めようとするができない」という意味になります。
これは先の①にあたります。

手元に他の中国の解説書はないので、Web上でどのように解釈されているかを調べてみました。

1.想要和一般的马一样尚且办不到,又怎么能要求它日行千里呢?
(一般の馬と同等でありたいと思うことさえできないのに、どうして彼に一日千里走ることを要求できるだろうか。)

2.想要它和平常的马一样尚且做不到,怎么可能要求它日行千里呢?
(彼が平常の馬と同等でありたいと思うことさえできないのに、どうして彼に一日千里走ることを要求できるだろうか。)

3.让千里马在吃不饱的情况下和平常的马跑的一样快是做不到的,又怎么能够希望它日行千里呢。
(千里の馬に十分食べられない状況で平常の馬が走るのと同等であらせることがとても無理なのに、どうして彼に一日千里走ることを希望することができるだろうか。)

4.况且想要跟普通的马等同还办不到,又怎么能要求它日行千里呢?
(その上普通の馬と同じでありたいと思っても無理なのだから、どうして彼に一日千里走ることを要求できるだろうか。)

4の「況且」は、前に述べたことにさらに踏み込んで理由を述べる表現になり、「それに」「その上」と解釈できるもので、先の③にあたります。

3については、「让」の用法が「且」に直接結びつく解釈ではないように思います。

多く見られる解釈は1,2の「尚且」で、②にあたります。

『研究資料漢文学』や例の指導書が用いてる「いったん譲歩して、そのような条件下で」でという表現は、「縦」や「雖」などの譲歩連詞の働きを想像させます。

「且」が仮定の内容を表すというのは、いわゆる仮設連詞としての働きで、この譲歩連詞とは別で、

欲覇王、非管夷吾不可。(史記・斉世家)
(わが君がもし覇王になることをお望みなら、管仲でなければ無理です。)

のような用法にあたります。

では、「且」の「縦」や「雖」のような譲歩連詞としての働きについてはどうかと虚詞詞典を調べてみると、尹君『文言虚词通释』(广西人民出版社1984)に次のような説明があり、馬説の例も引かれていました。

⑫连词 让步连词。可译为“虽然”、“即使”。
(⑫連詞 譲歩連詞。“雖然(ではあるが)”、“即使(たとえ~としても)”と訳すことができる。)

 今君与廉颇同列,廉君宣恶言,而君畏疑之,恐惧殊甚。庸人尚羞之,况于将相乎!(《史记・廉颇蔺相如列传》)
 ――现今你和廉颇官职相当,廉颇口出恶言,而你畏惧躲避他,害怕得特别厉害。即使普通庸人也认为羞辱,何况是将相呢!
(今あなたと廉頗は官職が同じなのに、廉頗は悪口を言い、あなたは恐れて彼から逃げ隠れして、格別にひどく恐れていらっしゃる。たとえ普通の凡人であっても恥だと思うのに、まして将相ではなおさらです!)

 微君之命命之也、臣固且有效于君。(《战国策・赵策・三》)
 ――即使没有你命令指示我,我原本也将对你有所效劳的。
(たとえあなたが私に命令して指図することがなくても、私はもともとあなたに力を尽くすつもりでした。)

 欲与常马等不可得,安求其能千里也?(韩愈《杂说・四》)
 ――即使想和普通马相等都不可能,怎么能要求它日行千里呢?
(たとえ普通の馬と等しくありたいと思ってもまったく無理であるのに、どうして彼に一日に千里走ることを要求できるだろうか。)

尹君の解釈が先の②「~でさえ」、すなわち「尚且」ではないことは、その次の項目⑬がそれであることからも明らかです。

⑬连词 让步连词。用在两事相比的复句的前一分句中,先提出程度更甚的事例为比,后一分句便对程度有差的事物作出肯定的论断,可译为“尚且”。
(連詞 譲歩連詞。二つのことが比較される複文の前句で用いて、先に程度がさらに甚だしい事例を示して比較し、後句で程度の異なる事物に対して肯定的な断定を行い、“尚且(でさえ)”と訳すことができる。)

 死马买之五百金,况生马乎?(《战国策・燕策・一》)
 ――死马尚且用五百金买它,何况活马呢?
(死んだ馬でさえ五百金でそれを買うのに、まして生きた馬はなおさらではないか?)

 臣死不避,卮酒安足辞?(《史记・项羽本纪》)
 ――我死尚且不怕,一杯酒哪值得推辞呢?
(私は死さえ恐れないのに,一杯の酒はどうして辞退するに値しましょうか?)

 管仲犹不可召,而况不为管仲乎?(《孟子・公孙丑・下》)
 ――管仲尚且还不能召见,又何况不屑做管仲的人呢?
(管仲でさえ召し出すことができないのに、まして管仲たることを潔しとしない人はなおさらではないか?)

つまり、尹君は「且欲与常馬等不可得」の「且」の用法を、「尚且」とは明確に区別して、同じ譲歩連詞としながらも、「たとえ~ても」の意としたことになります。

また、韩峥嵘『古汉语虚词手册』(吉林人民出版社1984)においても、

八、连词,表示假设或让步,用偏句的开头或主语后面,可译为“如果”、“假使”或“即使”、“就是”。
(八、連詞。仮定や譲歩を表し、偏句(偏正複文の主句に対する句)の句頭か主語の後で用い、“如果(もし)”、“仮使(もし)”や“即使(たとえ~ても)”、“就是(たとえ~ても)”と訳すことができる。)

と説明され、尹君が引用した『史記・廉頗藺相如列伝』の例やこの馬説の例が引用されています。
ちなみに、訳は次のようになっています。

即使想要〔它〕跟普通马一样〔都〕不可能,怎么要求它日行千里呢?
(たとえ〔彼が〕普通の馬と同じであることを求めたくてもできないのに、どうして彼が一日に千里走ることを要求しようか?)

要するに韩峥嵘の「且」に対する理解は尹君と同じです。
ただ、諸本のこの箇所に対する訳からは、動詞「欲」の主体が飼い主なのか千里馬なのかで揺れているようで、それはそれで別の問題として、ここでは触れないことにします。

さて、ここでもう一つ非常に興味深い解説を発見しました。
叶圣陶/吕淑湘『大师教语文』(广西师范大学出版社 2015)に収録されている「韩愈《马说》讲解」に、次のように述べられています。

[且欲与常马等不可得] “且”不是则,也不是承接连词。是副词,犹、尚且的意思。一般用法,像这句,放在“不可得”前面,作“欲与常马等且不可得”。韩集朱熹《考异》:“今按:且字恐当在等字下。”这是就一般用法说的。古籍中作犹、尚且讲的副词的“且”字有放在分句开头的。举先于韩文的例同这句比较:

兽相食,且○人恶之;为民父母行政不免于率兽而食人,恶△在其为民父母也?(《孟子・梁惠王上》)

……且○欲与常马等不可得,安△求其能千里也?

“且人恶之”就是“人且恶之”,“且欲与常马等不可得”就是“欲与常马等且不可得”。而且两句都是“……且……,恶(安)……也?”的句式。“且”同“恶(安)”密切相关。“且”字不是承接连词是很清楚的。这句用今语表达,就么是:要同常马一样尚且办不到,怎么要求它能行千里呢。

([且欲与常马等不可得]“且”は「則」でもなく、承接連詞でもない。副詞であり、「猶」「尚且」の意味である。一般用法は、たとえばこの句は、「不可得」の前に置き、“欲与常馬等且不可得”とする。韓昌黎集の朱熹の《考異》に、「今考えるに、『且』の字はおそらく『等』の下にあるべきだろう。」とある。これは一般的な用法を説明したものである。古籍の中で「猶」「尚且」として述べられる副詞の「且」の字は分句の初めに置くことがある。韓愈の文章より先の例を挙げてこの句と比較してみると、

獣相食,且○人悪之;為民父母行政不免于率獣而食人,悪△在其為民父母也?(《孟子・梁恵王上》)

……且○欲与常馬等不可得,安△求其能千里也?

「且人悪之」は「人且悪之」であり、「且欲与常馬等不可得」は「欲与常馬等且不可得」である。かつ、両句はどちらも「……且……,悪(安)……也?」の句式である。「且」は「悪(安)」と密接に関わっている。「且」の字が承接連詞ではないことがはっきりしている。この句は現代語で表現すると、「常の馬と同じであることを求めることすらできないのに、どうして彼が千里走れることを要求するのか?」となる。)

この説明では明らかに「且」を「猶」「尚且」の意であると断定しています。
私見では、「獣相食,且人悪之」と「且欲与常馬等不可得」が本当に同じ構造であろうかと疑問を感じないではありません。
「且人悪之」が「人且悪之」と同じだというのは、「人でさえそれを憎む」と解していることになり、それでは「人」と「民の父母」とを比べたことになってしまうからです。
「獣が食べ合うことさえ」というのとは解釈が異なってしまいます。

となると、『大师教语文』が馬説と同じく「且」が分句の先頭に置かれる同様の例として引用した『孟子』の例は、実は同じでないことになってしまい、他に妥当な例証がない限り、妥当な語法解説ではないことになってしまいます。
もう少し慎重な用例探しが必要な気がします。

それはさておき、韓愈の「且欲与常馬等不可得」の「且」をめぐっては、複数の解釈が成り立つことがわかりました。
どうも、私が浅学にもそうだと思い込んでいた「その上」「さらに」とする解釈は立場が弱いようですが、中国でもないわけではなく、また譲歩を表して「たとえ~ても」と解釈するものもあれば、「~でさえ」と解するものもあり、さらには、「~しようとする」と解するものもないわけではない。
そして現在の中国では、「~でさえ」とするのが目立つようです。

さまざまに解されるこの「且」の本当のところは一体どんな意味なのでしょうか。

比較的時代の近い朱熹は「~でさえ」と解しているようです。
しかし、『大师教语文』にも引用されているように、朱熹が「且字恐当在等字下。」(「且」の字は「等」の下にあるべきだろう)と注しているのは、「且」の置かれている位置が不自然だからでしょう。
だから、「欲与常馬等不可得」を「欲与常馬等不可得」とすべきだと注した。
それは「且」の位置を入れ替えることで「尚且」(~でさえ)の意味で解釈できるようにする提案です。
私はどうもそのあたりが気になります。
韓愈は「尚且」の意味のつもりではなかったのかもしれません。
ここまで調べてきて、個人的には、「且」の置かれた位置から、進展を表す連詞「その上、さらに」、または譲歩連詞「たとえ~ても」の意味ではないだろうかという気がしています。
「~でさえ」と解するには、やはり「且」があるべき位置にないような気がするのです。
ただし、何の確証もありません。

韓愈が「且」の字をどの意味で用いる傾向にあるのか、たとえば『韓昌黎集』から調べあげてもおもしろいかもしれませんね。

結局結論は出ませんでしたが、少なくともはっきりいえることがあります。
例の指導書は参考書によって、「『まあ、せめては…』の意。いったん譲歩して、そのような条件下で考えてみるものの、それさえできないということ。」と言い切っているのですが、そのように簡単なものではなく、実はさまざまな解釈があるのです。
そして、我が愛すべき同僚の「些細なことですが…」は、決して些細なことではなかったのです。

水は「東西に分かれることがない」のか、「分かれない」のか

(内容:孟子の湍水の説「人無有不善、水無有不下」という句について、「無」を「不」と同義とする最近の説に疑問を呈する。)

孟子が告子と論争したいわゆる湍水の説で、気になる表現は次の一句です。

人無有不善、水無有不下。

この「有」がとても気になります。
「人無不善、水無不下。」ではだめなのか、そもそも「有」がどんな意味を表しているのかという疑問です。

しかし、そのことを考えながら本文をよく見ていると、それ以前の問題として、その前の部分で「無」が多用されているのが気になりました。

・人性之無分於善不善也、猶水之無分於東西也。
 (人の性質が善不善に分かれることがないのは、水が東西に分かれることがないのと同じだ。)
・水信無分於東西、無分於上下乎。
 (水は確かに東西に分かれることはないが、上下に分かれることがないだろうか。)

「ことがない」と訳しましたが、最近の虚詞詞典や漢和辞典では、「無」が存在文や所有文の謂語動詞ではない時、副詞として謂語を連用修飾して「~しない」という意味を表すと説明されることがあります。

そして、近年、私自身も講義の場で「無」が副詞「不」と同等の働きをすると述べたり、語法の解説に書き記したりしたこともあるのですが、最近、本当に簡単にそう結論づけてよいものだろうかと思うようになりました。

「無」が「不」と同じだということになれば、「人性之無分於善不善也、猶水之無分於東西也。」という本文は「人性之不分於善不善也、猶水之不分於東西也。」と同じ、「水信無分於東西、無分於上下乎。」は「水信不分於東西、不分於上下乎。」と同じだということになります。
そして、それぞれ次のように訳すことになります。

・人の性質が善不善に分かれないのは、水が東西に分かれないのと同じだ。
・水は確かに東西に分かれないが、上下に分かれないだろうか。

意味は通ってしまいます。
しかし、本当に同じ意味でしょうか。

「無」は字としては「有」の対であり、等しく動詞です。
この動詞「有」が動詞句を賓語をとるように、「無」も動詞句を賓語にとります。

馬建忠『馬氏文通・同動助動四之四』に、次のように述べられています。

〔論衛霊〕志士仁人,無求生以害仁,有殺身以成仁。――<殺>動字也,緊接<有>字,並未間以介字,則作<惟有>之解。猶云「志士仁人決不求生以害仁、惟有殺身以成仁而已。」<無>字作<不>字解者常也。
(「殺」は動詞であり、すぐ後に「有」字をとり、間に介詞「以」を置かない時には、「惟有」の意味である。「志士仁人決不求生以害仁、惟有殺身以成仁而已。」に同じ。「無」字は「不」字と解するのが常である。)

動詞を直後にとる「有」が「惟有」の意味だとする馬建忠のこの説を太田辰夫は『改訂古典中国語文法』で否定していますが、それはさておき、問題は「<無>字作<不>字解者常也。」の部分です。
このことについては、張文国/張文強の「论先秦汉语的“有(无)+VP”结构」(先秦漢語の「有(無)+VP」構造)という論文に、おもしろいことが述べられています。

有无句“在形式上虽是叙述句,在意义上却有些是带有描写性的”。这句话就是从正反两个角度描写“志士仁人”所具有的品质的,意思是说在“志士仁人”那里,没有“杀生以害仁”这样的事儿,有“杀身以成仁”的事儿,至于《马氏文通》的解释,“志士仁人决不求生以害仁,惟有杀身以成仁而已”,则不是描述称颂“志士仁人”,而是叙述“志士仁人”的决心,显然与该句本来的意思大相径庭。
(有無句は、「形式上は叙述句であるが、意味上は描写的な性質を帯びている」。この文は正反対の二つの角度から「志士仁人」がもつ品性を描写しているが、意図は「志士仁人」の句において、「求生以害仁」のようなことはなく、「殺身以成仁」ということがあることを述べることにあり、『馬氏文通』の「志士仁人決不求生以害仁、惟有殺身以成仁而已。(志士仁人は決して生を求めて仁を害せず、ただ身を殺して仁をなすことがあるばかりだ。)」という解釈に至っては、「志士仁人」を称賛することを述べたのではなく、「志士仁人」の決意を述べたことになり、明確にこの句の本来の意味と大きな隔たりがある。)

簡単に「無」を「不」に置き換えて解するわけにはいかないという思いを強くします。

「無」は語義的に「有」の対ではありますが、「有」の否定、すなわち「不有」と考えるより、「有」が存在することを述べるのに対して、「存在しない」ことを肯定的(といえば変ですが)に述べる字ではないかと思います。
ともに賓語をとり、その賓語の存在・非存在を客観的に述べるものではないでしょうか。
したがって、「有」「無」が動詞句を賓語にとる時、賓語自体はかりに意志的な動作行為を表しても、賓語になることによって、そのような動作行為が存在する・しないを、客観的に述べることになります。

「水が東西に分かれない」といえば、水は生物ではありませんからわかりにくいのですが、これが「人が東西に分かれない」と表現すれば、その人の意志が関わってきます。
しかし、「分かれることがない」といえば、そのような事実の存在を客観的に述べたことになります。
「水信無分於東西」と「水信不分於東西」の違いは、そのようなものではないでしょうか。

したがって、日本語として「水は確かに東西に分かれることはない」と訳すことが、それほど不自然でない限り、「水は確かに東西に分かれない」とするよりも、「無」の本来の語義に近い訳し方になっているのではないかと思います。

湍水の説

(内容:孟子の「湍水の説」について述べるにあたり、これは詭弁ではないかという感想を序にかえて。)

孟子の性善説は教科書でも取り上げられることが多いのですが、いわゆる四端の説の初めの部分、つまり「不忍人之心」の箇所がとられているのが普通です。
これも、ページ数の都合か、「人之有是四端也、猶其有四体也。」までの収録が多いようで、これでは孟子が何のために性善説を説いているのかわからないのになと思わされます。
そのことはさておき、この四端の説、見かけ上はいかにも詭弁です。
惻隠の心をもたぬ者が人ではないというのは論証されているからよいとしても、羞悪、辞譲、是非については全く論証せずに、それがないのは人ではないと言い切るわけですから、論理的な思考の持ち主なら、待ったをかけたくなります。
孟子は論理的な言説よりは、多少飛躍があっても説得力のある弁舌を行うところがありますから、ごまかしたというよりは、惻隠と同じく説明しようとすれば十分可能であっても、くどさを嫌って、端折った言い方をしたのかもしれません。
それは理解できるにしても、この手の弁舌家は、ともすれば強弁とも言える詭弁を働いてしまうこともあるのでしょうね。

孟子の強弁の最たるものが「性猶湍水也」(人の性質は渦巻く水のようなものだ)です。
教科書の中には、四端の説だけではなくて、この湍水の説をも載せているものがあります。
それどころか中には四端の説は載せずに湍水だけというものもあって正直驚きます。
今年講義に用いたテキストがそれで、これでは孟子がとんでもない詭弁家だと思われてしまうなあと嘆かずにはいられませんでした。
これもページ数の関係なのでしょうか。
個人的には、ページ数より中身の方が大事だと思うのですが。

「女房より五円玉の方がいい」というのは詭弁の有名な例です。
「俗に、よく『女房よりいいものはない』と言うよね?でも、『ない』よりは『ある』方がいいだろう?五円玉には穴が『ある』じゃないか。だから女房より五円玉の方がいいんだよ。」
…という、三段論法仕立ての詭弁ですが、孟子の湍水の説などは、これに匹敵する詭弁です。
告子が人の性質が湍水のようなもので、東に流れるとか西に流れるとか決まっていないのと同じで、人の性質も善悪が決まっているわけではないと主張したのに対して、孟子は水は確かに東、西へ流れるものと決まっているわけではないけれども、上に流れるか下に流れるかは決まっていると主張します。水は下に流れると決まっているわけで、だから人の性質も善だと決まっているという話の流れは、孟子にそのつもりがなくても、おいおい詭弁が過ぎるだろう…と言いたくなります。

ですから、個人的には性善の説を、この湍水の話で講義するのは嫌いなのです。
しかしながら、今年のテキストにはそれしか載っていませんから、しぶしぶ湍水の説を講義したわけですが…

と、ずいぶん話の前置きが長くなってしまいましたが、久しぶりに湍水の説を読んでいて、このような感想とは別に、またぞろ色々な疑問が生じてきました。
「雑説」の次は、これらについて論じてみようと思います。

其道

(内容:韓愈の『雑説』に見られる「其道」の「其」の用法について考察する。)

韓愈の「馬説」について、さらにもう一つ気になるのは、「其道」です。

・策之不以其道、食之不能尽其材、鳴之而不能通其意、執策而臨之曰、天下無馬。

「其道」「其材」「其意」と三つ連続する「其~」の中で、「其道」だけが「ふさわしい方法」とか「その馬にふさわしい扱い方」などと説明されています。
確かに文意としてはそうであり、この例に限らず「其」が適切や正当を表すことがあると説明されているのは、何度か日本の書物で目にした記憶があります。

これが気になりました。

そこでまた虚詞詞典を調べてみると、意外にもそれらしい記述が見当たりません。
中国の字典類にも見当たりません。
それならばと、漢和辞典ものぞいてみましたが、ありません。
どういうことでしょうか。

片っ端から手元の文献をあたっていくと、太田辰夫『改訂 古典中国語文法』(汲古書院1983,53頁)に次のような一節がありました。

「其」が「適切な」という意味をあらわすことがある。これは自称に用いられたものからさらに転じたものかとおもわれる。
   雅頌各得其所 …a
   不得其醤不食 …b (…a、…b は筆者付加)

この一節は、「人称代名詞自称の『其』が形修(形容詞的修飾語の略)として用いられた例」、さらに、「自称の『其』が名詞性連語に用いられた例」の説明に続く部分になります。

引用aは、『論語・子罕』の「子曰、『吾自衞反魯、然後樂正、雅頌各得其所。』」です。
『全釈漢文大系1・論語』(集英社)には、「孔子の言葉。わたくしが衛の国から魯に帰ってきて、はじめて音楽は正しくなり、雅も頌もそれぞれの場所におちついた。」と訳してあります。
雅とは、「周王朝において饗宴の際に奏される楽曲」、頌とは「宗廟で祖先神を祭る時に奏する舞楽」(同書)です。
「それぞれの場所」とは、「適切な場所」ということでしょうから、説明に合致します。

bは、『論語・郷党』からの引用です。
『全釈』では「つけ汁が合わなければ食べない。」と訳されています。
その注には、「『醤』はひしお、つけつゆの類。調味料。料理はそれぞれに合うた調味料がある。『不得其醤』は、調味料の取り合わせをまちがえたもの。」とあります。
すなわち、「其醤」とは「適切な調味料」ということになります。

『古典中国語文法 改訂版』は、「論語文法研究」「孟子文法研究」「檀弓文法略説」の合書ですから、『孟子』の用例も引用されています。(同書129頁)
「自称の『其』を名詞性連語の主語に用いたものはよい例がない。」というくだりの後で、

「其」が「適当な」という意味をあらわすもの。
   雞豚狗彘之畜,無失其時 …c
   非其君不事,非其民不使 …d (…c、…d は筆者付加)

とあります。

引用cは、『孟子・梁恵王上』の「雞豚狗彘之畜、無失其時、七十者可以食肉矣。」です。
『全釈漢文大系2・孟子』(集英社)では、「鶏・豚・犬などの飼育に心を用いて、その繁殖生育の時期に殺さないようにすれば、七十歳以上の者は栄養のよい肉を十分に食べられましょう。」と訳してあります。
これも「適切なタイミング」ということですね。

dは『孟子・公孫丑上』と『同・万章下』に見える用例です。
『全釈』は「自分の仕えるべき君と思わねば使えず、自分の使役するに足る民でなければ使わず」と訳しています。
「仕えるにふさわしい」「使役するにふさわしい」という意味で適切にあたります。

代詞「其」は、人や事物を含んで第三人称代詞として用いられることが多いのですが、第一・第二人称代詞として用いられることもあります。

・臣竭其股肱之力、加之以忠貞。(春秋左氏伝・僖公九年)
(私は私の全力を尽くし、さらに忠貞の心を加えます。)

この例は代詞「其」が第一人称として用いられている例です。
太田氏の「自称に用いられたものからさらに転じたもの」というのは、この第一人称での用法を指しているのでしょう。
たとえば、例dの「其君」は、「自分の主君」から転じて「自分の仕えるべき主君」、例bの「其醤」は、「そのもののつけ汁」から転じて「そのもの本来であるべきつけ汁」の意に転じたということでしょうか。

王力の『漢語史稿』(中華書局1980,280頁)には、

“其”字用於指示的時候,也是用作定語的,它是特指(非近指,亦非遠指)的指示代詞,略等於現代漢語的“那種”、“那個”。它具有特定的意義,古人用它來表示它後面的名詞所代表的人物是“適當”的。
(“其”が指示で用いられる時、連体修飾語として用いられることもあれば、特指(近指でも遠指でもない)の指示代詞でもあり、現代漢語の“那種”、“那個”(その)にほぼ等しい。それは特定の意味を備え、古人はそれを用いてその後の名詞が代表する人や物が“適当”であることを表してきた。)

と述べられています。

この「特指」というのは、馬建忠『馬氏文通』が用いている「特指代字」のことで、同書には「特指代字前置於名,所以明注意之事物也」(特指代字は名詞の前に置かれ、意を注いでいる事物を明らかにするためのものである)と説明されています。

また、李佐豊『古代漢語語法学』(商務印書館2004,173頁)にも、

“其”还常表示特指,说明“其”所指示的对象是适当的、正当的、符号要求的。
(“其”はさらによく特指を表し、“其”が指示する対象が適当であり、正当であり、要求に合っていることを説明する。)

とあります。

「其」が「適切」等の意味を表すとするのは妥当であるようですが、それが太田氏のいうように第一人称からの転なのかどうか、興味のもたれるところです。


さて、あらためて「策之不以其道、食之不能尽其材、鳴之而不能通其意」という「馬説」の表現を見ると、「其道」「其材」「其意」と、「其~」が連続的に配置されており、教科書には「其道」だけが「ふさわしい方法」などと注されているのが気になりました。

「其道」とは、「策之」(彼を鞭うつ、転じて彼を使役する)にふさわしい方法、それはもともとは「鞭うつ方法」であり、それが特指代詞として「鞭うつふさわしい方法」という意味を表すわけです。
同時に、「其材」も「彼の才能」という意味ですが、「彼の本来の才能」の意であり、また、「其意」も「彼の気持ち」すなわち「彼の本当の気持ち」という意味を表しているように思います。
李佐豊が述べた「适当的、正当的、符号要求的」にまさに合致します。

「其道」だけが特殊なのではない、「其」の働きについて調べた結果、私はそんなふうに感じました。

「不」はどこまでかかるか?・再び

(内容:韓愈『雑説』の「不知其能千里而食也」という句について、中国の方の教示に基づき再考察。)

「食馬者、不知其能千里而食也。」の「不」がどこまでを修飾しているかという問題につき、中国の方から大変参考になるご教示をいただきました。
管理人だけが閲覧できるコメントでしたので、そのまま引用できませんが、「馬を養うものは、その馬が千里走れるのを知らずに養うのである」と訳す方が普通であるとのことでした。

興味深かったのは、「不」の後に「息を入れる」のは稀であって、「食」まで修飾するために「不」の後に息を入れると、意味が変わってしまうというくだりでした。

いただいたメッセージを繰り返し読みながら、ふと感じたことがありました。

日本で一般に訓読されている「馬を食(やしな)ふ者は、其の能の千里なるを知りて食はざるなり」の現代語訳は、手元にあった教師用の指導書では次の通りに訳されています。

・馬を飼う者は、その馬の能力が一日に千里走るほどであると知っていて飼うのではないのである。(A社)
・馬を飼う者は、馬が千里を走ることができるのを知って飼っているわけではない。(B社)
・馬を飼っている人は、その馬の能力が千里も走れることを承知していて、それで養っているのではない。(C社)
・馬の飼い主は、その馬が千里を駆ける能力のある馬だとは知らずに飼っている。(D社)
ちなみに、最後のD社は訓読では「馬を食ふ者は、其の能の千里なるを知りて食はざるなり」と読んでいます。

さらに手元の参考書を見てみると、

・馬の飼い主は、その(馬の)能力が(一日に)千里を走りぬくほど(の名馬)であることを知っていて、(それに応じた)飼い方をするということをしない。(明治書院「研究資料漢文学6・文)
・馬の飼い主は、その馬が千里を駆ける能力のある名馬だと知って、それにふさわしい飼い方をするということをしない。(昌平社「漢詩・漢文解釈講座14 文章Ⅱ)

となっています。
そのいずれもが、読み方には複数があるが、意味にたいして変わりはないという立場をとっていて、語法自体に踏み込んだ説明は皆無のありさまです。
日本語に訳した意味に変わりはないとしても、古漢語の語法としては異なるのでは?という思いが強くなります。

私が気になったのは、訳の最後の部分です。
・飼うのではないのである
・飼っているわけではない
・養っているのではない
・飼い方をするということをしない。

「其の能の千里なるを知りて食はざるなり」を現代語訳すれば、どうしてもこのようになってしまうのでしょうが、本来「不食」は「養わない」です。
つまり、多少日本語としてグラグラすることを気にせず訳せば、「馬を養うものは、その馬が千里走れることを知って養わない。」あるいは、「知った上で養わない」です。
「~ということをしない」はまだしもですが、「ではないのである」「わけではない」「のではない」というのは、なんだかニュアンスが違うというか、客観的な表現に寄ってしまっているような気がしたのです。
まるで、「有不食也」の訳のような…

ご教示の中にもあったのですが、馬が千里走れるということの認識を否定するのは、いわば状態の否定です。
しかし、「食」=養うことの否定は、動作の否定になります。

このあたりは異論のありそうなところになりますが、「養わない」という動作の否定は「養おうとはしない」という動作意志の否定にもつながりそうです。
この飼い主はもともと馬の能力を知らないのであり、「千里走れる馬だとの認識の上で養う」ことの拒否ではありません。

まだまだよくわからず、奥が深そうですが、どうも語法的には「馬を食ふ者は、其の能の千里なるを知らずして食ふなり。」の方向で解釈するのがいいような気がしています。
なお、私はこの訳に挙げたような、「能」が能力の意味の名詞だとは実は思っていません。
その部分だけ取り上げると、主語「其」+謂語「能」+賓語「千里」の構造かなと思っています。
あるいは、千里を「千里走る」という意味の動詞に活用しているとみれば、「能」は助動詞(能願動詞)ということになります。

さらにご教示を賜りたく存じます。

馬之千里者

(内容:韓愈の『雑説』に見られる「馬之千里者」という句の構造について考察。)

韓愈『雑説』の「馬説」について、同僚から質問を受けました。
この方は漢文の専門ではありませんが、素朴な質問が多く、かえって私がふだん気にもとめていなかったことに気づかせてくれることが多いのです。

「馬之千里者、一食或尽粟一石。」の「馬之千里者」は、どういう構造になっているのですか?

馬の千里走るもの、つまり千里走る馬と、特に深くも考えなかった部分でしたが、言われてみると、「之」の働きが気になります。
真っ先に思い浮かべたのが、主謂間に置かれる「之」の働き、つまり文の独立性を取り消し名詞句を作る働きでしたが、じゃあ元の主謂構造「馬千里」というのが、どうもしっくりきません。
では、「馬」が「千里」を連体修飾する定語となっているのか?とも思いましたが、これもどうもストンと落ちません。

そこで、きちんと調べてみることにしました。
ある書物に、助字として「同格。…で。同格関係の語の間に置かれる。」とあり、この馬説の例が引用されていました。

確かに、意味としては「馬」と「千里」の関係は同格関係にあることは明らかなので、事実としては『新漢語林』の記述が誤っているわけではありませんが、そのことと「之」が語法的に同格を表すとすることとは別問題です。
いかにも怪しいと思いました。
「之」を「の」と訓読するがゆえに、格助詞「の」の同格の用法から、「之」にも同格の働きがあるとしている逆方向の矢印を感じたからです。

私が虚詞の働きを調べる上で、真っ先に見るのは、『古代汉语虚词词典』(商务印书馆)と、何楽士の『古代汉语虚词词典』(语文出版社)です。
しかし、それらしい用法については見つかりませんでした。
となると、さまざまな虚詞詞典をあたっていくことになりますが…

王政白『古汉语虚词词典・增订本』(黄山书社)、韩峥嵘『古汉语虚词手册』(吉林人民出版社)、陈霞村『古代汉语虚词类解』(山西古籍出版社)などの虚詞詞典や、日中の各種語法書を手当たりしだいにあたっていったのですが、どうも釈然としません。

「馬之千里者」のような表現は、考えてみればよく見るように思います。周敦頤の『愛蓮説』の中にも、「菊、華之隠逸者也。牡丹、華之富貴者也。蓮、華之君子者也。」というのがありますね。
さらに考えてみれば「者」を伴わない形もよくあります。『詩経・周南・桃夭』の「桃之夭夭、灼灼其華」などがそれです。
いずれも本来連体修飾語であるべき語が「之」を介して被修飾語の後に置かれています。

ここではっと気づきました、これは何かで読んだことがある。
「之」に倒置を示す標識としての働きがあるのは周知のことなのですが、定語(連体修飾語)の倒置について書かれたものが確かあった。

そこで、刘永康の『文言特殊句式归类汇析』(四川人民出版社)を開いてみると、ありましたね。
この書は学生向きに書かれた、いわば学習参考書なのですが、その「定語后置句」の項に、「中心词+之+定语」の形式の説明として、

在后置的定语和它的中心词之间加“之”,构成“中心词+之+定语”的格式。
(後置された連体修飾語とその被修飾語の間に“之”を置き、“被修飾語+之+連体修飾語”の形式を構成する。)

さらに、「中心词+之+定语+者」の形式として、

用“者”字煞尾,并且在后置定语和它的中心词之间加“之”,构成“中心词+之+定语+者”的格式。这种格式的后置定语和中心词之间,好像是部分和整体,分子和分母的关係。这种用法的“之”字可译为“里头的”或“当中的”。
(“者”の字を句末に用い、さらに後置された連体修飾語とその被修飾語の間に“之”を置き、“被修飾語+之+連体修飾語+者”の形式を構成する。この形式の後置連体修飾語と被修飾語の関係は、部分と全体の関係、分子と分母の関係に似る。この用法の“之”の字は、“里头的”や“当中的”(~の中の)と訳すことができる。)

として、『愛蓮説』や、そもそもの問題であった『雑説』の「馬之千里者」が例として引用されていました。
ちなみにその訳は「能日行千里的馬」です。

定語の後置と考え直して調べてみれば、他にも張文國・張能甫『古漢語語法學』(巴蜀書社)にも同様のことが書かれています。

しかし一方で杨剑桥『古汉语语法讲义』(復旦大學出版社)は、この形式があくまで定語と中心語の関係であるとして、定語の後置とみなすことに反対な学者の説を挙げて慎重な姿勢をとっていますので、即断するわけにはいかないのですが、この形式が古漢語の語法において議論の必要な特殊形式に分類されるものであることは間違いありません。

「之」を定語の後置を示す標識とみなしてよいかどうかは、もう少し調べてみたいと思いますが、高等学校の教壇で誰もが簡単に読み飛ばす「馬之千里者」という表現が、実はそう簡単なものではないということに気づかせてくれる同僚の問いかけでした。
感謝です。

「不」はどこまでかかるか?

(内容:韓愈の『雑説』に見られる「食馬者不知其能千里而食也」という文について、「不」がどこまで修飾するかについて考察。)

韓愈の雑説四、いわゆる「馬説」を講義するにあたって、実は以前から気になっていながら忘れていた問題に突き当たりました。
次の一節です。

・食馬者不知其能千里而食也。

どの教科書でも「馬を食(やしな)ふ者は其の能の千里なるを知りて食はざるなり。」と読んでいます。
あるいは「能」を「よク」と読んでいる例もあります。
この「能」を能力の意の名詞ととるか可能の助動詞と解するかという問題もあるにはあるのですが、私が気になっていたことというのはそれではありません。

端的にいえば、「其の能の千里なるを知らずして食ふなり。」と読んではいけないのか?という疑問です。
「其の能の千里なるを知りて食はざるなり」と読もうが、「其の能の千里なるを知らずして食ふなり」と読もうが、要するに名馬にふさわしい養い方をしていないことを言う点においては変わらないので、訓読の上ではどちらも成立します。

しかし、語法的にはどうなのでしょうか。
「馬説」のこの部分についての語法的な解説は、残念ながら今のところ見つけられませんが、黄永年『韓愈詩文選訳』(巴蜀書社1990)には、

饲养马的不知道它能日行千里而把它喂够。

と訳してあります。
「喂够」が十分に食べさせるという意味なので、一見して「其の能の千里なるを知りて食はざるなり」の方向の解釈なのかな?と思いましたが、しかし、それにしては訳文をそう理解するのは若干不自然な気がしました。
その馬に食わせないというのであれば、改めて「不」で否定するような気がしたのですが、さてそれはどうなのでしょうか。

他にWeb上ではどのような解釈がなされているかも見てみました。

・養馬的人不知道它能日行千里,用餵一般馬的方法餵養它。
・喂馬的人不知道它能夠日行千里,而沒有餵養。

などの訳文が見られましたが、訳文はあくまで訳文で、必ずしも語法に忠実、いわゆる逐語訳とは限りませんから、決め手にはなりません。

この問題は否定副詞「不」は、以下のどこまでを修飾するかという問題です。
裏付けのない形の、あくまで個人的な感想を示すことをお許しいただけるなら、漢文は上から下(横書きならこのブログのように左から右)へ読んでいくものなので、「不」の後に「知其能千里」と続けば、「その能力が千里であることを知らない」と理解してしまいます。
さらにその後に連詞「而」があれば、「不知其能千里而」が「その能力が千里であることを知らずに」と連用修飾句として後の謂語「食」を修飾しているように見えてしまいます。
これは語法的に誤った解釈なのでしょうか。

ふと思い出したのが、『孟子・尽心上』の「四体不言而喩。」という一節です。
仁義礼智の四徳が外に表出すれば、何も言わなくても誰にでもそれがわかるという意味ですが、これはいくらなんでも「言ってわかるものではない」という意味ではないでしょう。
この形は、「不」が「言」を修飾し、さらに連詞「而」と共に「不言而」の形で謂語「喩」を連用修飾している形です。(なお、この例については、何楽士『古代漢語虚詞詞典』(語文出版社2006)が「不」の「表示“不用”(用不着)」の説明の用例として引用しています。)

しかし、たとえば「馬説」に見られる次の一例、

・故雖有名馬、祇辱於奴隷人之手、騈死於槽櫪之間、不以千里称也。
(だから、名馬がいても、ただ使用人の手にはずかしめられ、馬小屋の中で首を並べて死ぬばかりで、千里走るということで称えられないのである。)

の最後の一節「不以千里称也」は、「千里を以てせずして称せらるるなり」とは解せないでしょう。これは「伯楽不常有」と構造的には同じで、「不」はやはり「以千里称」「常有」を修飾していると考えるべきだからです。

そうなると、「不知其能千里而食也」同じ構造だといえば同じ構造ですから、「不」が修飾しているのは「知其能千里而食」なのかなと思われてくるのですが、気になるのは連詞「而」なのです。

結局のところ、やっぱりわからないというのが現在の正直な気持ちです。

ただ、私が言いたかったのは、句頭に否定副詞「不」が置かれた場合、常に後に続く内容のすべてが否定されると決まっているわけではないということ。
ましてその句が連詞によって接続した形の場合、連詞までの部分で「不」の修飾内容が途切れると思うのは、誤った判断なのだろうかということです。

どなたかご教示いただけると幸甚です。

汗顔の至り

(内容:「汗顔の至り」の経験から、その「汗顔の至り」という言葉について調べてみる。)

先日、とても驚くことがありました。
拙著『概説 漢文の語法』は、Web上で公開、PDF版を無料提供していることもあって、お問い合わせを頂くことも多いのですが、なんと中国の大学院生の方から勉強したいので譲ってほしいというご連絡を受けました。
これはもう驚天動地のことです。
日本の方からのお問い合わせならともかくも、本家からのご依頼には、果たしてその任に堪えうるものか忸怩たる思いがあります。

せっかくのお問い合わせですので、PDF版をダウンロードしていただきましたが、さぞかしあちこちに怪しげなことが書いてあると思われるのではと、汗顔の至りです。
きちんと調べた上で執筆したものではありますが、しょせん他国の言語を他国の人間が解説しているわけですから、まさに汗顔の至り、恥じ入らずにはいられません。
むしろ誤りをご指摘ご教示くださいとお願いしました。

さて、「汗顔」とは、額に汗することですが、『広辞苑』を引いてみると、「大いに恥じて顔に汗をかくこと。極めて恥かしく感ずること。」と書いてあります。
リアルな表現ですから、どうしてそういう意味で用いられるのかは容易に想像がつくのですが、中国でも同じ意味で用いられるのだろうか?と疑問に思いました。

そこで、『漢語大詞典』を引いてみますと、「(1) 臉上出汗。(2) 形容羞愧。」とあります。(2)の方の用例を見ると、「元 高文秀《澠池會》第二摺:“我若輸了呵,面搽紅粉,豈不汗顏。”」とあります。高文秀は元代の雑劇作家ですが、残念ながらその戯曲「澠池会」は手元にもなく、閲覧する手立てもありませんので、原典にあたってみることができませんでしたが、おそらく「私がもし(賭けに?)負けたら、紅粉を顔に塗る、汗顔せずにいられようか」という意味だと思われ、「恥じずにはいられない」ということなのでしょう。前後の文脈がわかりませんので間違っているかもしれませんが。

『元史・礼楽志2』にも、「臣等素無學術、徒有汗顏。」(私どもはもとより教養がございませんので、ただただ恥じ入るばかりです)という用例が見られます。

古い用例には「恥じる」の意味で「汗顔」が用いられたものは今のところ見当たらず、どうやら比較的新しい使われ方のようですね。

「汗顔の至り」、まさにその気持ちを強くする一方、本場の方の目をもってしても、妥当なことが書かれている、そう思っていただける語法の解説を行えるよう、学び続けていこうと心に刻みました。

『中山狼伝』注解の連載を始めました

(内容:中国で有名な話『中山狼伝』の注解を連載する告知。)

中国の語法書や虚詞詞典などを読んでいますと、よく例文として引用される書物というのがあります。
その中に『中山狼伝』というものがあり、中国では誰もが知っている恩知らずな狼のお話なのですが、日本ではあまり知られていません。
日本で漢文の語法をまじめに勉強しようとする方は、引用された例文を原典にあたり、確認作業をされるはずだと思いますが、その際、頼りになる解説書がないと、初学の人にはどうにも荷が重くなります。

そこで以前から『中山狼伝』を日本の初学者にも紹介しようと思っていましたが、どうせのことなら、きちんと古典中国語文法に基づいた注釈をつけてみようと考えて、暇を見つけては注釈を施し、少しまとまってきましたので、この1月より少しずつ公開しております。

相変わらず、あちこち怪しげな箇所はあると思うのですが、ご参考に供することができれば幸いです。

ご興味おありの方は、サイドメニューのページエントリー「古典作品語法注解」より『中山狼伝』注解をご覧ください。

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