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2019年01月の記事は以下のとおりです。

「匕首を引く」はどんな動作?

(内容:『史記・刺客列伝』で、荊軻が始皇帝に対して行った「引匕首」(匕首を引く)が具体的にどのような動作なのか考察する。)

『中山狼伝』のほぼ最終場面に注をつけていて、「引匕」という表現が気になりました。

丈人附耳謂先生曰、「有匕首否。」先生曰、「有。」於是出匕。丈人目先生、使引匕刺狼。
(老人が先生に耳打ちをして「短刀をもっているかどうか」と言うと、先生は「もっています」と言った。そこで短刀を出した。老人は先生に目配せして「匕を引いて」狼を刺させようとした。)

恩知らずの狼を成敗するために、丈人(老人)が一計を案じて狼に袋の中に入らせ、東郭先生に短刀で袋の上から狼を刺し殺させようとする場面です。
この「引匕」はもちろん「引匕首」の意ですが、具体的にはどんな動作なのでしょうか。

すぐに思い出したのが『史記・刺客列伝』の有名な一節です。

荊軻廃、乃引其匕首以擿秦王、不中、中桐柱。
(荊軻は重傷を負い動けず、そこで「其の匕首を引き」秦王に投げつけたが、命中せず、桐の柱に当たった。)

「引」という漢字は、どうしても「引く」をイメージしてしまいます。
でも、「匕首を引く」とはどういう動作なのでしょう。
荊軻の話はよく教科書に載っていますから、手元の指導書を何冊か見てみました。
すると、

・A社
(口語訳)そこでやむなく短刀をぐっと引き寄せて(ねらいをさだめ)秦王に投げつけた。
(解説)手元に引く。投げる前の(ねらいを定める)動作。

・B社
(口語訳)そこで(荊軻は)あいくちを引き寄せて、秦王めがけて投げつけたが、…
(解説)手元に引く。投げる前の動作。

・C社
(口語訳)そこでその短刀を引きよせて手に取って秦王に投げつけたが、…
(解説)なし。教科書脚注をそのまま引用。〔注— 訳 引きよせて手に取って。〕

この3社の訳と解説を見比べてみると、A社は明らかに持っていた匕首を手元に引いて投げる動きと解しています。
B社は、訳だけ見る限りは「あいくちを引き寄せる」という動作が、持っていなかった匕首を手元に引き寄せるようにも解せるのですが、解説に「投げる前の動作」とあるので、伸ばしていた手を折り曲げて投げる態勢に入ることを指しているのだとわかります。
C社は前の2社とは異なり、「引き寄せて手に取って」とあるからには、匕首が手元から離れていたということになります。

事の真偽はともかくとして、B社の訳は誤解を招く表現ですし、C社の解説は脚注の引用に過ぎず、何の説明もなくどうかなと思います。(あるいは、注に述べたことで十分という判断なのかもしれませんが。)

それにしても、「引匕首」という動作は刺客列伝の場合、どういう動作なのでしょうか。
まず、状況から判断すると、直前に荊軻は秦王により左股を断たれています。
この重傷により、秦王を追い回すことは不可能になったわけですから、最後の手段として匕首を投げつけるという行為に及ぶことになるわけです。
C社の訳と解説によれば、猛毒をしこんだ徐夫人の匕首は、いったん手元から離れたことになります。
左股を断たれた衝撃で、匕首を取り落としでもしたのでしょうか?まさか?
もしそうであれば、司馬遷は荊軻が匕首を落としたという何らかの記述を残したはずです。
動けない荊軻が「引き寄せて手に取」るためには、すぐ足元にでも落ちていなければならないはずですが。
C社の説明は、状況的にどうにも不自然です。

では、一見矛盾のないようなA社の解説ですが、(ねらいをさだめ)(ねらいを定める)の括弧がどうにも気に入りません。
行為自体は「引き寄せ」る、「手元に引く」動作だが、それはねらいを定めるためなのだと括弧で説明しておきながら、なおかつ「引」自体には「ねらいを定める」という意味は含まないのだと言わんばかりの表記が、なんだかずるいような気がするからです。
短刀を投げつける動作には、もちろん飛ぶ短刀に速度をつけるためにいったん後ろへ戻して前に出す行為が必要ですが、そもそもそういう動きを「手元に引く」などというでしょうか。

「手元」という日本語を『広辞苑』で引いてみました。
色々意味があるわけですが、次の第1項が該当するでしょう。

①手のとどくあたり。手近いところ。「―に置く」

A社やB社の訳や解説に違和感を感じたのは、『広辞苑』に述べられているように、「手元」ということばが、本来手の届く範囲を指すことばだと思うからです。
荊軻の場合、すでに匕首を自分の手で握っているわけですから(C社の解釈はともかく)、「手元に引く」という表現は何だか妙な気がするのですね。
拡大解釈して、すでに手にしているものをさらに体に引きつけるという意味でも「手元に引く」と表現するのだとすれば通るのかもしれませんが。
私には、「引」を「引く」と読む訓読に影響されすぎた訳や解説のように思えます。

教科書編集者が必ず参照したはずの明治書院の『新釈漢文大系 史記』ではどう訳されているか見てみると、

・荊軻は片足の自由を失い、やむなく匕首をぐっと引きつけてから秦王めがけて投げつけた。

A社もB社も口語訳を見るだけならこれに近く、それほど違和感を感じなかったのですが。

さて、この「引其匕首」を、中国ではどのように訳しているか調べてみました。

・于是拿起匕首擲撃秦王。(『史記選訳』巴蜀書社1990) …原文簡体字
(そこで匕首を持ち上げ秦王に投げ攻撃した。)

・就挙起他的匕首来投刺秦王,…(『史記全訳』貴州人民出版社2001) 原文簡体字
(そこで彼の匕首を持ち上げて秦王に投げ刺した。)

・就擧起匕首投擲秦王,…(『二十四史全訳 史記』漢語大詞典出版社2004)
(そこで匕首を持ち上げ秦王に投げつけた。)

「拿起」も「挙起」も「持ち上げる」という意味ですね。
「起」は趨向補語で主に下から上への動きを表します。
いずれも「手元に引き寄せる」あるいは「引きつける」という表現ではありません。
あるいは状況から見た意訳かもしれないので、今度は辞書を引いてみることにしました。
まずは『漢語大詞典』(上海辞書出版社1986)、

⑪抽取;執持;取用。
《史記·刺客列傳》:“荊軻廢,乃引其匕首以擿秦王。”晉 陶潛《歸去來兮辭》:“引壺觴以自酌。”晉 潘岳《悼亡詩》:“衾裳一毀撤,千載不復引。”

「抜き取る;持つ;取って用いる」ということでしょうか。
陶潜の例は「酒壺と杯を手に取って自分でつぐ」の意味ですし、潘岳の例は「敷物はひとたび撤去されれば、未来永劫二度としつらえられない」の意味です。
この流れで「引其匕首」の例を考えると、「手に取る」ことになり、おやおやC社の解釈が近いことになってしまいます。

次に『漢語大字典』(四川辞書出版社2010)、

⑦持取。《戦國策・秦策一》:“(蘇秦)讀書欲睡,引錐自刺其股,血流至足。”…

この⑦が該当するかなと思うのですが、錐(きり)を手に持って自分の股を刺すということですね。

『古漢語辞典』(南方出版社2002)には、

⑦抽;操。《後漢書・列女伝》:“妻乃引刀趨機。” …原文簡体字

楽羊子の妻が、夫が遊学中に帰宅したのを難じて機を断つという孟母断機に似た話ですが、刀を抜いて(あるいは刀を手にとって)織機に走ったということでしょう。

『古漢語詞典』(延辺人民出版社2000)では、

⑤挙(杯等)。杜甫《夜宴左氏荘》詩:“検書焼燭短、看剣引杯長。”
⑨抽。《宋史・太祖紀》:“馬蹶,墜地,因引佩刀刺馬殺之。”  …原文簡体字

⑤は杯を手にするということ、⑨は佩刀を抜いて馬を刺し殺したということです。

『古代漢語詞典』(商務印書館2014)は、

⑥挙,拿。《戦国策・斉策二》:“一人蛇先成,~酒且飲。” 又《秦策一》:“読書欲睡,~錐自刺其股,血流至足。” …原文簡体字

卮酒や錐を取りということでしょうか。

辞書には「引」についてさまざまな訳が載っています。
したがって「引匕首」だけをみれば、何通りか解釈が可能になります。
しかし、辞書に載っているからといって、それが正しいとは限りません。
思えば、昔「辞書に載っていました」と言ったら、恩師にひどく叱られたことがあります。
用例にあたり、専門書にあたり、そして自分自身がきちんと考察するように戒められた懐かしい思い出です。

そもそも「引」は、「弓を引き開く」が原義です。その動作から「引っ張る」「率いる」「招く」「導く」「推薦する」「引用する」などのさまざまな引申義が生まれました。
したがって、「引匕首」という動作も、持っていなかった匕首を手に取るという動き、あるいは匕首を扱おうとする手の動きをも表すのです。

先の楽羊子の妻は、ふだん刀を身につけているとは思えませんから、手に取ることになるし、太祖は皇帝ですから佩刀を身につけており、それを抜いたことになる。
一番最初に蛇の絵を描き終えたものも、そこで初めて酒を手にする権利を得たわけですから、卮酒を引き寄せた。
蘇秦も錐を持ちながら読書するわけがありませんから、眠くなると錐を手にして股を刺したわけです。
要するに、「引」は後に「刀」「錐」「匕首」などの賓語を伴っても、置かれた状況から、具体的な動きは異なるのが当然だということです。

荊軻は秦王に謁見するにあたって、佩刀が許されるはずもありませんから、あるのは地図の中に隠していた徐夫人の匕首のみです。
それを手に持って秦王を殺そうと追い回すわけで、左股を断たれたからといって、匕首を落としたり、いったん地に置いたりするわけがありません。
それをしたが最後、彼は丸腰になってしまうわけですから。
したがって、「引匕首」という動作は、離れた秦王に最後の一撃を与えようとした匕首を投げるための動作であるはずです。
実際、手にした短刀を投げようとしてみてください。
誰もが等しく短刀を振り上げようとするでしょう、あたかも槍投げのように。
これはまさしく「拿起」「挙起」であり、短刀を持ち上げる(lift)する動作です。
「手元に引き寄せる」動作でもなければ、「引き寄せて手にとる」動作でもありません。

A社もB社もC社も、あるいはそうとわかっていて、あのように書いてしまったのかもしれませんが、日本語としてはいかがでしょうか。

さて、『中山狼伝』の「使引匕刺狼」です。
墨家の徒である東郭先生を戦国時代の人とみなした上で、持っていた匕首は銅と錫の合金、すなわち青銅製だと思われます。
この匕首に鞘があったかどうかは定かではありませんが、実際、短刀の鞘も出土してます。
むき出しで携帯するとは思えませんから、取り出した匕首を鞘から抜き取る動作を「引」と表現しているのかもしれません。
その場合は、「匕首を抜いて狼を刺させる」という意味になります。
また、老人は袋の中にいる狼に悟られないように、狼殺害を指示しているわけですから、あるいは身振りで刺せと示したのかもしれません。
それならば、あるいは手を振り上げた?

いずれも想像の域を越えませんが、少なくとも「手元に引き寄せ」たり、「引き寄せて手にと」ったりするという意味ではないと思います。

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