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2025年04月の記事は以下のとおりです。

「所~」を修飾する「尤」は何と読めばよいか?

(内容:「太宗尤所眷遇」の「尤」をどう解釈するか考察する。)

かなり以前に発行された漢文の受験対策問題集を見ていて、あれ?と思う一節に出会いました。
欧陽修の『帰田録』からの出題で、呂蒙正についての記述です。

・呂文穆公以寛厚為宰相、太宗尤所眷遇。有一朝士、家蔵古鑑、自言能照二百里、欲因公弟献以求知。其弟伺間従容言之、公笑曰、「吾面不過楪子大、安用照二百里。」其弟遂不復敢言。聞者歎服、以謂賢於李衛公遠矣。蓋寡好而不為物累者、昔賢之所難也。(帰田録・巻2)
(▼呂文穆公 寛厚を以て宰相と為り、[太宗尤所眷遇]。一朝士有り、家に古鑑を蔵し、自ら能く二百里を照らすと言ひ、公の弟に因り献じて以て知を求めんと欲す。其の弟 間を伺ひ、従容として之を言ふに、公笑ひて曰はく、「吾が面は楪子大を過ぎず、安くんぞ二百里を照らすを用ゐん。」と。其の弟遂に復た敢へて言はず。聞く者歎服し、以謂(おも)へらく李衛公より賢なること遠しと。蓋(けだ)し好むこと寡(すく)なくして物の累と為らざる者は、昔賢の難しとする所なり。)
(▽呂文穆公は寛大で穏やかであることから宰相となり、[太宗尤所眷遇]。一人の朝廷に仕える官吏が古い鏡を家蔵していて、自分で二百里を映すことができると言い、公の弟を通じて献上して知遇を得めようとした。その弟は機をうかがいおもむろにそのことを言うと、公が笑って言うには、「私の顔は楪子(=足台のある円形の漆器。皿)の大きさを上回らないのに、どうして二百里を映す必要があろうか。」と。その弟はそのままもう言おうとはしなかった。(その話を)聞く者は感じ入って、李衛公よりもはるかに賢明だと思った。思うに、寡欲にして物にわずらわされないことは、昔の賢者の難しいとしたことである。)

この「太宗尤所眷遇」は「尤(もつと)も眷遇する所なり」と読まれています。
調べてみると、20年以上も前に東京のとある国立大学の入試に出題されたもので、問題集の出版もその数年後ですから、この入試問題を採用したものだと思われます。

「眷遇」という語にはどちらも「重用する」という語注がついていました。
たまたま生徒にこの文はどういう意味だと思う?と問うてみると、「太宗がもっとも重く用いた人である」という答えが返ってきました。
「所」が後の動詞の不定の客体を表す名詞句をつくる語だという理解のきちんとできている生徒で、「ソレ」「ソコ」「ソノヒト」から、「ソノヒト」を選んで答えたわけです。
「所」が出てくるたびに、繰り返し繰り返しその働きを説明してきたおかげで、最近は彼らも「ソレを~するソレ」という理解がスムーズにできるようになってきました。

しかし、この生徒の答えに対して、「これ、そういう意味かな?」と言葉を濁しながら言うと、生徒の方も「違うんですか?」という顔をします。
私がひっかかったのは、「もっとも重用するひと」という意味の句がこの語順をとるか?ということでした。
この「太宗尤所眷遇」という句が、生徒の言うように「太宗がもっとも重く用いた人」という趣旨であることはほぼ間違いありません。
訓読というものは邦訳であって、必ずしも漢文の直訳でなければならないものではないと思うので、「尤も眷遇する所なり」と読んであるからといって、誤りというつもりはありません。
ただ、漢文の文法に照らした時、本当はどういう意味の句なのかと考えてみることは必要だと感じたのでした。

「眷遇」は、入試問題や問題集には「重用する」と注してありましたが、「眷」は「かへりみる」と訓じる語で「目をかける」の意ですから、「眷遇」とは「目をかけてもてなす」「手厚くもてなす」という意味です。
北宋の太宗が呂蒙正を手厚くもてなすから、重用するという意味になるわけです。
いずれにしても動詞です。
それは結構助詞「所」の後に置かれていることからも明らかです。
だから、「もっとも手厚くもてなす」なら「尤眷遇」(尤も眷遇す)となります。
この場合、「尤」は状語で「眷遇」を連用修飾する副詞です。

しかし、「所眷遇」は、「所」が「眷遇」の不定の客体を表すので、「ソノヒトを眷遇するソノヒト」の意の名詞句になります。
「尤」が「所」を飛び越えて「眷遇」を連用修飾することなどあるでしょうか?

『抱朴子』に次の文があります。

・世人以人所尤長、衆所不及者、便謂之聖。(抱朴子内篇・弁問)
(▼世人 人の尤も長ずる所、衆の及ばざる所の者を以て、便ち之を聖と謂ふ。)
(▽世の人は、人のもっともすぐれていること、衆人のおよばないことをもって、とりもなおさずそれを聖という。)

この「尤」は副詞として、動詞「長」を連用修飾しています。
したがって、「所」は、「尤」により修飾された「尤長」(もっともすぐれる)の依拠性に対する不定の客体を表す名詞句を作り、「ソレにもっともすぐれるソレ」という意味を表すことになります。

一方、『帰田録』の「所眷遇」は、「所」が「眷遇」の不定の客体を表す名詞句を作るので、「ソノヒトを厚くもてなすソノヒト」となります。
これは名詞なので、「尤所眷遇」の「尤」は副詞ではなく、連体修飾語になるはずです。

つまり、この問題は「所」の働きの問題ではありません。
「尤」という語の用いられ方というか、あるいは、日本語で「尤も重用する人」と表現する内容を、漢文では異なる表現のしかたをするのかもしれないということです。
あえて訳せば、「最大の重用する人」「最たる信頼者」とでもなるのでしょうか。

上最所信任、与図事帷幄之中、進退天下之士者、是矣。(漢書・京房伝)
(▼上の[最]信任する所にして、与(とも)に事を帷幄の中に図り、天下の士を進退する者、是れなり。)
(▽主上の[最]信任するひとで、そのひとと事を帷幄の中ではかり、天下の士を進めるも退けるもする者こそ、それです。)

今、国において乱をなしているものは誰かという元帝の問いに対して、京房が答えた言葉の一節です。
この「上最所信任」が、「主上が最も信任している人」という内容であることは明白ですが、前の「太宗尤所眷遇」と同じ構造をとっています。
これもあえて訳せば「主上の最大の信任する人」ということになるでしょうか。

考えてみれば、この構造というのは、何も「もっとも」と訓じる「尤」や「最」だけに限ったことではないと思います。
たとえば、

・時帝飲已酔、取常所佩刀擲之。(幽明録・巻2)
(▼時に帝飲みて已に酔ひ、[常]佩ぶる所の刀を取りて之を擲つ。)
(▽その時(晋の孝武)帝は酒を飲み酔っ払っていて、[常]帯びていた刀を取ってそれを投げつけた。)

この「常所佩刀」も、常に身につけていた刀を指していることは明白ですが、「所常佩刀」の語順をとっていません。
つまりは「常の佩ぶる所の刀」であって、あえて訳せば「いつもの身につけていた刀」となります。

他にも探せばいくらでもありそうです。

細かいことにこだわっているのかもしれませんが、「尤」や「最」は、我々が「もっとも」と副詞に読むのが普通であるために起こる違和感です。
「常所佩刀」などは「いつもの佩刀」とでも訳せば、多少は違和感が減るようです。

日本語と漢文の間にある、表現のしかたの異なりということになるでしょうか。
それがわかった上なら、「太宗尤所眷遇」を「太宗の尤も眷遇する所」と読んで「太宗が尤も重用する人」と訳す、「常所佩刀」を「常に佩ぶる所の刀」と読み「常に身につけている刀」と、日本語として自然に訓読したり訳したりするのは、それはそれでよいのかもしれません。
「太宗の尤なる眷遇する所」とか「常の佩ぶる所の刀」は、むしろ逆に不自然に感じる読みになってしまうからです。

細かいことにこだわったのかもしれません、しかし、「所」の働きを考えれば、こうなるだろうと思うし、またそうであれば、日本語と漢文の表現のしかたの異なり、あるいは漢文の中でも異なる表現があると、おもしろく感じました。

ただ、先に述べた東京のとある国立大学の入試問題では、「太宗尤所眷遇」の「尤」の読みを問うていました。
「所」の用法のわかった受験生は、「もつとも」と読むわけにいかず、困っただろうなと推察します。
私なら困っただろうし、「ゆうなる」「もつともなる」とでも答えて、誤答とされるでしょう。
もっとも、うちの生徒は「太宗がもっとも重く用いた人である」と訳したわけですから、困ることもなかったかもしれません

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