「ずんばあらず」という読みの意味は?
- 2018/10/02 17:43
- カテゴリー:訓読
(内容:漢文訓読特有の表現「~ずんばあらず」という読みについて、その意味と由来を考察する。)
少し前のことになりますが、同僚から、
「~ずんばあらず」というのは、どういう意味ですか?」
という質問を受けました。
質問の趣旨は、
「~ずんば」というのは「もし~しなければ」という仮定表現だと思うが、どこが仮定になっているのか?
という意味でした。
私は「~ずんばあらず」が仮定表現だとは考えていなかったので、その質問には答えようがなかったのですが、そもそもこの訓読表現はどういう意味だろうと疑問に思いました。
さっそく山田孝雄氏の『漢文の訓讀によりて傳へられたる語法』(宝文出版 1935)を開いてみましたが、残念ながらその項目は見当たりませんでした。
しかたがないので、江連隆氏の『漢文語法ハンドブック』(大修館書店 1997)を見てみると、次のように説明されています。
(6)ずんバアラ(ず)
⑧吾未嘗不得見也。(論語・八佾)
〔吾未だ嘗て見ゆることを得ずんばあらざるなり。〕
私は今まで一度もお目にかかれなかったことはないのです。
【注】「未嘗不~」で、二重否定の形。「ずンバアラ(ず)」と、習慣的に特有の読み方をしてきている。
「習慣的に」「特有の読み方」だということです。
次に『漢詩・漢文解釈講座』別巻「訓読百科」(昌平社 1995)を開いてみました。
「不―不」「未―不」の項目がありますが、読み方については特に説明がありません。
さらに『研究資料漢文学10』「語法・句法・漢字・漢語」(明治書院 1994)の二重否定の項を見ると、「不敢不」の項に、次のように書かれています。
次にあげる「不必不」「未嘗不」などは「……ずんばあらず」という訓読独特の読みくせがある。
「訓読独特の読みくせ」だそうです。
訓読は古典中国語とは違い、日本語ですから、私もより一層門外漢です、困ってしまいました。
「ずんば」がもし仮定表現なら、多少なりとも説明がありそうなものですが、ないところを見ると、仮定表現ではないからなのだろうと推測します。
しかし、どうあれこの表現が「特有の読み方」であり、「訓読独特の読みくせ」なら、なぜそういう読み方をするのか説明があってほしいところです。
さて、困ってしまいましたが、そもそもこの「~ずんばあらず」という表現はいつの頃からあるのだろうと、手元の和漢混交文で書かれた古典を探してみることにしました。
すると、『平家物語』の巻2「烽火沙汰」に次のような一節がありました。
君君たらずといふとも、臣以て臣たらずんばあるべからず。父父たらずといふとも、子以て子たらずんばあるべからず。(冨倉徳次郎『平家物語全注釈(角川書店 1966)』による)
この書の底本は市立米沢図書館蔵の『平家物語』なので、原本の表記を確認してみました。
君不君いふとも臣以不臣はあるへからす父不父いふとも子以不子はあるへからす
原本は漢文書きになっているのを、冨倉氏が書き下し文に改めたもので、妥当な読み方だと思います。
この一節は、『古文孝経』の孔安国の序文を引用したものです。
・君雖不君、臣不可以不臣。父雖不父、子不可以不子。(古文孝経・孔安国序)
この文は、今なら「君君たらずと雖も、臣は以て臣たらざるべからず。父父たらずと雖も、子は以て子たらざるべからず。」と読みます。
つまり、『平家物語』では「臣たらざるべからず」を「臣たらずんばあるべからず」と表現していることになります。
考え方の道筋が見えてきたような気がしました。
そこで、築島裕氏の『平安時代の漢文訓讀語につきての研究』(東京大學出版會 1963)を見てみました。すると、第一章「總説」の第三節「漢文訓讀語の性格」に次のように述べられています。
訓讀特有語形の他の一つの顯著な例は、否定語を伴った熟語に見ることが出來る。漢文で用ゐられる否定語には、「不」「非」「無」「靡」「匪」「莫」「未」など多くがあり、漢文法では何れも副詞として働き、この下に體言や用言を從へるのであるが、この際、下の「敢」「堪」「能」「不」「如」「遑」「曾」などと續いて、「不敢」「不堪」「不能」「無不」「非不」「不如」「不遑」「未曾」など多くの熟語を形作る。これを訓讀する際、否定語は下から反讀しなければならないし、又「敢」「堪」「如」「曾」などの字の訓法にも、本來のその和語の意味からずれたものもあつて、この類の熟語の訓讀には、訓讀特有の語法を形成するものが多いのである。
そして、次の例が挙げられています。
〔……ズハアラズ(ジ)〕
不敢不奉(慈恩傳卷第六永久點九二行)
(原典は訓点あり。「敢テ奉(ラ)ズハアラジ」と読んでいる模様。)
〔……ズハアルベカラス〕(原典、末尾「ス」と濁らず。「ズ」の誤りか。)
不可不愼(成簣堂文庫本醫心方院政期點二ノ一)
(原典は訓点あり。「愼マズハアルベカラズ」と読んでいる模様。)
前者は「興福寺蔵大慈恩寺三蔵法師伝」の永久四年点で、西暦1116年のものです。
また、後者は12世紀末と考えられ、つまりいずれも平安末の例で、『平家物語』の成立に先立つものになります。
つまり、否定語は下から返読しなければならない事情にあって、訓読特有の語法として、「不敢不」は「~ずはあらず」、「不可不」は「~ずはあるべからず」と読む訓法がすでに院政期からあったわけです。
ここで注意すべきは、下の「不」は「ずは」と訓じたのではなく、「ずはあら」と訓じた点です。
「ずはあら」とは「ずあら」に「は」を加えたもので、「ずあら」は言うまでもなく後の「ざら」の未融合形でしょう。
では、もっと時代を遡って平安初期にはどのように否定語が読まれていたのか気になり、門前正彦氏の『漢文訓読史上の一問題 ― 打消助動詞の連体形について ―』(訓点語と訓点資料8 1957)を読んでみました。
平安朝初期の訓点物を詳細に調査され、「ぬ」と「ずある(ざる)」の用法の差を論じています。
その上で、次のように述べられています。
下に助動詞が接続しない場合、つまり連体修飾語、準体言、係り結び、連体終止の用法には、本活用の「ぬ」が310例であるのに対して、補助活用の未融合形「ずある」が12例である。すなはち、助動詞が接続しない場合には、大体、本活用の「ぬ」が使用されている。次に、助動詞が下に接続する場合には、助動詞「なり」を除外すれば、すべて補助活用の未融合形「ずある」が使われている。
それが、以後の漢文訓読文では、初期の訓読文では「ぬ」が使われていた用法にも「ざる」が使用されるようになったということです。
平安初期の点本では、先の調査によって判るように、連体修飾、準体言、係り結び、連体終止の各場合には、本活用の「ぬ」を用い、他方、助動詞が下に接続する場合には、補助活用の未融合形「ずある(ざる)」が用いられるというように、「ぬ」「ずある(ざる)」の間には、大体の使い分けがあった。しかるに、平安中期以後の漢文訓読文では、下に助動詞が接続する場合に「ざる」が用いられるのは勿論であるが、初期では「ぬ」が使われていた連体修飾、準体言、係り結び、連体終止の用法にも、「ざる」が使用されるようになり、結局、漢文脈ではあらゆる用法「ざる」を使用するようになったのである。
さらに、補助活用「ざる」の発生について、
助動詞「べし」「めり」「らむ」を接続させる場合には、打消の助動詞は形容詞的な性格を持っているので終止形「ず」から直接にこれ等の助動詞を接続させることができない。したがってこれらの助動詞が下に接続する場合にのみ補助活用の「ざる」の形をとったのであるが、漢文脈でも、平安初期のものでは、ほぼ和文脈と同様な「ぬ」と「ざる」の使い分けが存している事が明らかになった。助動詞が下に接続する場合にのみ、補助活用「ずある(ざる)」の形をとり、他の場合には、本活用「ぬ」が使われているのである。
と考察されています。
漢文訓読において、たとえば「不」などが、なぜ「ぬ」系の読みをせず、「ざる」系の読みをするのか、以前から疑問を感じていたのですが、このような経緯が推定されるわけですね。
さて、話を元に戻しましょう。
『平家物語』の「君不君いふとも臣以不臣はあるへからす父不父いふとも子以不子はあるへからす」を、冨倉氏は「君君たらずといふとも、臣以て臣たらずんばあるべからず。父父たらずといふとも、子以て子たらずんばあるべからず。」と読んでおられるわけですが、これまでの資料を踏まえると、あるいは次のように読む方が適切なのかもしれません。
君君たらずといふとも、臣以て臣たらずはあるべからず。父父たらずといふとも、子以て子たらずはあるべからず。
この「ずはある」は、先にも述べたように、本来「ざる」の未融合形「ずある」が係助詞「は」を伴ったものだと思います。
ここで「ずある(ずはある)」という訓が用いられているのは、『古文孝経』の原文「臣不可以不臣」「子不可以不子」が、後の「不」から返って読むべき語が「可」であり、助動詞「べし」と読む語であるため、平安初期からすでに「ずある(ざる)」系の読みがなされたと考えるべきでしょう。
つまり、もとは「臣は以て臣たらずあるべからず」「子は以て子たらずあるべからず」だった。
それが、強調の働きをする係助詞「は」を伴って「ずはあるべからず」に転じ、「ずは」を「ずんば」と読むようになった。
そんなところなのかもしれません。
ただ注意しなければならないのは、「ずは」自体は順接の仮定条件を表すこともあるという点です。
「~(せ)ずは、…」は、「~しなくては、~しないならば」という意味を表すというのが、普通の認識でしょう。
それが、冒頭「ずんばあらず」の「どこが仮定になっているのか?」という誤解を生みます。
「ずは(ずんば)」ではなく、「ずはあら(ずんばあら)」なのだと捉え直してみる必要があります。
「べし」につながる場合は、「ず(は)あるべし」が、やがて融合系の「ざる」を用いて「ざるべし」と読まれるようになった。
しかし、「ず」につながる場合は、「ず(は)あらず」が融合系の「ざら」を用いて「ざらず」とはならず、そのまま「ずはあらず」が生きて、やがて「ずんばあらず」と読みが固定されるようになった。
このあたりの事情はよくわかりませんが、やはり日本語の自然さということなのでしょうか。
少し前のことになりますが、同僚から、
「~ずんばあらず」というのは、どういう意味ですか?」
という質問を受けました。
質問の趣旨は、
「~ずんば」というのは「もし~しなければ」という仮定表現だと思うが、どこが仮定になっているのか?
という意味でした。
私は「~ずんばあらず」が仮定表現だとは考えていなかったので、その質問には答えようがなかったのですが、そもそもこの訓読表現はどういう意味だろうと疑問に思いました。
さっそく山田孝雄氏の『漢文の訓讀によりて傳へられたる語法』(宝文出版 1935)を開いてみましたが、残念ながらその項目は見当たりませんでした。
しかたがないので、江連隆氏の『漢文語法ハンドブック』(大修館書店 1997)を見てみると、次のように説明されています。
(6)ずんバアラ(ず)
⑧吾未嘗不得見也。(論語・八佾)
〔吾未だ嘗て見ゆることを得ずんばあらざるなり。〕
私は今まで一度もお目にかかれなかったことはないのです。
【注】「未嘗不~」で、二重否定の形。「ずンバアラ(ず)」と、習慣的に特有の読み方をしてきている。
「習慣的に」「特有の読み方」だということです。
次に『漢詩・漢文解釈講座』別巻「訓読百科」(昌平社 1995)を開いてみました。
「不―不」「未―不」の項目がありますが、読み方については特に説明がありません。
さらに『研究資料漢文学10』「語法・句法・漢字・漢語」(明治書院 1994)の二重否定の項を見ると、「不敢不」の項に、次のように書かれています。
次にあげる「不必不」「未嘗不」などは「……ずんばあらず」という訓読独特の読みくせがある。
「訓読独特の読みくせ」だそうです。
訓読は古典中国語とは違い、日本語ですから、私もより一層門外漢です、困ってしまいました。
「ずんば」がもし仮定表現なら、多少なりとも説明がありそうなものですが、ないところを見ると、仮定表現ではないからなのだろうと推測します。
しかし、どうあれこの表現が「特有の読み方」であり、「訓読独特の読みくせ」なら、なぜそういう読み方をするのか説明があってほしいところです。
さて、困ってしまいましたが、そもそもこの「~ずんばあらず」という表現はいつの頃からあるのだろうと、手元の和漢混交文で書かれた古典を探してみることにしました。
すると、『平家物語』の巻2「烽火沙汰」に次のような一節がありました。
君君たらずといふとも、臣以て臣たらずんばあるべからず。父父たらずといふとも、子以て子たらずんばあるべからず。(冨倉徳次郎『平家物語全注釈(角川書店 1966)』による)
この書の底本は市立米沢図書館蔵の『平家物語』なので、原本の表記を確認してみました。
君不君いふとも臣以不臣はあるへからす父不父いふとも子以不子はあるへからす
原本は漢文書きになっているのを、冨倉氏が書き下し文に改めたもので、妥当な読み方だと思います。
この一節は、『古文孝経』の孔安国の序文を引用したものです。
・君雖不君、臣不可以不臣。父雖不父、子不可以不子。(古文孝経・孔安国序)
この文は、今なら「君君たらずと雖も、臣は以て臣たらざるべからず。父父たらずと雖も、子は以て子たらざるべからず。」と読みます。
つまり、『平家物語』では「臣たらざるべからず」を「臣たらずんばあるべからず」と表現していることになります。
考え方の道筋が見えてきたような気がしました。
そこで、築島裕氏の『平安時代の漢文訓讀語につきての研究』(東京大學出版會 1963)を見てみました。すると、第一章「總説」の第三節「漢文訓讀語の性格」に次のように述べられています。
訓讀特有語形の他の一つの顯著な例は、否定語を伴った熟語に見ることが出來る。漢文で用ゐられる否定語には、「不」「非」「無」「靡」「匪」「莫」「未」など多くがあり、漢文法では何れも副詞として働き、この下に體言や用言を從へるのであるが、この際、下の「敢」「堪」「能」「不」「如」「遑」「曾」などと續いて、「不敢」「不堪」「不能」「無不」「非不」「不如」「不遑」「未曾」など多くの熟語を形作る。これを訓讀する際、否定語は下から反讀しなければならないし、又「敢」「堪」「如」「曾」などの字の訓法にも、本來のその和語の意味からずれたものもあつて、この類の熟語の訓讀には、訓讀特有の語法を形成するものが多いのである。
そして、次の例が挙げられています。
〔……ズハアラズ(ジ)〕
不敢不奉(慈恩傳卷第六永久點九二行)
(原典は訓点あり。「敢テ奉(ラ)ズハアラジ」と読んでいる模様。)
〔……ズハアルベカラス〕(原典、末尾「ス」と濁らず。「ズ」の誤りか。)
不可不愼(成簣堂文庫本醫心方院政期點二ノ一)
(原典は訓点あり。「愼マズハアルベカラズ」と読んでいる模様。)
前者は「興福寺蔵大慈恩寺三蔵法師伝」の永久四年点で、西暦1116年のものです。
また、後者は12世紀末と考えられ、つまりいずれも平安末の例で、『平家物語』の成立に先立つものになります。
つまり、否定語は下から返読しなければならない事情にあって、訓読特有の語法として、「不敢不」は「~ずはあらず」、「不可不」は「~ずはあるべからず」と読む訓法がすでに院政期からあったわけです。
ここで注意すべきは、下の「不」は「ずは」と訓じたのではなく、「ずはあら」と訓じた点です。
「ずはあら」とは「ずあら」に「は」を加えたもので、「ずあら」は言うまでもなく後の「ざら」の未融合形でしょう。
では、もっと時代を遡って平安初期にはどのように否定語が読まれていたのか気になり、門前正彦氏の『漢文訓読史上の一問題 ― 打消助動詞の連体形について ―』(訓点語と訓点資料8 1957)を読んでみました。
平安朝初期の訓点物を詳細に調査され、「ぬ」と「ずある(ざる)」の用法の差を論じています。
その上で、次のように述べられています。
下に助動詞が接続しない場合、つまり連体修飾語、準体言、係り結び、連体終止の用法には、本活用の「ぬ」が310例であるのに対して、補助活用の未融合形「ずある」が12例である。すなはち、助動詞が接続しない場合には、大体、本活用の「ぬ」が使用されている。次に、助動詞が下に接続する場合には、助動詞「なり」を除外すれば、すべて補助活用の未融合形「ずある」が使われている。
それが、以後の漢文訓読文では、初期の訓読文では「ぬ」が使われていた用法にも「ざる」が使用されるようになったということです。
平安初期の点本では、先の調査によって判るように、連体修飾、準体言、係り結び、連体終止の各場合には、本活用の「ぬ」を用い、他方、助動詞が下に接続する場合には、補助活用の未融合形「ずある(ざる)」が用いられるというように、「ぬ」「ずある(ざる)」の間には、大体の使い分けがあった。しかるに、平安中期以後の漢文訓読文では、下に助動詞が接続する場合に「ざる」が用いられるのは勿論であるが、初期では「ぬ」が使われていた連体修飾、準体言、係り結び、連体終止の用法にも、「ざる」が使用されるようになり、結局、漢文脈ではあらゆる用法「ざる」を使用するようになったのである。
さらに、補助活用「ざる」の発生について、
助動詞「べし」「めり」「らむ」を接続させる場合には、打消の助動詞は形容詞的な性格を持っているので終止形「ず」から直接にこれ等の助動詞を接続させることができない。したがってこれらの助動詞が下に接続する場合にのみ補助活用の「ざる」の形をとったのであるが、漢文脈でも、平安初期のものでは、ほぼ和文脈と同様な「ぬ」と「ざる」の使い分けが存している事が明らかになった。助動詞が下に接続する場合にのみ、補助活用「ずある(ざる)」の形をとり、他の場合には、本活用「ぬ」が使われているのである。
と考察されています。
漢文訓読において、たとえば「不」などが、なぜ「ぬ」系の読みをせず、「ざる」系の読みをするのか、以前から疑問を感じていたのですが、このような経緯が推定されるわけですね。
さて、話を元に戻しましょう。
『平家物語』の「君不君いふとも臣以不臣はあるへからす父不父いふとも子以不子はあるへからす」を、冨倉氏は「君君たらずといふとも、臣以て臣たらずんばあるべからず。父父たらずといふとも、子以て子たらずんばあるべからず。」と読んでおられるわけですが、これまでの資料を踏まえると、あるいは次のように読む方が適切なのかもしれません。
君君たらずといふとも、臣以て臣たらずはあるべからず。父父たらずといふとも、子以て子たらずはあるべからず。
この「ずはある」は、先にも述べたように、本来「ざる」の未融合形「ずある」が係助詞「は」を伴ったものだと思います。
ここで「ずある(ずはある)」という訓が用いられているのは、『古文孝経』の原文「臣不可以不臣」「子不可以不子」が、後の「不」から返って読むべき語が「可」であり、助動詞「べし」と読む語であるため、平安初期からすでに「ずある(ざる)」系の読みがなされたと考えるべきでしょう。
つまり、もとは「臣は以て臣たらずあるべからず」「子は以て子たらずあるべからず」だった。
それが、強調の働きをする係助詞「は」を伴って「ずはあるべからず」に転じ、「ずは」を「ずんば」と読むようになった。
そんなところなのかもしれません。
ただ注意しなければならないのは、「ずは」自体は順接の仮定条件を表すこともあるという点です。
「~(せ)ずは、…」は、「~しなくては、~しないならば」という意味を表すというのが、普通の認識でしょう。
それが、冒頭「ずんばあらず」の「どこが仮定になっているのか?」という誤解を生みます。
「ずは(ずんば)」ではなく、「ずはあら(ずんばあら)」なのだと捉え直してみる必要があります。
「べし」につながる場合は、「ず(は)あるべし」が、やがて融合系の「ざる」を用いて「ざるべし」と読まれるようになった。
しかし、「ず」につながる場合は、「ず(は)あらず」が融合系の「ざら」を用いて「ざらず」とはならず、そのまま「ずはあらず」が生きて、やがて「ずんばあらず」と読みが固定されるようになった。
このあたりの事情はよくわかりませんが、やはり日本語の自然さということなのでしょうか。