「既」は「とても」や「すべて」「すぐに」という意味を表すか?・1
- 2023/10/25 07:01
- カテゴリー:漢文の語法
(内容:「既」が多義語として、「とても」「すべて」「まもなく・やがて・すぐに」などの意味を表すとする説を考察する。その1)
高校3年生の古典の授業で『史記・刺客列伝』荊軻を扱っていた時のことです。
始皇帝暗殺をはかった荊軻も万策尽き果てて死を迎える場面、
・於是左右既前殺軻。秦王不怡者良久。(史記・刺客列伝)
(▼是に於いて左右既に前(すす)みて軻を殺す。秦王怡(よろこ)ばざる者(こと)良(やや)久し。)
(▽そこで秦王の側近の者たちが[既]進み出て荊軻を殺した。秦王はしばらくの間不機嫌であった。)
こういう箇所を生徒に日本語訳させると必ずつまります。
それは「既」が訳しにくいからです。
「既」が単独で用いられる場合、通常は「すでに」と訓読しますが、そのまま「すでに」をあてはめて訳すと、おかしな感じがするからでしょうか。
私はそうでもないのですが、生徒が必ずつまるのはそういった事情があるからでしょう。
ところで、このような「既」を、いわゆる「すでに」という意味ではなく、「まもなく・やがて・すぐに」の意味であると説かれることがあります。
たとえば、本文に先行する次の箇所、
・軻既取図奏之。(史記・刺客列伝)
(▼軻既にして図を取りて之を奏す。)
(▽荊軻は[既]地図を受け取り(秦王に)差し上げた。)
この「既」を「すぐに」と解して、「荊軻はすぐに地図を受け取り(秦王に)差し上げた」と解されることがあるのです。
「既而」を「既」とは区別して「すぐに・まもなく・そのまま」などと訳すというのは書籍にも書かれているものがありますが、それが妥当であるかどうかについてもまた別の検討が必要として、そもそも刺客列伝のこの2例は「すぐに」または「まもなく」、あるいは「やがて」などという意味を表しているのでしょうか。
参考書ではどうなっているのだろうと思い、『新釈漢文大系・史記9(列伝2)』水沢利忠、明治書院1993)を確認してみると、
ここにおいて廷臣たちはむらがって荊軻を斬り殺した。秦王はその後しばらくの間不機嫌であった。
とあり、「既」の訳はありませんが、語釈に、
既 「既は猶ほ即ちのごときなり」(『斠証』)。
とあります。
この「斠証」とは、王叔岷の『史記斠証』のことですから、さっそく原典にあたってみました。
案既猶即也。(『史記斠証・列伝2』王叔岷、中央研究院歴史語言研究所1983)
(▼案ずるに既は猶ほ即のごときなり。)
(▽考えるに、「既」は「即」と同じである。)
つまり、王叔岷は「すぐに進み出て荊軻を殺した」と解していることになりますが、水沢利忠氏が訳に用いていないのは、参考までに紹介したということでしょうか。
次に、中国ではどのように訳されているかを見てみました。
於是左右便上前殺死荊軻,秦王不高興了很久。(『二十四史全訳 史記2』許嘉璐/安平秋、漢語大詞典出版社2004)
(そこで側近たちは[便]前へ出て荊軻を殺し、秦王はしばらく不機嫌であった。)
この「便」は「就」と同じと考え、「すぐに」と解しているようにも思えるし、「そこで」と解しているようにも思えます。
这时秦王左右的人上前杀死了荆轲。秦王很久里都不高兴。(『史記選訳』李国祥/李長弓/張三夕 訳注、巴蜀書社1990)
(この時秦王の左右の人は前へ出て荊軻を殺してしまった。秦王は長い間不機嫌であった。)
この訳では「既」は「了」で訳されているようですね。
这时侍卫们已经上前杀死了荆轲,秦王有好长时间心里不畅快。(『中国歴代名著全訳叢書・史記全訳』楊燕起 訳注、貴州人民出版社2001)
(この時衛兵達はすでに荊軻を殺してしまった,秦王は長い間心の中で不機嫌であった。)
この訳では「既」は「已经…了」と訳されています。
こうして諸本の訳を見てくると、必ずしもこの箇所の「既」の訳は1つに定まっていないことがわかります。
さて、虚詞詞典にはどう書かれているのか見てみると、どれもだいたい同じようなことが書かれていますが、中には程度が甚だしいことを表すとか、多くの意味があるように説明されているものもあります。
そもそも1つの語が、あまりに多きにわたる意味を表すなら、文意を限定する上で不便きわまりないわけで、下手をするとたくさんあるその語の意味を文脈から選ぶことになりかねません。
もちろん、ある程度はそういうこともあるとは思いますが…
しかし、本当は字本来の意味なのに、文脈からこう訳すと自然なので、別の訳をして、それがあたかも多義語というものを作り出しているのではないでしょうか。
それが個人的な感想ですが、中国の語法学における虚詞の解釈によく見られる傾向だというのは、これまでのエントリーでも述べてきたことです。
少し考えてみたいと思うようになりました。
そもそも「既」の字のもともとの意味を調べてみると、「⺛」をさらに丁寧にした形で、
食し終えて満腹の意である。(『漢字の起源』加藤常賢、角川書店1970)
字形D既は, さらに具体的であって,左側は容器にうず高くごちそうを盛った形, そのそばには人間がたらふく食べて,のけぞった姿を加えている。(中略)既が「スデニ……」という意味の副詞に転じるのは,「充分にしてしまい, これ以上はやれない」状態を表わすことからの,派生的な用法である。漢語の副詞は,ほとんどすべて,こうした具体的な実義をもつコトバから転じてきたものである。(『漢字語源辞典』藤堂明保、学燈社1965)
像人虽坐于盛满食物的簋旁,但已转头向后,以表现用食完毕之意。(『字源』李学勤、天津古籍出版社2012)
(人が食べ物で一杯の食器の横にいるのに、後ろを向いて食べ終わったことを示している。)
諸本だいたい一致していて、食事をし終えて満腹の状態を表しています。
つまり、「既」は、「し終える」「十分にしてしまう」という意味だということになります。
そうだとすれば、「つきる・つくす」という意味の動詞として用いられるのが最初かもしれません。
日食、月食の「皆既」などがそれでしょうか。
それが、副詞に転じたのでしょう。
したがって、「既」を考える場合、終了・完了を基本におかなければなりません。
それで説明ができるものを、あえて文脈から違う意味をあてはめてその方が自然だと、あたかもその意味があるように考えることには慎重であるべきです。
さて、『古代汉语虚词词典(最新修订版)』(商務印書館国際有限公司2011)という虚詞詞典があります。
陝西師範大学文学院教授で、遅鐸(迟铎)という辞書の編纂や研究に大きな功績のある学者による書籍です。
同じ大学の白玉林との共著『古汉语虚词词典』(中華書局2004)もあり、著者が共通することから、同内容の記述や典拠がよく見られます。
この2書に共通するのは、他の虚詞詞典にはあまり見られない虚詞の用法や語義について触れてあることです。
いえ、各種の虚詞詞典ごとに他書には触れられていない用法や語義はあるものですが、この2書は、ある意味それらを網羅的に載せて紹介してくれているという感もあり、中国のさまざまな虚詞理解を知る上で親切な書ということもできます。
中国の古典中国語文法で漢文を理解していこうと志した当時、『古代汉语虚词词典(最新修订版)』や、中国社会科学院語言研究所古代漢語研究室編の『古代汉语虚词词典』(商務印書館2012)に書かれていることには驚きの連続で、いわばそれを鵜呑みにしていたのですが、今はそういう立ち位置とは違います。
特に他の書には書かれていない内容に対しては、本当にそうだろうか?と疑い、それを自分で検証してみる姿勢を大事にしています。
決して『古代汉语虚词词典(最新修订版)』を槍玉にあげるというのでなく、現在の中国の虚詞理解を代表して紹介してくれているものと捉えた上で、多く挙げられている「既」の意味について、考えてみたい。
学ぶ者として、それが本当に妥当であるかどうか、検討して確かめずにはいられません。
同書には、「既」の副詞の用法の一番目として、次のように書かれています。
一、表示事物性状的程度很高。可译为“非常”“很”等。
(事物の性状の程度がとても高いことを表す。「非常に」「とても」などと訳せる。)
その例文として引かれているのが次の文です。
・天立厥配、受命既固。(命: 指帝位。)(詩経・大雅・皇矣)
――上天安排了他的配偶,〔因此〕他承受的帝位就非常巩固了。
(天帝がその配偶を手配し、(これにより)彼が受けた帝位はとても強固になった。)
文王が天により帝位に選ばれたことを述べたものです。
「既固」を「とても堅固である」と解するわけですが、これは「すでに十分に堅固である」という意味でしょう。
次に、
・今女衣服既盛,顔色充盈。天下且孰肯諫女矣! (充盈:骄傲自满的样子。)(荀子・子道)…原文は簡体字
――今天你的衣着很整齐,满面骄气。天下人谁还愿意给你进忠言呢!
(今日あなたの衣服はとても整っていて、満面におごった気持ちがあらわれている。天下の人々は誰が忠言をしようとしてくれるだろうか。)
「衣服がとても整っている」と解するのですが、この例文の前の部分も含めて見てみましょう。
・子路盛服見孔子。孔子曰、「由、是裾裾何也。昔者江出於㟭山、其始出也、其源可以濫觴。及其至江之津也、不放舟不避風、則不可渉也。非唯下流水多邪。今汝衣服既盛、顔色充盈、天下且孰肯諫汝矣、由。」
(▼子路盛服して孔子に見(まみ)ゆ。孔子曰はく、「由、是の裾裾たるは何ぞや。昔者江は㟭山より出で、其の始めて出づるや、其の源以て觴(さかづき)を濫(うか)ぶべし。其の江の津に至るに及べば、舟を放(なら)べず風を避けざれば、則ち渉(わた)るべからず。唯だ下流の水多きに非ずや。今汝衣服既に盛んにして、顔色充盈すれば、天下且(は)た孰(たれ)か肯(あ)へて汝を諫めん、由や。」と。)
(▽子路が着飾った服装で孔子にお目にかかった。孔子がいうことには、「由よ、そのきらびやかなさまは何だ。昔長江は㟭山から流れ出すが、その最初流れ出した時は、その源は杯を浮かべることができる(程度の水量であった)。(しかし)それが長江の渡し場に至る頃になると、舟を並べ風を避けなければ、渡ることはできない。(それは)ただ下流の水が多いからだけではないか。今お前は衣服がすでに立派であり、顔色も得意げである、(そんなことで)世の中にいったい誰がお前を諫めようとするであろうか、由よ。)
この章、諸本によって文字の異同が多い上に、「不放舟」「非唯下流水多邪」「天下且孰肯諫汝矣」の読みが揺れています。
今、古くからの読みに従って読んでおきましたが、『新釈漢文大系・荀子』(明治書院1969)では「舟に放(よ)らず」「下流水多きを唯(もつ)てに非ずや」「天下且(まさ)に孰か肯て汝を諫めん」と読まれていることを記しておきます。
そして「非唯下流水多邪」を中心にこの章をどう解釈するかが、少々解釈が分かれています。
『漢籍国字解全書・荀子』(早稲田大学出版部1927)は、
此れはたゞ下流になると水が聚まりて多くなりし故に、人をして此の如く畏れ憚らしむるに至りしに非ずや、今汝の服は既に立派に、汝の顔色は得意に充ち、猛厲の氣溢れたり、猶江の下流に水の横溢するが如し、此の如くんば、天下の人、皆汝を憚りて、孰れか肯て汝の過を諫むるものあらんや、由よ少しく悟る所あれと、
と解しています。
岩波文庫『荀子』(金谷治 訳注、岩波書店1962)も、
これは下流の水が多いために〔人々が恐怖するから〕ではないか。いまお前にしても、そのように衣服が立派で容貌も満足げにしておれば、もはや世界中だれがお前にすすんで諫めてくれようか。
と解しています。
つまり、これも衣服が立派で容貌も満足げな子路を人々は恐怖し憚るから、だれも諫めてくれないとなるわけです。
長江の水自体はその水源近くではわずかであるのに、それが下流になると人を畏怖させるのは、「非唯下流水多邪」(ただ下流の水が多いだけではないのか)。
水の実態としては杯を浮かべる程度のものでしかないのに、量が多くなると人を畏怖させるほどになる。
要するに、子路はまだ「濫觴」、すなわち杯を浮かべる程度の実態でしかないということだと思います。
また、長江が支流の水を受け入れて下流では大河になると解する説もあります。(確認していませんが、円満字二郎『故事成語を知る辞典』に記載があるそうです。)
わずかの水が周囲の川の水を受け入れて大河となっていくように、人々の忠告を受け入れて大人物となっていくという解釈ですね。
その場合でも、人々の忠告を受け入れる以前、すなわち今の子路はやはり杯を浮かべる程度の器量ということになります。
さて、その上で、「今汝衣服既盛、顔色充盈」の「既」の働きを見てみましょう。
これを『古代汉语虚词词典(最新修订版)』は「非常」「很」と解しています。(他のいくつかの虚詞詞典にも同様の記述が見られます。)
しかし子路の状況としては「とても立派」であっても、「既」の字自体は本当に「とても」という意味でしょうか?
本来「濫觴」の段階であるはずの子路が、「すでに」衣服は立派、顔色は得意げ、すなわち大河のごとく振る舞っている。
そういうことではありませんか。
実態としては「とても」立派で「とても」得意げであったかもしれませんが、そのことが「既」を「很」と解釈する根拠にはなり得ないと思います。
「すでに十分」ということが、動作でなく状態や形容を表す場合、結果的に程度が甚だしい状況と一致することはあるかもしれませんが、そのことと「既」の字義が程度の甚だしいことを表して「とても・非常に」と直接的に訳すべきとすることとは別のような気がします。
中国の虚詞詞典の記述に対して、またぞろ検討を加えているのですが、もう少し自分なりに考えた上で、最初の疑問「既」が「まもなく・やがて・すぐに」という意味を表すのかについて考えてみたいと思います。
高校3年生の古典の授業で『史記・刺客列伝』荊軻を扱っていた時のことです。
始皇帝暗殺をはかった荊軻も万策尽き果てて死を迎える場面、
・於是左右既前殺軻。秦王不怡者良久。(史記・刺客列伝)
(▼是に於いて左右既に前(すす)みて軻を殺す。秦王怡(よろこ)ばざる者(こと)良(やや)久し。)
(▽そこで秦王の側近の者たちが[既]進み出て荊軻を殺した。秦王はしばらくの間不機嫌であった。)
こういう箇所を生徒に日本語訳させると必ずつまります。
それは「既」が訳しにくいからです。
「既」が単独で用いられる場合、通常は「すでに」と訓読しますが、そのまま「すでに」をあてはめて訳すと、おかしな感じがするからでしょうか。
私はそうでもないのですが、生徒が必ずつまるのはそういった事情があるからでしょう。
ところで、このような「既」を、いわゆる「すでに」という意味ではなく、「まもなく・やがて・すぐに」の意味であると説かれることがあります。
たとえば、本文に先行する次の箇所、
・軻既取図奏之。(史記・刺客列伝)
(▼軻既にして図を取りて之を奏す。)
(▽荊軻は[既]地図を受け取り(秦王に)差し上げた。)
この「既」を「すぐに」と解して、「荊軻はすぐに地図を受け取り(秦王に)差し上げた」と解されることがあるのです。
「既而」を「既」とは区別して「すぐに・まもなく・そのまま」などと訳すというのは書籍にも書かれているものがありますが、それが妥当であるかどうかについてもまた別の検討が必要として、そもそも刺客列伝のこの2例は「すぐに」または「まもなく」、あるいは「やがて」などという意味を表しているのでしょうか。
参考書ではどうなっているのだろうと思い、『新釈漢文大系・史記9(列伝2)』水沢利忠、明治書院1993)を確認してみると、
ここにおいて廷臣たちはむらがって荊軻を斬り殺した。秦王はその後しばらくの間不機嫌であった。
とあり、「既」の訳はありませんが、語釈に、
既 「既は猶ほ即ちのごときなり」(『斠証』)。
とあります。
この「斠証」とは、王叔岷の『史記斠証』のことですから、さっそく原典にあたってみました。
案既猶即也。(『史記斠証・列伝2』王叔岷、中央研究院歴史語言研究所1983)
(▼案ずるに既は猶ほ即のごときなり。)
(▽考えるに、「既」は「即」と同じである。)
つまり、王叔岷は「すぐに進み出て荊軻を殺した」と解していることになりますが、水沢利忠氏が訳に用いていないのは、参考までに紹介したということでしょうか。
次に、中国ではどのように訳されているかを見てみました。
於是左右便上前殺死荊軻,秦王不高興了很久。(『二十四史全訳 史記2』許嘉璐/安平秋、漢語大詞典出版社2004)
(そこで側近たちは[便]前へ出て荊軻を殺し、秦王はしばらく不機嫌であった。)
この「便」は「就」と同じと考え、「すぐに」と解しているようにも思えるし、「そこで」と解しているようにも思えます。
这时秦王左右的人上前杀死了荆轲。秦王很久里都不高兴。(『史記選訳』李国祥/李長弓/張三夕 訳注、巴蜀書社1990)
(この時秦王の左右の人は前へ出て荊軻を殺してしまった。秦王は長い間不機嫌であった。)
この訳では「既」は「了」で訳されているようですね。
这时侍卫们已经上前杀死了荆轲,秦王有好长时间心里不畅快。(『中国歴代名著全訳叢書・史記全訳』楊燕起 訳注、貴州人民出版社2001)
(この時衛兵達はすでに荊軻を殺してしまった,秦王は長い間心の中で不機嫌であった。)
この訳では「既」は「已经…了」と訳されています。
こうして諸本の訳を見てくると、必ずしもこの箇所の「既」の訳は1つに定まっていないことがわかります。
さて、虚詞詞典にはどう書かれているのか見てみると、どれもだいたい同じようなことが書かれていますが、中には程度が甚だしいことを表すとか、多くの意味があるように説明されているものもあります。
そもそも1つの語が、あまりに多きにわたる意味を表すなら、文意を限定する上で不便きわまりないわけで、下手をするとたくさんあるその語の意味を文脈から選ぶことになりかねません。
もちろん、ある程度はそういうこともあるとは思いますが…
しかし、本当は字本来の意味なのに、文脈からこう訳すと自然なので、別の訳をして、それがあたかも多義語というものを作り出しているのではないでしょうか。
それが個人的な感想ですが、中国の語法学における虚詞の解釈によく見られる傾向だというのは、これまでのエントリーでも述べてきたことです。
少し考えてみたいと思うようになりました。
そもそも「既」の字のもともとの意味を調べてみると、「⺛」をさらに丁寧にした形で、
食し終えて満腹の意である。(『漢字の起源』加藤常賢、角川書店1970)
字形D既は, さらに具体的であって,左側は容器にうず高くごちそうを盛った形, そのそばには人間がたらふく食べて,のけぞった姿を加えている。(中略)既が「スデニ……」という意味の副詞に転じるのは,「充分にしてしまい, これ以上はやれない」状態を表わすことからの,派生的な用法である。漢語の副詞は,ほとんどすべて,こうした具体的な実義をもつコトバから転じてきたものである。(『漢字語源辞典』藤堂明保、学燈社1965)
像人虽坐于盛满食物的簋旁,但已转头向后,以表现用食完毕之意。(『字源』李学勤、天津古籍出版社2012)
(人が食べ物で一杯の食器の横にいるのに、後ろを向いて食べ終わったことを示している。)
諸本だいたい一致していて、食事をし終えて満腹の状態を表しています。
つまり、「既」は、「し終える」「十分にしてしまう」という意味だということになります。
そうだとすれば、「つきる・つくす」という意味の動詞として用いられるのが最初かもしれません。
日食、月食の「皆既」などがそれでしょうか。
それが、副詞に転じたのでしょう。
したがって、「既」を考える場合、終了・完了を基本におかなければなりません。
それで説明ができるものを、あえて文脈から違う意味をあてはめてその方が自然だと、あたかもその意味があるように考えることには慎重であるべきです。
さて、『古代汉语虚词词典(最新修订版)』(商務印書館国際有限公司2011)という虚詞詞典があります。
陝西師範大学文学院教授で、遅鐸(迟铎)という辞書の編纂や研究に大きな功績のある学者による書籍です。
同じ大学の白玉林との共著『古汉语虚词词典』(中華書局2004)もあり、著者が共通することから、同内容の記述や典拠がよく見られます。
この2書に共通するのは、他の虚詞詞典にはあまり見られない虚詞の用法や語義について触れてあることです。
いえ、各種の虚詞詞典ごとに他書には触れられていない用法や語義はあるものですが、この2書は、ある意味それらを網羅的に載せて紹介してくれているという感もあり、中国のさまざまな虚詞理解を知る上で親切な書ということもできます。
中国の古典中国語文法で漢文を理解していこうと志した当時、『古代汉语虚词词典(最新修订版)』や、中国社会科学院語言研究所古代漢語研究室編の『古代汉语虚词词典』(商務印書館2012)に書かれていることには驚きの連続で、いわばそれを鵜呑みにしていたのですが、今はそういう立ち位置とは違います。
特に他の書には書かれていない内容に対しては、本当にそうだろうか?と疑い、それを自分で検証してみる姿勢を大事にしています。
決して『古代汉语虚词词典(最新修订版)』を槍玉にあげるというのでなく、現在の中国の虚詞理解を代表して紹介してくれているものと捉えた上で、多く挙げられている「既」の意味について、考えてみたい。
学ぶ者として、それが本当に妥当であるかどうか、検討して確かめずにはいられません。
同書には、「既」の副詞の用法の一番目として、次のように書かれています。
一、表示事物性状的程度很高。可译为“非常”“很”等。
(事物の性状の程度がとても高いことを表す。「非常に」「とても」などと訳せる。)
その例文として引かれているのが次の文です。
・天立厥配、受命既固。(命: 指帝位。)(詩経・大雅・皇矣)
――上天安排了他的配偶,〔因此〕他承受的帝位就非常巩固了。
(天帝がその配偶を手配し、(これにより)彼が受けた帝位はとても強固になった。)
文王が天により帝位に選ばれたことを述べたものです。
「既固」を「とても堅固である」と解するわけですが、これは「すでに十分に堅固である」という意味でしょう。
次に、
・今女衣服既盛,顔色充盈。天下且孰肯諫女矣! (充盈:骄傲自满的样子。)(荀子・子道)…原文は簡体字
――今天你的衣着很整齐,满面骄气。天下人谁还愿意给你进忠言呢!
(今日あなたの衣服はとても整っていて、満面におごった気持ちがあらわれている。天下の人々は誰が忠言をしようとしてくれるだろうか。)
「衣服がとても整っている」と解するのですが、この例文の前の部分も含めて見てみましょう。
・子路盛服見孔子。孔子曰、「由、是裾裾何也。昔者江出於㟭山、其始出也、其源可以濫觴。及其至江之津也、不放舟不避風、則不可渉也。非唯下流水多邪。今汝衣服既盛、顔色充盈、天下且孰肯諫汝矣、由。」
(▼子路盛服して孔子に見(まみ)ゆ。孔子曰はく、「由、是の裾裾たるは何ぞや。昔者江は㟭山より出で、其の始めて出づるや、其の源以て觴(さかづき)を濫(うか)ぶべし。其の江の津に至るに及べば、舟を放(なら)べず風を避けざれば、則ち渉(わた)るべからず。唯だ下流の水多きに非ずや。今汝衣服既に盛んにして、顔色充盈すれば、天下且(は)た孰(たれ)か肯(あ)へて汝を諫めん、由や。」と。)
(▽子路が着飾った服装で孔子にお目にかかった。孔子がいうことには、「由よ、そのきらびやかなさまは何だ。昔長江は㟭山から流れ出すが、その最初流れ出した時は、その源は杯を浮かべることができる(程度の水量であった)。(しかし)それが長江の渡し場に至る頃になると、舟を並べ風を避けなければ、渡ることはできない。(それは)ただ下流の水が多いからだけではないか。今お前は衣服がすでに立派であり、顔色も得意げである、(そんなことで)世の中にいったい誰がお前を諫めようとするであろうか、由よ。)
この章、諸本によって文字の異同が多い上に、「不放舟」「非唯下流水多邪」「天下且孰肯諫汝矣」の読みが揺れています。
今、古くからの読みに従って読んでおきましたが、『新釈漢文大系・荀子』(明治書院1969)では「舟に放(よ)らず」「下流水多きを唯(もつ)てに非ずや」「天下且(まさ)に孰か肯て汝を諫めん」と読まれていることを記しておきます。
そして「非唯下流水多邪」を中心にこの章をどう解釈するかが、少々解釈が分かれています。
『漢籍国字解全書・荀子』(早稲田大学出版部1927)は、
此れはたゞ下流になると水が聚まりて多くなりし故に、人をして此の如く畏れ憚らしむるに至りしに非ずや、今汝の服は既に立派に、汝の顔色は得意に充ち、猛厲の氣溢れたり、猶江の下流に水の横溢するが如し、此の如くんば、天下の人、皆汝を憚りて、孰れか肯て汝の過を諫むるものあらんや、由よ少しく悟る所あれと、
と解しています。
岩波文庫『荀子』(金谷治 訳注、岩波書店1962)も、
これは下流の水が多いために〔人々が恐怖するから〕ではないか。いまお前にしても、そのように衣服が立派で容貌も満足げにしておれば、もはや世界中だれがお前にすすんで諫めてくれようか。
と解しています。
つまり、これも衣服が立派で容貌も満足げな子路を人々は恐怖し憚るから、だれも諫めてくれないとなるわけです。
長江の水自体はその水源近くではわずかであるのに、それが下流になると人を畏怖させるのは、「非唯下流水多邪」(ただ下流の水が多いだけではないのか)。
水の実態としては杯を浮かべる程度のものでしかないのに、量が多くなると人を畏怖させるほどになる。
要するに、子路はまだ「濫觴」、すなわち杯を浮かべる程度の実態でしかないということだと思います。
また、長江が支流の水を受け入れて下流では大河になると解する説もあります。(確認していませんが、円満字二郎『故事成語を知る辞典』に記載があるそうです。)
わずかの水が周囲の川の水を受け入れて大河となっていくように、人々の忠告を受け入れて大人物となっていくという解釈ですね。
その場合でも、人々の忠告を受け入れる以前、すなわち今の子路はやはり杯を浮かべる程度の器量ということになります。
さて、その上で、「今汝衣服既盛、顔色充盈」の「既」の働きを見てみましょう。
これを『古代汉语虚词词典(最新修订版)』は「非常」「很」と解しています。(他のいくつかの虚詞詞典にも同様の記述が見られます。)
しかし子路の状況としては「とても立派」であっても、「既」の字自体は本当に「とても」という意味でしょうか?
本来「濫觴」の段階であるはずの子路が、「すでに」衣服は立派、顔色は得意げ、すなわち大河のごとく振る舞っている。
そういうことではありませんか。
実態としては「とても」立派で「とても」得意げであったかもしれませんが、そのことが「既」を「很」と解釈する根拠にはなり得ないと思います。
「すでに十分」ということが、動作でなく状態や形容を表す場合、結果的に程度が甚だしい状況と一致することはあるかもしれませんが、そのことと「既」の字義が程度の甚だしいことを表して「とても・非常に」と直接的に訳すべきとすることとは別のような気がします。
中国の虚詞詞典の記述に対して、またぞろ検討を加えているのですが、もう少し自分なりに考えた上で、最初の疑問「既」が「まもなく・やがて・すぐに」という意味を表すのかについて考えてみたいと思います。