「豪毛不敢有所近」の「所近」の意味は?
- 2024/01/12 07:24
- カテゴリー:漢文の語法
『史記』項羽列伝のいわゆる「鴻門の会」で、樊噲が項王に対して持論を展開する場面があります。
そこで樊噲は、主である沛公を弁護して、次のように言います。
・今沛公先破秦入咸陽、豪毛不敢有所近、封閉宮室、還軍覇上、以待大王来。
(▼今沛公先づ秦を破りて咸陽に入るに、豪毛も敢へて近づくる所有らず、宮室を封閉し、軍を覇上に還して、以て大王の来たるを待つ。)
(▽今沛公は真っ先に秦を破って咸陽に入りましたのに、いささかも私物化したものをもとうとせず、宮殿を閉鎖し、軍を覇上に戻して、大王のいらっしゃるのを待っていました。)
この「豪毛」は宋版や元版、明版の中には「毫毛」に作るものも見られます。
さて、通常この「豪毛不敢有所近」は上記のごとく「豪毛も敢へて近づくる所有らず」と読み、「ほんのわずかも近づけるものをもとうとしなかった」の意で解釈されています。
ところが、この読みと解釈に対して疑義を呈している主張を目にしました。
これに限らず他にも、いわゆる教科書の読みと解釈の問題点を複数にわたって指摘し、誤りを正そうという内容でした。
その姿勢自体は素晴らしいと思います。
ただ、そこに指摘されていることのいくつかが、???と首を傾げてしまうものであるというのも、正直な感想です。
このエントリーは、それらを問題とするものではありません。
これまで何度か考えてきた「所」の用法について、最近またぞろ疑問が生まれてきていて、それが私に「あれ?」と思わせたのです。
話が少し横道にそれますが、いわゆる「A為B所C。」(▼ABのCする所と為る。 ▽AがBにCされる。)の受身の形式において、Cが「CD」(DをCする)の形をとる場合があります。
すなわち「A為B所CD。」(ABのDをCする所と為る。)の形式の文において、「所」が何を指すかという問題です。
たとえば、「為烏所盗肉。」(▼烏の肉を盗む所と為る。)という文は、一体どういう意味でしょうか?
そして「所」は何を指すのでしょうか?
そのこと自体は、いずれエントリーを改めて書くつもりですが、そんなこともあって、「所」にはまたぞろ敏感になっていました。
話を元に戻し、疑義が呈されていた内容を要約すると、
「豪毛不敢有所近」の「近」は他動「近づける」の意で従来解釈されているが、「近」に他動詞としての働きはなく、自動詞「近づく」の意味でしか用いられない。
したがって、「敢へて近づく所有らず」と読んで、「ほんのわずかも近づくことをしようとはしなかった」とするのがよい。
となります。
これが私に「あれ?」と思わせたわけです。
「所」は、後の動詞の不定の客体を表す名詞句を作ります。
それを単に「後の動詞を名詞句にする働き」などと捉えて、「~するもの・~すること」と訳せばよいなどと思い込むと、誤った解釈を生み出してしまいます。
「食桃」(桃を食べる)に対して、「桃」を「所」に置き換えると「所食」となりますが、これは「(ソレを)食べるソレ」の意ですから、「食べるもの」という意味になります。
不定の客体なので、栗でも梨でも「食べるもの」なら何でもいいわけです。
「在京都」(京都にいる)に対して、「京都」を「所」に置き換えると「所在」となりますが、これは「(ソコに)在るソコ」という意味で、「在る場所」という意味になります。
これも不定ですから、「問所在」(在る所を問ふ)という問いが成立します。
不定だから問えるわけです。
「待人」(人を待つ)の場合も、「待」が誰かを待つという意味で用いられているなら「所待」は「(ソノヒトを)待つソノヒト」であって、不定の「待つ人」という意味の名詞句になります。
そう確認したところで、改めて「不敢有所近」を見てみましょう。
従来の読み通り「近づくる所」と読めば、「所近」は「(ソレを)近づけるソレ」で「近づけるもの」という意味で通ります。
しかし、「近づく所」と読んだ場合、指摘のような「近づくこと」という意味を表し得るでしょうか?
「近づく」は、「どこそこに近づく」または「何それに近づく」であって、客体は動詞の依拠性に対するものになるはずです。
つまり、もし「所近」を、「近」は自動詞だとして「近づく所」と読むなら、前者なら「(ソコに)近づくソコ」、後者なら「(ソレに)近づくソレ」とならざるを得ません。
つまり「近づく場所」または「近づくもの」です。
「不敢有所近」は、さすがに「近づく場所をもとうとしなかった」の意味ではないでしょう。
百歩譲って、それでも「近」を自動詞として「沛公はほんのわずかも近づく場所をもとうとはしなかった」と解するならまだしも、あるいは近づく対象をソレとみなして「近づくものをもとうとはしなかった」と解するならまだしも、よもや「ほんのわずかも近づくことをしようとはしなかった」と言う意味にはならないと思います。
「所近」は「近」の不定の客体であって、行為ではないからです。
・於是遂誅高漸離、終身不復近諸侯之人。(史記・刺客列伝)
(▼是に於て遂に高漸離を誅し、終身復た諸侯の人を近づけず。)
(▽そこでそのまま高漸離を誅殺し、(始皇帝は)死ぬまで諸侯に仕えたものを近づけなかった。)
目をつぶされた高漸離が、鉛の塊を筑にしこみ、始皇帝に投げつけたが当たらなかった、その後の記述です。
「近諸侯之人」は「諸侯の人に近づかず」とも読めないことはありませんが、行為の主体は始皇帝であって、始皇帝が諸侯の人に消極的に「近づかない」のではなく、このような事態を二度と招かぬよう、諸侯の人をそばには置かない、すなわち積極的に「近づけない」ではありませんか?
「近」は本来「近い」の意の形容詞だと思いますが、後に客体をとることによって、動詞のように働くことがあります。
その場合、「近づく」と「近づける」の2義が生じます。
確かに「近づく」という自動としての働きで多く用いられるとは思いますが、「近くに置いて親しむ」の意、すなわち「近づける」の意味でも用いられると思います。
探せば刺客列伝以外にも例は見つかるでしょう。
「所」に敏感になっているせいで、余計なことを書いたかもしれません。
「為烏所盗肉。」も見えてきた気がしますが、いずれまた項を改めて書いてみようかと思います。
そこで樊噲は、主である沛公を弁護して、次のように言います。
・今沛公先破秦入咸陽、豪毛不敢有所近、封閉宮室、還軍覇上、以待大王来。
(▼今沛公先づ秦を破りて咸陽に入るに、豪毛も敢へて近づくる所有らず、宮室を封閉し、軍を覇上に還して、以て大王の来たるを待つ。)
(▽今沛公は真っ先に秦を破って咸陽に入りましたのに、いささかも私物化したものをもとうとせず、宮殿を閉鎖し、軍を覇上に戻して、大王のいらっしゃるのを待っていました。)
この「豪毛」は宋版や元版、明版の中には「毫毛」に作るものも見られます。
さて、通常この「豪毛不敢有所近」は上記のごとく「豪毛も敢へて近づくる所有らず」と読み、「ほんのわずかも近づけるものをもとうとしなかった」の意で解釈されています。
ところが、この読みと解釈に対して疑義を呈している主張を目にしました。
これに限らず他にも、いわゆる教科書の読みと解釈の問題点を複数にわたって指摘し、誤りを正そうという内容でした。
その姿勢自体は素晴らしいと思います。
ただ、そこに指摘されていることのいくつかが、???と首を傾げてしまうものであるというのも、正直な感想です。
このエントリーは、それらを問題とするものではありません。
これまで何度か考えてきた「所」の用法について、最近またぞろ疑問が生まれてきていて、それが私に「あれ?」と思わせたのです。
話が少し横道にそれますが、いわゆる「A為B所C。」(▼ABのCする所と為る。 ▽AがBにCされる。)の受身の形式において、Cが「CD」(DをCする)の形をとる場合があります。
すなわち「A為B所CD。」(ABのDをCする所と為る。)の形式の文において、「所」が何を指すかという問題です。
たとえば、「為烏所盗肉。」(▼烏の肉を盗む所と為る。)という文は、一体どういう意味でしょうか?
そして「所」は何を指すのでしょうか?
そのこと自体は、いずれエントリーを改めて書くつもりですが、そんなこともあって、「所」にはまたぞろ敏感になっていました。
話を元に戻し、疑義が呈されていた内容を要約すると、
「豪毛不敢有所近」の「近」は他動「近づける」の意で従来解釈されているが、「近」に他動詞としての働きはなく、自動詞「近づく」の意味でしか用いられない。
したがって、「敢へて近づく所有らず」と読んで、「ほんのわずかも近づくことをしようとはしなかった」とするのがよい。
となります。
これが私に「あれ?」と思わせたわけです。
「所」は、後の動詞の不定の客体を表す名詞句を作ります。
それを単に「後の動詞を名詞句にする働き」などと捉えて、「~するもの・~すること」と訳せばよいなどと思い込むと、誤った解釈を生み出してしまいます。
「食桃」(桃を食べる)に対して、「桃」を「所」に置き換えると「所食」となりますが、これは「(ソレを)食べるソレ」の意ですから、「食べるもの」という意味になります。
不定の客体なので、栗でも梨でも「食べるもの」なら何でもいいわけです。
「在京都」(京都にいる)に対して、「京都」を「所」に置き換えると「所在」となりますが、これは「(ソコに)在るソコ」という意味で、「在る場所」という意味になります。
これも不定ですから、「問所在」(在る所を問ふ)という問いが成立します。
不定だから問えるわけです。
「待人」(人を待つ)の場合も、「待」が誰かを待つという意味で用いられているなら「所待」は「(ソノヒトを)待つソノヒト」であって、不定の「待つ人」という意味の名詞句になります。
そう確認したところで、改めて「不敢有所近」を見てみましょう。
従来の読み通り「近づくる所」と読めば、「所近」は「(ソレを)近づけるソレ」で「近づけるもの」という意味で通ります。
しかし、「近づく所」と読んだ場合、指摘のような「近づくこと」という意味を表し得るでしょうか?
「近づく」は、「どこそこに近づく」または「何それに近づく」であって、客体は動詞の依拠性に対するものになるはずです。
つまり、もし「所近」を、「近」は自動詞だとして「近づく所」と読むなら、前者なら「(ソコに)近づくソコ」、後者なら「(ソレに)近づくソレ」とならざるを得ません。
つまり「近づく場所」または「近づくもの」です。
「不敢有所近」は、さすがに「近づく場所をもとうとしなかった」の意味ではないでしょう。
百歩譲って、それでも「近」を自動詞として「沛公はほんのわずかも近づく場所をもとうとはしなかった」と解するならまだしも、あるいは近づく対象をソレとみなして「近づくものをもとうとはしなかった」と解するならまだしも、よもや「ほんのわずかも近づくことをしようとはしなかった」と言う意味にはならないと思います。
「所近」は「近」の不定の客体であって、行為ではないからです。
・於是遂誅高漸離、終身不復近諸侯之人。(史記・刺客列伝)
(▼是に於て遂に高漸離を誅し、終身復た諸侯の人を近づけず。)
(▽そこでそのまま高漸離を誅殺し、(始皇帝は)死ぬまで諸侯に仕えたものを近づけなかった。)
目をつぶされた高漸離が、鉛の塊を筑にしこみ、始皇帝に投げつけたが当たらなかった、その後の記述です。
「近諸侯之人」は「諸侯の人に近づかず」とも読めないことはありませんが、行為の主体は始皇帝であって、始皇帝が諸侯の人に消極的に「近づかない」のではなく、このような事態を二度と招かぬよう、諸侯の人をそばには置かない、すなわち積極的に「近づけない」ではありませんか?
「近」は本来「近い」の意の形容詞だと思いますが、後に客体をとることによって、動詞のように働くことがあります。
その場合、「近づく」と「近づける」の2義が生じます。
確かに「近づく」という自動としての働きで多く用いられるとは思いますが、「近くに置いて親しむ」の意、すなわち「近づける」の意味でも用いられると思います。
探せば刺客列伝以外にも例は見つかるでしょう。
「所」に敏感になっているせいで、余計なことを書いたかもしれません。
「為烏所盗肉。」も見えてきた気がしますが、いずれまた項を改めて書いてみようかと思います。