ユーティリティ

プロフィール

管理者へメール

過去ログ

検索

エントリー検索フォーム
キーワード

エントリー

カテゴリー「体系漢文」の検索結果は以下のとおりです。

用例を探し選ぶ

(内容:高等学校用漢文の参考書を執筆するにあたっては、自分で用例を探し選ぶべきこと。)

まず追記です。

現代の情報ツールからは置いてけぼりをくらっていますので、家族でLINEを使う程度で、ツイッター?とかインスタなんとかというものには縁がありません。
ツイッターとは何なのか、いまだにわからないのですが…

ところが、おもしろがって「体系漢文」で検索をかけていた友人が前エントリーについて、ツイッターで書いてる人があるよと教えてくれまして、??と見せてもらいました。
前置詞句が述語に後置される構造について、ご教示をいただいているのですが、どうも松下大三郎氏の『標準漢文法』に精通しておられる方のようでした。
用語が難しくて、よくわからないところはあるのですが、私がまだよくわかっていないことに対して、非常に興味深い示唆がそこにはあるようでした。

『標準漢文法』は、10年ほど前にせっかく手に入れたのに、あまりの分厚さと難解な文体に、ちらっと初めの方を見ただけで、本棚で埃をかぶらせていました。
これを読むのは勇気がいるな…と思いつつ、しかし、ご教示いただいていることは、これを読み通すことでわかるはずだと思います。

仕事柄、3密を避けるために、比較的時間の余裕がある今、新たな勉強をしたいと思います。
ツイッターが使えませんので、ここでお礼を申し上げます。

                                         *                    *

さて、このエントリーでは、用例を探し選ぶということについて、少し書いてみようと思います。

もう何十年前になりますか、ある学参を書くにあたって、漢文の各句法について、多くの用例が必要になりました。
今のように電子機器やインターネットが整備されていなかった頃なので、それはもう大変な作業で、紙のカードに用例を書いては整理、書いては整理を繰り返していました。

もちろん他社の学参なども参考にするのですが、今はそれほどでもないようですが、どの学参も判で押したように同じ用例が載っているのに驚きました。
中にはどの学参にも載っているのに、原典にあたってみると文字の異同があったり、そもそも中国の文ではなかったり。

それでも途方もない時間をかけて集めた用例を学参に反映すると、今度は現場の先生方の評判がよろしくないとのこと。
なんでも、聞いたことのない文なので使いにくいらしいのです。
私は有名であることよりも、その句法を一番理解しやすい用例という観点で選んだのですが、知らない用例だと「とっつきにくい」のだそうで、それは要するに、生徒がとっつきにくいというより、用例の意味を予習する手間が面倒なのでは?と、若気のいたりから憤慨したりもしました。

その後、劇的に電子機器や情報網が整備されて、用例を探す作業は紙から電子機器に移りました。
いちはやく書籍の電子データが用例探しには大きな力を発揮すると考え、地道に電子データを入力したり、獲得したりしてはため込み、検索しやすいように加工して、用例検索は紙の時代とは比較にならない量を相手にすることができるようになりました。

用例検索のPC画像

それでも、学参に用いる用例は、用いられた時代を考慮しつつ、少しでもわかりやすく、できるだけ文の基本成分が揃ったものを用いるべしと心に刻み、どの学参にも載ったことのないようなものでも、条件が揃っていれば用いるようになりました。
どうしてもうまく見つからないときには、四庫全書にあたったり。
それでなければ、もう「少なくともよく用いられる形ではないのだ」と判断するまで。

現在、時代ごとに分類した200種弱の書籍(代表的なものはほぼ網羅)から検索をかけ、よい用例が見つかれば、必ず紙の原典にあたり、文字の異同を確認したり、前後の文脈から確かに求めている用例であることを確かめて、初めて採用しています。
『真に理解する漢文法』も『体系漢文』も、同様に用例を探し選んでいますので、採用された用例が、ほとんど基本成分の整ったものであることにお気づきでしょうか。

同じような作業をしている人がたぶん世の中には大勢いらっしゃると思います。
ただ、必ず原典にあたって確かめるという姿勢を失ってほしくはないものです。
自らを戒めるとともに、みなさまにおかれても、ぜひこころがけてください。

『体系漢文』で用いる文法用語のこと・7(前置詞句)

(内容:数研出版『体系漢文』を執筆するにあたって、文法用語に苦労したことの続篇。前置詞句について。)

ここまで『体系漢文』で用いる文法用語について、用語自体は明快なのに、いざ採用するとなると、いろいろと腐心させられたという、まあ裏話といってもいいようなことを書いてきました。
最後は前置詞句です。

編集者の方はともかく、私自身は類書にどんなことが書いてあるかというのを考えずに好きに書くほうなので、前置詞句という用語が用いられている、あるいは用いられていたのかは知りません。
ですが、濱口富士雄先生の『重訂版 漢文語法の基礎』には、前置詞句という用語が用いられています。
(私事ながら、濱口先生のこの御著は、非常に勉強になりますので、みなさまも一度お読みになればとお勧めいたします。)

従来、前置詞は置き字とされたり、返読文字とされたり、文法とは関係のない特別な扱いをされてきました。
句法ならではの扱いというわけです。
高等学校でも、1年生の入門期には、置き字、返読文字として注意されることはあるのですが、どちらかというとそれこそ「置いてある字」としてあまり顧みないところがあったのではないでしょうか。
返読文字にしても「返って読む字」という読み方の規則の方に重点が置かれていて。

そして、これは私の印象ですが、「於」にせよ「自」にせよ、その単独の字のみに着目して、句として捉える視点が欠けていたように思います。

漢文を語る際に、日本語を持ち込むのは妥当ではないのですが、たとえば日本語の格助詞「に」の用法を考えるに、「に」だけを見ていても、10年それを見続けたとしてもその意味も働きもわかりません。
「虎に」と表現して何らかの意味をもつ語であることが意識され、さらに述語「与える」を伴い「虎に与える」という表現をとって、初めて「虎に」は「与える」対象なのだなと理解することができます。

これと同じとはもちろん言う気はありませんが、前置詞は名詞を伴って前置詞句になり、述語との関連によって初めて明確な意味をもつことができるわけです。
ですから、前置詞単独というより、前置詞句として捉え、述語とのどのような関連があるのかを考えるべきでしょう。

ところで、このエントリーまで述べてきたのは、文法を説明する際に用いる用語についてでした。
ここへきて前置詞句を話題にしたのは、それが(前置)連用修飾語(句)、また、後置修飾語(句)という成分として機能するからです。
なお、述語に前置も後置もする前置詞句は、「以」「於」「自」などいくつかに限られます。

・以杖叩地。(▼杖を以て地を叩く。▽杖で地面をたたく。)

これは前置詞「以」が直後の「杖」という名詞と結びついて前置詞句を構成し、述語「叩」を前置連用修飾する形です。
違う言い方をすれば、前置詞句は副詞の位置に置かれているわけです。
副詞が述語を前置連用修飾するように、前置詞句も述語の前に置かれて述語を連用修飾します。

・叩地以杖。(▼地を叩くに杖を以てす。)

これは前置詞句「以杖」が述語構造「叩地」の後に置かれる形です。
それはあたかも後置修飾語(補語)の位置に置かれ、述語「叩」を後置修飾するがごとくです。
実際、異説はあるものの、中国ではこのような前置詞句の用法を、補語(後置修飾語)の用法と説明することが多いようです。

『体系漢文』では、この二様の表現を、訓読のしかたは異なると注意しつつも、同じ意味を表すと説明しました。
語順が異なることにより、語に対する重点の置かれ方が変わり、文意に微妙な差が生じることは十分考えられることですが、少なくとも高等学校の生徒には、前置詞句が前置されているか後置されているかで、いちいちどう訳せばいいかと頭を悩ます必要はないでしょう。


さて、『体系漢文』という書名をあげたエントリーにおいて、個人的な世迷い言のような考えを示すのは不適切かもしれないという気もするのですが、私自身は、前置詞の種類や、その用いられ方にもよるのですが、後置された前置詞句を単純に補語と言い切っていいのかどうかについては、最近少し疑問を感じるようになりました。

たとえば、

・比干忠而誅於君。(▼比干忠にして君に誅せらる。▽比干は忠義でありながら主君に殺された。)

・青、取之於藍、而青於藍。(▼青は、之を藍より取りて、藍より青し。▽青(の染料)はこれを藍草から取るが、藍草より青い。)

「誅於君」は、「誅於」とあるからこそ比干が受事主語であることを認定することができます。
言い方を変えれば、もし「比干誅」であれば、賓語がないのが不自然であるにせよ、比干が施事主語で誰かを誅殺したのかと解されてもしかたがありません。
それを前置詞句「於君」が述語「誅」を後置修飾して受身の対象の意味を添えるのだと言えば通るのかもしれませんが、なんだかしっくりときません。

また、「取之於藍」は、述語構造「取之」の後に前置詞句「於藍」が置かれたものですが、来源を表すにしても、これがもし「於庭」であれば、場所を表すことになります。

さらに、「青於藍」は、形容詞「青」に対して前置詞句「於藍」は比較の対象を表しているのですが、前置詞句自体は前の「取之於藍」と同じです。

つまり何が言いたいかというと、前置詞句が述語に後置された時、補語として述語を後置修飾すると言ってしまうのは簡単ですが、どのような内容を補足するかは、述語の品詞にもよるし、同じ品詞であっても述語の表す意味と、前置詞句の目的語である名詞がもつ意味との関連によって、複雑に変化するということです。
それだけ述語と前置詞は密接に結びついて、後の名詞との関係を示していると思うのですが。
実際、比干の例や「青於藍」の例は、前置詞句がなければ意味をなしえません。
そういうものを修飾句といっていいのかどうか、もっと統語論的な見方をする必要があるなと、『体系漢文』の用語の問題とは別に、個人的には思うのです。



長々と用語について述べました。

『体系漢文』で用いる文法用語のこと・6(後置修飾語)

(内容:数研出版『体系漢文』を執筆するにあたって、文法用語に苦労したことの続篇。後置修飾語について。)

一般に漢文における修飾関係は、

修飾する語(修飾語)は、修飾される語(被修飾語)の前に置かれる

と説明されています。
たとえば、

涼風…修飾語「涼」→被修飾語「風」 涼しい風

再会…修飾語「再」→被修飾語「会」 再び会う

のようになるわけで、一歩踏み込んで「涼風」は連体修飾、「再会」は連用修飾と説明されることもあります。
ちなみに中国では、連体修飾語を定語(後の体言を限定修飾する語)、連用修飾語を状語(後の用言の状況を示す語)と呼んでいます。

『体系漢文』では、連体修飾語になる要素として「名詞」「形容詞」を挙げ、名詞や名詞句から構成される主語や目的語を修飾する成分とし、また、名詞述語を修飾する成分としても位置づけました。
また、連用修飾語になる要素として、「副詞」「前置詞句」を挙げ、主に動詞や形容詞から構成される述語を修飾する成分としました。

ただ、修飾語を説明する際に、

文の骨組みとなるそれぞれの成分に対して、原則として直前に修飾語が置かれることがある。

と説明した、この「原則として」という表現は微妙な言い方です。
得てして「原則として」というのは「例外もある」ということを想起させる物言いです。

漢文にも倒置構造はあり、たとえば「桃之夭夭」(▼桃の夭夭たる)のように、異説もあるものの連体修飾語の倒置と説かれる用法もあるのですが、この「原則として」は、そういう特殊な事例を想定したものではありませんでした。

初版の『体系漢文』では文法編で「さまざまな修飾語句」として修飾表現の例外のように扱っていた内容を、改訂版では「後置修飾語」と明示しました。
これが「原則として」という表現をさせた要因であり、そしてこれこそが古典中国語文法における「補語」(後置修飾語)に他なりません。

たとえば漢文には、「皇帝がとても怒る」という内容を表す時に、次の2つの表現があります。

・帝怒。(▼帝甚だ怒る。) …  →「甚」は連用修飾語(状語)

・帝怒(▼帝怒ること甚だし。) →「甚」は後置修飾語(補語)

これは、程度副詞の「甚」が、述語「怒」に前置されたもの、後置されたもので、前者は連用修飾語、後者が後置修飾語という成分になります。
(こうして二者を比較する上ではあまり問題にならないのですが、文の構造を解説する上で、不用意な「○○は□□を連用修飾する」という言い回しは、読み手に「『連用修飾』という用語が『述語に前置して修飾する』という書かれてもいない内容を意味するものと自分で補って理解せよ」と迫ることになると、編集員のKさんにきつく意見されたものです。)

「帝甚怒。」は、副詞「甚」が状語(前置連用修飾語)として、述語「怒」を修飾し、怒る状況の程度を示します。
「帝怒甚。」は、副詞「甚」が述語「怒」の後に置かれ、後置修飾語(補語)という補足成分として、やはり怒る状況の程度を示しています。

後置修飾語(補語)とは、すなわち述語や述語構造(述語+目的語)の後に置かれる修飾成分で、述語を補足する働きがあるわけです。
その意味で、「修飾語は被修飾語の前に置かれる」という表現は間違ってはいませんが、完全に正しいわけでもありません。

「帝甚怒。」も「帝怒甚。」も状況としては同じことを述べたもので、日本語訳する上では、どちらも「皇帝がとても怒る」とすればよいのですが、この「~すること…」という日本語表現は漢文訓読に由来するものとして、むしろ定着している感があり、必要がなければそのままでもよいかと思います。

『体系漢文』では、初学者を対象にしているものであり、(前置)連用修飾語の場合も後置修飾語の場合も等しく述語を修飾しているので、意味は変わらないとしました。
しかし、本来語順が異なるからには微妙な違いはあるはずで、個人的には「帝甚怒。」は「怒」に、「帝怒甚。」は「甚」に重きが置かれた表現ではないかと考えています。
古典中国語においては、後置された語に表現の重点が置かれる傾向があるように思うからですが、これについてはまだ私自身が不勉強の感があります。

補語(後置修飾語)については、用いられた時代や学者により、いくつかの見解の相違があります。
そもそも先秦においては補語は未成熟であるとするものや、賓語(目的語)そのものを補語とみなすべきだとする考え方等々。
『体系漢文』では、一般に古典中国語文法で広く用いられている「補語」という成分(といっても実は一部ですが)を、後置修飾語と位置づけ、前置連用修飾語とは区別しました。

『体系漢文』で用いる文法用語のこと・5(目的語と補語)

(内容:数研出版『体系漢文』を執筆するにあたって、文法用語に苦労したことの続篇。目的語と補語について。)

『体系漢文』の改訂版では、「補語」という用語を撤廃したというお話を前エントリーで書きました。
逆を言えば、初版では用いていたということです。
ご利用いただいていた先生方が気づいておられたかどうかわかりませんが、初版では「補語」という用語を二様に用いていました。

「入門編」では、旧態依然として、

主語(何が)+述語(どうする)+補語(何に・どこで・どこから)

という項を設け、その用例として「荘子釣於濮水。」(▼荘子濮水に釣る。▽荘子が濮水で釣りをする。)を示し、

主語(何が)+述語(どうする)+目的語(何を)+補語(何に・どこで・どこから)

という項では、「斉景公問政於孔子。」(▼斉の景公政を孔子に問ふ。▽斉の景公が政治のあり方を孔子に尋ねた。)を示し、さらに、

主語(何が)+述語(どうする)+補語(何に)+目的語(何を)

という項では、「漢王授我上将軍印。」(▼漢王我に上将軍の印を授く。▽漢王は私に上将軍の印を授けてくれた。)を例示しました。
そして、存在を表す文構造は「有」「無」の例を別記しました。
要するに、訓読から構造を説明する従来の手法をそのまま踏襲したのです。

ところが、同じ初版の文法編では、「文の骨組みとなる成分」として、

主語+述語+目的語・補語

とし、それぞれの成分になる主な要素として、「主語」は名詞、「述語」は動詞・形容詞・名詞、「目的語・補語」は名詞としました。

この「目的語・補語」というのは、きちんと読者に伝わったかどうかは別にして、賓語に他ならず、その例として、

・転禍為福。(▽災いを転じて福とする。)

の「禍」「福」を示していました。

別に前置詞句の項を設け、述語に前置される場合と後置される場合の両方を提示していましたから、文法編の「目的語・補語」の中には、前置詞が伴う名詞は含まれていなかったわけです。
もう一言いうならば、少なくとも文法編における「目的語・補語」という曖昧なことばは、書き手の我々からして、実はそのまま賓語であって、目的語と補語という区別に意味を見いだしていなかったということになります。

なにゆえ1冊の書籍の前後で、表記も指す内容も異なるややこしい書き方というか、不親切というか、妙な説明をしたかというと、古典中国語文法で斬り込んでいく姿勢の『体系漢文』ではあっても、まだその段階で学校現場がそれを受容していただける状況であるかどうか判じかねたからでした。

ただはっきり言えることは、初版の「入門編」「句法編」と、「文法編」とでは、漢文の成分に対する考え方が全く異なっていたということです。
すなわち前者は従来の訓読による分類、後者は古典中国語文法に基づく分類だったということです。

それを『体系漢文』改訂版で全面的に補語という用語を撤廃して、「入門編」にあっても賓語の意味で「目的語」という用語を用い得たのは、現場の先生方のご理解あってのことだったと思います。

お気づきになっているかどうか… たとえば改訂版「入門編」の、

主語+述語+目的語+目的語

の項では、双賓文(二重目的語の文)を示すと共に、別に次の文例を示しました。

・将軍起兵江東。(▼将軍兵を江東に起こす。▽将軍は兵を江東で起こした。)

このように前置詞句を伴う例を該当させていません。
(これは「於」の省略という書き方はしましたが、2つ目の目的語として場所目的語(処所賓語)が置かれる例はよく見られるものです。)

また、

主語(何が)+述語(どうする)+目的語(何を・何に・どこで・どこから)

の項では、「~を」と読む目的語と、「~を」と読まない目的語に分け、それぞれ例を示しました。
これは、本当は分ける必要はないのですが、従来の読みによる分類に従っていた人を迷わせずに導くためのものでした。

つまり、改訂版「入門編」の「漢文の構造」で示した成分は、初版がいわば「句法から見た成分」であったのに対し、「文法から見た成分」に変容したわけです。
言い方をかえれば、主語、述語、目的語という用語は、初めて文法用語として位置づけられたということになります。

このことで、それまで喉の奥にひっかかっていたものが取れたような、ほっとした気持ちになりました、やっと怪しげな説明をせずに済むようになったと。


さて、それでは「補語」という用語は意味がないのか?というと、そうではありません。
『体系漢文』改訂版が補語という用語を撤廃したのは、句法による成分「補語」と、文法による成分「補語」の混乱を避けるためでした。

あらためて押さえ直すと、句法による成分「補語」とは、訓読で「~を」と読まず、「~に・~より」などと読む語が該当します。
一方、文法による成分「補語」とは、文法的に述語に後置される修飾成分を指します。
したがって、もし『体系漢文』が「補語」という文法用語を用いれば、書き手が後置修飾成分のつもりで書いているのに、読み手は「~に・~より」などと読む語のことかと誤解する可能性が生まれてしまいます。
拙著『真に理解する漢文法』では、そんなことはお構いなしで、平気で補語という用語を用いていますが、『体系漢文』の場合はそんな杜撰なやり方をするわけにはいきませんでした。

これで、文の根幹をなす、主語、述語(謂語)、目的語(賓語)の3つの成分について、用語の意味を説明したつもりです。
あとは、修飾成分になる、連体修飾語(定語)、前置連用修飾語(状語)、後置修飾語(補語)の3つについて、少し触れておく必要があるのですが、定語についてはそのまま体言を修飾する成分としてご理解いただけるとして、状語と補語の取り扱いについて、『体系漢文』では深く踏み込んではいないものの、次エントリーで触れてみたいと思います。
特に、補語についてはこれまでほとんど説明されていないものになりますので。

『体系漢文』で用いる文法用語のこと・4(目的語)

(内容:数研出版『体系漢文』を執筆するにあたって、文法用語に苦労したことの続篇。目的語について。)

初版『体系漢文』を改訂する際に、大幅に変更したのが「目的語」「補語」の取り扱いです。
すなわち、改訂版では、初版でなお用いていた「補語」という言葉を撤廃しました。
このことについては、これまで「補語」という言葉を用いて授業を行ってこられた先生方は、違和感あるいは抵抗をお感じになったかもしれません。

初版を執筆する段階で、すでに私が「補語」という用語を用いることに反対し、編集者のKさんとバトルを繰り返したことは以前のエントリーに書きました。
実は私もKさんも、古典中国語文法における「補語」という文法用語が、いわゆる学校現場で用いられている「補語」とは全く概念の異なるものであること、また、その学校現場で用いられている「補語」と説明される語の多くが、実は「目的語」と区別されるべき語ではないことをわかった上で、現場に受け入れられるかどうか、頭を悩ましたわけです。

この「目的語」と「補語」については、複数のややこしい事情が絡んでいるので、うまく説明できるかどうか自信がないのですが、その絡み合ったややこしい事情をほどくことを通して、漢文の構造をより鮮明にすることができるかもしれません。

このエントリーでは主に「目的語」という用語について書いてみたいと思います。

さきに、漢文の成分は、主語、述語(謂語)、目的語(賓語)、連体修飾語(定語)、前置連用修飾語(状語)、後置修飾語(補語)の6つにより説明されると述べました。
『改訂版 体系漢文』や『体系漢文法演習』が「目的語」としているのは、この「賓語」に他なりません。
すなわち、漢文を訓読して(=日本語に翻訳して)、その日本語の事情により定義するものではなく、古典中国語としての漢文を、その専用の包丁とまな板でさばいて定義する成分です。

賓語とは、述語の後に置かれて、主に述語の作用を受ける名詞や名詞句で、述語が表す動作の対象や結果、動作が行われる場所や到達点・帰着点などを表します。
そして、特別な場合を除き、常に述語の後に置かれ、「述語+賓語」の構造をとるのが特徴です。
この古典中国語文法における用語「賓語」を目的語としたわけです。

本当は、いわゆる目的語という用語と賓語は完全一致するものではないので、私的にはそのまま「賓語」、もしくは、せめて「客語」としたかったところですが、英語を学習している生徒が使い慣れた用語の方がよかろうという判断がありました。
(ちなみに拙著『真に理解する漢文法』でも、目的語という用語を採用しています。)

ここで注意が必要なのは、漢文教育においても「目的語」という言葉は古くから用いられてきましたが、『体系漢文』の目的語は、それとは一致しないということです。

各社の教科書を拝見する限り、漢文入門にあたる部分で、成分に用いられる用語は統一されていません。
ですが、ほぼ共通しているのは、訓読した際に「~を」と読む語と、「~に・~より」などと読む語に分けて、たとえば前者を目的語、後者を補語とする等の区別がされています。
それらをまとめて補足語とするというものもありますが、2つをまとめているだけで、日本語の読みに応じて区別している点は変わりません。

(余談ながら、勤務校である京都教育大学附属高等学校では、「国語の教科書は毎年出版社を変える」が基本姿勢で、これは今はもう亡き大先輩たちが、「教科書を同じにすれば教員は必ずさぼる、常に学び続けよ」との考え方で決められたことで、もはや長老である私の目の黒いうちは遵守を徹底するつもりです。
ところが、教科書を変えるということは、漢文入門の構造解説に書かれていることが当然毎年違うことになり、記述に従わない私はともかくとして、現場の先生方はさぞかし混乱されるだろうなあと思わずにはいられません。)

・子路弾琴。(▼子路琴を弾く。)→「琴」は「琴を」と読むから目的語 

・窮鳥入懐。(▼窮鳥懐に入る。)→「懐」は「懐に」と読むから補語 

こういうふうに説明されれば、まあそうなのかなと思います、この区別に何の意味があるのか、よくわかりませんが。

ところが、『体系漢文』の教授資料にも述べているように、

・出門。(▼門を出づ。)→「門」は「門を」と読むから目的語 

・出門。(▼門より出づ。)→「門」は「門より」と読むから補語 

と言われれば、???となってしまいます。

また、

・斉宣王見顔淵。(▼斉の宣王顔淵を見る。)→「顔淵」は「顔淵を」と読むから目的語 

・孟子見斉宣王。(▼孟子斉の宣王に見(まみ)ゆ。)→「斉宣王」は「斉の宣王に」と読むから補語 

などと説明されると、これはもういくらなんでもおかしいだろうと思われませんか?

「出門。」は、「門を出づ」と読もうが「門より出づ」と読もうが、同じ動作を表しているし、読み方によって漢文の構造が変わってしまうわけがありません。
また、後の2例も、「見」という語は等しく「会う」という意味で用いられていて、「~に見ゆ」と読んだのは、孟子と斉の宣王の立場の違いを、「会ふ」の謙譲語「まみゆ」を用いて、より自然な日本語になるように工夫した結果に過ぎません。

仮に書き下し文という日本語に対して用語を使い分けるのなら、それはそれでいいのかもしれませんが、漢文の構造を語る際に、読みによって用語を使い分けることは、このような不自然な事情を生んでしまうことになるのです。

では、『体系漢文』は、「~を」と読む語、「~に・~より」などと読む語を一括して目的語と定義しているのか?というと、実はそうではありません。

先の例でいえば、どう訓読しようが「出門。」の「門」は目的語です。
また、「斉宣王見顔淵。」の「顔淵」も目的語、「孟子見斉宣王。」の「斉宣王」も目的語です。
これらはみな「述語の後に置かれて、主に述語の作用を受ける名詞や名詞句」だからです。
『体系漢文』では「目的語は述語に関連する事物を表し、動作・行為の対象や行われる場所・到達点・比較の対象などさまざまな意味を表す」と説明しました。
重要なポイントは、目的語が二つ置かれる文(双賓文)を除き、みな述語の直後に置かれる名詞または名詞句であるという点です。

「即位」(位に即く)の「位」、「問政」(政を問ふ)の「政」、「出国」(国より出づ)の「国」、そして「有人」(人有り)の「人」、すべて目的語です。

述語との関連はさまざまですが、すべてに共通しているのは述語のすぐ後に置かれる名詞であるという点です。
中国語の賓語とは、ただそれだけのもの、いかにもシンプル、そしてそれが『体系漢文』の目的語です。

なんだ、それならやっぱり「~を」と読む語、「~に・~より」などと読む語を区別せずに目的語と定義しただけじゃないかと思われるかもしれませんが、繰り返しますが、そうではありません。

・荘子釣於濮水。(▼荘子濮水に釣る。▽荘子が濮水で釣りをする。)

この例の場合、「濮水」は、従来は「濮水に」と読む語であるために補語と説明されてきました。

・斉大於魯。(▼斉は魯より大なり。▽斉の国は魯の国よりも大きい。)

この例の「魯」も、「魯より」と読むために補語とされてきました。

しかし、「濮水」は述語「釣」に対する目的語ではなく、「魯」は述語「大」に対する目的語ではありません。
なぜなら、この2つの文は、構造的に次のように説明されるからです。

主語「荘子」+述語「釣」+前置詞句「於濮水」

主語「斉」+述語「大」+前置詞句「於魯」

この述語に後置された前置詞句は、次エントリーで説明する後置修飾成分で、述語の直後に置かれる名詞ではない、つまり目的語ではありません。
『体系漢文』の目的語は、異なる成分に属する「前置詞句に用いられる名詞」を含んではいないのです。

これでおわかりいただけたかどうか、やや不安ですが、『体系漢文』の目的語とは、訓読の読みによる分類ではなく、漢文という言語を、文法により定義したものです。

ですから、私はよく授業で生徒にこのように言います。
「文の先頭に置かれる名詞や名詞句は主語、そして述語の直後に置かれる名詞や名詞句が目的語。主語も目的語も、常に名詞か名詞句でなければならない。」

ただそれだけで、いかにもシンプル、どう読むかが目的語という成分を決めるわけではないのです。

『体系漢文』で用いる文法用語のこと・3(述語)

(内容:数研出版『体系漢文』を執筆するにあたって、文法用語に苦労したことの続篇。述語について。)

『体系漢文』で用いる文法用語として、前エントリーでは主語をとりあげました。
しかし、これはむしろ文法用語の問題というよりは、何をもって主語とみなすかという問題です。
つまり、漢文の存在文や現象文において、文頭に置かれた名詞または名詞句が主語であるということを知らないことと、それらを日本語で表現するときに漢文との構造のズレがあるということの、2つの要因がないまぜになって起こることです。

・宋有人。(▼宋に人有り。▽宋に人がいる。) →主語「宋」+述語「有」+目的語「人」

・天雨雪。(▼天雪雨(ふ)る。▽空に雪が降る。) →主語「天」+述語「雨」+目的語「雪」

これらの存現文で、構造的に「宋」「天」が主語であるということを知らなければ、どれが主語なのだ?ということになってしまうし、「人がいる」「雪が降る」と訳すから「人」「雪」が主語だと言えば、漢文を日本語の文法で説明してしまうことになります。
前者の場合は、より一歩進んだ語法理解が必要になるでしょうし、後者ならそもそも漢文は「主語+述語」の構造だと説明すること自体の意味がなくなってしまいます。

しかし、これは漢文における主語とは何かという認識にズレがあるために起こることで、「主語」という用語自体に違和感があるわけでは、たぶんないだろうと思っています。

「述語」という用語についても、主語と同様のことが言えます。
述語とは、主語に示されたことに対して、その動作・状態・性質を述べる語で、中国では「謂語」と呼び、同じ意味です。

・帝笑。(▼帝笑ふ。▽皇帝が笑う。)

この「笑」が述語だというのは、誰もが首肯することです。
これを文の構造のところで説明するなら、どの先生方も、主語「帝」+述語「笑」と板書されるのではないでしょうか。

ところが、

・白髪如霜草。(▼白髪霜草のごとし。▽白髪は霜のおりた草のようである。)

この文はどのように説明されるでしょうか。
主語は「白髪」でよいとして、述語は何でしょう?
日本語訳から判断して「如霜草」でしょうか?述部ということならそれでもいいでしょう。
しかし、さらに成分を確定するとすれば?

「帝笑。」の場合なら、たとえば「『笑』は動詞で、主語『帝』がどうしたかを表す語だから述語だ。動詞はこのように述語になることが多い」とでも説明されるのでしょうが、「白髪如霜草。」のような文になると、「霜のおりた草のようである」という日本語訳から、途端に先のような説明は影をひそめ、「A如B」は、「AはBのようだ」という意味だと、句法の指導にシフトしてしまうのではないでしょうか。

この文は、

主語「白髪」+述語「如」+目的語「霜草」

という成分からなり、「如」は「似る」に近い義の動詞です。
つまり、「白髪は霜のおりた草に似る」から「霜のおりた草のようである」という意味になるわけです。
「霜草」は目的語か?「霜のおりた草に」と訳すなら、補語ではないのか?という疑問に対する答えは次項に譲るとして、「霜草」は「如」の賓語に他なりません。

要するに「ごとし」と読むから助動詞ではないのか?というのは、漢文の文法を、それを訳した日本語で理解しようとすることから生じる誤解で、このことが飲み込めさえすれば、「如」が述語だということは理解できるわけです。

ちなみに『体系漢文』では、まだこの「如」の用法を句法編の「比況の形」に置いて、成分を示したり、「如」が動詞であることに言及していません。
さすがに踏み込みすぎているからです。
ですが、『体系漢文法演習』では、はっきり動詞と明示しています。

『体系漢文』の特徴の一つは「文法編」にあるといってよいと思いますが、わずかに15ページ分に過ぎません。
代表的なほんのわずかなことしか書けていないのに、それでもし現場の先生方が、これまでにない内容だと驚かれるのだとしたら、『体系漢文』の今後めざしていく道は、少しずつ少しずつの歩みではありますが、まだまだ多くの未知の領域があるといえるかもしれません。
私の夢は、「句法編」が、その怪しげな「句法」という言葉を脱ぎ捨て、すべて「文法編」と呼んで恥ずかしくない内容に成長していくこと、それを受け止めていただける教育現場が実現していくことです。


話が横道にそれてしまいましたが、述語という用語を使う際に、問題が生じるとすれば、それは用語自体ではなく、漢語の品詞に対する知識の問題であるということになります。

「如」以外にも、判断を表す動詞「為」や「是」があります。

・爾爾、我我。(▼爾(なんぢ)は爾たり、我は我たり。▽あなたはあなたであり、私は私である。)

・我鬼。(▼我は是れ鬼なり。▽私は幽霊である。)

この2例は、

主語「我」+述語「為」+目的語「我」
主語「我」+述語「是」+目的語「鬼」

と説明され、「為」「是」はbe動詞に近い、いわば「だ・である」に相当する語、繋辞です。

「為」は「~となる・担う」の意からの引申義、「是」は指示代詞の復指の働きからの転で、「である」という意味を表すようになったものと考えられますが、この繋辞としての「為」「是」も、述語成分として説明されます。

このことについても、漢語の品詞に対する知識の問題になります。

ただ、たとえば次のような文、

・帝怒甚。(▼帝怒ること甚だし。▽皇帝はとても怒る。)

この文の「甚」をどう説明するかについては話が別で、結論からいえば「甚」は述語ではなく後置修飾語(補語)になるわけですが、『体系漢文』で用いる文法用語の最難関ハードルになりました。

『体系漢文』で用いる文法用語のこと・2(主語)

(内容:数研出版『体系漢文』を執筆するにあたって、文法用語に苦労したことの続篇。主語について。)

いわゆる学参になる『体系漢文』で用いている文法用語について、腐心させられたという話を前エントリーから書き始めました。

実は結論から言えば、先に書いた6つの成分、すなわち主語、述語(謂語)、目的語(賓語)、連体修飾語(定語)、前置連用修飾語(状語)、後置修飾語(補語)をそのまま導入すれば、構造理解自体はとてもスムーズに進められます。
それなのになかなかそうはいかなかった、あるいは今もなおいかないのは、前エントリーで触れた「難き」ことがそこにあるからです。
一番やっかいだったのは「補語」ですが、このエントリーでは、まず主語について書いてみましょう。

「皇帝が笑う」というのを、漢文で表記すると、

・帝笑。(▼帝笑ふ。)

となります。
これはどの先生方でも異論なくお認めになるでしょう。
日本語の文において、何が、誰が…にあたる語が主語だと普通は思われているし、もう少し丁寧にいえば、述語が表す動作や状態などの主体であったり、「花子は優しい」などの判断や命題を表す文の主体が主語だと定義されるからです。
だから、「兵士は少なく、食糧は尽きた」の意の

・兵少、食尽。(▼兵少なく、食尽く。)

の主語が「兵」「食」だというのも納得できるし、「主人が恥をかかされる」という意味の

・主辱。(▼主辱めらる。)

もなんとか説明がつく。

だから、漢文の主語と述語の関係は、日本語と同じで、「主語+述語」の語順になると、強い調子で言えるのです。

ところが、

・斉有孟嘗君。(▼斉に孟嘗君有り。)

は、「斉の国に孟嘗君がいる」という意味ですから、たちまちさっきの説明と矛盾してしまう。

似たような文は他にもあります。

・地多積雪。(▼地に積雪多し。)

は、「地に積雪が多い」という意味です。
これらの文の主語は何でしょうか?

孟嘗君がいる、積雪が多い…ですから、主語は「孟嘗君」「積雪」ということになるのですが、さきほど日本語と同じ「主語+述語」の語順になると説明した手前、都合の悪い話になってしまいます。
うまく説明できないから、「有」や「多」は返読文字だという、特殊な用語を持ち出す。
あるいは、これらの文は例外だと言ったり、あえて触れないでおこうとしたりする。

文法というのは、言語の形態や機能における約束事です。
次々に例外が出てくるのに文法というのはいかがなものか…ということがあるからでしょうか、漢文ではあまり文法といわず、「句法」などという文法用語ではない言葉が用いられます。

このような問題が生じるのは、漢文を日本語の感覚で説明しようとするからです。
つまり、乱暴な言い方ですが、日本語で「~が」「~は」にあたる語が主語だと説明してしまうから起こる混乱です。

『体系漢文』では、

「漢文では、主語は述語が表す動作・作用・状態などの主体を表す。必ずしも動作主だけが主語ではなく、これから話題にしようとする内容を表すさまざまな言葉が主語になる。」

と説明しました。
これは、現在主流の古典中国語文法に基づく説明です。
拙著『真に理解する漢文法』では、「主に文の先頭に置かれる名詞または名詞句で、述語が表す動作や作用、状態などの主体を表す語を主語という。」と定義しました。

そして、主語は述語との関連から4つの種類に分類されます。
1.施事主語(述語の動作や行為を行う主体を表す主語)
2.主題主語(述語が描写したり述べたり、判断したりする対象となる主題を表す主語)
3.受事主語(述語の動作や行為を受ける客体を表す主語)
4.存在主語(存在文における主語)

以上を、『体系漢文』では、

1.動作の主体を表す主語 (帝笑。の「帝」)
2.主題を表す主語    (兵少、食尽。の「兵」「食」)
3.動作の受け手を表す主語(主辱。の「主」)
4.存在を表す主語    (斉有孟嘗君。の「斉」)

としました。

4の存在主語をどのように理解するか、させるかが鍵にはなるのですが、「主語+述語」の構造にいささかも抵触しません。

そもそも存在文は、「A有B。」(AにBがある・いる)、「B在A」(BはAにある・いる)のような文をいうのですが、Bの存在する場所を説明する後者の場合は、「主語+述語」の語順なので問題になりません。
わかりにくいのは前者です。

「有」に存在と保有の二義があることは周知のことですが、そもそもの成り立ちが、保有から存在に派生したと考えるか、存在の義は別系統で、事象を生じることからの転か…等、学説の分かれるところです。
いずれにせよ、

・我有宝。(▼我に宝有り。)

という所有文を、日本語では「私には宝がある」と解し、

・斉有孟嘗君。(斉に孟嘗君有り。)

という存在文を、「斉の国に孟嘗君がいる。」と解して、日本語からすれば主語が「宝」や「孟嘗君」に見えることには違いはありません。
しかし、これをたとえば「私は宝をもつ」、「斉が孟嘗君をもつ」あるいは「斉が孟嘗君を生ず」とあえて捉え直せば、「我」「斉」が構造上の主語であることは飲み込みやすくなります。

これをちょっとややこしい説明のしかたをすると、

『有』を用いる存在文においては、構造上の目的語が意味上の主語にあたる。その意味上の主語がどこに存在するかという場所や範囲を表すのが、文の構造上の主語である。

ということになります。

要するに、存在文は「《場所》が《人・物》をもつ」から、日本語として自然な「《人・物》が《場所》にある」という訳し方をするのです。

ここまでの話を振り返ってみてください。
漢文の構造を日本語側から説明しようとすると、すぐさま矛盾を生じてしまった、でも、漢文側から見直せば、多少理解にややこしい面はあったけれども、なんの論理破綻も生じなかった。
それは考えれば、当たり前のことではありませんか?
「事は易きに在り、しかるに之を難きに求む」、難しくしてしまっているのは、いったい何だったでしょうか。


ちなみに、

・地多積雪。(▼地に積雪多し。)

の構造について、説明しておきます。

「多」(多い)は、形容詞です。
ですから、

・禽獣多而人少。(▼禽獣多くして人少なし。▽鳥や動物は多くて人は少ない。)

という文なら、返って読むことはありません。
なぜなら、

主題主語「禽獣」+述語「多」、主題主語「人」+述語「少」

の構造だからです。

ところが、形容詞「多」の後に目的語(賓語)として「積雪」が置かれることで、「述語+目的語」という述語構造の型にはまることになります。
この型の力は非常に強く、そのことによって、形容詞「多」は、目的語をとる動詞のように働くことになります。
中国ではこの作用を「形容詞の活用」と呼んでいます。
すなわち、形容詞の動詞化という意味ですが、私は形容詞が動詞に変わってしまうとまでは思っていなくて、型がそのような働きを生むという統語論的な理解をしています。

どうあれ、この「多」は、「多い」ではなく、「多くもつ」という動詞のような働きをしているのです。
ですから、「地は積雪を多くもつ」の意味で、つまり、

主語「地」+述語「多」+目的語「積雪」

の構造をとっているわけです。
そして、「地は積雪を多くもつ」を、我々日本人はなんと表現しますか?「地に積雪が多い」と言いませんか?

「多」は、返読文字と扱われますが、返読しないことは普通にあり、それは形容詞。
返読する場合は、すべて動詞のように働いている時に限ります。
特別な字でもなんでもないわけです。

これも、普通に説明できてしまいました。

『体系漢文』で用いる文法用語のこと・1(はじめに)

(内容:数研出版『体系漢文』を執筆するにあたって、文法用語に苦労したこと。基本的な成分について。)

学校現場で使用いただく『体系漢文』や『体系漢文法演習』を書くにあたって、実はとても簡単なことに過ぎないのに、その実態以上に腐心させられたのが文法用語です。
(自分で勝手に書いている『真に理解する漢文法』の場合は、まるでそんなことは問題にならないのですが…)

日本語を文法的に説明する時、あるいは英語を説明する時、それぞれにふさわしい文法用語があります。
日本語を説明するのに英語の文法用語を用いたり、またその逆の場合も、もともとそのための包丁やまな板ではないのだから、必ずどこかで破綻してしまうのは理の当然で、誰でもおわかりのことかと思います。
まして、英語を日本語に翻訳した上で、日本語の文法でこう説明できるから、英語の構造もそう説明できるなどと言ってしまえば、もう大混乱です。

ところが、それをやってしまっているのが漢文です。

もし漢文をすべて書き下し文に改めてしまって、それを日本語の文法用語で説明するならわかります、あくまで書き下し文としての日本語の説明ですから。
でも、現実は、漢文を漢文としてそのまま訓点などを施しておいて、それを日本語の感覚で説明しようとし、それではうまく説明できないから、日本語の文法では用いない特別な用語まで用意してしまう。
助字という曖昧な用語がその典型です。

助字とは何か…虚詞のこと?いえ、そうではないですね、平気で動詞なんかも含まれていますし。

その曖昧な用語で漢文を説明して、もともと曖昧な用語だから完全には説明しきれず、適当にお茶を濁しておいて、結局「型の丸覚え」に走ってしまう。
学校現場の多くがそういう事態に陥ってはいないでしょうか?
現実に高等学校1年生のはじめに、いわゆる「漢文の基本構造」を教えておきながら、その後は一切それには触れない、そういうことが多くないでしょうか?
つまり、ほとんど有効に機能していないからでしょう。
この現状を打開するためには、漢文をさばく専用の包丁とまな板が必要なのです。

漢文は、古典中国語としていえば、6つの成分からなります。

文の根幹をなす、主語、述語
(謂語)、目的語(賓語)の3つ。

そして、

修飾成分になる、連体修飾語
(定語)、前置連用修飾語(状語)、後置修飾語(補語)の3つ。

実はこの6つの成分で漢文を説明すれば、至極明快に構造を説明することができます。
有り体に言えば、それで事足りるのです。
ところが、今の日本の高等学校で漢文の構造を語るとき、なかなかそうはいかないハードルがあるわけです。
そして、そのハードルの取り扱いひとつで、この参考書を現場で採用するか否かが決まってしまうことすらあるとか。

繰り返します、漢文を説明するなら上記の6つの成分で、無理矛盾なく明快に構造が説明できます。
それなのに、なかなか学校現場に適用できない。
それは一体なぜなのでしょうか。

ひとことで言えば、日本語の感覚で漢文を説明しようとする姿勢から逃れられないからです。

漢文は今や日本人にとっての古典でもあり、それを通じてさまざまな文化や思想を享受できます。
漢文不要論を説く人もあるそうですが、今ある我々が、長い歴史の中に生きてきたことを忘れるわけにはいきません。
かけがえのない文化を顧みない姿勢には薄っぺらい印象を覚えざるを得ませんが、同時に、そのようなことを説く人たちが、口を極めてそれを言いつのりたくなるほど、つまらなく「わかりにくい漢文の授業」を受けてきたのであろうな…と気の毒に思いもします。

ですが、日本人の古典とも言える漢文を大事にすることと、漢文を日本語の感覚で説明しようとすることとは全く視点の異なる話です。
漢文がわかるようになることが、漢文というかけがえのない文化を味わう大前提なのに、その入り口の部分がややこしくなってしまっているために、漢文嫌いを生み出してしまう。

たとえば『漢語文典叢書』に収められている数々の語法研究の書を、ちらっとでもいいので見ていただきたいと思います。
そこには過去の日本人が、真正面から漢文に挑んでいった姿が刻まれてあります。
荻生徂徠しかり、伊藤東涯しかり…
近いところで見ても、西田太一郎、牛島徳次、太田辰夫などの諸先生方による古典中国語文法に対する輝かしい研究があります。

それなのに、今の学校漢文はなぜだかその延長上にない。

定義のはっきりしない文法用語、あるいは慣れ親しんできた用語や手法から逃れられないで、それでうまく説明できない部分は例外と言い切るか、触れないで済ませてしまう。
学問的な裏付けのない用語や手法が幅をきかせていて、それでなんとか事足りていたから、できることなら今まで通りのやり方でいたい。
そうなのだと、まさかそんな失礼なことを言い切るわけにはいきませんが、多少なりともそういう面はないでしょうか?

「事は易きに在り、しかるにこれを難きに求む」とは、孟子の言葉ですが、実は漢文の構造を明快に理解する方法は「易き」ことです。
ところが、今の教育現場では、かえってこれを「難き」に求めています。

では、どこがいったい「難き」なのか、項を改めて書いてみようと思います。

『体系漢文法演習』のこと

(内容:数研出版『体系漢文演習』執筆時のエピソード。)

私が今の『真に理解する漢文法』の前身になる『概説 漢文の語法』を書き終えたのが2014年の暮れでした。
漢文の授業は、生徒の理解度に応じながらではありましたが、ほぼ全面的に古典中国語文法での解説にシフトしました。
漢文の合理的な説明が可能になり、「今まで何となく…だった漢文の構造が、ちゃんとわかるようになった」と評判も上々でした。
日々、古典中国語文法の研究を続け、若手の先生にも少しずつ伝え、この方法が今の高等学校の現場に生かされればいいなと思い続けてきました。

そんな中で、文の成分の理解と、品詞の確定が重要だと思うようになり、授業の中でも、成分と品詞の関連を意識づけるよう配慮するようになりました。
「授業の中で私が口にする品詞は、古典中国語としての品詞。日本語の品詞の場合は、必ず、たとえば『日本語の形容詞』というふうに断る」と注意して、構造理解の要になる文例を説明するときには、成分と品詞の確定に心を配りました。

2017年の秋に、数研出版編集者のKさんと、新たな問題集を出す件について打ち合わせをすることになり、私は心ひそかにある提案をするつもりでした。
それは、問題集収録の文章について、すべて成分と品詞を明示するというもの、そう、ちょうど古文の問題集がそうであるようにです。
でも、それは必ずやKさんに、まだ時期尚早と一蹴されると思ってもいました。

Kさんが新たな問題集のポリシーを説明された時、正直驚きました。
私が提案しようとしていたものとドンピシャリ一致していたからです。
それは『体系漢文 改訂版』のさらに先を行くものでした。
『体系漢文』では、まだ現場の先生方の使い勝手を配慮して、内容的にある程度抑えられている面もあるのですが、この問題集はそれすらも跳び越えていたのです。
「漢文教材の分野に一石を投じる」というKさんの言葉は、私の願いそのものでした。

そればかりか、私が心の中に潜めていた「文の成分と品詞の確定」も行うという企画、正直心が震えました。

この問題集はきっと売れないだろう…私はそう思いました、高等学校対象の問題集としては先を行きすぎている…、でも、これは売れる売れないにかかわらず間違いなく高等学校漢文教育の歴史を変える一石になる、そう信じました。

「体系漢文法演習」の画像

「語順のきまりを理解して漢文を読み解く」、そう『体系漢文法演習』の表紙には書かれています。
あえてした軽い書き方です、でもその背景にあるものは、とても重い。
それは高等学校の漢文に、まっとうな角度から斬り込んでいく姿勢そのものでした。

この問題集を上梓するにあたっても、執筆者の私と編集者のKさんの激しいバトルが何度も繰り返されました。
まだまだの部分もあります。
なによりもう少し題材文が面白いものにならないか…
いろいろと思うことはあるのですが…

『体系漢文法演習』と同じ試みをしたのが、先日アップした『史記』「鴻門の会」語法注解です。
成分と品詞を確定すること、漢文を古典中国語として捉え直すことにどんな意味があるのか、『体系漢文法演習』と併せて見ていただければと思います。

『体系漢文』のこと

(内容:数研出版『体系漢文』執筆時のエピソード。)

移転前のブログでは素性を隠していたので、自分が数研出版の『体系漢文』の著者であるなど、書けるわけもなかったのですが…
他の同系の書籍とは一線を画した内容なので、ほんとに利用されてる?と常々思っていましたが、一緒に仕事をしている編集者に、それなりに注目はされていると知らされていたので、そうなのかな?と、まあ思っておくことにしていました。

「体系漢文」の画像

『体系漢文』を最初に書いたのはいつだったでしょうか、もうずいぶん前のような気がします。
ちょうど私が『真に理解する漢文法』の前身『概説 漢文の語法』を書き始めた頃でしたか、いつも一緒に仕事をする数研出版編集員Kさんと、その方向、つまり古典中国語文法の視点で、学校教材を作ってみようと意気投合したのでした。

色々と企業秘密もあるだろうから、出版に関する詳しいことは書けませんが、このKさんという方は実に有能なひとで、古典中国語文法についての造詣もいたって深く、私自身が刺激を受けることも多々あります。

そしてなにより私が幸せだったことは、Kさんが編集者として実に厳しく、一切の妥協を許さない方だったということです。
常々思います…
世の中には高等学校向けの参考書や問題集があふれていますが、どの書籍をみても、実に誤りが多い。
ところが、わざわざ連絡して、その誤りを指摘し、丁寧かつ詳細に誤りである理由を教えてさしあげても、なかなか直してくださらない。
これは、執筆者と編集者のバランス関係が悪いのが原因のひとつではないでしょうか。
一高校の先生に誤りだと指摘されて執筆者のプライドが傷つくのでしょうか?
でも、編集員がしっかりしていれば、誤りは誤りとして正すべきだと、執筆者に迫ることができます。
また、編集員の力が強すぎれば、執筆者は諦めて本当に書きたいことも書けなくなってしまいます。

私は幸いにも、そのバランスが絶妙の中で仕事をすることができました。
『体系漢文』を書くにあたって、Kさんとは何度激しいバトルになったことでしょう…
私が突っ走ってしまえば、あまりにも高等学校の現場ニーズとかけ離れた『体系漢文』になってしまっただろうし、Kさんが私の思いを考えずに一歩も引かなければ、私は仕事に意欲を失ってしまったでしょう。

今の高等学校の現場の状況を見据えて、現段階での『体系漢文』は、「入門編」「句法編」「文法編」の各分野において、私がなんとか譲れるところまで譲った内容になっています。
書きたいことは本当はもっとある、
でも、少しずつ少しずつ、そしていつか「今の漢文教育に風穴をあけてやろう!」と、Kさんと一緒に頑張ってきました。

たとえば、初版では「補語」という用語を、いわゆる「何に、何より…」にあたる語として残しました。
これには私はひどく反対で、それは賓語もしくは介詞の賓語であって、それはそうと正しく説明すべきだと主張したのですが… Kさんはもちろんそんなことはわかった上での編集者としての判断…その当時はまだその段階。
ですが、改訂版ではいわゆる「補語」の取り扱いを変更し、賓語(目的語)と介詞句(前置詞句)の説明を正しく行いました。
そう、現場の状況を見ながら、そのように少しずつ少しずつです。

いつかは『真に理解する漢文法』の内容とほぼ同じ方向といえるような『体系漢文』にしたいものだと思っていますが、きっとまたKさんに叱られてしまうでしょうね。
勇み足だ、まずは現場の先生方にとって使いやすいものでなければならないと。

『体系 漢文法演習』のことについては、また項をあらためて書きたいと思います。

ページ移動

  • 前のページ
  • 次のページ
  • ページ
  • 1