用例を探し選ぶ
(内容:高等学校用漢文の参考書を執筆するにあたっては、自分で用例を探し選ぶべきこと。)
まず追記です。
現代の情報ツールからは置いてけぼりをくらっていますので、家族でLINEを使う程度で、ツイッター?とかインスタなんとかというものには縁がありません。
ツイッターとは何なのか、いまだにわからないのですが…
ところが、おもしろがって「体系漢文」で検索をかけていた友人が前エントリーについて、ツイッターで書いてる人があるよと教えてくれまして、??と見せてもらいました。
前置詞句が述語に後置される構造について、ご教示をいただいているのですが、どうも松下大三郎氏の『標準漢文法』に精通しておられる方のようでした。
用語が難しくて、よくわからないところはあるのですが、私がまだよくわかっていないことに対して、非常に興味深い示唆がそこにはあるようでした。
『標準漢文法』は、10年ほど前にせっかく手に入れたのに、あまりの分厚さと難解な文体に、ちらっと初めの方を見ただけで、本棚で埃をかぶらせていました。
これを読むのは勇気がいるな…と思いつつ、しかし、ご教示いただいていることは、これを読み通すことでわかるはずだと思います。
仕事柄、3密を避けるために、比較的時間の余裕がある今、新たな勉強をしたいと思います。
ツイッターが使えませんので、ここでお礼を申し上げます。
* *
さて、このエントリーでは、用例を探し選ぶということについて、少し書いてみようと思います。
もう何十年前になりますか、ある学参を書くにあたって、漢文の各句法について、多くの用例が必要になりました。
今のように電子機器やインターネットが整備されていなかった頃なので、それはもう大変な作業で、紙のカードに用例を書いては整理、書いては整理を繰り返していました。
もちろん他社の学参なども参考にするのですが、今はそれほどでもないようですが、どの学参も判で押したように同じ用例が載っているのに驚きました。
中にはどの学参にも載っているのに、原典にあたってみると文字の異同があったり、そもそも中国の文ではなかったり。
それでも途方もない時間をかけて集めた用例を学参に反映すると、今度は現場の先生方の評判がよろしくないとのこと。
なんでも、聞いたことのない文なので使いにくいらしいのです。
私は有名であることよりも、その句法を一番理解しやすい用例という観点で選んだのですが、知らない用例だと「とっつきにくい」のだそうで、それは要するに、生徒がとっつきにくいというより、用例の意味を予習する手間が面倒なのでは?と、若気のいたりから憤慨したりもしました。
その後、劇的に電子機器や情報網が整備されて、用例を探す作業は紙から電子機器に移りました。
いちはやく書籍の電子データが用例探しには大きな力を発揮すると考え、地道に電子データを入力したり、獲得したりしてはため込み、検索しやすいように加工して、用例検索は紙の時代とは比較にならない量を相手にすることができるようになりました。

それでも、学参に用いる用例は、用いられた時代を考慮しつつ、少しでもわかりやすく、できるだけ文の基本成分が揃ったものを用いるべしと心に刻み、どの学参にも載ったことのないようなものでも、条件が揃っていれば用いるようになりました。
どうしてもうまく見つからないときには、四庫全書にあたったり。
それでなければ、もう「少なくともよく用いられる形ではないのだ」と判断するまで。
現在、時代ごとに分類した200種弱の書籍(代表的なものはほぼ網羅)から検索をかけ、よい用例が見つかれば、必ず紙の原典にあたり、文字の異同を確認したり、前後の文脈から確かに求めている用例であることを確かめて、初めて採用しています。
『真に理解する漢文法』も『体系漢文』も、同様に用例を探し選んでいますので、採用された用例が、ほとんど基本成分の整ったものであることにお気づきでしょうか。
同じような作業をしている人がたぶん世の中には大勢いらっしゃると思います。
ただ、必ず原典にあたって確かめるという姿勢を失ってほしくはないものです。
自らを戒めるとともに、みなさまにおかれても、ぜひこころがけてください。
まず追記です。
現代の情報ツールからは置いてけぼりをくらっていますので、家族でLINEを使う程度で、ツイッター?とかインスタなんとかというものには縁がありません。
ツイッターとは何なのか、いまだにわからないのですが…
ところが、おもしろがって「体系漢文」で検索をかけていた友人が前エントリーについて、ツイッターで書いてる人があるよと教えてくれまして、??と見せてもらいました。
前置詞句が述語に後置される構造について、ご教示をいただいているのですが、どうも松下大三郎氏の『標準漢文法』に精通しておられる方のようでした。
用語が難しくて、よくわからないところはあるのですが、私がまだよくわかっていないことに対して、非常に興味深い示唆がそこにはあるようでした。
『標準漢文法』は、10年ほど前にせっかく手に入れたのに、あまりの分厚さと難解な文体に、ちらっと初めの方を見ただけで、本棚で埃をかぶらせていました。
これを読むのは勇気がいるな…と思いつつ、しかし、ご教示いただいていることは、これを読み通すことでわかるはずだと思います。
仕事柄、3密を避けるために、比較的時間の余裕がある今、新たな勉強をしたいと思います。
ツイッターが使えませんので、ここでお礼を申し上げます。
* *
さて、このエントリーでは、用例を探し選ぶということについて、少し書いてみようと思います。
もう何十年前になりますか、ある学参を書くにあたって、漢文の各句法について、多くの用例が必要になりました。
今のように電子機器やインターネットが整備されていなかった頃なので、それはもう大変な作業で、紙のカードに用例を書いては整理、書いては整理を繰り返していました。
もちろん他社の学参なども参考にするのですが、今はそれほどでもないようですが、どの学参も判で押したように同じ用例が載っているのに驚きました。
中にはどの学参にも載っているのに、原典にあたってみると文字の異同があったり、そもそも中国の文ではなかったり。
それでも途方もない時間をかけて集めた用例を学参に反映すると、今度は現場の先生方の評判がよろしくないとのこと。
なんでも、聞いたことのない文なので使いにくいらしいのです。
私は有名であることよりも、その句法を一番理解しやすい用例という観点で選んだのですが、知らない用例だと「とっつきにくい」のだそうで、それは要するに、生徒がとっつきにくいというより、用例の意味を予習する手間が面倒なのでは?と、若気のいたりから憤慨したりもしました。
その後、劇的に電子機器や情報網が整備されて、用例を探す作業は紙から電子機器に移りました。
いちはやく書籍の電子データが用例探しには大きな力を発揮すると考え、地道に電子データを入力したり、獲得したりしてはため込み、検索しやすいように加工して、用例検索は紙の時代とは比較にならない量を相手にすることができるようになりました。

それでも、学参に用いる用例は、用いられた時代を考慮しつつ、少しでもわかりやすく、できるだけ文の基本成分が揃ったものを用いるべしと心に刻み、どの学参にも載ったことのないようなものでも、条件が揃っていれば用いるようになりました。
どうしてもうまく見つからないときには、四庫全書にあたったり。
それでなければ、もう「少なくともよく用いられる形ではないのだ」と判断するまで。
現在、時代ごとに分類した200種弱の書籍(代表的なものはほぼ網羅)から検索をかけ、よい用例が見つかれば、必ず紙の原典にあたり、文字の異同を確認したり、前後の文脈から確かに求めている用例であることを確かめて、初めて採用しています。
『真に理解する漢文法』も『体系漢文』も、同様に用例を探し選んでいますので、採用された用例が、ほとんど基本成分の整ったものであることにお気づきでしょうか。
同じような作業をしている人がたぶん世の中には大勢いらっしゃると思います。
ただ、必ず原典にあたって確かめるという姿勢を失ってほしくはないものです。
自らを戒めるとともに、みなさまにおかれても、ぜひこころがけてください。