「所従来」について再び
- 2020/09/28 07:22
- カテゴリー:漢文の語法
(内容:以前のエントリーで述べた「所従来」の意味について、「所」の用法を踏まえての再論。)
「『所従来』の意味は?」というエントリーを書いたのは、もう2年も前のことです。
「『問所従来』の『従来』はどう説明されるのですか?」という若い同僚の問いかけに対し、即座に明快な答えを返せずに、あれこれと虚詞詞典を調べたり、「問所従何処来」の省略形と説明された書物に対して、そのような例が実際には見られないことについて考察したりしました。
しかし、それは私自身が「所」という字の働きについて、実は何もわかっていなかったということの証でもあります。
中国の代表的な虚詞詞典である『古代漢語虚詞詞典』(商務印書館1999)には、次のように説明されています。
“所”与动词(或者与“介词+动词”)结合在一起才能充当句子中一个成分。当“所”与它们相结合的时候,必须放在它们前面。一般把“所”字与其后面的动词(或者与“介词+动词”)总括起来称“所”字结构。“所”字结构是一个名词性的短语。
(「所」が動詞と(または「介詞+動詞」と)共に結びついて文中の一つの成分になることができる。「所」とそれらが結びつく時、必ずそれらの前に置かれる。一般に「所」字とその後の動詞(または「介詞+動詞」)をまとめて「所」字結構と呼ぶ。「所」字結構は一つの名詞性の句である。)
古典中国語文法では概ねこのように説明されていると思いますが、それに基づいて、私は「所」を、「対象を表す名詞句をつくる構造助詞」と説明してきましたし、旧著にもそのように述べました。
しかし、それにもかかわらず「問所従来」の構造を明快に答えられない、また「問所従来」が「問所従何処来」の省略形だとする誤った説明に対して、即座にあり得ない表現だと断じ得ない、それは繰り返しますが、私自身が「所」を実は何も理解していなかったことの証左に違いありません。
「所」という字の働きを「名詞句を作る構造助詞」とし、「所~」(~する所)で「~するもの・こと」という意味を表す名詞句だとするのは、きわめて合理的で、わかったつもりになりやすい明快な説明です。
授業で生徒に教える時にも、「所B」(Bする所)で「Bするもの」の意味の名詞句だというのを基本に据えて、それをAが連体修飾すれば、「A所B」(AのBする所)で「Aの、Bするもの→AがBするもの」という意味になる。
また、「所B」がCを連体修飾すれば、「所BC」(Bする所のC)で「BするものであるC→BするC」という意味になる。
これらがさらに合体すれば、「A所BC」(AのBする所のC)で「AのBするものであるC→AがBするC」という意味になる。
こんなふうに説明すれば、なるほどと思えてしまうわけで、これはこれで受験指導としては合理的でわかりやすい解説なのかもしれません。
しかし、それは一見「句法の丸覚え」ではない「文法的に説明されたもの」のように見えながら、結局はこの理屈自体を「丸覚え」したものに過ぎません。
事実として、「所」の働きをきちんと理解した上での説明ではないから、「問所従来」の構造につまるわけです。
先日、授業で、「汝与光義皆我所生」(あなたと光義とはどちらも私が生んだ子だ。 『続資治通鑑長編』)の「我所生」について、試しに「我のソレを生むソレそのもの」と説明してみたら、生徒はもうキョトンとしてしまいました。
また、「汝自知所以得天下乎」(あなたは自分で天下を得た理由がわかっていますか。 同上)の「所以得天下」について、「ソレを理由に天下を得たソレそのもの」と説明すると、これまたキョトンとされてしまいました。
キョトンとされてしまう以上、説明の方策は練っていく必要はありますが、この説明自体がわからないということは、生徒が「所」の働きがわかっていないということの証拠でもあります。
つまり、私は生徒に対して「所」の根本的な働きをきちんと教えていなかったということです。
松下大三郎氏は『標準漢文法』で、「所」を第二種の複性詞とします。
この「複性詞」について、次のように定義されています。
一つの詞でありながら直接の統合關係なき二つ(或は其れ以上もあり得る)の概念を表はすものを複性詞といふ。その表はす二つの概念は直接の統合關係はないが、他詞の媒介に因つて間接の關係を生ずる。
第一種に分類される「盍」「闔」については、『標準漢文法』をお読み頂くとして、「所」については、次のように説明されています。
父遺貨財而死。子浪費父之所遺。
(中略)漢文ではこの「所」は父の遺した「貨財」を指すので下の動詞「遺」の表はす動作の客體たる「所(ソノモノ)」を指す詞である。故に子が父の遺した「所(トコロ)」の其れを浪費したので「所」は「浪費」といふ動詞の客語である。然るに又一面から觀ると「所」は「遺」といふ動詞の客體でもある。何となれば「遺」は何を遺すのかと云ふと「所(ソノモノ)」(貨財)を遺すのである。卽ち(中略)「所」は「遺」の客體であると同時に「浪費」の客體である。貨財といふ同一物でありながらその概念の運用から云ふと二つである。それ故之を複性だと云ふのである。
「所」は「遺」に對してその客體を表はすが、其の表はし方は名詞的ではなくて副詞的である。卽ち「所」の第一面が「遺」に對する效力は副詞的である。併しその第二面が「浪費」に對する效力は名詞的である。「所」はこの場合副詞部と名詞部との二部を有するのである。
ですから、私は先の「汝与光義皆我所生」の「我所生」について、「所生」を「ソレを生むソレそのもの」と説明したわけです。
「所」は「生」の客体であると同時に、「我」の修飾を受けた上で、主語「汝与光義」に対する述語を担っています。
また、「所」は「生」に対して副詞的に働いていますが、主語「汝与光義」に対しては名詞的で、判断文の述語として機能しています。
このような「所」の働きについては、西田太一郎氏の『漢文法要説』(朋友書店)にも詳しく述べられています。
氏は、「所」を「何かを(に・で・から)△する(である)何か」を意味する特殊な代詞として、便宜的に「所」を「ソレ」として、「ソレヲ△スルソレ」と説明しています。
松下氏も西田氏も、「所」の用法についての分析は詳細を極めているのですが、それについては直接著書をお読みいただくとして、ただ、このような説明は現在まずなされず、単に「名詞句を作る働き」、または良くても「客体を表す名詞句を作る」としか説明されないのが実情です。
さて、話を先頭に戻しましょう。
陶淵明の『桃花源記』において、村人たちの漁人の来村に対する反応は、次のように記されています。
見漁人、乃大驚、問所従来。
この「所従来」こそが、私が同僚にその構造を即答できなかった部分ですが、今は次のように説明することができます。
「所従来」は謂語「問」に対する賓語ですが、仮に「従」を起点を表す介詞だとすれば、「所(ソレ)」を「ソコ」と置き換えて、
「ソコから来たソコそのもの」を問う、つまり「どこから来た」かを問う。
また、「従」が事情を問うのであれば、「所」を「ソレ」として、
「ソレにより来たソレそのもの」を問う、つまり、「どういう事情で来たか」を問う。
それだけのことだったのです。
「所」の後に介詞がくれば、「所」は介詞の賓語になる。
なぜなら、介詞は形式的な動詞だからです。
したがって、「所」は介詞「従」に対してはその賓語であり、同時に「所従」は「来」の連用修飾語として機能するわけです。
また、「問所従何処来」という表現があり得ないのも当然です。
「所」が介詞「従」の賓語を務めているのに、同時に「従」が別に「何処」を賓語にとるわけがありません。
「問所従来」が「問所従何処来」の省略形だとするのは、「所」の機能がまるでわかっていないことから生じる誤りだと、簡単に否定できてしまいます。
松下、西田両氏が述べておられるように、「所」の働きは種々にわたり、簡単には済まされないのですが、根本を押さえるだけで、このように明快に説明できるのです。
語の働きの根本を知りもせずに、古典中国語文法に基づいて漢文を説明すると言ってみても始まらないということを痛感する経験でした。
「『所従来』の意味は?」というエントリーを書いたのは、もう2年も前のことです。
「『問所従来』の『従来』はどう説明されるのですか?」という若い同僚の問いかけに対し、即座に明快な答えを返せずに、あれこれと虚詞詞典を調べたり、「問所従何処来」の省略形と説明された書物に対して、そのような例が実際には見られないことについて考察したりしました。
しかし、それは私自身が「所」という字の働きについて、実は何もわかっていなかったということの証でもあります。
中国の代表的な虚詞詞典である『古代漢語虚詞詞典』(商務印書館1999)には、次のように説明されています。
“所”与动词(或者与“介词+动词”)结合在一起才能充当句子中一个成分。当“所”与它们相结合的时候,必须放在它们前面。一般把“所”字与其后面的动词(或者与“介词+动词”)总括起来称“所”字结构。“所”字结构是一个名词性的短语。
(「所」が動詞と(または「介詞+動詞」と)共に結びついて文中の一つの成分になることができる。「所」とそれらが結びつく時、必ずそれらの前に置かれる。一般に「所」字とその後の動詞(または「介詞+動詞」)をまとめて「所」字結構と呼ぶ。「所」字結構は一つの名詞性の句である。)
古典中国語文法では概ねこのように説明されていると思いますが、それに基づいて、私は「所」を、「対象を表す名詞句をつくる構造助詞」と説明してきましたし、旧著にもそのように述べました。
しかし、それにもかかわらず「問所従来」の構造を明快に答えられない、また「問所従来」が「問所従何処来」の省略形だとする誤った説明に対して、即座にあり得ない表現だと断じ得ない、それは繰り返しますが、私自身が「所」を実は何も理解していなかったことの証左に違いありません。
「所」という字の働きを「名詞句を作る構造助詞」とし、「所~」(~する所)で「~するもの・こと」という意味を表す名詞句だとするのは、きわめて合理的で、わかったつもりになりやすい明快な説明です。
授業で生徒に教える時にも、「所B」(Bする所)で「Bするもの」の意味の名詞句だというのを基本に据えて、それをAが連体修飾すれば、「A所B」(AのBする所)で「Aの、Bするもの→AがBするもの」という意味になる。
また、「所B」がCを連体修飾すれば、「所BC」(Bする所のC)で「BするものであるC→BするC」という意味になる。
これらがさらに合体すれば、「A所BC」(AのBする所のC)で「AのBするものであるC→AがBするC」という意味になる。
こんなふうに説明すれば、なるほどと思えてしまうわけで、これはこれで受験指導としては合理的でわかりやすい解説なのかもしれません。
しかし、それは一見「句法の丸覚え」ではない「文法的に説明されたもの」のように見えながら、結局はこの理屈自体を「丸覚え」したものに過ぎません。
事実として、「所」の働きをきちんと理解した上での説明ではないから、「問所従来」の構造につまるわけです。
先日、授業で、「汝与光義皆我所生」(あなたと光義とはどちらも私が生んだ子だ。 『続資治通鑑長編』)の「我所生」について、試しに「我のソレを生むソレそのもの」と説明してみたら、生徒はもうキョトンとしてしまいました。
また、「汝自知所以得天下乎」(あなたは自分で天下を得た理由がわかっていますか。 同上)の「所以得天下」について、「ソレを理由に天下を得たソレそのもの」と説明すると、これまたキョトンとされてしまいました。
キョトンとされてしまう以上、説明の方策は練っていく必要はありますが、この説明自体がわからないということは、生徒が「所」の働きがわかっていないということの証拠でもあります。
つまり、私は生徒に対して「所」の根本的な働きをきちんと教えていなかったということです。
松下大三郎氏は『標準漢文法』で、「所」を第二種の複性詞とします。
この「複性詞」について、次のように定義されています。
一つの詞でありながら直接の統合關係なき二つ(或は其れ以上もあり得る)の概念を表はすものを複性詞といふ。その表はす二つの概念は直接の統合關係はないが、他詞の媒介に因つて間接の關係を生ずる。
第一種に分類される「盍」「闔」については、『標準漢文法』をお読み頂くとして、「所」については、次のように説明されています。
父遺貨財而死。子浪費父之所遺。
(中略)漢文ではこの「所」は父の遺した「貨財」を指すので下の動詞「遺」の表はす動作の客體たる「所(ソノモノ)」を指す詞である。故に子が父の遺した「所(トコロ)」の其れを浪費したので「所」は「浪費」といふ動詞の客語である。然るに又一面から觀ると「所」は「遺」といふ動詞の客體でもある。何となれば「遺」は何を遺すのかと云ふと「所(ソノモノ)」(貨財)を遺すのである。卽ち(中略)「所」は「遺」の客體であると同時に「浪費」の客體である。貨財といふ同一物でありながらその概念の運用から云ふと二つである。それ故之を複性だと云ふのである。
「所」は「遺」に對してその客體を表はすが、其の表はし方は名詞的ではなくて副詞的である。卽ち「所」の第一面が「遺」に對する效力は副詞的である。併しその第二面が「浪費」に對する效力は名詞的である。「所」はこの場合副詞部と名詞部との二部を有するのである。
ですから、私は先の「汝与光義皆我所生」の「我所生」について、「所生」を「ソレを生むソレそのもの」と説明したわけです。
「所」は「生」の客体であると同時に、「我」の修飾を受けた上で、主語「汝与光義」に対する述語を担っています。
また、「所」は「生」に対して副詞的に働いていますが、主語「汝与光義」に対しては名詞的で、判断文の述語として機能しています。
このような「所」の働きについては、西田太一郎氏の『漢文法要説』(朋友書店)にも詳しく述べられています。
氏は、「所」を「何かを(に・で・から)△する(である)何か」を意味する特殊な代詞として、便宜的に「所」を「ソレ」として、「ソレヲ△スルソレ」と説明しています。
松下氏も西田氏も、「所」の用法についての分析は詳細を極めているのですが、それについては直接著書をお読みいただくとして、ただ、このような説明は現在まずなされず、単に「名詞句を作る働き」、または良くても「客体を表す名詞句を作る」としか説明されないのが実情です。
さて、話を先頭に戻しましょう。
陶淵明の『桃花源記』において、村人たちの漁人の来村に対する反応は、次のように記されています。
見漁人、乃大驚、問所従来。
この「所従来」こそが、私が同僚にその構造を即答できなかった部分ですが、今は次のように説明することができます。
「所従来」は謂語「問」に対する賓語ですが、仮に「従」を起点を表す介詞だとすれば、「所(ソレ)」を「ソコ」と置き換えて、
「ソコから来たソコそのもの」を問う、つまり「どこから来た」かを問う。
また、「従」が事情を問うのであれば、「所」を「ソレ」として、
「ソレにより来たソレそのもの」を問う、つまり、「どういう事情で来たか」を問う。
それだけのことだったのです。
「所」の後に介詞がくれば、「所」は介詞の賓語になる。
なぜなら、介詞は形式的な動詞だからです。
したがって、「所」は介詞「従」に対してはその賓語であり、同時に「所従」は「来」の連用修飾語として機能するわけです。
また、「問所従何処来」という表現があり得ないのも当然です。
「所」が介詞「従」の賓語を務めているのに、同時に「従」が別に「何処」を賓語にとるわけがありません。
「問所従来」が「問所従何処来」の省略形だとするのは、「所」の機能がまるでわかっていないことから生じる誤りだと、簡単に否定できてしまいます。
松下、西田両氏が述べておられるように、「所」の働きは種々にわたり、簡単には済まされないのですが、根本を押さえるだけで、このように明快に説明できるのです。
語の働きの根本を知りもせずに、古典中国語文法に基づいて漢文を説明すると言ってみても始まらないということを痛感する経験でした。