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2023年05月の記事は以下のとおりです。

「何所補」の意味は?

(内容:「何所~」(何の~する所ぞ)の意味について考察する。)

『貞観政要』に見える「何所補」という一節をどう読み、どう訳すかについて、疑問をもちました。

名君の誉れ高い唐の太宗が、役人から「林邑は蛮国で、外交文書も従順ではありません。派兵して討伐してほしい」という上奏文を受けて、「兵は凶器である」と述べながら否定的な見解を示す部分です。

但経歴山険、土多瘴癘。若我兵士疾疫、雖尅翦此蛮、亦何所補。(貞観政要・征伐)
(▼但だ山険を経歴し、土に瘴癘多し。若(も)し我が兵士疾疫せば、此の蛮に尅翦すと雖も、[何所補]。)
(▽(しかも林邑を征伐するためには)ひたすら険しい山を経なければならず、土地には病気も多い。もし我が兵士たちが病気なれば、この蛮国を攻め滅ぼしたとしても、[亦何所補]。)

この「亦何所補」は、「亦(また)何の補ふ所ぞ」とか「亦何の補ふ所あらん」などと読まれますが、「亦何(いづ)れの所にか補はん」と読まれることもありそうです。
また、どういう意味でしょうか?

文脈からは、たとえば「いったいどのような利益があろうか」という意味があてはまりそうです。
しかし、それが妥当かどうかは文法的に検証しなければなりません。

しかし、「亦」は「やはり」でしょう。
「我が兵士たちが病気になったら、やはり」です。
やはりこうであると、いくつか考えられる自分の見解の中から一つ取りだして述べるものだと思います。

私は「何所補」は「何か補うソレか」という意味ではないかと考えます。
つまり、兵士に甚大な被害を与えて、それを補いようがない事態になると、太宗は述べているのではないでしょうか。
林邑を攻めることによる利益を述べるのではなく、「兵士に甚大な被害を与えて、どう補いようがあろうか」と、損失を述べているのだと思うのです。

この箇所に先立ち、太宗は兵力を極めて他国を侵略しようとして滅んだいくつもの国主の例を挙げています。
前秦の符堅しかり、隋の煬帝しかり、突厥の頡利しかりです。
だから、後漢の光武帝の「ひとたび兵を発するごとに覚えず頭髪白と為る」という言葉を引き、兵力の行使が一歩間違えば国の滅亡につながることを説くのです。
この箇所の「何所補」の意味は、やはりこの文脈から考えなければなりません。

「何所補」という表現は他にもありそうなので、検索をかけてみました。
いくつか例を挙げてみましょう。

・蕞爾之体、自貽茲患、天地神明、曷能済焉。其烹牲罄群、何所補焉。(抱朴子内篇・道意)
(▼蕞爾(さいじ)の体、自ら茲(こ)の患ひを貽(のこ)す、天地神明も、曷(なん)ぞ能く済はん。其の烹牲群を罄(つ)くすも、[何所補焉]。)
(▽(自分の不摂生ゆえに病気になって、)小さな体が、自分でこの災いをのこす、天地の神々もどうして救うことができようか。その煮たいけにえを供え尽くしても、[何所補焉]。

この「何所補焉」は、岩波文庫「抱朴子」(1942)では、「何ぞ補ふ所あらん」と読まれています。
読み方にも色々あるようですね。
しかし読み方はともかくとして、文法的には「何かこれに補うソレか」だと思います。
つまり、どれだけいけにえの数を尽くしても、何の足しにもならないということでしょう。

・京城之外非復朝廷之有、纂今還都、復何所補。(晋書・載記・呂光呂纂呂隆)
(▼京城の外は復た朝廷の有に非ず、簒今都に還るとも、復た[何所補]。)
(▽都の外はもはや朝廷の所有ではない、呂纂が今都に帰ってきても、さらに[何所補]。)

これも「何の補ふ所あらん」、あるいは「何の補ふ所ぞ」でしょうか。
都の外が朝廷の所有でない状況、呂纂が帰ってきても、「何か補うソレか」、つまり何の助力にもならないということでしょう。

・毒流赤県、絶吭仰薬、何所補焉。(旧唐書・盧携伝)
(▼毒赤県に流れ、吭(のど)を絶ち薬を仰ぐも、[何所補焉]。)
(▽(黄巣の乱により)毒が中国全土に流れてから、(盧携が)喉を断ち毒薬を仰いでも、[何所補焉]。)

これも、事態がのっぴきならない状態になってから、盧携がひとり自殺したところで、「何かこれに補うソレか」です。
つまり、何の足しにもならないです。


総じて「何所補」は、悪い状況を放置したり、よくないことを断行して、どうにもならなく行き詰まってから、何かをしようとしても、もう事態を打開したり好転させることはできない時に用いられています。
要するに、「何か補うソレか」であって、「補うソレ」は何もないのです。

したがって、『貞観政要』の「亦何所補」も、「やはり何か補うソレか」すなわち「やはり損失を補いようがない」と解釈するのが適切だと思います。
「何の救いにもならない」「何の足しにもならない」「もはや間に合わない」といってもいいでしょうか。

ところで、「何所―」の形式は「何の―する所ぞ」「何の―する所あらん」と読まれるのが一般的だと思いますが、「何(いづ)れの所にか―せん」と読まれることもあるようです。
私自身、「所」の用法について熟考する以前は、「何所」が「何処」と同じ意味で用いられることがあるなどと論じ、そのように書きもしたのですが、最近は本当だろうか?と疑うようになりました。
この「所」は「処」ではなく、「所」の用法そのままに用いられているのでは?と思うわけですが、いずれそのことについても考えてみたいと思います。

『為人』は性格の意か?

(内容:通常「性格・人柄」の意味とされる「為人」(ひととなり)について、別の意味があることを指摘する。)

『十八史略』を読んでいて、そこで用いられていた普通「性格」と訳される「為人」(ひととなり)の意味について疑問をもちました。

・越王為人長頸烏喙。可与共患難、不可与安楽。(十八史略・春秋戦国)
(▼越王の人と為り長頸烏喙(ちやうけいうかい)なり。与(とも)に患難を共にすべきも、与に安楽を共にすべからず。

この「為人」は、入試問題などでも読みや意味がよく問われる語句です。
すなわち「ひととなり」という読みか、あるいは語義として「性格・人柄」を答えさせることが多いと思います。
しかし、この例で用いられている「為人」は「性格」という意味でしょうか?

ここでの発言者である范蠡の意図は、「越王句践の性格は残忍である」と述べることにあります。
しかし、その越王の性格はあくまで「長頸烏喙」に喩えられたその容貌から見て取れるということであって、范蠡が口にした「為人」は、性格そのものではなく、あくまで容貌です。

気になったので、手許の漢和辞典を4つほど引いてみました。
すると、「ひとがら。人の性質」「人柄。人としてのふるまい」「人がもっている性質」「生まれつき。人柄」などとあり、辞書により記述は微妙に違いますが、だいたい同じ内容で、要するに「性質・人柄」の意としています。
ついでに、『大漢和辞典』も引いてみましたが、「人となり。うまれつき。性質。人柄。」とあるばかりです。
案外な気がしました。

中国ではどのように解されているのか興味がわき、『漢語大詞典』を引いてみました。

・指人在形貌或品性方面所表現的特徵。
(外見や性格など、その人の特徴を表すもの。)

この辞書の説明には、「品性」以外に「形貌」が含まれています。
私は、「越王為人長頸烏喙」の「為人」は、むしろ「形貌」を指しているのではないかと考えます。

ところで、同様の記述は、後漢の王充による『論衡』にも見えます。

・越王為人長頸鳥喙、可与共患難、不可与共栄楽。(論衡・骨相)
(▼越王の人と為りは、長頸鳥喙にして、与に患難を共にすべきも、与に栄楽を共にすべからず。)
(▽越王の人相は首が長く口が突き出ていて、患難を分かちあえるが、安楽を共にすることはできない。)
 …読みと訳は『新釈漢文大系68・論衡』(明治書院1976)による。

『論衡』では「烏喙」ではなく「鳥喙」に作るのですが、それはさておき、大事なのは、「骨相篇」の記述であるということです。
顔貌や体貌の異が人の性質や運命に深く関わることを述べた篇で、越王の容貌が取り上げられているわけです。
つまり、「長頸烏喙」は越王の人柄や性質そのものではなく、それを知らせる人相なのです。

ということは、ここでの「為人」はやはり「性格」というよりは「容貌」「人相」という意味だというべきです。
「為人」が「性格・人柄」を指す語句であるということは、よく出題されることであるがゆえに押さえておかなければならない知識ですが、いつも必ずそういう意味になるとは限らないということも、生徒達に伝えておく必要がありそうです。

さて、この「為人」という表現は、「ひととなり」と訓読してはいますが、古典中国語としては、「人である」「人であること」という意味です。
「人」は単独で「人である」という動詞的な意味をもち、それだけで名詞謂語になることができますが、これを「為人」(人たり)といえば、その「たり」(である)の意を、「為」が確認する働きをしているのです。
したがって、「為人」は「人である」ことそのものを表し、人を人たらしめているもの、たとえば性格や人柄を表すこともあれば、それをうかがわせる外貌や人相を指すこともあるのです。

また、「ひととなり」という日本語について、白川静の『字訓』を引いてみると、『類聚名義抄』を参照して、

・〔名義抄〕に「天性 ヒトヽナリ。性 人トナリ、人トナル」、また「長 ヒトヽナル、オトナツク。毓・長成 ヒトヽナル」とあり、「ひととなり」と「ひととなる」とは、もと異なる語である。それが同じ語のように扱われるのは「為人」という語を「人となる」と訓読したことから混乱したもので、「為人」とは「人たること」「その人としてのありかた」をいう。為(い)は漢文法では同一の関係を示して、下文に補語をとる同動詞といわれるものである。

つまり、白川氏は「ひととなり」に注して、

・人の生れつきのもの。のちの「人がら」などにあたる名詞である。「ひととなる」は生長する意の動詞に用いるが、もと訓読語のようである。

として、「ひととなり」と「ひととなる」は別の語であるとしています。
ただ、「性」の説明に「人トナリ」と「人トナル」が併記されているように、『名義抄』の時代にすでに混乱が生じているようです。

成長するの意で「為人」といえば、「為」は「なる」の意で、一人前の人という状態に「なる」ということ。
一方、性格の意で「為人」といえば、「為」は「である」の意で、人である状態「である」で、「人」のもつ動詞性を取り出して確かめる表現といえるのではないかと思います。
その性質を白川氏は同動詞という言い方をされているのでしょう。

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