「命中」とはどういう意味か?・2
- 2022/07/25 12:27
- カテゴリー:漢文の語法
(内容:「命中」という言葉の意味について考察する、その2。)
「中」の字の原義については諸説あるところですが、日本は加藤常賢『漢字の起源』(角川書店1970)、白川静『字統』(平凡社1999)、中国では李学勤『字源』(天津古籍出版社2012)などは、旗竿の象形に解しています。
旗竿は真ん中に棒を通してあるらしく、それがいわゆる「なか・中心」という意味を表すことになったのでしょう。
一方、朱駿声は『説文通訓定声』で、「□」と「|」の会意として、「上下通」すなわち、|が□を上下に貫く意に解し、「当たる」が原義であるとします。
「□」は射の的で、「|」がその真ん中を貫くわけです。
これを藤堂明保は『漢字語源辞典』(学燈社1965)で、「□印は的とは限るまい。」として、「枠の中を棒状の物がつきぬけて,両端の抜け出るさまを表わす。『命中・まん中・まん中を通す』などの意味を表す」と論じています。
つまり「なか・中心」が原義とする説と、「当たる」が原義とする説の2つあるわけですが、どうあれ、「中」の字に「当たる」という意味があるのは、字のなりたちそのものに関連があるわけです。
一方、「命」の字については、「令」+「口」からなり、基本的には「令」と同義の字のようです。
「令」は「△」+「⼙」からなる字だそうです。
「⼙」は人の屈服した姿を表しますが、「△」については、藤堂明保が「集める」の意に解しているのに対して、加藤は「叫ぶ」そして「教える」の意とする点が異なります。
どうあれ、屈服した人に言いつけて従わせるというのが「令」ということです。
「命」はそれに「口」を付して、声を出して指示し従わせるというのが、原義ということになります。
屈服した人に「叫ぶ」または「教える」というのは、その人たちのまだ知らぬこと、わからぬことを教え諭すに通じます。
藤堂が「しかし名と命とは,実は同じコトバであり,相手に対し,相手の知らない何事かを, 口でもってわからせる動作にほかならない。命名と熟して用いられるのは, そのためである。」と述べているのは興味深いことです。
してみると、「命」は「命じる」「教えてさせる」を原義として、わからぬものを教え諭す意から「名づける」という意味を表すことになります。
顔師古が「命中」について、
・命中者所指名処即中之也。
と注したのは、「命」を「指名する所の処」と説明したわけで、「射るのはあそこだ」と名づけるからの解釈とも「あそこに射ろよ」と命令するからの意ともとれそうです。
このあたりの解釈が、漢和辞典によって、この「命中」の語を、「めあて・目標」に寄せるか、「名づける」に寄せるかに分かれさせているのかなと思いますが、そのまま「命令する」の意味でも解せるかもしれません。
さて、肝心の次の句、
・力扼虎、射命中。
これをどう解するかが本題です。
「力は虎をひしぎ、射は命中する」と、我々の理解の「命中」で解してしまえばそれまでのことです。
案外それでもいいのかもしれません。
しかし、「命中」ということばが生まれたその時に立ち返って、班固がどういう意味で用いたのかをもし考えてよいのなら、可能性としてはいくつかあります。
ただし、「命中」は、「力」と「射」が対になる表現なので、「射は『命中』」で考えなければなりません。
まず、「命ずるままに中たる」(あそこに射ろよと命じた通りに当たる)です。
「命じて中たる」と読んでもよいかもしれません。
これは、「命」という動詞が「中」の修飾語であるという解釈です。
次に「命ずれば中たる」(あそこに射ろよと命じると当たる)です。
これも「命」が「中」の修飾語であるという点においては前と同じですが、仮定を含んだ意で解する点が異なります。
つまり、「命則中」(命ずれば則ち中たる)の意に解するものです。
『国宝 漢書 宋慶元本』(朋友書店1977)がこの読みになっています。
どちらでも解釈できそうなのですが、無理があると承知の上で、もう一つ考えたいのが、「中たるを命(ずるところ)にす」(当たるのをそこに射ろよと命じたところにする)です。
無理があるかもと思いながらこれを提示するのは、「力扼虎、射命中」が対になる表現だからです。
対になっているのだから、必ず構造が同じでなければならないわけではないと思います。
しかし、一つの解釈としては検討の余地がないでしょうか。
「力は虎をひしぎ(=それほど勇猛で)、射は当たるのを命じたところにする(=それほど正確である)」という対句表現は意味としては通るかなと思います。
この場合、顔師古のつけた注から、「命」を「指定」「めあて」「目標」と解する必要は特にないのではないでしょうか。
顔師古は「命中」の状況を説明したのであって、この「命」が命令するの意ではなく、「なづける」の意だと言ったわけではないのですから。
「命中」の意味は何かという生徒の問いに、色々考えてみました。
「中」の字の原義については諸説あるところですが、日本は加藤常賢『漢字の起源』(角川書店1970)、白川静『字統』(平凡社1999)、中国では李学勤『字源』(天津古籍出版社2012)などは、旗竿の象形に解しています。
旗竿は真ん中に棒を通してあるらしく、それがいわゆる「なか・中心」という意味を表すことになったのでしょう。
一方、朱駿声は『説文通訓定声』で、「□」と「|」の会意として、「上下通」すなわち、|が□を上下に貫く意に解し、「当たる」が原義であるとします。
「□」は射の的で、「|」がその真ん中を貫くわけです。
これを藤堂明保は『漢字語源辞典』(学燈社1965)で、「□印は的とは限るまい。」として、「枠の中を棒状の物がつきぬけて,両端の抜け出るさまを表わす。『命中・まん中・まん中を通す』などの意味を表す」と論じています。
つまり「なか・中心」が原義とする説と、「当たる」が原義とする説の2つあるわけですが、どうあれ、「中」の字に「当たる」という意味があるのは、字のなりたちそのものに関連があるわけです。
一方、「命」の字については、「令」+「口」からなり、基本的には「令」と同義の字のようです。
「令」は「△」+「⼙」からなる字だそうです。
「⼙」は人の屈服した姿を表しますが、「△」については、藤堂明保が「集める」の意に解しているのに対して、加藤は「叫ぶ」そして「教える」の意とする点が異なります。
どうあれ、屈服した人に言いつけて従わせるというのが「令」ということです。
「命」はそれに「口」を付して、声を出して指示し従わせるというのが、原義ということになります。
屈服した人に「叫ぶ」または「教える」というのは、その人たちのまだ知らぬこと、わからぬことを教え諭すに通じます。
藤堂が「しかし名と命とは,実は同じコトバであり,相手に対し,相手の知らない何事かを, 口でもってわからせる動作にほかならない。命名と熟して用いられるのは, そのためである。」と述べているのは興味深いことです。
してみると、「命」は「命じる」「教えてさせる」を原義として、わからぬものを教え諭す意から「名づける」という意味を表すことになります。
顔師古が「命中」について、
・命中者所指名処即中之也。
と注したのは、「命」を「指名する所の処」と説明したわけで、「射るのはあそこだ」と名づけるからの解釈とも「あそこに射ろよ」と命令するからの意ともとれそうです。
このあたりの解釈が、漢和辞典によって、この「命中」の語を、「めあて・目標」に寄せるか、「名づける」に寄せるかに分かれさせているのかなと思いますが、そのまま「命令する」の意味でも解せるかもしれません。
さて、肝心の次の句、
・力扼虎、射命中。
これをどう解するかが本題です。
「力は虎をひしぎ、射は命中する」と、我々の理解の「命中」で解してしまえばそれまでのことです。
案外それでもいいのかもしれません。
しかし、「命中」ということばが生まれたその時に立ち返って、班固がどういう意味で用いたのかをもし考えてよいのなら、可能性としてはいくつかあります。
ただし、「命中」は、「力」と「射」が対になる表現なので、「射は『命中』」で考えなければなりません。
まず、「命ずるままに中たる」(あそこに射ろよと命じた通りに当たる)です。
「命じて中たる」と読んでもよいかもしれません。
これは、「命」という動詞が「中」の修飾語であるという解釈です。
次に「命ずれば中たる」(あそこに射ろよと命じると当たる)です。
これも「命」が「中」の修飾語であるという点においては前と同じですが、仮定を含んだ意で解する点が異なります。
つまり、「命則中」(命ずれば則ち中たる)の意に解するものです。
『国宝 漢書 宋慶元本』(朋友書店1977)がこの読みになっています。
どちらでも解釈できそうなのですが、無理があると承知の上で、もう一つ考えたいのが、「中たるを命(ずるところ)にす」(当たるのをそこに射ろよと命じたところにする)です。
無理があるかもと思いながらこれを提示するのは、「力扼虎、射命中」が対になる表現だからです。
対になっているのだから、必ず構造が同じでなければならないわけではないと思います。
しかし、一つの解釈としては検討の余地がないでしょうか。
「力は虎をひしぎ(=それほど勇猛で)、射は当たるのを命じたところにする(=それほど正確である)」という対句表現は意味としては通るかなと思います。
この場合、顔師古のつけた注から、「命」を「指定」「めあて」「目標」と解する必要は特にないのではないでしょうか。
顔師古は「命中」の状況を説明したのであって、この「命」が命令するの意ではなく、「なづける」の意だと言ったわけではないのですから。
「命中」の意味は何かという生徒の問いに、色々考えてみました。