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2018年11月の記事は以下のとおりです。

「従来」の「来」

(内容:「従来」の「来」の意味と働きについて考察する。)

「所従来」については、前エントリーで臆説を述べましたが、いわゆる「従来」、つまり「今まで・これまで」の意の副詞としての用法については、まだ触れていません。
前エントリーで紹介した『古代汉语虚词词典』(商务印书馆1999)には、

由介词“从”和助词“来”构成。
(介詞“従”と助詞“来”により構成される。)

と説明してあるわけですが、介詞「従」はともかくとして、「来」の字義が問題です。

「来」は「麥(麦)」の象形字で、この点については諸説ほぼ一致しています。
しかし、それがなぜ「来る」という意味を表すのかについては、さまざまな説があるようです。
藤堂明保氏の『漢字語源辞典』(学燈社1965)には、

来の字形を見ると、両わきに実った穂が垂れている。ムギを*mləgと称したのは,おそらく賚ライと同系であり,上から下にたまわる,さずけられるという意味を含んだに違いない。来麰ライボウとは「賜わったムギ」との意味である。上から下へと送られてきた物であるから,やがて先方から当方へと来るという意味を派生した。降来とか出来とかの来には,なおその意味が含まれており,当方の意志とは無関係に,何かが眼前に現われてくることを表す。

と述べてあります。
そもそも『説文解字』の「来」にも、

周所受瑞麦来麰。一来二縫、象芒朿之形。天所来也。故為行来之来。詩曰、詒我来麰。
――周の受くる所の瑞麦来麰なり。一来に二縫あり、芒朿の形に象る。天の来(きた)す所なり。故に行来の来と為す。詩に曰はく、我に来麰を詒(おく)ると。
(周王朝が天から受けためでたい麦、来麰である。一茎に二穂があり、穂のとげにかたどる。天が来すものである。ゆえに行来の来とする。『詩経』に「わが民に来麰をおくる」という。)

してみると、「来」はムギゆえに「来る」の意味を派生したということになるのですが、加藤常賢氏につながる山田勝美・進藤英幸両氏は『漢字字源辞典』(角川学芸出版1995)に、「来」を「麥」(麦)の象形字とした上で、

「くる」という通用義は殷代以来使われているが借用であって、その意味の本字としては金文第三字めにも「逨」が使われている。

と述べており、仮借義としています。
中国の研究でも、仮借とする説が多いようで、本当のところははっきりしません。
どうあれ、「来」が「来る」という意味をもつのは、かなり古くからの用法のようです。
そこからの引申義で、未来、将来などの意味、至る、招くなどの意味も生まれてきたわけですね。

ところで、「来」は動詞「来る」の意味とは別に、賓語の倒置を示す結構助詞的な働きをしたり、語気詞として感嘆や命令、呼びかけの語気を表したり、趨向補語として用いられるなど、さまざまな用法で用いられるのですが、ここで取り上げたいのは、いわゆる「従来」(今まで・これまで)の意で用いられる用法です。

冒頭で引用した『古代汉语虚词词典』では、「来」を助詞としています。
つまり動詞とは扱いを別にしているわけです。
同書に次のように書かれています。

二、“来”附加在某些动词、形容词、时间词、数词等后,表示一种趋向。可仍译为“来”,有时可随上下文义灵活译出。
(“来”はある種の動詞や形容詞、時間詞、数詞等の後に付加して,一種の方向を表す。そのまま“来”と訳してもよく,ある場合は上下の文脈に照らして弾力的に訳してもよい。)

そしてこの項目の中で、

(三)时间词后加“来”,表示某一时间或自某时以后至说话时的一段时间。
(時間詞の後に“来”を加え,ある期間またはある時以降話をしている一定の期間までを表す。)

と述べられています。
この「表示某一时间」というのは、例に挙げられているものをいくつか示せば、

(1)適来飲他酒脯,寧無情乎?(《捜神記・管輅》…原文簡体字
(さきほど彼の酒と肉を食べたのに、情なしというわけにもいかないだろう。)

(2)又及其子祥云:“我唯有一子,死后勿如比来威抑之。”霊太后以其好戯,時加威訓,国珍故以為言。(《北史・胡国珍伝》…原文簡体字
(胡国珍は、さらにその子の祥に言い及んで、「私には一人息子がいるだけです、私の死後今までのようにこの子に圧迫なさらないでください。」と言った。霊太后は戯れを好んで、時に威圧的な教訓を加えたので、国珍はことさらに口にしたのである。)

(3)急呼其子曰:“此曲興自早晩?”其子対曰:“頃来有之。”(隋書・王令言伝)…原文簡体字
(王令言は急いで彼の子を呼び、「この楽曲はいつの頃より生まれたのか。」と言うと、彼の子は「最近です。」と答えた。)

のように、「適」(たった今)、「比」「頃」(近頃)のような時間詞の後に置かれて、一定の期間を表すわけです。
他にも「夜来」(夜間)「今来」(いま)などの形でも用いられます。

いわゆる「従来」は、「自某时以后至说话时的一段时间。」に相当します。

(B)表示某一时间以来。
(ある一時点以降を表す。)

(1)但看古来盛名下,終日坎壈纏其身。(《杜工部集・丹青引贈曹将軍覇》)…原文簡体字
(しかし見たまえ昔から盛んな名声のもと、終日不遇がその身にまとわりつくものだ。)

(2)聞道近来諸子弟,臨池尋已厭家鶏。(《柳河東集・殷賢戯批書後寄劉連州并示孟崙二童》)…原文簡体字
(聞けば最近の子弟達は、書法が家鶏(王羲之)を厭うようになったとのこと。)

(3)爾来又三歳,甘沢不及春。(《王谿生詩集・行次西郊作一百韻》)…原文簡体字
(それ以来さらに三年、恵みの雨が春に降らない。)

(4)不堪有七今成九,傖父年来老更傖。(《誠斎集・早炊商店》)…原文簡体字
((嵇康は)堪えられないものに七つあると言ったが今私は九つもある、野暮な田舎者である私はここ数年来さらに野暮になってきた。)

ある特定の時点を起点としてそれ以降の幅のある期間を表すのがこの「来」の用法です。

「来」は最初にも述べたように「来る」を原義として、その引申義として「至る」という意味が生まれたわけですが、ここまでは動詞としての働きです。
それが「来る・至る」という動詞としてのふるまいが虚化され、動作の方向を表すようになった。
いわゆる趨向補語としての働きが「来」にはあるのですが、それとは別に時間詞や数詞の後に置かれて、ある一定の期間を表したり、特定の時点を起点とする期間を表したりするようになったと思われます。
「――来」の働きは主に副詞として謂語を修飾します。
その意味で、動詞ではなく助詞に分類されるのでしょう。

数学のことはさっぱりわかりませんが、大昔に習ったベクトルという用語を久しぶりに思い出しました。
矢印のある語なのですね、「従来」は。

素直に尋ねることも大切です

(内容:不明なことについては自分できちんと調べるべきだが、どうしてもわからない時には、素直に他人に聞いてみることも大切だと実感した経験。)

「わからないことがある時は、きちんと調べる」をモットーに、自分を戒め、若い同僚たちにもそう言い聞かせながら、漢文に臨んでいると、それなりに色々な知識や教養も身につきます。
そういう視点から巷に出回っている受験用参考書や問題集に接していると、致命的な誤りを見つけてしまうことが、けっこう頻繁になります。
老婆心から、誤りは誤りとして、まめに出版社に連絡するようにしています。
クレーマーではなく、現場の先生が混乱したり、誤った情報を鵜呑みにしてしまわれないように、もっと言うなら現在の漢文教育が向上するようにという思いから、お節介だとは知りつつ、連絡してしまうのです。

数年前、現行のある受験用問題集や参考書を売り出している有力な出版社に、採用している問題集の誤りを宣伝員を通じてお知らせしたことがあります。
題材自体は面白いのですが、困ったことに読みや解釈、設問、解説に至るまで、あちこちに誤りが見られ、ひどい場合には1ページに何ヶ所もあるので、これはいくらなんでもと思ったわけです。
何十ヶ所もの誤りについて、一つひとつなぜ誤りといえるのかについて、古典中国語文法に照らしながら、丁寧に説明をしました。
編集部から、よく飲み込めないから再度教えてほしいという連絡があったので、さらに詳しく説明したり。

その後、改訂された問題集を拝見すると、いくつかは直してありましたが、致命的な誤りとして指摘したことが直されずに、そのままになっているものもありました。
これはおそらく編集部の方が悪いのではなく、執筆者のプライドによるのでしょうね…あくまで想像ですが。
私も教科書や参考書の執筆に携わっていますから、そのあたりの事情は大体わかります。
問題集の直接の執筆者はたぶん高等学校の現場の先生でしょうから、漢文がご専門という立場から、第三者に自らの誤りを指摘されると、プライドが傷ついてしまわれるのでしょう。
幸いにして、私の場合は共に仕事をしている編集員が教養あり非常に有能な方なので、誤っているとわかっているのに改めないでいるなどということが許されず、根拠に基づいてこちらも強く言うがあちらも強く言うという切磋琢磨の関係にあるので、書き手と編集者の理想的な関係が築けているのですが、どちらかが強すぎると、おかしな本を作ってしまうのでしょうか。

誤っていますよというご指摘は、その指摘が妥当であるか否かにかかわらず、改めて自己の見識を見直すチャンスになります。
そしてわからないことは、きちんと調べ、そしてどうしてもわからないことは、わかるかもしれない人に尋ねてみる、そんな柔軟性が必要だなといつも思います。
そのために恥をかくことだって多いのですけれども。

さて、本題です。
「どう調べてもわからないことは、素直に尋ねるべし」と思い知った出来事を一つ、恥をさらす覚悟でお話ししましょう。

「従来」について調べていた時のこと、「来」の用法を何乐士の『古代汉语虚词词典』(语文出版社2006)にあたってみました。
すると、語綴助詞としての説明に次のように記されていました。

用于部分动词、形容词和时间副词后,作后缀助词,表示一种发展趋势或处于某种情况。

この「部分動詞」という見慣れないことばがひっかかりました。
それに続いて、「用于部分动词之后作补语,…」とあるので、誤植ではないようです。
「部分動詞」とはいったいどんな動詞のことを指すのだろう…と、調べてみることにしました。

まず手っ取り早い方策として、Web上にその用語についての説明がないか検索してみると、意外にもあまりヒットしません。
ないわけではないのですが、どうも「部分動詞」という用語自体の説明がなさそうなので、もう少しきちんと調べようと腰を据えることにしました

手もとにある語法書を片っ端から見ていったのですが、どの書物の動詞の項を見ても、「部分動詞」という用語は見られません。
文法用語ということなら…と、鳥井克之氏の『中国語教学(教育・学習)文法辞典』(東方書店2008)を開いてみました。
これまで何度も助けられたことがあるからなのですが…
しかし、残念ながら「部分動詞」ということばは見つかりませんでした。

もしかしたら古い時代の文法用語、たとえば『馬氏文通』に用いられている用語かもしれないと思い、開いてみたのですが、やはり見つかりません。
楊樹達や呂叔湘、王力あたりはどうだと調べてみたのですが、見つかりません。

何をどう調べてもこの「部分動詞」という用語が見当たらないので、さすがに考えあぐねてしまいました。
すでに膨大な時間が過ぎていきます。
調べた書籍は何十冊にも及びます。

これまで「部分動詞」ということばを目にしたのはWeb上だけなので、もう一度一つひとつ確認していくことにしました。
すると、英語について説明したある中国のサイトに「部分動詞」という言葉が用いられているのを見つけました。
これはと思い、同僚の英語教諭の力を借りて、「部分動詞」にあたる動詞がどんな動詞なのか、英語の文脈から判断できないだろうかと相談してみました。
しかし今ひとつはっきりしません。

もはや完全にお手上げです。
最後の手段は、中国の方に尋ねてみるということなのですが…
そこでふとある方を思い出しました。
以前、このブログのエントリーにコメントを頂き、「不」がどこまでかかるかについて、中国人の観点からご教示くださった方です。
藁にもすがる思いで、教えてほしいというメールを差し上げました。

すると、さっそくお返事を頂戴しましたが、そのメッセージを見て、思わず口をあんぐり…
「部分動詞」とは「一部の動詞」という意味だというのです。
これにはもう唖然としてしまいました。
私は文法用語だろうと信じて、何十冊もの書籍にあたり、途方もない時間を割いて調べていたのに、たったそれだけのこと?
思い込みというものが、いかに怖いものか思い知ると同時に、どう調べてもわからないことは、素直に人に聞くことの大切さを実感しました。

そういえば… 思い当たることがあります。
「来」の働きについて調べる際、一番最初に開いたのは、『古代汉语虚词词典』(商务印书馆1999)です。
そこに、次のように書かれていました。

二、“来”附加在某些动词、形容词、时间词、数词等后,表示一种趋向。可仍译为“来”,有时可随上下文义灵活译出。

その時はなんとも思わなかったのですが、後で何乐士の『古代汉语虚词词典』を見た時、「用于部分动词、形容词和时间副词后…」と書かれているので、何乐士ははっきり「部分動詞」と言い切っているのに、商务印书馆の『古代汉语虚词词典』は「某些动词」などとぼかした表現というか、いい加減な書き方をしているなあ…と感じたのです。
実は、同じことを指していたのですね…

恥ずかしいやら、なにやら… 私が「部分動詞」にこだわって時間を費やしていたのをご存じの同僚もありますから、これを逆手にとって、「きちんと調べてどうしてもわからないことは、素直に人に尋ねることも大切なんだよ。」などと照れ隠ししながらご報告もしましたけれども。

最初に書いた、おそらく問題集の執筆者であるどこぞの高等学校の先生も、自分だけが正しいなんて思わずに、わからなければ素直に尋ねてくださればいいのに… そう思いました。
浅学ですが、わかる範囲でいつでもお教えする用意はあるのですがね。

「所従来」の意味は?

(内容:『桃花源記』に見られる「問所従来」の意味について考察する。)

陶淵明の有名な『桃花源記』について、勉強熱心な同僚から質問を受けました。

「問所従来」の「従来」はどう説明されるのですか?

「どこから来たのか」という意味であろうことはわかった上での質問で、なんとなくわかったではなく、きちんと語法的にどう説明されるのかを理解したいという問いかけです。
こういう真面目な問いには、いい加減に答えるわけにはいきません。

見漁人、乃大驚、問所従来。具答之。
(漁人を見て、乃ち大いに驚き、従(よ)りて来たる所を問ふ。具(つぶさ)に之に答ふ。)

「従来」の「従」はおそらく介詞であろうと思っていたのですが、確かめたわけではありません。
また、「従来」という句は、現在日本でも「これまで・以前から今まで」という異なる意味で用いられています。
この際、きちんと調べてみようと思いました。

まず、「従来」という句を各種の虚詞詞典で調べてみました。
定番の『古代汉语虚词词典』(商务印书馆1999)には、次のように書かれています。

由介词“从”和助词“来”构成。
 (介詞“従”と助詞“来”により構成される。)
副词
用在谓语前,表示事态从过去一直延续下来。可译为“一向”,或仍作“从来”。
 (謂語の前で用いられ,事態が過去からずっと続くことを表す。“一向”と訳せる,またはそのまま“従来”とする。)

「従」は介詞となっていますが、しかしこれはいわゆる「従来」の意味です。

『桃花源記』で用いられている用法についての説明がないか、他の虚詞詞典や語法書にあたってみますが、「従来」の項目では見当たりません。

念のため、『漢語大詞典』の記述を確認してみました。

(1) 亦作“從徠”。來路;由來;來源。
 (“従徠”にも作る。道筋、由来、出所。)
(2) 歷來;向來。
 (従来、今まで。)
(3) 從前;原來。
 (以前、もともと。)

『桃花源記』の「従来」はもちろん(1)に相当します。
(2)と(3)が並記されているので、語法的にも同じ扱いなのでしょうが、その語法的な説明はありません。

Web上ではどのように説明されているか探してみると、とあるサイトで、

问他是从哪里儿来的。

と訳した上で、次のように語義が説明されていました。

从来:从……地方来。

まあ、現代語訳というのは、必ずしも古典語法に忠実とは限らないのですが、語義の説明から見ると、このサイトは「従」を介詞と解しています。

さて、これから先どう考えていけばいいのか考えあぐねながら、いったん小休止して、帰宅の途につきましたが、その途上、ふと気づきました。
これまで「従来」にこだわって調べてきましたが、「来」は本来動詞でしょうから、実詞を含む形の見出しにはなっていないのではないか。
一方「所」は結構助詞ですから、「従」が介詞なら、「所従」の形で説明されているのではないかと。

そこで、帰宅してから「所従」の形について調べてみることにしました。
すると、楚永安の『文言复式虚词』(中国人民大学出版社1986)に、「所由……」の項があり、「所自……」「所从……」の形が並記されていました。

“所从……”一般也是表示起始的处所或时间。例如:
(“所従……”は、普通、開始の場所や時間を表す。たとえば、)

⑫楚人有涉江者,其剣自舟中墜於水,遽契其舟曰:“是吾剣之所従墜。”(《呂氏春秋:察今》)…原文簡体字。「坠于水」を「墜於水」に改む
――楚国有个人渡江,他的剑从船上掉到水里,就赶紧在船上刻个记号,说:“这就是我的剑掉下去的地方。”
(楚国に河を渡る人がいて、彼の剣が船の上から水中に落ちたので、急いで船の上で印を刻み、「ここが私の剣が落ちた所だ。」と言った。)

⑬嗚呼哀哉!禍所従来矣!(《史記・魏其武安侯列伝》)…原文簡体字
――唉,可悲啊!这就祸患产生的根源。
(ああ、悲しい!これが災いが生まれた根本原因だ。)

⑭故郊祀社稷,所従来尚矣。(《漢書・郊祀志上》)…原文簡体字
――所以祭祀社稷,由来的时间很古了。
 (だから社稷を祀るのは、由来とする時が古いのだ。)

「所従」に類する表現に「所自」「所由」が見られるからには、「従」は「自」「由」と同じく介詞だと考えてよいように思います。
そこで、『桃花源記』の「問所従来」のような表現が、「所自」に見られないか探してみることにしました。

・尽於酒肉入於鼻口矣、而何足以知其所自来。(荘子・徐無鬼)
((あなたがした息子の人相の見立ては、)酒肉が鼻や口に入るということに尽きているが、どうしてその酒肉がどうやって来るのかまではわかっているといえようか。)

・馬望所自来、悲鳴不已。(捜神記・巻十四)
(馬はやって来た方角をはるか見て、悲しげに鳴いてやまなかった。)

どうも「所従来」や「所自来」には、単純に「どこから来たかということ」以外に「どうやって来たかということ」という意味があるようですね。

さて、結構助詞「所」が後に介詞や介詞句の修飾を帯びた動詞をとることがあるのかどうかについては、もう少し調べてみる必要があると思いました。
すると、『古代汉语虚词词典』の「所」の項にきちんと述べられていました。

助詞
二、“所”字先与介词相结合,然后再与动词组成名词性短语,在句中表示跟动词相关的原因、处所、时间以及动作行为赖以进行的手段或涉及的对象等。可根据上下文义灵活译出。
(“所”字は、まず介詞と結びついた後で、さらに動詞と名詞句を作り、文中で動詞と関係する原因、場所、時間、ならびに動作行為のよりどころとなる手段や関係する対象などを表す。前後の文意に基づき、弾力的に訳す。)

(1)長勺之役,曹劌問所以戦於荘公。(《国語・鲁語上》)…原文簡体字。「战于庄公」を「戦於荘公」に改む
――所以战:依靠什么跟齐国作战。
(長勺の役で、曹劌は何をよりどころとして斉国と戦うのかを荘公に尋ねた。)

(2)此嬰之所為不敢受也。(《晏子春秋・内篇雑下》)…原文簡体字
――这就是我晏婴不敢接受的原因。
(これが私晏嬰が受けようとしない原因です。)

(3)是吾剣之所従墜。(《呂氏春秋:察今》)…原文簡体字
――这就是我的剑在这里坠落的地方。
(これが私の剣がここで落ちた場所だ。)

(4)蒙問所従来。(《史記・西南夷列伝》)…原文簡体字
――唐蒙问从何处而来。
(唐蒙はどこから来たのかを尋ねた。)

(5)夫水所以載舟,亦所以覆舟。(《文選・張衡:東京賦》)…原文簡体字
――水可以凭借它把船浮起,也可以凭借它使船覆没。
(水はそれをよりどころとして船を浮かせることができ、それをよりどころとして船を転覆水没させることもできる。)

(6)所与遊皆当世名人。(《韓昌黎集・柳子厚墓志銘》)…原文簡体字
――跟他交往的都是当代的名人。
(彼と交際する人はみな当代の著名な人である。)

「所従来」の例も含まれており、まさにこれですね。
考えてみれば、「所以」も「それにより~するもの」という意味が元々ですから、この形に該当するわけです。

では、次に「問所従来」は「問所従[どこ]来」([どこ]から来たのかを問う)の省略形なのかという問題について調べてみることにしました。
というのは、『漢詩漢文解釈講座 第13巻 文章Ⅰ』(昌平社1995)の「桃花源記」注にそう記してあると耳にしたからです。
さっそくあたってみると、「問所従来」について、次のように書かれていました。

どこから来たのかと尋ねた。経路を聞いている。「所」は元来名詞であるが、そのあとに動詞をとり、その連語全体が名詞に等しい機能を持つようになったもの、英語の関係代名詞に似た働きをする助字。「従来」は「従何処来=何処(いづく)より来たる」の省略した形。

なるほど、確かに省略形と書かれています。
省略形なら省略されない形もあるだろうと、検索にかけてみました。

・其家問之、従何処来。(抱朴子・内篇・袪惑)
(その家は彼に、どこから来たのかと問うた。)

・笑問客従何処来。(賀知章「回郷偶書」)
(笑って客人はどこから来たのかと問うた。)

10例ほど見つかりました。
これだとなるほどと思うわけですが、「従何処来」の例があるということは証明できても、「所従来」が「所従何処来」の省略形かどうかは別の問題です。
そこで、今度は「所従何処来」を検索にかけてみましたが、私の検索システムではヒットしませんでした。
さらに『文淵閣 四庫全書』で用例を探してみましたが、見当たりませんでした。
念のため、「所自何処来」の例も探してみましたが、私の検索システムでも『四庫全書』でも見つかりませんでした。
このことが用例が全く存在しないということの証明にはなりませんが、省略されない形が見つからない以上、少なくとも『漢詩漢文解釈講座』の説明は当を得ない不用意なものだとわかります。

もう少し慎重にと考え、「所従何来」や「所自何来」の例も探してみましたが、やはり見つかりませんでした。
また、「問所従来」の結構助詞「所」を用いずに「問従来」や「問自来」という表現があるかどうかについても調べてみましたが、少なくとも私の検索システムでは用例は皆無でした。

このことから、「どこから来たのか」を表す表現には、問い方により2つの種類があり、また特徴がわかります。

・相手に対して問いかける言葉としての「どこから来たのか」は「従何処来」が受け持つ。
・客観的に「どこから来たのかを尋ねる」のような表現は「問所従来」や「問所自来」が受け持つ。
・「問所従[処所代詞]来」の形はない。
・「問従来」「問自来」という表現もない。

では、なぜたとえば「所従何処来」という表現がないのでしょうか。
これについては、あくまで想像ですが、「所従来」がたとえば「どこから来たのか」という意味であることは古代の中国人にとって自明のことだったからであろうと思います。
結構助詞「所」は、後にとる動詞が自動詞の場合、「~する場所」という名詞句を作ることが多いのですが、「従来」(~から来る)を場所の意味で名詞化すれば、「~から来た場所」となり、それはとりもなおさず「スタートした場所」という起点を表すことになります。
その表現に「どこ」にあたる「何処」を加えることは、「どこから来た場所」という名詞句を作ることになり、意味不明の句になってしまいます。

一方、「所」を欠いて「問従来」にしてしまうと、場所を表す名詞句を作る結構助詞の働きがないために、「~から来たを問う」という、これまた意味不明の文になってしまいます。
前に述べた特徴はこのように説明されるのではないでしょうか。

ちなみに、直接言葉として「どこから来たのか」と相手に問いかける時、「何処来」(何れの処より来たる)という表現の他に、先に例示したように介詞を用いて「従何処来」という表現もあるのですが、この「どこから来たのか」を「所」によって名詞化する必要は全くありません。

介詞「従」や「自」は、時や場所の起点を表すだけでなく、動作行為のよりどころや根拠、来源を表して「~により・~に基づいて」などの他の意味を表すこともあります。
「所従来」が単に「どこから来たのか」という場所だけでなく、「どうやって来たのか」「どのようにしてこんな状況になったのか」などの意味を表すのは、根拠となる物事に基づいて現在の状況が起きていることを踏まえた表現でしょう。

・及問所従来、乃因土豪献果、妻偶食之、遂得茲病。(太平広記172)
(どうしてこんなことになったのかを聞くと、土地の豪族が果実を献上し、妻がたまたまそれを食べて、この病気になったという。)

この例の場合、「所従来」が病気になったいきさつを問うているのは明らかです。
本来「どこから来たのか」という意味を表す「所従来」が「病気がどこから来たのか」=「病気のそもそもの原因となった事実は何によるのか」という意味をも表し得るのは容易に理解できるでしょう。

・王問所従来。左右曰、王黙存耳。(列子・周穆王)
(王はこれまでどうであったかを問うた。側近たちは、王は黙ってじっとしておられただけですと言った。)

周の穆王が幻術使いによって、天帝の住まいに連れて行かれ、何十年もの時を過ごしたかと思った後に、今度は太陽も月も河も海もない世界に行き、混乱して幻術使いに頼んで元の世界に戻してもらうと、自分が座っている場所は以前と変わらず、時もほとんど経っていないことがわかった…そこで王は「所従来」を問うたのです。
これが「どこから来たのか」という意味でないことは、側近たちの答えからも明らかで、「これまでどうであったか」という意味と解せざるを得ません。
しかし、これは「どうやってここへ来たのか」=「これまでどのようないきさつで現状に至っているのか」という流れで考えることができます。

「所従来」のこれらの用法は、他にも多く見られますが、介詞「従」がもつ意味が時や場所の起点だけではなく、動作行為のよりどころや根拠、来源をも表し得ることによるのでしょう。

『桃花源記』の「見漁人、乃大驚、問所従来。具答之。」の「所従来」も、おそらく「どこから来たのか」という意味ではないでしょう。
それなら「具」(すべてのことを一切合切)答える必要はないわけで、起点だけ答えれば十分です。
漁人は、「どこから来たのか」は言うに及ばず、桃花源に来ることになった事情のすべてを人々に語ったはずです。


(この記事には、もっと明快に説明した続編があります。)

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