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2019年07月の記事は以下のとおりです。

(記事削除・9)

  • 2019/07/25 22:22
  • カテゴリー:その他
(内容:記事削除の連絡。No.9)

この記事は削除しました。

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「簾少し上げて、花奉るめり」は、どこの簾か?

  • 2019/07/25 15:36
  • カテゴリー:その他

(内容:『源氏物語』若紫の巻に見られる「簾少し上げて、花奉るめり」について、尼君が仏の前の簾を挙げて花を差し上げるとする説に、疑問を呈する。)

漢文にまつわる話ではないので、このブログに書くのもどうかとも考えたのですが、古典の記述についてきちんと考えるということは漢文学習でも共通する話題なので、書いてみようと思います。

常々、同僚に対しても学生に対しても、とにかく「本文を徹底的に読め」とうるさく言います。
謎を解く手がかりは実は本文そのものに隠されていることが多いからです。
わからないことはきちんと調べることが大切ですが、ちょっとわからないことが生じた時に、本文をよく読みもせずにすぐ参考書を広げてしまう人が実に多いのです。
教師の場合なら、一番身近にあるのは教科書の指導書でしょう。
そこに何か書いてあれば、それが正しいのだと検討もせずに鵜呑みにしてしまう。
同様のことが、教師の前身である学生さんにもよくあります。

教育実習で『源氏物語・若紫』のいわゆる「小柴垣のもと」を担当してもらうことになりました。
その中の有名な一節、

人々は帰し給ひて、惟光の朝臣とのぞき給へば、ただこの西面にしも、持仏据ゑ奉りて行ふ、尼なりけり。簾少し上げて、花奉るめり。中の柱に寄りゐて、脇息の上に経を置きて、いとなやましげに読みゐたる尼君、ただ人と見えず。四十余ばかりにて、いと白うあてに、痩せたれど、つらつきふくらかに、まみのほど、髪のうつくしげにそがれたる末も、なかなか長きよりもこよなう今めかしきものかなとあはれに見給ふ。
(供人たちは(僧坊に)お帰しになって、惟光の朝臣と(垣の内を)おのぞきになると、すぐ目の前の西向きの部屋に、持仏を据え申し上げて勤行する(人は)、尼であったよ。簾を少し巻きあげて、花をお供え申し上げるようだ。中の柱に寄りかかって座って、脇息の上に経巻を置いて、たいそう気分悪そうに座って唱えている尼君は、並の身分の人と思えない。四十過ぎぐらいで、たいそう色が白く上品で、痩せているけれど、頰はふっくらとして、目元のあたりや、髪が美しい感じに切りそがれている毛先も、かえって長いのよりも、この上なく現代風なものであるなあ、としみじみと感動してご覧になる。――S社の句読と訳による――

の「簾少し上げて、花奉るめり。」という表現が気になるので、実習の学生さんにはこの部分をよく調べるようにと言っておきました。

私が気になるというのは、この「簾」がどこの簾で、誰が「上げて」いるのか、また、「花」を「奉る」のは誰の行為かでした。
そんなことを先に言ってみても、学生さんのためにはなりませんから、とにかくこの箇所をきちんと調べて考えるようにと告げたわけです。

さて、それから1ヶ月ほどして、指導案をもって訪れた学生さんに、指導案を読み指導をする過程で、私の先の疑問をぶつけてみました。
すると、学生さんは、「尼君が持仏の前にある簾を上げて、花を供えているのだ」と説明したのです。
とてもびっくりしてしまって、本当にそうなのか?と念を押すと、自分で調べて考えた結果ではなく、わからないから、大学の古典文学の教授にして『源氏物語』がご専門の先生に尋ねると、そう教えてくれたのだとか。
それもその場で当然のように即答されたのだそうです。

これで私は二度びっくりすることになってしまったわけです。

学生さんにその解釈の根拠をただすと、それは何もない、どうやら古典の教授は見解だけを述べて、その元となるものを何も示されなかったようです。

古典文学がご専門で、まして『源氏物語』の研究者ですから、私などには及びもつかぬ教養をお持ちなのだろうと拝察しますが、詳しく調べた結果として教示したのではなく、また、もしすでに知っておられたのだとしても、その資料なり何なりの根拠を学生に示されなかった…私にはとても考えられない姿勢だったのです。

私は自分がまだまだ何も知らない、わからないといつも思っています。
ですから、若い人たちに何か質問されると、きちんとそれが説明できるようになるまで、可能な限り調べます、そして考えます。
そうでなければ、責任持ったことは言えないし、若い人たちのためにもならず、私自身のためにもならないと思うからです。

教授先生の答えを鵜呑みにして検証しようともしない学生さんにも困り者ですが、調べもせず根拠も示さずお答えになった教授先生にも、正直残念な思いを拭えませんでした。

素朴な疑問です。

もし、「簾少し上げて、花奉る」人が尼君なら、仮にこの簾が持仏の前にある簾だとしても、尼君は、中の柱によりかかって座り、脇息の上に経を置いて大儀そうに読んでいるのに、それと同時に花を供えていることになります。
おかしくはないでしょうか?

仏に供える花は簀の子近くの閼伽棚の上に用意してあったはずで、尼君は中の柱によりかかって座り、経を読みながら、簀の子近くの閼伽棚に手を伸ばし(とても届かないでしょう…)花を取り寄せ、さらに持仏の前の簾を上げ、花を供えることになります。
一度に三つのことを見事に成し遂げる尼君ということになるわけですが、「いとなやましげ」つまりいかにも大儀そうなんですよね?病がちの彼女にできるでしょうか?

さらに、仮に「簾少し上げて」の簾が持仏の前にある簾だとして(そもそも、何も説明されていないのに、なにゆえ持仏の前の簾と限定できるのか謎ですが)、光源氏が尼君の様子を事細かに観察できている以上、外と部屋の中を隔てる簾が上がっていたのは間違いありません。
だからこそ、後文で、兄の僧都に光源氏が北山に来ていることを教えられ、尼君は「『あないみじや。いとあやしきさまを人や見つらむ。』とて簾下ろしつ。」とあるのです。
これはいくらなんでも持仏の前の簾を下ろしたわけではないでしょう。
つまり、源氏が垣間見をしていた間、外と部屋を隔てる簾は巻き上げてあったのです。

源氏は西面にある部屋をのぞいています。
つまり、夕日を背にして、西を向いているはずの尼君を見ています。
尼君が西面の部屋で勤行しているのは、西方浄土の思想によるものだと思いますが、その意味からあえて違う方向を向いてお勤めをしているとはとうてい思えません。
尼君をほぼ正面から見ているからこそ、源氏は尼君の顔つきや目元のあたり、髪の様子などを詳しく観察できるのです。
だとすれば、持仏はどこにあるでしょうか、もちろん源氏と尼君の間、尼君のすぐ前にあるはずです。
そして、もし持仏に簾があるとすれば、どこにあるでしょうか、源氏によく見える位置にあるでしょうか?

このように「簾少し上げて」の簾を持仏の前のものとすると、疑問が生まれてきます。
しかも本文に「持仏の前の簾」などとは一言も書かれていないのです。

次に、では、かりに簾が部屋と外を隔てる簾だとして、誰が上げているのか?
これはわかりません。
というよりも、私には動作のようには思えないのです。
なぜなら、源氏が垣間見を始めた時から、この後の幼女(のちの紫の上)の登場、尼君と幼女とのやりとり、尼君と女房とのやりとり、さらには僧都の登場、そして会話…と、非常に長い時間にわたって、ずっと簾は上がった状態です。(それを最後に下ろしたという記述があることは、先ほど確認しました。)
つまり、源氏が垣間見を始めるタイミングで誰かが簾を上げたのではなく、すでに簾は少し巻き上げてあった。
「簾少し上げて、花奉るめり。」とは、「部屋の簾を少し巻き上げた状態で、花を差し上げる場面のようだ」という意味なのでしょう。

なぜ簾を少し巻き上げなければならなかったか。
それはこの場面に先立って、源氏たちがつづら折りの上から僧坊を見下ろした時、「清げなる童などあまた出で来て、閼伽たてまつり、花折りなどするもあらはに見ゆ。」とあるように、童が庭に出て閼伽水を汲み、花を折る光景が描かれた、それを踏まえたものでしょう。
つまり、仏に供える水や花は、童によって、おそらく閼伽棚に用意されていた。
閼伽棚は主に縁側に設置するものですから、ここでは簀の子に隣接する形であったものと思われます。
そこから花を仏に供えるために部屋に運ぶ動作が行われるはずで、そのために簾は少し巻き上げておく必要があった。
山里であった分、よもや人に見られはすまいという気の緩みがあったのでしょう。

源氏は、誰か、おそらく女房の一人が、閼伽棚から花を仏に供えるために部屋に運び入れ持仏の所に寄せる様子を見たのだと思います。
だからこそ、まずは目にした場面の状況を「簾少し上げて、花奉るめり。」と視覚推定し紹介した上で、次に尼君から順に観察を始め、「きよげなる大人」「童べ」「女子」と目を移していくのです。
「尼なりけり」と述べた後に、わざわざ「いとなやましげに読みゐたる尼君、ただ人と見えず。」と、繰り返してまた「尼君」という言葉を用いたのは、そのような式部の描き方だったのではないでしょうか。

つまり、簾は持仏の前の簾ではなく部屋と外を隔てる簾、尼君が上げたのではなくすでに上げてあった、花を差し上げたのもおそらく尼君ではない。

日本の古典は専門ではないので、何を馬鹿な…と笑われてしまうようなことを書いているのかもしれませんが、確かめもせず根拠もなしに思いつきで即答するような態度はとっていないつもりです。
学生の先生である教授を批判するわけにもいかないので、いろいろな解釈があるのだろうねとぼかしながら、しかし、一つひとつ疑問を示すことによって、考えることの大切、調べることの大切さ、そして何より本文を深く読み込むことの大切さを、教えたつもりです。
そして、それは自戒にもなりました。

畑違いのことを書きました。

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