「無論魏晋」の「無論」は慣用表現か?
- 2019/10/24 07:27
- カテゴリー:漢文の語法
(内容:陶淵明『桃花源記』に見られる「無論魏晋」という句の「無論」は当時の慣用表現であると述べられることに対して、疑問を呈する。)
「有」が2つの賓語を取る時の構造について検証していく過程で、さらに気になることに行き当たりました。
別に、陶淵明の『桃花源記』の次の一文について、疑問を抱いた方があったという話を耳にしたからです。
乃不知有漢、無論魏晋。(陶淵明集・巻6・「桃花源記」)
(乃ち漢有るを知らず、魏・晋に論無し。)
(なんと漢があったことを知らず、(ましてや)魏・晋(を知らないの)は言うまでもない。 …読みと訳はS社指導書による)
その方はこの「魏晋に論無し」という読みに疑問を抱かれたとのことらしいのですが、確かに気になる表現です。
これはおそらく構造的には「魏晋を論ずる無し」と読むべきかと思いますが、手許の参考書や教科書はいずれも「魏晋に論無し」と読まれています。
語法的な説明があるかと、いくつか探してみましたが、参考書、教科書指導書の類はことごとくスルーです。
書いてあっても、「~はいうまでもないの意」とか「~はいうまでもないの意の慣用表現」で済まされています。
これでは疑問を抱く方が出てきても不思議はありません。
切り分けをしたいと思いますが、かりに構造的に「魏晋を論ずる無し」と読むべき形でも、古来「魏晋に論無し」と読まれてきたものを否定するつもりはありません。
そう読んだには読んだだけの理由があったはずだと思いますし、訓読が常に語法に忠実でなければならないものでもないからです。
なぜ「魏晋に論無し」と読んだのかは、とうてい知りようもありません。
ですが、語法的に「無論魏晋」がどのように説明されるかは考えてみる価値があると思いました。
「無論」は、どの参考書や教師用指導書も「言うまでもない」と訳されていて、いわば慣用的な表現のように扱われています。
まず、この「論」が名詞か、動詞か。
「有AB」の場合と同じで、解釈のしようによってはどちらとでもとれそうなのですが、「無論於B」または「無論于B」の形をとる例が見当たらないところを見ると、動詞の可能性が高そうです。
つまり、「無論魏晋」は次の構造で説明されます。
謂語「無」+賓語「論魏晋」
そして、賓語はまた、
謂語「論」+賓語「魏晋」
の構造になる、「『魏晋を論ずること』が無い」という、いわば二重構造になるわけです。
これだけのことなら、それほど気にもかからなかったのですが、前述したように「無論~」は慣用表現のように扱われていて、ほぼ説明なく「~はいうまでもない」で訳して済まされています。
でも、本当に慣用表現でしょうか?
確かに『桃花源記』のように、前文に「乃不知有漢」のような内容をとれば、いわゆる抑揚の表現に似た形で「無論~」は「~はいうまでもない」と述べる進層表現になります。
「当然~(だ)」というわけです。
「無論」の用例について調べてみると、意外にも古い時代の用例が少なく、明らかに『桃花源記』以前のものは、次の2例しか見つけられませんでした。
・嬰之家俗、…通国事無論、驕士慢知者、則不朝也。(晏子春秋・内篇雑上)
(我が家(=晏嬰の家)の家法では、…国家のことに通じていながら議論することなく、賢者智者に驕り侮るものは、交わらない。)
・仁義之処、可無論乎。夫目不視弗見、心弗論不得。雖有天下之至味、弗嚼、弗知其旨也。雖有聖人之至道、弗論、不知其義也。(春秋繁露・仁義法)
(仁と義のありどころについては、論ずることがなくてよかろうか。そもそも目は見なければ見えず、心は論じなければ得られない。天下の美味があっても、食べなければその旨さはわからないのである。聖人のすばらしい道があっても、論じなければ、その意義はわからないのである。)
『春秋繁露』の例は、先に「可無論乎」と述べながら、すぐ後で「弗論、不知其義也」と述べています。
「弗」によって否定された「論」はもちろん動詞ですが、それゆえに先行する「可無論乎」の「論」も同じ可能性があります。
この2例は、いずれも「いうまでもない」という慣用的な意味では用いられていません。
「議論することがない」という一般的な意味です。
先行する文献に「いうまでもない」の意の「無論」が見当たらないのに、「無論魏晋」の「無論」がその意味の慣用表現だとするのは、なんだか怪しくなってきます。
「無論」の例に該当するかどうかは微妙ですが、『桃花源記』に先行する例には、別に次のものもあります。
・上曰、「游撃将軍死事、無論坐者。」(漢書・韓王信列伝)
(主上はおっしゃった、「游撃将軍は国事に死したのであり、(家族の)連座するものを論じることはないようにせよ。)
あえて「ないようにせよ」とは訳しましたが、これは「無」が否定副詞として禁止の働きをするものです。
そもそも、「無」という漢字は「見えない・見えなくなる」という意味の音を「舞」を借りて表記したものだといい、「日が草に隠れて見えなくなる」意の「莫」、「人が物に隠れて見えなくなる」意の「亡」と同系の語です。
反対の意思表示、拒む意を表す「不・否」と、成り立ちが決定的に異なるのです。
「不」が否定的な意志を表すことがあるのに対して、「無」は客観的に存在しないことを表すのは、そもそもの成り立ちに起因するのでしょう。
先の『晏子春秋』の例「通国事無論」は、「無」が「不」と同じだとしてしまえば、「国家のことに通じていながら議論しない」となりますが、あくまで客観的に「議論することがない」と描写しているのであって、そのような者とは「不朝」(交わらない)と、「不」で表現者の否定的意志を示している。
また、『春秋繁露』の例「仁義之処、可無論乎」も、「論じなくてよかろうか」ではなくて、あくまで客観的に人として「論じることがない」ということが許されようかと述べているのだと思います。
『漢書』の「無論坐者」も、「連座するものを論じること」の存在を客観的に否定し、それを禁止に用いたもので、副詞的用法とはいえ、もともとの動詞「無」とまったく別のものではありません。
そのように考えてくると、「乃不知有漢、無論魏晋」は、「なんと漢があったことを知らず、魏・晋を論じることはない」を出発点としてみなければなりません。
そもそも漢の存在自体を知らないのですから、「不論魏晋」と表現することはできません。
なぜなら、「不論」は「論じない」という否定的意志を表しますが、意志も何も魏晋そのものを知らないのに論じようとすることなどあり得ないからです。
つまり、客観的に「魏晋を論じることがない」と表現されたものでしょう。
『桃花源記』に近い時代の例を見てみましょう。
・無論潤色未易、但得我語亦難矣。(南斉書・劉絵列伝)
(表現の手直しが易しくないのは言うまでもなく、自分が納得いくことばを見つけるのもまた難しいのだ。)
この「無論」は、「言うまでもなく」と解することができます。
・謝方明可謂名家駒。直置便自是台鼎人、無論復有才用。(宋書・謝方明列伝)
(謝方明は最上の名馬といえる。ただこのままで高官で、さらに才能があることを論ずる必要はない。)
この例は複文の後句で用いられていますが、「さらに才能があるのはいうまでもない」とは解せず、「論じる必要はない」の意でしょう。
・無論君不帰、君帰芳已歇。(謝朓「王孫游」)
(あなたが帰って来ないことを論じることなく(=あなたが帰って来られなくても)、あなたが帰ってくれば芳しい香りはすでにやんでいるでしょう(=私の容貌は衰えているでしょう。))
この例も「あなたが帰ってこないことは言うまでもなく」の意では解せません。
この2つの例は、「無論」以下の内容をあれこれ議論することの不必要を表現したものと考えられます。
・逝者長辞、無論栄価、文明叙物、敦厲斯在。(魏書・儒林列伝)
(死者は長く辞して帰らず、栄誉を論じることなく、良いことを明らかにし、提示し勉励するがこのようにあるばかりだ。)
この例は、「論じることがない」そのままの意味で、死んだ人はもはや栄誉を論じることがないのです。
・則物見昭蘇、人知休泰、徐奏薫風之曲、無論鴻雁之歌、豈不天人幸甚、鬼神咸抃。(魏書・恩倖列伝)
(このようにして物は蘇りを示し、人は安寧を知り、やがて「薫風の曲」(舜が作ったといわれ、南風が民の怒りを解き、民の財を豊かにすると歌う)を奏でるようになり、「鴻雁の歌」(詩経・小雅にある、住まいを失って離散する民を周の宣王がいたわることを歌う、転じて災いにより流浪する民)を論じることもなくなったのは、天と人の無上の幸せであり、鬼神もみな手をうって喜ぶことではないか。)
この例も、「鴻雁の歌」すなわち離散の苦しみをあれこれいうことはないの意で、やはり「論じることがない」そのままの意味だと思います。
・察今之挙人、良異于此。無論諂直、莫択賢愚。(北史・儒林列伝下)
(現在の人材登用を見ると、実にこれとは異なっている。媚びへつらう者か正直者かは言うまでもなく、賢者か愚者かを選ぶこともない。)
この例は、本来人材登用の要注意項目となる「媚びへつらう者か正直者か」を見極めることが抜け落ちていることは言うまでもなくという意味でしょうから、「言うまでもなく」の意に解してよいでしょう。
・林子兄弟挺身直入、斬預首、男女無論長幼悉屠之、以預首祭父祖墓。(南史・沈約列伝)
(林子の兄弟は身を投げ出してただちに入り、沈預の首を斬り、男女は年長幼少を論ずることなくことごとくこれを殺し、沈預の首を父祖の墓に祭った。)
この例の場合は、もちろん「長幼はいうまでもなく」の意ではなく、「長幼の区別なく」ということでしょう。
このように用例を見てくると、次のことがわかります。
①「いうまでもない」の意味で用いられる「無論」の用例は、手元の資料からは『桃花源記』以前には見当たらない。
②『桃花源記』に近い時代の用例では、「無論」には次のように複数の意味が見られ、「言うまでもない」と解せるものが突出して多いとはいえない。
・~はいうまでもない。
・論じる必要はない。
・論じることはない。
・区別することがない。
これにより、「無論」が「言うまでもない」という意味を表す慣用表現だとするのは、少なくとも『桃花源記』の時代にあっては、当を得ないものだということがわかります。
「無論」がどのような意味を表すのかは、やはり言語環境に左右されるものであって、「無論魏晋」が「魏晋(を知らないこと)はいうまでもない」と解されるのは、「乃不知有漢」(なんと漢があったことを知らない)を受ける文脈だからだというべきでしょう。
そして、これらの多くの用法は、「不」ではなく「無」がもつ「客観的にない」という描写の性質によるものだとも思います。
「有」が2つの賓語を取る時の構造について検証していく過程で、さらに気になることに行き当たりました。
別に、陶淵明の『桃花源記』の次の一文について、疑問を抱いた方があったという話を耳にしたからです。
乃不知有漢、無論魏晋。(陶淵明集・巻6・「桃花源記」)
(乃ち漢有るを知らず、魏・晋に論無し。)
(なんと漢があったことを知らず、(ましてや)魏・晋(を知らないの)は言うまでもない。 …読みと訳はS社指導書による)
その方はこの「魏晋に論無し」という読みに疑問を抱かれたとのことらしいのですが、確かに気になる表現です。
これはおそらく構造的には「魏晋を論ずる無し」と読むべきかと思いますが、手許の参考書や教科書はいずれも「魏晋に論無し」と読まれています。
語法的な説明があるかと、いくつか探してみましたが、参考書、教科書指導書の類はことごとくスルーです。
書いてあっても、「~はいうまでもないの意」とか「~はいうまでもないの意の慣用表現」で済まされています。
これでは疑問を抱く方が出てきても不思議はありません。
切り分けをしたいと思いますが、かりに構造的に「魏晋を論ずる無し」と読むべき形でも、古来「魏晋に論無し」と読まれてきたものを否定するつもりはありません。
そう読んだには読んだだけの理由があったはずだと思いますし、訓読が常に語法に忠実でなければならないものでもないからです。
なぜ「魏晋に論無し」と読んだのかは、とうてい知りようもありません。
ですが、語法的に「無論魏晋」がどのように説明されるかは考えてみる価値があると思いました。
「無論」は、どの参考書や教師用指導書も「言うまでもない」と訳されていて、いわば慣用的な表現のように扱われています。
まず、この「論」が名詞か、動詞か。
「有AB」の場合と同じで、解釈のしようによってはどちらとでもとれそうなのですが、「無論於B」または「無論于B」の形をとる例が見当たらないところを見ると、動詞の可能性が高そうです。
つまり、「無論魏晋」は次の構造で説明されます。
謂語「無」+賓語「論魏晋」
そして、賓語はまた、
謂語「論」+賓語「魏晋」
の構造になる、「『魏晋を論ずること』が無い」という、いわば二重構造になるわけです。
これだけのことなら、それほど気にもかからなかったのですが、前述したように「無論~」は慣用表現のように扱われていて、ほぼ説明なく「~はいうまでもない」で訳して済まされています。
でも、本当に慣用表現でしょうか?
確かに『桃花源記』のように、前文に「乃不知有漢」のような内容をとれば、いわゆる抑揚の表現に似た形で「無論~」は「~はいうまでもない」と述べる進層表現になります。
「当然~(だ)」というわけです。
「無論」の用例について調べてみると、意外にも古い時代の用例が少なく、明らかに『桃花源記』以前のものは、次の2例しか見つけられませんでした。
・嬰之家俗、…通国事無論、驕士慢知者、則不朝也。(晏子春秋・内篇雑上)
(我が家(=晏嬰の家)の家法では、…国家のことに通じていながら議論することなく、賢者智者に驕り侮るものは、交わらない。)
・仁義之処、可無論乎。夫目不視弗見、心弗論不得。雖有天下之至味、弗嚼、弗知其旨也。雖有聖人之至道、弗論、不知其義也。(春秋繁露・仁義法)
(仁と義のありどころについては、論ずることがなくてよかろうか。そもそも目は見なければ見えず、心は論じなければ得られない。天下の美味があっても、食べなければその旨さはわからないのである。聖人のすばらしい道があっても、論じなければ、その意義はわからないのである。)
『春秋繁露』の例は、先に「可無論乎」と述べながら、すぐ後で「弗論、不知其義也」と述べています。
「弗」によって否定された「論」はもちろん動詞ですが、それゆえに先行する「可無論乎」の「論」も同じ可能性があります。
この2例は、いずれも「いうまでもない」という慣用的な意味では用いられていません。
「議論することがない」という一般的な意味です。
先行する文献に「いうまでもない」の意の「無論」が見当たらないのに、「無論魏晋」の「無論」がその意味の慣用表現だとするのは、なんだか怪しくなってきます。
「無論」の例に該当するかどうかは微妙ですが、『桃花源記』に先行する例には、別に次のものもあります。
・上曰、「游撃将軍死事、無論坐者。」(漢書・韓王信列伝)
(主上はおっしゃった、「游撃将軍は国事に死したのであり、(家族の)連座するものを論じることはないようにせよ。)
あえて「ないようにせよ」とは訳しましたが、これは「無」が否定副詞として禁止の働きをするものです。
そもそも、「無」という漢字は「見えない・見えなくなる」という意味の音を「舞」を借りて表記したものだといい、「日が草に隠れて見えなくなる」意の「莫」、「人が物に隠れて見えなくなる」意の「亡」と同系の語です。
反対の意思表示、拒む意を表す「不・否」と、成り立ちが決定的に異なるのです。
「不」が否定的な意志を表すことがあるのに対して、「無」は客観的に存在しないことを表すのは、そもそもの成り立ちに起因するのでしょう。
先の『晏子春秋』の例「通国事無論」は、「無」が「不」と同じだとしてしまえば、「国家のことに通じていながら議論しない」となりますが、あくまで客観的に「議論することがない」と描写しているのであって、そのような者とは「不朝」(交わらない)と、「不」で表現者の否定的意志を示している。
また、『春秋繁露』の例「仁義之処、可無論乎」も、「論じなくてよかろうか」ではなくて、あくまで客観的に人として「論じることがない」ということが許されようかと述べているのだと思います。
『漢書』の「無論坐者」も、「連座するものを論じること」の存在を客観的に否定し、それを禁止に用いたもので、副詞的用法とはいえ、もともとの動詞「無」とまったく別のものではありません。
そのように考えてくると、「乃不知有漢、無論魏晋」は、「なんと漢があったことを知らず、魏・晋を論じることはない」を出発点としてみなければなりません。
そもそも漢の存在自体を知らないのですから、「不論魏晋」と表現することはできません。
なぜなら、「不論」は「論じない」という否定的意志を表しますが、意志も何も魏晋そのものを知らないのに論じようとすることなどあり得ないからです。
つまり、客観的に「魏晋を論じることがない」と表現されたものでしょう。
『桃花源記』に近い時代の例を見てみましょう。
・無論潤色未易、但得我語亦難矣。(南斉書・劉絵列伝)
(表現の手直しが易しくないのは言うまでもなく、自分が納得いくことばを見つけるのもまた難しいのだ。)
この「無論」は、「言うまでもなく」と解することができます。
・謝方明可謂名家駒。直置便自是台鼎人、無論復有才用。(宋書・謝方明列伝)
(謝方明は最上の名馬といえる。ただこのままで高官で、さらに才能があることを論ずる必要はない。)
この例は複文の後句で用いられていますが、「さらに才能があるのはいうまでもない」とは解せず、「論じる必要はない」の意でしょう。
・無論君不帰、君帰芳已歇。(謝朓「王孫游」)
(あなたが帰って来ないことを論じることなく(=あなたが帰って来られなくても)、あなたが帰ってくれば芳しい香りはすでにやんでいるでしょう(=私の容貌は衰えているでしょう。))
この例も「あなたが帰ってこないことは言うまでもなく」の意では解せません。
この2つの例は、「無論」以下の内容をあれこれ議論することの不必要を表現したものと考えられます。
・逝者長辞、無論栄価、文明叙物、敦厲斯在。(魏書・儒林列伝)
(死者は長く辞して帰らず、栄誉を論じることなく、良いことを明らかにし、提示し勉励するがこのようにあるばかりだ。)
この例は、「論じることがない」そのままの意味で、死んだ人はもはや栄誉を論じることがないのです。
・則物見昭蘇、人知休泰、徐奏薫風之曲、無論鴻雁之歌、豈不天人幸甚、鬼神咸抃。(魏書・恩倖列伝)
(このようにして物は蘇りを示し、人は安寧を知り、やがて「薫風の曲」(舜が作ったといわれ、南風が民の怒りを解き、民の財を豊かにすると歌う)を奏でるようになり、「鴻雁の歌」(詩経・小雅にある、住まいを失って離散する民を周の宣王がいたわることを歌う、転じて災いにより流浪する民)を論じることもなくなったのは、天と人の無上の幸せであり、鬼神もみな手をうって喜ぶことではないか。)
この例も、「鴻雁の歌」すなわち離散の苦しみをあれこれいうことはないの意で、やはり「論じることがない」そのままの意味だと思います。
・察今之挙人、良異于此。無論諂直、莫択賢愚。(北史・儒林列伝下)
(現在の人材登用を見ると、実にこれとは異なっている。媚びへつらう者か正直者かは言うまでもなく、賢者か愚者かを選ぶこともない。)
この例は、本来人材登用の要注意項目となる「媚びへつらう者か正直者か」を見極めることが抜け落ちていることは言うまでもなくという意味でしょうから、「言うまでもなく」の意に解してよいでしょう。
・林子兄弟挺身直入、斬預首、男女無論長幼悉屠之、以預首祭父祖墓。(南史・沈約列伝)
(林子の兄弟は身を投げ出してただちに入り、沈預の首を斬り、男女は年長幼少を論ずることなくことごとくこれを殺し、沈預の首を父祖の墓に祭った。)
この例の場合は、もちろん「長幼はいうまでもなく」の意ではなく、「長幼の区別なく」ということでしょう。
このように用例を見てくると、次のことがわかります。
①「いうまでもない」の意味で用いられる「無論」の用例は、手元の資料からは『桃花源記』以前には見当たらない。
②『桃花源記』に近い時代の用例では、「無論」には次のように複数の意味が見られ、「言うまでもない」と解せるものが突出して多いとはいえない。
・~はいうまでもない。
・論じる必要はない。
・論じることはない。
・区別することがない。
これにより、「無論」が「言うまでもない」という意味を表す慣用表現だとするのは、少なくとも『桃花源記』の時代にあっては、当を得ないものだということがわかります。
「無論」がどのような意味を表すのかは、やはり言語環境に左右されるものであって、「無論魏晋」が「魏晋(を知らないこと)はいうまでもない」と解されるのは、「乃不知有漢」(なんと漢があったことを知らない)を受ける文脈だからだというべきでしょう。
そして、これらの多くの用法は、「不」ではなく「無」がもつ「客観的にない」という描写の性質によるものだとも思います。