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2019年10月の記事は以下のとおりです。

「無論魏晋」の「無論」は慣用表現か?

(内容:陶淵明『桃花源記』に見られる「無論魏晋」という句の「無論」は当時の慣用表現であると述べられることに対して、疑問を呈する。)

「有」が2つの賓語を取る時の構造について検証していく過程で、さらに気になることに行き当たりました。
別に、陶淵明の『桃花源記』の次の一文について、疑問を抱いた方があったという話を耳にしたからです。

乃不知有漢、無論魏晋(陶淵明集・巻6・「桃花源記」)
(乃ち漢有るを知らず、魏・晋に論無し。)
(なんと漢があったことを知らず、(ましてや)魏・晋(を知らないの)は言うまでもない。 …読みと訳はS社指導書による)

その方はこの「魏晋に論無し」という読みに疑問を抱かれたとのことらしいのですが、確かに気になる表現です。
これはおそらく構造的には「魏晋を論ずる無し」と読むべきかと思いますが、手許の参考書や教科書はいずれも「魏晋に論無し」と読まれています。
語法的な説明があるかと、いくつか探してみましたが、参考書、教科書指導書の類はことごとくスルーです。
書いてあっても、「~はいうまでもないの意」とか「~はいうまでもないの意の慣用表現」で済まされています。
これでは疑問を抱く方が出てきても不思議はありません。

切り分けをしたいと思いますが、かりに構造的に「魏晋を論ずる無し」と読むべき形でも、古来「魏晋に論無し」と読まれてきたものを否定するつもりはありません。
そう読んだには読んだだけの理由があったはずだと思いますし、訓読が常に語法に忠実でなければならないものでもないからです。
なぜ「魏晋に論無し」と読んだのかは、とうてい知りようもありません。
ですが、語法的に「無論魏晋」がどのように説明されるかは考えてみる価値があると思いました。

「無論」は、どの参考書や教師用指導書も「言うまでもない」と訳されていて、いわば慣用的な表現のように扱われています。
まず、この「論」が名詞か、動詞か。
「有AB」の場合と同じで、解釈のしようによってはどちらとでもとれそうなのですが、「無論於B」または「無論于B」の形をとる例が見当たらないところを見ると、動詞の可能性が高そうです。
つまり、「無論魏晋」は次の構造で説明されます。

謂語「無」+賓語「論魏晋」

そして、賓語はまた、

謂語「論」+賓語「魏晋」

の構造になる、「『魏晋を論ずること』が無い」という、いわば二重構造になるわけです。

これだけのことなら、それほど気にもかからなかったのですが、前述したように「無論~」は慣用表現のように扱われていて、ほぼ説明なく「~はいうまでもない」で訳して済まされています。
でも、本当に慣用表現でしょうか?

確かに『桃花源記』のように、前文に「乃不知有漢」のような内容をとれば、いわゆる抑揚の表現に似た形で「無論~」は「~はいうまでもない」と述べる進層表現になります。
「当然~(だ)」というわけです。

「無論」の用例について調べてみると、意外にも古い時代の用例が少なく、明らかに『桃花源記』以前のものは、次の2例しか見つけられませんでした。

・嬰之家俗、…通国事無論、驕士慢知者、則不朝也。(晏子春秋・内篇雑上)
(我が家(=晏嬰の家)の家法では、…国家のことに通じていながら議論することなく、賢者智者に驕り侮るものは、交わらない。)

・仁義之処、可無論乎。夫目不視弗見、心弗論不得。雖有天下之至味、弗嚼、弗知其旨也。雖有聖人之至道、弗論、不知其義也。(春秋繁露・仁義法)
(仁と義のありどころについては、論ずることがなくてよかろうか。そもそも目は見なければ見えず、心は論じなければ得られない。天下の美味があっても、食べなければその旨さはわからないのである。聖人のすばらしい道があっても、論じなければ、その意義はわからないのである。)

『春秋繁露』の例は、先に「可無論乎」と述べながら、すぐ後で「弗論、不知其義也」と述べています。
「弗」によって否定された「論」はもちろん動詞ですが、それゆえに先行する「可無論乎」の「論」も同じ可能性があります。

この2例は、いずれも「いうまでもない」という慣用的な意味では用いられていません。
「議論することがない」という一般的な意味です。
先行する文献に「いうまでもない」の意の「無論」が見当たらないのに、「無論魏晋」の「無論」がその意味の慣用表現だとするのは、なんだか怪しくなってきます。

「無論」の例に該当するかどうかは微妙ですが、『桃花源記』に先行する例には、別に次のものもあります。

・上曰、「游撃将軍死事、無論坐者。」(漢書・韓王信列伝)
(主上はおっしゃった、「游撃将軍は国事に死したのであり、(家族の)連座するものを論じることはないようにせよ。)

あえて「ないようにせよ」とは訳しましたが、これは「無」が否定副詞として禁止の働きをするものです。

そもそも、「無」という漢字は「見えない・見えなくなる」という意味の音を「舞」を借りて表記したものだといい、「日が草に隠れて見えなくなる」意の「莫」、「人が物に隠れて見えなくなる」意の「亡」と同系の語です。
反対の意思表示、拒む意を表す「不・否」と、成り立ちが決定的に異なるのです。
「不」が否定的な意志を表すことがあるのに対して、「無」は客観的に存在しないことを表すのは、そもそもの成り立ちに起因するのでしょう。

先の『晏子春秋』の例「通国事無論」は、「無」が「不」と同じだとしてしまえば、「国家のことに通じていながら議論しない」となりますが、あくまで客観的に「議論することがない」と描写しているのであって、そのような者とは「不朝」(交わらない)と、「不」で表現者の否定的意志を示している。
また、『春秋繁露』の例「仁義之処、可無論乎」も、「論じなくてよかろうか」ではなくて、あくまで客観的に人として「論じることがない」ということが許されようかと述べているのだと思います。

『漢書』の「無論坐者」も、「連座するものを論じること」の存在を客観的に否定し、それを禁止に用いたもので、副詞的用法とはいえ、もともとの動詞「無」とまったく別のものではありません。

そのように考えてくると、「乃不知有漢、無論魏晋」は、「なんと漢があったことを知らず、魏・晋を論じることはない」を出発点としてみなければなりません。

そもそも漢の存在自体を知らないのですから、「不論魏晋」と表現することはできません。
なぜなら、「不論」は「論じない」という否定的意志を表しますが、意志も何も魏晋そのものを知らないのに論じようとすることなどあり得ないからです。
つまり、客観的に「魏晋を論じることがない」と表現されたものでしょう。

『桃花源記』に近い時代の例を見てみましょう。

無論潤色未易、但得我語亦難矣。(南斉書・劉絵列伝)
(表現の手直しが易しくないのは言うまでもなく、自分が納得いくことばを見つけるのもまた難しいのだ。)

この「無論」は、「言うまでもなく」と解することができます。

・謝方明可謂名家駒。直置便自是台鼎人、無論復有才用。(宋書・謝方明列伝)
(謝方明は最上の名馬といえる。ただこのままで高官で、さらに才能があることを論ずる必要はない。)

この例は複文の後句で用いられていますが、「さらに才能があるのはいうまでもない」とは解せず、「論じる必要はない」の意でしょう。

無論君不帰、君帰芳已歇。(謝朓「王孫游」)
(あなたが帰って来ないことを論じることなく(=あなたが帰って来られなくても)、あなたが帰ってくれば芳しい香りはすでにやんでいるでしょう(=私の容貌は衰えているでしょう。))

この例も「あなたが帰ってこないことは言うまでもなく」の意では解せません。
この2つの例は、「無論」以下の内容をあれこれ議論することの不必要を表現したものと考えられます。

・逝者長辞、無論栄価、文明叙物、敦厲斯在。(魏書・儒林列伝)
(死者は長く辞して帰らず、栄誉を論じることなく、良いことを明らかにし、提示し勉励するがこのようにあるばかりだ。)

この例は、「論じることがない」そのままの意味で、死んだ人はもはや栄誉を論じることがないのです。

・則物見昭蘇、人知休泰、徐奏薫風之曲、無論鴻雁之歌、豈不天人幸甚、鬼神咸抃。(魏書・恩倖列伝)
(このようにして物は蘇りを示し、人は安寧を知り、やがて「薫風の曲」(舜が作ったといわれ、南風が民の怒りを解き、民の財を豊かにすると歌う)を奏でるようになり、「鴻雁の歌」(詩経・小雅にある、住まいを失って離散する民を周の宣王がいたわることを歌う、転じて災いにより流浪する民)を論じることもなくなったのは、天と人の無上の幸せであり、鬼神もみな手をうって喜ぶことではないか。)

この例も、「鴻雁の歌」すなわち離散の苦しみをあれこれいうことはないの意で、やはり「論じることがない」そのままの意味だと思います。

・察今之挙人、良異于此。無論諂直、莫択賢愚。(北史・儒林列伝下)
(現在の人材登用を見ると、実にこれとは異なっている。媚びへつらう者か正直者かは言うまでもなく、賢者か愚者かを選ぶこともない。)

この例は、本来人材登用の要注意項目となる「媚びへつらう者か正直者か」を見極めることが抜け落ちていることは言うまでもなくという意味でしょうから、「言うまでもなく」の意に解してよいでしょう。

・林子兄弟挺身直入、斬預首、男女無論長幼悉屠之、以預首祭父祖墓。(南史・沈約列伝)
(林子の兄弟は身を投げ出してただちに入り、沈預の首を斬り、男女は年長幼少を論ずることなくことごとくこれを殺し、沈預の首を父祖の墓に祭った。)

この例の場合は、もちろん「長幼はいうまでもなく」の意ではなく、「長幼の区別なく」ということでしょう。

このように用例を見てくると、次のことがわかります。

①「いうまでもない」の意味で用いられる「無論」の用例は、手元の資料からは『桃花源記』以前には見当たらない。

②『桃花源記』に近い時代の用例では、「無論」には次のように複数の意味が見られ、「言うまでもない」と解せるものが突出して多いとはいえない。
  ・~はいうまでもない。
  ・論じる必要はない。
  ・論じることはない。
  ・区別することがない。

これにより、「無論」が「言うまでもない」という意味を表す慣用表現だとするのは、少なくとも『桃花源記』の時代にあっては、当を得ないものだということがわかります。

「無論」がどのような意味を表すのかは、やはり言語環境に左右されるものであって、「無論魏晋」が「魏晋(を知らないこと)はいうまでもない」と解されるのは、「乃不知有漢」(なんと漢があったことを知らない)を受ける文脈だからだというべきでしょう。
そして、これらの多くの用法は、「不」ではなく「無」がもつ「客観的にない」という描写の性質によるものだとも思います。

「有AB」の構造について

(内容:2つの賓語をとる「有AB」「無AB」の形式について考察する。)

前エントリーに続いて、今度は「有AB」の構造について考えたいと思います。
このように記号を用いて「有AB」と表記してみると、異なるいくつかの構造があり得ます。

たとえば、次の有名な文。

有朋自遠方来。(論語・学而)
(友がいて遠方から来る。/遠方から来る友達がいる。)

これは存在の兼語文で、

謂語「有」+賓語「朋」
      主語「朋」+介詞句「自遠方」+謂語「来」

兼語「朋」を介して2文が1文になったものです。
つまり存在の兼語文は、「有」によって存在が示された賓語が後の謂語の主語となる場合に限定されます。
ちなみに、この例文は『論語』では「朋」が単独では用いられず、「朋友」とするため、疑義が呈されています。
また、この例文のように「有」が無主語文の形をとり、存在する範囲を示す存在主語を「有」の前に取らない時は「ある友」ぐらいの意味を表すと説明されることもありますが、漢文に多く見られるこの形式が、まず「朋」の存在を示した上で、その「朋」がどうしたのかを説明する兼語文であることには変わりがありません。

次に、この例文。

有亡国、有殺君。(隋書・天文志下)
(国を滅ぼすことがある、君主を殺すことがある。)

これは厳密には「有AB」の構造とは言えず、「亡国」「殺君」が一つの名詞句であって、「有A」の形というべきです。
すなわち、それぞれ、謂語「亡」+賓語「国」、謂語「殺」+賓語「君」の構造が、「有」の賓語として名詞句になっているということです。
「有殺人者」という形式、つまり「有AB者」(BをAする者有り)の形をとることが多いのがその証拠です。

問題になるのは、A、Bの2つの語が、主謂構造または、謂賓構造をとらず、それぞれ単独に名詞または名詞句である場合です。

・在職多所献替、有益政道。(晋書・范甯列伝)
(在職期間中、行うべきものは勧め、行うべきではないことは改め、政務に益があった。)

この例では、謂語「有」に対し、「益」と「政道」の2つの賓語が置かれています。
「益」を「益する」という動詞として用いられることもありますが、名詞と判断する理由は、「有益」「無益」とされること、また、次のような例が見られることからも妥当だと思います。

・必有益於政。(晋書・隠逸列伝)
(必ず政治に益がある。)

この例でも明らかなように、介詞句「於政」は補語として謂語「有」を修飾しており、介詞「於」を省略すれば、「必有益政」となるわけです。

さて、前項で質問された次の例を見てみましょう。

・足下有意為臣伯楽乎。(戦国策・燕策二)

「足下臣の伯楽と為るに意有りや。」と読んで、「あなたは私の伯楽となることにお考えがありますか。」という意味でしょう。
あるいは、「足下臣の伯楽たるに意有りや。」と読み、「あなたは私の伯楽であることにお考えがありますか。」と解することもできるでしょう。

質問された文の「為臣伯楽」の部分が、謂語「為」+賓語「臣伯楽」の構造をとるために、若干わかりにくいのですが、これは名詞句に転じています。

問題になるのは、「意」が名詞か動詞かという点です。

・豈意此軍乃陥不義乎。(新唐書・李景略列伝)
(どうしてこの軍がよもや不義に陥るなどと予想したであろうか。)

この例の場合は、明らかに「意」は動詞で、「思う・考える・心にかける・予想する・はかる」などの意味を表します。
しかし、「意」は普通に「心・思い・思惑・狙い」の意の名詞としても用いられ、

・書不尽言、言不尽意。(易経・繋辞上)
(文字は言いたいことを表現し尽くせず、ことばは思いを表現しつくせない。)

・今者項荘抜剣舞、其意常在沛公也。(史記・項羽本紀)
(今項荘が剣を抜いて舞っているが、その狙いは常に沛公(を撃つこと)にあるのだ。)

などがその例です。

「有意」が単独で用いられる例としては、

・荊卿豈有意哉。(史記・刺客列伝)
(荊軻殿はなにか考えがおありか。)

などが見られ、また、その真逆の「無意」についても次のような例が見られます。

・相如視秦王無意償趙城、…(史記・廉頗藺相如列伝)
(藺相如は秦王が趙に都市を代償として渡すことに対してその気がないことを見て取り…)

特にこの「無」によって否定された例は、「意」が動詞ではなく、まぎれもない名詞であることを示すものだと思います。

そのように考えると、「足下有意為臣伯楽乎。」の「意為臣伯楽」が、「私の伯楽になることを思う」とか「私の伯楽になりたいと考える」と解するのは、依頼する側としてあまりに不自然で、やはり「考え」が「私の伯楽になること」に対してあるかないかという確認を求めたと解するべきでしょう。

この2つの賓語をとる「有AB」「無AB」の形式については、まだ解明できていない例があるのですが、ひとまず、同僚への説明は妥当であったと考えます。

「有AB」はなぜ「BにA有り」と読むのか:私見

  • 2019/10/09 23:27
  • カテゴリー:訓読
(内容:「有AB」の形を、なぜ「BにA有り」と訓読するのかについて私見を述べる。)

最近、教室の横を通ると、同僚の授業の黒板が見えることがあります。
古典中国語文法に基づいた漢文の構造が丁寧に説明されています。
勉強熱心な若い同僚たちが着実に力をつけてきています。
IT機器を駆使したり、アクティブラーニング等の授業技術の実践にも熱心な彼らですが、その大本になるべき学問的教養をおろそかにしない姿勢には、本当に嬉しくなります。

さて、その勉強熱心な同僚が、先日、ある文について質問してきました。
『戦国策・燕策二』の「蘇代為燕説斉」の条です。

足下有意為臣伯楽乎。
(足下臣の伯楽と為るに意有らんか。…読みは問題集のもの)

この文の構造がどうなっているのか教えてほしい、「為臣伯楽」は「意」を修飾しているのでしょうか?と。
この箇所は、彼の見た書物では「あなたは私の伯楽になる気持ちがあるか(ありませんか)。」と訳されています。
なるほど、訳が「私の伯楽になる」→「気持ち」と修飾する関係で訳されているので、先の質問になったわけです。

「足下臣の伯楽と為るに意有らんか。」という読みが適切かどうかはともかくとして、日本語訳自体は間違ってはいません。
もう少し正確にいえば、自然な日本語としては適切な訳だろうということです。

構造的には、

主語「足下」+謂語「有」+賓語「意」+賓語「為臣伯楽」+語気詞「乎」

で説明されると思うので、同僚にはそう説明して、「あなたは気持ちを私の伯楽になることに対してもちますか」もしくは「あなたは気持ちを私の伯楽であることに対してもちますか」から、「あなたは私の伯楽になるおつもりがありますか」と意訳されることもあると解説しました。

しかし、個人的にふと疑問に感じたことがあったのと、本当にそれで正しかったかという検証が必要だと思い、少し調べてみることにしました。

私が抱いた疑問というのは、古典中国語文法とは関係なくて、AB2つの賓語をとる「有AB」の文を、なぜ「BにA有り」と訓読するのか?です。
「ABに有り」となぜ読まないのか?とも言い換えられます。
これは日本語の問題、訓読の問題なので、解決不能かもしれないな…と感じました。

「有AB」の文は、「有A於B」の形をとることが多く、その意味であるいは介詞「於」の省略形かもしれません。

・今有宝剣良馬於此、玩之不厭、視之無倦。(呂氏春秋・不苟論)
(今此に宝剣良馬有れば、之を玩(もてあそ)びて厭かず、之を視て倦むこと無し。)
(いまここに宝剣や良馬があれば、それを厭きることなく賞玩し、倦むことを知らずに眺めやる。)

読みと訳は『新編漢文選3 呂氏春秋・下』(明治書院1998)によりましたが、やはり「宝剣良馬此に有れば」ではなく「此に宝剣良馬有れば」と読まれています。

・今有璞玉於此、…(孟子・梁恵王下)
(今此に璞玉有らんに、…)
(今ここに山から掘り出したままで、まだ磨いていない玉があったとする。)

これも同様の例になりますが、『新釈漢文大系4・孟子』(明治書院1962)では、前の例と同じ語順で読まれています。

通常、存在文は、「A有B。」(AにB有り。)の形をとります。
存在主語「A」+謂語「有」+賓語「B」の構造で、賓語Bは意味上の主語となり、構造上の主語AはBが存在する範囲を示します。

・甕中有人。(広異記・10)
(甕中に人有り。)
(かめの中に人がいる。)

この例なら賓語「人」が意味上の主語となり、存在主語「甕中」がその存在する範囲を表すことになります。
Aが明確に範囲を表す場合は、訓読では必ず「AにB有り」と読みます。
これは理にかなった読み方と言えるでしょう。

それに対して、同じ「あり」と読む動詞には「在」があります。
「A在B。」(ABに在り。)の構造をとり、「AがBにある・いる」という意味を表します。

・令史在甕中。(広異記・10)
(令史甕中に在り。)
(令史がかめの中にいる。)

同じ出典の同じ文章の中で、2通りの表現を見つけました。

この「有」と「在」の違いは周知のことで、荻生徂徠の『訓訳示蒙』に明快に述べられています。

有ト無ト對ス 在ハ没又去ト對ス 有ハ只アリ 在ハニアリト心得ルナリ 在ハマシマストヨミテ居ル意ニ使フモ同ジコトナリ 有字ノ下ハ物ナリ 在字ノ下、居處ナリ 市有人(市ニ人有リ)人在市(人市ニ在リ)コレニテヨクスムゾ
(「有」は「無」の反義である。「在」は「没」または「去」の反義である。「有」はただ「あり」、「在」は「にあり」と理解するのだ。「在」は「まします」と読んで「居る」の意味で用いるのも同じことである。「有」の字の下は物である。「在」の字の下は場所である。「市有人」(市に人がいる)、「人在市」(人が市にいる)、これで了解できる。)

要するに、「有」は存在を表し、「在」は場所を表すということです。
したがって、「有」の下には存在する物が置かれ、「在」の下には存在する場所が示されます。

先の2例を対比しやすくするために次のように加工してみます。

・甕中有人。(甕中に人有り。)
・人在甕中。(人甕中に在り。)

訓読では、「A有B」の場合「AにBあり」と読み、「B在A」の場合「BAにあり」という読み分けがあるわけです。

ところが、存在を表す謂語動詞「有」は、「有B(於)A」の形をとることがあります。
上の例文が、理論上「有人於甕中。」の形をとることができるのは、次の例文からも明らかです。

・有人於此。(孟子・告子下)
(此に人あり。)
(ここに人がいる。)

ちなみに本来の存在文の形式に戻した「此有人。」という例文は見当たらず、必ず「於此有人。」の形をとります。

「甕中有人。」と「有人於甕中。」の表す意味自体は同じはずですが、なぜこのような2通りの表現があるのかについては、よく言われるように、中国語は既知情報が先、未知情報は後に表現されるということで説明できるのではと思います。
たとえば、以前のエントリーで取り上げた韓愈のいわゆる「馬説」に、連続する次の2文があります。

・世有伯楽、然後有千里馬。
(世に伯楽がいて、はじめて千里の馬がいる。)
・千里馬常有、伯楽不常有。
(千里の馬は常にいるが、伯楽は常にはいない。)

前文は世に存在する「伯楽」や「千里馬」は、読者にとっていわば未知情報にあたるので後に、後文はすでにその存在が示された「伯楽」「千里馬」は既知情報になるので主題主語として先に示されています。

このように考えると、「甕中有人。」は、すでにかめの存在が明らかになっているが、その中に人がいるということは未知情報であるために「甕中」が先に示され、「有人於甕中。」は、「人」の存在もかめの存在も未知情報ではあるが、まず人の存在を示すことが先で、それがどこに存在するのかという未知情報がその後に置かれていると説明されるのではないでしょうか。

漢文の構造に踏み込みましたが、さて、もう一度2つの文の読みを比べてみましょう。

甕中有人。  →甕中に人有り。
有人於甕中。 →甕中に人有り。

どちらも同じ読み方です。
もしも、後者を「人甕中に有り」と読めば、どうなるでしょう。
「人甕中にあり」と読まれた文は、「人在甕中。」のように聞こえます。

確かなことはわからず、現時点では訓読の慣習としか言えないのですが、「有AB」を「ABに有り」と読まず、「BにA有り」と読むのは、案外そんなところが理由なのかもしれません。

もう一つの課題、「足下有意為臣伯楽乎。」の構造が、私の説明でよかったのかどうかについては、項を改めて書いてみようと思います。

旧著全面改定着手と周辺事情

  • 2019/10/01 06:55
  • カテゴリー:その他
(内容:拙作の漢文の語法書について、全面的な改訂に着手すること、また、その諸事情の報告。)

拙著『概説 漢文の語法』は、古典中国語文法を基礎において、漢文をわかりやすく説明しようと試みた語法書です。
もともとは高校生のために執筆したのですが、無料ということもあって、Webを通じて多くの方に利用いただいています。

ですが、自分なりに研究を進めて、改めて本書を見れば見るほどに、あちこちに気に入らないところがあり、全面的に書き直したいものだと、ずっと思い続けています。

そんなある日、たまたま『概説 漢文の語法』という文字列を検索サイトで調べてみると、おやおや怪しげなサイトがうじゃうじゃヒットします。
どうやら、サイトのセキュリティーに問題があったのだかどうだか、当ブログの1記事が盗まれ、いかがわしい通販サイトに改竄されていたわけです。
これはゆゆしきことです!

このような輩は許せず、腹立たしい限りです。

セキュリティーを強化し、以後の対策は講じましたが、一度盗まれた部分については、もうどうしようもありません。
なにより、『概説 漢文の語法』という文字列で検索すると、不誠実なサイトにつながること、ひょっとすると詐欺行為に加担するかもしれぬこと、それが耐えられませんでした。

まあ抜本的な解決にはならないのですが、次のことを決意しました。
1.を全面的に書き改め、書名も変更する。
2.現ブログを移転し、サイト名を変更する。
3.ブログの過去記事やコンテンツを新サイトに移転し、ブログ名や『概説 漢文の語法』などの文字列を別の名称にするか、なんらかの対策をする。

という、気分の悪い周辺事情が後押しをして、全面改定に踏み切ることになったわけですが…

さしあたって、新書名をどうするか?これが意外に難しい。
現在の候補です。

1.真に理解するための漢文法解説
2.漢文法詳解
3.明解漢文法

なんだかどれもぱっとしません。
1は書名らしくないし、2は固い、3はどこぞの辞書のようです。

もし読者や利用者のみなさんによいアイデアがありましたら、お知らせください。

もっと難しいのがサイト名です。
今のブログ名は、わずか数秒で決めた記憶があるんですが、いざ変えるとなると、なんだかどれもぱっとしない。

サイトの移転は、改訂漢文法が完成してからと考えています。
少しずつですが、よりよい内容に書き改めていくつもりですので、気長にお待ちください。
この際、現行の「です・ます」体を改め、「だ・である」体とし、筆者の文体が生き生きと伝わるように、少し癖のある文体をめざすつもりです。

ご期待ください。

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