「有AB」の構造について
- 2019/10/10 06:50
- カテゴリー:漢文の語法
(内容:2つの賓語をとる「有AB」「無AB」の形式について考察する。)
前エントリーに続いて、今度は「有AB」の構造について考えたいと思います。
このように記号を用いて「有AB」と表記してみると、異なるいくつかの構造があり得ます。
たとえば、次の有名な文。
有朋自遠方来。(論語・学而)
(友がいて遠方から来る。/遠方から来る友達がいる。)
これは存在の兼語文で、
謂語「有」+賓語「朋」
主語「朋」+介詞句「自遠方」+謂語「来」
兼語「朋」を介して2文が1文になったものです。
つまり存在の兼語文は、「有」によって存在が示された賓語が後の謂語の主語となる場合に限定されます。
ちなみに、この例文は『論語』では「朋」が単独では用いられず、「朋友」とするため、疑義が呈されています。
また、この例文のように「有」が無主語文の形をとり、存在する範囲を示す存在主語を「有」の前に取らない時は「ある友」ぐらいの意味を表すと説明されることもありますが、漢文に多く見られるこの形式が、まず「朋」の存在を示した上で、その「朋」がどうしたのかを説明する兼語文であることには変わりがありません。
次に、この例文。
有亡国、有殺君。(隋書・天文志下)
(国を滅ぼすことがある、君主を殺すことがある。)
これは厳密には「有AB」の構造とは言えず、「亡国」「殺君」が一つの名詞句であって、「有A」の形というべきです。
すなわち、それぞれ、謂語「亡」+賓語「国」、謂語「殺」+賓語「君」の構造が、「有」の賓語として名詞句になっているということです。
「有殺人者」という形式、つまり「有AB者」(BをAする者有り)の形をとることが多いのがその証拠です。
問題になるのは、A、Bの2つの語が、主謂構造または、謂賓構造をとらず、それぞれ単独に名詞または名詞句である場合です。
・在職多所献替、有益政道。(晋書・范甯列伝)
(在職期間中、行うべきものは勧め、行うべきではないことは改め、政務に益があった。)
この例では、謂語「有」に対し、「益」と「政道」の2つの賓語が置かれています。
「益」を「益する」という動詞として用いられることもありますが、名詞と判断する理由は、「有益」「無益」とされること、また、次のような例が見られることからも妥当だと思います。
・必有益於政。(晋書・隠逸列伝)
(必ず政治に益がある。)
この例でも明らかなように、介詞句「於政」は補語として謂語「有」を修飾しており、介詞「於」を省略すれば、「必有益政」となるわけです。
さて、前項で質問された次の例を見てみましょう。
・足下有意為臣伯楽乎。(戦国策・燕策二)
「足下臣の伯楽と為るに意有りや。」と読んで、「あなたは私の伯楽となることにお考えがありますか。」という意味でしょう。
あるいは、「足下臣の伯楽たるに意有りや。」と読み、「あなたは私の伯楽であることにお考えがありますか。」と解することもできるでしょう。
質問された文の「為臣伯楽」の部分が、謂語「為」+賓語「臣伯楽」の構造をとるために、若干わかりにくいのですが、これは名詞句に転じています。
問題になるのは、「意」が名詞か動詞かという点です。
・豈意此軍乃陥不義乎。(新唐書・李景略列伝)
(どうしてこの軍がよもや不義に陥るなどと予想したであろうか。)
この例の場合は、明らかに「意」は動詞で、「思う・考える・心にかける・予想する・はかる」などの意味を表します。
しかし、「意」は普通に「心・思い・思惑・狙い」の意の名詞としても用いられ、
・書不尽言、言不尽意。(易経・繋辞上)
(文字は言いたいことを表現し尽くせず、ことばは思いを表現しつくせない。)
・今者項荘抜剣舞、其意常在沛公也。(史記・項羽本紀)
(今項荘が剣を抜いて舞っているが、その狙いは常に沛公(を撃つこと)にあるのだ。)
などがその例です。
「有意」が単独で用いられる例としては、
・荊卿豈有意哉。(史記・刺客列伝)
(荊軻殿はなにか考えがおありか。)
などが見られ、また、その真逆の「無意」についても次のような例が見られます。
・相如視秦王無意償趙城、…(史記・廉頗藺相如列伝)
(藺相如は秦王が趙に都市を代償として渡すことに対してその気がないことを見て取り…)
特にこの「無」によって否定された例は、「意」が動詞ではなく、まぎれもない名詞であることを示すものだと思います。
そのように考えると、「足下有意為臣伯楽乎。」の「意為臣伯楽」が、「私の伯楽になることを思う」とか「私の伯楽になりたいと考える」と解するのは、依頼する側としてあまりに不自然で、やはり「考え」が「私の伯楽になること」に対してあるかないかという確認を求めたと解するべきでしょう。
この2つの賓語をとる「有AB」「無AB」の形式については、まだ解明できていない例があるのですが、ひとまず、同僚への説明は妥当であったと考えます。
前エントリーに続いて、今度は「有AB」の構造について考えたいと思います。
このように記号を用いて「有AB」と表記してみると、異なるいくつかの構造があり得ます。
たとえば、次の有名な文。
有朋自遠方来。(論語・学而)
(友がいて遠方から来る。/遠方から来る友達がいる。)
これは存在の兼語文で、
謂語「有」+賓語「朋」
主語「朋」+介詞句「自遠方」+謂語「来」
兼語「朋」を介して2文が1文になったものです。
つまり存在の兼語文は、「有」によって存在が示された賓語が後の謂語の主語となる場合に限定されます。
ちなみに、この例文は『論語』では「朋」が単独では用いられず、「朋友」とするため、疑義が呈されています。
また、この例文のように「有」が無主語文の形をとり、存在する範囲を示す存在主語を「有」の前に取らない時は「ある友」ぐらいの意味を表すと説明されることもありますが、漢文に多く見られるこの形式が、まず「朋」の存在を示した上で、その「朋」がどうしたのかを説明する兼語文であることには変わりがありません。
次に、この例文。
有亡国、有殺君。(隋書・天文志下)
(国を滅ぼすことがある、君主を殺すことがある。)
これは厳密には「有AB」の構造とは言えず、「亡国」「殺君」が一つの名詞句であって、「有A」の形というべきです。
すなわち、それぞれ、謂語「亡」+賓語「国」、謂語「殺」+賓語「君」の構造が、「有」の賓語として名詞句になっているということです。
「有殺人者」という形式、つまり「有AB者」(BをAする者有り)の形をとることが多いのがその証拠です。
問題になるのは、A、Bの2つの語が、主謂構造または、謂賓構造をとらず、それぞれ単独に名詞または名詞句である場合です。
・在職多所献替、有益政道。(晋書・范甯列伝)
(在職期間中、行うべきものは勧め、行うべきではないことは改め、政務に益があった。)
この例では、謂語「有」に対し、「益」と「政道」の2つの賓語が置かれています。
「益」を「益する」という動詞として用いられることもありますが、名詞と判断する理由は、「有益」「無益」とされること、また、次のような例が見られることからも妥当だと思います。
・必有益於政。(晋書・隠逸列伝)
(必ず政治に益がある。)
この例でも明らかなように、介詞句「於政」は補語として謂語「有」を修飾しており、介詞「於」を省略すれば、「必有益政」となるわけです。
さて、前項で質問された次の例を見てみましょう。
・足下有意為臣伯楽乎。(戦国策・燕策二)
「足下臣の伯楽と為るに意有りや。」と読んで、「あなたは私の伯楽となることにお考えがありますか。」という意味でしょう。
あるいは、「足下臣の伯楽たるに意有りや。」と読み、「あなたは私の伯楽であることにお考えがありますか。」と解することもできるでしょう。
質問された文の「為臣伯楽」の部分が、謂語「為」+賓語「臣伯楽」の構造をとるために、若干わかりにくいのですが、これは名詞句に転じています。
問題になるのは、「意」が名詞か動詞かという点です。
・豈意此軍乃陥不義乎。(新唐書・李景略列伝)
(どうしてこの軍がよもや不義に陥るなどと予想したであろうか。)
この例の場合は、明らかに「意」は動詞で、「思う・考える・心にかける・予想する・はかる」などの意味を表します。
しかし、「意」は普通に「心・思い・思惑・狙い」の意の名詞としても用いられ、
・書不尽言、言不尽意。(易経・繋辞上)
(文字は言いたいことを表現し尽くせず、ことばは思いを表現しつくせない。)
・今者項荘抜剣舞、其意常在沛公也。(史記・項羽本紀)
(今項荘が剣を抜いて舞っているが、その狙いは常に沛公(を撃つこと)にあるのだ。)
などがその例です。
「有意」が単独で用いられる例としては、
・荊卿豈有意哉。(史記・刺客列伝)
(荊軻殿はなにか考えがおありか。)
などが見られ、また、その真逆の「無意」についても次のような例が見られます。
・相如視秦王無意償趙城、…(史記・廉頗藺相如列伝)
(藺相如は秦王が趙に都市を代償として渡すことに対してその気がないことを見て取り…)
特にこの「無」によって否定された例は、「意」が動詞ではなく、まぎれもない名詞であることを示すものだと思います。
そのように考えると、「足下有意為臣伯楽乎。」の「意為臣伯楽」が、「私の伯楽になることを思う」とか「私の伯楽になりたいと考える」と解するのは、依頼する側としてあまりに不自然で、やはり「考え」が「私の伯楽になること」に対してあるかないかという確認を求めたと解するべきでしょう。
この2つの賓語をとる「有AB」「無AB」の形式については、まだ解明できていない例があるのですが、ひとまず、同僚への説明は妥当であったと考えます。