「則」と「即」について・1
- 2021/05/28 07:05
- カテゴリー:漢文の語法
(内容:「すなはち」と読まれる「則」と「即」の違いについて考察する、その1。)
ひとしく「すなはち」と読む「則」と「即」がどのように意味が異なるのか、最近なかなか解決のつかない問題として頭を悩ませています。
このブログのページエントリーで、「『鴻門の会』・語法注解」を公開していますが、その中の一節、
・范増起、出召項荘、謂曰、「君王為人不忍、若入前為寿、寿畢、請以剣舞、因撃沛公於坐、殺之。不者、若属皆且為所虜。」荘則入為寿、寿畢、曰、「君王与沛公飲、軍中無以為楽、請以剣舞。」
(▼范増起ち、出でて項荘を召し、謂ひて曰はく、「君王人と為り忍びず、若入り前(すす)みて寿を為し、寿畢(を)はらば、剣を以て舞はんことを請ひ、因りて沛公を坐に撃ち、之を殺せ。不(しから)ずんば、若が属皆且(まさ)に虜とする所と為らんとす」と。荘則ち入りて寿を為し、寿畢はりて、曰はく、「君王沛公と飲むも、軍中に以て楽を為す無し、請ふ剣を以て舞はん」と。
▽范増は立ち上がり、(宴会場を)出て項荘を呼び寄せ、(彼に)告げて、「君王(=項王)は人柄が無慈悲ではない、お前が(中に)入り進み出て長寿の祝いをし、長寿の祝いが終わったら、剣で舞うことを求め、その機に沛公を席上に斬りつけ、彼を殺せ。そうしなければ、お前たちはみな捕虜になるであろう」と言った。項荘はすぐに(会場に)入り長寿の祝いをし、祝いが終わると、「君王は沛公と飲んでいらっしゃるが、軍中には音楽をなす手立てがありませんので、どうか剣で舞わせてください」と言った。)
この場面で、「荘則入為寿」の「則」について、
「則」は、即時を表す時間副詞。「即」に通じる。すぐに。
と注をつけました。
しかし、今読み返すと、不用意な注に思えます。
「則」が「即」に通じるというのは、各種虚詞詞典にも見られるものですが、しかし、ここの「則」は、本当に「すぐに」の意であったでしょうか。
たとえば、何楽士の『古代漢語虚詞詞典』(語文出版社2006)には、「則」の副詞の用法として、次のように記載されています。
时间副词。用在后一动词谓语之前作状语,表示与前面的动作行为时间相距很近。可译为“就”、“便”等。
(時間副詞。後の動詞謂語の前で用いられて状語となり,前の動作行為と時間がとても接近していることを表す。“就”、“便”(すぐに・ただちに)などと訳せる。)
そしていくつか例が挙がっている中に、次の例がありました。
(1)於是至則囲王離,与秦軍遇,九戦,……大破之。(史記・項羽本紀)
(▼是に於て至れば則ち王離を囲み、秦軍と遇ひ、九戦し、……大いに之を破る。
▽そこで(鉅鹿に)至るとすぐに王離の軍を包囲し,秦軍とあって,九回戦い,……大いにこれを打ち破った。)
(2)項王則受璧,置之坐上。亜父受玉斗,置之地,抜剣撞而破之。(史記・項羽本紀)
(▼項王則ち璧を受け,之を坐上に置く。亜父玉斗を受け,之を地に置き,剣を抜き撞きて之を破る。
▽項王はすぐに璧を受け,それを座のそばに置いた。亜父は玉斗を受け、それを地に置き、剣を抜き突いてそれを壊した。)
この(2)の「項王則受璧」についても、拙「語法注解」では、
「則」は、時間副詞。前に述べられたことと、動作行為が近接して行われることを表す。すぐに。張良の話を聞き終わり、すぐに受け取ったということ。次の范増とは異なり、こだわりなくすぐに受け取ったわけである。
などと述べてしまったのですが…
しかし、この「項王則受璧」の「則」も、本当に「即」に通じて「すぐに」という意味を表しているのでしょうか。
参考書を開いてみると、「則」の働きとしてさまざまなものが挙げてあります。
「ただ」と範囲を限定する働きだとか、強意の用法だとか、「即」に通じて「すぐに」の意味を表すだとか。
中国の各種虚詞詞典にも同様の記述が見られます。
まず、最初の範囲副詞としての働きですが、
・口耳之間則四寸耳。(荀・勧学)
(▼口耳の間は則ち四寸のみ。)
この例は何楽士の『古代漢語虚詞詞典』(語文出版社2006)に示されているものですが、範囲を限定しているのは、語気詞「耳」の働きではないでしょうか。
このような語気詞が伴わず、「則」だけで範囲を表す例を示さない限り、「則」が範囲副詞として機能していることを証明し得ないでしょう。
さて、最近は中国の虚詞詞典に書かれているからといって、それを鵜呑みにはできないという思いを強くしています。
前後の文脈からそのように解釈すれば、合理的に説明できるわけですが、それはその字の真の働きとは限らないでしょう。
そういうふうに自分を戒め、安易な判断はしないでおこうと心していたのですが、拙「『鴻門の会』・語法注解」では、うっかりそれをやってしまったわけです。
もう一度考え直しです。
「則」と「即」が相通じるという話でよく例に出されるのが、次の文です。
・先即制人、後則為人所制。(史記・項羽本紀)
普通は「先んずれば即ち人を制し、後(おく)るれば則ち人の制する所と為る。」と読まれています。
「後則為人所制」は、「人より遅れれば人に支配される」の意で、「則」は本来の働き「その場合は」という意味を表しています。
それの対になっているから「先即制人」は「人より先に動けば人を支配する」と解して、この「即」は「則」と同義で用いられているとされるわけです。
また、同じ字を重ねて用いることを避けるために、「即」と「則」を用いたとも説明されることがあります。
そのように説明されれば、なるほどと思ってしまうわけですが…
しかし、たとえば「すぐに」の意味で本来「即」を用いるべき箇所で、あえて「則」を用いる理由はなぜでしょうか。
「荘則入為寿」や「項王則受璧、置之坐上」の「則」は、「即」との重複を避けるために用いられているわけではありません。
前後の文脈上、もし「則」を「即」の意に解すれば、「すぐに」という解釈が可能になりますが、「則」の字そのものの機能として検討するという過程が必要なのではないでしょうか。
「則」の字は、その成り立ちが、「刀で傷つける」意とも「基準に照らして器の肉を切り分ける」意とも「器に刀を添える」意ともいわれます。
転じて「法則」「規則」の意に用いられます。
その原義が、虚詞「則」の働きに通じているはずです。
「A則B」(AすればBする)は、「Aする場合はBする」との法則に基づくもので、「則」本来の機能として納得いくものです。
「後則為人所制」は、「遅れる場合→人に支配される」の構造になっているわけで、「則」の機能からずれるものではありません。
一方、「即」の字は、「食卓につく」が原義の字で、接着が基本義です。
時間的な接着を表せば、「すぐに」という意味になるわけです。
Aは接着してB、つまり「A即B」(A即ちBなり)の形で判断を表して「AはつまりBである」「AはとりもなおさずBである」という意味を表すこともあります。
また、Aすることに接着してBすることが起きる場合なら、前に述べた条件で必ず次の事が起きる必定を表すことになります。
これらはいずれも接着を基本義とする「即」の字本来の機能です。
この最後の用法が、「法則」を原義とする「則」に似ているわけです。
しかし、同じでしょうか?
つまり、「先即制人」と「後則為人所制」は、同じ関係なのでしょうか?
私には、「先んずる」ことがそのまま「人を支配する」ことに接着するのであって、「先んずる」場合は「人を支配する」というのとは違うように思えるのです。
このことについて、松下大三郎氏は『標準漢文法』で次にように述べています。
「則」には日本の「は」又は「ば」の意味が有るが「即」は平説であつてそんな意味がない。
先ンズル即制人、後ルレバ則為人所制。
(2例省略)
これらの「即」は「則」を代入することが出來るから「即」と「則」が相通ずる樣だが、併し「即」には「は」の意義がない。「則」と「即」とを區別して讀めば
先則制人……先んずれば則ち人を制す
先即制人……先んずる即ち人を制す
(2例省略)
の如くいふべきである。
氏の「先んずる即ち人を制す」をきちんと理解できているかどうか自信はありませんが、少なくとも私も「先則制人」と「先即制人」は違うように思えるのです。
直接読んだわけではないので不適切かもしれませんが、古人が同じ字を重ねて用いることを避けるということについて、鮑善淳氏の『漢文をどう読みこなすか』(日中出版1986)に、そのような記述があるそうです。
しかし、私がつくったデータベースで検索をかけると、同じ「則」を連続して用いる例は山のようにヒットします。
たとえば、
・利則進、不利則退。(史記・匈奴列伝)
(▼利なれば則ち進み、利ならざれば則ち退く。
▽有利であれば進み、不利であれば退却する。)
・諸侯而驕人則失其国、大夫而驕人則失其家。(史記・魏世家)
(▼諸侯にして人に驕れば則ち其の国を失ひ、大夫にして人に驕れば則ち其の家を失ふ。
▽諸侯で人に傲慢であればその国を失い、大夫で人に傲慢であればその家を失う。)
・富貴則親戚畏懼之、貧賤則軽易之。(史記・蘇秦列伝)
(▼富貴なれば則ち親戚も之を畏懼し、貧賤なれば則ち之を軽易す。
▽富貴であれば親戚もこれを恐れ、貧賤であればこれを侮る。)
『史記』だけでも多く見られる用例の中から3例ほど示しました。
まして他の文献の用例となると膨大な量になります。
同じ字を重ねて用いることを避けるということはあるかもしれませんが、必ずしもそうとも限らないのはこれで明らかです。
つまり、「先即制人、後則為人所制」を、「先則制人、後則為人所制」と表現することは十分可能だったはずですが、会稽守の殷通は俚諺として「先即制人、後則為人所制」と聞き伝え、司馬遷も「先即制人、後則為人所制」と表現したのです。
私は「先即制人、後則為人所制」は、「人より先に動くことがとりもなおさず人を支配する、(ところが)人より遅れれば人に支配される」という意味ではないかと思います。
いったんここでお時間をいただいて、次は「項王則受璧」などについて考察してみたいと思います。
ひとしく「すなはち」と読む「則」と「即」がどのように意味が異なるのか、最近なかなか解決のつかない問題として頭を悩ませています。
このブログのページエントリーで、「『鴻門の会』・語法注解」を公開していますが、その中の一節、
・范増起、出召項荘、謂曰、「君王為人不忍、若入前為寿、寿畢、請以剣舞、因撃沛公於坐、殺之。不者、若属皆且為所虜。」荘則入為寿、寿畢、曰、「君王与沛公飲、軍中無以為楽、請以剣舞。」
(▼范増起ち、出でて項荘を召し、謂ひて曰はく、「君王人と為り忍びず、若入り前(すす)みて寿を為し、寿畢(を)はらば、剣を以て舞はんことを請ひ、因りて沛公を坐に撃ち、之を殺せ。不(しから)ずんば、若が属皆且(まさ)に虜とする所と為らんとす」と。荘則ち入りて寿を為し、寿畢はりて、曰はく、「君王沛公と飲むも、軍中に以て楽を為す無し、請ふ剣を以て舞はん」と。
▽范増は立ち上がり、(宴会場を)出て項荘を呼び寄せ、(彼に)告げて、「君王(=項王)は人柄が無慈悲ではない、お前が(中に)入り進み出て長寿の祝いをし、長寿の祝いが終わったら、剣で舞うことを求め、その機に沛公を席上に斬りつけ、彼を殺せ。そうしなければ、お前たちはみな捕虜になるであろう」と言った。項荘はすぐに(会場に)入り長寿の祝いをし、祝いが終わると、「君王は沛公と飲んでいらっしゃるが、軍中には音楽をなす手立てがありませんので、どうか剣で舞わせてください」と言った。)
この場面で、「荘則入為寿」の「則」について、
「則」は、即時を表す時間副詞。「即」に通じる。すぐに。
と注をつけました。
しかし、今読み返すと、不用意な注に思えます。
「則」が「即」に通じるというのは、各種虚詞詞典にも見られるものですが、しかし、ここの「則」は、本当に「すぐに」の意であったでしょうか。
たとえば、何楽士の『古代漢語虚詞詞典』(語文出版社2006)には、「則」の副詞の用法として、次のように記載されています。
时间副词。用在后一动词谓语之前作状语,表示与前面的动作行为时间相距很近。可译为“就”、“便”等。
(時間副詞。後の動詞謂語の前で用いられて状語となり,前の動作行為と時間がとても接近していることを表す。“就”、“便”(すぐに・ただちに)などと訳せる。)
そしていくつか例が挙がっている中に、次の例がありました。
(1)於是至則囲王離,与秦軍遇,九戦,……大破之。(史記・項羽本紀)
(▼是に於て至れば則ち王離を囲み、秦軍と遇ひ、九戦し、……大いに之を破る。
▽そこで(鉅鹿に)至るとすぐに王離の軍を包囲し,秦軍とあって,九回戦い,……大いにこれを打ち破った。)
(2)項王則受璧,置之坐上。亜父受玉斗,置之地,抜剣撞而破之。(史記・項羽本紀)
(▼項王則ち璧を受け,之を坐上に置く。亜父玉斗を受け,之を地に置き,剣を抜き撞きて之を破る。
▽項王はすぐに璧を受け,それを座のそばに置いた。亜父は玉斗を受け、それを地に置き、剣を抜き突いてそれを壊した。)
この(2)の「項王則受璧」についても、拙「語法注解」では、
「則」は、時間副詞。前に述べられたことと、動作行為が近接して行われることを表す。すぐに。張良の話を聞き終わり、すぐに受け取ったということ。次の范増とは異なり、こだわりなくすぐに受け取ったわけである。
などと述べてしまったのですが…
しかし、この「項王則受璧」の「則」も、本当に「即」に通じて「すぐに」という意味を表しているのでしょうか。
参考書を開いてみると、「則」の働きとしてさまざまなものが挙げてあります。
「ただ」と範囲を限定する働きだとか、強意の用法だとか、「即」に通じて「すぐに」の意味を表すだとか。
中国の各種虚詞詞典にも同様の記述が見られます。
まず、最初の範囲副詞としての働きですが、
・口耳之間則四寸耳。(荀・勧学)
(▼口耳の間は則ち四寸のみ。)
この例は何楽士の『古代漢語虚詞詞典』(語文出版社2006)に示されているものですが、範囲を限定しているのは、語気詞「耳」の働きではないでしょうか。
このような語気詞が伴わず、「則」だけで範囲を表す例を示さない限り、「則」が範囲副詞として機能していることを証明し得ないでしょう。
さて、最近は中国の虚詞詞典に書かれているからといって、それを鵜呑みにはできないという思いを強くしています。
前後の文脈からそのように解釈すれば、合理的に説明できるわけですが、それはその字の真の働きとは限らないでしょう。
そういうふうに自分を戒め、安易な判断はしないでおこうと心していたのですが、拙「『鴻門の会』・語法注解」では、うっかりそれをやってしまったわけです。
もう一度考え直しです。
「則」と「即」が相通じるという話でよく例に出されるのが、次の文です。
・先即制人、後則為人所制。(史記・項羽本紀)
普通は「先んずれば即ち人を制し、後(おく)るれば則ち人の制する所と為る。」と読まれています。
「後則為人所制」は、「人より遅れれば人に支配される」の意で、「則」は本来の働き「その場合は」という意味を表しています。
それの対になっているから「先即制人」は「人より先に動けば人を支配する」と解して、この「即」は「則」と同義で用いられているとされるわけです。
また、同じ字を重ねて用いることを避けるために、「即」と「則」を用いたとも説明されることがあります。
そのように説明されれば、なるほどと思ってしまうわけですが…
しかし、たとえば「すぐに」の意味で本来「即」を用いるべき箇所で、あえて「則」を用いる理由はなぜでしょうか。
「荘則入為寿」や「項王則受璧、置之坐上」の「則」は、「即」との重複を避けるために用いられているわけではありません。
前後の文脈上、もし「則」を「即」の意に解すれば、「すぐに」という解釈が可能になりますが、「則」の字そのものの機能として検討するという過程が必要なのではないでしょうか。
「則」の字は、その成り立ちが、「刀で傷つける」意とも「基準に照らして器の肉を切り分ける」意とも「器に刀を添える」意ともいわれます。
転じて「法則」「規則」の意に用いられます。
その原義が、虚詞「則」の働きに通じているはずです。
「A則B」(AすればBする)は、「Aする場合はBする」との法則に基づくもので、「則」本来の機能として納得いくものです。
「後則為人所制」は、「遅れる場合→人に支配される」の構造になっているわけで、「則」の機能からずれるものではありません。
一方、「即」の字は、「食卓につく」が原義の字で、接着が基本義です。
時間的な接着を表せば、「すぐに」という意味になるわけです。
Aは接着してB、つまり「A即B」(A即ちBなり)の形で判断を表して「AはつまりBである」「AはとりもなおさずBである」という意味を表すこともあります。
また、Aすることに接着してBすることが起きる場合なら、前に述べた条件で必ず次の事が起きる必定を表すことになります。
これらはいずれも接着を基本義とする「即」の字本来の機能です。
この最後の用法が、「法則」を原義とする「則」に似ているわけです。
しかし、同じでしょうか?
つまり、「先即制人」と「後則為人所制」は、同じ関係なのでしょうか?
私には、「先んずる」ことがそのまま「人を支配する」ことに接着するのであって、「先んずる」場合は「人を支配する」というのとは違うように思えるのです。
このことについて、松下大三郎氏は『標準漢文法』で次にように述べています。
「則」には日本の「は」又は「ば」の意味が有るが「即」は平説であつてそんな意味がない。
先ンズル即制人、後ルレバ則為人所制。
(2例省略)
これらの「即」は「則」を代入することが出來るから「即」と「則」が相通ずる樣だが、併し「即」には「は」の意義がない。「則」と「即」とを區別して讀めば
先則制人……先んずれば則ち人を制す
先即制人……先んずる即ち人を制す
(2例省略)
の如くいふべきである。
氏の「先んずる即ち人を制す」をきちんと理解できているかどうか自信はありませんが、少なくとも私も「先則制人」と「先即制人」は違うように思えるのです。
直接読んだわけではないので不適切かもしれませんが、古人が同じ字を重ねて用いることを避けるということについて、鮑善淳氏の『漢文をどう読みこなすか』(日中出版1986)に、そのような記述があるそうです。
しかし、私がつくったデータベースで検索をかけると、同じ「則」を連続して用いる例は山のようにヒットします。
たとえば、
・利則進、不利則退。(史記・匈奴列伝)
(▼利なれば則ち進み、利ならざれば則ち退く。
▽有利であれば進み、不利であれば退却する。)
・諸侯而驕人則失其国、大夫而驕人則失其家。(史記・魏世家)
(▼諸侯にして人に驕れば則ち其の国を失ひ、大夫にして人に驕れば則ち其の家を失ふ。
▽諸侯で人に傲慢であればその国を失い、大夫で人に傲慢であればその家を失う。)
・富貴則親戚畏懼之、貧賤則軽易之。(史記・蘇秦列伝)
(▼富貴なれば則ち親戚も之を畏懼し、貧賤なれば則ち之を軽易す。
▽富貴であれば親戚もこれを恐れ、貧賤であればこれを侮る。)
『史記』だけでも多く見られる用例の中から3例ほど示しました。
まして他の文献の用例となると膨大な量になります。
同じ字を重ねて用いることを避けるということはあるかもしれませんが、必ずしもそうとも限らないのはこれで明らかです。
つまり、「先即制人、後則為人所制」を、「先則制人、後則為人所制」と表現することは十分可能だったはずですが、会稽守の殷通は俚諺として「先即制人、後則為人所制」と聞き伝え、司馬遷も「先即制人、後則為人所制」と表現したのです。
私は「先即制人、後則為人所制」は、「人より先に動くことがとりもなおさず人を支配する、(ところが)人より遅れれば人に支配される」という意味ではないかと思います。
いったんここでお時間をいただいて、次は「項王則受璧」などについて考察してみたいと思います。