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「所~」を修飾する「尤」は何と読めばよいか?

(内容:「太宗尤所眷遇」の「尤」をどう解釈するか考察する。)

かなり以前に発行された漢文の受験対策問題集を見ていて、あれ?と思う一節に出会いました。
欧陽修の『帰田録』からの出題で、呂蒙正についての記述です。

・呂文穆公以寛厚為宰相、太宗尤所眷遇。有一朝士、家蔵古鑑、自言能照二百里、欲因公弟献以求知。其弟伺間従容言之、公笑曰、「吾面不過楪子大、安用照二百里。」其弟遂不復敢言。聞者歎服、以謂賢於李衛公遠矣。蓋寡好而不為物累者、昔賢之所難也。(帰田録・巻2)
(▼呂文穆公 寛厚を以て宰相と為り、[太宗尤所眷遇]。一朝士有り、家に古鑑を蔵し、自ら能く二百里を照らすと言ひ、公の弟に因り献じて以て知を求めんと欲す。其の弟 間を伺ひ、従容として之を言ふに、公笑ひて曰はく、「吾が面は楪子大を過ぎず、安くんぞ二百里を照らすを用ゐん。」と。其の弟遂に復た敢へて言はず。聞く者歎服し、以謂(おも)へらく李衛公より賢なること遠しと。蓋(けだ)し好むこと寡(すく)なくして物の累と為らざる者は、昔賢の難しとする所なり。)
(▽呂文穆公は寛大で穏やかであることから宰相となり、[太宗尤所眷遇]。一人の朝廷に仕える官吏が古い鏡を家蔵していて、自分で二百里を映すことができると言い、公の弟を通じて献上して知遇を得めようとした。その弟は機をうかがいおもむろにそのことを言うと、公が笑って言うには、「私の顔は楪子(=足台のある円形の漆器。皿)の大きさを上回らないのに、どうして二百里を映す必要があろうか。」と。その弟はそのままもう言おうとはしなかった。(その話を)聞く者は感じ入って、李衛公よりもはるかに賢明だと思った。思うに、寡欲にして物にわずらわされないことは、昔の賢者の難しいとしたことである。)

この「太宗尤所眷遇」は「尤(もつと)も眷遇する所なり」と読まれています。
調べてみると、20年以上も前に東京のとある国立大学の入試に出題されたもので、問題集の出版もその数年後ですから、この入試問題を採用したものだと思われます。

「眷遇」という語にはどちらも「重用する」という語注がついていました。
たまたま生徒にこの文はどういう意味だと思う?と問うてみると、「太宗がもっとも重く用いた人である」という答えが返ってきました。
「所」が後の動詞の不定の客体を表す名詞句をつくる語だという理解のきちんとできている生徒で、「ソレ」「ソコ」「ソノヒト」から、「ソノヒト」を選んで答えたわけです。
「所」が出てくるたびに、繰り返し繰り返しその働きを説明してきたおかげで、最近は彼らも「ソレを~するソレ」という理解がスムーズにできるようになってきました。

しかし、この生徒の答えに対して、「これ、そういう意味かな?」と言葉を濁しながら言うと、生徒の方も「違うんですか?」という顔をします。
私がひっかかったのは、「もっとも重用するひと」という意味の句がこの語順をとるか?ということでした。
この「太宗尤所眷遇」という句が、生徒の言うように「太宗がもっとも重く用いた人」という趣旨であることはほぼ間違いありません。
訓読というものは邦訳であって、必ずしも漢文の直訳でなければならないものではないと思うので、「尤も眷遇する所なり」と読んであるからといって、誤りというつもりはありません。
ただ、漢文の文法に照らした時、本当はどういう意味の句なのかと考えてみることは必要だと感じたのでした。

「眷遇」は、入試問題や問題集には「重用する」と注してありましたが、「眷」は「かへりみる」と訓じる語で「目をかける」の意ですから、「眷遇」とは「目をかけてもてなす」「手厚くもてなす」という意味です。
北宋の太宗が呂蒙正を手厚くもてなすから、重用するという意味になるわけです。
いずれにしても動詞です。
それは結構助詞「所」の後に置かれていることからも明らかです。
だから、「もっとも手厚くもてなす」なら「尤眷遇」(尤も眷遇す)となります。
この場合、「尤」は状語で「眷遇」を連用修飾する副詞です。

しかし、「所眷遇」は、「所」が「眷遇」の不定の客体を表すので、「ソノヒトを眷遇するソノヒト」の意の名詞句になります。
「尤」が「所」を飛び越えて「眷遇」を連用修飾することなどあるでしょうか?

『抱朴子』に次の文があります。

・世人以人所尤長、衆所不及者、便謂之聖。(抱朴子内篇・弁問)
(▼世人 人の尤も長ずる所、衆の及ばざる所の者を以て、便ち之を聖と謂ふ。)
(▽世の人は、人のもっともすぐれていること、衆人のおよばないことをもって、とりもなおさずそれを聖という。)

この「尤」は副詞として、動詞「長」を連用修飾しています。
したがって、「所」は、「尤」により修飾された「尤長」(もっともすぐれる)の依拠性に対する不定の客体を表す名詞句を作り、「ソレにもっともすぐれるソレ」という意味を表すことになります。

一方、『帰田録』の「所眷遇」は、「所」が「眷遇」の不定の客体を表す名詞句を作るので、「ソノヒトを厚くもてなすソノヒト」となります。
これは名詞なので、「尤所眷遇」の「尤」は副詞ではなく、連体修飾語になるはずです。

つまり、この問題は「所」の働きの問題ではありません。
「尤」という語の用いられ方というか、あるいは、日本語で「尤も重用する人」と表現する内容を、漢文では異なる表現のしかたをするのかもしれないということです。
あえて訳せば、「最大の重用する人」「最たる信頼者」とでもなるのでしょうか。

上最所信任、与図事帷幄之中、進退天下之士者、是矣。(漢書・京房伝)
(▼上の[最]信任する所にして、与(とも)に事を帷幄の中に図り、天下の士を進退する者、是れなり。)
(▽主上の[最]信任するひとで、そのひとと事を帷幄の中ではかり、天下の士を進めるも退けるもする者こそ、それです。)

今、国において乱をなしているものは誰かという元帝の問いに対して、京房が答えた言葉の一節です。
この「上最所信任」が、「主上が最も信任している人」という内容であることは明白ですが、前の「太宗尤所眷遇」と同じ構造をとっています。
これもあえて訳せば「主上の最大の信任する人」ということになるでしょうか。

考えてみれば、この構造というのは、何も「もっとも」と訓じる「尤」や「最」だけに限ったことではないと思います。
たとえば、

・時帝飲已酔、取常所佩刀擲之。(幽明録・巻2)
(▼時に帝飲みて已に酔ひ、[常]佩ぶる所の刀を取りて之を擲つ。)
(▽その時(晋の孝武)帝は酒を飲み酔っ払っていて、[常]帯びていた刀を取ってそれを投げつけた。)

この「常所佩刀」も、常に身につけていた刀を指していることは明白ですが、「所常佩刀」の語順をとっていません。
つまりは「常の佩ぶる所の刀」であって、あえて訳せば「いつもの身につけていた刀」となります。

他にも探せばいくらでもありそうです。

細かいことにこだわっているのかもしれませんが、「尤」や「最」は、我々が「もっとも」と副詞に読むのが普通であるために起こる違和感です。
「常所佩刀」などは「いつもの佩刀」とでも訳せば、多少は違和感が減るようです。

日本語と漢文の間にある、表現のしかたの異なりということになるでしょうか。
それがわかった上なら、「太宗尤所眷遇」を「太宗の尤も眷遇する所」と読んで「太宗が尤も重用する人」と訳す、「常所佩刀」を「常に佩ぶる所の刀」と読み「常に身につけている刀」と、日本語として自然に訓読したり訳したりするのは、それはそれでよいのかもしれません。
「太宗の尤なる眷遇する所」とか「常の佩ぶる所の刀」は、むしろ逆に不自然に感じる読みになってしまうからです。

細かいことにこだわったのかもしれません、しかし、「所」の働きを考えれば、こうなるだろうと思うし、またそうであれば、日本語と漢文の表現のしかたの異なり、あるいは漢文の中でも異なる表現があると、おもしろく感じました。

ただ、先に述べた東京のとある国立大学の入試問題では、「太宗尤所眷遇」の「尤」の読みを問うていました。
「所」の用法のわかった受験生は、「もつとも」と読むわけにいかず、困っただろうなと推察します。
私なら困っただろうし、「ゆうなる」「もつともなる」とでも答えて、誤答とされるでしょう。
もっとも、うちの生徒は「太宗がもっとも重く用いた人である」と訳したわけですから、困ることもなかったかもしれません

最後の研修会を開きました

  • 2025/02/16 17:03
  • カテゴリー:その他
(内容:2025年2月に京都教育大学附属高等学校で開催した研修会についての報告。)

2月15日(土)に、勤務校の京都教育大学附属高等学校において、教員対象の研修会を開きました。
次年度が再雇用も最後の年ということで、来年の研修会は国語科の発表はないために、これが最後の研修会になります。



定番教材の『孟子』性善説から、「四端の説」と「湍水の説」を取り上げ、その語法解説が中心になりました。
「可」と「可以」や、「所以」の用法、「之」の働きなど、思いつくままに講義をしたのですが、はたしてうまく伝え得たかどうか、いささか自信がありません。
中身のある講義だったかどうかはわかりませんが、一般に説かれることとは違う観点からの説明に終始し、先生方の刺激にはなったかもしれません。
50分×2コマの講義、間の15分休憩の際には、「ソレを理由に~するソレは」という声が聞こえてきたり…

遠方は秋田や山口からご参加いただいた先生もあり、うれしい限りでした。
秋田から見えられた先生は、私の最後の講義と知って、大雪をおして飛行機で駆けつけてくださったのでした。

ご参加いただいた先生方、本当にありがとうございました。

新年のご挨拶

  • 2025/01/03 14:20
  • カテゴリー:その他
(内容:2025年新年のご挨拶。)

注連縄の画像

みなさま、新年おめでとうございます。
漢文や漢文教育に興味をおもちの皆様に、少しでもお役に立ちたいとの思いで、このブログを公開しております。

ところが、旧年は再雇用でありながら、とても再雇用とは思えないほど公務が忙しく、まともに情報発信もできない体たらくでございました。
あるいは、寄る年波にこれまでのような気力が満ちてこないという現実もあるかもしれません。

しかしながら、そのようなことでは駄目で、まともな探究活動とは、無理に疑問をこさえて、ネットで情報を集めて貼り合わせることではなく、ちょっとした身近な「なぜだろう?」の思いをもって、調べに調べ、考えに考え抜く作業なのだという姿を、若い学生たちに見せていきたいものだと思っています。
再雇用もあと1年、気力をふりしぼって、頑張っていきたいと思います。

たいした目新しい情報もないブログではございますが、今年もよろしくお願い致します。

『臥薪嘗胆』の「出入」と「即」について

(内容:『十八史略』の「臥薪嘗胆」に見られる「出入」と「即」の意味について考察する。)

教育実習で学生さんに『十八史略』の「臥薪嘗胆」を授業してもらうことになりました。
指導案を見ながら気になるところを確認していくわけですが、本文の解釈でいくつか疑問が生じたところをただしてみました。

1.「出入」の動作主

・夫差志復讎、朝夕臥薪中、出入使人呼曰、…(十八史略・春秋戦国)
(▼夫差讎を復せんと志し、朝夕薪中に臥し、出入するに人をして呼ばしめて曰はく、…)
 ▽夫差は復讐しようと誓い、朝夕薪の中に伏せて、出入りの際、人に大声で言わせることには、…)

この「出入」について、学生さんは夫差の出入りだといいます。
調べた資料には、「出入」の動作主は夫差の部下とも夫差自身とも解せるが、文脈としては夫差とするのが自然であると書いてあったそうです。
私は、その「文脈として自然に解する」というのがよくわかりませんでしたが、あるいは、この一文を連動文として、先頭の「夫差」が「志」「臥」「出入」「使」の動作主であると考えているのかもしれません。

授業用の資料には大概タネ本がありますから、手許の参考書をいくつか見てみることにしました。

『漢詩・漢文解釈講座』(昌平社)は、この件についての言及はありませんでした。

『鑑賞 中国の古典⑧ 十八史略』(角川書店1989)には、注記はないものの、この箇所を「出入りの人にも『…(略)…』と言わせた。」と訳してありました。
これによれば、「出入」の動作主は夫差ではなく、部下だということになります。

私の恩師青木五郎先生が若い頃に高校生向きに書かれた『必修 史記・十八史略』(文研出版1976)を見ると、「側近の者が夫差の寝室に出入りすること。」と明記してあります。

また、タネ本の可能性が高い『研究資料漢文学8 歴史Ⅱ』(明治書院1993)には、「『出入』の主語は、(1)夫差、(2)人(家臣)、のどちらでも解釈できるが、ここでは(1)に解しておきたい。」と書かれています。

結論からいえば、本文だけでは『研究資料漢文学』にいうとおり、どちらとでも解釈できて、決め手にかけるわけです。
したがって、自由勝手に動作主を考えれば、色々と考えは生まれてきます。

もし「出入」の主語が夫差であったとしたら、夫差が寝室に出入りするごとに部下が大声で言うのですから、その部下は常に寝室、またはその入り口に待機することになります。
そんな役割に特化した部下を配置するでしょうか。
あるいは、夫差が寝室に出入りする時間帯に限定して夜間勤務になるのかもしれませんが。

また、「出入」の主語が部下であるとすれば、頻繁に出入りしてもらわないことには、大声で言わせる場面が生まれてこないことになりますが、部下というものは、王の寝室にそんなにちょくちょく出入りするものなのでしょうか。

結局のところ、どうとでも解釈できるというしかないのですが、しかし少なくとも作者は、どちらとでも解釈してくれという無責任な態度ではなかったはずです。

ご承知の通り、「臥薪嘗胆」の「臥薪」の部分については、呉王夫差が薪に臥したなどという記述は『史記』などの古典になく、「臥薪」という言葉自体が、いわゆる苦労を重ねることの意味で用いられたのは、北宋蘇軾の『擬孫権答曹操書』という文章が初見です。
ただ、「枕戈」(戈に枕す)という表現が杜甫の詩に越王句践に関連付けて用いられたり、宋代には「臥薪嘗胆」の四字句が用いられるようになったことも報告されています。(樋口敦士「故事成語「臥薪嘗胆」教材考―成立と受容の観点に照らして」)

しかし、夫差の「臥薪」の故事は見られなくても、作者が元としたであろう話は『春秋左氏伝』に見えます。

・夫差使人立於庭、苟出入、必謂己曰、「夫差、而忘越王之殺而父乎。」則対曰、「唯、不敢忘。」(春秋左氏伝・定公14年)
(▼夫差人をして庭に立たしめ、苟くも出入すれば、必ず己に謂はしめて曰はく、「夫差、而(なんぢ)は越王の而(なんぢ)の父を殺すを忘るるか。」と。則ち対へて曰はく、「唯(ゐ)、敢へて忘れず。」と。)
(▽夫差は人に庭に立たせ、かりにも出入りすれば、必ず自分に言わせることには、「夫差よ、お前は越王のお前の父を殺したことを忘れたか。」と。その際にきまってお答えすることには、「はい、忘れたりはいたしません。」と。

(この文、使役の兼語文と説明されるものとして見れば、なにやら怪しい構造をとっているように思えるのですが、それは今は措いておきます。)

『十八史略』のいわゆる十八の史書の中に『春秋左氏伝』は含まれていませんが、作者が見ていないはずはありません。
ここで用いられている「出入」が「人」(部下)の動作でなく、夫差の動作であることは、人が立たされていることから明らかです。

私が何を言いたいかというと、『十八史略』の「出入使人呼曰」という表現は、「臥薪」という新しい設定を用いてはいても、『左伝』の記述の延長上にある可能性が高いのではないかということです。
もし、そうだとすれば、部下を庭に立たせておいて、夫差が出入りするたびに、「越王がお前の父を殺したことを忘れたのか」と言わせたという『左伝』の記述から、『十八史略』の「出入」も夫差が動作主である可能性が高いのではないでしょうか。
わざわざ部下を庭に立たせておくことが設定としてあり得るなら、寝室の入り口に立たせておくことも、ない話ではなくなります。
夫差にとっては、それに人を割くほどに、重要事であったのかもしれません。

私は、文脈から「夫差」の動作だと読む方が自然だというのではなく、『左伝』の記事を背景にしている可能性から「夫差」の動作なのではないかと考えます。


2.「即」の意味

・句践反国、懸胆於坐臥、仰胆嘗之曰、「女忘会稽之恥邪。」(十八史略・春秋戦国)
(▼句践国に反(かへ)り、胆を坐臥に懸け、即ち胆を仰ぎ之を嘗めて曰はく、「女(なんぢ)会稽の恥を忘るるか。」と。)
(▽句践は国に帰り、(苦い)胆を座ったり寝たりするところにぶらさげ、[即ち]胆を仰いでそれをなめて言うことには、「お前は会稽の恥を忘れたのか。」と。

この「即」の意味も気になるところです。
学生さんに確認してみると、調べた資料には「すぐ」と書かれていたそうです。
どうあって「すぐ」なのか、わかりません。

『新釈漢文大系20 十八史略』(明治書院1967)には、語注はなく、訳も「苦い胆を寝起きする部屋に吊り下げておき、仰向いては胆を嘗め」とあり、「即」の直接的な訳はありません。

『鑑賞 中国の古典⑧ 十八史略』も語注なく、「(苦い)胆を寝起きする部屋にかけ、その胆をあおぎ見、これを嘗めては」と訳すばかりです。

『研究資料漢文学8 歴史Ⅱ』は、語注なく、「(苦い)胆を(自分の)寝起きするところにぶら下げておき、(いつも)仰ぎ見てはこれをなめて(自分を叱咤して)」と訳しています。
「いつも」というのは意味を補っただけで、「即」の訳ではないかもしれません。

恩師の『必修 史記・十八史略』には、「即」の注として、「上に『坐臥』が省略されていると考える。『起居するたびに、すぐに』の意。」と説明し、「寝起きする所に胆をつるし、(寝起きのたびに)すぐに胆を振り仰いでなめ、」と訳があります。

以前にも述べた通り、「即」という字は「食卓につく」が原義の字で、接着が基本義です。
時間的に接着すれば「すぐに」という意味になるし、事情が接着すれば「とりもなおさず」「つまり」などの意味になります。
あたかも多義語のように説明されることもありますが、基本はここから考えるべきでしょう。
しかし、「懸胆於坐臥、即仰胆嘗之」の場合、「胆を座ったり寝たりするところにぶらさげる」と「胆を仰いでそれをなめる」の2句をこれらの関係で説明することには無理があります。
だからなのか、訳本のどれもが「即」の訳を避けているのでしょうか。

ですが、恩師の「上に『坐臥』が省略されていると考える」には、理由があったのだと思います。

『史記』には、次のように書かれています。

・呉既赦越、越王句践反国。乃苦身焦思、置胆於坐、坐臥即仰胆、飲食亦嘗胆也。(史記・越王句践世家)
(▼呉既に越を赦し、越王句践国に反る。乃ち身を苦しめ思ひを焦がし、胆を坐に置き、坐臥する即ち胆を仰ぎ、飲食にも亦た胆を嘗むるなり。)
(▽呉がすでに越を許し、越王句践は国に帰った。そこで身を苦しめ思いを焦がし、胆を座右に置いて、坐臥するとすぐ胆を仰ぎ、飲食にも胆を嘗めた。)

『史記』には「坐臥即仰胆」という表現があり、その「即仰胆」を『十八史略』は取ったものとされたのでしょう。
『十八史略』の「即仰胆嘗之」が100%「坐臥即仰胆嘗之」の意であると断定することはもちろんできませんが、『史記』の表現を写し取っている可能性はかなり高いのではないかと思います。

そのように考えると、「懸胆於坐臥、即仰胆嘗之」の「即」をすんなり理解するのは難しいけれども、元にした文章からおそらく「すぐに」の意だと判断できることになり、独立した本文としてはどうなのだろうという気もします。
『四庫全書総目提要』が、諸本から史文を抄録しながらも、簡略に過ぎると評したのはこういうところを指摘したのかもしれません。


学生さんの実習指導のために「臥薪嘗胆」を見ていて、その過程で気になったことはまだほかにもあるのですが、それは別のエントリーで書いてみようと思います。

『孟子』注解 を公開しました

(内容:『孟子』の語法注解を「漢文教材・注解」のページにアップしたことの告知。)

この3月、勤務校である京都教育大学附属高等学校の研究紀要97号に『孟子』注解を投稿しました。

高等学校の現場の先生方や、もっと詳しく知りたい高校生のみなさんのお役に立てればと思います。

前稿の『史記』『論語』と同様、教科書によく載せられる題材を選び、主に語法の注を試みたものです。
ご参考にしていただければ、と思います。

相変わらず思考の過程を示しつつ書いたものですので、誤りもあろうかと思います。
ご教示を賜れば幸甚です。

右サイドのページエントリー「漢文教材(作品)・注解」、またはこちらからお入り下さい。

すべての蔵書をPDF化する

  • 2024/03/16 12:39
  • カテゴリー:その他
(内容:蔵書をすべてPDF化した話。)

まったくの余談なのですが…
最近、ようやくすべての蔵書のPDF化を完了しました。

勤務先で調べ物をしていて、「ああ、あの本は家の本棚のどこかにあったなぁ…」ということがよくありました。
狭い書斎の中、本棚はほぼ三重になっていて、どこにどの本を納めていたか覚えきれないし、一番奥になっている本などは、もう事実上読まれることもない。
本当に調べたい時に、手許にその書籍がないということはかなりのストレスでした。

13年前に父が亡くなった時、その膨大な書物や雑誌の処分に我々は大変な思いをしたのでしたが、同じ思いを我が子にさせたくないという思いもありました。

そこで2021年の夏から、蔵書のPDF化を始めたわけです。

蔵書のPDF化の写真

裁断機の導入も考えたのですが、これが意外にうまく裁断できないことを知り、すべての書籍を手で解体、小分けにした上でカッターナイフで裁断、ドキュメントスキャナー(ScnaSnap ix1600)でPDF化するという大変な難事業を続けました。
こういうのを自炊生活というそうです。

同じことを試みようと思っている人に、いくつかアドバイス。

1.絶対にカラーでスキャンした方がよい。
ファイルサイズを気にして、モノクロやグレースケールにすると、必ず後悔します。
スーパーファインのカラー(300dpi)でスキャンしましょう。
ファイルサイズなんてたかが知れています。

2.品質のよいカッターガイドを用意しよう。
カッターの刃から手を守るガード付カッターガイドを買いましょう。
私はTajimaの「カッターガイドスリム300mm」を使っています。
カッターの刃から手を守るガード付のカッターガイドです。
何千冊という書物を処理して、ただの1度もケガをしたことがありません。

3.ファイル検索ソフトを使おう。
せっかくPDF化しても、読みたい書籍ファイルをすぐに見つけ出せなければ、意味がありません。
これは私流ですが、書籍のファイル名をたとえば「甲骨文字小字典〔落合淳思〕[筑摩選書0013]_筑摩書房2011.pdf」などとして、お好みでフォルダ管理します。
「EasyFNSearch」などのファイル検索ソフトで「甲骨」とか「落合」とか「筑摩選書」などの文字列で検索をかければ、瞬時に書物を探し出し、あとはクリックするだけで書物を読めます。

4.縦置きディスプレイを導入しよう。
日本の書物は縦書きが多いです。
1頁を読むのに、いちいちモニターの画像を上下させていては読むにたえません。
縦置きディスプレイを導入してデュアル化をはかれば、仕事も読書も快適になります。

5.何重にもバックアップをとること。
データは何かの拍子に吹っ飛ぶことがあります。
すべての蔵書が消える!という事態に陥らないように、何重にもバックアップをしましょう。
私は時間差を設けて、5箇所にバックアップをとっています。

というわけで、私の蔵書はすべてPDF化され(といっても、これからまだまだ購入してはPDF化…が続くのですが)、仕事の効率が格段に上昇しました。(あんなにあった書物が全部処理されて、書斎はほんとに軽くなったと思う。)

なんといっても、これまで本棚の奥に隠れていて読むこともなかった書籍をすぐに見られるようになり、読む機会に恵まれるようになったこと!
そして、最近はまったく読まなくなっていた小説(昔のも今のも)などを、ちょっとした休憩時間に読むようになって、なにか生活が変わってきました。(職場も家もデュアルデイスプレイにしたので。)

読書は紙に限るというご意見もあろうかと思いますが、縦置きモニターでの読書もなかなか快適ですよ。
それに老眼でも拡大してよめますし。
読書してるという感覚を大事にするためにも、カラーで紙の風合いを残した方がよろしいかと。

漢文のお話ではありませんでしたが、自炊生活も悪くはありません。

「為烏所盗肉」の意味は?

(内容:「為烏所盗肉」の「所」の働きを考える。)

料理の味付け、調味料の使用順として、「さしすせそ」という言葉が用いられます。
砂糖→塩→酢→醤油→味噌の順に味付けはするものだというのを語呂合わせで覚えるわけです。
「味付けの順とはそういうものなのだ」で終わってしまえば、それがなぜなのかを考えることはありません。
(とはいえ、料理の場合は、うまく味付けできたか、できなかったかを経験で学ぶことができるし、失敗を繰り返すうちに、なぜその順なのかが何となくわかってくるものではありますが…)

なぜかを考えずにそうだと思い込んだり、そう言い切ったりするということは、なにもこれに限ったことではなく、日常の色々な場面で見られることで、学校の授業でもあるだろうし、自分自身の中にもたくさんありそうな気がします。
「さしすせそ」の順が正しい、もしくは妥当な場合は、考えなくてもそれが正しい、妥当なわけですから、より考える方向に進まないかもしれません。

何が言いたいかというと、かつて自分が説明したことについて、それがたまたま妥当であったとしても、それを本当にわかって説明したのかという自分自身への問いかけが、最近多くなってきたということです。
わかっていなければ、ただの受け売りであったり、思いつきがたまたま当を得ていたということでしかありません。

かつて受身とされる「A為B所C」(A BのCする所と為る)の形について、このように説明したことがあります。

「A為B所C」の動詞「C」が、さらに目的語Dをとることがある。

A為B所CD。
 ▼ABのDをCする所と為る。
 ▽AがBにDをCされる。

・為烏所盗肉。(漢書・循吏伝)
  ▼烏の肉を盗む所と為る。
  ▽からすに肉を盗まれる。

「所盗肉」は「肉を盗む対象」の意だから、「烏所盗肉」は、「からすが肉を盗む対象」という名詞句になる。主語は省略されているが、構造的には、「私は『からすが肉を盗む対象』になった」という意味だから、「私はからすに肉を盗まれた」という受身になるわけだ。

自分が書いたこの説明を見ているうちに、この説明は本当にわかってしたものだろうかという疑問がわいてきました。
もしわかっていたなら、「『所盗肉』は『肉を盗む対象』の意」で済ましてはいなかったろうという気がしました。

これはやはり「所」が何を指すかという問題でしょう。
それを考えずに、ただ「からすに肉を盗まれる」という受身だというのなら、

・肉為烏所盗。
(▼肉烏の盗む所と為る。)
(▽肉が烏に盗まれる。)

の文の方が、自然な表現のように思えてしまいます。
「肉が烏の(ソレを)盗むソレになる」の意です。

しかし例文は「為烏所盗肉」であって、「肉為烏所盗」ではありません。
しかもこの例文には「A為B所CD」の主語Aが伴っていません。
重大な説明の誤りがありそうです。
かつてこれを書いた時、私はきちんと原典にあたっていたのか?

・吏出、不敢舎郵亭、食於道旁。烏攫其肉。民有欲詣府口言事者適見之。霸与語道此。後日吏還謁霸。霸見迎労之曰、「甚苦。食於道旁、乃為烏所盗肉。」吏大驚、以霸具知其起居、所問豪氂不敢有所隠。(漢書・循吏伝)
(▼吏出で、敢へて郵亭に舎(やど)らず、道の旁(かたは)らに食らふ。烏其の肉を攫(つか)む。民に府に詣(いた)り事を口言せんと欲する者有り適(たまたま)之を見る。霸与(とも)に語り此を道(みちび)く。後日吏還りて霸に謁す。霸見て迎へ之を労(ねぎら)ひて曰はく、「甚だ苦なり。道の旁らに食らひて、乃ち烏の肉を盗む所と為る。」と。吏大いに驚き、霸具(つぶ)さに其の起居を知ると以(おも)ひて、問ふ所は豪氂(がうり)も敢へて隠す所有らず。)
(▽役人は出発しても、郵亭に宿ろうとはせずに、道ばたで食事をした。からすがその肉をつかみさらった。役所に行って口頭でもの申そうとした民がいて、たまたまそれを見ていた。(潁川郡太守の)黄霸はこの者と語りこの事実を導き出した。後日、役人が戻り黄霸に謁見した。黄霸は引見して迎え彼をねぎらっていうことには、「たいへんご苦労であった。道ばたで食事をして、からすに肉を盗まれるとは。」と。役人はおおいに驚いて、黄霸がつぶさに自分の行動を知っていると思い、(黄霸が)問うことについては、いささかも隠そうとすることがなかった。)

潁川郡太守の黄霸に派遣された役人が、自分の動静を黄霸に把握されているのを驚く場面からの引用文でした。
これで明らかなように、先の説明の「私は『からすが肉を盗む対象』になった」は誤りで、主語Aは「私」ではなく「お前」すなわち吏(役人)です。
使用する例文は、必ず原典にあたるという、基本的な姿勢を、この時どうやら私は怠ったようです。

黄霸は「肉がからすに盗まれた」ということを主に述べているのではなく、役人が落ち着いて郵亭に宿ろうともせずに「道ばたで食事をして、からすに肉を盗まれる」ような目にあった苦労をねぎらっているのです。
だから「肉がからすに盗まれた」ではなく「お前はからすに肉を盗まれた」と言ったわけです。

私は、この例文が、

・若属皆且為所虜。(史記・項羽本紀)
(▼若(なんぢ)が属皆且に虜とする所と為らんとす。)

と基本的に同じ構造の文だと思います。
わかりやすくするために、

・若属為沛公所虜。
(▼若が属沛公の虜とする所と為る。)

と書き改めてみますが、これは「お前たち一族が沛公の(ソレを)生け捕るソレになる」の意です。
ソレをソノヒトと言ってもいいでしょう。
だから「(沛公に)捕虜にされる」という受身の意味になるのです。
「為烏所盗肉。」も「(お前は)烏の肉を盗むソレになる」「(お前は)烏の肉を盗むソノヒトになる」の意ではないでしょうか。

しかし、問題は「盗」という動詞の性質です。
私の仮説は「盗」が双賓結構をとる動詞ではないのか?です。
「盗AB」の形で「AよりBを盗む」、すなわち「盗+間接賓語(誰から)+直接賓語(何を)」の構造をとるのでは?と考えます。
したがって、「所盗B」(盗む所のB)なら、「盗むソレであるB」から「盗んだB」になり、「所盗B」(Bを盗む所)なら、「ソノヒトからBを盗むソノヒト」から「Bを盗まれる人」になります。
これが成り立てば、「為烏所盗肉」(烏の肉を盗む所と為る)は、「烏のソノヒトから肉を盗むソノヒト」となって、要するに「烏に肉を盗まれる人」という意味だと説明することができます。
というより、そうだと私は思うのですが、これの証明ができないでいるというのが本当のところです。

手元に用意できるだけの「盗」という字の用例を一つひとつ確認したのですが、そもそも「~を盗む」という用例は無数にあるのですが、「~から~を盗む」の意だと断定できる用例が見つかりません。
考えてみればそれもそのはずで、私が「AよりBを盗む」の構造だと仮定する「盗AB」は、「AのBを盗む」でも普通に解釈できてしまうからです。
「与若芧」(お前たちにトチの実を与える)という双賓文は、「若に芧を与ふ」としか読みようがなく、「若の芧を与ふ」と読むことはできませんが、「盗AB」は仮に双賓文だったとしても、「AのBを盗む」と読めてしまいます。

「蛇足」で有名な『戦国策・斉二』の一節、「吾能為之足」も「吾能く之に足を為る」という双賓文ですが、一般には「吾能く之が足を為る」と読まれています。
「之」は通常連体格には用いられない語で、「為」の依拠性に対する賓語として用いられているので、「之が」と読むのは少なくとも文法的にはよろしくありません。
ですがそのように読めてしまうように、「盗AB」が双賓文であると証明するのは「盗之B」という例でもない限り、無理ではないかと思います。

・丁零蘇武牛羊。(後漢書・孔融伝)
(▼丁零蘇武より牛羊を盗む。)
(▽丁零(北方民族の名)が蘇武から牛や羊を盗んだ。)

これも「蘇武の牛羊を盗む」と読めてしまいます。

・司徒期聘於越。公攻而之幣。(春秋左氏伝・哀公26年)
(▼司徒期越に聘す。公攻めて之より幣を奪ふ。)
(▽司徒期が越の国に使者として訪れた。公は攻めてこれから礼物を奪った。)

これは「盗」ではなく「奪」の例です。
文法的には「之が」とか「之の」と読むべきではないのは前述しましたが、実際手元の解説書では「之が幣を奪ふ」と読んであります。
「奪」と「盗」を同一視するわけにはいきませんが、「盗」も双賓結構をとる動詞の可能性はあると思います。

結局のところ、証拠を示すことはできませんでしたが、「為烏所盗肉」という文は、「烏の盗む所の肉と為る」と強引に読んで「烏の盗んだ肉になる」と解する以外には、「所」を「盗」の他動性に対するとは異なる不定の客体を想定するしかありません。
そう考えた時、「烏のソノヒトより肉を盗むソノヒトと為る」と解するのが一番自然ではないでしょうか。
つまり、「烏に肉を盗まれた人になる」です。

その意味で、昔私が書いた、

「烏所盗肉」は、「からすが肉を盗む対象」という名詞句になる。

は、必ずしもはずれた解説にはなっていないとはいえるかもしれません。
しかし、それはここまで考えた結果として示したものではなかった。
そして、なぜそうなるのかを示さないものであった。

そう思います。
料理の「さしすせそ」が、なぜなのか?
それを考えようとしなければ、少なくとも自分自身が納得のいく美味い料理は作れないのではないでしょうか。

拙著の誤りと説明不足は、すぐにも訂正したいと思います。

「豪毛不敢有所近」の「所近」の意味は?

『史記』項羽列伝のいわゆる「鴻門の会」で、樊噲が項王に対して持論を展開する場面があります。
そこで樊噲は、主である沛公を弁護して、次のように言います。

・今沛公先破秦入咸陽、豪毛不敢有所近、封閉宮室、還軍覇上、以待大王来。
(▼今沛公先づ秦を破りて咸陽に入るに、豪毛も敢へて近づくる所有らず、宮室を封閉し、軍を覇上に還して、以て大王の来たるを待つ。)
(▽今沛公は真っ先に秦を破って咸陽に入りましたのに、いささかも私物化したものをもとうとせず、宮殿を閉鎖し、軍を覇上に戻して、大王のいらっしゃるのを待っていました。)

この「豪毛」は宋版や元版、明版の中には「毫毛」に作るものも見られます。
さて、通常この「豪毛不敢有所近」は上記のごとく「豪毛も敢へて近づくる所有らず」と読み、「ほんのわずかも近づけるものをもとうとしなかった」の意で解釈されています。

ところが、この読みと解釈に対して疑義を呈している主張を目にしました。
これに限らず他にも、いわゆる教科書の読みと解釈の問題点を複数にわたって指摘し、誤りを正そうという内容でした。
その姿勢自体は素晴らしいと思います。
ただ、そこに指摘されていることのいくつかが、???と首を傾げてしまうものであるというのも、正直な感想です。

このエントリーは、それらを問題とするものではありません。
これまで何度か考えてきた「所」の用法について、最近またぞろ疑問が生まれてきていて、それが私に「あれ?」と思わせたのです。

話が少し横道にそれますが、いわゆる「A為B所C。」(▼ABのCする所と為る。 ▽AがBにCされる。)の受身の形式において、Cが「CD」(DをCする)の形をとる場合があります。
すなわち「A為B所CD。」(ABのDをCする所と為る。)の形式の文において、「所」が何を指すかという問題です。
たとえば、「為烏所盗肉。」(▼烏の肉を盗む所と為る。)という文は、一体どういう意味でしょうか?
そして「所」は何を指すのでしょうか?

そのこと自体は、いずれエントリーを改めて書くつもりですが、そんなこともあって、「所」にはまたぞろ敏感になっていました。

話を元に戻し、疑義が呈されていた内容を要約すると、

「豪毛不敢有所近」の「近」は他動「近づける」の意で従来解釈されているが、「近」に他動詞としての働きはなく、自動詞「近づく」の意味でしか用いられない。
したがって、「敢へて近づく所有らず」と読んで、「ほんのわずかも近づくことをしようとはしなかった」とするのがよい。

となります。
これが私に「あれ?」と思わせたわけです。

「所」は、後の動詞の不定の客体を表す名詞句を作ります。
それを単に「後の動詞を名詞句にする働き」などと捉えて、「~するもの・~すること」と訳せばよいなどと思い込むと、誤った解釈を生み出してしまいます。

「食桃」(桃を食べる)に対して、「桃」を「所」に置き換えると「所食」となりますが、これは「(ソレを)食べるソレ」の意ですから、「食べるもの」という意味になります。
不定の客体なので、栗でも梨でも「食べるもの」なら何でもいいわけです。

「在京都」(京都にいる)に対して、「京都」を「所」に置き換えると「所在」となりますが、これは「(ソコに)在るソコ」という意味で、「在る場所」という意味になります。
これも不定ですから、「問所在」(在る所を問ふ)という問いが成立します。
不定だから問えるわけです。

「待人」(人を待つ)の場合も、「待」が誰かを待つという意味で用いられているなら「所待」は「(ソノヒトを)待つソノヒト」であって、不定の「待つ人」という意味の名詞句になります。

そう確認したところで、改めて「不敢有所近」を見てみましょう。
従来の読み通り「近づくる所」と読めば、「所近」は「(ソレを)近づけるソレ」で「近づけるもの」という意味で通ります。
しかし、「近づく所」と読んだ場合、指摘のような「近づくこと」という意味を表し得るでしょうか?
「近づく」は、「どこそこに近づく」または「何それに近づく」であって、客体は動詞の依拠性に対するものになるはずです。
つまり、もし「所近」を、「近」は自動詞だとして「近づく所」と読むなら、前者なら「(ソコに)近づくソコ」、後者なら「(ソレに)近づくソレ」とならざるを得ません。
つまり「近づく場所」または「近づくもの」です。
「不敢有所近」は、さすがに「近づく場所をもとうとしなかった」の意味ではないでしょう。
百歩譲って、それでも「近」を自動詞として「沛公はほんのわずかも近づく場所をもとうとはしなかった」と解するならまだしも、あるいは近づく対象をソレとみなして「近づくものをもとうとはしなかった」と解するならまだしも、よもや「ほんのわずかも近づくことをしようとはしなかった」と言う意味にはならないと思います。
「所近」は「近」の不定の客体であって、行為ではないからです。

・於是遂誅高漸離、終身不復諸侯之人(史記・刺客列伝)
(▼是に於て遂に高漸離を誅し、終身復た諸侯の人を近づけず。)
(▽そこでそのまま高漸離を誅殺し、(始皇帝は)死ぬまで諸侯に仕えたものを近づけなかった。)

目をつぶされた高漸離が、鉛の塊を筑にしこみ、始皇帝に投げつけたが当たらなかった、その後の記述です。
「近諸侯之人」は「諸侯の人に近づかず」とも読めないことはありませんが、行為の主体は始皇帝であって、始皇帝が諸侯の人に消極的に「近づかない」のではなく、このような事態を二度と招かぬよう、諸侯の人をそばには置かない、すなわち積極的に「近づけない」ではありませんか?

「近」は本来「近い」の意の形容詞だと思いますが、後に客体をとることによって、動詞のように働くことがあります。
その場合、「近づく」と「近づける」の2義が生じます。
確かに「近づく」という自動としての働きで多く用いられるとは思いますが、「近くに置いて親しむ」の意、すなわち「近づける」の意味でも用いられると思います。
探せば刺客列伝以外にも例は見つかるでしょう。


「所」に敏感になっているせいで、余計なことを書いたかもしれません。
「為烏所盗肉。」も見えてきた気がしますが、いずれまた項を改めて書いてみようかと思います。

今年もよろしくお願い致します

  • 2024/01/02 13:56
  • カテゴリー:その他
2024年新春を迎えました。
昨日ご挨拶を申し上げようと自宅PCに向かった瞬間、ゆら~りゆら~りと目眩のようなものを感じ、いや、これは目眩ではない、覚えがある!と思った瞬間、長い横揺れが始まりました。
東北での震災の時と、同じ感じだったのですね。

そういうわけで、新年早々の天災に、お祝いの言葉を申し上げるわけにもいきませんが、皆様、本年もよろしくお願い致します。
また、ご無沙汰しております独学のNさんを初めとして、誠実にご教示を賜る諸氏にも、この場をお借りしてご挨拶を申し上げます。

旧年は公務が異常な事態で疲労困憊、加えて私事としては2000人規模の自治会の役員、例年の5、6倍は忙しく、学問がおろそかになってしまいました。
今年それが解消する目処もあるのかないのかわからぬ状況ですが、怠惰にはならぬよう励むつもりです。

よろしくお願い致します。

ブログ名を「漢文学びのとびら」に戻します

  • 2023/12/22 15:16
  • カテゴリー:その他
(内容:ブログ名を「漢文学びのとびら」に変更することの連絡。)

当ブログは、最初「漢文 学びの小窓」から「漢文 学びのとびら」、そして「漢文 学びの窓」へと、何度か名称を変更してきたのですが、どうも「学びの窓」というのは、どこぞの教育系の出版社で使われている名称らしく(まあ、ありがちな名ですから…)、具合がよろしくありません。

そこで、やっぱり「学びのとびら」の方がいいかな…と思うに至りました。
またまた検索サイトで混乱しそうですが…
今後ともよろしくお願いしいます。

併せて、かつてはエントリーの最古に近い記事で「お勧めの辞書や参考書」を紹介していたのですが、それを削除し、ページエントリーで紹介することにしました。
まだ執筆中ではありますが、高校生のみなさんや、漢文を学びたい方は、ページよりご参照ください。

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