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2018年03月の記事は以下のとおりです。

「小人之使為国家」(大学)の「之」の働き

(内容:孟子の湍水の説に関連して、『大学』の「小人之使為国家」という句に見られる「之」の働きについて考察する。)

前エントリーで、次の文を引用しました。

彼為善之、小人使為国家、菑害並至、雖有善者、亦無如之何矣。(礼記・大学)

兼語の後に「之」の字を伴って使役動詞に前置される例として示したものですが、そこでも述べたように、そのまま「之」の字が兼語の前置を示す標識として働いているとは断じ得ません。
そう判断するには、あまりにも同様の例がなさすぎるからです。

この文は、朱熹が指摘するように「闕文誤字」が疑われ、文意そのものも何通りか解釈があるようなので、語法を論じること自体があまり意味がないのかもしれません。
しかし、このブログをご覧の方に、兼語の倒置を示す標識として働いている例だと思い込まれても困るので、少し私の見解は述べておこうと思います。

『全釈漢文大系3 大学・中庸』(集英社1974)で、山下龍二氏は次のような注をつけています。

【小人之使爲國家】鄭玄は、「使小人治国家」と読む。『正義』に之は語辞とある。赤塚忠氏は、「小人を之れ使ひて、国家を為むれば」と読んでいる。

これは、鄭玄が小人を使役対象だと説明し、さらに『礼記正義』が「之」を「語辞」としているのを倒置を示す虚詞だと踏まえた上で、赤塚忠が「使小人」という動賓構造を倒置して「小人之使」と読んでいると、山下氏自身の見解を3人の学者で固めた形になっているように思います。
しかし、実際に『礼記正義』にあたってみると、

彼爲善之彼謂君也君欲爲仁義之道善其政教之語辭故云彼爲善之小人之使爲國家菑害並至者言君欲爲善反令小人使爲治國家之事毒害於下故菑害患難則並皆來至

となっています。
参考までに北京大学出版社(2000)『十三経注疏6 礼記正義』の句読を示します。

○「彼爲善之」,彼,謂君也。君欲爲仁義之道,善其政教之語辭,故云「彼爲善之」。「小人之使爲國家,菑害並至」者,言君欲爲善,反令小人使爲治國家之事,毒害於下,故菑害患難,則並皆來至。

「之語辞」を独立した句と見るか、北京大学出版社の「其政教之語辞」と見るか、見解の分かれるところですが、いずれにしても、「之語辞」は、「彼為善之」に対する注にあたり、「小人之使為国家」の注ではないでしょう。
「語辞」は文言虚詞の意味で用いられる言葉ですから、山下氏は「之は語辞なり」と読んだ上で、「之は虚詞である」の意に解したものと思われます。

話が脱線しますが、北京大学出版社の句読「善其政教之語辞」は、確かに意味がとりにくく、「語辞」が「ことば」という意味かと考えてみても、「政教のことばをよくする」というのがどういう意味なのかよくわかりません。
そもそもそのような表現が必要な理由もよくわからず、「善其政教」(其の政教を善くす)、すなわち「その政治や教育をよくする」の方がよっぽどわかりやすいと思えます。
あるいは、山下氏が「之は語辞なり」と解しているのは正しいのかもしれません。
ただし、だからといってこの「之」が「小人之使為国家」の「之」を指しているとは、絶対いえないでしょう。
私見ながら、「之語辞」とは、「善」が形容詞でも名詞でもなく、「之」の字を伴うことで動詞に活用していることをいうのかもしれないとも思いますが、確証はありません。

話を元に戻しまして、要するに山下氏の引く『礼記正義』の記述は倒装の根拠にはなりません。

『日本名家四書註釈全書・学庸部』におさめられている浅川善庵『大学原本釈義』におもしろいことが書いてあります
「彼為善之小人之使為国家」を一文とみなし、「彼為善之小人」を「彼の善を為すの小人」と読んだ上で、次のように注しています。

使字。當在彼爲上。但彼爲善之小人。字多句長。故使上更用之字。以倒其句。
(「使」の字は、「彼為」の上にあるべきである。ただ「彼為善之小人」は、字が多く句が長い。だから「使」の上にさらに「之」の字を用いて、その句を倒置している。)

要するに浅川善庵は「使彼為善之小人為国家」が元の姿だというわけです。
なかなかもっともらしい解釈ですが、さていかがなものでしょうか。

そもそも「[小人]之使為国家」であれ「[彼為善之小人]之使為国家」であれ、普通に読めばこの[ ]が本来は使役動詞「使」の直接の賓語であり、兼語であるのは明らかです。
だから、後句との関係から、仮定で「(もし)小人に国家を治めさせれば」と解するのが自然です。
「之」の字は、果たしていったいどんな働きをしているのでしょうか。

「小人」は本来兼語で受事主語ですから、「小人若使為国家」のような文が成立するかどうかはわかりませんが、たとえば「若」や「如」のような仮設連詞で表現されていれば、とてもわかりやすかったかもしれません。
「之」の置かれている位置は確かに仮設連詞を置ける場所です。

そこで虚詞詞典を開いてみると、「之」を仮設連詞として説明しているものも見受けられます。
たとえば、尹君『文言虚词通释』(广西人民出版社1984)には、次のように述べられています。

连词 假设连词。和“如”相同,可译为“假如”、“如果”。
(連詞 仮定の連詞。“如”と同じ。“仮如”、“如果”(もし)と訳すことができる。)

士之耽兮,猶可説也;女之耽兮,不可説也!(《詩経・衛風・氓》)…原文簡体字
――男子如果沉溺于爱情,还可能解脱的;女子如果迷恋于爱情,就不容易解脱呢!
(男性がもし愛情に溺れていたら,まだ言い訳できるが、女性がもし愛情に迷っていたら,容易には言い訳できない。)

斉侯曰:“大夫之許,寡人之願也;若其不許,亦将見也。”(《左伝》成公2年)…原文簡体字
 ――齐侯说:“大夫们如果同意和我决战,是我的愿望;如果不同意,我也将和你们以军队相见。”
(斉侯が言う、“大夫方がもし私と決戦することに同意してくださるなら,それが私の願いですが,もし同意してくださらずとも,私はあなた方と軍隊を率いてお会いするつもりでした。”)

我之不賢与,人将拒我,如之何其拒人也?(《論語・子張》)…原文簡体字
 ――我如果不贤德,别人将拒绝和我交往,怎么还拒绝别人呢?
(私がもし賢明有徳であれば,ほかの人が私と付き合うことを拒むだろう,どうして他の人を拒んだりしようか。)

確かに「之」の字を「もし」という意味の連詞だと解せば、文意はわかりやすくなります。
「之、猶若也」(「之」は「若」に同じである)という説明は清の王引之『経伝釈詞』にも見え、同様の記述は同じ清の呉昌瑩『経詞衍釈』にも見られます。

このような説明を鵜呑みにすれば、「之」は仮設連詞で「若」と同じとして、この問題は済んでしまうのですが、たとえば先に挙げた例文をじっくり見てみると、「之」の字を「若」に置き換える必要があるのだろうか?と疑問に思えてきます。
確かに置き換えれば文意は明確になる、でも、そのことがそのまま「之」が「若」と同じだと断ずる根拠にはつながらないと思うのです。

たとえば、「士之耽兮,猶可説也」の例、「男性が(愛に)溺れることは」と解して不自然でしょうか。
また、「大夫之許,寡人之願也」の例、「大夫が同意してくださることは」とも解せるでしょう。
「之」の、主謂間に置かれて文の独立性を取り消し名詞句を作る結構助詞としての働きで、この二つの例は説明できてしまいます。

先の王引之は『経伝釈詞』に、「大夫之許、寡人之願也、若其不許、亦将見也。」や他の例を挙げた上で、

皆上言「之」而下言「若」;「之」,亦「若」也,互文耳。
((これらの用例は)みな上で「之」と言い、下で「若」という。「之」も、「若」であり、互文に過ぎない。)

と言い切っていますが、果たしてどうでしょうか。

私が気になるのは、「我之不賢与,人将拒我」の例です。
このような「之」の用いられ方は、よくあるように思います。

・百獣見我、而敢不走乎。(戦国策・楚一)
(獣たちが私を見て、逃げずにいられましょうや。)

・天亡我、我何渡為。(史記・項羽本紀)
(天が私を滅ぼすのに、私はどうして(この河を)渡ったりしようか。)

いずれも普通訳されている形で訳をつけましたが、それぞれ「獣たちがもし私を見たら」、「天がもし私を滅ぼすなら」と訳すことができます。
形としては先の例と同じではないでしょうか。

これらの例に共通するのは、「之」が複文の前句で用いられている点です。
だから仮設連詞という説明もできてしまうわけです。
しかし、「之」の字には、「A之B(也)、~」の形をとり、「AがBする時、~」という意味を表す働きがあります。
たとえば、

・帝王生、必有怪奇。(論衡・奇怪)
(帝王が生まれる時には、必ず不思議な現象がある。)

などがその例です。
この用法は結構助詞として名詞句を作る働きから転じたものだと思いますが、いわゆる「主謂間に置かれて文の独立性を取り消し名詞句を作る」働きが、単文においても普通に用いられるのに対して、複文の前句で用いられて時を表す場合には、その文意から仮定に解することができると思うのです。
その意味で、「之」のこの用法を結構助詞ではなく連詞に分類することも可能で、何乐士『古代汉语虚词词典』(语文出版社2006)が、名詞句を作る用法も含めて「之」のこれらの用法を連詞に含めていることは興味深いことです。

しっかりした確証はありませんが、私には『大学』の「小人之使為国家、菑害並至」が、「小人は(=小人に)国家を治めさせる時には、災いが一斉にやって来る」の意味のように思えます。

「人之可使為不善」の「之」の働き

(内容:孟子の湍水の説「人之可使為不善、其性亦猶是也」の「之」の働きについて考察する。)

『孟子』湍水の説について、最後の部分の読みがおかしいという話を前エントリーに書きましたが、本題は文の構造です。

可使為不善、其性亦猶是也。

この「之」の字の働きが気になります。
これについて、最近古典中国語文法に基づいた解説が充実した教科書会社S社の指導書は、次のように説明しています。

「之」は主述関係の間に置かれて名詞句を作る用法。「人に不善を行わせることができる」意の文を「人に不善を行わせることができること」という名詞句にすることで、文の主語にしている。

「之」が主謂間に置かれて文の独立性を取り消し名詞句を作るというのは、基本的な結構助詞としての働きであり、妥当な解説だと思います。

この指導書にはさらに次のような補足があります。

「之」を倒置の助字として「可使人為不善」(原文は訓点を施す)の倒置とする説もあるが、「使」の使役の対象が「之」によって前置される形は他に例を見ないため、本書では採らなかった。

およそ用例があるかないかについて、ある場合は一つ示すことによってあることを証明できるし、多く示せばより強く証明できるのですが、用例がないということを示すことは非常に困難です。
古典漢文の資料は膨大な量ですから、十分と思えるだけの量の資料に一通りあたってみて用例が見つからなければ、少なくとも一般によく用いられる用法ではないということが言えるばかりです。

そこで本当に「『使』の使役の対象が『之』によって前置される形は他に例を見ない」というS社の指摘が正しいか否か、私も探してみることにしました。
すると、次の用例が見つかりました。

彼為善之、小人使為国家、菑害並至、雖有善者、亦無如之何矣。(礼記・大学)
(彼が政治をよくしようとしても、小人に国家を治めさせれば、災いが一斉にやって来て、善政があっても、これをどうしようもないのである。)

後漢の鄭玄注には、

彼、君也。君将欲以仁義善其政、而小人治其国家之事、患難猥至、雖云有善、不能救之、以其悪之已著也。
(「彼」とは、君主である。君主が仁義によってその政治をよくしようとしても、小人がその国家のことを治めれば、災いがみだりにやってきて、善があっても、その悪がすでに著しいためにこれを救うことはできないのである。)

とあります。
すなわち、鄭玄は「小人之使為国家」を「小人に国家を治めさせる」と解釈していることが明らかです。
この箇所については、別に解釈もあるようですが、原文を文字通り見て一番すっきりしているのは鄭玄の解釈だと思います。

とすれば、少なくとも使役の対象が「之」を後に伴って使役動詞「使」に前置されている例はあるということになり、S社の記述はその説明内容はともかくとして、当を得ないものになります。

しかし、用例があったことが、そのまま「『使』の使役の対象が『之』によって前置される形」の存在を証明するものではありません。
なぜなら、使役対象が「之」の字を伴い使役動詞に前置されているからといって、「之」の字が倒置を示す標識の働きをしているとは言い切れないからです。

『全釈漢文大系2 孟子』(集英社1973)に、宇野精一は次のように書いています。

なお、終わりの「人之可使為不善」の句は、通常「人の不善を為さしむ可き」と読むが、この「之」は強めの助辞で倒装法とみられるから、「人をして不善を……」、または「人にして不善を……」と読みたい。

「強めの助辞で倒装法とみられる」というのは、おそらく「之」が倒置を示す標識として働く結構助詞であるということをいうのだと思います。
S社の「『之』を倒置の助字として『可使人為不善』の倒置とする説もあるが」という記述が、宇野精一の説明を念頭に置いたものかどうかはわかりませんが、その方向性にあることは間違いありません。

さて、本当のところはどうなのでしょうか。

仮に「使人為不善」を認めたとして、この文は使役の兼語文です。
「(施事主語)+謂語『使』+賓語『人』」((施事主語)が人を使役する)という文と、「施事主語『人』+謂語『為』+賓語『不善』」(人が善くないことをする)という文が、兼語「人」を介して一文化しているわけです。
ここで前文の施事主語は不明ですから、無主語文の形をとっています。
また、「使」は動詞ですから、助動詞「可」の目的語となり、「可使人為不善」という表現が可能になります。

これを一般化して、「使BCD」(BヲシテDをCセシム)、つまり「BにDをCさせる」という文において、Bが「使」に前置される例について調べてみることにしました。
つまり、兼語Bが文頭に置かれる例ということになります。

すると、杨伯峻・何乐士『古汉语语法及其发展(修订本)』(语文出版社2001,607頁)に次のような記述が見つかりました。

特殊兼语:兼语作受事主语的兼语句
在语言中,常有将强调的成分置于句首的状况。兼语句中有时为了强调兼语而把它前置,作为句子的受事主语,下文的兼语一般不再重复出现。如:
(特殊兼語:兼語が受事主語となる兼語句
 言語においては,強調する成分を文頭に置くことはよくある。兼語文で時に兼語を強調するためにそれを前置して、文の受事主語とする、後の兼語は普通重複しては現れない。たとえば:)

(1)民,可使( )由之,不可使( )知之。(论语・泰伯)
(民はこれ(=政治)に頼らせるべきで、これを知らせるべきではない。)

(2)雍也,可使( )南面。(又,雍也)
(雍は、南面させることができる(=君主として政治をおこなわせることができる)。)

(3)夫颛顼、昔者先王以( )为东蒙主。(又,季氏)
(そもそも顓臾の国は、昔先王がそれを蒙山の祭祀を司るものとさせた。)

(4)方寸之木,可使( )高於岑楼。(孟子・万章下)
(一寸四方の木は、尖った山より高くさせることができる。)

(3)の例は介詞句なので、兼語文といえるかどうかは怪しいと思いますが、(1)(2)(4)については、いずれも本来( )の位置にあるべき兼語が、倒置されて文頭に置かれたものです。
注意すべきは、このいずれにおいても、文頭に置かれた兼語の後に、倒置を示す標識「之」が置かれていない点です。
つまり、「『使』の使役の対象が『之』によって前置される形」があるかないかは別にして、使役対象、すなわち兼語が「之」を伴わずに文頭に置かれる例はいくつも見られるわけです。
言い換えれば、兼語を文頭に置くとき、倒置を示す「之」は必要がないということです。

楊伯峻と何楽士は、この倒置された兼語を受事主語とはっきり言い切っていますが、私もそう思います。
つまり、兼語はすでに文の主語という成分になっているわけです。
したがって、「人可使為不善。」は「人は善くないことをさせることができる」という意味の文として成立することになります。

さて、ではなぜ孟子の原文が「人之可使為不善」と「之」の字が用いられているかというと、S社の説明の通りで、主語「人」と謂語「可使」の間に結構助詞として「之」の字を置くことで、文の独立性を取り消して名詞句を作り、「人が(=人に)善くないことをさせることができること」という名詞句となって、文の主語の位置に置きやすくなっているわけです。

つまりS社の説明は概ね正しいのですが、兼語が文頭に置かれて受事主語となるという説明がないために、やや不親切なものになってしまっているのでした。
『全釈漢文大系2 孟子』が、「之」を用いた倒装法と考えているとしたら、誤りだと思います。

「猶是也」の読み方は?

  • 2018/03/06 20:21
  • カテゴリー:訓読

(内容:孟子の湍水の説「其性亦猶是也」の句が「其の性も亦猶ほ是くのごとければなり」と読まれるのに疑問を呈する。)

今講義に使っているテキストは、いろいろと気になる点が多いのですが、『孟子』湍水の説の最後の部分「人之可使為不善、其性亦猶是也。」が次のように訓読されています。

人の不善を為さしむべきは、其の性も亦猶ほ是くのごとければなり。

これが気になりました。
訓読は日本語への翻訳ですから、漢語の語法に必ずしも忠実でない場合もあり、自然な日本語であることが優先されてもよいと思います。
しかし、これはそういう問題ではなく、日本語としておかしいのではないかと感じたのです。

「不如~」を「~のごとからず」と読んで恥をかいた先生がいたという話をどこかで聞いたような気がしますが、これは「ごとし」という日本語の古語に「ごとから」などという形がないからで、「~のごとくならず」と読むべきなのは周知のことです。
同様に、「ごとし」に已然形「ごとけれ」はないわけで、だからおかしいと感じたのです。
その活用形がないということは、古典の中に用例が見つからないということだと思いますが、訓読の場合は、あるいは別かもしれないと思い、この部分が過去どのように読まれていたか気になりました。
残念ながら、詳細に調べ上げる知識も資料もないのですが、早稲田大学図書館のWeb公開資料から、いくつか江戸時代の版本を見ることができました。
すると、

・猶ヲ是ノ(レ)ゴトシ也 (『四書集註』林道春点 1832弘簡堂)
・猶ヲ是(レ)シ也 (『孟子集註』山崎嘉点 ?)
・猶是ノ(レ)キ也 (『四書集註』1863松敬堂)
・猶ヲ是ノ(レ)シ也(『四書集註』1692梅花堂)

( (レ)はレ点)

などが見られました。
見る限り、基本的に「猶ほ是くのごとし」または「猶ほ是くのごときなり」と読んでいるわけです。

明治以降の出版物となると、あまりにも膨大で、とても確認のしようがありませんが、国立国会図書館デジタルコレクションで、いくつか調べてみても、やっぱり「ごとし」「ごときなり」ばかりです。
探せば「ごとければなり」というのもあるかもしれませんが、私には見つけられませんでした。

さて、手元の参考書ではどうなっているだろうかと調べてみると、『全釈漢文大系2 孟子』(集英社1973)が「其の性も亦猶ほ是のごとければなり」と読んでいます。
もう一つ、『鑑賞 中国の古典③ 孟子・墨子』(角川書店1989)もこの読み方です。
教科書を書くにあたって、このあたりの参考書は当然見るべきものですから、これらがあるいは元になっているかもしれません。
また、いわゆる他の教科書もこれまた当然見ているでしょうから、それにならった可能性もあります。

なんであれ、古くからの読みが「猶ほ是くのごとし」または「猶ほ是くのごときなり」なのに、あえて「猶ほ是くのごとければなり」と読んだ経緯はもちろんわかりませんが、日本語として訳す上で、その方がわかりやすいからでしょう。
「人之可使為不善、其性亦猶是也。」という文の構造から見て、後句が前句の理由を表していると解釈すれば確かに文意はわかりやすくなります。
この文は構造的には主謂謂語の文で、主語「人之可使為不善」+謂語「主語『其性』+謂語『亦猶是也』」の構造ですから、多少わかりにくく、謂語の部分を理由を説明するような形に、訓読を工夫したわけです。

なるべく日本語としてわかりやすく訓読しようという姿勢は反対しませんし、それによって漢文が身近になるのであればよいとも思います。
個人的には、訓読はすっきりしたのが魅力だと思うので、くどい訓読は好きではないのですが、認めるべきことは認めたいと思います。

しかし、日本語として誤っている読み方を是とはしません。
Web上を調べると、湍水の説を解説したものはたくさん見つかりますが、「猶ほ是くのごとければなり」と読まれている例が少なくありません、困ったことです。

少なくとも教科書作成に携わる会社やその執筆者、編集者は、もっと慎重であってほしいし、それを検査する機関もあるのですから、おかしいと気づいてほしいものです。

「其性亦猶是也。」を、もし理由を説明するように読むなら、「其の性も亦た猶ほ是くのごとくなればなり。」と読まねばなりません。
私は個人的に「猶ほ是くのごときなり」で十分だと思ってはいますが。

無有

(内容:孟子の湍水の説「人無有不善、水無有不下」に見られる「無有」について考察する。)

『孟子』湍水の説で、「人無有不善、水無有不下。」(人善ならざる有る無く、水下らざる有る無し。)という表現がひっかかると以前のエントリーに書きました。
「有」が用いられていることがひっかかるわけです。
「人無不善、水無不下。」(人善ならざる無く、水下らざる無し。)でも十分意味が通るのに、わざわざ「有」が用いられています。
用いられている以上は何らかの働きがあるはずだと思うわけですが。

気になるので、例によって楚永安の『文言复式虚词』(中国人民大学出版社1986)を開いてみると、「无有」(無有)の項に次のように書かれていました。

动词性结构。“无”本身就是个否定性的动词,相当于“没有”,可是古汉语中又常常习惯于“无有”连用。这样,“无”就起着副词的作用了。“无有”一般是对存在进行否定,可译为“没有”。例如:
(動詞性構造。“無”はもともと否定性の動詞で、“没有(もたない・ない)”に相当するが、古漢語ではよく“無有”と続けて用いられる習慣がある。このように、“無”は副詞の働きになっている。“無有”は一般に存在していることに対して否定し、“没有”と訳すことができる。例は次の通り:)

①明恕而行,要之以礼,虽无有质,谁能间之?(《左传・隐公三年》)
 ――以相互宽容的原则行事,又用礼义加以约束,即使没有人质,谁又能离间他们呢?
(互いに寛容の原則で事を行い、さらに礼義によって固めれば、人質がいなくても、誰がいったい彼らの仲を裂くことができるだろうか?)

②其竭力致死,无有二心,以尽臣礼,所以报也。(《左传・成公三年》)
 ――我将尽力拼命,没有其他想法,以尽到为臣的职责,这就是我用来报答您的。
(私は力を尽くして命を投げ出し、別の考えをもたずに、家臣の職責を果たそうと思っており、これが私があなた様に報いる道です。)

③季曰:“是何人也?”家室皆曰:“无有。”(《韩非子・内储说下》)
 ――李季说:“这是什么人?”家里的人都说:“没有(人)。”
(李季が“これは誰だ?”と言うと、家の者はみな“誰もいない。”と言った。)

この記述によると、この場合の「無」は「有」と連用されて副詞として働いているということになってしまいます。
『漢語大詞典』の「無」の説明、「副詞。表示否定,相當於“不”。」をまた想起します。
動詞「無」が動詞句を目的語にとる時、「~しない」という意味を表して、述語動詞を連用修飾するということなのですが、それなら理屈の上では「人無有不善」は「人不有不善」と同じということになってしまいますが、「不有不~」という形の文は見たことがありません。

同書には、さらに次のように湍水の例を引いて説明されています。

“无有”与“不”用连,则表示肯定。例如:
(“無有”と“不”が続けて用いられて、肯定を表す。例は次の通り:)

④人性之善也,犹水之就下也。人无有不善,水无有不下。(《孟子・告子上》)
 ――人性的善良,就如同水向低处流一样。人没有不善良的,水没有不向下流的。
(人の性質の善良さは、水が低いところへ向かって流れるのと同じだ。人は善良でないものはなく、水は下に向かって流れないものはない。)

「無」と「不」を合わせ用いる、いわゆる二重否定が肯定を表すということの説明です。

『文言复式虚词』の説明は「無有」のうちの「無」の説明に傾いていて、「有」がどういう意味を表しているかについては触れられていません。

漢語の辞書や虚詞詞典に述べられているから、すぐそういう意味だと断ずることは危険です。
本来の働きとは別に、現代語としてより自然に解釈できる意味として述べられている可能性があるからです。

出典が『孟子』ですので、また太田辰夫の『改訂 古典中国語文法』(汲古書院1983,140頁)を開いてみました。
すると、

「無有」は論語にはないが孟子に5例ある。このばあいは「有」とそれ以下を名詞的なものと解すべきである。

とあって、「人無有不善、水無有不下。」の例が引用されていました。
この考えによれば、「無」はあくまで動詞で、「有不善」「有不下」が名詞句で「無」の賓語ということになります。

そして、同書(139頁)には、さらに次のように記されていました。

「有」が賓語に動詞(さらに賓語・副修のつくこともある)をとるばあい,それは名詞化する。このばあい「所」又は「者」を補って考えるべきであるが,また「時として…の場合がある」という意味になることもある。

さらに、

「有」が形容詞を賓語にとるものは「者」を補って解すべく,また「…の点がある」という意味にもなる。

とあります。
賓語が動詞の場合も形容詞の場合も、要するに名詞句としての賓語とみなすべきだとするもので、実は私の見解と同じです。

「人無有不善、水無有不下」は、「人は善でないものはなく、水は下に流れないものはない」という意味ではなく、あくまで「不善」「不下」は「有」の賓語であり、また、「有不善」「有不下」は「無」の賓語ではないでしょうか。
つまり、「人に善でないということがあることはなく、水に下に流れないということがあることはない」という意味なのでは?
訓読した通りの意味になるわけですが、太田氏も述べているように、あるいは「善でないという点があることはなく」「時として下に流れないという場合があることはない」と饒舌に訳しても通りそうです。

つまり前エントリーで述べたように、「有」や「無」が動詞句を賓語にとる時、そのような状況・事態が客観的にあるかないかを述べているのだと思うのです。
人の性質に、「善でないという事実が客観的に存在する」という事実が客観的に「ない」のであり、水の性質に「下に流れないという事実が客観的に存在する」という事実が客観的に「ない」のではないでしょうか。
このような解釈は当然くどいので、日本語訳自体はもっとスマートでよいと思いますが、「有」にはそんな働きがあるのではないかなと思っています。

ちなみに、太田辰夫氏には『中国語歴史文法』(朋友書店 新装版2013,301頁)がありますが、その「没」の項に、

《無有》とはがんらい所有・存在するという事実がないということかとおもわれるが,實際はそれほど深い意味で使われるのではなく,單に《無》を口調の関係で二音節にのばしたに過ぎないとおもう。

とも書かれていることを付記しておきます。

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