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「猶是也」の読み方は?

  • 2018/03/06 20:21
  • カテゴリー:訓読

(内容:孟子の湍水の説「其性亦猶是也」の句が「其の性も亦猶ほ是くのごとければなり」と読まれるのに疑問を呈する。)

今講義に使っているテキストは、いろいろと気になる点が多いのですが、『孟子』湍水の説の最後の部分「人之可使為不善、其性亦猶是也。」が次のように訓読されています。

人の不善を為さしむべきは、其の性も亦猶ほ是くのごとければなり。

これが気になりました。
訓読は日本語への翻訳ですから、漢語の語法に必ずしも忠実でない場合もあり、自然な日本語であることが優先されてもよいと思います。
しかし、これはそういう問題ではなく、日本語としておかしいのではないかと感じたのです。

「不如~」を「~のごとからず」と読んで恥をかいた先生がいたという話をどこかで聞いたような気がしますが、これは「ごとし」という日本語の古語に「ごとから」などという形がないからで、「~のごとくならず」と読むべきなのは周知のことです。
同様に、「ごとし」に已然形「ごとけれ」はないわけで、だからおかしいと感じたのです。
その活用形がないということは、古典の中に用例が見つからないということだと思いますが、訓読の場合は、あるいは別かもしれないと思い、この部分が過去どのように読まれていたか気になりました。
残念ながら、詳細に調べ上げる知識も資料もないのですが、早稲田大学図書館のWeb公開資料から、いくつか江戸時代の版本を見ることができました。
すると、

・猶ヲ是ノ(レ)ゴトシ也 (『四書集註』林道春点 1832弘簡堂)
・猶ヲ是(レ)シ也 (『孟子集註』山崎嘉点 ?)
・猶是ノ(レ)キ也 (『四書集註』1863松敬堂)
・猶ヲ是ノ(レ)シ也(『四書集註』1692梅花堂)

( (レ)はレ点)

などが見られました。
見る限り、基本的に「猶ほ是くのごとし」または「猶ほ是くのごときなり」と読んでいるわけです。

明治以降の出版物となると、あまりにも膨大で、とても確認のしようがありませんが、国立国会図書館デジタルコレクションで、いくつか調べてみても、やっぱり「ごとし」「ごときなり」ばかりです。
探せば「ごとければなり」というのもあるかもしれませんが、私には見つけられませんでした。

さて、手元の参考書ではどうなっているだろうかと調べてみると、『全釈漢文大系2 孟子』(集英社1973)が「其の性も亦猶ほ是のごとければなり」と読んでいます。
もう一つ、『鑑賞 中国の古典③ 孟子・墨子』(角川書店1989)もこの読み方です。
教科書を書くにあたって、このあたりの参考書は当然見るべきものですから、これらがあるいは元になっているかもしれません。
また、いわゆる他の教科書もこれまた当然見ているでしょうから、それにならった可能性もあります。

なんであれ、古くからの読みが「猶ほ是くのごとし」または「猶ほ是くのごときなり」なのに、あえて「猶ほ是くのごとければなり」と読んだ経緯はもちろんわかりませんが、日本語として訳す上で、その方がわかりやすいからでしょう。
「人之可使為不善、其性亦猶是也。」という文の構造から見て、後句が前句の理由を表していると解釈すれば確かに文意はわかりやすくなります。
この文は構造的には主謂謂語の文で、主語「人之可使為不善」+謂語「主語『其性』+謂語『亦猶是也』」の構造ですから、多少わかりにくく、謂語の部分を理由を説明するような形に、訓読を工夫したわけです。

なるべく日本語としてわかりやすく訓読しようという姿勢は反対しませんし、それによって漢文が身近になるのであればよいとも思います。
個人的には、訓読はすっきりしたのが魅力だと思うので、くどい訓読は好きではないのですが、認めるべきことは認めたいと思います。

しかし、日本語として誤っている読み方を是とはしません。
Web上を調べると、湍水の説を解説したものはたくさん見つかりますが、「猶ほ是くのごとければなり」と読まれている例が少なくありません、困ったことです。

少なくとも教科書作成に携わる会社やその執筆者、編集者は、もっと慎重であってほしいし、それを検査する機関もあるのですから、おかしいと気づいてほしいものです。

「其性亦猶是也。」を、もし理由を説明するように読むなら、「其の性も亦た猶ほ是くのごとくなればなり。」と読まねばなりません。
私は個人的に「猶ほ是くのごときなり」で十分だと思ってはいますが。

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