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素直に尋ねることも大切です

(内容:不明なことについては自分できちんと調べるべきだが、どうしてもわからない時には、素直に他人に聞いてみることも大切だと実感した経験。)

「わからないことがある時は、きちんと調べる」をモットーに、自分を戒め、若い同僚たちにもそう言い聞かせながら、漢文に臨んでいると、それなりに色々な知識や教養も身につきます。
そういう視点から巷に出回っている受験用参考書や問題集に接していると、致命的な誤りを見つけてしまうことが、けっこう頻繁になります。
老婆心から、誤りは誤りとして、まめに出版社に連絡するようにしています。
クレーマーではなく、現場の先生が混乱したり、誤った情報を鵜呑みにしてしまわれないように、もっと言うなら現在の漢文教育が向上するようにという思いから、お節介だとは知りつつ、連絡してしまうのです。

数年前、現行のある受験用問題集や参考書を売り出している有力な出版社に、採用している問題集の誤りを宣伝員を通じてお知らせしたことがあります。
題材自体は面白いのですが、困ったことに読みや解釈、設問、解説に至るまで、あちこちに誤りが見られ、ひどい場合には1ページに何ヶ所もあるので、これはいくらなんでもと思ったわけです。
何十ヶ所もの誤りについて、一つひとつなぜ誤りといえるのかについて、古典中国語文法に照らしながら、丁寧に説明をしました。
編集部から、よく飲み込めないから再度教えてほしいという連絡があったので、さらに詳しく説明したり。

その後、改訂された問題集を拝見すると、いくつかは直してありましたが、致命的な誤りとして指摘したことが直されずに、そのままになっているものもありました。
これはおそらく編集部の方が悪いのではなく、執筆者のプライドによるのでしょうね…あくまで想像ですが。
私も教科書や参考書の執筆に携わっていますから、そのあたりの事情は大体わかります。
問題集の直接の執筆者はたぶん高等学校の現場の先生でしょうから、漢文がご専門という立場から、第三者に自らの誤りを指摘されると、プライドが傷ついてしまわれるのでしょう。
幸いにして、私の場合は共に仕事をしている編集員が教養あり非常に有能な方なので、誤っているとわかっているのに改めないでいるなどということが許されず、根拠に基づいてこちらも強く言うがあちらも強く言うという切磋琢磨の関係にあるので、書き手と編集者の理想的な関係が築けているのですが、どちらかが強すぎると、おかしな本を作ってしまうのでしょうか。

誤っていますよというご指摘は、その指摘が妥当であるか否かにかかわらず、改めて自己の見識を見直すチャンスになります。
そしてわからないことは、きちんと調べ、そしてどうしてもわからないことは、わかるかもしれない人に尋ねてみる、そんな柔軟性が必要だなといつも思います。
そのために恥をかくことだって多いのですけれども。

さて、本題です。
「どう調べてもわからないことは、素直に尋ねるべし」と思い知った出来事を一つ、恥をさらす覚悟でお話ししましょう。

「従来」について調べていた時のこと、「来」の用法を何乐士の『古代汉语虚词词典』(语文出版社2006)にあたってみました。
すると、語綴助詞としての説明に次のように記されていました。

用于部分动词、形容词和时间副词后,作后缀助词,表示一种发展趋势或处于某种情况。

この「部分動詞」という見慣れないことばがひっかかりました。
それに続いて、「用于部分动词之后作补语,…」とあるので、誤植ではないようです。
「部分動詞」とはいったいどんな動詞のことを指すのだろう…と、調べてみることにしました。

まず手っ取り早い方策として、Web上にその用語についての説明がないか検索してみると、意外にもあまりヒットしません。
ないわけではないのですが、どうも「部分動詞」という用語自体の説明がなさそうなので、もう少しきちんと調べようと腰を据えることにしました

手もとにある語法書を片っ端から見ていったのですが、どの書物の動詞の項を見ても、「部分動詞」という用語は見られません。
文法用語ということなら…と、鳥井克之氏の『中国語教学(教育・学習)文法辞典』(東方書店2008)を開いてみました。
これまで何度も助けられたことがあるからなのですが…
しかし、残念ながら「部分動詞」ということばは見つかりませんでした。

もしかしたら古い時代の文法用語、たとえば『馬氏文通』に用いられている用語かもしれないと思い、開いてみたのですが、やはり見つかりません。
楊樹達や呂叔湘、王力あたりはどうだと調べてみたのですが、見つかりません。

何をどう調べてもこの「部分動詞」という用語が見当たらないので、さすがに考えあぐねてしまいました。
すでに膨大な時間が過ぎていきます。
調べた書籍は何十冊にも及びます。

これまで「部分動詞」ということばを目にしたのはWeb上だけなので、もう一度一つひとつ確認していくことにしました。
すると、英語について説明したある中国のサイトに「部分動詞」という言葉が用いられているのを見つけました。
これはと思い、同僚の英語教諭の力を借りて、「部分動詞」にあたる動詞がどんな動詞なのか、英語の文脈から判断できないだろうかと相談してみました。
しかし今ひとつはっきりしません。

もはや完全にお手上げです。
最後の手段は、中国の方に尋ねてみるということなのですが…
そこでふとある方を思い出しました。
以前、このブログのエントリーにコメントを頂き、「不」がどこまでかかるかについて、中国人の観点からご教示くださった方です。
藁にもすがる思いで、教えてほしいというメールを差し上げました。

すると、さっそくお返事を頂戴しましたが、そのメッセージを見て、思わず口をあんぐり…
「部分動詞」とは「一部の動詞」という意味だというのです。
これにはもう唖然としてしまいました。
私は文法用語だろうと信じて、何十冊もの書籍にあたり、途方もない時間を割いて調べていたのに、たったそれだけのこと?
思い込みというものが、いかに怖いものか思い知ると同時に、どう調べてもわからないことは、素直に人に聞くことの大切さを実感しました。

そういえば… 思い当たることがあります。
「来」の働きについて調べる際、一番最初に開いたのは、『古代汉语虚词词典』(商务印书馆1999)です。
そこに、次のように書かれていました。

二、“来”附加在某些动词、形容词、时间词、数词等后,表示一种趋向。可仍译为“来”,有时可随上下文义灵活译出。

その時はなんとも思わなかったのですが、後で何乐士の『古代汉语虚词词典』を見た時、「用于部分动词、形容词和时间副词后…」と書かれているので、何乐士ははっきり「部分動詞」と言い切っているのに、商务印书馆の『古代汉语虚词词典』は「某些动词」などとぼかした表現というか、いい加減な書き方をしているなあ…と感じたのです。
実は、同じことを指していたのですね…

恥ずかしいやら、なにやら… 私が「部分動詞」にこだわって時間を費やしていたのをご存じの同僚もありますから、これを逆手にとって、「きちんと調べてどうしてもわからないことは、素直に人に尋ねることも大切なんだよ。」などと照れ隠ししながらご報告もしましたけれども。

最初に書いた、おそらく問題集の執筆者であるどこぞの高等学校の先生も、自分だけが正しいなんて思わずに、わからなければ素直に尋ねてくださればいいのに… そう思いました。
浅学ですが、わかる範囲でいつでもお教えする用意はあるのですがね。

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