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心を虚しくして書を読む

(内容:新型コロナウイルスによる休校で生まれた時間に、松下大三郎『標準漢文法』を読み始めたこと。)

新型コロナウイルスへの対応で、勤務校は入学式。始業式の延期ならびに登校日を完全になくすという決断を、珍しく他の府立・市立高校よりも早く行いました。
判断の根拠は、天秤ばかりのもう片方に乗せるものは、学力保障でも行事運営でもない、「いのち」である、でした。
確かに学力保障は大切ですが、人の命にかえられるものなど存在しないという明快な判断で、ストンと心に納得できるものでした。

それなりに責任ある校務を任されているのですが、仕事場のホワイトボードは、ぎっしり書かれていた予定が消されて、文字通り真っ白の板になり、先行き不透明な中、しかし学ぶ時間に余裕は生まれました。

職員室は3密以外の何ものでもないと思うのですが、国の意向は本学には伝わらないらしく、時差出勤はOKだが、遅く来たらその分遅くまで働けという通達で、どうも本学の天秤ばかりの片方に乗っているものは、本校の判断とは異なるようです。
時差出勤ということなら、私はいつも勤務校には朝の6時半過ぎには着いて、教材研究とか語法の研究とか、仕事を始めているので、それならば14時過ぎには帰っていいことになるのだが…などと嫌みなことを思うのですが…

それにしても読書をする時間の余裕は生まれました、いつもなら生徒対応で落ち着いて本など読んではいられないのですが。
窓を全開して、マスクをつけて、ちょっとブルブル震えながら。

今朝から読み始めたのは、先日ご教示いただいた松下大三郎氏の『標準漢文法』です。
埃をかぶっていたので、丁寧に埃をはらい、窓から吹き込む風を感じながら読み始めました。
私の所有していたのは昭和5年発行なので初版ではないようですが、あちこちが傷んでいて、丁寧に扱わないと崩れてしまいそうです。
800頁以上ある分厚い本です。

松下大三郎『標準漢文法』の画像

もちろん古風な文体でそれはいいのですが、松下氏独自の用語がけっこう用いられていること、また同じ文法用語でも異なるものを指していたりすることもあって、頭をぐらぐらさせながら読むのですが、知らない言葉の定義はメモに書き留めたり、一読してよくわからない言葉や内容について前後を読み返して考えたり、気がつくとどんどん時間が過ぎていきます。

もともと速読することができない性格なので、ゆっくりゆっくり亀の歩みのような速度で読むのですが、今まで持ち得ていたものとは全く異なるといっていいほどの未知の領域に足を踏み入れていくような、不思議な感覚とわくわくする思いを感じました。
それなりの知識があって一家言をもっていると、えてして批評的にあるいは批判的に読むということがあると思うのですが、この書籍はそういうものを排して、心を虚しくして読むべきだと自然にそう思えてきて、読むのがとても楽しいですね。

ゆっくり読んでいるので、今日は100頁ぐらい。
それでもまだ本論に入らない序の口、第1編・第1章・第1節「言語の本質及び諸相」を読んだだけで、以前学参に「なぜ漢文を学ぶのか」について書いたことがあるのを思いだし、あの時これを読んでいれば…と思ったり。

これは一度通読したぐらいではだめで、おそらく何度も読み返すことになりそうだと思いながら、生徒のいない学校で読んでいます。
この先どんな世界が広がっているのか、とても楽しみです。

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