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汗顔の至り

(内容:「汗顔の至り」の経験から、その「汗顔の至り」という言葉について調べてみる。)

先日、とても驚くことがありました。
拙著『概説 漢文の語法』は、Web上で公開、PDF版を無料提供していることもあって、お問い合わせを頂くことも多いのですが、なんと中国の大学院生の方から勉強したいので譲ってほしいというご連絡を受けました。
これはもう驚天動地のことです。
日本の方からのお問い合わせならともかくも、本家からのご依頼には、果たしてその任に堪えうるものか忸怩たる思いがあります。

せっかくのお問い合わせですので、PDF版をダウンロードしていただきましたが、さぞかしあちこちに怪しげなことが書いてあると思われるのではと、汗顔の至りです。
きちんと調べた上で執筆したものではありますが、しょせん他国の言語を他国の人間が解説しているわけですから、まさに汗顔の至り、恥じ入らずにはいられません。
むしろ誤りをご指摘ご教示くださいとお願いしました。

さて、「汗顔」とは、額に汗することですが、『広辞苑』を引いてみると、「大いに恥じて顔に汗をかくこと。極めて恥かしく感ずること。」と書いてあります。
リアルな表現ですから、どうしてそういう意味で用いられるのかは容易に想像がつくのですが、中国でも同じ意味で用いられるのだろうか?と疑問に思いました。

そこで、『漢語大詞典』を引いてみますと、「(1) 臉上出汗。(2) 形容羞愧。」とあります。(2)の方の用例を見ると、「元 高文秀《澠池會》第二摺:“我若輸了呵,面搽紅粉,豈不汗顏。”」とあります。高文秀は元代の雑劇作家ですが、残念ながらその戯曲「澠池会」は手元にもなく、閲覧する手立てもありませんので、原典にあたってみることができませんでしたが、おそらく「私がもし(賭けに?)負けたら、紅粉を顔に塗る、汗顔せずにいられようか」という意味だと思われ、「恥じずにはいられない」ということなのでしょう。前後の文脈がわかりませんので間違っているかもしれませんが。

『元史・礼楽志2』にも、「臣等素無學術、徒有汗顏。」(私どもはもとより教養がございませんので、ただただ恥じ入るばかりです)という用例が見られます。

古い用例には「恥じる」の意味で「汗顔」が用いられたものは今のところ見当たらず、どうやら比較的新しい使われ方のようですね。

「汗顔の至り」、まさにその気持ちを強くする一方、本場の方の目をもってしても、妥当なことが書かれている、そう思っていただける語法の解説を行えるよう、学び続けていこうと心に刻みました。

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