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ユーザー「nakai」の検索結果は以下のとおりです。

書籍を身の周りに置く努力

(内容:漢文を教える高等学校の教師は、職員室でも書籍を身の周りに置く努力をすべきである。)

どこの学校にも職員室というのがありますが、なんと私の職場では10年ほど前まではありませんでした。
その代わりにそれぞれの教科に準備室があり、分掌以外の人はその部屋で生活していたわけです。
したがって、私のように国語の担当はいわゆる国語準備室にいたわけで、大量の書籍に囲まれる幸せを享受していました。
ところが、職員室を作ろうという熱心な動きが起こり、その場所の確保から検討されることになったのでした。
その際、国語準備室をその候補にという話になり、それはともかくとして、我々は書籍をどうすればよいのか?という当然の疑問に対して、ある急進的な理科の教員が、図書館の書庫に入れてしまえばどうかなどと、耳を疑うようなことを言ったのを、今でも鮮明に覚えています。
その時、私は「では、あなた方の実験器具や資料、薬品のすべてを図書館の書庫に入れてしまえば如何か?」と、いささか怒りをこめて叱りつけました。
結局、国語準備室は職員室にはならず、書籍はそのまま残されましたが、私たちはその部屋を離れて職員室に常駐することになりました。

職員室が情報共有や作業効率の面からどれだけ有益であるか、ここで論じるつもりはありません。
実際その通りですし、職員室ができたことで助かる面も多々あります。

しかし、一方で私の研究自体は、一気に効率がダウンしました。
なにより手元に書籍がないのです。
何かを調べようとしてもその工具や資料がない、それが文系の教員にとってどれだけ致命的であるかは予測されたことでしたが、これほどまでひどいとは思いませんでした。
しかたなく、狭い職員室の自分に割り当てられたさらに狭いスペースに、何とか書籍を充実させる努力をしました。

自机の上の書籍の画像

机上は物を置く高さが制限されていますから、最もよく使うものを置くしかありません。

書棚の書籍の画像

他の人がファイルやら何やら入れてる書棚は、もちろん私の場合書籍で埋め尽くされます。

机の引き出しの書籍の画像

もちろんそれでは全然足りませんから、机の引き出し、そして机の下にも書籍を置くことになりました。

机の下の書籍の画像

これでも全然足りないのですが、少しはましになりました。
できれば、PDF化した書籍をPCに入れておきたいのですが、なかなかPDF化する暇もなく…
でも、この努力により、多少は研究がしやすくなりました。

いずれ漢文研究には何が必要かご紹介したいと思いますが、専門とする人間にとって、最も必要になる書籍は工具書です。
たとえばいわゆる辞書は、日本の漢和辞典の他にも、『古代汉语词典』(商務印書館)、『王力古漢語字典』(中華書局)、『现代汉语词典』(商務印書館)、『漢語大詞典』(漢語大詞典出版社)、『中国語大辞典』(大東文化大学中国語大辞典編纂室 )や『東方中国語辞典』(東方書店)等々、他にPCに字書アプリや、電子辞書で漢和辞典や中日辞典を揃えています。

漢字そのものを知るための字書としては、『字源』(天津古籍出版社)をはじめとして、『汉字源流字典』(華夏出版社)や『常用汉字意义源流字典』(中国国際出版集団)等々を用意。
日本のものも『漢字の起源』(角川書店)、『漢字語源辞典』(学燈社)を置きました。

特に重要なのは虚詞を取り扱ったものと語法書です。
虚詞詞典は、『古代汉语虚词词典』(商務印書館)、『古代汉语虚词词典』(語文出版社)、『古汉语虚词词典』(黄山書社)、『古汉语虚词手册』(吉林人民出版社)、『文言虚词通释』(広西人民出版社)、『古书虚词通解』(中華書局)、『虚词诂林』(商務印書館)、『文言复式虚词』(中国人民出版社)、『近代汉语虚词词典』(商務印書館)等々、20種類以上の書籍を揃えました。
これらは数多くもっていても、闇雲に扱っては訳がわからなくなるものですが、扱い方によっては非常に有益なもので、時代を考慮しながら縦横に参照することで、問題解決の糸口が見えてきます。

そして、楊伯峻・何楽士の『古汉语语法及其发展』(語文出版社)や楊剣橋『古汉语语法讲义』(復旦大学出版社)、易孟醇『先秦语法』(湖南大学出版社)、李佐豊『古代汉语语法学』、廖振佑『古代汉语特殊语法』(内蒙古人民出版社)、張玉金『古代汉语语法学』、劉景農『漢語文言語法』等々の語法書は20種類ほど、漢文を古典中国語として学んでいく上で必須の書物です。
日本のものでは、牛島徳次の『漢語文法論(古代編)』『同(中古編)』(大修館書店)、西田太一郎『漢文の語法』(角川書店)なども大いに参考になります。

こういった書籍を身の回りに置く努力のおかげで、ようやくなんとか研究ができるようになりました。

教師の机の上というのはどうなっているのかあまりよく知りませんが、こと国語、特に漢文を教える立場にある人は、書籍がないことには仕事になりません。
机の上に載っている書籍が、いわゆる指導書しかないとか、受験参考書しかないというのは、恥ずべきことです。
それで深い授業が可能なのだろうかと正直疑問に感じます。
いわゆる指導書などというものは、そのもの自体の出来も千差万別ですし、実際ずいぶん怪しいものが幾社もあります。
大学時代、恩師から「自分で原典にあたれ」と、耳にタコができるほど指導を受けました。
そのおかげなのか、幸いに指導書を鵜呑みにして講義をする人間にはなりませんでした。

もし、このブログを読んでいただいている方がおられましたら、ぜひ覚えておいてください。
身の周りに書籍を置きましょう、それも意味のある書籍を。
それがなければ研究もへったくれもないし、ひとにものを教える資格などないのです。

「小人之使為国家」(大学)の「之」の働き

(内容:孟子の湍水の説に関連して、『大学』の「小人之使為国家」という句に見られる「之」の働きについて考察する。)

前エントリーで、次の文を引用しました。

彼為善之、小人使為国家、菑害並至、雖有善者、亦無如之何矣。(礼記・大学)

兼語の後に「之」の字を伴って使役動詞に前置される例として示したものですが、そこでも述べたように、そのまま「之」の字が兼語の前置を示す標識として働いているとは断じ得ません。
そう判断するには、あまりにも同様の例がなさすぎるからです。

この文は、朱熹が指摘するように「闕文誤字」が疑われ、文意そのものも何通りか解釈があるようなので、語法を論じること自体があまり意味がないのかもしれません。
しかし、このブログをご覧の方に、兼語の倒置を示す標識として働いている例だと思い込まれても困るので、少し私の見解は述べておこうと思います。

『全釈漢文大系3 大学・中庸』(集英社1974)で、山下龍二氏は次のような注をつけています。

【小人之使爲國家】鄭玄は、「使小人治国家」と読む。『正義』に之は語辞とある。赤塚忠氏は、「小人を之れ使ひて、国家を為むれば」と読んでいる。

これは、鄭玄が小人を使役対象だと説明し、さらに『礼記正義』が「之」を「語辞」としているのを倒置を示す虚詞だと踏まえた上で、赤塚忠が「使小人」という動賓構造を倒置して「小人之使」と読んでいると、山下氏自身の見解を3人の学者で固めた形になっているように思います。
しかし、実際に『礼記正義』にあたってみると、

彼爲善之彼謂君也君欲爲仁義之道善其政教之語辭故云彼爲善之小人之使爲國家菑害並至者言君欲爲善反令小人使爲治國家之事毒害於下故菑害患難則並皆來至

となっています。
参考までに北京大学出版社(2000)『十三経注疏6 礼記正義』の句読を示します。

○「彼爲善之」,彼,謂君也。君欲爲仁義之道,善其政教之語辭,故云「彼爲善之」。「小人之使爲國家,菑害並至」者,言君欲爲善,反令小人使爲治國家之事,毒害於下,故菑害患難,則並皆來至。

「之語辞」を独立した句と見るか、北京大学出版社の「其政教之語辞」と見るか、見解の分かれるところですが、いずれにしても、「之語辞」は、「彼為善之」に対する注にあたり、「小人之使為国家」の注ではないでしょう。
「語辞」は文言虚詞の意味で用いられる言葉ですから、山下氏は「之は語辞なり」と読んだ上で、「之は虚詞である」の意に解したものと思われます。

話が脱線しますが、北京大学出版社の句読「善其政教之語辞」は、確かに意味がとりにくく、「語辞」が「ことば」という意味かと考えてみても、「政教のことばをよくする」というのがどういう意味なのかよくわかりません。
そもそもそのような表現が必要な理由もよくわからず、「善其政教」(其の政教を善くす)、すなわち「その政治や教育をよくする」の方がよっぽどわかりやすいと思えます。
あるいは、山下氏が「之は語辞なり」と解しているのは正しいのかもしれません。
ただし、だからといってこの「之」が「小人之使為国家」の「之」を指しているとは、絶対いえないでしょう。
私見ながら、「之語辞」とは、「善」が形容詞でも名詞でもなく、「之」の字を伴うことで動詞に活用していることをいうのかもしれないとも思いますが、確証はありません。

話を元に戻しまして、要するに山下氏の引く『礼記正義』の記述は倒装の根拠にはなりません。

『日本名家四書註釈全書・学庸部』におさめられている浅川善庵『大学原本釈義』におもしろいことが書いてあります
「彼為善之小人之使為国家」を一文とみなし、「彼為善之小人」を「彼の善を為すの小人」と読んだ上で、次のように注しています。

使字。當在彼爲上。但彼爲善之小人。字多句長。故使上更用之字。以倒其句。
(「使」の字は、「彼為」の上にあるべきである。ただ「彼為善之小人」は、字が多く句が長い。だから「使」の上にさらに「之」の字を用いて、その句を倒置している。)

要するに浅川善庵は「使彼為善之小人為国家」が元の姿だというわけです。
なかなかもっともらしい解釈ですが、さていかがなものでしょうか。

そもそも「[小人]之使為国家」であれ「[彼為善之小人]之使為国家」であれ、普通に読めばこの[ ]が本来は使役動詞「使」の直接の賓語であり、兼語であるのは明らかです。
だから、後句との関係から、仮定で「(もし)小人に国家を治めさせれば」と解するのが自然です。
「之」の字は、果たしていったいどんな働きをしているのでしょうか。

「小人」は本来兼語で受事主語ですから、「小人若使為国家」のような文が成立するかどうかはわかりませんが、たとえば「若」や「如」のような仮設連詞で表現されていれば、とてもわかりやすかったかもしれません。
「之」の置かれている位置は確かに仮設連詞を置ける場所です。

そこで虚詞詞典を開いてみると、「之」を仮設連詞として説明しているものも見受けられます。
たとえば、尹君『文言虚词通释』(广西人民出版社1984)には、次のように述べられています。

连词 假设连词。和“如”相同,可译为“假如”、“如果”。
(連詞 仮定の連詞。“如”と同じ。“仮如”、“如果”(もし)と訳すことができる。)

士之耽兮,猶可説也;女之耽兮,不可説也!(《詩経・衛風・氓》)…原文簡体字
――男子如果沉溺于爱情,还可能解脱的;女子如果迷恋于爱情,就不容易解脱呢!
(男性がもし愛情に溺れていたら,まだ言い訳できるが、女性がもし愛情に迷っていたら,容易には言い訳できない。)

斉侯曰:“大夫之許,寡人之願也;若其不許,亦将見也。”(《左伝》成公2年)…原文簡体字
 ――齐侯说:“大夫们如果同意和我决战,是我的愿望;如果不同意,我也将和你们以军队相见。”
(斉侯が言う、“大夫方がもし私と決戦することに同意してくださるなら,それが私の願いですが,もし同意してくださらずとも,私はあなた方と軍隊を率いてお会いするつもりでした。”)

我之不賢与,人将拒我,如之何其拒人也?(《論語・子張》)…原文簡体字
 ――我如果不贤德,别人将拒绝和我交往,怎么还拒绝别人呢?
(私がもし賢明有徳であれば,ほかの人が私と付き合うことを拒むだろう,どうして他の人を拒んだりしようか。)

確かに「之」の字を「もし」という意味の連詞だと解せば、文意はわかりやすくなります。
「之、猶若也」(「之」は「若」に同じである)という説明は清の王引之『経伝釈詞』にも見え、同様の記述は同じ清の呉昌瑩『経詞衍釈』にも見られます。

このような説明を鵜呑みにすれば、「之」は仮設連詞で「若」と同じとして、この問題は済んでしまうのですが、たとえば先に挙げた例文をじっくり見てみると、「之」の字を「若」に置き換える必要があるのだろうか?と疑問に思えてきます。
確かに置き換えれば文意は明確になる、でも、そのことがそのまま「之」が「若」と同じだと断ずる根拠にはつながらないと思うのです。

たとえば、「士之耽兮,猶可説也」の例、「男性が(愛に)溺れることは」と解して不自然でしょうか。
また、「大夫之許,寡人之願也」の例、「大夫が同意してくださることは」とも解せるでしょう。
「之」の、主謂間に置かれて文の独立性を取り消し名詞句を作る結構助詞としての働きで、この二つの例は説明できてしまいます。

先の王引之は『経伝釈詞』に、「大夫之許、寡人之願也、若其不許、亦将見也。」や他の例を挙げた上で、

皆上言「之」而下言「若」;「之」,亦「若」也,互文耳。
((これらの用例は)みな上で「之」と言い、下で「若」という。「之」も、「若」であり、互文に過ぎない。)

と言い切っていますが、果たしてどうでしょうか。

私が気になるのは、「我之不賢与,人将拒我」の例です。
このような「之」の用いられ方は、よくあるように思います。

・百獣見我、而敢不走乎。(戦国策・楚一)
(獣たちが私を見て、逃げずにいられましょうや。)

・天亡我、我何渡為。(史記・項羽本紀)
(天が私を滅ぼすのに、私はどうして(この河を)渡ったりしようか。)

いずれも普通訳されている形で訳をつけましたが、それぞれ「獣たちがもし私を見たら」、「天がもし私を滅ぼすなら」と訳すことができます。
形としては先の例と同じではないでしょうか。

これらの例に共通するのは、「之」が複文の前句で用いられている点です。
だから仮設連詞という説明もできてしまうわけです。
しかし、「之」の字には、「A之B(也)、~」の形をとり、「AがBする時、~」という意味を表す働きがあります。
たとえば、

・帝王生、必有怪奇。(論衡・奇怪)
(帝王が生まれる時には、必ず不思議な現象がある。)

などがその例です。
この用法は結構助詞として名詞句を作る働きから転じたものだと思いますが、いわゆる「主謂間に置かれて文の独立性を取り消し名詞句を作る」働きが、単文においても普通に用いられるのに対して、複文の前句で用いられて時を表す場合には、その文意から仮定に解することができると思うのです。
その意味で、「之」のこの用法を結構助詞ではなく連詞に分類することも可能で、何乐士『古代汉语虚词词典』(语文出版社2006)が、名詞句を作る用法も含めて「之」のこれらの用法を連詞に含めていることは興味深いことです。

しっかりした確証はありませんが、私には『大学』の「小人之使為国家、菑害並至」が、「小人は(=小人に)国家を治めさせる時には、災いが一斉にやって来る」の意味のように思えます。

「人之可使為不善」の「之」の働き

(内容:孟子の湍水の説「人之可使為不善、其性亦猶是也」の「之」の働きについて考察する。)

『孟子』湍水の説について、最後の部分の読みがおかしいという話を前エントリーに書きましたが、本題は文の構造です。

可使為不善、其性亦猶是也。

この「之」の字の働きが気になります。
これについて、最近古典中国語文法に基づいた解説が充実した教科書会社S社の指導書は、次のように説明しています。

「之」は主述関係の間に置かれて名詞句を作る用法。「人に不善を行わせることができる」意の文を「人に不善を行わせることができること」という名詞句にすることで、文の主語にしている。

「之」が主謂間に置かれて文の独立性を取り消し名詞句を作るというのは、基本的な結構助詞としての働きであり、妥当な解説だと思います。

この指導書にはさらに次のような補足があります。

「之」を倒置の助字として「可使人為不善」(原文は訓点を施す)の倒置とする説もあるが、「使」の使役の対象が「之」によって前置される形は他に例を見ないため、本書では採らなかった。

およそ用例があるかないかについて、ある場合は一つ示すことによってあることを証明できるし、多く示せばより強く証明できるのですが、用例がないということを示すことは非常に困難です。
古典漢文の資料は膨大な量ですから、十分と思えるだけの量の資料に一通りあたってみて用例が見つからなければ、少なくとも一般によく用いられる用法ではないということが言えるばかりです。

そこで本当に「『使』の使役の対象が『之』によって前置される形は他に例を見ない」というS社の指摘が正しいか否か、私も探してみることにしました。
すると、次の用例が見つかりました。

彼為善之、小人使為国家、菑害並至、雖有善者、亦無如之何矣。(礼記・大学)
(彼が政治をよくしようとしても、小人に国家を治めさせれば、災いが一斉にやって来て、善政があっても、これをどうしようもないのである。)

後漢の鄭玄注には、

彼、君也。君将欲以仁義善其政、而小人治其国家之事、患難猥至、雖云有善、不能救之、以其悪之已著也。
(「彼」とは、君主である。君主が仁義によってその政治をよくしようとしても、小人がその国家のことを治めれば、災いがみだりにやってきて、善があっても、その悪がすでに著しいためにこれを救うことはできないのである。)

とあります。
すなわち、鄭玄は「小人之使為国家」を「小人に国家を治めさせる」と解釈していることが明らかです。
この箇所については、別に解釈もあるようですが、原文を文字通り見て一番すっきりしているのは鄭玄の解釈だと思います。

とすれば、少なくとも使役の対象が「之」を後に伴って使役動詞「使」に前置されている例はあるということになり、S社の記述はその説明内容はともかくとして、当を得ないものになります。

しかし、用例があったことが、そのまま「『使』の使役の対象が『之』によって前置される形」の存在を証明するものではありません。
なぜなら、使役対象が「之」の字を伴い使役動詞に前置されているからといって、「之」の字が倒置を示す標識の働きをしているとは言い切れないからです。

『全釈漢文大系2 孟子』(集英社1973)に、宇野精一は次のように書いています。

なお、終わりの「人之可使為不善」の句は、通常「人の不善を為さしむ可き」と読むが、この「之」は強めの助辞で倒装法とみられるから、「人をして不善を……」、または「人にして不善を……」と読みたい。

「強めの助辞で倒装法とみられる」というのは、おそらく「之」が倒置を示す標識として働く結構助詞であるということをいうのだと思います。
S社の「『之』を倒置の助字として『可使人為不善』の倒置とする説もあるが」という記述が、宇野精一の説明を念頭に置いたものかどうかはわかりませんが、その方向性にあることは間違いありません。

さて、本当のところはどうなのでしょうか。

仮に「使人為不善」を認めたとして、この文は使役の兼語文です。
「(施事主語)+謂語『使』+賓語『人』」((施事主語)が人を使役する)という文と、「施事主語『人』+謂語『為』+賓語『不善』」(人が善くないことをする)という文が、兼語「人」を介して一文化しているわけです。
ここで前文の施事主語は不明ですから、無主語文の形をとっています。
また、「使」は動詞ですから、助動詞「可」の目的語となり、「可使人為不善」という表現が可能になります。

これを一般化して、「使BCD」(BヲシテDをCセシム)、つまり「BにDをCさせる」という文において、Bが「使」に前置される例について調べてみることにしました。
つまり、兼語Bが文頭に置かれる例ということになります。

すると、杨伯峻・何乐士『古汉语语法及其发展(修订本)』(语文出版社2001,607頁)に次のような記述が見つかりました。

特殊兼语:兼语作受事主语的兼语句
在语言中,常有将强调的成分置于句首的状况。兼语句中有时为了强调兼语而把它前置,作为句子的受事主语,下文的兼语一般不再重复出现。如:
(特殊兼語:兼語が受事主語となる兼語句
 言語においては,強調する成分を文頭に置くことはよくある。兼語文で時に兼語を強調するためにそれを前置して、文の受事主語とする、後の兼語は普通重複しては現れない。たとえば:)

(1)民,可使( )由之,不可使( )知之。(论语・泰伯)
(民はこれ(=政治)に頼らせるべきで、これを知らせるべきではない。)

(2)雍也,可使( )南面。(又,雍也)
(雍は、南面させることができる(=君主として政治をおこなわせることができる)。)

(3)夫颛顼、昔者先王以( )为东蒙主。(又,季氏)
(そもそも顓臾の国は、昔先王がそれを蒙山の祭祀を司るものとさせた。)

(4)方寸之木,可使( )高於岑楼。(孟子・万章下)
(一寸四方の木は、尖った山より高くさせることができる。)

(3)の例は介詞句なので、兼語文といえるかどうかは怪しいと思いますが、(1)(2)(4)については、いずれも本来( )の位置にあるべき兼語が、倒置されて文頭に置かれたものです。
注意すべきは、このいずれにおいても、文頭に置かれた兼語の後に、倒置を示す標識「之」が置かれていない点です。
つまり、「『使』の使役の対象が『之』によって前置される形」があるかないかは別にして、使役対象、すなわち兼語が「之」を伴わずに文頭に置かれる例はいくつも見られるわけです。
言い換えれば、兼語を文頭に置くとき、倒置を示す「之」は必要がないということです。

楊伯峻と何楽士は、この倒置された兼語を受事主語とはっきり言い切っていますが、私もそう思います。
つまり、兼語はすでに文の主語という成分になっているわけです。
したがって、「人可使為不善。」は「人は善くないことをさせることができる」という意味の文として成立することになります。

さて、ではなぜ孟子の原文が「人之可使為不善」と「之」の字が用いられているかというと、S社の説明の通りで、主語「人」と謂語「可使」の間に結構助詞として「之」の字を置くことで、文の独立性を取り消して名詞句を作り、「人が(=人に)善くないことをさせることができること」という名詞句となって、文の主語の位置に置きやすくなっているわけです。

つまりS社の説明は概ね正しいのですが、兼語が文頭に置かれて受事主語となるという説明がないために、やや不親切なものになってしまっているのでした。
『全釈漢文大系2 孟子』が、「之」を用いた倒装法と考えているとしたら、誤りだと思います。

「猶是也」の読み方は?

  • 2018/03/06 20:21
  • カテゴリー:訓読

(内容:孟子の湍水の説「其性亦猶是也」の句が「其の性も亦猶ほ是くのごとければなり」と読まれるのに疑問を呈する。)

今講義に使っているテキストは、いろいろと気になる点が多いのですが、『孟子』湍水の説の最後の部分「人之可使為不善、其性亦猶是也。」が次のように訓読されています。

人の不善を為さしむべきは、其の性も亦猶ほ是くのごとければなり。

これが気になりました。
訓読は日本語への翻訳ですから、漢語の語法に必ずしも忠実でない場合もあり、自然な日本語であることが優先されてもよいと思います。
しかし、これはそういう問題ではなく、日本語としておかしいのではないかと感じたのです。

「不如~」を「~のごとからず」と読んで恥をかいた先生がいたという話をどこかで聞いたような気がしますが、これは「ごとし」という日本語の古語に「ごとから」などという形がないからで、「~のごとくならず」と読むべきなのは周知のことです。
同様に、「ごとし」に已然形「ごとけれ」はないわけで、だからおかしいと感じたのです。
その活用形がないということは、古典の中に用例が見つからないということだと思いますが、訓読の場合は、あるいは別かもしれないと思い、この部分が過去どのように読まれていたか気になりました。
残念ながら、詳細に調べ上げる知識も資料もないのですが、早稲田大学図書館のWeb公開資料から、いくつか江戸時代の版本を見ることができました。
すると、

・猶ヲ是ノ(レ)ゴトシ也 (『四書集註』林道春点 1832弘簡堂)
・猶ヲ是(レ)シ也 (『孟子集註』山崎嘉点 ?)
・猶是ノ(レ)キ也 (『四書集註』1863松敬堂)
・猶ヲ是ノ(レ)シ也(『四書集註』1692梅花堂)

( (レ)はレ点)

などが見られました。
見る限り、基本的に「猶ほ是くのごとし」または「猶ほ是くのごときなり」と読んでいるわけです。

明治以降の出版物となると、あまりにも膨大で、とても確認のしようがありませんが、国立国会図書館デジタルコレクションで、いくつか調べてみても、やっぱり「ごとし」「ごときなり」ばかりです。
探せば「ごとければなり」というのもあるかもしれませんが、私には見つけられませんでした。

さて、手元の参考書ではどうなっているだろうかと調べてみると、『全釈漢文大系2 孟子』(集英社1973)が「其の性も亦猶ほ是のごとければなり」と読んでいます。
もう一つ、『鑑賞 中国の古典③ 孟子・墨子』(角川書店1989)もこの読み方です。
教科書を書くにあたって、このあたりの参考書は当然見るべきものですから、これらがあるいは元になっているかもしれません。
また、いわゆる他の教科書もこれまた当然見ているでしょうから、それにならった可能性もあります。

なんであれ、古くからの読みが「猶ほ是くのごとし」または「猶ほ是くのごときなり」なのに、あえて「猶ほ是くのごとければなり」と読んだ経緯はもちろんわかりませんが、日本語として訳す上で、その方がわかりやすいからでしょう。
「人之可使為不善、其性亦猶是也。」という文の構造から見て、後句が前句の理由を表していると解釈すれば確かに文意はわかりやすくなります。
この文は構造的には主謂謂語の文で、主語「人之可使為不善」+謂語「主語『其性』+謂語『亦猶是也』」の構造ですから、多少わかりにくく、謂語の部分を理由を説明するような形に、訓読を工夫したわけです。

なるべく日本語としてわかりやすく訓読しようという姿勢は反対しませんし、それによって漢文が身近になるのであればよいとも思います。
個人的には、訓読はすっきりしたのが魅力だと思うので、くどい訓読は好きではないのですが、認めるべきことは認めたいと思います。

しかし、日本語として誤っている読み方を是とはしません。
Web上を調べると、湍水の説を解説したものはたくさん見つかりますが、「猶ほ是くのごとければなり」と読まれている例が少なくありません、困ったことです。

少なくとも教科書作成に携わる会社やその執筆者、編集者は、もっと慎重であってほしいし、それを検査する機関もあるのですから、おかしいと気づいてほしいものです。

「其性亦猶是也。」を、もし理由を説明するように読むなら、「其の性も亦た猶ほ是くのごとくなればなり。」と読まねばなりません。
私は個人的に「猶ほ是くのごときなり」で十分だと思ってはいますが。

無有

(内容:孟子の湍水の説「人無有不善、水無有不下」に見られる「無有」について考察する。)

『孟子』湍水の説で、「人無有不善、水無有不下。」(人善ならざる有る無く、水下らざる有る無し。)という表現がひっかかると以前のエントリーに書きました。
「有」が用いられていることがひっかかるわけです。
「人無不善、水無不下。」(人善ならざる無く、水下らざる無し。)でも十分意味が通るのに、わざわざ「有」が用いられています。
用いられている以上は何らかの働きがあるはずだと思うわけですが。

気になるので、例によって楚永安の『文言复式虚词』(中国人民大学出版社1986)を開いてみると、「无有」(無有)の項に次のように書かれていました。

动词性结构。“无”本身就是个否定性的动词,相当于“没有”,可是古汉语中又常常习惯于“无有”连用。这样,“无”就起着副词的作用了。“无有”一般是对存在进行否定,可译为“没有”。例如:
(動詞性構造。“無”はもともと否定性の動詞で、“没有(もたない・ない)”に相当するが、古漢語ではよく“無有”と続けて用いられる習慣がある。このように、“無”は副詞の働きになっている。“無有”は一般に存在していることに対して否定し、“没有”と訳すことができる。例は次の通り:)

①明恕而行,要之以礼,虽无有质,谁能间之?(《左传・隐公三年》)
 ――以相互宽容的原则行事,又用礼义加以约束,即使没有人质,谁又能离间他们呢?
(互いに寛容の原則で事を行い、さらに礼義によって固めれば、人質がいなくても、誰がいったい彼らの仲を裂くことができるだろうか?)

②其竭力致死,无有二心,以尽臣礼,所以报也。(《左传・成公三年》)
 ――我将尽力拼命,没有其他想法,以尽到为臣的职责,这就是我用来报答您的。
(私は力を尽くして命を投げ出し、別の考えをもたずに、家臣の職責を果たそうと思っており、これが私があなた様に報いる道です。)

③季曰:“是何人也?”家室皆曰:“无有。”(《韩非子・内储说下》)
 ――李季说:“这是什么人?”家里的人都说:“没有(人)。”
(李季が“これは誰だ?”と言うと、家の者はみな“誰もいない。”と言った。)

この記述によると、この場合の「無」は「有」と連用されて副詞として働いているということになってしまいます。
『漢語大詞典』の「無」の説明、「副詞。表示否定,相當於“不”。」をまた想起します。
動詞「無」が動詞句を目的語にとる時、「~しない」という意味を表して、述語動詞を連用修飾するということなのですが、それなら理屈の上では「人無有不善」は「人不有不善」と同じということになってしまいますが、「不有不~」という形の文は見たことがありません。

同書には、さらに次のように湍水の例を引いて説明されています。

“无有”与“不”用连,则表示肯定。例如:
(“無有”と“不”が続けて用いられて、肯定を表す。例は次の通り:)

④人性之善也,犹水之就下也。人无有不善,水无有不下。(《孟子・告子上》)
 ――人性的善良,就如同水向低处流一样。人没有不善良的,水没有不向下流的。
(人の性質の善良さは、水が低いところへ向かって流れるのと同じだ。人は善良でないものはなく、水は下に向かって流れないものはない。)

「無」と「不」を合わせ用いる、いわゆる二重否定が肯定を表すということの説明です。

『文言复式虚词』の説明は「無有」のうちの「無」の説明に傾いていて、「有」がどういう意味を表しているかについては触れられていません。

漢語の辞書や虚詞詞典に述べられているから、すぐそういう意味だと断ずることは危険です。
本来の働きとは別に、現代語としてより自然に解釈できる意味として述べられている可能性があるからです。

出典が『孟子』ですので、また太田辰夫の『改訂 古典中国語文法』(汲古書院1983,140頁)を開いてみました。
すると、

「無有」は論語にはないが孟子に5例ある。このばあいは「有」とそれ以下を名詞的なものと解すべきである。

とあって、「人無有不善、水無有不下。」の例が引用されていました。
この考えによれば、「無」はあくまで動詞で、「有不善」「有不下」が名詞句で「無」の賓語ということになります。

そして、同書(139頁)には、さらに次のように記されていました。

「有」が賓語に動詞(さらに賓語・副修のつくこともある)をとるばあい,それは名詞化する。このばあい「所」又は「者」を補って考えるべきであるが,また「時として…の場合がある」という意味になることもある。

さらに、

「有」が形容詞を賓語にとるものは「者」を補って解すべく,また「…の点がある」という意味にもなる。

とあります。
賓語が動詞の場合も形容詞の場合も、要するに名詞句としての賓語とみなすべきだとするもので、実は私の見解と同じです。

「人無有不善、水無有不下」は、「人は善でないものはなく、水は下に流れないものはない」という意味ではなく、あくまで「不善」「不下」は「有」の賓語であり、また、「有不善」「有不下」は「無」の賓語ではないでしょうか。
つまり、「人に善でないということがあることはなく、水に下に流れないということがあることはない」という意味なのでは?
訓読した通りの意味になるわけですが、太田氏も述べているように、あるいは「善でないという点があることはなく」「時として下に流れないという場合があることはない」と饒舌に訳しても通りそうです。

つまり前エントリーで述べたように、「有」や「無」が動詞句を賓語にとる時、そのような状況・事態が客観的にあるかないかを述べているのだと思うのです。
人の性質に、「善でないという事実が客観的に存在する」という事実が客観的に「ない」のであり、水の性質に「下に流れないという事実が客観的に存在する」という事実が客観的に「ない」のではないでしょうか。
このような解釈は当然くどいので、日本語訳自体はもっとスマートでよいと思いますが、「有」にはそんな働きがあるのではないかなと思っています。

ちなみに、太田辰夫氏には『中国語歴史文法』(朋友書店 新装版2013,301頁)がありますが、その「没」の項に、

《無有》とはがんらい所有・存在するという事実がないということかとおもわれるが,實際はそれほど深い意味で使われるのではなく,單に《無》を口調の関係で二音節にのばしたに過ぎないとおもう。

とも書かれていることを付記しておきます。

「寧A、無B」の「無」について

(内容:「寧A、無B」の形で用いられる「無」の働きと意味について考察する。)

「水は『東西に分かれることがない』のか、『分かれない』のか」という先のエントリーで、「無」が存在文や所有文の謂語動詞ではない時、副詞として謂語を連用修飾して「~しない」という意味を表すと説明することがあることについて触れました。

そのため、「無」の後に動詞が置かれて「無A」の形を取るとき、私的にはむしろ「Aすることがない」と訳すべきだと思うのに、ことさらに「Aしない」と訳し、「不A」に同じと説明されることがあります。
それは中国の語法学で説かれる説であり、学問上の一つの考え方として捉えることはできます。
そして、私がこの考え方を是としないことについては、前エントリー「水は『東西に分かれることがない』のか、『分かれない』のか」で述べました。

しかし、そのこととは別に動詞Aが「無」の後に置かれ、「無A」の形をとった時、それを「Aしない」という意味だと言えない形があります。
たとえば、

・寧信度、無自信。(韓・外儲説左上)
(▼寧ろ度を信ずとも、自ら信ずる無し。)
(▽寸法書きを信じる方がよく、自ら信じるということはない。)

の例は、これを「自ら信じない」と訳すことはできません。
この「無」はあくまで「無」であって、「不」とは働きが異なるからです。

本題に入る前に、「寧A、無B。」の形について述べておきます。
これは、古来「むしロAストモ、Bスルコトなカレ」、「むしロAストモ、Bスルコトなシ」と読み慣わされていて、それぞれ「いっそAしても、Bしてはいけない」、「いっそAしても、Bすることはない」などと訳されています。

実はこの日本語訳自体があやしくて、「寧」の字は「安寧」が原義で、そこからの引申義で願わしい選択、すなわち「(…するよりも)、~するほうがよい」とか「~するほうがよく、(…はしない・~することはない)」という意味を表す連詞として用いられるようになりました。
従来の「いっそ~しても」という日本語訳は、「いっそ」にいかにも投げやりな調子が感じられますが、あくまで二者を比較した上で、望ましい方を選択する意味を表すのです。

さて、そのことはさておき、この「無B」が語法的にどう説明されるかが問題です。

楚永安『文言复式虚词』(中華人民大学出版社 1986)には、次のように書かれています。

这是个表示取舍关系的格式。在其所关联的两个并列的小句中,用“宁”表示选取,用“无”表示舍弃。相当于“宁肯……也不”。
(これは取捨関係を表す形式である。その関連する二つの並列した小句において、“寧”を用いて選択を表し、“無”を用いて捨てることを表す。“宁肯……也不(……しても、~しない)”に相当する。)

これだけを読めば、なるほどと納得してしまいますが、用例に照らし合わせながら読み直すとあることに気づきます。

①进之!宁我薄人、无人薄我。(《左传・宣公十二年》)
  ――前进!宁肯我们逼近敌人,也不让敌人迫近我们。
(進め!我々が敵に迫っても,敵に我々に迫らせない。)

②臣闻鄙语曰:“宁为鸡口,无为牛后。”今大王西面交臂而臣事秦,何以异于牛后乎?(《战国策・韩策一》)
 ――我听俗语说:“宁肯做鸡嘴,也不做牛尾巴。”现在大王您面西拱手象臣子那样事奉秦国,这与做牛尾巴有什么不同?
(私は次のようにいう俗語を聞いております、“鶏のくちばしになっても、牛のしっぽにならない。”今大王様は西面拱手して家臣のように秦国に仕えておられますが、これは牛のしっぽになるのとどんな違いがありますか?)

③人曰:“何不试之以足?”曰:“宁信度,无自信也。”(《韩非子・外储说左上》)
 ――有人说:“为什么不用脚试一试鞋呢?”那个郑人说:“宁肯相信尺码,也不相信自己的脚。”
(ある人が言う、「なぜ足で靴を試さないのか?」その鄭国の人は言った、「寸法書きを信じても、自分の足を信じない。」)

③の用例はまさにここで問題としているものそのものであり、その訳も「也不相信自己的脚」なのですから、やはり「無」を「~しない」と訳してもいいではないかと思えるのですが、実はそう簡単にはいきません。

①の用例「無人薄我」は、楚永安の説明に従えば、「無」を用いて「人薄我」を捨てることを意味することになります。
つまり「人薄我」(敵が我が軍に迫る)を捨てるわけです。
ここが注意すべきところで、「敵が我が軍に迫らない」のではなく、「敵が我が軍に迫る」ことがないのです。
そうでなければ、「人薄我」という選択を捨てたことにはなりません。
言い換えれば、「人」は「無」の主語ではないということです。

もう少し他の例を見てみましょう。
「鶏口牛後」が人口に膾炙しているために、たくさん用例が見つかりそうに思えたのですが、それほど多いわけではありません。
まして、「寧A、無B」複文の後句、すなわち「無B」の部分が主謂構造になっているものは、手元のデータでは次の二例しか見つけられませんでした。

寧我負卿、無卿負我。(東坡志林・卷五)
(私があなたにそむいても、あなたが私にそむくことはない。)

この例は、「あなたが私に背かない」のではなく、「あなたが私に背くことはない」の意です。
つまり、捨てられた選択は「卿負我」(あなたが私にそむく)なのです。

帝不悦曰、「兵寧拙速、無工遲。」(新唐書・韋挺列伝)
(主上は不快げに、「軍隊は行動が緩やかであっても、糧食の運搬が遅れてはならない。」と言った。)

この例も「糧食の運搬が遅れない」のではなく、「糧食の運搬が遅れることはない」の意で、捨てられた選択は「工遲」(糧食の運搬が遅れる)です。

こうして見てくると、「無」以下が主謂構造をとる時、その主語が「無」の前に来ることはないことがわかります。
つまり、「寧A、[主語]無B」の形をとることはないということです。

つまり、先の『韓非子』の例は、「寧信度、無自信。」ですが、この後句にもし主語「我」を補うとすれば、次のようになるはずです。

寧信度、無[我]自信。

「自」があるので、内容の重複する「我」を入れてくることはないはずですが、入れるとすればこの位置になる。
「無」が捨てる選択は「自信」すなわち「私が自分を信じること」なのです。

そうであるとすれば、このような「無」を述語の行為や状態を否定する働きとみなすことはできません。
「我無信。」(私は信じない。)ではないからです。

『文言复式虚词』には、次のようにも書かれています。

 这个格式中的“无”,可同“毋”字替换,作“宁……毋”。
(この形式の“無”は、“毋”の字と換えて、“寧……毋”とすることができる。)

また、

“宁”也常与“不”相配合,组成“宁……不……”的格式,表示取舍。
(“寧”は“不”と組み合わされて、“寧……不……”の形式をとることもあり、取捨を表す。)

先の「寧我負卿、無卿負我。」によく似た例に、次のものがあります。

a.寧人負我、不我負人。(北斉書・文襄帝紀)
(人が私にそむくことがあっても、私が人にそむくことはない。)

b.寧我負人、不人負我。(南史・柳元景列伝)
(私が人にそむくことがあっても、ひとが私にそむくことはない。)

例aは別に「寧人負我、無我負人。」の形の例が見られ、例bは「寧我負人、無人負我。」の例が見られ、同じ意味で用いられていると思います。

「寧A、不B」の形のすべてがBの選択を捨てる働きを「不」がとっているとは思いません。
たとえば、

・寧使人負我、我不忍負人也。(資治通鑑・晋紀三十一)
(ひとに私にそむかせても、私は人にそむくことはできない。)

のような例も見られることから、「不」が単純に以下の選択を捨てる働きをしているとはいえず、謂語動詞の動作行為を打ち消すことも多いと思われ、むしろ「不」の場合は、その方が多い印象を受けます。
漢の劉邦の有名な言葉、「吾寧闘智、不能闘力。」(史記・項羽本紀)は、やはり「私は智を闘わせても、力を闘わせることはできない。」という意味で、もし強引に後句に主語「我」を入れれば、やはり「我不能闘力。」になるでしょう。

ただ、結論としてはっきり言えることは、「寧~、無AB。」「寧~、不AB。」の形をとってABが主語と謂語の関係の時、「無」や「不」は謂語Bを否定修飾するのではなく、あくまで「AがBする」ことの選択を捨てる働きをしているのです。

したがって、「無自信」の「無」は、「自分を信じない」ではなく、あくまで「自分を信じる」ことを捨てる、つまり「自分を信じることはない」の意なのです。

韓愈『雑説』馬説 さらなる疑問「且」の意味は?

(内容:韓愈の『雑説』に見られる「且欲与常馬等不可得」という句の「且」の意味について考察する。)

韓愈の「雑説」四、馬説について、さらにもう一つ疑問が生まれました。
また例の同僚から、また「ほんとに些細なことなんですけど…」と質問を受けたのが、「且」の用法です。

欲与常馬等不可得。

この部分の「且」の意味について、同僚が見た指導書には、次のように述べられています。

「まあ、せめては…」の意。いったん譲歩して、そのような条件下で考えてみるものの、それさえできないということ。

これが気になられたわけです。
というよりも、私もあまり深く考えていた部分ではなかったので、正直驚きました。
恥を隠さずに告白すると、単純に「その上」とか「さらに」の意だと思い込んでいたのです。

それにしても、この指導書はそう書いただけで、その解釈の根拠が一切明示されていないわけですが、どうせ何かタネ本があるのだろうと、いくつか解説書をあたってみました。
すると、明治書院の『研究資料漢文学6 文』に、

○且 まあまあ、せめては……。いったん譲歩して、そのような条件下で「まあせめて……(だが)それさえ(できない)」意。

と書かれていました。おそらくこれですね。
ほとんど同じなので、指導書の記述は、この書によるか、もしくはこの書が元にした参考書に基づくものと思われます。

この「まあ」が気になります。
教科書や参考書の類いであまり用いない、くだけた表現なので、これもきっともっと古い時代に元になったものがありそうに思いました。

そこで汲古書院の『漢語文典叢書』を探してみると、荻生徂徠『訓訳示蒙・巻四』の「苟 聊 薄 且 姑 蹔 頃 少」の項に次のように記されていました。

「且」ハ「マア」ト譯ス.「借曰(シヤエツ/カリイフ)之辭」ト云フモ.「未定辭」ト云フモ.此譯ニテ通ズ.又.「ソノウヘ」ト訓ズルコトアリ.訓ノ通リナリ.但シ.屹トシタル詞ノ.「ソノウヘ」ニ非ズ.只.詞ノツギメニオク.「ソノウヘ」ナリ.カウシタ道理ガ有テ.ソノウヘカウシタ道理モアルト云フ時ナドノ.「ソノウヘ」ナリ.又.「スラ」ノ假名ヲ.上ノ句ノ末ニ置クトキ.此ノ字ヲ.下ノ句ニ.ヲクコトアリ.「且」ノ字バカリモ.「猶且」ト連續シテモ.「猶」ノ字バカリモ.ヲクナリ.皆同ジコトナリ.又.「行且歌(アリキナガラウタフ)」「且歌(ウタヒナガラ)」「且行(アリキナガラ)」ナドト使フトキハ.「ナガラ」ト云フホドノ意ナリ.アリキテハ.マアアリキサヒテ歌ヒ.歌ヒテハマア.ウタヒサヒテ行ク意ニテ.「マア」ト且ノ字ヲ用フルナリ.

また、「將 且 行 往 看」の項には、

「且」ハ「將」ノ字ト同ジ訓ニ用フルコトアリ.詩經ニ「我且往見(ワレマサニユイテミントス)」トアル類ナリ.文選賦ニ「且千(チヂバカリ)」トアルモ「且千(マサニ―ナラントス」ト云フ意ナリ.コレモ「ヤガテ」ノ譯ナリ.元來「マア」ト譯スルガ正譯ナリ.「マア」トハ末ヲノコス詞ナル間.スヘニカウセウト云フ意ヲ.モツテヲルナリ.故ニ「將」ノ字ト通ズ.

とあります。

古くより「且」は「まあ」と解されていたことがわかります。
確かにこうすると決まっている、もしくは決めているのではなく、とりあえずしばらくはこうしようという意味がこもる字であり、「末を残す詞」、つまり今はこうしておくが、いずれはこうしようという意味だというのです。
『研究資料漢文学』の「まあまあ、せめては……。」云々の記述は、こういった日本古来の理解の延長線上にあるものだと考えてよいでしょうし、例の指導書もそれをそのまま孫引きしたということになるでしょうか。


さて、問題は古漢語語法で、この箇所の「且」の字がどう説明されるかです。
浅学にしてよく知らなかったのですが、「且」にはさまざまな用法があるようです。

まず、手元の漢和辞典を引いてみました。
すると、概ね次のような用法が指摘されています。

①「まさニ~セントす」と読んで、今にも~しそうである・~しようとしているの意。
 →これは将来を表す時間副詞としての用法ですね。

②「A且B。」(Aすら且つBす。)AでさえBするの意。
 →これはいわゆる抑揚表現で、複文の前句に用いられるものですね。後に「況C乎。」(況んやCをや。)などが続き、「ましてCはなおさらだ。」と訳すのが通例です。

③「且つ~」と読み、「その上」「さらに」などと訳す。
 →これは内容の深まりを表す用法ですね。

他に、「且」には仮設連詞の働きがあるという中国の虚詞詞典の記述を踏まえて、「もシ」と読む用法を載せている漢和辞典もあります。

まず、ざっとこんなところが検討対象になりそうです。

殷孟倫/楊慧文『韓愈散文選注』(上海古籍出版社 1986)を見ると、「且欲与常馬等不可得」の「且」の注には、

且――副词,表示“将要”。
(且――副詞。“まもなく~しようとする”(の意)を表す。)

とあります。
つまり、「且欲与常馬等不可得」は「(他の)普通の馬と等しくあることを求めようとするができない」という意味になります。
これは先の①にあたります。

手元に他の中国の解説書はないので、Web上でどのように解釈されているかを調べてみました。

1.想要和一般的马一样尚且办不到,又怎么能要求它日行千里呢?
(一般の馬と同等でありたいと思うことさえできないのに、どうして彼に一日千里走ることを要求できるだろうか。)

2.想要它和平常的马一样尚且做不到,怎么可能要求它日行千里呢?
(彼が平常の馬と同等でありたいと思うことさえできないのに、どうして彼に一日千里走ることを要求できるだろうか。)

3.让千里马在吃不饱的情况下和平常的马跑的一样快是做不到的,又怎么能够希望它日行千里呢。
(千里の馬に十分食べられない状況で平常の馬が走るのと同等であらせることがとても無理なのに、どうして彼に一日千里走ることを希望することができるだろうか。)

4.况且想要跟普通的马等同还办不到,又怎么能要求它日行千里呢?
(その上普通の馬と同じでありたいと思っても無理なのだから、どうして彼に一日千里走ることを要求できるだろうか。)

4の「況且」は、前に述べたことにさらに踏み込んで理由を述べる表現になり、「それに」「その上」と解釈できるもので、先の③にあたります。

3については、「让」の用法が「且」に直接結びつく解釈ではないように思います。

多く見られる解釈は1,2の「尚且」で、②にあたります。

『研究資料漢文学』や例の指導書が用いてる「いったん譲歩して、そのような条件下で」でという表現は、「縦」や「雖」などの譲歩連詞の働きを想像させます。

「且」が仮定の内容を表すというのは、いわゆる仮設連詞としての働きで、この譲歩連詞とは別で、

欲覇王、非管夷吾不可。(史記・斉世家)
(わが君がもし覇王になることをお望みなら、管仲でなければ無理です。)

のような用法にあたります。

では、「且」の「縦」や「雖」のような譲歩連詞としての働きについてはどうかと虚詞詞典を調べてみると、尹君『文言虚词通释』(广西人民出版社1984)に次のような説明があり、馬説の例も引かれていました。

⑫连词 让步连词。可译为“虽然”、“即使”。
(⑫連詞 譲歩連詞。“雖然(ではあるが)”、“即使(たとえ~としても)”と訳すことができる。)

 今君与廉颇同列,廉君宣恶言,而君畏疑之,恐惧殊甚。庸人尚羞之,况于将相乎!(《史记・廉颇蔺相如列传》)
 ――现今你和廉颇官职相当,廉颇口出恶言,而你畏惧躲避他,害怕得特别厉害。即使普通庸人也认为羞辱,何况是将相呢!
(今あなたと廉頗は官職が同じなのに、廉頗は悪口を言い、あなたは恐れて彼から逃げ隠れして、格別にひどく恐れていらっしゃる。たとえ普通の凡人であっても恥だと思うのに、まして将相ではなおさらです!)

 微君之命命之也、臣固且有效于君。(《战国策・赵策・三》)
 ――即使没有你命令指示我,我原本也将对你有所效劳的。
(たとえあなたが私に命令して指図することがなくても、私はもともとあなたに力を尽くすつもりでした。)

 欲与常马等不可得,安求其能千里也?(韩愈《杂说・四》)
 ――即使想和普通马相等都不可能,怎么能要求它日行千里呢?
(たとえ普通の馬と等しくありたいと思ってもまったく無理であるのに、どうして彼に一日に千里走ることを要求できるだろうか。)

尹君の解釈が先の②「~でさえ」、すなわち「尚且」ではないことは、その次の項目⑬がそれであることからも明らかです。

⑬连词 让步连词。用在两事相比的复句的前一分句中,先提出程度更甚的事例为比,后一分句便对程度有差的事物作出肯定的论断,可译为“尚且”。
(連詞 譲歩連詞。二つのことが比較される複文の前句で用いて、先に程度がさらに甚だしい事例を示して比較し、後句で程度の異なる事物に対して肯定的な断定を行い、“尚且(でさえ)”と訳すことができる。)

 死马买之五百金,况生马乎?(《战国策・燕策・一》)
 ――死马尚且用五百金买它,何况活马呢?
(死んだ馬でさえ五百金でそれを買うのに、まして生きた馬はなおさらではないか?)

 臣死不避,卮酒安足辞?(《史记・项羽本纪》)
 ――我死尚且不怕,一杯酒哪值得推辞呢?
(私は死さえ恐れないのに,一杯の酒はどうして辞退するに値しましょうか?)

 管仲犹不可召,而况不为管仲乎?(《孟子・公孙丑・下》)
 ――管仲尚且还不能召见,又何况不屑做管仲的人呢?
(管仲でさえ召し出すことができないのに、まして管仲たることを潔しとしない人はなおさらではないか?)

つまり、尹君は「且欲与常馬等不可得」の「且」の用法を、「尚且」とは明確に区別して、同じ譲歩連詞としながらも、「たとえ~ても」の意としたことになります。

また、韩峥嵘『古汉语虚词手册』(吉林人民出版社1984)においても、

八、连词,表示假设或让步,用偏句的开头或主语后面,可译为“如果”、“假使”或“即使”、“就是”。
(八、連詞。仮定や譲歩を表し、偏句(偏正複文の主句に対する句)の句頭か主語の後で用い、“如果(もし)”、“仮使(もし)”や“即使(たとえ~ても)”、“就是(たとえ~ても)”と訳すことができる。)

と説明され、尹君が引用した『史記・廉頗藺相如列伝』の例やこの馬説の例が引用されています。
ちなみに、訳は次のようになっています。

即使想要〔它〕跟普通马一样〔都〕不可能,怎么要求它日行千里呢?
(たとえ〔彼が〕普通の馬と同じであることを求めたくてもできないのに、どうして彼が一日に千里走ることを要求しようか?)

要するに韩峥嵘の「且」に対する理解は尹君と同じです。
ただ、諸本のこの箇所に対する訳からは、動詞「欲」の主体が飼い主なのか千里馬なのかで揺れているようで、それはそれで別の問題として、ここでは触れないことにします。

さて、ここでもう一つ非常に興味深い解説を発見しました。
叶圣陶/吕淑湘『大师教语文』(广西师范大学出版社 2015)に収録されている「韩愈《马说》讲解」に、次のように述べられています。

[且欲与常马等不可得] “且”不是则,也不是承接连词。是副词,犹、尚且的意思。一般用法,像这句,放在“不可得”前面,作“欲与常马等且不可得”。韩集朱熹《考异》:“今按:且字恐当在等字下。”这是就一般用法说的。古籍中作犹、尚且讲的副词的“且”字有放在分句开头的。举先于韩文的例同这句比较:

兽相食,且○人恶之;为民父母行政不免于率兽而食人,恶△在其为民父母也?(《孟子・梁惠王上》)

……且○欲与常马等不可得,安△求其能千里也?

“且人恶之”就是“人且恶之”,“且欲与常马等不可得”就是“欲与常马等且不可得”。而且两句都是“……且……,恶(安)……也?”的句式。“且”同“恶(安)”密切相关。“且”字不是承接连词是很清楚的。这句用今语表达,就么是:要同常马一样尚且办不到,怎么要求它能行千里呢。

([且欲与常马等不可得]“且”は「則」でもなく、承接連詞でもない。副詞であり、「猶」「尚且」の意味である。一般用法は、たとえばこの句は、「不可得」の前に置き、“欲与常馬等且不可得”とする。韓昌黎集の朱熹の《考異》に、「今考えるに、『且』の字はおそらく『等』の下にあるべきだろう。」とある。これは一般的な用法を説明したものである。古籍の中で「猶」「尚且」として述べられる副詞の「且」の字は分句の初めに置くことがある。韓愈の文章より先の例を挙げてこの句と比較してみると、

獣相食,且○人悪之;為民父母行政不免于率獣而食人,悪△在其為民父母也?(《孟子・梁恵王上》)

……且○欲与常馬等不可得,安△求其能千里也?

「且人悪之」は「人且悪之」であり、「且欲与常馬等不可得」は「欲与常馬等且不可得」である。かつ、両句はどちらも「……且……,悪(安)……也?」の句式である。「且」は「悪(安)」と密接に関わっている。「且」の字が承接連詞ではないことがはっきりしている。この句は現代語で表現すると、「常の馬と同じであることを求めることすらできないのに、どうして彼が千里走れることを要求するのか?」となる。)

この説明では明らかに「且」を「猶」「尚且」の意であると断定しています。
私見では、「獣相食,且人悪之」と「且欲与常馬等不可得」が本当に同じ構造であろうかと疑問を感じないではありません。
「且人悪之」が「人且悪之」と同じだというのは、「人でさえそれを憎む」と解していることになり、それでは「人」と「民の父母」とを比べたことになってしまうからです。
「獣が食べ合うことさえ」というのとは解釈が異なってしまいます。

となると、『大师教语文』が馬説と同じく「且」が分句の先頭に置かれる同様の例として引用した『孟子』の例は、実は同じでないことになってしまい、他に妥当な例証がない限り、妥当な語法解説ではないことになってしまいます。
もう少し慎重な用例探しが必要な気がします。

それはさておき、韓愈の「且欲与常馬等不可得」の「且」をめぐっては、複数の解釈が成り立つことがわかりました。
どうも、私が浅学にもそうだと思い込んでいた「その上」「さらに」とする解釈は立場が弱いようですが、中国でもないわけではなく、また譲歩を表して「たとえ~ても」と解釈するものもあれば、「~でさえ」と解するものもあり、さらには、「~しようとする」と解するものもないわけではない。
そして現在の中国では、「~でさえ」とするのが目立つようです。

さまざまに解されるこの「且」の本当のところは一体どんな意味なのでしょうか。

比較的時代の近い朱熹は「~でさえ」と解しているようです。
しかし、『大师教语文』にも引用されているように、朱熹が「且字恐当在等字下。」(「且」の字は「等」の下にあるべきだろう)と注しているのは、「且」の置かれている位置が不自然だからでしょう。
だから、「欲与常馬等不可得」を「欲与常馬等不可得」とすべきだと注した。
それは「且」の位置を入れ替えることで「尚且」(~でさえ)の意味で解釈できるようにする提案です。
私はどうもそのあたりが気になります。
韓愈は「尚且」の意味のつもりではなかったのかもしれません。
ここまで調べてきて、個人的には、「且」の置かれた位置から、進展を表す連詞「その上、さらに」、または譲歩連詞「たとえ~ても」の意味ではないだろうかという気がしています。
「~でさえ」と解するには、やはり「且」があるべき位置にないような気がするのです。
ただし、何の確証もありません。

韓愈が「且」の字をどの意味で用いる傾向にあるのか、たとえば『韓昌黎集』から調べあげてもおもしろいかもしれませんね。

結局結論は出ませんでしたが、少なくともはっきりいえることがあります。
例の指導書は参考書によって、「『まあ、せめては…』の意。いったん譲歩して、そのような条件下で考えてみるものの、それさえできないということ。」と言い切っているのですが、そのように簡単なものではなく、実はさまざまな解釈があるのです。
そして、我が愛すべき同僚の「些細なことですが…」は、決して些細なことではなかったのです。

水は「東西に分かれることがない」のか、「分かれない」のか

(内容:孟子の湍水の説「人無有不善、水無有不下」という句について、「無」を「不」と同義とする最近の説に疑問を呈する。)

孟子が告子と論争したいわゆる湍水の説で、気になる表現は次の一句です。

人無有不善、水無有不下。

この「有」がとても気になります。
「人無不善、水無不下。」ではだめなのか、そもそも「有」がどんな意味を表しているのかという疑問です。

しかし、そのことを考えながら本文をよく見ていると、それ以前の問題として、その前の部分で「無」が多用されているのが気になりました。

・人性之無分於善不善也、猶水之無分於東西也。
 (人の性質が善不善に分かれることがないのは、水が東西に分かれることがないのと同じだ。)
・水信無分於東西、無分於上下乎。
 (水は確かに東西に分かれることはないが、上下に分かれることがないだろうか。)

「ことがない」と訳しましたが、最近の虚詞詞典や漢和辞典では、「無」が存在文や所有文の謂語動詞ではない時、副詞として謂語を連用修飾して「~しない」という意味を表すと説明されることがあります。

そして、近年、私自身も講義の場で「無」が副詞「不」と同等の働きをすると述べたり、語法の解説に書き記したりしたこともあるのですが、最近、本当に簡単にそう結論づけてよいものだろうかと思うようになりました。

「無」が「不」と同じだということになれば、「人性之無分於善不善也、猶水之無分於東西也。」という本文は「人性之不分於善不善也、猶水之不分於東西也。」と同じ、「水信無分於東西、無分於上下乎。」は「水信不分於東西、不分於上下乎。」と同じだということになります。
そして、それぞれ次のように訳すことになります。

・人の性質が善不善に分かれないのは、水が東西に分かれないのと同じだ。
・水は確かに東西に分かれないが、上下に分かれないだろうか。

意味は通ってしまいます。
しかし、本当に同じ意味でしょうか。

「無」は字としては「有」の対であり、等しく動詞です。
この動詞「有」が動詞句を賓語をとるように、「無」も動詞句を賓語にとります。

馬建忠『馬氏文通・同動助動四之四』に、次のように述べられています。

〔論衛霊〕志士仁人,無求生以害仁,有殺身以成仁。――<殺>動字也,緊接<有>字,並未間以介字,則作<惟有>之解。猶云「志士仁人決不求生以害仁、惟有殺身以成仁而已。」<無>字作<不>字解者常也。
(「殺」は動詞であり、すぐ後に「有」字をとり、間に介詞「以」を置かない時には、「惟有」の意味である。「志士仁人決不求生以害仁、惟有殺身以成仁而已。」に同じ。「無」字は「不」字と解するのが常である。)

動詞を直後にとる「有」が「惟有」の意味だとする馬建忠のこの説を太田辰夫は『改訂古典中国語文法』で否定していますが、それはさておき、問題は「<無>字作<不>字解者常也。」の部分です。
このことについては、張文国/張文強の「论先秦汉语的“有(无)+VP”结构」(先秦漢語の「有(無)+VP」構造)という論文に、おもしろいことが述べられています。

有无句“在形式上虽是叙述句,在意义上却有些是带有描写性的”。这句话就是从正反两个角度描写“志士仁人”所具有的品质的,意思是说在“志士仁人”那里,没有“杀生以害仁”这样的事儿,有“杀身以成仁”的事儿,至于《马氏文通》的解释,“志士仁人决不求生以害仁,惟有杀身以成仁而已”,则不是描述称颂“志士仁人”,而是叙述“志士仁人”的决心,显然与该句本来的意思大相径庭。
(有無句は、「形式上は叙述句であるが、意味上は描写的な性質を帯びている」。この文は正反対の二つの角度から「志士仁人」がもつ品性を描写しているが、意図は「志士仁人」の句において、「求生以害仁」のようなことはなく、「殺身以成仁」ということがあることを述べることにあり、『馬氏文通』の「志士仁人決不求生以害仁、惟有殺身以成仁而已。(志士仁人は決して生を求めて仁を害せず、ただ身を殺して仁をなすことがあるばかりだ。)」という解釈に至っては、「志士仁人」を称賛することを述べたのではなく、「志士仁人」の決意を述べたことになり、明確にこの句の本来の意味と大きな隔たりがある。)

簡単に「無」を「不」に置き換えて解するわけにはいかないという思いを強くします。

「無」は語義的に「有」の対ではありますが、「有」の否定、すなわち「不有」と考えるより、「有」が存在することを述べるのに対して、「存在しない」ことを肯定的(といえば変ですが)に述べる字ではないかと思います。
ともに賓語をとり、その賓語の存在・非存在を客観的に述べるものではないでしょうか。
したがって、「有」「無」が動詞句を賓語にとる時、賓語自体はかりに意志的な動作行為を表しても、賓語になることによって、そのような動作行為が存在する・しないを、客観的に述べることになります。

「水が東西に分かれない」といえば、水は生物ではありませんからわかりにくいのですが、これが「人が東西に分かれない」と表現すれば、その人の意志が関わってきます。
しかし、「分かれることがない」といえば、そのような事実の存在を客観的に述べたことになります。
「水信無分於東西」と「水信不分於東西」の違いは、そのようなものではないでしょうか。

したがって、日本語として「水は確かに東西に分かれることはない」と訳すことが、それほど不自然でない限り、「水は確かに東西に分かれない」とするよりも、「無」の本来の語義に近い訳し方になっているのではないかと思います。

湍水の説

(内容:孟子の「湍水の説」について述べるにあたり、これは詭弁ではないかという感想を序にかえて。)

孟子の性善説は教科書でも取り上げられることが多いのですが、いわゆる四端の説の初めの部分、つまり「不忍人之心」の箇所がとられているのが普通です。
これも、ページ数の都合か、「人之有是四端也、猶其有四体也。」までの収録が多いようで、これでは孟子が何のために性善説を説いているのかわからないのになと思わされます。
そのことはさておき、この四端の説、見かけ上はいかにも詭弁です。
惻隠の心をもたぬ者が人ではないというのは論証されているからよいとしても、羞悪、辞譲、是非については全く論証せずに、それがないのは人ではないと言い切るわけですから、論理的な思考の持ち主なら、待ったをかけたくなります。
孟子は論理的な言説よりは、多少飛躍があっても説得力のある弁舌を行うところがありますから、ごまかしたというよりは、惻隠と同じく説明しようとすれば十分可能であっても、くどさを嫌って、端折った言い方をしたのかもしれません。
それは理解できるにしても、この手の弁舌家は、ともすれば強弁とも言える詭弁を働いてしまうこともあるのでしょうね。

孟子の強弁の最たるものが「性猶湍水也」(人の性質は渦巻く水のようなものだ)です。
教科書の中には、四端の説だけではなくて、この湍水の説をも載せているものがあります。
それどころか中には四端の説は載せずに湍水だけというものもあって正直驚きます。
今年講義に用いたテキストがそれで、これでは孟子がとんでもない詭弁家だと思われてしまうなあと嘆かずにはいられませんでした。
これもページ数の関係なのでしょうか。
個人的には、ページ数より中身の方が大事だと思うのですが。

「女房より五円玉の方がいい」というのは詭弁の有名な例です。
「俗に、よく『女房よりいいものはない』と言うよね?でも、『ない』よりは『ある』方がいいだろう?五円玉には穴が『ある』じゃないか。だから女房より五円玉の方がいいんだよ。」
…という、三段論法仕立ての詭弁ですが、孟子の湍水の説などは、これに匹敵する詭弁です。
告子が人の性質が湍水のようなもので、東に流れるとか西に流れるとか決まっていないのと同じで、人の性質も善悪が決まっているわけではないと主張したのに対して、孟子は水は確かに東、西へ流れるものと決まっているわけではないけれども、上に流れるか下に流れるかは決まっていると主張します。水は下に流れると決まっているわけで、だから人の性質も善だと決まっているという話の流れは、孟子にそのつもりがなくても、おいおい詭弁が過ぎるだろう…と言いたくなります。

ですから、個人的には性善の説を、この湍水の話で講義するのは嫌いなのです。
しかしながら、今年のテキストにはそれしか載っていませんから、しぶしぶ湍水の説を講義したわけですが…

と、ずいぶん話の前置きが長くなってしまいましたが、久しぶりに湍水の説を読んでいて、このような感想とは別に、またぞろ色々な疑問が生じてきました。
「雑説」の次は、これらについて論じてみようと思います。

其道

(内容:韓愈の『雑説』に見られる「其道」の「其」の用法について考察する。)

韓愈の「馬説」について、さらにもう一つ気になるのは、「其道」です。

・策之不以其道、食之不能尽其材、鳴之而不能通其意、執策而臨之曰、天下無馬。

「其道」「其材」「其意」と三つ連続する「其~」の中で、「其道」だけが「ふさわしい方法」とか「その馬にふさわしい扱い方」などと説明されています。
確かに文意としてはそうであり、この例に限らず「其」が適切や正当を表すことがあると説明されているのは、何度か日本の書物で目にした記憶があります。

これが気になりました。

そこでまた虚詞詞典を調べてみると、意外にもそれらしい記述が見当たりません。
中国の字典類にも見当たりません。
それならばと、漢和辞典ものぞいてみましたが、ありません。
どういうことでしょうか。

片っ端から手元の文献をあたっていくと、太田辰夫『改訂 古典中国語文法』(汲古書院1983,53頁)に次のような一節がありました。

「其」が「適切な」という意味をあらわすことがある。これは自称に用いられたものからさらに転じたものかとおもわれる。
   雅頌各得其所 …a
   不得其醤不食 …b (…a、…b は筆者付加)

この一節は、「人称代名詞自称の『其』が形修(形容詞的修飾語の略)として用いられた例」、さらに、「自称の『其』が名詞性連語に用いられた例」の説明に続く部分になります。

引用aは、『論語・子罕』の「子曰、『吾自衞反魯、然後樂正、雅頌各得其所。』」です。
『全釈漢文大系1・論語』(集英社)には、「孔子の言葉。わたくしが衛の国から魯に帰ってきて、はじめて音楽は正しくなり、雅も頌もそれぞれの場所におちついた。」と訳してあります。
雅とは、「周王朝において饗宴の際に奏される楽曲」、頌とは「宗廟で祖先神を祭る時に奏する舞楽」(同書)です。
「それぞれの場所」とは、「適切な場所」ということでしょうから、説明に合致します。

bは、『論語・郷党』からの引用です。
『全釈』では「つけ汁が合わなければ食べない。」と訳されています。
その注には、「『醤』はひしお、つけつゆの類。調味料。料理はそれぞれに合うた調味料がある。『不得其醤』は、調味料の取り合わせをまちがえたもの。」とあります。
すなわち、「其醤」とは「適切な調味料」ということになります。

『古典中国語文法 改訂版』は、「論語文法研究」「孟子文法研究」「檀弓文法略説」の合書ですから、『孟子』の用例も引用されています。(同書129頁)
「自称の『其』を名詞性連語の主語に用いたものはよい例がない。」というくだりの後で、

「其」が「適当な」という意味をあらわすもの。
   雞豚狗彘之畜,無失其時 …c
   非其君不事,非其民不使 …d (…c、…d は筆者付加)

とあります。

引用cは、『孟子・梁恵王上』の「雞豚狗彘之畜、無失其時、七十者可以食肉矣。」です。
『全釈漢文大系2・孟子』(集英社)では、「鶏・豚・犬などの飼育に心を用いて、その繁殖生育の時期に殺さないようにすれば、七十歳以上の者は栄養のよい肉を十分に食べられましょう。」と訳してあります。
これも「適切なタイミング」ということですね。

dは『孟子・公孫丑上』と『同・万章下』に見える用例です。
『全釈』は「自分の仕えるべき君と思わねば使えず、自分の使役するに足る民でなければ使わず」と訳しています。
「仕えるにふさわしい」「使役するにふさわしい」という意味で適切にあたります。

代詞「其」は、人や事物を含んで第三人称代詞として用いられることが多いのですが、第一・第二人称代詞として用いられることもあります。

・臣竭其股肱之力、加之以忠貞。(春秋左氏伝・僖公九年)
(私は私の全力を尽くし、さらに忠貞の心を加えます。)

この例は代詞「其」が第一人称として用いられている例です。
太田氏の「自称に用いられたものからさらに転じたもの」というのは、この第一人称での用法を指しているのでしょう。
たとえば、例dの「其君」は、「自分の主君」から転じて「自分の仕えるべき主君」、例bの「其醤」は、「そのもののつけ汁」から転じて「そのもの本来であるべきつけ汁」の意に転じたということでしょうか。

王力の『漢語史稿』(中華書局1980,280頁)には、

“其”字用於指示的時候,也是用作定語的,它是特指(非近指,亦非遠指)的指示代詞,略等於現代漢語的“那種”、“那個”。它具有特定的意義,古人用它來表示它後面的名詞所代表的人物是“適當”的。
(“其”が指示で用いられる時、連体修飾語として用いられることもあれば、特指(近指でも遠指でもない)の指示代詞でもあり、現代漢語の“那種”、“那個”(その)にほぼ等しい。それは特定の意味を備え、古人はそれを用いてその後の名詞が代表する人や物が“適当”であることを表してきた。)

と述べられています。

この「特指」というのは、馬建忠『馬氏文通』が用いている「特指代字」のことで、同書には「特指代字前置於名,所以明注意之事物也」(特指代字は名詞の前に置かれ、意を注いでいる事物を明らかにするためのものである)と説明されています。

また、李佐豊『古代漢語語法学』(商務印書館2004,173頁)にも、

“其”还常表示特指,说明“其”所指示的对象是适当的、正当的、符号要求的。
(“其”はさらによく特指を表し、“其”が指示する対象が適当であり、正当であり、要求に合っていることを説明する。)

とあります。

「其」が「適切」等の意味を表すとするのは妥当であるようですが、それが太田氏のいうように第一人称からの転なのかどうか、興味のもたれるところです。


さて、あらためて「策之不以其道、食之不能尽其材、鳴之而不能通其意」という「馬説」の表現を見ると、「其道」「其材」「其意」と、「其~」が連続的に配置されており、教科書には「其道」だけが「ふさわしい方法」などと注されているのが気になりました。

「其道」とは、「策之」(彼を鞭うつ、転じて彼を使役する)にふさわしい方法、それはもともとは「鞭うつ方法」であり、それが特指代詞として「鞭うつふさわしい方法」という意味を表すわけです。
同時に、「其材」も「彼の才能」という意味ですが、「彼の本来の才能」の意であり、また、「其意」も「彼の気持ち」すなわち「彼の本当の気持ち」という意味を表しているように思います。
李佐豊が述べた「适当的、正当的、符号要求的」にまさに合致します。

「其道」だけが特殊なのではない、「其」の働きについて調べた結果、私はそんなふうに感じました。

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