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カテゴリー「漢文学習」の検索結果は以下のとおりです。

『臥薪嘗胆』の「出入」と「即」について

(内容:『十八史略』の「臥薪嘗胆」に見られる「出入」と「即」の意味について考察する。)

教育実習で学生さんに『十八史略』の「臥薪嘗胆」を授業してもらうことになりました。
指導案を見ながら気になるところを確認していくわけですが、本文の解釈でいくつか疑問が生じたところをただしてみました。

1.「出入」の動作主

・夫差志復讎、朝夕臥薪中、出入使人呼曰、…(十八史略・春秋戦国)
(▼夫差讎を復せんと志し、朝夕薪中に臥し、出入するに人をして呼ばしめて曰はく、…)
 ▽夫差は復讐しようと誓い、朝夕薪の中に伏せて、出入りの際、人に大声で言わせることには、…)

この「出入」について、学生さんは夫差の出入りだといいます。
調べた資料には、「出入」の動作主は夫差の部下とも夫差自身とも解せるが、文脈としては夫差とするのが自然であると書いてあったそうです。
私は、その「文脈として自然に解する」というのがよくわかりませんでしたが、あるいは、この一文を連動文として、先頭の「夫差」が「志」「臥」「出入」「使」の動作主であると考えているのかもしれません。

授業用の資料には大概タネ本がありますから、手許の参考書をいくつか見てみることにしました。

『漢詩・漢文解釈講座』(昌平社)は、この件についての言及はありませんでした。

『鑑賞 中国の古典⑧ 十八史略』(角川書店1989)には、注記はないものの、この箇所を「出入りの人にも『…(略)…』と言わせた。」と訳してありました。
これによれば、「出入」の動作主は夫差ではなく、部下だということになります。

私の恩師青木五郎先生が若い頃に高校生向きに書かれた『必修 史記・十八史略』(文研出版1976)を見ると、「側近の者が夫差の寝室に出入りすること。」と明記してあります。

また、タネ本の可能性が高い『研究資料漢文学8 歴史Ⅱ』(明治書院1993)には、「『出入』の主語は、(1)夫差、(2)人(家臣)、のどちらでも解釈できるが、ここでは(1)に解しておきたい。」と書かれています。

結論からいえば、本文だけでは『研究資料漢文学』にいうとおり、どちらとでも解釈できて、決め手にかけるわけです。
したがって、自由勝手に動作主を考えれば、色々と考えは生まれてきます。

もし「出入」の主語が夫差であったとしたら、夫差が寝室に出入りするごとに部下が大声で言うのですから、その部下は常に寝室、またはその入り口に待機することになります。
そんな役割に特化した部下を配置するでしょうか。
あるいは、夫差が寝室に出入りする時間帯に限定して夜間勤務になるのかもしれませんが。

また、「出入」の主語が部下であるとすれば、頻繁に出入りしてもらわないことには、大声で言わせる場面が生まれてこないことになりますが、部下というものは、王の寝室にそんなにちょくちょく出入りするものなのでしょうか。

結局のところ、どうとでも解釈できるというしかないのですが、しかし少なくとも作者は、どちらとでも解釈してくれという無責任な態度ではなかったはずです。

ご承知の通り、「臥薪嘗胆」の「臥薪」の部分については、呉王夫差が薪に臥したなどという記述は『史記』などの古典になく、「臥薪」という言葉自体が、いわゆる苦労を重ねることの意味で用いられたのは、北宋蘇軾の『擬孫権答曹操書』という文章が初見です。
ただ、「枕戈」(戈に枕す)という表現が杜甫の詩に越王句践に関連付けて用いられたり、宋代には「臥薪嘗胆」の四字句が用いられるようになったことも報告されています。(樋口敦士「故事成語「臥薪嘗胆」教材考―成立と受容の観点に照らして」)

しかし、夫差の「臥薪」の故事は見られなくても、作者が元としたであろう話は『春秋左氏伝』に見えます。

・夫差使人立於庭、苟出入、必謂己曰、「夫差、而忘越王之殺而父乎。」則対曰、「唯、不敢忘。」(春秋左氏伝・定公14年)
(▼夫差人をして庭に立たしめ、苟くも出入すれば、必ず己に謂はしめて曰はく、「夫差、而(なんぢ)は越王の而(なんぢ)の父を殺すを忘るるか。」と。則ち対へて曰はく、「唯(ゐ)、敢へて忘れず。」と。)
(▽夫差は人に庭に立たせ、かりにも出入りすれば、必ず自分に言わせることには、「夫差よ、お前は越王のお前の父を殺したことを忘れたか。」と。その際にきまってお答えすることには、「はい、忘れたりはいたしません。」と。

(この文、使役の兼語文と説明されるものとして見れば、なにやら怪しい構造をとっているように思えるのですが、それは今は措いておきます。)

『十八史略』のいわゆる十八の史書の中に『春秋左氏伝』は含まれていませんが、作者が見ていないはずはありません。
ここで用いられている「出入」が「人」(部下)の動作でなく、夫差の動作であることは、人が立たされていることから明らかです。

私が何を言いたいかというと、『十八史略』の「出入使人呼曰」という表現は、「臥薪」という新しい設定を用いてはいても、『左伝』の記述の延長上にある可能性が高いのではないかということです。
もし、そうだとすれば、部下を庭に立たせておいて、夫差が出入りするたびに、「越王がお前の父を殺したことを忘れたのか」と言わせたという『左伝』の記述から、『十八史略』の「出入」も夫差が動作主である可能性が高いのではないでしょうか。
わざわざ部下を庭に立たせておくことが設定としてあり得るなら、寝室の入り口に立たせておくことも、ない話ではなくなります。
夫差にとっては、それに人を割くほどに、重要事であったのかもしれません。

私は、文脈から「夫差」の動作だと読む方が自然だというのではなく、『左伝』の記事を背景にしている可能性から「夫差」の動作なのではないかと考えます。


2.「即」の意味

・句践反国、懸胆於坐臥、仰胆嘗之曰、「女忘会稽之恥邪。」(十八史略・春秋戦国)
(▼句践国に反(かへ)り、胆を坐臥に懸け、即ち胆を仰ぎ之を嘗めて曰はく、「女(なんぢ)会稽の恥を忘るるか。」と。)
(▽句践は国に帰り、(苦い)胆を座ったり寝たりするところにぶらさげ、[即ち]胆を仰いでそれをなめて言うことには、「お前は会稽の恥を忘れたのか。」と。

この「即」の意味も気になるところです。
学生さんに確認してみると、調べた資料には「すぐ」と書かれていたそうです。
どうあって「すぐ」なのか、わかりません。

『新釈漢文大系20 十八史略』(明治書院1967)には、語注はなく、訳も「苦い胆を寝起きする部屋に吊り下げておき、仰向いては胆を嘗め」とあり、「即」の直接的な訳はありません。

『鑑賞 中国の古典⑧ 十八史略』も語注なく、「(苦い)胆を寝起きする部屋にかけ、その胆をあおぎ見、これを嘗めては」と訳すばかりです。

『研究資料漢文学8 歴史Ⅱ』は、語注なく、「(苦い)胆を(自分の)寝起きするところにぶら下げておき、(いつも)仰ぎ見てはこれをなめて(自分を叱咤して)」と訳しています。
「いつも」というのは意味を補っただけで、「即」の訳ではないかもしれません。

恩師の『必修 史記・十八史略』には、「即」の注として、「上に『坐臥』が省略されていると考える。『起居するたびに、すぐに』の意。」と説明し、「寝起きする所に胆をつるし、(寝起きのたびに)すぐに胆を振り仰いでなめ、」と訳があります。

以前にも述べた通り、「即」という字は「食卓につく」が原義の字で、接着が基本義です。
時間的に接着すれば「すぐに」という意味になるし、事情が接着すれば「とりもなおさず」「つまり」などの意味になります。
あたかも多義語のように説明されることもありますが、基本はここから考えるべきでしょう。
しかし、「懸胆於坐臥、即仰胆嘗之」の場合、「胆を座ったり寝たりするところにぶらさげる」と「胆を仰いでそれをなめる」の2句をこれらの関係で説明することには無理があります。
だからなのか、訳本のどれもが「即」の訳を避けているのでしょうか。

ですが、恩師の「上に『坐臥』が省略されていると考える」には、理由があったのだと思います。

『史記』には、次のように書かれています。

・呉既赦越、越王句践反国。乃苦身焦思、置胆於坐、坐臥即仰胆、飲食亦嘗胆也。(史記・越王句践世家)
(▼呉既に越を赦し、越王句践国に反る。乃ち身を苦しめ思ひを焦がし、胆を坐に置き、坐臥する即ち胆を仰ぎ、飲食にも亦た胆を嘗むるなり。)
(▽呉がすでに越を許し、越王句践は国に帰った。そこで身を苦しめ思いを焦がし、胆を座右に置いて、坐臥するとすぐ胆を仰ぎ、飲食にも胆を嘗めた。)

『史記』には「坐臥即仰胆」という表現があり、その「即仰胆」を『十八史略』は取ったものとされたのでしょう。
『十八史略』の「即仰胆嘗之」が100%「坐臥即仰胆嘗之」の意であると断定することはもちろんできませんが、『史記』の表現を写し取っている可能性はかなり高いのではないかと思います。

そのように考えると、「懸胆於坐臥、即仰胆嘗之」の「即」をすんなり理解するのは難しいけれども、元にした文章からおそらく「すぐに」の意だと判断できることになり、独立した本文としてはどうなのだろうという気もします。
『四庫全書総目提要』が、諸本から史文を抄録しながらも、簡略に過ぎると評したのはこういうところを指摘したのかもしれません。


学生さんの実習指導のために「臥薪嘗胆」を見ていて、その過程で気になったことはまだほかにもあるのですが、それは別のエントリーで書いてみようと思います。

「漱石枕流」の授業(コロナ対策)・2

(内容:新型コロナウイルスによる休校で、PDF版「漱石枕流」のためぐち授業を作ったこと、その第2回。)

ようやく学校再開のメドは立ちましたが、個人的には不安材料は無限大です。
とりあえずフェイスシールドも発注したし(大阪では自治体が学校に配布するという噂があるのは、本当か?)、大きな声を出さずにすむように、ハンズフリーの拡声器もポチりました。
中井の授業は声の大きさが特徴の一つなのですが、さすがに飛沫をまき散らしながら授業をするわけにはいきません。

学校が再開しても、しばらくは分散登校。
2週間で1週間の授業しかできず、対面授業とオンライン授業を並行して行うという、聞こえはよいが、それをこなす教員はほとんど地獄の様相を呈してきそうです。
私の場合、現在、2年の古文と漢文、3年の漢文の授業配信を行っていますが、なにしろ「ためぐち授業」、つまり完全文字起こし配信なので、50分ものを1日以上かけて書いているわけで、対面授業とためぐち授業の両方を本当にこなせるのか、気持ちは不安一色です。

しかし、なんとか乗り越えなければなりません。

ヘトヘトになりながら書いた「ためぐち漱石枕流」の後半です。

『漱石枕流』(第2回) ←クリックしてください。

書いてると、乗ってはくるんですけどね。

「漱石枕流」の授業(コロナ対策)・1

(内容:新型コロナウイルスによる休校で、PDF版「漱石枕流」のためぐち授業を作ったこと。)

新型コロナのせいで、休校を余儀なくされている全国の学校の先生方は、もう本当に大変な思いをしておられることと思います。
わが勤務校もご多分に漏れず、各教科とも動画授業その他、毎日作成に追われる日々です。

ニュースなどを見ていると、学校の中には、生徒の顔をモニターで見ながら、双方向でテレビ授業をしておられる取り組みなどあり、そういう機器をすべての生徒の家庭が用意できるのか…と、うらやましく思ったりもします。

しかし、一般的な学校では動画が中心になっているのかな?と思うのですが、実際何本も動画講義を撮影しながら、私はしだいに懐疑的になってきました。
これ、本当に意味があるんだろうか?
この動画を見ながら、生徒は本当に理解できているのだろうか?
そもそもノートとかとれるのだろうか?

動画授業は、15分が限界という話も聞きました。
私の場合、さすがに15分は無理なんで、20分ぐらいはかかってしまうのですが、時間を短く、時間を短くと思うがゆえに、中身はどんどん薄くなっていきます。
冗談のひとつも言えやしない。

そこで、ふと思ったのです。
わが勤務校のほとんどすべての教員がやっている動画中心の授業の向こうを張って、前時代的なやり方をしてみよう!

昔は、個性あふれる先生方の講義そのものを再現したような参考書がありましたよね?たとえば『漢文法基礎』だとか…
それを中井もやってみよう!そう思ったわけです。

「ためぐち漢文」の手法を、コロナ対策にも生かしてみよう!

というわけで、2年生の古典を担当するので、古文は「大江山」(十訓抄)、漢文は「漱石枕流」(世説新語)を、授業風景さながらに文字起こししてみました。
この学年は初めて教える生徒たちなので、1年生で教える内容でも丁寧に書いてみよう!とそう決意しまして…

やり始めてみると、大変な作業でして、わずか1時間の授業を文字起こしするのに、1日以上かかります。
勤務校であれ、在宅ワークであれ、勤務時間のほとんどすべてを費やしてもまだ終わらない…

それでも、どうにか2回分の授業を仕上げましたので、このブログは『漢文 学びのとびら』ですから、「漱石枕流」のためぐち授業を公開したいと思います。
まずは、来週の分をアップします。

『漱石枕流』(第1回) ←クリックしてください。

これは、高校2年生用の複数の教科書に載っている教材なので、もしかしたらお役立ていただけるかもしれません。
学校内限定の代物ではありますが、そんなけちくさい了見はもっていませんので、もしよろしければ、自由にご利用ください。

ちなみに、中井は、実際の授業で、まさかこんな喋り方はしていませんので、あしからず。

其れ猶ほ龍のごときか…

(内容:松下大三郎『標準漢文法』読了後の率直な感想。)

非常に長い時間をかけて、松下大三郎氏の『標準漢文法』を読み終えました。
私の不勉強を諭してくださったN氏のご教示がきっかけでした。

『史記』の「老子韓非列伝」に、孔子が老子に礼について教えを請い、面会の後に孔子が弟子たちに老子の印象を述べた言葉があります。

鳥吾知其能飛、魚吾知其能游、獣吾知其能走。走者可以為罔、游者可以為綸、飛者可以為矰。至於龍吾不能知、其乗風雲而上天。吾今日見老子、其猶龍邪!
(鳥は私はそれが飛べることを知っているし、魚は私はそれが泳げることを知っているし、獣は私はそれが走れることを知っている。走るものは網でとれるし、泳ぐものは釣り糸でとれるし、飛ぶものは紐のついた矢でとれる。(しかし)竜に至っては私はわからない、風雲に乗じて天に昇るであろうか。私は今日老子にお目にかかったが、竜のようであろうか。)

読み終えた印象は、まさに「其れ猶ほ龍のごときか」でした。
誤解のないように断っておきますが、私が鳥や魚、獣の能力を理解しているなどというのではありません。
また、穿った深読みをして、老子の現実離れした境地が孔子の現実性と乖離するということを、我が身に照らして喩えているのでもありません。
ただただ、「其れ猶ほ龍のごときか」という言葉が、真っ先に浮かんだのです。

私はほぼ独学で古典中国語文法を学んでいますが、色々と学派はあるにせよ、西洋の文法学にならって清末の馬建忠が打ち立てた語法学がその始祖であることは間違いありません。
その後、中国のみならず日本や諸外国のさまざまな学者により批判的に研究されて現在に至っています。

ですから、私の語法理解は当然その延長上にあります。
そう、『馬氏文通』以降脈々と続いてきた語法学の流れの中に。

松下氏の『標準漢文法』は、この語法学とまるで異なることを述べているものではありません。
もちろん氏独自の文法論により解明された部分も多々あり、それは氏自身がはっきりそう述べておられます。
しかし、『標準漢文法』の中に見られるものは、西洋の文法学や日本の文法学、あるいは漢文に対する従来の文法学とははっきり異なり、氏自身の漢文に対する精緻な分析の結果生まれてきたものだと私は思います。

儒学が当たり前で、その根本や細部について、それがなぜなのだろう?とか、あるいはそこに見えているのに考えようとしなかったことが仮にあるとして、それを目の当たりに突きつけられるような衝撃を感じるとしたら…
「其れ猶ほ龍のごときか」という言葉を想起した私の思いは、そんなふうに説明できるかもしれません。

もちろんほとんどすべての学問がそうであるように、それだけが絶対に正しいなどということはなく、『標準漢文法』にもあるいは妥当でない部分があるかもしれません。
昭和一桁の刊行ということからして、その後の語法研究は膨大な年月を経ているのですから。
それにしても、昭和一桁の時代に、これほどの、そう、まさに唯一といっても過言でない漢文の理論書が著されていた…そのことに対して畏敬の念を抱きます。

私は依然として現在主流の古典中国語文法の道を歩む者ですが、この書には非常に多くのことを学ぶとともに、今まで気づかずにいた、あるいは問題にしようとしていなかったことの多くに気づかされました。

いったいどんな書なのだ?と苛々される方もあるかもしれませんが、こんな書ですと簡単に書けるほど、まだ私はこの書を理解していない、二度三度、いいえ何度も読み返す必要性を感じています。
そしてその上で、初めて本当にそうか?と問い直すことができるように思います。

前エントリーにおいて、

・比干忠而誅於君。
・青、取之於藍、而青於藍。

の2例を挙げ、「於」前置詞句が補語の位置にあり、述語を後置修飾すると説明しました。
つまり私には「於君」と「於藍」が介詞句(前置詞句)という一つのまとまりとして見えていたわけだし、現在の中国の語法学でもそう説明されています。
これを補語と認めてよいかどうかはともかくとして、この介詞句が述語を後置修飾するという考え方が普通の解釈です。

ですが、「誅於」「取之於」「青於」が叙述語であり、実質的意義を表す「誅」「取」「青」の依拠性を明らかにするために形式動詞「於」が置かれ、「君」や「藍」がその客語であるとするのが、松下氏の考え方です。
また、「誅於君」の「誅」や、「青於藍」の「藍」は、副性として「誅される」「より青い」という義があり、形式動詞「於」が依拠性を明らかにするために、その意味を明確にする。
すなわち「誅」はその副性、被動態、「青」は比較態になっている。
(もしかしたら、解釈が誤っているかもしれません。)

このように『標準漢文法』は説きます。
読めば読むほどに、なるほど…と思わずにはいられませんが、何度も読み返してよく理解した上で検討は加えなければなりません。


N氏は、今読み得る唯一の漢文の理論文法書であるのに、読み解かれる方が少ないと述べておられました。
同感です。
この書はぜひ読まれるべきです。
国立国会図書館デジタルコレクションで、無料公開されていますので、ご覧いただければと思います。

読む途中で、何度も書籍の形が崩れ、そのたびに木工用ボンドで修復しながら読み続けました。
とても有意義で、楽しい時間でした。

心を虚しくして書を読む

(内容:新型コロナウイルスによる休校で生まれた時間に、松下大三郎『標準漢文法』を読み始めたこと。)

新型コロナウイルスへの対応で、勤務校は入学式。始業式の延期ならびに登校日を完全になくすという決断を、珍しく他の府立・市立高校よりも早く行いました。
判断の根拠は、天秤ばかりのもう片方に乗せるものは、学力保障でも行事運営でもない、「いのち」である、でした。
確かに学力保障は大切ですが、人の命にかえられるものなど存在しないという明快な判断で、ストンと心に納得できるものでした。

それなりに責任ある校務を任されているのですが、仕事場のホワイトボードは、ぎっしり書かれていた予定が消されて、文字通り真っ白の板になり、先行き不透明な中、しかし学ぶ時間に余裕は生まれました。

職員室は3密以外の何ものでもないと思うのですが、国の意向は本学には伝わらないらしく、時差出勤はOKだが、遅く来たらその分遅くまで働けという通達で、どうも本学の天秤ばかりの片方に乗っているものは、本校の判断とは異なるようです。
時差出勤ということなら、私はいつも勤務校には朝の6時半過ぎには着いて、教材研究とか語法の研究とか、仕事を始めているので、それならば14時過ぎには帰っていいことになるのだが…などと嫌みなことを思うのですが…

それにしても読書をする時間の余裕は生まれました、いつもなら生徒対応で落ち着いて本など読んではいられないのですが。
窓を全開して、マスクをつけて、ちょっとブルブル震えながら。

今朝から読み始めたのは、先日ご教示いただいた松下大三郎氏の『標準漢文法』です。
埃をかぶっていたので、丁寧に埃をはらい、窓から吹き込む風を感じながら読み始めました。
私の所有していたのは昭和5年発行なので初版ではないようですが、あちこちが傷んでいて、丁寧に扱わないと崩れてしまいそうです。
800頁以上ある分厚い本です。

松下大三郎『標準漢文法』の画像

もちろん古風な文体でそれはいいのですが、松下氏独自の用語がけっこう用いられていること、また同じ文法用語でも異なるものを指していたりすることもあって、頭をぐらぐらさせながら読むのですが、知らない言葉の定義はメモに書き留めたり、一読してよくわからない言葉や内容について前後を読み返して考えたり、気がつくとどんどん時間が過ぎていきます。

もともと速読することができない性格なので、ゆっくりゆっくり亀の歩みのような速度で読むのですが、今まで持ち得ていたものとは全く異なるといっていいほどの未知の領域に足を踏み入れていくような、不思議な感覚とわくわくする思いを感じました。
それなりの知識があって一家言をもっていると、えてして批評的にあるいは批判的に読むということがあると思うのですが、この書籍はそういうものを排して、心を虚しくして読むべきだと自然にそう思えてきて、読むのがとても楽しいですね。

ゆっくり読んでいるので、今日は100頁ぐらい。
それでもまだ本論に入らない序の口、第1編・第1章・第1節「言語の本質及び諸相」を読んだだけで、以前学参に「なぜ漢文を学ぶのか」について書いたことがあるのを思いだし、あの時これを読んでいれば…と思ったり。

これは一度通読したぐらいではだめで、おそらく何度も読み返すことになりそうだと思いながら、生徒のいない学校で読んでいます。
この先どんな世界が広がっているのか、とても楽しみです。

「これならわかるぜ!ためぐち漢文」をアップしました

(内容:高校生向けの漢文の文法書「ためぐち漢文」を公開する告知。)

拙著『概説 漢文の語法』は、第1部~第3部まで、かなり大部にものになります。
それに、まあ小難しく書いてあるので、読んでいておもしろいものでは決してありません。
なんとか若い人たちにも読み続けられるような語法の解説書を書きたい物だとずっと考えてきました。

そこで、いっそのことうんとくだけて、ためぐちで解説すればどうだろうか?と考え、「ためぐち漢文」というのを書いてみることにしました。
まさか実際にこんなためぐちで解説しているわけではないのですけれども…

ところが漢文に返り点と送り仮名を施す以上、縦書きでなければならず、Web上で公開するのは、なかなか難しいものがあり、せっかく書き上げたのに、公開できない状況が長く続きました。

そこで、PDFファイルで閲覧できるようにしてみました。

高校生のみなさん対象のものではありますが、ほかの方々もぜひ講義に参加してくださいませ。

こちらのページからどうぞ。

素直に尋ねることも大切です

(内容:不明なことについては自分できちんと調べるべきだが、どうしてもわからない時には、素直に他人に聞いてみることも大切だと実感した経験。)

「わからないことがある時は、きちんと調べる」をモットーに、自分を戒め、若い同僚たちにもそう言い聞かせながら、漢文に臨んでいると、それなりに色々な知識や教養も身につきます。
そういう視点から巷に出回っている受験用参考書や問題集に接していると、致命的な誤りを見つけてしまうことが、けっこう頻繁になります。
老婆心から、誤りは誤りとして、まめに出版社に連絡するようにしています。
クレーマーではなく、現場の先生が混乱したり、誤った情報を鵜呑みにしてしまわれないように、もっと言うなら現在の漢文教育が向上するようにという思いから、お節介だとは知りつつ、連絡してしまうのです。

数年前、現行のある受験用問題集や参考書を売り出している有力な出版社に、採用している問題集の誤りを宣伝員を通じてお知らせしたことがあります。
題材自体は面白いのですが、困ったことに読みや解釈、設問、解説に至るまで、あちこちに誤りが見られ、ひどい場合には1ページに何ヶ所もあるので、これはいくらなんでもと思ったわけです。
何十ヶ所もの誤りについて、一つひとつなぜ誤りといえるのかについて、古典中国語文法に照らしながら、丁寧に説明をしました。
編集部から、よく飲み込めないから再度教えてほしいという連絡があったので、さらに詳しく説明したり。

その後、改訂された問題集を拝見すると、いくつかは直してありましたが、致命的な誤りとして指摘したことが直されずに、そのままになっているものもありました。
これはおそらく編集部の方が悪いのではなく、執筆者のプライドによるのでしょうね…あくまで想像ですが。
私も教科書や参考書の執筆に携わっていますから、そのあたりの事情は大体わかります。
問題集の直接の執筆者はたぶん高等学校の現場の先生でしょうから、漢文がご専門という立場から、第三者に自らの誤りを指摘されると、プライドが傷ついてしまわれるのでしょう。
幸いにして、私の場合は共に仕事をしている編集員が教養あり非常に有能な方なので、誤っているとわかっているのに改めないでいるなどということが許されず、根拠に基づいてこちらも強く言うがあちらも強く言うという切磋琢磨の関係にあるので、書き手と編集者の理想的な関係が築けているのですが、どちらかが強すぎると、おかしな本を作ってしまうのでしょうか。

誤っていますよというご指摘は、その指摘が妥当であるか否かにかかわらず、改めて自己の見識を見直すチャンスになります。
そしてわからないことは、きちんと調べ、そしてどうしてもわからないことは、わかるかもしれない人に尋ねてみる、そんな柔軟性が必要だなといつも思います。
そのために恥をかくことだって多いのですけれども。

さて、本題です。
「どう調べてもわからないことは、素直に尋ねるべし」と思い知った出来事を一つ、恥をさらす覚悟でお話ししましょう。

「従来」について調べていた時のこと、「来」の用法を何乐士の『古代汉语虚词词典』(语文出版社2006)にあたってみました。
すると、語綴助詞としての説明に次のように記されていました。

用于部分动词、形容词和时间副词后,作后缀助词,表示一种发展趋势或处于某种情况。

この「部分動詞」という見慣れないことばがひっかかりました。
それに続いて、「用于部分动词之后作补语,…」とあるので、誤植ではないようです。
「部分動詞」とはいったいどんな動詞のことを指すのだろう…と、調べてみることにしました。

まず手っ取り早い方策として、Web上にその用語についての説明がないか検索してみると、意外にもあまりヒットしません。
ないわけではないのですが、どうも「部分動詞」という用語自体の説明がなさそうなので、もう少しきちんと調べようと腰を据えることにしました

手もとにある語法書を片っ端から見ていったのですが、どの書物の動詞の項を見ても、「部分動詞」という用語は見られません。
文法用語ということなら…と、鳥井克之氏の『中国語教学(教育・学習)文法辞典』(東方書店2008)を開いてみました。
これまで何度も助けられたことがあるからなのですが…
しかし、残念ながら「部分動詞」ということばは見つかりませんでした。

もしかしたら古い時代の文法用語、たとえば『馬氏文通』に用いられている用語かもしれないと思い、開いてみたのですが、やはり見つかりません。
楊樹達や呂叔湘、王力あたりはどうだと調べてみたのですが、見つかりません。

何をどう調べてもこの「部分動詞」という用語が見当たらないので、さすがに考えあぐねてしまいました。
すでに膨大な時間が過ぎていきます。
調べた書籍は何十冊にも及びます。

これまで「部分動詞」ということばを目にしたのはWeb上だけなので、もう一度一つひとつ確認していくことにしました。
すると、英語について説明したある中国のサイトに「部分動詞」という言葉が用いられているのを見つけました。
これはと思い、同僚の英語教諭の力を借りて、「部分動詞」にあたる動詞がどんな動詞なのか、英語の文脈から判断できないだろうかと相談してみました。
しかし今ひとつはっきりしません。

もはや完全にお手上げです。
最後の手段は、中国の方に尋ねてみるということなのですが…
そこでふとある方を思い出しました。
以前、このブログのエントリーにコメントを頂き、「不」がどこまでかかるかについて、中国人の観点からご教示くださった方です。
藁にもすがる思いで、教えてほしいというメールを差し上げました。

すると、さっそくお返事を頂戴しましたが、そのメッセージを見て、思わず口をあんぐり…
「部分動詞」とは「一部の動詞」という意味だというのです。
これにはもう唖然としてしまいました。
私は文法用語だろうと信じて、何十冊もの書籍にあたり、途方もない時間を割いて調べていたのに、たったそれだけのこと?
思い込みというものが、いかに怖いものか思い知ると同時に、どう調べてもわからないことは、素直に人に聞くことの大切さを実感しました。

そういえば… 思い当たることがあります。
「来」の働きについて調べる際、一番最初に開いたのは、『古代汉语虚词词典』(商务印书馆1999)です。
そこに、次のように書かれていました。

二、“来”附加在某些动词、形容词、时间词、数词等后,表示一种趋向。可仍译为“来”,有时可随上下文义灵活译出。

その時はなんとも思わなかったのですが、後で何乐士の『古代汉语虚词词典』を見た時、「用于部分动词、形容词和时间副词后…」と書かれているので、何乐士ははっきり「部分動詞」と言い切っているのに、商务印书馆の『古代汉语虚词词典』は「某些动词」などとぼかした表現というか、いい加減な書き方をしているなあ…と感じたのです。
実は、同じことを指していたのですね…

恥ずかしいやら、なにやら… 私が「部分動詞」にこだわって時間を費やしていたのをご存じの同僚もありますから、これを逆手にとって、「きちんと調べてどうしてもわからないことは、素直に人に尋ねることも大切なんだよ。」などと照れ隠ししながらご報告もしましたけれども。

最初に書いた、おそらく問題集の執筆者であるどこぞの高等学校の先生も、自分だけが正しいなんて思わずに、わからなければ素直に尋ねてくださればいいのに… そう思いました。
浅学ですが、わかる範囲でいつでもお教えする用意はあるのですがね。

用例を探す

(内容:漢文の参考書や語法書は、用例の孫引きをせずに、自分で用例を探す努力をすべきである。)

高校生用の漢文語法書とか受験参考書を見ていると、結構怪しげなことが書いてあると思うと同時に、使われている用例がどの本もどの本も判で押したように同じなのが気になります。
ひどい場合は、その同じ用例を原典にあたってみると、そもそも原典がなかったり、原典とは文字の異同があったり、中国の古典文ではなく西洋のことわざが漢訳されたものであったりします。
想像ですが、おそらくこういう本を書いている御仁は、自分で用例を探すという努力をあまりせず、他本の孫引きをしているのでしょう。

私の場合は、ずいぶん昔から漢籍のデータベースを作り続けていますので、たとえばある構文の最適の例を探すという場合も、膨大な用例の中から選び出すことができますし、ある漢字の使われ方についても、その膨大な用例を比較検討することにより可能になります。
ざっと100数十の漢籍がデータベース化されていますので、主要なものはほぼ網羅されています。
もちろんこれでも足りませんから、必要に応じて、四庫全書や四部叢刊にあたることもあるし、最近はWeb上でも検索できるようになりましたから、それを利用することもあります。

膨大な用例数とはいえ、ただ用例がありましたではダメですから、用いられている時代や文章の様式なども考慮に入れる必要はあります。
また、データベース化されているデータが正しいとは限りませんから、原典にあたって確認する作業も必要になります。

用例検索画面の画像

ですが、手元ですぐに用例を探せる、有無を確認できるという環境は、劇的に研究の助けになります。
みなさんもぜひご用意されるべきでしょう。

私は、何かの構文に最適な例は、常に膨大な用例の中から最もわかりやすいものを選び出して提示するようにしています。
世の参考書、語法書なども、孫引きなどせずに、もう少し誠実にこういう地道な作業をなさってはいかがでしょうか。

書籍を身の周りに置く努力

(内容:漢文を教える高等学校の教師は、職員室でも書籍を身の周りに置く努力をすべきである。)

どこの学校にも職員室というのがありますが、なんと私の職場では10年ほど前まではありませんでした。
その代わりにそれぞれの教科に準備室があり、分掌以外の人はその部屋で生活していたわけです。
したがって、私のように国語の担当はいわゆる国語準備室にいたわけで、大量の書籍に囲まれる幸せを享受していました。
ところが、職員室を作ろうという熱心な動きが起こり、その場所の確保から検討されることになったのでした。
その際、国語準備室をその候補にという話になり、それはともかくとして、我々は書籍をどうすればよいのか?という当然の疑問に対して、ある急進的な理科の教員が、図書館の書庫に入れてしまえばどうかなどと、耳を疑うようなことを言ったのを、今でも鮮明に覚えています。
その時、私は「では、あなた方の実験器具や資料、薬品のすべてを図書館の書庫に入れてしまえば如何か?」と、いささか怒りをこめて叱りつけました。
結局、国語準備室は職員室にはならず、書籍はそのまま残されましたが、私たちはその部屋を離れて職員室に常駐することになりました。

職員室が情報共有や作業効率の面からどれだけ有益であるか、ここで論じるつもりはありません。
実際その通りですし、職員室ができたことで助かる面も多々あります。

しかし、一方で私の研究自体は、一気に効率がダウンしました。
なにより手元に書籍がないのです。
何かを調べようとしてもその工具や資料がない、それが文系の教員にとってどれだけ致命的であるかは予測されたことでしたが、これほどまでひどいとは思いませんでした。
しかたなく、狭い職員室の自分に割り当てられたさらに狭いスペースに、何とか書籍を充実させる努力をしました。

自机の上の書籍の画像

机上は物を置く高さが制限されていますから、最もよく使うものを置くしかありません。

書棚の書籍の画像

他の人がファイルやら何やら入れてる書棚は、もちろん私の場合書籍で埋め尽くされます。

机の引き出しの書籍の画像

もちろんそれでは全然足りませんから、机の引き出し、そして机の下にも書籍を置くことになりました。

机の下の書籍の画像

これでも全然足りないのですが、少しはましになりました。
できれば、PDF化した書籍をPCに入れておきたいのですが、なかなかPDF化する暇もなく…
でも、この努力により、多少は研究がしやすくなりました。

いずれ漢文研究には何が必要かご紹介したいと思いますが、専門とする人間にとって、最も必要になる書籍は工具書です。
たとえばいわゆる辞書は、日本の漢和辞典の他にも、『古代汉语词典』(商務印書館)、『王力古漢語字典』(中華書局)、『现代汉语词典』(商務印書館)、『漢語大詞典』(漢語大詞典出版社)、『中国語大辞典』(大東文化大学中国語大辞典編纂室 )や『東方中国語辞典』(東方書店)等々、他にPCに字書アプリや、電子辞書で漢和辞典や中日辞典を揃えています。

漢字そのものを知るための字書としては、『字源』(天津古籍出版社)をはじめとして、『汉字源流字典』(華夏出版社)や『常用汉字意义源流字典』(中国国際出版集団)等々を用意。
日本のものも『漢字の起源』(角川書店)、『漢字語源辞典』(学燈社)を置きました。

特に重要なのは虚詞を取り扱ったものと語法書です。
虚詞詞典は、『古代汉语虚词词典』(商務印書館)、『古代汉语虚词词典』(語文出版社)、『古汉语虚词词典』(黄山書社)、『古汉语虚词手册』(吉林人民出版社)、『文言虚词通释』(広西人民出版社)、『古书虚词通解』(中華書局)、『虚词诂林』(商務印書館)、『文言复式虚词』(中国人民出版社)、『近代汉语虚词词典』(商務印書館)等々、20種類以上の書籍を揃えました。
これらは数多くもっていても、闇雲に扱っては訳がわからなくなるものですが、扱い方によっては非常に有益なもので、時代を考慮しながら縦横に参照することで、問題解決の糸口が見えてきます。

そして、楊伯峻・何楽士の『古汉语语法及其发展』(語文出版社)や楊剣橋『古汉语语法讲义』(復旦大学出版社)、易孟醇『先秦语法』(湖南大学出版社)、李佐豊『古代汉语语法学』、廖振佑『古代汉语特殊语法』(内蒙古人民出版社)、張玉金『古代汉语语法学』、劉景農『漢語文言語法』等々の語法書は20種類ほど、漢文を古典中国語として学んでいく上で必須の書物です。
日本のものでは、牛島徳次の『漢語文法論(古代編)』『同(中古編)』(大修館書店)、西田太一郎『漢文の語法』(角川書店)なども大いに参考になります。

こういった書籍を身の回りに置く努力のおかげで、ようやくなんとか研究ができるようになりました。

教師の机の上というのはどうなっているのかあまりよく知りませんが、こと国語、特に漢文を教える立場にある人は、書籍がないことには仕事になりません。
机の上に載っている書籍が、いわゆる指導書しかないとか、受験参考書しかないというのは、恥ずべきことです。
それで深い授業が可能なのだろうかと正直疑問に感じます。
いわゆる指導書などというものは、そのもの自体の出来も千差万別ですし、実際ずいぶん怪しいものが幾社もあります。
大学時代、恩師から「自分で原典にあたれ」と、耳にタコができるほど指導を受けました。
そのおかげなのか、幸いに指導書を鵜呑みにして講義をする人間にはなりませんでした。

もし、このブログを読んでいただいている方がおられましたら、ぜひ覚えておいてください。
身の周りに書籍を置きましょう、それも意味のある書籍を。
それがなければ研究もへったくれもないし、ひとにものを教える資格などないのです。

汗顔の至り

(内容:「汗顔の至り」の経験から、その「汗顔の至り」という言葉について調べてみる。)

先日、とても驚くことがありました。
拙著『概説 漢文の語法』は、Web上で公開、PDF版を無料提供していることもあって、お問い合わせを頂くことも多いのですが、なんと中国の大学院生の方から勉強したいので譲ってほしいというご連絡を受けました。
これはもう驚天動地のことです。
日本の方からのお問い合わせならともかくも、本家からのご依頼には、果たしてその任に堪えうるものか忸怩たる思いがあります。

せっかくのお問い合わせですので、PDF版をダウンロードしていただきましたが、さぞかしあちこちに怪しげなことが書いてあると思われるのではと、汗顔の至りです。
きちんと調べた上で執筆したものではありますが、しょせん他国の言語を他国の人間が解説しているわけですから、まさに汗顔の至り、恥じ入らずにはいられません。
むしろ誤りをご指摘ご教示くださいとお願いしました。

さて、「汗顔」とは、額に汗することですが、『広辞苑』を引いてみると、「大いに恥じて顔に汗をかくこと。極めて恥かしく感ずること。」と書いてあります。
リアルな表現ですから、どうしてそういう意味で用いられるのかは容易に想像がつくのですが、中国でも同じ意味で用いられるのだろうか?と疑問に思いました。

そこで、『漢語大詞典』を引いてみますと、「(1) 臉上出汗。(2) 形容羞愧。」とあります。(2)の方の用例を見ると、「元 高文秀《澠池會》第二摺:“我若輸了呵,面搽紅粉,豈不汗顏。”」とあります。高文秀は元代の雑劇作家ですが、残念ながらその戯曲「澠池会」は手元にもなく、閲覧する手立てもありませんので、原典にあたってみることができませんでしたが、おそらく「私がもし(賭けに?)負けたら、紅粉を顔に塗る、汗顔せずにいられようか」という意味だと思われ、「恥じずにはいられない」ということなのでしょう。前後の文脈がわかりませんので間違っているかもしれませんが。

『元史・礼楽志2』にも、「臣等素無學術、徒有汗顏。」(私どもはもとより教養がございませんので、ただただ恥じ入るばかりです)という用例が見られます。

古い用例には「恥じる」の意味で「汗顔」が用いられたものは今のところ見当たらず、どうやら比較的新しい使われ方のようですね。

「汗顔の至り」、まさにその気持ちを強くする一方、本場の方の目をもってしても、妥当なことが書かれている、そう思っていただける語法の解説を行えるよう、学び続けていこうと心に刻みました。

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