「不己知」と「不知己」の違いは?
- 2020/07/29 17:05
- カテゴリー:漢文の語法
(内容:古代漢文において否定文で代詞が倒置されること、すなわち「不己知」と「不知己」について考察する。)
ずっと以前のことになりますが、小学校の入学式で、教室に「こんにちわ」と板書されていて、びっくりしたことがあります。
今時の若い先生は「こんにちは」が「今日は」の意味だというのをご存じないのかもしれないと思ったものです。
「今日は」の後には省略された内容があるのですが、それを知らないのはしかたのないことかもしれません。
「さようなら」も同じですね。
中国語で「再見」と言いますが、これは「また会いましょう」ということですからわかりやすい。
でも、なぜ別れを告げる時に「さようなら」というのかは、知らなければわかるはずもないことだし、なぜだろう?と思わなければ、それまでのことになってしまいます。
「こんにちは」が昼間に人と会った時の挨拶の言葉、「さようなら」が人と別れる時の挨拶の言葉とだけ認識するようになれば、そもそもなぜそう表現するのかということは忘れ去られていきます。
何が言いたいかというと、同じようなことが高等学校の漢文の授業の中にもたくさんあるということです。
ここのところのエントリーで、拙著の改訂を進めるにつれ、あれこれと気になること、疑問に思うこと、解決不能の問題等が生まれてきているということを述べてきましたが、本当にたくさんあります。
高等学校の先生方にとって身近なところから例を挙げれば、疑問代詞が賓語になる時、謂語に倒置される(=疑問を表す「何」「誰」などが目的語になる時、述語の前に置く)というのはどうでしょうか?
これを、ただ「『何を』とか『どこに』などの疑問を表す語は、述語の前に倒置するんだ!覚えとけ!」とやっておられないでしょうか?
副読本の参考書なんかには、「必ず倒置される」と言い切っている場合もあるようですし。
でも、もし、生徒が「先生、『何を』とか『どこに』という語は、どうして倒置するんですか?」と質問したとしたら、どうお答えになるのでしょう?
「それはそう決まっているんだ」と答えたら、それこそ「こんにちわ」と同じレベルになってしまいます。
例のチコちゃんがその場にいれば、きっと「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と叱られてしまうでしょう。
でも、その「ボーッと生きてる」ことをやってしまっているのが、実際の授業ではないでしょうか?
では、偉そうに言うわたしはわかっているのか?といえば、それは怪しいものです。
ですが、なぜだろう?とは考えます。
本来「謂語+賓語」が鉄則の古漢語において、その規則を破って賓語を前に置くというのは、それなりの理由があるはずです。
賓語である疑問代詞を先に表現するというのは、言い換えれば問いたい内容を真っ先に表現しようとしたものではないでしょうか。
つまり、賓語の「何」や「誰」は、強調のために提示される語だと思うのです。
「食桃」(桃を食べる)は、「桃」に力点が置かれた表現ですが、「食何」(何を食べる)も「何」に力点が置かれているとはいうものの、それ以上に「何」を文頭に出して提示し、さらに強調しようとした。
それがいつか標準的な語順に定着したのだろうと思います。
したがって、「何食」(何を食べるか)は、形の上では倒置文ですが、むしろこれが普通の表現で特殊ではありません。
「食何?」という表現は特殊ではありますが、文法上無理な表現ではなく、これに類する表現は探せばいくらでもあると思います。
副読本の「必ず倒置される」は、そこまで考えて書かれたものでしょうか。
ちなみに「何憂」は、「何をか憂へん」などと読んで「何を心配しようか?」という反語的な意味をも表しますが、それは「どうして心配しようか?」にも通じ、「何」が副詞に転じていった可能性については、太田辰夫氏などが指摘しているところです。
さて、これまで述べたことが本題ではなくて、私が気になるのは、別の倒置の問題です。
それは、否定文における代詞賓語の倒置です。
・子曰、「不患人之不己知、患不知人也」(論語・学而)
(▽先生がおっしゃる「人が自分を理解してくれないことを気にせず、(自分が)人を理解しないことを気にかけるのだ。」)
・子曰、「莫我知也夫」子貢曰、「何為其莫知子也」子曰、「不怨天、不尤人。下学而上達。知我者、其天乎」(論語・憲問)
(▽先生がおっしゃる、「誰も私を理解してくれないなあ」。子貢が言う、「どうして先生を理解しないのでしょうか?」先生はおっしゃる、「天を怨まず、人をとがめず、下のことに学んで、上天に達する。私を理解するのは、天であろう。」)
この「不己知」や「莫我知」などの構造は、授業などでも「否定文における代名詞の倒置」として説明されるのではないでしょうか。
実際、「不己知」については、その後に「不知人」とあり、それは正規の語順です。
また、「莫我知」についても、子貢が「莫知子」といい、また孔子も「知我者」と言っており、代詞以外は倒置されないこと、肯定文では倒置されないことがわかります。
この2例に限らず、古代の漢文においては、同様の例が多く見られます。
一方で、では「不知己」という表現がないのかといえば、決して数は多くないものの、次のような例があります。
・君子詘於不知己而信於知己者。(史記・管晏列伝)
(徳のある人は自分を理解しないものには屈するが、自分を理解するものには伸びやかになる。)
また、「莫知我」については、『史記』で、先に引用した孔子の嘆きの言葉が、次のように記載されています。
・喟然歎曰、「莫知我夫」(史記・孔氏世家)
(ため息をつき嘆いて「誰も私を理解しないなあ」とおっしゃった。)
これらを見る限り、古代においても、否定文で代詞が必ず謂語に前置されるとは限らないことがわかります。
これはいったいどういうことでしょうか。
代詞が賓語の時、もともとは謂語に前置するものであったと説く論文をどこかで読んだような気がしたので、手元の資料を探してみました。
直接的には見つからなかったのですが、非常に興味深い論文を見つけました。
鈴木直治氏の『古代漢語における強調の表現について』(1976)です。
この論文を読んだ記憶が、どこかで読んだという気にさせたのでしょう。
その中で、氏は黎錦煕が『比較文法』の中で、「漢語においては、代詞は、賓語として用いられる場合、もともとは、すべて、その動詞の前に倒置することができるものであった」として、その推論の論拠としていくつかの書経や詩経、左伝の例を挙げていることを紹介しています。
また、鈴木氏は、さらに王力が『漢語史稿』において、「原始時代の漢語においては、代詞が賓語として用いられる場合、その正常な位置は、もともと、動詞の前におかれるものであったろう」と述べていることも紹介しています。
これがどうも記憶に残っていたもののようです。
黎錦煕の「代詞が賓語である時、謂語動詞の前に置くことができる」という説は、例証がある以上、あるいはそうなのかもしれません。
しかし、王力の「代詞が賓語である時、正常な位置は動詞の前であった」というのは、それを裏付ける資料が出てこない限り、想像の域を越え得ないものかと思います。
したがって、「不己知」と「不知己」の二様の表現がある以上、王力が説くように、本来は「不己知」の語順であったものが、一般的な語順に吸収されて、「不知己」のようにも表記するようになったのかも知れず、また、まったく別の理由で二様の表現があるのかも知れません。
鈴木氏は、この問題を「漢語の表現法における強調のしかたの一種としてとらえるべきものであろう」として、次のように述べています。
古代漢語においては、その賓語に対する動作の方を強調するために、その賓語が代詞である場合、その基本構造としての語順を変えて、その強調しようとする動詞の方を後置するということも、よく行われていた。このような語順の変換も、古代語におけるきわめて特異な許容であったものということができる。しかし、このような語順の変換は、否定句においては、その例が、かなり多いのであるが、肯定句においては、その例が、きわめて少ない。これは、そのような語順の変換は、肯定句においては、主述関係の構成のものと誤解される恐れのあったことによるものと考えられる。
これによれば、たとえば、「不己知」と「不知己」の例の場合なら、前者は「知」が強調され、後者は「己」が強調されるということになります。
その動詞に重点をおいて、それを強調するために後置しているのであって、そのために、その賓語としての代詞が、前の方に押し出されているものということができる。
つまり、「不己知」は、動詞「知」に重点をおいて、それを強調するために句末に後置しているのであって、賓語「己」が、前の方に押し出されているというわけです。
「不己知」は「自分を『理解し』てくれない」で、「不知己」は「ほかならぬ『自分を』理解してくれない」になるでしょうか。
ここまで調べ考えてきて、思い出しました。
このことについても、松下大三郎氏の『標準漢文法』に触れてあったはずです。
漢文の客體關係に於ける成分の排置には何故にこんな例外が出来たのであらうか。學問上には例外といふものは絶對に有るべからざるものである。若し有りとすれば其れは例外ではなくて別の原則に支配される一現象でなければならない。
という震えるような言葉に続いて、
私の考へでは漢文でも原始的時代には客語が上に在つて成分の排置は凡べて日本語と同様順置法であつたらうと思ふ。唯主客の混同を防ぐ必要から自然に今日の逆置法が發達したものだらうと思ふ。
これは王力と同様、想像の域を越えるものではないのですが、
所が客語が代名詞形式名詞たる場合は、客語が歸著語の上に置かれても、上に「不」未」莫」等が有る以上は、主客の混亂といふことは絶對にない。何となれば主語ならば「不」未」莫」などよりも上に置かれる。例へば「人不信我」を「人不我信」としても「我不信人」とは違ふ。其處で代名詞形式名詞が客語たる場合は、その連詞が肯定ならば一般の法則に從ひ、否定ならば一般の法則に從つてもどちらでも善いといふことになつたのだらうと思う。されば否定の場合には古より兩方が行はれてゐる。
鈴木氏の指摘と相通じるものです。さらに、
然るに其用例の數の上から特殊法則に從つたものが懸離れて多いのはなぜであらうか。それは兩者の意義の工合が違ふことに基因すると思ふ。
この意義の相違が問題です。
「不害我」と「不我害」は同一意義であるとは云つてもその間に形式的の相違が有る。凡そ詞の排置が變つて意義が全然同一形式に表はされる場合はない。然らばどんな相違が有るかといふと
イ 人不我害――――い 人不加我以害
ロ 人不害我――――ろ 人不以害加我
(イ)は(い)の意、(ロ)は(ろ)の意であらうと思ふ。
松下氏は、この違いを「概念の新旧に関する問題」と説明するのですが、これはいわゆる未知情報と既知情報にあたり、未知情報により重きが置かれるわけですから、イは「害」に、ロは「我」に重点が置かれることになります。
説明のしかたは異なりますが、鈴木氏の見解と結論的には一致することになりました。
この「否定文における代詞賓語の倒置」は、そうと決まっているものではない。
倒置されるには倒置されるだけの理由があるのでしょう。
簡単に「不己知」と「不知己」が同じだなどと片付けてはならない問題なのだと思います。
ただ、この相違が後世もずっと意識されていたかといえば、おそらくそうではなく、たとえば「さようならばこれにて失礼つかまつりまする…」が単なる別れの挨拶になり、「今日はご機嫌如何でございまするか」が昼間に人と会った時の挨拶の言葉になってしまったように、忘れ去られてしまった経緯はあるかもしれません。
ただ、そこに思いを致さず、決まり切ったことのように述べたり、結論だけを形式的に教えたり学んだりしてしまえば、チコちゃんに「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と叱られてしまうのではないでしょうか?
ずっと以前のことになりますが、小学校の入学式で、教室に「こんにちわ」と板書されていて、びっくりしたことがあります。
今時の若い先生は「こんにちは」が「今日は」の意味だというのをご存じないのかもしれないと思ったものです。
「今日は」の後には省略された内容があるのですが、それを知らないのはしかたのないことかもしれません。
「さようなら」も同じですね。
中国語で「再見」と言いますが、これは「また会いましょう」ということですからわかりやすい。
でも、なぜ別れを告げる時に「さようなら」というのかは、知らなければわかるはずもないことだし、なぜだろう?と思わなければ、それまでのことになってしまいます。
「こんにちは」が昼間に人と会った時の挨拶の言葉、「さようなら」が人と別れる時の挨拶の言葉とだけ認識するようになれば、そもそもなぜそう表現するのかということは忘れ去られていきます。
何が言いたいかというと、同じようなことが高等学校の漢文の授業の中にもたくさんあるということです。
ここのところのエントリーで、拙著の改訂を進めるにつれ、あれこれと気になること、疑問に思うこと、解決不能の問題等が生まれてきているということを述べてきましたが、本当にたくさんあります。
高等学校の先生方にとって身近なところから例を挙げれば、疑問代詞が賓語になる時、謂語に倒置される(=疑問を表す「何」「誰」などが目的語になる時、述語の前に置く)というのはどうでしょうか?
これを、ただ「『何を』とか『どこに』などの疑問を表す語は、述語の前に倒置するんだ!覚えとけ!」とやっておられないでしょうか?
副読本の参考書なんかには、「必ず倒置される」と言い切っている場合もあるようですし。
でも、もし、生徒が「先生、『何を』とか『どこに』という語は、どうして倒置するんですか?」と質問したとしたら、どうお答えになるのでしょう?
「それはそう決まっているんだ」と答えたら、それこそ「こんにちわ」と同じレベルになってしまいます。
例のチコちゃんがその場にいれば、きっと「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と叱られてしまうでしょう。
でも、その「ボーッと生きてる」ことをやってしまっているのが、実際の授業ではないでしょうか?
では、偉そうに言うわたしはわかっているのか?といえば、それは怪しいものです。
ですが、なぜだろう?とは考えます。
本来「謂語+賓語」が鉄則の古漢語において、その規則を破って賓語を前に置くというのは、それなりの理由があるはずです。
賓語である疑問代詞を先に表現するというのは、言い換えれば問いたい内容を真っ先に表現しようとしたものではないでしょうか。
つまり、賓語の「何」や「誰」は、強調のために提示される語だと思うのです。
「食桃」(桃を食べる)は、「桃」に力点が置かれた表現ですが、「食何」(何を食べる)も「何」に力点が置かれているとはいうものの、それ以上に「何」を文頭に出して提示し、さらに強調しようとした。
それがいつか標準的な語順に定着したのだろうと思います。
したがって、「何食」(何を食べるか)は、形の上では倒置文ですが、むしろこれが普通の表現で特殊ではありません。
「食何?」という表現は特殊ではありますが、文法上無理な表現ではなく、これに類する表現は探せばいくらでもあると思います。
副読本の「必ず倒置される」は、そこまで考えて書かれたものでしょうか。
ちなみに「何憂」は、「何をか憂へん」などと読んで「何を心配しようか?」という反語的な意味をも表しますが、それは「どうして心配しようか?」にも通じ、「何」が副詞に転じていった可能性については、太田辰夫氏などが指摘しているところです。
さて、これまで述べたことが本題ではなくて、私が気になるのは、別の倒置の問題です。
それは、否定文における代詞賓語の倒置です。
・子曰、「不患人之不己知、患不知人也」(論語・学而)
(▽先生がおっしゃる「人が自分を理解してくれないことを気にせず、(自分が)人を理解しないことを気にかけるのだ。」)
・子曰、「莫我知也夫」子貢曰、「何為其莫知子也」子曰、「不怨天、不尤人。下学而上達。知我者、其天乎」(論語・憲問)
(▽先生がおっしゃる、「誰も私を理解してくれないなあ」。子貢が言う、「どうして先生を理解しないのでしょうか?」先生はおっしゃる、「天を怨まず、人をとがめず、下のことに学んで、上天に達する。私を理解するのは、天であろう。」)
この「不己知」や「莫我知」などの構造は、授業などでも「否定文における代名詞の倒置」として説明されるのではないでしょうか。
実際、「不己知」については、その後に「不知人」とあり、それは正規の語順です。
また、「莫我知」についても、子貢が「莫知子」といい、また孔子も「知我者」と言っており、代詞以外は倒置されないこと、肯定文では倒置されないことがわかります。
この2例に限らず、古代の漢文においては、同様の例が多く見られます。
一方で、では「不知己」という表現がないのかといえば、決して数は多くないものの、次のような例があります。
・君子詘於不知己而信於知己者。(史記・管晏列伝)
(徳のある人は自分を理解しないものには屈するが、自分を理解するものには伸びやかになる。)
また、「莫知我」については、『史記』で、先に引用した孔子の嘆きの言葉が、次のように記載されています。
・喟然歎曰、「莫知我夫」(史記・孔氏世家)
(ため息をつき嘆いて「誰も私を理解しないなあ」とおっしゃった。)
これらを見る限り、古代においても、否定文で代詞が必ず謂語に前置されるとは限らないことがわかります。
これはいったいどういうことでしょうか。
代詞が賓語の時、もともとは謂語に前置するものであったと説く論文をどこかで読んだような気がしたので、手元の資料を探してみました。
直接的には見つからなかったのですが、非常に興味深い論文を見つけました。
鈴木直治氏の『古代漢語における強調の表現について』(1976)です。
この論文を読んだ記憶が、どこかで読んだという気にさせたのでしょう。
その中で、氏は黎錦煕が『比較文法』の中で、「漢語においては、代詞は、賓語として用いられる場合、もともとは、すべて、その動詞の前に倒置することができるものであった」として、その推論の論拠としていくつかの書経や詩経、左伝の例を挙げていることを紹介しています。
また、鈴木氏は、さらに王力が『漢語史稿』において、「原始時代の漢語においては、代詞が賓語として用いられる場合、その正常な位置は、もともと、動詞の前におかれるものであったろう」と述べていることも紹介しています。
これがどうも記憶に残っていたもののようです。
黎錦煕の「代詞が賓語である時、謂語動詞の前に置くことができる」という説は、例証がある以上、あるいはそうなのかもしれません。
しかし、王力の「代詞が賓語である時、正常な位置は動詞の前であった」というのは、それを裏付ける資料が出てこない限り、想像の域を越え得ないものかと思います。
したがって、「不己知」と「不知己」の二様の表現がある以上、王力が説くように、本来は「不己知」の語順であったものが、一般的な語順に吸収されて、「不知己」のようにも表記するようになったのかも知れず、また、まったく別の理由で二様の表現があるのかも知れません。
鈴木氏は、この問題を「漢語の表現法における強調のしかたの一種としてとらえるべきものであろう」として、次のように述べています。
古代漢語においては、その賓語に対する動作の方を強調するために、その賓語が代詞である場合、その基本構造としての語順を変えて、その強調しようとする動詞の方を後置するということも、よく行われていた。このような語順の変換も、古代語におけるきわめて特異な許容であったものということができる。しかし、このような語順の変換は、否定句においては、その例が、かなり多いのであるが、肯定句においては、その例が、きわめて少ない。これは、そのような語順の変換は、肯定句においては、主述関係の構成のものと誤解される恐れのあったことによるものと考えられる。
これによれば、たとえば、「不己知」と「不知己」の例の場合なら、前者は「知」が強調され、後者は「己」が強調されるということになります。
その動詞に重点をおいて、それを強調するために後置しているのであって、そのために、その賓語としての代詞が、前の方に押し出されているものということができる。
つまり、「不己知」は、動詞「知」に重点をおいて、それを強調するために句末に後置しているのであって、賓語「己」が、前の方に押し出されているというわけです。
「不己知」は「自分を『理解し』てくれない」で、「不知己」は「ほかならぬ『自分を』理解してくれない」になるでしょうか。
ここまで調べ考えてきて、思い出しました。
このことについても、松下大三郎氏の『標準漢文法』に触れてあったはずです。
漢文の客體關係に於ける成分の排置には何故にこんな例外が出来たのであらうか。學問上には例外といふものは絶對に有るべからざるものである。若し有りとすれば其れは例外ではなくて別の原則に支配される一現象でなければならない。
という震えるような言葉に続いて、
私の考へでは漢文でも原始的時代には客語が上に在つて成分の排置は凡べて日本語と同様順置法であつたらうと思ふ。唯主客の混同を防ぐ必要から自然に今日の逆置法が發達したものだらうと思ふ。
これは王力と同様、想像の域を越えるものではないのですが、
所が客語が代名詞形式名詞たる場合は、客語が歸著語の上に置かれても、上に「不」未」莫」等が有る以上は、主客の混亂といふことは絶對にない。何となれば主語ならば「不」未」莫」などよりも上に置かれる。例へば「人不信我」を「人不我信」としても「我不信人」とは違ふ。其處で代名詞形式名詞が客語たる場合は、その連詞が肯定ならば一般の法則に從ひ、否定ならば一般の法則に從つてもどちらでも善いといふことになつたのだらうと思う。されば否定の場合には古より兩方が行はれてゐる。
鈴木氏の指摘と相通じるものです。さらに、
然るに其用例の數の上から特殊法則に從つたものが懸離れて多いのはなぜであらうか。それは兩者の意義の工合が違ふことに基因すると思ふ。
この意義の相違が問題です。
「不害我」と「不我害」は同一意義であるとは云つてもその間に形式的の相違が有る。凡そ詞の排置が變つて意義が全然同一形式に表はされる場合はない。然らばどんな相違が有るかといふと
イ 人不我害――――い 人不加我以害
ロ 人不害我――――ろ 人不以害加我
(イ)は(い)の意、(ロ)は(ろ)の意であらうと思ふ。
松下氏は、この違いを「概念の新旧に関する問題」と説明するのですが、これはいわゆる未知情報と既知情報にあたり、未知情報により重きが置かれるわけですから、イは「害」に、ロは「我」に重点が置かれることになります。
説明のしかたは異なりますが、鈴木氏の見解と結論的には一致することになりました。
この「否定文における代詞賓語の倒置」は、そうと決まっているものではない。
倒置されるには倒置されるだけの理由があるのでしょう。
簡単に「不己知」と「不知己」が同じだなどと片付けてはならない問題なのだと思います。
ただ、この相違が後世もずっと意識されていたかといえば、おそらくそうではなく、たとえば「さようならばこれにて失礼つかまつりまする…」が単なる別れの挨拶になり、「今日はご機嫌如何でございまするか」が昼間に人と会った時の挨拶の言葉になってしまったように、忘れ去られてしまった経緯はあるかもしれません。
ただ、そこに思いを致さず、決まり切ったことのように述べたり、結論だけを形式的に教えたり学んだりしてしまえば、チコちゃんに「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と叱られてしまうのではないでしょうか?