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「孰若」「孰与」はなぜ選択を表すのか?

(内容:「孰若」「孰与」がなぜ選択を表すのか、また、2つの用法の違いについて考察する。)

拙著の第3部「句式編」の改訂を進めています。
遅々たる歩みなのですが、ようやく「選択」の章に到達しました。
改訂を進めながら、前著でどれほどいい加減なことを書いていたのだろうと思い知ると共に、次々と新たな疑問が生まれ、そのたびごとに調べ考察を加えてきました。
ついには、すでに公開した第2部「構造理解編」にも、まだ色々と問題があるなあと思う始末。
いずれ、さらなる手直しはしたいと思うのですが。

このブログでは改訂を通して問題にしたことについて、少しずつ取り上げていきたいところです。
とりあえず、最近、疑問を感じたのは選択を問うという「孰若」「孰与」です。

どちらも「いづれぞ」と熟して読まれます。

・与其有楽於身、孰若無憂於其心。(韓愈「送李愿帰盤古序」)
(▼其の身に楽しみ有らんよりは、其の心に憂へ無きに孰若(いづ)れぞ。 ▽身に楽しみがあるのと比べて、その心に憂いがないのはどうか。)

・公之視廉将軍、孰与秦王。(史記・廉頗藺相如列伝)
(▼公の廉将軍を視ること、秦王に孰与(いづ)れぞ。 ▽あなた方が廉頗将軍を見ることは(→廉頗将軍に対する見方は)、秦王と比べてどうか。)

いずれも有名な例です。
特に後者は教科書にもよく載っていますから、学校現場でも生徒に向かって、「与其A、孰若B」(其のAせんよりは、Bするに孰若れぞ」とか、「A孰与B」(AはBに孰与れぞ)は選択を表す重要句形だから覚えなさい!とやっておられることと思います。

しかし、なぜ「孰若」「孰与」が、そのような意味を表すのでしょうか?

例によって、まず手近なところで『漢詩・漢文解釈講座』別巻「訓読百科」(昌平社 1995)を開いてみました。
しかし、「二つのものを比較して、どちらかを選択する形。」とあるだけで、他には特に説明がありません。

次に『研究資料漢文学10』「語法・句法・漢字・漢語」(明治書院 1994)を見てみました。
すると、次のように書かれています。

「孰与」「孰若」は、どちらも二語熟して「いづれぞ」と読み、二つのものを比較・選択する語法である。「孰若」は、上に「与其(その……よりは)」を伴うことが多い。疑問詞「孰」を用いての反語の形が本来の読み方である。その下のものが選択されるのが原則である。

そして、「『孰』を用いての反語の形が本来の読み方である」について、注として『訓訳示蒙』が引用されています。

「孰与」ト「孰若」ハ共ニ、下カラ反リテ、「イヅレ」トヨム、畢竟シテ「マシヂヤ」ト云フ意ナリ。下ニアルコトガ、マシニナルナリ。字義ハ「孰与 タレカトモニセン・アヒテニナラフ」「孰若 タレカシカン・マサラフ」ト云フ義ナリ。

さすが荻生徂徠だと唸らされます。
徂徠の説明が妥当であるかどうかはともかくとして、このような字義に遡っての理解や説明が全くなされず、句形の丸暗記が現在の漢文教育で、いつかそんな風潮に風穴をあけたいものだとつくづく思います。

他に字義について触れられたものがないか、手許の書籍をいくつか手に取ってみました。

西田太一郎氏『漢文の語法』(角川書店 1980)は、用例は豊富に挙げ、用法についても述べられていますが、「孰与」「孰若」自体の字義については触れられていません。

名高いかつての受験参考書『漢文法基礎』(増進会出版社 1977)には、次のように述べられていました。

「孰与」は、もともと「――、孰与……」(――は、たれか……とともにせん)という意味なのである。「――は、……と同じであるとだれが考えようか」という感じなのである。
同じく「孰若」は、「――孰若……」(――は、たれか……にしかん)すなわち「――が、……に及ぶとだれが考えようか」ということだ。
その意味をつづめて「――は……にいづれぞ」という訓読が定まったというわけである。

これに従えば、先に挙げた「公之視廉将軍、孰与秦王」は、「あなた方が廉将軍を見て、(廉将軍は)秦王と同じであるとだれが考えようか」となります。
一方、このように言われた藺相如の舎人たちは「不若也」と答えています。
「廉将軍は秦王に及ばない」の意です、誰も考えとは答えていません。

鄒忌という美男子が、同じく美男子の徐公の美しさに勝る自信がなく、妻や側妻に問いかけた言葉に、次のようなものがあります。

・吾孰与徐公美。(戦国策・斉策一)
(▼吾は徐公の美に孰与れぞ。 ▽私は徐公の美しさに比べてどうか。)

これは「私は、徐公の美しさと同じであるとだれが考えようか」となるわけですが、鄒忌の妻は「君美甚、徐公何能及公也」(あなたはとても美しい、徐公がどうしてあなたに及べるでしょう!」と答えています。
側妻もほぼ同様に答えています。
しかも、側妻に対しては「復問其妾曰」(さらにその側妻に質問した)とありますから、おそらく妻の場合も同様で、これは反語ではなく鄒忌の質問です。
反語を疑問に改めて「私は、徐公の美しさと同じであるとだれが考えるのだろうか」としたとして、答えは普通は「誰々です」か「誰も考えません」となるはずです。
さて、どうでしょうか。

荻生徂徠は「孰与」を「タレカトモニセン・アヒテニナラフ」と説明していました。
それなら、「廉将軍、たれか秦王とともにせん→秦王の相手になろう」「吾、たれか徐公の美とともにせん→徐公の美しさの相手になろう」から、まだわからないことはありません。
それにしても「タレカ」が気になります。

「孰若」についても同じ違和感があります。
先の韓愈の「与其有楽於身、孰若無憂於其心」も、「その心に憂いがないことに及ぶとだれが考えようか」と解して、理解できないことはないのですが、「孰与」の「だれが」がどうも違和感がある以上、本当にそんな意味だろうかと不審に思います。

そして、私的には「孰若」と「孰与」は同じ読み方はするけれども、字義としてはやはり違うように思うのです。
なぜなら、『研究資料漢文学』にも指摘してあったように、「孰若」は上に「与其」を伴うことが多いのですが、私が用例を調べる限り、「孰与」が「与其」を伴う例は一切見当たらないからです。
それは「孰若」と「孰与」が構造的に異なるからではないでしょうか。

「与其」は、選択の形でよく用いられますが、この「其」の扱いに現場の先生方は困っておられることと思います?
よく簡単に、この「其」は指示する内容がないから訳さなくてもよいとか、もう少し踏み込んで「与其」で1つの接続詞とみなせばよいと片付けておられるのではないでしょうか?

・礼、与其奢也、寧倹。(論語・八佾)
(▼礼は、其の奢らんよりは、寧ろ倹なれ。)

有名なこの孔子の言葉は、普通「礼は、豪華であるより、いっそ質素であれ」と訳されていますが、私的には「礼は、それが豪華であるのと比較して、質素である方がよい」の意であろうと考えています。

確かに現在の語法学では「与其」を複合の接続詞で、「其」の代詞としての働きはもはや虚化していると説明されることが多いと思いますが、「与其A、~」の「其A」は、もともとは「それがAである」という主述関係にあったのではないかと思います。
つまりこの「其」は、先行する「礼」を復指したものではないかということです。

そして、「与」は「複数の人が仲間になる」を原義として、共にするの意を派生したと考えられますが、この用法の「与」は、「よりは」と読んではいますが、共にする対象から転じて比較の対象を示すもので、本来は前置詞の「与」の働きをするものではないでしょうか。

ですから、論語の例文は、礼について、それが「奢」(豪華)であることを仲間(比較対象)として、「倹」(質素)である方がよいということを主として示した表現だと思います。

話を「与其有楽於身、孰若無憂於其心」に戻すと、この文は、後句の「孰若無憂於其心」を主として、その比較する対象として「身に楽しみがあること」を示したものでしょう。
つまり、「身に楽しみがあることとは」と比較の仲間を提示したのだと。
その上で、「『孰』が『その心に憂いがないこと』にまさるだろうか」を主として述べた、そういう構造ではないでしょうか。
もしそうだとすると、「孰」の意味が問題になります。
荻生徂徠も加地氏も「タレカ」としているのですが、私は先行して示された前句の「何が」あるいは、「どんな点が」という意味ではないかと思います。
つまり、「与其有楽於身、孰若無憂於其心」は、「身に楽しみがあることと比較して、どんな点がその心に憂いがないことにまさるだろうか」という意味になるわけです。
「孰若無憂於其心」は、本来は「孰(いづ)れか其の心に憂ひ無きに若かん」と読むべき形ではなかったでしょうか。

すなわち、「与其A、孰若B」(A、孰若B)は、「Aと比較して[=与其A]、何が〔どんな点が〕[=孰]Bに及ぶ[=若]だろうか」という意味だと考えます。
「孰如」「何如」が選択を表すこともありますが、同じ構造だと思います。

間違っているかもしれませんが、「与其A、孰若B」の形については、なんとか説明がつきました。
問題は「A孰与B」です。

考え方の手がかりは「与其A、孰与B」の形をとらないことで、その意味で「与」が前後に2つで重複することが気になります。

考えあぐねていると、ふと春先に読み、「其れ龍のごときか」と嘆じた松下大三郎氏の『標準漢文法』に、確か「孰与」について書かれていて、あれ?と思ったことが思い出されました。
急ぎ、調べてみると、「与」の用法として、次のように書かれています。

「與」は前置詞では「與に」の意であるが、前置詞性動詞となつた場合には「與にす」の意だ。前置詞「與に」が形式動詞的意義(爲)を帶びたものである。その用法は二つある。
一、寄生形式動詞としての用法 「與にす」と讀む。
(用例略)

二、單純形式動詞としての用法 この用法は主として「孰」「何」の下に用ゐる。
(用例略)
この場合の「孰」「何」は「いづれぞ」と讀む。「何れがまさる」といふ意の動詞である。そうしてその比較の對手は「與」の下の名詞が表はすが「孰」「何」の依據性を明にするために「與」を附けるのである。

「与其A、孰与B」の形をとらない理由が解けた気がしました。
「与其A」を前句に示せば、「孰」の後に「与」をつける意味がなくなります。
というよりも、「孰与B」ですでに比較の対象、つまり仲間が示されているわけですから、「与其A」を前句に置けるはずがないのです。

「孰若B」を「孰れかBに若かん」が本来だと結論づけたために、「孰与」の「孰」を動詞になっているとは考えもしませんでした。
そして、ふと次の用例が思い浮かびました。

・孰与君少長。(史記・項羽本紀)

鴻門の会の前夜、項羽が翌朝漢軍を殲滅しようとしていることを、かつて沛公方の参謀張良に命を助けられたことのある項伯が、自身覇上に赴き告げに来た機会に、沛公が張良にした質問です。
「君と項伯はどちらが年上か」という趣旨の問いです。
普通、この文は「君と少長孰(いづ)れぞ」と読まれています。
「君の少長に孰れぞ」とも読めるかも知れません。
しかし、この例は、いわゆる「孰」の依拠性をよく示しています。
「与君少長」は、どちらがまさるかということの比較の対象を明瞭に示して「孰」に意味を補充しています。
つまり、主は省略された「項伯」にあって、「君少長」は、「どちらがまさるか」の比較の対象、仲間すなわち従にあたります。

結論として、「A、孰与B」は、「Aは、Bと比較して[=与B]どちらがまさるか[=孰]」の意になるわけです。

「与其A、孰若B」(A、孰若B)と「A孰与B」の選択疑問が、Bを選択する前提で述べられるということについて。
「与其A、孰若B」(A、孰若B)は、「Aと比較して、何が〔どんな点が〕Bに及ぶだろうか」という意味なのですから、通常の感覚をもってすれば、反語ならBに及ぶはずもないのであって、Bを選ぶことになるし、かりに疑問であったとしても、おそらくBに及ぶものはないであろうという前提で問いかけることになります。

一方、「A孰与B」は、Aが主語として示されていて、Bとの比較において「どちらがまさる?」と問いかけるわけですから、純粋に「どちらがまさるだろう?」という思いを持っている可能性があります。
先の沛公の問いも、話題としている項伯について、話している張良と、どちらが年上かわからないから問うたのであって、張良が年上と判断していたわけではもちろんありません。

鄒忌の妻妾への問いも、自分の容姿の美醜を気にかけているわけで、「吾」を主語とするのは当然です。
徐公の方が美しいと思う前提で、「孰与徐公」としたのではないでしょう。
「自分は徐公の美しさと比較してどちらがまさるか」なのであって、「徐公は自分の美しさと比較してどちらがまさるか」では主従が入れ替わってしまい、自分のことを問いたい鄒忌の意図とは異なってしまいます。

そして、藺相如の「公之視廉将軍、孰与秦王」という問いも、話題となっているのが廉頗将軍だから主となっているのであって、もちろん腹の中で「秦王の方がまさる」という思いはあったにせよ、主を廉頗とし、比較の対象を秦王にするのは、Bを選ぶ前提だからではなく、話の重点が廉頗に置かれているからではないでしょうか。
舎人は「不若也」と答えていますが、話題の主体となっているのが廉頗で、その比較対象が秦王だとわかりきっているから、省略した表現で済むのであって、Bを選ぶ前提の反語表現なら、そもそも答える必要などありません。

「句式編」選択の章を改定しながら、こんなことを考えました。

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