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ユーザー「nakai」の検索結果は以下のとおりです。

「不」はどこまでかかるか?・再び

(内容:韓愈『雑説』の「不知其能千里而食也」という句について、中国の方の教示に基づき再考察。)

「食馬者、不知其能千里而食也。」の「不」がどこまでを修飾しているかという問題につき、中国の方から大変参考になるご教示をいただきました。
管理人だけが閲覧できるコメントでしたので、そのまま引用できませんが、「馬を養うものは、その馬が千里走れるのを知らずに養うのである」と訳す方が普通であるとのことでした。

興味深かったのは、「不」の後に「息を入れる」のは稀であって、「食」まで修飾するために「不」の後に息を入れると、意味が変わってしまうというくだりでした。

いただいたメッセージを繰り返し読みながら、ふと感じたことがありました。

日本で一般に訓読されている「馬を食(やしな)ふ者は、其の能の千里なるを知りて食はざるなり」の現代語訳は、手元にあった教師用の指導書では次の通りに訳されています。

・馬を飼う者は、その馬の能力が一日に千里走るほどであると知っていて飼うのではないのである。(A社)
・馬を飼う者は、馬が千里を走ることができるのを知って飼っているわけではない。(B社)
・馬を飼っている人は、その馬の能力が千里も走れることを承知していて、それで養っているのではない。(C社)
・馬の飼い主は、その馬が千里を駆ける能力のある馬だとは知らずに飼っている。(D社)
ちなみに、最後のD社は訓読では「馬を食ふ者は、其の能の千里なるを知りて食はざるなり」と読んでいます。

さらに手元の参考書を見てみると、

・馬の飼い主は、その(馬の)能力が(一日に)千里を走りぬくほど(の名馬)であることを知っていて、(それに応じた)飼い方をするということをしない。(明治書院「研究資料漢文学6・文)
・馬の飼い主は、その馬が千里を駆ける能力のある名馬だと知って、それにふさわしい飼い方をするということをしない。(昌平社「漢詩・漢文解釈講座14 文章Ⅱ)

となっています。
そのいずれもが、読み方には複数があるが、意味にたいして変わりはないという立場をとっていて、語法自体に踏み込んだ説明は皆無のありさまです。
日本語に訳した意味に変わりはないとしても、古漢語の語法としては異なるのでは?という思いが強くなります。

私が気になったのは、訳の最後の部分です。
・飼うのではないのである
・飼っているわけではない
・養っているのではない
・飼い方をするということをしない。

「其の能の千里なるを知りて食はざるなり」を現代語訳すれば、どうしてもこのようになってしまうのでしょうが、本来「不食」は「養わない」です。
つまり、多少日本語としてグラグラすることを気にせず訳せば、「馬を養うものは、その馬が千里走れることを知って養わない。」あるいは、「知った上で養わない」です。
「~ということをしない」はまだしもですが、「ではないのである」「わけではない」「のではない」というのは、なんだかニュアンスが違うというか、客観的な表現に寄ってしまっているような気がしたのです。
まるで、「有不食也」の訳のような…

ご教示の中にもあったのですが、馬が千里走れるということの認識を否定するのは、いわば状態の否定です。
しかし、「食」=養うことの否定は、動作の否定になります。

このあたりは異論のありそうなところになりますが、「養わない」という動作の否定は「養おうとはしない」という動作意志の否定にもつながりそうです。
この飼い主はもともと馬の能力を知らないのであり、「千里走れる馬だとの認識の上で養う」ことの拒否ではありません。

まだまだよくわからず、奥が深そうですが、どうも語法的には「馬を食ふ者は、其の能の千里なるを知らずして食ふなり。」の方向で解釈するのがいいような気がしています。
なお、私はこの訳に挙げたような、「能」が能力の意味の名詞だとは実は思っていません。
その部分だけ取り上げると、主語「其」+謂語「能」+賓語「千里」の構造かなと思っています。
あるいは、千里を「千里走る」という意味の動詞に活用しているとみれば、「能」は助動詞(能願動詞)ということになります。

さらにご教示を賜りたく存じます。

馬之千里者

(内容:韓愈の『雑説』に見られる「馬之千里者」という句の構造について考察。)

韓愈『雑説』の「馬説」について、同僚から質問を受けました。
この方は漢文の専門ではありませんが、素朴な質問が多く、かえって私がふだん気にもとめていなかったことに気づかせてくれることが多いのです。

「馬之千里者、一食或尽粟一石。」の「馬之千里者」は、どういう構造になっているのですか?

馬の千里走るもの、つまり千里走る馬と、特に深くも考えなかった部分でしたが、言われてみると、「之」の働きが気になります。
真っ先に思い浮かべたのが、主謂間に置かれる「之」の働き、つまり文の独立性を取り消し名詞句を作る働きでしたが、じゃあ元の主謂構造「馬千里」というのが、どうもしっくりきません。
では、「馬」が「千里」を連体修飾する定語となっているのか?とも思いましたが、これもどうもストンと落ちません。

そこで、きちんと調べてみることにしました。
ある書物に、助字として「同格。…で。同格関係の語の間に置かれる。」とあり、この馬説の例が引用されていました。

確かに、意味としては「馬」と「千里」の関係は同格関係にあることは明らかなので、事実としては『新漢語林』の記述が誤っているわけではありませんが、そのことと「之」が語法的に同格を表すとすることとは別問題です。
いかにも怪しいと思いました。
「之」を「の」と訓読するがゆえに、格助詞「の」の同格の用法から、「之」にも同格の働きがあるとしている逆方向の矢印を感じたからです。

私が虚詞の働きを調べる上で、真っ先に見るのは、『古代汉语虚词词典』(商务印书馆)と、何楽士の『古代汉语虚词词典』(语文出版社)です。
しかし、それらしい用法については見つかりませんでした。
となると、さまざまな虚詞詞典をあたっていくことになりますが…

王政白『古汉语虚词词典・增订本』(黄山书社)、韩峥嵘『古汉语虚词手册』(吉林人民出版社)、陈霞村『古代汉语虚词类解』(山西古籍出版社)などの虚詞詞典や、日中の各種語法書を手当たりしだいにあたっていったのですが、どうも釈然としません。

「馬之千里者」のような表現は、考えてみればよく見るように思います。周敦頤の『愛蓮説』の中にも、「菊、華之隠逸者也。牡丹、華之富貴者也。蓮、華之君子者也。」というのがありますね。
さらに考えてみれば「者」を伴わない形もよくあります。『詩経・周南・桃夭』の「桃之夭夭、灼灼其華」などがそれです。
いずれも本来連体修飾語であるべき語が「之」を介して被修飾語の後に置かれています。

ここではっと気づきました、これは何かで読んだことがある。
「之」に倒置を示す標識としての働きがあるのは周知のことなのですが、定語(連体修飾語)の倒置について書かれたものが確かあった。

そこで、刘永康の『文言特殊句式归类汇析』(四川人民出版社)を開いてみると、ありましたね。
この書は学生向きに書かれた、いわば学習参考書なのですが、その「定語后置句」の項に、「中心词+之+定语」の形式の説明として、

在后置的定语和它的中心词之间加“之”,构成“中心词+之+定语”的格式。
(後置された連体修飾語とその被修飾語の間に“之”を置き、“被修飾語+之+連体修飾語”の形式を構成する。)

さらに、「中心词+之+定语+者」の形式として、

用“者”字煞尾,并且在后置定语和它的中心词之间加“之”,构成“中心词+之+定语+者”的格式。这种格式的后置定语和中心词之间,好像是部分和整体,分子和分母的关係。这种用法的“之”字可译为“里头的”或“当中的”。
(“者”の字を句末に用い、さらに後置された連体修飾語とその被修飾語の間に“之”を置き、“被修飾語+之+連体修飾語+者”の形式を構成する。この形式の後置連体修飾語と被修飾語の関係は、部分と全体の関係、分子と分母の関係に似る。この用法の“之”の字は、“里头的”や“当中的”(~の中の)と訳すことができる。)

として、『愛蓮説』や、そもそもの問題であった『雑説』の「馬之千里者」が例として引用されていました。
ちなみにその訳は「能日行千里的馬」です。

定語の後置と考え直して調べてみれば、他にも張文國・張能甫『古漢語語法學』(巴蜀書社)にも同様のことが書かれています。

しかし一方で杨剑桥『古汉语语法讲义』(復旦大學出版社)は、この形式があくまで定語と中心語の関係であるとして、定語の後置とみなすことに反対な学者の説を挙げて慎重な姿勢をとっていますので、即断するわけにはいかないのですが、この形式が古漢語の語法において議論の必要な特殊形式に分類されるものであることは間違いありません。

「之」を定語の後置を示す標識とみなしてよいかどうかは、もう少し調べてみたいと思いますが、高等学校の教壇で誰もが簡単に読み飛ばす「馬之千里者」という表現が、実はそう簡単なものではないということに気づかせてくれる同僚の問いかけでした。
感謝です。

「不」はどこまでかかるか?

(内容:韓愈の『雑説』に見られる「食馬者不知其能千里而食也」という文について、「不」がどこまで修飾するかについて考察。)

韓愈の雑説四、いわゆる「馬説」を講義するにあたって、実は以前から気になっていながら忘れていた問題に突き当たりました。
次の一節です。

・食馬者不知其能千里而食也。

どの教科書でも「馬を食(やしな)ふ者は其の能の千里なるを知りて食はざるなり。」と読んでいます。
あるいは「能」を「よク」と読んでいる例もあります。
この「能」を能力の意の名詞ととるか可能の助動詞と解するかという問題もあるにはあるのですが、私が気になっていたことというのはそれではありません。

端的にいえば、「其の能の千里なるを知らずして食ふなり。」と読んではいけないのか?という疑問です。
「其の能の千里なるを知りて食はざるなり」と読もうが、「其の能の千里なるを知らずして食ふなり」と読もうが、要するに名馬にふさわしい養い方をしていないことを言う点においては変わらないので、訓読の上ではどちらも成立します。

しかし、語法的にはどうなのでしょうか。
「馬説」のこの部分についての語法的な解説は、残念ながら今のところ見つけられませんが、黄永年『韓愈詩文選訳』(巴蜀書社1990)には、

饲养马的不知道它能日行千里而把它喂够。

と訳してあります。
「喂够」が十分に食べさせるという意味なので、一見して「其の能の千里なるを知りて食はざるなり」の方向の解釈なのかな?と思いましたが、しかし、それにしては訳文をそう理解するのは若干不自然な気がしました。
その馬に食わせないというのであれば、改めて「不」で否定するような気がしたのですが、さてそれはどうなのでしょうか。

他にWeb上ではどのような解釈がなされているかも見てみました。

・養馬的人不知道它能日行千里,用餵一般馬的方法餵養它。
・喂馬的人不知道它能夠日行千里,而沒有餵養。

などの訳文が見られましたが、訳文はあくまで訳文で、必ずしも語法に忠実、いわゆる逐語訳とは限りませんから、決め手にはなりません。

この問題は否定副詞「不」は、以下のどこまでを修飾するかという問題です。
裏付けのない形の、あくまで個人的な感想を示すことをお許しいただけるなら、漢文は上から下(横書きならこのブログのように左から右)へ読んでいくものなので、「不」の後に「知其能千里」と続けば、「その能力が千里であることを知らない」と理解してしまいます。
さらにその後に連詞「而」があれば、「不知其能千里而」が「その能力が千里であることを知らずに」と連用修飾句として後の謂語「食」を修飾しているように見えてしまいます。
これは語法的に誤った解釈なのでしょうか。

ふと思い出したのが、『孟子・尽心上』の「四体不言而喩。」という一節です。
仁義礼智の四徳が外に表出すれば、何も言わなくても誰にでもそれがわかるという意味ですが、これはいくらなんでも「言ってわかるものではない」という意味ではないでしょう。
この形は、「不」が「言」を修飾し、さらに連詞「而」と共に「不言而」の形で謂語「喩」を連用修飾している形です。(なお、この例については、何楽士『古代漢語虚詞詞典』(語文出版社2006)が「不」の「表示“不用”(用不着)」の説明の用例として引用しています。)

しかし、たとえば「馬説」に見られる次の一例、

・故雖有名馬、祇辱於奴隷人之手、騈死於槽櫪之間、不以千里称也。
(だから、名馬がいても、ただ使用人の手にはずかしめられ、馬小屋の中で首を並べて死ぬばかりで、千里走るということで称えられないのである。)

の最後の一節「不以千里称也」は、「千里を以てせずして称せらるるなり」とは解せないでしょう。これは「伯楽不常有」と構造的には同じで、「不」はやはり「以千里称」「常有」を修飾していると考えるべきだからです。

そうなると、「不知其能千里而食也」同じ構造だといえば同じ構造ですから、「不」が修飾しているのは「知其能千里而食」なのかなと思われてくるのですが、気になるのは連詞「而」なのです。

結局のところ、やっぱりわからないというのが現在の正直な気持ちです。

ただ、私が言いたかったのは、句頭に否定副詞「不」が置かれた場合、常に後に続く内容のすべてが否定されると決まっているわけではないということ。
ましてその句が連詞によって接続した形の場合、連詞までの部分で「不」の修飾内容が途切れると思うのは、誤った判断なのだろうかということです。

どなたかご教示いただけると幸甚です。

汗顔の至り

(内容:「汗顔の至り」の経験から、その「汗顔の至り」という言葉について調べてみる。)

先日、とても驚くことがありました。
拙著『概説 漢文の語法』は、Web上で公開、PDF版を無料提供していることもあって、お問い合わせを頂くことも多いのですが、なんと中国の大学院生の方から勉強したいので譲ってほしいというご連絡を受けました。
これはもう驚天動地のことです。
日本の方からのお問い合わせならともかくも、本家からのご依頼には、果たしてその任に堪えうるものか忸怩たる思いがあります。

せっかくのお問い合わせですので、PDF版をダウンロードしていただきましたが、さぞかしあちこちに怪しげなことが書いてあると思われるのではと、汗顔の至りです。
きちんと調べた上で執筆したものではありますが、しょせん他国の言語を他国の人間が解説しているわけですから、まさに汗顔の至り、恥じ入らずにはいられません。
むしろ誤りをご指摘ご教示くださいとお願いしました。

さて、「汗顔」とは、額に汗することですが、『広辞苑』を引いてみると、「大いに恥じて顔に汗をかくこと。極めて恥かしく感ずること。」と書いてあります。
リアルな表現ですから、どうしてそういう意味で用いられるのかは容易に想像がつくのですが、中国でも同じ意味で用いられるのだろうか?と疑問に思いました。

そこで、『漢語大詞典』を引いてみますと、「(1) 臉上出汗。(2) 形容羞愧。」とあります。(2)の方の用例を見ると、「元 高文秀《澠池會》第二摺:“我若輸了呵,面搽紅粉,豈不汗顏。”」とあります。高文秀は元代の雑劇作家ですが、残念ながらその戯曲「澠池会」は手元にもなく、閲覧する手立てもありませんので、原典にあたってみることができませんでしたが、おそらく「私がもし(賭けに?)負けたら、紅粉を顔に塗る、汗顔せずにいられようか」という意味だと思われ、「恥じずにはいられない」ということなのでしょう。前後の文脈がわかりませんので間違っているかもしれませんが。

『元史・礼楽志2』にも、「臣等素無學術、徒有汗顏。」(私どもはもとより教養がございませんので、ただただ恥じ入るばかりです)という用例が見られます。

古い用例には「恥じる」の意味で「汗顔」が用いられたものは今のところ見当たらず、どうやら比較的新しい使われ方のようですね。

「汗顔の至り」、まさにその気持ちを強くする一方、本場の方の目をもってしても、妥当なことが書かれている、そう思っていただける語法の解説を行えるよう、学び続けていこうと心に刻みました。

『中山狼伝』注解の連載を始めました

(内容:中国で有名な話『中山狼伝』の注解を連載する告知。)

中国の語法書や虚詞詞典などを読んでいますと、よく例文として引用される書物というのがあります。
その中に『中山狼伝』というものがあり、中国では誰もが知っている恩知らずな狼のお話なのですが、日本ではあまり知られていません。
日本で漢文の語法をまじめに勉強しようとする方は、引用された例文を原典にあたり、確認作業をされるはずだと思いますが、その際、頼りになる解説書がないと、初学の人にはどうにも荷が重くなります。

そこで以前から『中山狼伝』を日本の初学者にも紹介しようと思っていましたが、どうせのことなら、きちんと古典中国語文法に基づいた注釈をつけてみようと考えて、暇を見つけては注釈を施し、少しまとまってきましたので、この1月より少しずつ公開しております。

相変わらず、あちこち怪しげな箇所はあると思うのですが、ご参考に供することができれば幸いです。

ご興味おありの方は、サイドメニューのページエントリー「古典作品語法注解」より『中山狼伝』注解をご覧ください。

(記事削除・8)

  • 2016/09/03 15:19
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(内容:記事削除の連絡。No.8)

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(記事削除・7)

  • 2016/09/02 15:18
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(記事削除・6)

  • 2016/09/01 15:18
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(記事削除・5)

  • 2016/08/31 15:16
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(記事削除・4)

  • 2016/08/30 15:15
  • カテゴリー:その他
(内容:記事削除の連絡。No.4)

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