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使役文は兼語文か?・3

(内容:中国の語法学で兼語文とされる使役文について、本当に兼語文であるかについて考察する、その3。)

松下大三郎氏の『標準漢文法』において、「使」が「して」であって「しむ」ではないとする論拠として、2つめに指摘されていることは、いわゆる兼語として用いられる字に、主語たりえない語があるということです。

「王使人学之。」(王が人にこれを学ばせる。)という文なら、前々エントリーでも示したように、

王使
  学之。
       兼語

と、前文の賓語にして後文の主語を兼ねる兼語「人」は、理屈の上で何ら矛盾なく説明できます。
しかし、これが「王使之学之。」という文であればどうなるでしょうか。
松下氏は次の文例を挙げて説明しています。

2 且天之生物也使一本。而夷子二本故也。(孟子・滕文公上)
(▽そもそも天が物を生じるにはこれに根本を一つにさせる。しかし、夷子は根本を二つにするから(間違うの)である。)

   故深折其少年剛鋭之気、使忍小忿而就大謀。(蘇軾「留侯論」)
(▽だからその若さ(ゆえ)の気性の激しさをくじき、これに小さな怒りを我慢させて(秦を倒す)大きな謀につかせたのである。)

参考のための口語訳は私がつけましたが、この2文について、氏は、

之を「天にして珠を雨せ使(シ)む」と解することの出来ない證據には(2)の例に「使」の下に「之」が有る。「之」は客格が有るだけで主格はない詞であるから「使之」は「之を使て」と解する以外には解し樣がない。

と述べています。

使役文の兼語が「之」、すなわち「A使之B」(Aが之にBさせる)の形をとる例は、上の2例に限ったことではなく、多くの用例があります。
いくつか取り上げてみましょう。

・故聖人為法、必使明白易知。(商君書・定分)
(▼故に聖人法を為るに、必ず之をして明白にして知り易からしむ。
 ▽だから聖人が法を制定する時は、必ずこれ(→法)に明白でわかりやすくさせる。)

・遂使行成於呉。(国語・越語上)
(▼遂に之をして成(たひらぎ)を呉に行わしむ。
 ▽こうしてこれ(→大夫種)に講和を呉に行わせた。

・子謂薛居州善士也、使居於王所。(孟子・滕文公下)
(▼子は薛居州は善士なりと謂ひて、之をして王の所に居らしむ。
 ▽あなたは薛居州は善良な士だと言って、これに王の居られるところにいさせた。)

・孺悲欲見孔子。孔子辞以疾。将命者出戸。取瑟而歌、使聞之。(論語・陽貨)
(▼孺悲孔子を見んと欲す。孔子辞するに疾を以てす。命を将(おこな)ふ者戸を出づ。瑟を取りて歌ひ、之をして之を聞かしむ。
 ▽孺悲が孔子に会おうとした。孔子は病気を理由に断った。口上を伝える使者が戸口を出た。(孔子は)瑟をとって歌い、これ(→使者)にこれを聞かせた。)

探せばいくらでも例は見つかります。
これらはすべて兼語が「之」で、「使之」の形をとるものです。
たとえば最後の例を兼語文として説明すると、「(孔子)使之聞之」は、「孔子が之を使役し、之がこれを聞く」となり、つまり、この文は「孔子使之」(孔子が之を使役する)と「之聞之」(之がこれを聞く)の2文を認めることになります。

孔子使
   聞之。
           兼語
しかし、「之聞」(之が聞く)などという主述文はあり得るでしょうか。

「之」は代詞とされ、「これ」と読みますが、同じ「これ」と読む「此」とはずいぶん違います。
「此」は近称の代詞として、主語にも謂語にも賓語にも用いられ、事態を直接指示する、いわゆる直指の語です。
だから、たとえばすぐそばにあるものを指して、「此が~」と主語として示すことができます。

一方、「之」は間接指示とされ、常に前もしくは後に述べられるものと併用されることによって、初めて機能します。
ちなみに松下氏は「之」を寄生形式名詞として、「自己の補充語としてでない他語に寄生して自己の形式的意義を実質化する形式名詞である」と述べています。
形式的な語であるから、動詞の後に、他動詞であることを示すべく、具体的な指示内容をもたない賓語として穴埋めに置けるわけです。
そして「之」は「之を」とか「之に」など賓語として用いられることはあっても、「之が」という主語になることはないはずの語です。

「之」が主語として用いられている例を探すなどというのはもう大変な作業になるので、さすがに行う気にはなれません。
牛島徳次氏の『漢語文法論(古代編)』(大修館書店1967)には、『史記』の次の例を示しています。

・左師触龍言願見太后、太后盛気而胥入。(史記・趙世家)
(▼左師の触龍太后に見えんことを願ふ、太后気を盛んにして之が入るを胥(ま)つ。
 ▽左師の触龍が太后にお目通りすることを願った、太后は興奮してこれが入るのを待った。)

これについて、牛島氏は、「次の用例は極めて特殊なものである。」とした上で、

この文中の「之」は,「主述句」の主語に該当するもので,原則的には当然「胥其入」となるべきものである。

として、『史記』の中で「之」と「其」が混同して用いられたものと解しています。
しかし、氏が引用したこの例はおそらく「太后盛気而胥之。入。」と区切るべきもので、『史記会注考証』ではそのように考察されています。
つまり、「太后は興奮してこれを待った。(左師は)入った。」ではないかというわけです。
瀧川資言がこのように考証したのも、「之」がこのような用いられ方をする語ではないからだと思います。

一方で、「A使之B」の例は非常に多く見られます。
屁理屈をこねることになるかもしれませんが、「之」は主語としては用いられないが、兼語文における後文の主語にはなり得ると言ってしまえばそれまでのことです。
実際、虚詞詞典を見ていると、そういう記述も見られます。
たとえば、何楽士の『古代漢語虚詞詞典』(語文出版社2006)には、次のように述べられています。

在句中只限于做动词或介词的宾语,可以在兼语式中作兼语(既做前面动词的宾语,又作后面动词的主语),但极难见到它作主语。
(文中で動詞や介詞の賓語となるに限られ、兼語式の中で兼語(前の動詞の賓語となり、かつ後の動詞の主語となる)になることができる、ただそれが主語となるのは極めて見つけることが困難である。)

つまりは主語としては用いられないが、兼語文の後の主語にはなり得るというわけです。
そういう語だと定義してしまえば、そういう語ということになってしまいます。

兼語文という考え方は後付けのものです。
「前の文の賓語が同時に後の文の主語となり、その語を介して1文化する」という考え方を提示したがために、「之」の主語にはなり得ない性質をも、兼語だからそれはいいのだという説明をしたことにはならないでしょうか。
兼語文という考え方が登場するはるか大昔から、文は文としてあり、「之」は「之」として働いていたと思うのです。

疑問と違和感はいっそう深まります。

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