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使役文は兼語文か?・1

(内容:中国の語法学で兼語文とされる使役文について、本当に兼語文であるかについて考察する、その1。)

前回、「所」が不思議な働きをもつようになった経緯について、参考として太田辰夫氏の説を紹介しました。
その際、「兼語文」という用語が使われていましたが、実はこの兼語文、特に使役の兼語文という形式が、最近ずっと気になっていることの1つなのです。
古典中国語文法によって漢文を見直すようになった最初の時期に、一番驚いたというか違和感を感じたのがこの兼語文でした。

兼語文というのは、たとえば、

・王使人学之。(韓非子・外儲説左上)
(▼王人をして之を学ばしむ。
 ▽王が人にこれを学ばせる。)

のような形式の文で、いわゆる使役の形とされるものがその代表格です。

王使
  学之。
       兼語

前文は、主語「王」+謂語「使」+賓語「人」、後文は、主語「人」+謂語「学」+賓語「之」の構造です。
このように、本来2つの文で、前文の賓語「人」が後文の主語を兼ねるので兼語といいます。
つまり、兼語文とは、2つの文がこの兼語を介して1文になったものになります。
この時、「使人」と「人学之」とは緊密な関係がなければならず、たとえば「我願人知之」(私は人がこれを知ることを願う)などの文は、「私が人に願う」ことと「人がこれを知る」ことには直接的な関係がないので、つまり、たとえば「私が願った」ことで「人が知る」わけではないので、兼語文とはいいません。

概ね、現代中国語でも、古典中国語でも、使役の形は兼語文であると説明されるのが普通で、これを知っていれば、漢文の使役の形はもっとわかりやすく教えられると言われたり、使役の形を構造的に理解できたと生徒を納得させられたりするわけです。
ですから、ある意味、古典中国語文法で漢文を教える道に足を踏み入れると、この兼語文の形式は授業の「花」であったりもします。
最初の違和感は、古典中国語文法に慣れていくにつれて、気にならなくなり、当たり前のように説き、それこそが本当の漢文の構造だと言わんばかりに授業でも説明するようになりました。

その最初の違和感とは何かというと、文の途中で主語が入れ替わることでした。
「王が人を使役し、使役される人がこれを学ぶ」、だから「王が人に学ばせる」という意味になるのだと説明するわけですが、なにゆえそんな妙な構造をとるのか、また言葉としてそういうのは変なのではないのか?と感じたのです。
「王が人に学ばせる」というのは、あくまで王が主語で統一感が感じられますが、兼語文はその持って回った表現が、どうにも違和感を感じて仕方がなかったのです。
しかし、その後、たくさんの中国の語法書を読みましたが、概ねそれが定説です。
ですから、しだいにそういうものだと思うようになりました。

この春、松下大三郎氏の『標準漢文法』に触れる機会があったことは、すでに何度も書いていますが、この時、冷や汗が流れるように感じたのを鮮明に覚えています。

使役の形は兼語文の形式、それを「兼語文」という概念自体がまだなかったはるか昔に、これを兼語文とは認め得ない根拠がすでに示されていたように思えたからです。

テストの採点や校務等があり、なかなか時間はとれなくなるのですが、使役文をこのように捉えるという別の視点を、松下氏の説をご紹介することを通して、みなさまの参考にお示ししてみようかなと思っています。

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