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「所」について・3

(内容:結構助詞とされる「所」の用法について考察する、その3。)

依然として「所」の字を眺めています。
前エントリー、「所」が「所以」の意味で用いられている例を取り上げました。
しかし、これはそう解釈すれば都合がよいというだけであって、「以」が用いられていないことは事実です。
西田太一郎氏が、「所」を「所以」の意で用いている例があると指摘されていることを紹介しただけで、それが本当に正しいかどうかはまだわからないとも思えてきます。
私が近年中国の語法学に対して、少し距離を置いて考え直してみるようになったのも、悪い意味での合理的な解釈が、本当に真実かどうかは自分できちんと考えるべきだと思えてきたからです。
読者のみなさん(があるとすればの話ですが…)を迷わせ混乱させるかもしれず、恐縮なのですが、もう少し考えさせていただきます。

こういう時の手がかりにと、最近手に取るようになった松下大三郎氏の『標準漢文法』を開いてみると、気になる記述が見つかりました。
「所」の単用について述べたものです。

「所」には副詞部があるから下に動詞が有るべき筈である。然るに、

上曰、「何謂上計。」令尹對曰、「東取呉西取楚、并齊取魯、傳檄燕趙、固守其所、山東非漢之有也。」(史記・黥布列傳)

坐觀其變、而不爲之所、則恐至於不可救。(蘇東坡・晁錯論)

の「所」の様に自己の屬すべき動作の觀念を自己の内へ含んで仕舞ふ場合が有る。即ち「其所」は「其所守」の意、「其所可為」の意である。

最後の一文は、「即ち『其所』は『其所守』の意、(不為之所の「所」は)『其所可為』の意である。」を端折った書き方だと思います。

ちなみに私的に読みと訳をつけておきます。

▼上曰はく、「何をか上計と謂ふ。」と。令尹対へて曰はく、「東のかた呉を取り西のかた楚を取り、斉を并(あは)せ魯を取り、檄を燕趙に伝へ、固く其の所を守らば、山東は漢の有に非ざるなり。」と。
▽主上(=高祖)は「何を(黥布の)上策というのか」と言った。令尹が「東は呉を攻め取り西は楚を攻め取り、斉を併合し魯を攻め取り、檄文を燕と趙に伝え、しっかりその守るものを守れば、山東は漢のものではありません。」とお答えした。)

▼坐して其の変を観て、之に所を為さずんば、則ち恐るらくは救ふべからざるに至らん。
▽坐してその変化を見るだけで、これになすべきことをしなければ、恐らく救いようのない状況に至るだろう。

松下氏は、さらに続く「所と處」の項で、一見場所を表す「処」と同じように見える「所」についても述べています。
長くなるので用例は割愛しますが、次の通り。

「處」は本名詞で場所の意である。又動詞としては「をる」又は「處置」の意である。然るに「所」を次のように使ふのはどういふ譯であらうか。

……樂土樂土爰得我所。(毛詩魏風碩鼠) 他2例あり。

一見「處」と通ずる様に見える。併しその用法を見ると必ず名詞の下に用ゐてある。「無處而不適」などの「處」に「所」を用ゐた様な例はない。これは矢張前項の「所」と同じ用法で「君所」は「君所居」などいふべき「居」の意味を「所」の内部へ含ませたものであらうと思ふ。そうすれば「所」は動詞性名詞である。

つまり、たとえば「得我所」は「得我所居」(我の居る所を得)、「適君所」は「適君所居」(君の居る所に適く」の意です。

こういう記述を見ると、「所」が動作の概念を内に含むことがあり、「所」単体で「所A」(Aする所)という意味を表すことがあると考えられていることになります。

しかし、このように緻密に分析されている一方で、「所」が「所以」の意味で用いられている例についての記述は見られません。
これはあくまで想像ですが、松下氏は私が前エントリーで考え、西田太一郎氏の説として述べた内容について、考察をしていないか、またはあくまで「所」は「所」であるとして例外ではないと考えているかのどちらかかも知れないと思うのです。

もし「所」が「所以」の意味で用いられるとすれば、氏は「所」が「以」の概念を含むことがあるとして指摘されたはずではないでしょうか。
しかも、動作の概念を内に含むとされた「所」は、氏のいう「動詞性名詞」であって、副詞的に後の動詞を修飾する例ではありません。

西田太一郎氏の説を今さら否定するのでなく、しかし今一度、きちんと考え直しておく必要はあると思えてきました。

まず、推論の1つめです。

前エントリーで取り上げた例を再掲します。

・欲以所事孔子事之。
(▼孔子に事ふる所を以て之に事へんと欲す。)

前エントリーで私が「所」の解釈を「所以」に走らせたのは、「所事孔子」を「ソレで孔子に仕えるソレ」と説明しきれないからでした。

「事」という字は、「公用の旗を定まった位置に立てて守る」が本義とも、「目印の旗の示す仕事や商売の内容」の意ともいいますが、そこから「仕事」を表すようになったものだと思います。
「事君」や「事父」は、君に仕える、父に仕える仕事をするの意でしょう。
それを介詞「以」などを用いずに、どのように行うのかを示す表現があれば、「所」を依拠性の客体として説明することができるはずです。
つまり、「君に仕えることをどのように仕事とする」です。

膨大な「事」の用例ではどうにもなりませんから、少しでも可能性のある表現を探そうと検索対象を絞り込んでいると、次の例が見つかりました。

・事親孝、無悔往行、事君忠、無悔往辞、~ (晏子春秋・内篇問下)
(▼親に事ふること孝、往行を悔ゆる無く、君に事ふること忠、往辞を悔ゆる無く、~
 ▽親に仕えて孝で、これまでしたことを悔いることなく、君に仕えて忠で、これまでした進言を悔いることなく、~)

・人臣孝、則事君忠、~ (呂氏春秋・孝行覧)
(▼人臣孝なれば、則ち君に事へて忠、~
 ▽人臣が孝であれば、君に仕えて忠義を尽くし、~)

これらの例は、本来語法的には主謂構造で「親に仕えることが孝である」、「君に仕えることが忠である」とみなすべきだと思います。
しかし、暴論になるかもしれませんが、「事親孝」は「親に孝に事ふ」(親に仕えることを孝で仕事とする)、「事君忠」は「君に忠に事ふ」(君に仕えることを忠で仕事とする)と解せないでしょうか?
もしこの暴論が許されるなら、少なくとも見かけ上は「事親[ソレで]」「事君[ソレで]」の形を取り得るのでは?と思います。
このソレが「所」であれば、「所事親」(ソレで親に仕えるソレ)、「所事君」(ソレで君に仕えるソレ)になる。

以上が1つめの推論です。

次に考えたのが、「欲以所事孔子事之」を「欲以所以孔子事之」と同義とみなさずに解せないか?です。
「孔子に事ふる所を以て」と読んでいるために、「所」の処置に困ってしまうのですが、この形は見かけ上は、前々エントリーの「無所請事」と同じく「所+動詞+名詞」の形をとっています。
これを「事を請ふ所無し」ではなく「請ふ所の事無し」と読むべきだと論じました。

・和氏璧、天下所共伝宝也。(史記・廉頗藺相如列伝)
(▼和氏の璧は、天下の共に伝ふる所の宝なり。
 ▽和氏の璧は、天下が共に伝える宝である。)

この文をかつて「天下の共に伝へて宝とする所なり」と読んであった教科書があり、驚いたことがありますが、「我所食桃也」と同じ構造で、「天下のソレをともに伝えるソレである宝だ」という意味です。

構造的には「所+動詞+名詞」の構造をとる「所事孔子」を、「事ふる所の孔子」と読むことはできないでしょうか。
つまり、「欲以所事孔子事之」を「事ふる所の孔子を以て之に事へんと欲す」と読み、「(彼らが)仕えていた孔子待遇で彼(=有若)に仕えようとした」と解釈する。

・臣事范中行氏、范中行氏以衆人遇臣、臣故衆人報之。知伯以国士遇臣、臣故国士報之。(戦国策・趙一)
(▼臣范中行氏に事ふるに、范中行氏は衆人を以て臣を遇し、臣故に衆人もて之に報ゆ。知伯は国士を以て臣を遇し、臣故に国士もて之に報ゆ。
 ▽私は范氏や中行氏に仕えた時、范氏中行氏は並の人で私を扱い、私はだから並の人として彼らに報いた。知伯は国士(=第1級の人物)で私を扱ってくれ、私はだから国士として彼に報いた。)

この「以衆人」「以国士」の「以」を、「以孔子」と同様の用法とみなせないでしょうか。
つまり「以孔子」を「孔子の待遇で」と解するわけです。

これも暴論になるかもしれません。
しかし、検討の余地はないでしょうか。
2つの推論(暴論?)、今のところ、迷いますが、後者の方がうまく説明できるような気がしています。

これらは、到底そうだと明言出来るものではありません…と弱腰なのですが、この「所以」に解すると都合のよい「所」を、果たしてどのように説明するか、十分に考察が必要で、西田氏の著書にそうあるからと論じてしまっては、結局自分で十分考察したことにはならないと思うのです。

さらに、西田氏の挙げておられる他の諸例についても、それぞれにきちんと説明できなければ、この試論とて不十分なものになってしまうのですが、これはかなり厄介な問題です。

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