「羿に」罪があるのか、「羿にも」罪があるのか?
- 2018/05/17 22:37
- カテゴリー:漢文の語法
(内容:『中山狼伝』に見られる「是羿亦有罪焉」は、その典拠『孟子』では「是亦羿有罪焉」であるが、「亦」の位置の違いで、どのように意味が異なるか考察する。)
(以下の記事は、考察に誤りがあります。「再考:『羿に』罪があるのか、『羿にも』罪があるのか?」という新記事をご参照ください。2021.9.2)
結構長い時間をかけて『中山狼伝』の注釈を施していて、その成果は少しずつ本ブログにもご報告しているのですが、一字々々の漢字の働きに気を配りつつの作業は、かなり勉強になります。
そんな作業もそろそろ終盤なのですが、おもしろい問題に出くわしました。
趙簡子に追われていた狼を、東郭先生が命がけで助けてやったのに、いったん危機を逃れるや、恩知らずにも狼は自分は腹がすきすぎているから先生を食べるのだなどと言い出す、ひどい話なのですが、詳細は『中山狼伝・注解』をご覧いただくとし、要するに助けた相手に食べられることが妥当か妥当でないかが話の焦点です。
東郭先生と狼は、三人の老人に意見を聞くことにしましたが、杏の老木も老雌牛も先生は食べられて当然だと判決を下してしまいました。
自分たちは、主人である人間に一生をかけて多大な恩恵を施したのに、老いさらばえると、木は切り倒してしまえ、牛は肉屋に売ってしまえという手のひらを返したような仕打ちをうける。
それに比べれば、一度狼を助けたぐらいの恩恵に過ぎない先生なんぞは食べられても当然だというわけです。
絶体絶命の東郭先生ですが、最後に老人に出会い助けを請います。
事情を聞いて、いったんは狼に非があるということになりかけたのですが、狼も饒舌に言い返す。
先生が自分を袋に隠して助ける際、身体をねじ曲げひどいしうちをし、あることないこと趙簡子に言ったというのです。
さて、問題は、これを聞いた老人の言葉です。
・果如是、是羿亦有罪焉。
「果たして是くのごとくんば、是れ羿にも亦た罪有り」と読んで、「本当にもしそうなら、これは羿にも罪がある」と解します。
つまり羿の故事を踏まえて「これは、東郭先生にも罪がある」と述べたことになります。
『中山狼伝・注解』の底本は『東田文集』です。
この言葉のもとになった『孟子』にあたってみましょう。
・逢蒙学射於羿、尽羿之道、思天下惟羿為愈己、於是殺羿。孟子曰、「是亦羿有罪焉。」
(逢蒙が射術を羿に学び、羿の射術を極め尽くして、天下にただ羿だけが自分より勝ると思い、そこで羿を殺した。孟子は「是亦羿有罪焉。」と言った。)
一見すると気づきにくいのですが、孟子の言葉は『東田文集』と違っています。
是羿亦有罪焉。(東田文集)
是亦羿有罪焉。(孟子・離婁下)
「羿」と「亦」の位置が入れ替わっています。
気になったので、『古今説海』所載の「中山狼伝』を見てみました。
果如是、亦羿有罪焉。(古今説海・巻49「中山狼伝」)
後句に「是」を欠きますが、『孟子』の語順になります。(前句が「如是」とある関係で、「果如是是亦羿有罪焉」の「是」を一字欠いてしまったのかもしれません。)
『東田文集』については底本の「叢書集成初編所収」本以外に、「旧小説」本、「畿輔叢書」本をあたってみましたが、いずれも「是羿亦有罪焉」に作っています。
そもそも「亦」の位置が入れ替わることにより、どのような意味の違いが生じるのでしょうか。
一般に高等学校の漢文では「亦」は、「~もまた」と読み、行為や事情が前と同じであるか繰り返されるかを表す字と取り扱います。
それに従えば、『東田文集』の「是羿亦有罪焉」は、羿にもまた罪がある、つまり、「狼に罪があるが、東郭先生にも罪がある」と、事情が同じであることを示すことになります。
しかし、孟子の本文は「是亦羿有罪焉」であって、もし「亦」の働きが前述のものであるならば、「羿にも罪がある」という意味にはなり得ません。
なぜなら、「亦」がこの位置に置かれるということは、「他にも羿に罪がある行為があったが、この件も羿に罪がある」という意味にならざるを得ないからです。
『孟子』の本文を見る限り、他に羿の罪と判断できる事件はありません。
とすれば、「亦」の働きは「行為や事情が前と同じであるか繰り返されるかを表す」と考えるわけにはいかなくなります。
「亦」を「(~も)また」と読むからといって、あるいはそう読まれているからといって、日本語通りの意味だと思い込むのは極めて危険な判断です。
「亦」には、一般にあまり知られていない意味がいくつもあります。
たとえば、『孟子・梁恵王上』の有名な一文、
亦有仁義而已矣。
「亦た仁義有るのみ」と読まれて、「(古の聖王と同様に恵王も)また仁義あるのみです」などと解する傾向は、高等学校の教科書でもまだ見られます。
しかし、この「亦」は範囲副詞で「唯」や「惟」などと同じく、文末の語気詞「而已矣」と呼応して、仁義に基づく政治を行うべきことに限定されることを表します。
「亦(た)だ仁義有るのみ」と読む方が適切でしょう。
この句を「古の聖王と同様に恵王もまた」と解してしまうのは、訓読に引きずられているからです。
では、「是亦羿有罪焉」の「亦」はいったいどんな意味を表しているのでしょうか。
虚詞詞典を開いてみると、尹君『文言虚词通释』(广西人民出版社1984)に、次のような記述がありました。
⑧副词 就,便。和“则”条⑳项差不多。
(副詞 就,便。“則”の条⑳項とほぼ同じ。)
として、3例が挙げられている中に、3例目に次のようなものがありました。
荘子儀曰:“吾君王殺我而不辜,死人毋知亦已,死人有知,不出三年,必使吾君知之。”(《墨子・明鬼》)…原文簡体字
――庄子仪说:“我的国君杀我,而我是没有有罪的,如果死人没有知觉就算了,死人如果有知觉,不出三年,一定要使我的国君知道这事(是要报应的)。”
(荘子儀が“わが君は私を殺すが、私は無実である、もし死人に知覚がないならそれまでのこと、死人にもし知覚があるなら、三年経たないうちに、きっとわが君にこのこと(が報いを受けなければならないということ)を思い知らせてやる”と言った。)
この例について、尹君が補足しています。
按:例3,就在同篇文中:“杜伯曰:‘吾君杀我而不辜,若以死者为无知,则止矣;若死而有知,不出三年,必使吾君知之。’”文意句式完全相同,而用“则”字,可见两字义通。
(按ずるに、例3は、同篇の文中に、“杜伯曰:‘吾君杀我而不辜,若以死者为无知,则止矣;若死而有知,不出三年,必使吾君知之。’”の例がある。文意も構文も完全に同じで、“則”の字が用いられている、二つの字義が通じることがわかる。)
つまり、尹君は『墨子』の用例を根拠に、「亦」の字が「則」に通じることを指摘しているのです。
ただこの説明は、前句に述べられた条件のもとに後句で結果を示す、いわば連詞の働きをする「則」とみるべきです。
しかし、『古今説海』本は、「是」の字を欠き「果如是、亦羿有罪焉。」に作るため、これに該当してしまうことになります。
さて、同じ『文言虚词通释』の⑩には、次のように述べられています。
⑩副词 和“乃”条⑬项相同,可译为“乃(是)”、“原本(是)”、“本来(是)”。
(副詞 “乃”の条⑬項と同じで、“すなわち(…である)”、“もともと(…である)”、“本来(…である)”と訳すことができる。)
「乃」⑬には、
常用以表肯定的论断语意
(常用して肯定的な判断の語意を表す)
とあります。
「亦」は「乃」が肯定的判断を表すのと同様の働きをしているというわけです。
例文をみると、
会稽守通謂梁曰:“江西皆反,此亦天亡秦之時也。”(《史記・項羽本紀》)…原文簡体字
――会稽太守殷通对项梁说:“江西一带都造反了,这乃是上天灭亡秦国的时候呢。”
(会稽の太守殷通が項梁に、“江西一帯はみな背いた、これは天が秦を滅ぼす時だ。”と言った。)
『孟子』の「是亦羿有罪焉」は、これに該当するのでしょう。
上に二つ挙げた「亦」の働き「則」「乃」は、それぞれに異なるものですが、私には関連性があるように思えます。
前に述べた内容を踏まえて、それならば「まさに~だ」という肯定的判断を強める働きをしているという点で、両者はつながるところがあるのではないでしょうか。
教えを受けた師を殺すような逢蒙という弟子をとったこと、その点をもって、師の羿にこそ罪があると述べた、それが孟子の言葉。
「逢蒙にも罪があるが、羿にも罪がある」という意味ではないと思います、少なくとも語法的には。
『東田文集』と『古今説海』所載の「中山狼伝」は文字の異同が多く見られ、どちらが原本にあたるのか論じるだけの材料を筆者は持ち合わせませんが、注釈をつけていく過程で、後者の表現の方が洗練されているように思えます。
その勘だけで勝手な想像をさせていただくなら、『東田文集』の方は「是亦羿有罪焉」という『孟子』の言葉を引用しながらも、あえて「是羿亦有罪焉」と文字を入れ替えることで、「狼に罪があるのはもちろんだが、狼の話によれば、東郭先生にも罪がある」と表現したのではないでしょうか。
ところが、『古今説海』本は、文章を推敲する中で、『孟子』からの引用なのだから、正しく「亦羿有罪焉」に戻し、しかも「是」を削ってしまった。
その結果、「亦」は「則」または「乃」の意に用いられ、「狼の話によれば、東郭先生に罪があるのだ」と判断を強めることになってしまった。
臆断に過ぎるかもしれませんが、文字がたった一字移動するだけで、こんなにも意味が変わってしまうのです。
(以下の記事は、考察に誤りがあります。「再考:『羿に』罪があるのか、『羿にも』罪があるのか?」という新記事をご参照ください。2021.9.2)
結構長い時間をかけて『中山狼伝』の注釈を施していて、その成果は少しずつ本ブログにもご報告しているのですが、一字々々の漢字の働きに気を配りつつの作業は、かなり勉強になります。
そんな作業もそろそろ終盤なのですが、おもしろい問題に出くわしました。
趙簡子に追われていた狼を、東郭先生が命がけで助けてやったのに、いったん危機を逃れるや、恩知らずにも狼は自分は腹がすきすぎているから先生を食べるのだなどと言い出す、ひどい話なのですが、詳細は『中山狼伝・注解』をご覧いただくとし、要するに助けた相手に食べられることが妥当か妥当でないかが話の焦点です。
東郭先生と狼は、三人の老人に意見を聞くことにしましたが、杏の老木も老雌牛も先生は食べられて当然だと判決を下してしまいました。
自分たちは、主人である人間に一生をかけて多大な恩恵を施したのに、老いさらばえると、木は切り倒してしまえ、牛は肉屋に売ってしまえという手のひらを返したような仕打ちをうける。
それに比べれば、一度狼を助けたぐらいの恩恵に過ぎない先生なんぞは食べられても当然だというわけです。
絶体絶命の東郭先生ですが、最後に老人に出会い助けを請います。
事情を聞いて、いったんは狼に非があるということになりかけたのですが、狼も饒舌に言い返す。
先生が自分を袋に隠して助ける際、身体をねじ曲げひどいしうちをし、あることないこと趙簡子に言ったというのです。
さて、問題は、これを聞いた老人の言葉です。
・果如是、是羿亦有罪焉。
「果たして是くのごとくんば、是れ羿にも亦た罪有り」と読んで、「本当にもしそうなら、これは羿にも罪がある」と解します。
つまり羿の故事を踏まえて「これは、東郭先生にも罪がある」と述べたことになります。
『中山狼伝・注解』の底本は『東田文集』です。
この言葉のもとになった『孟子』にあたってみましょう。
・逢蒙学射於羿、尽羿之道、思天下惟羿為愈己、於是殺羿。孟子曰、「是亦羿有罪焉。」
(逢蒙が射術を羿に学び、羿の射術を極め尽くして、天下にただ羿だけが自分より勝ると思い、そこで羿を殺した。孟子は「是亦羿有罪焉。」と言った。)
一見すると気づきにくいのですが、孟子の言葉は『東田文集』と違っています。
是羿亦有罪焉。(東田文集)
是亦羿有罪焉。(孟子・離婁下)
「羿」と「亦」の位置が入れ替わっています。
気になったので、『古今説海』所載の「中山狼伝』を見てみました。
果如是、亦羿有罪焉。(古今説海・巻49「中山狼伝」)
後句に「是」を欠きますが、『孟子』の語順になります。(前句が「如是」とある関係で、「果如是是亦羿有罪焉」の「是」を一字欠いてしまったのかもしれません。)
『東田文集』については底本の「叢書集成初編所収」本以外に、「旧小説」本、「畿輔叢書」本をあたってみましたが、いずれも「是羿亦有罪焉」に作っています。
そもそも「亦」の位置が入れ替わることにより、どのような意味の違いが生じるのでしょうか。
一般に高等学校の漢文では「亦」は、「~もまた」と読み、行為や事情が前と同じであるか繰り返されるかを表す字と取り扱います。
それに従えば、『東田文集』の「是羿亦有罪焉」は、羿にもまた罪がある、つまり、「狼に罪があるが、東郭先生にも罪がある」と、事情が同じであることを示すことになります。
しかし、孟子の本文は「是亦羿有罪焉」であって、もし「亦」の働きが前述のものであるならば、「羿にも罪がある」という意味にはなり得ません。
なぜなら、「亦」がこの位置に置かれるということは、「他にも羿に罪がある行為があったが、この件も羿に罪がある」という意味にならざるを得ないからです。
『孟子』の本文を見る限り、他に羿の罪と判断できる事件はありません。
とすれば、「亦」の働きは「行為や事情が前と同じであるか繰り返されるかを表す」と考えるわけにはいかなくなります。
「亦」を「(~も)また」と読むからといって、あるいはそう読まれているからといって、日本語通りの意味だと思い込むのは極めて危険な判断です。
「亦」には、一般にあまり知られていない意味がいくつもあります。
たとえば、『孟子・梁恵王上』の有名な一文、
亦有仁義而已矣。
「亦た仁義有るのみ」と読まれて、「(古の聖王と同様に恵王も)また仁義あるのみです」などと解する傾向は、高等学校の教科書でもまだ見られます。
しかし、この「亦」は範囲副詞で「唯」や「惟」などと同じく、文末の語気詞「而已矣」と呼応して、仁義に基づく政治を行うべきことに限定されることを表します。
「亦(た)だ仁義有るのみ」と読む方が適切でしょう。
この句を「古の聖王と同様に恵王もまた」と解してしまうのは、訓読に引きずられているからです。
では、「是亦羿有罪焉」の「亦」はいったいどんな意味を表しているのでしょうか。
虚詞詞典を開いてみると、尹君『文言虚词通释』(广西人民出版社1984)に、次のような記述がありました。
⑧副词 就,便。和“则”条⑳项差不多。
(副詞 就,便。“則”の条⑳項とほぼ同じ。)
として、3例が挙げられている中に、3例目に次のようなものがありました。
荘子儀曰:“吾君王殺我而不辜,死人毋知亦已,死人有知,不出三年,必使吾君知之。”(《墨子・明鬼》)…原文簡体字
――庄子仪说:“我的国君杀我,而我是没有有罪的,如果死人没有知觉就算了,死人如果有知觉,不出三年,一定要使我的国君知道这事(是要报应的)。”
(荘子儀が“わが君は私を殺すが、私は無実である、もし死人に知覚がないならそれまでのこと、死人にもし知覚があるなら、三年経たないうちに、きっとわが君にこのこと(が報いを受けなければならないということ)を思い知らせてやる”と言った。)
この例について、尹君が補足しています。
按:例3,就在同篇文中:“杜伯曰:‘吾君杀我而不辜,若以死者为无知,则止矣;若死而有知,不出三年,必使吾君知之。’”文意句式完全相同,而用“则”字,可见两字义通。
(按ずるに、例3は、同篇の文中に、“杜伯曰:‘吾君杀我而不辜,若以死者为无知,则止矣;若死而有知,不出三年,必使吾君知之。’”の例がある。文意も構文も完全に同じで、“則”の字が用いられている、二つの字義が通じることがわかる。)
つまり、尹君は『墨子』の用例を根拠に、「亦」の字が「則」に通じることを指摘しているのです。
ただこの説明は、前句に述べられた条件のもとに後句で結果を示す、いわば連詞の働きをする「則」とみるべきです。
しかし、『古今説海』本は、「是」の字を欠き「果如是、亦羿有罪焉。」に作るため、これに該当してしまうことになります。
さて、同じ『文言虚词通释』の⑩には、次のように述べられています。
⑩副词 和“乃”条⑬项相同,可译为“乃(是)”、“原本(是)”、“本来(是)”。
(副詞 “乃”の条⑬項と同じで、“すなわち(…である)”、“もともと(…である)”、“本来(…である)”と訳すことができる。)
「乃」⑬には、
常用以表肯定的论断语意
(常用して肯定的な判断の語意を表す)
とあります。
「亦」は「乃」が肯定的判断を表すのと同様の働きをしているというわけです。
例文をみると、
会稽守通謂梁曰:“江西皆反,此亦天亡秦之時也。”(《史記・項羽本紀》)…原文簡体字
――会稽太守殷通对项梁说:“江西一带都造反了,这乃是上天灭亡秦国的时候呢。”
(会稽の太守殷通が項梁に、“江西一帯はみな背いた、これは天が秦を滅ぼす時だ。”と言った。)
『孟子』の「是亦羿有罪焉」は、これに該当するのでしょう。
上に二つ挙げた「亦」の働き「則」「乃」は、それぞれに異なるものですが、私には関連性があるように思えます。
前に述べた内容を踏まえて、それならば「まさに~だ」という肯定的判断を強める働きをしているという点で、両者はつながるところがあるのではないでしょうか。
教えを受けた師を殺すような逢蒙という弟子をとったこと、その点をもって、師の羿にこそ罪があると述べた、それが孟子の言葉。
「逢蒙にも罪があるが、羿にも罪がある」という意味ではないと思います、少なくとも語法的には。
『東田文集』と『古今説海』所載の「中山狼伝」は文字の異同が多く見られ、どちらが原本にあたるのか論じるだけの材料を筆者は持ち合わせませんが、注釈をつけていく過程で、後者の表現の方が洗練されているように思えます。
その勘だけで勝手な想像をさせていただくなら、『東田文集』の方は「是亦羿有罪焉」という『孟子』の言葉を引用しながらも、あえて「是羿亦有罪焉」と文字を入れ替えることで、「狼に罪があるのはもちろんだが、狼の話によれば、東郭先生にも罪がある」と表現したのではないでしょうか。
ところが、『古今説海』本は、文章を推敲する中で、『孟子』からの引用なのだから、正しく「亦羿有罪焉」に戻し、しかも「是」を削ってしまった。
その結果、「亦」は「則」または「乃」の意に用いられ、「狼の話によれば、東郭先生に罪があるのだ」と判断を強めることになってしまった。
臆断に過ぎるかもしれませんが、文字がたった一字移動するだけで、こんなにも意味が変わってしまうのです。