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カテゴリー「その他」の検索結果は以下のとおりです。

かぐや姫の昇天・敬語の授業(コロナ対策)

  • 2020/06/08 18:46
  • カテゴリー:その他
(内容:新型コロナウイルスによる休校で、PDF版「かぐや姫の昇天・敬語の授業」のためぐち授業を作ったこと。)

6月より、ようやく学校再開となりましたが、まだ分散登校期間中。
奇数と偶数の番号に分けて生徒を登校させるので、2週で1週の授業しかできません。
ですから足りない部分は、この期に及んでまだオンライン授業です。
でも、ようやくそれも今週で終わり、来週からはやっと40人相手の授業になります。

ということで、最後の「ためぐち授業」(授業の文字起こし教材)は、『竹取物語』の「かぐや姫の昇天」を使った、敬語の学習です。
最後の最後(になればいいのですが…)なので、張り切りまして、ためぐち授業の傑作!と言っても恥ずかしくない内容になったと思うのですが。

専門外でおかしなことを書いているかもしれませんが、お許しください。
たぶん、楽しんで読んでいただけると思います。

『かぐや姫の昇天』(第1回) ←クリックしてください。

『かぐや姫の昇天』(第2回) ←クリックしてください。

毎度書きますが、中井はもちろんこんな喋り方はしませんので、あしからず。

「大江山」の授業(コロナ対策)

  • 2020/05/29 18:54
  • カテゴリー:その他
(内容:新型コロナウイルスによる休校で、PDF版『十訓抄』大江山のためぐち授業を作ったこと。)

不安はなにも解消されないまま、学校再開となりました。
休校期間中にオンライン授業として使った教材、『十訓抄』大江山のためぐち授業を、アップします。

漢文ではありませんが、せっかく作ったものですから、みなさまのお役に立てればと思います。
専門外なので、あちこち怪しいところがあるかもしれませんが、ご寛恕ください。

『大江山』(第1回) ←クリックしてください。

『大江山』(第2回) ←クリックしてください。

『大江山』(第3回) ←クリックしてください。

中井は京都の人間なので、まさかこんな喋り方はしませんが、授業の雰囲気は似ているかもしれません。

『史記』「四面楚歌」語法注解をアップしました

  • 2020/04/28 17:09
  • カテゴリー:その他
(内容:『史記』「四面楚歌」の語法注解をページにアップしたことの告知。)

先日、「鴻門の会」の語法注解をアップしましたが、その続編として「四面楚歌」の語法注解を本日アップしました。
ページ一覧よりご覧ください。

『史記』の定番教材ということで注解を試み、高等学校の現場の先生方にお役立ていただければ…と書いたものですが、『史記』についてはいったんここで打ち止めとし、しばらく『真に理解する漢文法』第3部の更新作業に入りたいと思います。
(もっともコロナ対策の教材構築も迫られていて、それどころではないかもしれませんが…)

また気が向きましたら、今度は『論語』の定番教材などを手がけてみたいものだと考えています。

『史記』「鴻門の会」語法注解をアップしました

  • 2020/04/03 07:33
  • カテゴリー:その他
(内容:『史記』「鴻門の会」の語法注解を、ページにアップしたことの報告。)

2月22日に勤務校で行った研究会で「教員研修会」を行ったことは、以前書きました。
『史記』の「鴻門の会」という、いわば教科書定番教材を用いて、語法解説を行ったのですが、その際使用した語法注解を、本ブログにアップしました。
これは、「京都教育大学附属高等学校研究紀要 第93号」に載せたものですが、いったい誰が読むのだろう?と思えば、Web上で公開した方が、現場の先生方のお役に立てるのでは?と考えたものです。
これまでの「故事五編注解」も同様ですね。

まったく知らない漢文だと敷居が高いかもしれませんが、「鴻門の会」は誰もが知り、そしてどの先生方も教壇で扱う教材ですので、ぜひお読みいただき、漢文の語法を知る手がかりにしていただければと思います。

『史記』語法注解の成分および品詞分解の画像

この語法注解では、数研出版『体系漢文法演習』解答編で行った、漢文の成分および品詞分解を試みました。

右の「ページ」より『史記』「鴻門の会」・語法注解 をお選びいただき、ご利用ください。

ブログ移転のご報告

  • 2020/03/30 16:12
  • カテゴリー:その他
(内容:ブログ「漢文 学びのとびら」移転の報告。)

以前、旧ブログの1記事が盗まれ、詐欺サイトに作り替えられていたという話を書きました。
それ以来、ブログの移転とブログ名その他の変更を考えてきました。
拙著『真に理解する漢文法』第1部2部の改訂も済み、一般公開も始めたので、この際、ブログを移転することにしました。

新しいブログ名は「漢文 学びのとびら」です。
この扉を開いて、多くの人たちと学んでいけたらな…という思いをこめたものです。

そして、これまでは管理人の名を伏せていたのですが、この機に、自分の身分・素性を明らかにし、このブログの内容や、提供している資料、書籍などの内容に責任をもとうと考えるに至りました。

これからも皆様、よろしくお願いいたします。

研修会を開きました

  • 2020/02/25 20:48
  • カテゴリー:その他
(内容:勤務校で開催した研究会の報告。)

先日、勤務校で研究会がありました。
今はやりの課題研究の発表会や、新しい時代の教育を見据えた公開授業を行う一方で、私はわがままを言って「教員研修」などというものを行いました。

端的にいえば「漢文の授業に自信がない方」や「句法の丸覚えから脱却したい先生」、「深く漢文法を学びたい方」を対象の研修会です。

研修会における中井の講義の画像

国語の授業はもっと「主体的・対話的で深い学び」でなければならないそうですが、私の本音は「妥当な鑑賞や考察が『主体的・対話的で深い学び』のもとに実現するためには、正確な本文解釈が前提にならねばならず、漢文の文法もわからず、つまり訓読に頼って『こう訓読してあるからこういう意味』だと思い込み、なんとなくわかったつもりの題材を、深い知識や教養、適切な資料もなしに、ただの思いつきを越え得ない対話を繰り返しても、決して『深い学び』など出てこない」でありまして、昨今の風潮には危機感を覚えています。

というわけでの、いかにも「上から目線」での講義にもかかわらず、30名弱のご参加をいただくことができました。
当ブログで拙著『概説 漢文の語法』をご利用くださった方も、何人もご参加いただき、2014年に配布を始めた一番最初にお声をかけてくださったK先生やN先生も駆けつけて下さるという嬉しい研究会になり、これは漢文に自信がない方々とは言えないだろう…と思いましたり。

若手の活躍の場を奪うわけにもいかず、わずか50分の講義、定番教材『史記・鴻門の会』の語法解説でしたが、当初の予想通り、述べたいことの1割も説明できない、いかんともしがたい時間不足でした。せめて、あと50分あれば…
でも、初めて私の語法教育の概要を聞かれた方はびっくりだったでしょうし、私もお会いしたかった方々にお目にかかることができたのが何よりの喜びでした。

「さすがに50分では無理だったよなぁ…」とこぼしながら、その夜は、K先生が遠路わざわざお土産に持ってきて下さった(ありがとうございました)銘酒と、地元名産6年仕込みの「かんずり」をいただきました。
初めて食べた「かんずり」、美味の一言に尽きましたよ。
学問を通じてできた知り合いというのも、いいものですね。

旧著全面改定着手と周辺事情

  • 2019/10/01 06:55
  • カテゴリー:その他
(内容:拙作の漢文の語法書について、全面的な改訂に着手すること、また、その諸事情の報告。)

拙著『概説 漢文の語法』は、古典中国語文法を基礎において、漢文をわかりやすく説明しようと試みた語法書です。
もともとは高校生のために執筆したのですが、無料ということもあって、Webを通じて多くの方に利用いただいています。

ですが、自分なりに研究を進めて、改めて本書を見れば見るほどに、あちこちに気に入らないところがあり、全面的に書き直したいものだと、ずっと思い続けています。

そんなある日、たまたま『概説 漢文の語法』という文字列を検索サイトで調べてみると、おやおや怪しげなサイトがうじゃうじゃヒットします。
どうやら、サイトのセキュリティーに問題があったのだかどうだか、当ブログの1記事が盗まれ、いかがわしい通販サイトに改竄されていたわけです。
これはゆゆしきことです!

このような輩は許せず、腹立たしい限りです。

セキュリティーを強化し、以後の対策は講じましたが、一度盗まれた部分については、もうどうしようもありません。
なにより、『概説 漢文の語法』という文字列で検索すると、不誠実なサイトにつながること、ひょっとすると詐欺行為に加担するかもしれぬこと、それが耐えられませんでした。

まあ抜本的な解決にはならないのですが、次のことを決意しました。
1.を全面的に書き改め、書名も変更する。
2.現ブログを移転し、サイト名を変更する。
3.ブログの過去記事やコンテンツを新サイトに移転し、ブログ名や『概説 漢文の語法』などの文字列を別の名称にするか、なんらかの対策をする。

という、気分の悪い周辺事情が後押しをして、全面改定に踏み切ることになったわけですが…

さしあたって、新書名をどうするか?これが意外に難しい。
現在の候補です。

1.真に理解するための漢文法解説
2.漢文法詳解
3.明解漢文法

なんだかどれもぱっとしません。
1は書名らしくないし、2は固い、3はどこぞの辞書のようです。

もし読者や利用者のみなさんによいアイデアがありましたら、お知らせください。

もっと難しいのがサイト名です。
今のブログ名は、わずか数秒で決めた記憶があるんですが、いざ変えるとなると、なんだかどれもぱっとしない。

サイトの移転は、改訂漢文法が完成してからと考えています。
少しずつですが、よりよい内容に書き改めていくつもりですので、気長にお待ちください。
この際、現行の「です・ます」体を改め、「だ・である」体とし、筆者の文体が生き生きと伝わるように、少し癖のある文体をめざすつもりです。

ご期待ください。

やっと李漁『十便十宜』詩・注解をアップ完了しました

  • 2019/09/20 20:00
  • カテゴリー:その他
(内容:李漁の『十便十宜』詩の注解をページにアップしたことの告知。)

2013年に「伊園十便4・灌園便」をアップしてから、そのまま放置状態にしてしまっていた、李漁『十便十宜』詩・注解を、ようやっとこのほどアップ完了しました。
材料自体は、すでに手元にあったのですが、なかなか暇が生まれてこないのと、もう少し調べたいという思いがあって、手つかず状態だったのですが、いくらなんでもそろそろ完成させないと…と、思ったわけです。

なにしろ全く資料がない状態での執筆でしたので、あちこちおかしい部分があるかもしれません。
もし、お気づきのことがございましたら、遠慮なくご教示いただきますよう、よろしくお願いします。

(記事削除・9)

  • 2019/07/25 22:22
  • カテゴリー:その他
(内容:記事削除の連絡。No.9)

この記事は削除しました。

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「簾少し上げて、花奉るめり」は、どこの簾か?

  • 2019/07/25 15:36
  • カテゴリー:その他

(内容:『源氏物語』若紫の巻に見られる「簾少し上げて、花奉るめり」について、尼君が仏の前の簾を挙げて花を差し上げるとする説に、疑問を呈する。)

漢文にまつわる話ではないので、このブログに書くのもどうかとも考えたのですが、古典の記述についてきちんと考えるということは漢文学習でも共通する話題なので、書いてみようと思います。

常々、同僚に対しても学生に対しても、とにかく「本文を徹底的に読め」とうるさく言います。
謎を解く手がかりは実は本文そのものに隠されていることが多いからです。
わからないことはきちんと調べることが大切ですが、ちょっとわからないことが生じた時に、本文をよく読みもせずにすぐ参考書を広げてしまう人が実に多いのです。
教師の場合なら、一番身近にあるのは教科書の指導書でしょう。
そこに何か書いてあれば、それが正しいのだと検討もせずに鵜呑みにしてしまう。
同様のことが、教師の前身である学生さんにもよくあります。

教育実習で『源氏物語・若紫』のいわゆる「小柴垣のもと」を担当してもらうことになりました。
その中の有名な一節、

人々は帰し給ひて、惟光の朝臣とのぞき給へば、ただこの西面にしも、持仏据ゑ奉りて行ふ、尼なりけり。簾少し上げて、花奉るめり。中の柱に寄りゐて、脇息の上に経を置きて、いとなやましげに読みゐたる尼君、ただ人と見えず。四十余ばかりにて、いと白うあてに、痩せたれど、つらつきふくらかに、まみのほど、髪のうつくしげにそがれたる末も、なかなか長きよりもこよなう今めかしきものかなとあはれに見給ふ。
(供人たちは(僧坊に)お帰しになって、惟光の朝臣と(垣の内を)おのぞきになると、すぐ目の前の西向きの部屋に、持仏を据え申し上げて勤行する(人は)、尼であったよ。簾を少し巻きあげて、花をお供え申し上げるようだ。中の柱に寄りかかって座って、脇息の上に経巻を置いて、たいそう気分悪そうに座って唱えている尼君は、並の身分の人と思えない。四十過ぎぐらいで、たいそう色が白く上品で、痩せているけれど、頰はふっくらとして、目元のあたりや、髪が美しい感じに切りそがれている毛先も、かえって長いのよりも、この上なく現代風なものであるなあ、としみじみと感動してご覧になる。――S社の句読と訳による――

の「簾少し上げて、花奉るめり。」という表現が気になるので、実習の学生さんにはこの部分をよく調べるようにと言っておきました。

私が気になるというのは、この「簾」がどこの簾で、誰が「上げて」いるのか、また、「花」を「奉る」のは誰の行為かでした。
そんなことを先に言ってみても、学生さんのためにはなりませんから、とにかくこの箇所をきちんと調べて考えるようにと告げたわけです。

さて、それから1ヶ月ほどして、指導案をもって訪れた学生さんに、指導案を読み指導をする過程で、私の先の疑問をぶつけてみました。
すると、学生さんは、「尼君が持仏の前にある簾を上げて、花を供えているのだ」と説明したのです。
とてもびっくりしてしまって、本当にそうなのか?と念を押すと、自分で調べて考えた結果ではなく、わからないから、大学の古典文学の教授にして『源氏物語』がご専門の先生に尋ねると、そう教えてくれたのだとか。
それもその場で当然のように即答されたのだそうです。

これで私は二度びっくりすることになってしまったわけです。

学生さんにその解釈の根拠をただすと、それは何もない、どうやら古典の教授は見解だけを述べて、その元となるものを何も示されなかったようです。

古典文学がご専門で、まして『源氏物語』の研究者ですから、私などには及びもつかぬ教養をお持ちなのだろうと拝察しますが、詳しく調べた結果として教示したのではなく、また、もしすでに知っておられたのだとしても、その資料なり何なりの根拠を学生に示されなかった…私にはとても考えられない姿勢だったのです。

私は自分がまだまだ何も知らない、わからないといつも思っています。
ですから、若い人たちに何か質問されると、きちんとそれが説明できるようになるまで、可能な限り調べます、そして考えます。
そうでなければ、責任持ったことは言えないし、若い人たちのためにもならず、私自身のためにもならないと思うからです。

教授先生の答えを鵜呑みにして検証しようともしない学生さんにも困り者ですが、調べもせず根拠も示さずお答えになった教授先生にも、正直残念な思いを拭えませんでした。

素朴な疑問です。

もし、「簾少し上げて、花奉る」人が尼君なら、仮にこの簾が持仏の前にある簾だとしても、尼君は、中の柱によりかかって座り、脇息の上に経を置いて大儀そうに読んでいるのに、それと同時に花を供えていることになります。
おかしくはないでしょうか?

仏に供える花は簀の子近くの閼伽棚の上に用意してあったはずで、尼君は中の柱によりかかって座り、経を読みながら、簀の子近くの閼伽棚に手を伸ばし(とても届かないでしょう…)花を取り寄せ、さらに持仏の前の簾を上げ、花を供えることになります。
一度に三つのことを見事に成し遂げる尼君ということになるわけですが、「いとなやましげ」つまりいかにも大儀そうなんですよね?病がちの彼女にできるでしょうか?

さらに、仮に「簾少し上げて」の簾が持仏の前にある簾だとして(そもそも、何も説明されていないのに、なにゆえ持仏の前の簾と限定できるのか謎ですが)、光源氏が尼君の様子を事細かに観察できている以上、外と部屋の中を隔てる簾が上がっていたのは間違いありません。
だからこそ、後文で、兄の僧都に光源氏が北山に来ていることを教えられ、尼君は「『あないみじや。いとあやしきさまを人や見つらむ。』とて簾下ろしつ。」とあるのです。
これはいくらなんでも持仏の前の簾を下ろしたわけではないでしょう。
つまり、源氏が垣間見をしていた間、外と部屋を隔てる簾は巻き上げてあったのです。

源氏は西面にある部屋をのぞいています。
つまり、夕日を背にして、西を向いているはずの尼君を見ています。
尼君が西面の部屋で勤行しているのは、西方浄土の思想によるものだと思いますが、その意味からあえて違う方向を向いてお勤めをしているとはとうてい思えません。
尼君をほぼ正面から見ているからこそ、源氏は尼君の顔つきや目元のあたり、髪の様子などを詳しく観察できるのです。
だとすれば、持仏はどこにあるでしょうか、もちろん源氏と尼君の間、尼君のすぐ前にあるはずです。
そして、もし持仏に簾があるとすれば、どこにあるでしょうか、源氏によく見える位置にあるでしょうか?

このように「簾少し上げて」の簾を持仏の前のものとすると、疑問が生まれてきます。
しかも本文に「持仏の前の簾」などとは一言も書かれていないのです。

次に、では、かりに簾が部屋と外を隔てる簾だとして、誰が上げているのか?
これはわかりません。
というよりも、私には動作のようには思えないのです。
なぜなら、源氏が垣間見を始めた時から、この後の幼女(のちの紫の上)の登場、尼君と幼女とのやりとり、尼君と女房とのやりとり、さらには僧都の登場、そして会話…と、非常に長い時間にわたって、ずっと簾は上がった状態です。(それを最後に下ろしたという記述があることは、先ほど確認しました。)
つまり、源氏が垣間見を始めるタイミングで誰かが簾を上げたのではなく、すでに簾は少し巻き上げてあった。
「簾少し上げて、花奉るめり。」とは、「部屋の簾を少し巻き上げた状態で、花を差し上げる場面のようだ」という意味なのでしょう。

なぜ簾を少し巻き上げなければならなかったか。
それはこの場面に先立って、源氏たちがつづら折りの上から僧坊を見下ろした時、「清げなる童などあまた出で来て、閼伽たてまつり、花折りなどするもあらはに見ゆ。」とあるように、童が庭に出て閼伽水を汲み、花を折る光景が描かれた、それを踏まえたものでしょう。
つまり、仏に供える水や花は、童によって、おそらく閼伽棚に用意されていた。
閼伽棚は主に縁側に設置するものですから、ここでは簀の子に隣接する形であったものと思われます。
そこから花を仏に供えるために部屋に運ぶ動作が行われるはずで、そのために簾は少し巻き上げておく必要があった。
山里であった分、よもや人に見られはすまいという気の緩みがあったのでしょう。

源氏は、誰か、おそらく女房の一人が、閼伽棚から花を仏に供えるために部屋に運び入れ持仏の所に寄せる様子を見たのだと思います。
だからこそ、まずは目にした場面の状況を「簾少し上げて、花奉るめり。」と視覚推定し紹介した上で、次に尼君から順に観察を始め、「きよげなる大人」「童べ」「女子」と目を移していくのです。
「尼なりけり」と述べた後に、わざわざ「いとなやましげに読みゐたる尼君、ただ人と見えず。」と、繰り返してまた「尼君」という言葉を用いたのは、そのような式部の描き方だったのではないでしょうか。

つまり、簾は持仏の前の簾ではなく部屋と外を隔てる簾、尼君が上げたのではなくすでに上げてあった、花を差し上げたのもおそらく尼君ではない。

日本の古典は専門ではないので、何を馬鹿な…と笑われてしまうようなことを書いているのかもしれませんが、確かめもせず根拠もなしに思いつきで即答するような態度はとっていないつもりです。
学生の先生である教授を批判するわけにもいかないので、いろいろな解釈があるのだろうねとぼかしながら、しかし、一つひとつ疑問を示すことによって、考えることの大切、調べることの大切さ、そして何より本文を深く読み込むことの大切さを、教えたつもりです。
そして、それは自戒にもなりました。

畑違いのことを書きました。

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