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「所」について・1

(内容:結構助詞とされる「所」の用法について考察する、その1。)

前エントリーで、「所」という字の働きについて触れましたが、これを生徒にどのように説明すればいいかな?と考えあぐねている昨今です。
「所A」(Aする所)で、「所」は動詞Aの客体を表して、Aが他動詞なら「ソレをAするソレそのもの」、自動詞なら「ソコにAするソコそのもの」の意味になるわけですから、「『所』は後の動詞の不定の客体を表す名詞句をつくる」とすればいいのかも知れませんが、今ひとつわかりにくい表現のように思えてしまいます。
その点、「所A」で、「Aすること・もの」という名詞句を作ると言ってしまう方がわかりやすい気がします。
そんなことを考えながら『史記』を読んでいたのですが、あれ?と思う一節にぶつかりました。

高帝新弃群臣、帝富於春秋。君為相、日飲、無所請事。何以憂天下乎。
(▼高帝新たに群臣を弃て、帝春秋に富めり。君相と為り、日に飲み、事を請ふ所無し。何を以て天下を憂へんや。
 ▽高祖が亡くなったばかりで、(跡継ぎの)皇帝はまだ年齢が若い。父君は丞相であるのに、毎日酒を飲み、[無所請事]。(そんなことで)どうして天下を憂えているなどと言えるでしょうか。)


「曹相国世家」です。
前漢の2代皇帝である恵帝は高祖亡き後、若くして皇帝となりましたが、丞相の曹参が政務を執らないことを不審に思い、曹参の息子の窋(ちゅつ)が近侍であったので、彼に息子の言葉として言ってほしいと依頼した言葉になります。

読んでいた本では、この「無所請事」が「事を請ふ所無し」と読まれていたのがひっかかりました。
「所」にこんな用法があっただろうか?と不審に思ったわけです。

気になったので、明治書院の『新釈漢文大系・史記』を見てみました。
すると、やはり読みは同じで、次のように訳されています。

日ごと酒を飲んでおられ、政事を奏上し、裁可を請うところがありません。

「裁可を請うところ」とは「裁可を請うこと」と理解していいでしょうか。

「請事」を『漢語大詞典』で調べてみると、

猶請示,述職。
(「請示」、「述職」と同じ。)

とあります。
「請示」は「上司に報告して処理についての指示を仰ぐ」、「述職」は「職務上の報告をする」という意味ですから、『新釈漢文大系』の訳の「裁可を請う」とはこれでよろしいですか?と決裁を求めるという意味でしょう。
つまり、恵帝は丞相の曹参が自分に事案の決裁を求めてこないことから、自分を若いと侮っているのでは?と邪推したわけです。

『史記』の文が、おおよそこのようなことを述べているというのは間違いありません。
ただ私が引っかかったのは、「無所請事」が「事を請ふ所無し」と読まれ、「政事を奏上し、裁可を請うところがありません」と訳されていることでした。
「所」にこんな用法があるでしょうか?

「所」は不定の客体を表すわけですから、「所請」なら、「ソレを請うソレそのもの」を表します。
それなのに「請」が別に「事」を賓語にとれば、意味をなさない文になるはずです。

たとえば、「無所請事」を「無所食桃」と比較すれば、一目瞭然です。
「無所食桃」は「食らふ所の桃無し」で「食べる桃がない」という意味です。
「所食」は「ソレを食べるソレそのもの」ですから、「食べるもの」です。
それが「桃」を修飾して「食べるものである桃」から「食べる桃」という意味になります。
これを「桃を食らふ所無し」と読んで、「桃を食べることがない」と訳したとしたら、これはもういくらなんでもおかしいでしょう。
「桃を食べることがない」なら、「無食桃」(桃を食らふこと無し)であるはずで、「所」の字など入れようがありません。
同様に、「政事を奏上し裁可を請うことがない」なら、「無請事」(事を請ふこと無し)でなければなりません。

ここで一瞬頭をかすめたのは、動詞「請」の依拠性です。
「請事」は、確かに客体として「事」をとっているけれども、誰に請うのかという依拠性はあり、それを「所」が表しているのでは?と思ったのです。

仲子所欲報仇者為誰。(史記・刺客列伝)
(▼仲子の仇を報いんと欲する所の者は誰と為す。 ▽仲子殿が仇を報いたいと思っておられる人は誰ですか。)

「所」が後に「謂語動詞+賓語」をとることもある例になります。
「所欲報仇」は、「ソレに仇を報いようとするソレそのもの」の意で、この「所」は「欲報」の依拠性に対してその客体を「所」が表しているわけで、他動性の賓語「仇」が「報」の後に伴っていても、何ら問題はありません。
一瞬、それか?と思ったわけですが…

しかし、それはあり得ません。
もし「無所請事」の「所」が「請」の依拠性に対する客語を表すなら、「ソレに事を請ふソレそのもの」となり、「事を請う相手がいない」という意味になってしまいます。
「事を請う相手」とは恵帝自身になってしまうではありませんか。

そうしてみると、この「無所請事」は、「請ふ所の事無し」と読んで、「(私に)決裁を求めた事案がない」という意味にならざるを得ません。

細かいことを述べたのかもしれません。
しかし、「所」の用法をつきつめていけば、「事を請ふ所無し」などと読めるはずも、「政事を奏上し、裁可を請うところがありません」とか訳せるはずもないのです。

そして、ハッと気づきました。
「所A」で、「Aすること・もの」という名詞句を作るという説明は、合理的でわかりやすいように見えても、たとえば「謂語A+賓語B」の「所AB」(BをAする所)を、「BをAすること」と訳して、問題を感じない説明になっているということに。

わかりやすく説明するというのは、難しいものですね。

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