「可」と「可以」についてさらに
- 2022/11/08 07:26
- カテゴリー:漢文の語法
(内容:「可」と「可以」の用法についてさらに考察する。)
「A可以B」(A以てBすべし)の形式が、もともと「以」がAもしくはAの性質や事情を賓語とするために、以降「以」の賓語が何であるか明瞭に示し得ない場合も含めて、一般にAはBの主体を表す文として用いられるようになったというのが、私の推論でした。
それは、「A可B」(ABすべし)が、用例として圧倒的にAがBの客体を表す中にあって、主体を表す例外を引き受けていったのではないかということです。
「A可B」は、「可」が依拠性の語であるために、「AはBするに可である」という意味を表しますが、それは必ずしもAがBの客体でなくても成り立つ表現だと思います。
たとえば、「太郎可愛」(太郎愛すべし)は、普通「太郎は(→太郎を)愛してよい」など、愛する客体が太郎であることを表しますが、「太郎可学」(太郎学ぶべし)は、「太郎は(→太郎を)学ぶのがよい」という意味を表すとは限らず、太郎は学ぶ主体の場合もあるだろうということです。
ただ用例の数として、比較的少ないものです。
そもそも「A可B」が通常はBの主体を問題にしない表現であったのに、AがBの主体を表してしまう用い方もされることがあったというのが実情なのかもしれません。
本来はBの客体として用いられるのが普通の「(A)可B」において、Bが賓語として客体を後に伴う例をいくつか調べてみました。
・其下駢石、不可得泉。(管子・地員)
(▼其の下駢石にして、泉を得べからず。)
(▽その下は一枚岩で、地下水を得られない。)
この例の場合、「泉不可得」(泉得べからず)といえば、通常の形になりますが、例文とは表す意味が異なるように思います。
「泉は」ではなく「其の下は」が主体になるはずだからです。
(あるいは「A可BC」のうち、B(得)の他動性に対する客体「泉」をCにとって、依拠性に対する客体「其下」をAとした構造か?とも思ったのですが、この後の例を見ると、そうではないような気がします。)
したがって、「其下可以得泉」(其の下以て泉を得べからず)とするのが普通の表現なのでしょうが、ここでは「以」は用いられていません。
・孔丘知礼而怯、請令莱人為楽、因執魯君、可得志。(史記・斉太公世家)
(▼孔丘は礼を知るも怯なり、請ふ莱人をして楽を為さしめ、因りて魯君を執へば、志を得べし。)
(▽孔丘は礼を知っていますが臆病です、どうか莱人に音楽をさせて、その機に魯君を捕らえれば、志を得ることができます。)
この例の場合、「志」が「可」の前に置かれて「志可得」(志は得られる)の形をとっていない以上、主体になる語はあえていうなら「吾君」とか「吾国」になるでしょう。
「志可得」ではなく「可得志」と表現しているところに、書かれていなくても表現者の意図が「我が君は得られる」「我が国は得られる」というところにあるのだという気がします。
これも、「可以得志」(以て志を得べし)とするのが普通の表現でしょう。
・徐偃王之状、目可瞻馬。(荀子・非相)
(▼徐偃王の状、目は馬を瞻(み)るべし。)
(▽徐の国の偃王の形状は、目がやっと馬が見えるほどであった。)
これも「目可以瞻馬」(目以て馬を瞻るべし)とするのが本来でしょうか。
・夫人先誡御者曰、王適有言、必可従命。(韓非子・内儲説下)
(▼夫人先づ御者を誡めて曰はく、「王適(も)し言ふ有らば、必ず命に従ふべし」と。)
(▽夫人はまず侍臣を戒めて言った、「王がもし何か言われたら、必ず命令にしたがうがよい。」)
この例の場合、「命可従」(命は従ふべし)という表現が可能かどうかはわかりませんが、そう表現するのでなく、「おまえは」という「若」(なんぢ)などの代詞が主体になるものだと思います。
「胡可伐」(胡伐つべし)などの表現に見られるように、「A可B」は多くAがBの客体を表すわけですが、その場合、誰がということは問題になっていないということは前に述べました。
しかし、「王可伐胡」(王胡を伐つべし)という表現が可能であることは、ここまでの例を見ても明らかです。
そしてその場合、誰が「胡を攻めてよい」のかを明示しているのであって、その必要性がある場合には決して破格でなく成り立つ表現だったのではないかと思います。
しかし、それを「王可伐」(王伐つべし)と「伐」の賓語を示さず表現してしまうと、用いられた環境によっては「王が攻める」のか「王を攻める」のかが、わからなくなってしまいます。
それを、「王可以伐」(王以て伐つべし)として、たとえば「王はその立場で攻めてよい」などの意味で、「王」が「伐」の主体であることを示せば、誤解が生じにくくなるのではないでしょうか。
私が、「A可以B」の形式が、「A可B」のAがBの主体を表す表現を引き受けていったのではないかと述べたのは、そういうことです。
本来「学不可已」(学は已(や)むべからず)と表現するのが普通である中で、荀子が「学不可以已」(学は以て已むべからず)としたことについて。
まず、「(人)不可以已学」((人)以て学を已むべからず)とするのが本来でしょうが、それでは「人というものは」という表現になってしまいます。
「人」が隠れた大主語であるにせよ、荀子は「学問というものは」と表現したのではないでしょうか。
また、「学不可已」は「学問はやめてはいけない」という意味ですが、「学不可以已」は「学問というものはその性質ゆえにやめてはならない」という本来の「以」の働きを残した表現なのではないでしょうか。
客体にあたる「学」を「可以~」の前に出すという、破格に見える表現が生まれたところにはそんな表現者の意図があるのかもしれません。
表現者の意図を勝手に類推して、そこから文法を考えるというのは、矢印の方向が逆で、誤った態度だとは思うのですが、私にはなんとなくそんな気がするのです。
「A可以B」(A以てBすべし)の形式が、もともと「以」がAもしくはAの性質や事情を賓語とするために、以降「以」の賓語が何であるか明瞭に示し得ない場合も含めて、一般にAはBの主体を表す文として用いられるようになったというのが、私の推論でした。
それは、「A可B」(ABすべし)が、用例として圧倒的にAがBの客体を表す中にあって、主体を表す例外を引き受けていったのではないかということです。
「A可B」は、「可」が依拠性の語であるために、「AはBするに可である」という意味を表しますが、それは必ずしもAがBの客体でなくても成り立つ表現だと思います。
たとえば、「太郎可愛」(太郎愛すべし)は、普通「太郎は(→太郎を)愛してよい」など、愛する客体が太郎であることを表しますが、「太郎可学」(太郎学ぶべし)は、「太郎は(→太郎を)学ぶのがよい」という意味を表すとは限らず、太郎は学ぶ主体の場合もあるだろうということです。
ただ用例の数として、比較的少ないものです。
そもそも「A可B」が通常はBの主体を問題にしない表現であったのに、AがBの主体を表してしまう用い方もされることがあったというのが実情なのかもしれません。
本来はBの客体として用いられるのが普通の「(A)可B」において、Bが賓語として客体を後に伴う例をいくつか調べてみました。
・其下駢石、不可得泉。(管子・地員)
(▼其の下駢石にして、泉を得べからず。)
(▽その下は一枚岩で、地下水を得られない。)
この例の場合、「泉不可得」(泉得べからず)といえば、通常の形になりますが、例文とは表す意味が異なるように思います。
「泉は」ではなく「其の下は」が主体になるはずだからです。
(あるいは「A可BC」のうち、B(得)の他動性に対する客体「泉」をCにとって、依拠性に対する客体「其下」をAとした構造か?とも思ったのですが、この後の例を見ると、そうではないような気がします。)
したがって、「其下可以得泉」(其の下以て泉を得べからず)とするのが普通の表現なのでしょうが、ここでは「以」は用いられていません。
・孔丘知礼而怯、請令莱人為楽、因執魯君、可得志。(史記・斉太公世家)
(▼孔丘は礼を知るも怯なり、請ふ莱人をして楽を為さしめ、因りて魯君を執へば、志を得べし。)
(▽孔丘は礼を知っていますが臆病です、どうか莱人に音楽をさせて、その機に魯君を捕らえれば、志を得ることができます。)
この例の場合、「志」が「可」の前に置かれて「志可得」(志は得られる)の形をとっていない以上、主体になる語はあえていうなら「吾君」とか「吾国」になるでしょう。
「志可得」ではなく「可得志」と表現しているところに、書かれていなくても表現者の意図が「我が君は得られる」「我が国は得られる」というところにあるのだという気がします。
これも、「可以得志」(以て志を得べし)とするのが普通の表現でしょう。
・徐偃王之状、目可瞻馬。(荀子・非相)
(▼徐偃王の状、目は馬を瞻(み)るべし。)
(▽徐の国の偃王の形状は、目がやっと馬が見えるほどであった。)
これも「目可以瞻馬」(目以て馬を瞻るべし)とするのが本来でしょうか。
・夫人先誡御者曰、王適有言、必可従命。(韓非子・内儲説下)
(▼夫人先づ御者を誡めて曰はく、「王適(も)し言ふ有らば、必ず命に従ふべし」と。)
(▽夫人はまず侍臣を戒めて言った、「王がもし何か言われたら、必ず命令にしたがうがよい。」)
この例の場合、「命可従」(命は従ふべし)という表現が可能かどうかはわかりませんが、そう表現するのでなく、「おまえは」という「若」(なんぢ)などの代詞が主体になるものだと思います。
「胡可伐」(胡伐つべし)などの表現に見られるように、「A可B」は多くAがBの客体を表すわけですが、その場合、誰がということは問題になっていないということは前に述べました。
しかし、「王可伐胡」(王胡を伐つべし)という表現が可能であることは、ここまでの例を見ても明らかです。
そしてその場合、誰が「胡を攻めてよい」のかを明示しているのであって、その必要性がある場合には決して破格でなく成り立つ表現だったのではないかと思います。
しかし、それを「王可伐」(王伐つべし)と「伐」の賓語を示さず表現してしまうと、用いられた環境によっては「王が攻める」のか「王を攻める」のかが、わからなくなってしまいます。
それを、「王可以伐」(王以て伐つべし)として、たとえば「王はその立場で攻めてよい」などの意味で、「王」が「伐」の主体であることを示せば、誤解が生じにくくなるのではないでしょうか。
私が、「A可以B」の形式が、「A可B」のAがBの主体を表す表現を引き受けていったのではないかと述べたのは、そういうことです。
本来「学不可已」(学は已(や)むべからず)と表現するのが普通である中で、荀子が「学不可以已」(学は以て已むべからず)としたことについて。
まず、「(人)不可以已学」((人)以て学を已むべからず)とするのが本来でしょうが、それでは「人というものは」という表現になってしまいます。
「人」が隠れた大主語であるにせよ、荀子は「学問というものは」と表現したのではないでしょうか。
また、「学不可已」は「学問はやめてはいけない」という意味ですが、「学不可以已」は「学問というものはその性質ゆえにやめてはならない」という本来の「以」の働きを残した表現なのではないでしょうか。
客体にあたる「学」を「可以~」の前に出すという、破格に見える表現が生まれたところにはそんな表現者の意図があるのかもしれません。
表現者の意図を勝手に類推して、そこから文法を考えるというのは、矢印の方向が逆で、誤った態度だとは思うのですが、私にはなんとなくそんな気がするのです。