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四端の説:「治天下、可運之掌上」の「之」は「丸いもの」か?・1

(内容:孟子の「不忍人之心」章に見られる「治天下、可運之掌上」の「之」が何を指すかについて考察するとともに、「可」「可以」の用法について考える、その1。)

久しぶりに『孟子・公孫丑上』の「不忍人之心」章を授業で扱うことになりました。
あらためて教科書の文章をながめていると、色々と疑問に思うことがあります。
これからそれについて考えてみたいと思います。

今回は疑問点の1つめです。

・以不忍人之心、行不忍人之政、治天下、可運掌上。
(▼人に忍びざるの心を以て、人に忍びざるの政を行はば、天下を治むること、之を掌上に運(めぐ)らすべし。)
(▽他人の不幸を見過ごしにできない心によって、人民の不幸を見過ごしにできない政治を行えば、天下を治めることは、これを手のひらの上でめぐらすことができる。)

この「可運之掌上」の「之」は何を指すのでしょうか。

もう何十年も前に、高等学校の先生方の前で、この「不忍人之心」章の公開授業を行ったことがありますが、その後の研究会で、授業中に私が「之」の指示内容を「治天下」であると生徒に答えさせ、その通りであると説明したことに対して、誤りであると指摘された先生がありました。
では何を指すのかと私が問い返すと、その先生は「丸いもの」だと答えられました。
つまり、丸いものを手のひらの上で転がすように容易という意味なのだと。
その先生がなぜ「丸いもの」とおっしゃったのかは私にはわかっていて、その意味で他の先生とは異なり、教養があり研究熱心な先生なのだろうと思いはしたのですが、この指摘は私にはどうしても飲み込めませんでした。

その先生が「可運之掌上」の「之」を「丸いもの」とおっしゃったのには、学術的な裏付けがあります。
後漢の趙岐がこの箇所につけた注は、次のようになっています。

・先聖王推不忍害人之心、以行不忍傷民之政、以是治天下、易於転丸於掌上也(十三経注疏・孟子)
(▼先の聖王人を害ふに忍びざるの心を推して、以て民を傷つくるに忍びざるの政を行ふ、是を以て天下を治むれば、丸を掌上に転がすより易きなり。)
(▽先代の聖王は人をそこなうに忍びない心を押し広めて、人民を傷つけるに忍びない政治を行った、これで天下を治めれば、丸いものを手のひらの上で転がすより易しいのである。)

ここで趙岐は「可運之掌上」を「転丸於掌上」と説明しています。
高等学校の先生が「之」を「丸いもの」とおっしゃったのは、それをご存じだったからでしょう。
その意味で教養があり研究熱心な先生だと前述したわけです。
しかし、そう認めることと「之」が「丸」であるとすることとは別の問題です。

今あらためてこれについて考えてみようと、手元の参考書を見てみました。

『新釈漢文大系4 孟子』(明治書院1962)は、「天下を治めることなどの容易さは、あたかも手のひらに丸い物をのせてころがすほどに、たやすいことである。」と訳し、「丸いものを、てのひらに載せて、ころがすということで、物事をなすのがきわめて容易なことを形容した言い方である。」と注します。
この注は、孟子の本文の「之」が「丸いもの」を指すと解釈されてもしかたのない説明かなと思います。

『岩波文庫 孟子』(小林勝人,岩波書店1968)は、「天下を治めることは珠でも手のひらにのせてころがすように、いともたやすいことだ。」と訳しています。

『全釈漢文大系2 孟子』(集英社1973)は、「天下を治めることなど、手のひらで物を転がすように容易である。」と訳し、「手のひらで転がすことができる。つまり容易なこと。」と注しています。

『漢詩・漢文解釈講座7 思想Ⅲ 諸子』(昌平社1995)は、「天下を治めることは、手のひらの上で物をころがすように容易である。」と訳し、「つまり容易なこと、物事を自由にできることのたとえ。『掌』は、手のひら。」と注し、この句とほぼ同じ表現が『孟子』に見えることを指摘しています。

『研究資料漢文学1 思想1』(明治書院2003)は、「天下(人民)を治めること(など)、物を手のひらの上で転がすように極めてたやすいことである。」と訳し、「物を手のひらの上で転がすように極めてたやすいことである。極めて容易にできることのたとえとして、常套的な表現。」と注し、同様の例が他に『孟子』『論語』に見られることを述べています。

私が見られる限りの現行の書籍では、「之」の指示内容を明確に述べたものはなく、訳や注からは「丸いもの」を指すかのような記述になっています。

古い参考書もいくつか目を通しましたが、概ね同様の記述です。
唯一、簡野道明『孟子通解』(明治書院1925)のみが、「天下なりと雖も、之を治むることの極めて容易なることは、猶ほ之を掌の上に自由に運転せるが如きを得ん。」と述べていて、丸いものなど何か別のものを指すかのような記述ではありませんでした。
文脈的には「之」の指示内容は「之を治むることの極めて容易なること」になるかと思いますが、明確にそう述べられているわけではありません。

江戸以前の書も一応見てみましたが、これについて触れてあるものは見つかりませんでした。
また、中国の諸注釈も目を通しましたが、「之」が何を指すかについてはっきり述べてあるものはなく、概ね何かものを手のひらの上で転がすように容易だという説明ばかりでした。
高等学校の教科書指導書にはどう説明されているか引用したいところですが、検索エンジンのペナルティを考えると、やめておいた方がよいように思われます。
おそらく大丈夫だろうと思う一社のみ紹介すると、「世の中を統治することは、手のひらの上で物を転がすように容易である。」と訳し、「『運』はころがすという意味。『掌』はてのひらのこと。物をてのひらで転がすようにたやすいという意味。『不忍人之心』による政治を行うと、なぜ天下を容易に治められるかは書かれていないが、『不忍人之心』によって、人々の心も自然と政治を信頼するようになるのである。」と注されていて、やはり「之」が直接なにを指すかについては触れてありません。

いったい「之」という語が、前にも後にも述べられていない「特定のもの」(ここでは「丸」)を指すということなどあるのでしょうか。
中国の語法学では一般に「之」は人や事物を指す代詞とみなされ、日本の辞書の中にもそう述べられているものがいくつかあります。

しかし、「之」の働きは「是」や「此」などの代詞とは明確に異なり、それ自体に実質的な意味はなく、前後に述べられた語や語句、あるいは文を指してそれ自体に実質的な意味を補います。
たとえば、

・范増数目項王、挙所佩玉玦、以示者三。(史記・項羽本紀)
(▼范増数(しばしば)項王に目し、佩ぶる所の玉玦を挙げて、以て之に示す者三たびす。)
(▽范増は何度も項王に目配せし、腰につけた玉玦を持ち上げて、これに示すことが三度であった。)

の場合、「示之」の「之」は「これ」と訓じてはいますが、それ自体には実質的な意味はなく、前の「項王」によって意味が補われて実質化しています。
これがもし「示此」や「示是」であれば、すでに示す対象が「項王」であることは明らかなのに、「項王に目配せし、…この人に示す」と表現することになり、不可能ではないものの極めて不自然でくどい表現になってしまいます。
「此」「是」がもつ近称の代詞としての実質的な意味が邪魔をするからです。
本邦の辞書にも、「之」を人称代詞、指示代詞と説明してあるものが複数ありますが、本来そのような語ではないと思います。
この例は「項王に目配せし、…示すことが三度であった」と訳す方がむしろ文意に近いでしょう。

このような「之」の働きを松下大三郎は「寄生」といい、「之」を寄生形式名詞として、代名詞「此」「是」と明確に区別しています。

一方、松下氏は寄生形式名詞「之」の2つめの用法として、「非寄生態」を指摘しています。

・知者不如好者。好者不如楽者。(論語・雍也)
(▼之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず。)
(▽知るは好むに及ばない。好むは楽しむに及ばない。)

この例の場合、「これを知る」「これを好む」「これを楽しむ」と読んではいますが、「之」は前後のなにものにも寄生していません。
いわば「知る」もの、「好む」もの、「楽しむ」ものなら何でもいいわけです。
これが「之」の非寄生態です。
しかし、非寄生態の「之」が前後に何も述べられていない状態で「特定の何か」を指すことなどあり得ないでしょう。

「治天下、可運之掌上。」は、先に引用した参考書にも指摘してあるように、同様の表現が同じ『孟子』の中に見えます。

・老吾老、以及人之老、幼吾幼、以及人之幼、天下可運於掌(孟子・梁恵王上)
(▼吾が老を老として、以て人の老に及ぼし、吾が幼を幼として、以て人の幼に及ぼさば、天下掌に運らすべし。)
(▽自分の老者(=たとえば父母)を老いたるものとして(敬し)、他人の老者に(その心を)及ぼし、自分の幼者(=たとえば子供)を幼いものとして(慈しみ)、他人の幼者に(その心を)及ぼせば、天下は手のひらでめぐらすことができる。)

この例とても「物を掌上にのせてころがすようなものだ」(『新釈漢文大系4 孟子』)と訳してあったりするのですが…
しかし、この文をわかりやすく理解するために「物を掌上にのせて」と喩えて説明することはあっても、さすがに「物」にあたる語が文中にあるとは言えないでしょう。
そして、この例は「手のひらでめぐらす」という表現に「之」が必ずしも要らないことを示してもいます。

「天下可運於掌」という文において、「天下」は「可運」の客体、すなわち「めぐらされるもの」に相当します。
この「天下」のような語を現在の語法学では一般に受事主語といいますが、本来客体として「運」の後に置かれる語が、作用の客体の提示として前に置かれたものです。
謂語が「可A」(Aすべし)である時、Aの客体をBとすると、一般に「可AB」(BをAすべし」という形はあまりとらず、「B可A」(BはAすべし)という形をとります。
たとえば、

・敗不可処、時不可失、忠不可棄、懐不可従。(国語・晋語4)
(▼敗は処(を)るべからず、時は失ふべからず、忠は棄つべからず、懐は従ふべからず。)
(▽敗れた国はいてはいけないし、時機は失ってはいけないし、忠義は捨ててはいけないし、私欲は従ってはいけない。)

この「敗」「時」「忠」「懐」はみな謂語の客体ですが、提示語として句頭に置かれています。
「時機を失ってはいけない」というのはよくある表現ですから、「不可失時」を検索にかけてみると、私のデータベースではわずか2例がヒットしました。
1例を挙げると、

・君急使使載幣陰迎孟嘗君、不可失時也。(史記・孟嘗君列伝)
(▼君急ぎ使ひをして幣を載せて陰(ひそ)かに孟嘗君を迎へしめよ、時を失ふべからざるなり。)
(君は急ぎ使者に贈り物を積んで孟嘗君を迎えさせませ、時機を失ってはいけません。)

一方、「時不可失」は50例以上がヒットし、この表現の方がよく用いられることがわかります。
だから謂語が「可A」(Aすべし)である時は、Aの客体Bは「B可A」(BはAすべし)の形をとるのだと言われるのですが、私はその傾向はあるにせよ、「不可失時」と「時不可失」は、そもそも意味するところが異なるのではないかと思っています。

「不可忘初心」(初心を忘るべからず)は語法的におかしい、それは「初心不可忘」というべきだと説かれているのを見たことがありますが、「不可忘初心」という表現が決して無理ではないことは、先の『史記・孟嘗君列伝』の例がはっきり示しています。
これは表現意図が異なるのであって、「不可忘初心」は単純に「初心」が「初めの心」という意味をもつと同時に、「忘」の後に置かれることで客体としての働きを示しています。
しかし、「初心不可忘」の場合は、その本来賓語として「忘」の後に置かれる「初心」が、謂語の前に提示され「『初めの心を』について」と、「不可忘」を修飾する形で用いられているものだと思います。

教科書によく取られている次の文も、

・胡可伐。(韓非子・説難)
(▼胡伐つべし。)

「可伐胡。」(胡を攻めるのがよい。)と表現できないわけではないけれども、「胡可伐。」と賓語「胡」を提示して、「『胡を』について攻めてよい。」という意味を表すのが本来だろうと思います。
「胡をば」と訳す方が自然かもしれませんが。

その意味で、このような「胡」は受事主語とされるけれども、本当のところは賓語を述語の前に提示したものでしょう。

さらに、「可A」からなる謂語の前にAの賓語Bを提示する時、謂語の後にBに寄生する「之」を置くこともあります。

・大木不可加薄牆之上。(管子・八観)
(▼大木は之を薄牆の上に加ふべからず。)
(▽大木はそれを薄い土塀に加えることはできない。)

・青荓予譲可謂友也。(呂氏春秋・季冬紀)
(▼青荓予譲は之を友と謂ふべきなり。)
(▽青荓と予譲はこれを友といえるのだ。)

これらの例の場合、「加」「謂」の賓語「大木」「青荓予譲」が謂語の前に提示されていますが、謂語の後の「之」は明らかに「大木」「青荓予譲」を指しています。
「治天下、可運之掌上。」の例も含めて、謂語の依拠性、生産性に対する客体を別にとっているもので、あるいはそういう場合の表現方法なのかもしれません。
ですが、「之」は、もちろん、前にも後にも述べられていない「特定のもの」を指してなどはいませんし、「丸」を指すなどということがあろうはずもありません。

「天下可運於掌」と表現することも可能なことについて、「治天下、可運之掌上」と表現した場合、「之」が前にも後にも述べられていない「特定のもの」、すなわち「丸」を指すというのは、どう考えてもおかしい。
私は「之」は、「治天下」を指しているのだと思います。

あるいは、あまりにも自明であるがゆえに、誰も述べていないだけなのかも知れませんが。


(※例によって、上記の思考および結論はいったん取り下げ、次エントリーで新たな見解を述べています。)

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