「知らず、生まれ死ぬる人…」は倒置か?・1
- 2022/05/06 17:00
- カテゴリー:漢文の語法
(内容:『方丈記』の「知らず、生まれ死ぬる人…」は倒置文か?ということの考察から、帰着性従属について考える、その1。)
教育実習生に2年生の古典の授業を担当してもらうことになり、『方丈記』の冒頭を見ていると、指導案に「『知らず』はどこを受けているか確認する。」という内容がありました。
これは、次の一節に対するものです。
・知らず、生まれ死ぬる人、いづ方より来たりて、いづ方へか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。
これがちょっとひっかかりました。
気になっていくつか手許の書籍を見てみると、漢文訓読体による倒置法で『……を知らず』の強調表現と述べられていたり、また、「生まれ死ぬる人、いづ方より来たりて、いづ方へか去る(を)知らず」という文の倒置だとも書かれています。
いくつか教師用の指導書を確認しましたが、総じて倒置法と説明してありました。
これがなぜひっかかったのかというと、ずっと以前に、このような「知らず」は倒置表現ではないという文章を読んだ記憶があったからです。
それと倒置に伴う「強調表現」という説明が、あれ?と思わせたのです。
これをそのまま漢文に直せば、「不知」は文頭に来るのであって、それを先に読んだからといって強調表現にはなるまいと思うし、そもそも「漢文訓読体」における強調表現と漢文そのものとは切り離して限定的に捉えるなら、なぜ「生まれ死ぬる人、いづ方より来たりて、いづ方へか去る(を)知らず」と表現していないのか、そのこと自体を考えてはいないと思うのです。
このようなことが気にかかったのは、かねてより「曰」(いはく)の用法について、考え続けているからです。
『論語・語法注解』を公開し、それに対して精査してくださったN氏のことは前エントリーでご紹介しましたが、その中に「A曰、B。」(A曰はく、Bと。)の形について、私がよく考えもせずに「ABと曰ふ」の構造を「曰」を先に読んだものに過ぎず、Bは「曰」の賓語と即断したことに、疑義を呈して下さっていました。
手近なところに、「曰」についての、最近の中国・日本の研究を見いだせず、考えあぐねていたのですが、それとこの「不知」が関連性があるように思えたのです。
私が以前読んだ書物は何だっただろうか…と、しばらく時間がかかりましたが、色々と情報を集めて、それが原田種成氏の『私の漢文講義』(大修館書店1995)であることがわかり、今は手許になかったので、早速取り寄せて読んでみました。
原田氏は、ある大学の入試問題に件の『方丈記』の文が示され、「不知(知らず)」とは何を知らないのであるのかという設問に驚き、手近にある教授用指導書でどのように解釈しているかを調べてみると、どれもこれも倒置法として解釈していると指摘しています。
その上で、
しかし、これは漢文脈をちょっと知っていれば、ここの「知らず」は「……がわからない」「……を知らない」の意ではなくして、「いったい……であろうか」という、疑問の気持を強調する働きを持つ、強めの修辞で、句末を疑問詞で結ぶ一種の発語であることは自明のことである。漢詩、漢文の中には実例が極めて多い。
と述べています。
そして例として、
・李白、洞庭に遊ぶ「日落ちて長沙秋色遠し、知らず何れの処にか湘君を弔わん」(いったい何処で湘水の神をとむらってよいものだろうか)
・李白、秋浦の歌「知らず明鏡の裏、何れの処よりか秋霜を得たる」(明るい鏡の中の頭へ、いったい何処から秋の霜がふって来たのであろうか)
などの6例を挙げて、
これらの例を倒置法と解してしまったのでは文脈を正しく理解することはできない。試みに方丈記のこの条を、倒置法として「……がわからない」とは訳さずして、「いったい……であろうか」と訳してみれば、どんなにスッキリすることであろうか。
とします。
私的には氏の「これらの例を倒置法と解してしまったのでは」という一節について、これらの例のどこが倒置法なのかよくわからない思いはするのですが。
かりに「Aを知らない」「Aがわからない」という文を漢文にした場合、「不知A」となり、「不知」が先に来るのが正規の語順ですから。
しかし、原田氏がよもやそんなわかりきったことを誤って述べられるはずもなく、おそらくは、このような「不知、[疑問]」の用法を、[疑問]の部分が謂語「不知」の賓語ではないと主張しておられるのでしょう。
氏は、
しかし、これでもまだ、いや倒置法である。李白の詩の場合も「何処で湘水の神をとむらってよいものかわからない」と訳せるではないかと主張する人もあるであろう。そこで、どうしても倒置法としては訳せない例を次に示そう。
として、3例挙げて説明しておられます。
ここではその中から1例を挙げてみましょう。
・孟子、梁恵王上「臣これを胡齕(ここつ)に聞けり。曰く『王、堂上に坐せり。牛を牽(ひ)いて堂下を過ぐる者あり。王、これを見て曰く「牛何(いず)くにゆく」と。対えて曰く「将に鐘に釁(ちぬ)らんとす」と。王曰く「これを舎(お)け。吾、その觳觫(こくそく)として罪なくして死地に就くが若くなるに忍びず」と。対えて曰く「然らば則ち鐘に釁ることを廃止せんか」と。曰く「何ぞ廃すべけんや、羊をもつてこれに易(か)えよ」と』識(し)らず、これありや」
この例に対して、氏は、
ここは「不識」を用いて「不知」ではないが文脈は同じである。孟子が斉の宣王に「……王様は羊をもって牛に易えよとおっしゃそうですが、いったいそんなことがありましたのですか」と次に展開すべき議論のために、だめを押して尋ねたのである。これを倒置法として「これあるを識らず(そういうことがあったことを知りません)」とは訳すことはできない。
と断じています。
氏は強い口調で「……を知らない」「……がわからない」する理解を、厳しく批判しています。
ですから、それに反論したり、疑いをもって臨んでは、それこそお叱りを受けてしまうかもしれませんが、私はそれでも氏の主張を、まずは本当だろうか?と疑ってみたい気持ちを強くもちます。
まず、氏が倒置法としては訳せない例とした「識らず、これありや」ですが、「これあるを識らず(そういうことがあったことを知りません)」と訳すことはできないのは確かにその通りですが、知ってか知らずか「これがあったのかを知りません」「これがあったのかがわかりません」とは訳していません。
孟子の本文は「不識有諸」です。
「諸」は「之乎」ですから、疑問の語気が含まれています。
倒置法として訳せないというなら、「これがあったのかを知りません」と訳した上で論じなければ、お話にならないでしょう。
氏は他に、
・孟子、公孫丑上(筆者注:これは誤りで、公孫丑下)「(省略)識らず、寡人をして見ることを得しむべきか」
・孟子、万章上「(省略)識らず、この語 誠に然るか」
を挙げていますが、これには訳はなく、「これらは皆倒置法では解釈することができない」と断ずるばかりです。
これらも「私に会うことができるようにさせてもらえるかがわからない」、「この言葉が本当にそうであるかがわからない」として、相手に判断を委ねる表現とみなせば、通らないことはないと思います。
断っておきますが、私がそう判断し、この構造を氏のいう倒置とみなしているわけではありません。
ただ、私が言いたいのは、この説明では「これでもまだ、いや倒置法であると主張する人」を納得させることはできないということです。
お叱りを覚悟して言うなら、これらの人を納得させるためには、訳をごまかしたりせず、なぜ倒置法ではないのかを、きちんと説明する必要があるのではないかと思います。
今、私の頭の中にあるのは、『標準漢文法』に書かれている「帰着性従属」の一語です。
それがずっと私をモヤモヤさせているわけです。
この「不知[疑問]」「不識[疑問]は、おそらくその構造でしょう。
原田氏の「『いったい』と訳すのは意訳ではなくして適訳である」を、いや、実は「適訳」ではなくして「意訳」ではあるまいか?と思ったりもするのですが…
公務が忙しく、なかなか考える時間が生まれてこない状況にはありますが、松下大三郎氏の「帰着性従属」を紹介し、検討してみたいと思います。
懸案の「曰はく」の働きも本当にそれで説明できるのか… 考えてみたいと思います。
少しずつですが。
教育実習生に2年生の古典の授業を担当してもらうことになり、『方丈記』の冒頭を見ていると、指導案に「『知らず』はどこを受けているか確認する。」という内容がありました。
これは、次の一節に対するものです。
・知らず、生まれ死ぬる人、いづ方より来たりて、いづ方へか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。
これがちょっとひっかかりました。
気になっていくつか手許の書籍を見てみると、漢文訓読体による倒置法で『……を知らず』の強調表現と述べられていたり、また、「生まれ死ぬる人、いづ方より来たりて、いづ方へか去る(を)知らず」という文の倒置だとも書かれています。
いくつか教師用の指導書を確認しましたが、総じて倒置法と説明してありました。
これがなぜひっかかったのかというと、ずっと以前に、このような「知らず」は倒置表現ではないという文章を読んだ記憶があったからです。
それと倒置に伴う「強調表現」という説明が、あれ?と思わせたのです。
これをそのまま漢文に直せば、「不知」は文頭に来るのであって、それを先に読んだからといって強調表現にはなるまいと思うし、そもそも「漢文訓読体」における強調表現と漢文そのものとは切り離して限定的に捉えるなら、なぜ「生まれ死ぬる人、いづ方より来たりて、いづ方へか去る(を)知らず」と表現していないのか、そのこと自体を考えてはいないと思うのです。
このようなことが気にかかったのは、かねてより「曰」(いはく)の用法について、考え続けているからです。
『論語・語法注解』を公開し、それに対して精査してくださったN氏のことは前エントリーでご紹介しましたが、その中に「A曰、B。」(A曰はく、Bと。)の形について、私がよく考えもせずに「ABと曰ふ」の構造を「曰」を先に読んだものに過ぎず、Bは「曰」の賓語と即断したことに、疑義を呈して下さっていました。
手近なところに、「曰」についての、最近の中国・日本の研究を見いだせず、考えあぐねていたのですが、それとこの「不知」が関連性があるように思えたのです。
私が以前読んだ書物は何だっただろうか…と、しばらく時間がかかりましたが、色々と情報を集めて、それが原田種成氏の『私の漢文講義』(大修館書店1995)であることがわかり、今は手許になかったので、早速取り寄せて読んでみました。
原田氏は、ある大学の入試問題に件の『方丈記』の文が示され、「不知(知らず)」とは何を知らないのであるのかという設問に驚き、手近にある教授用指導書でどのように解釈しているかを調べてみると、どれもこれも倒置法として解釈していると指摘しています。
その上で、
しかし、これは漢文脈をちょっと知っていれば、ここの「知らず」は「……がわからない」「……を知らない」の意ではなくして、「いったい……であろうか」という、疑問の気持を強調する働きを持つ、強めの修辞で、句末を疑問詞で結ぶ一種の発語であることは自明のことである。漢詩、漢文の中には実例が極めて多い。
と述べています。
そして例として、
・李白、洞庭に遊ぶ「日落ちて長沙秋色遠し、知らず何れの処にか湘君を弔わん」(いったい何処で湘水の神をとむらってよいものだろうか)
・李白、秋浦の歌「知らず明鏡の裏、何れの処よりか秋霜を得たる」(明るい鏡の中の頭へ、いったい何処から秋の霜がふって来たのであろうか)
などの6例を挙げて、
これらの例を倒置法と解してしまったのでは文脈を正しく理解することはできない。試みに方丈記のこの条を、倒置法として「……がわからない」とは訳さずして、「いったい……であろうか」と訳してみれば、どんなにスッキリすることであろうか。
とします。
私的には氏の「これらの例を倒置法と解してしまったのでは」という一節について、これらの例のどこが倒置法なのかよくわからない思いはするのですが。
かりに「Aを知らない」「Aがわからない」という文を漢文にした場合、「不知A」となり、「不知」が先に来るのが正規の語順ですから。
しかし、原田氏がよもやそんなわかりきったことを誤って述べられるはずもなく、おそらくは、このような「不知、[疑問]」の用法を、[疑問]の部分が謂語「不知」の賓語ではないと主張しておられるのでしょう。
氏は、
しかし、これでもまだ、いや倒置法である。李白の詩の場合も「何処で湘水の神をとむらってよいものかわからない」と訳せるではないかと主張する人もあるであろう。そこで、どうしても倒置法としては訳せない例を次に示そう。
として、3例挙げて説明しておられます。
ここではその中から1例を挙げてみましょう。
・孟子、梁恵王上「臣これを胡齕(ここつ)に聞けり。曰く『王、堂上に坐せり。牛を牽(ひ)いて堂下を過ぐる者あり。王、これを見て曰く「牛何(いず)くにゆく」と。対えて曰く「将に鐘に釁(ちぬ)らんとす」と。王曰く「これを舎(お)け。吾、その觳觫(こくそく)として罪なくして死地に就くが若くなるに忍びず」と。対えて曰く「然らば則ち鐘に釁ることを廃止せんか」と。曰く「何ぞ廃すべけんや、羊をもつてこれに易(か)えよ」と』識(し)らず、これありや」
この例に対して、氏は、
ここは「不識」を用いて「不知」ではないが文脈は同じである。孟子が斉の宣王に「……王様は羊をもって牛に易えよとおっしゃそうですが、いったいそんなことがありましたのですか」と次に展開すべき議論のために、だめを押して尋ねたのである。これを倒置法として「これあるを識らず(そういうことがあったことを知りません)」とは訳すことはできない。
と断じています。
氏は強い口調で「……を知らない」「……がわからない」する理解を、厳しく批判しています。
ですから、それに反論したり、疑いをもって臨んでは、それこそお叱りを受けてしまうかもしれませんが、私はそれでも氏の主張を、まずは本当だろうか?と疑ってみたい気持ちを強くもちます。
まず、氏が倒置法としては訳せない例とした「識らず、これありや」ですが、「これあるを識らず(そういうことがあったことを知りません)」と訳すことはできないのは確かにその通りですが、知ってか知らずか「これがあったのかを知りません」「これがあったのかがわかりません」とは訳していません。
孟子の本文は「不識有諸」です。
「諸」は「之乎」ですから、疑問の語気が含まれています。
倒置法として訳せないというなら、「これがあったのかを知りません」と訳した上で論じなければ、お話にならないでしょう。
氏は他に、
・孟子、公孫丑上(筆者注:これは誤りで、公孫丑下)「(省略)識らず、寡人をして見ることを得しむべきか」
・孟子、万章上「(省略)識らず、この語 誠に然るか」
を挙げていますが、これには訳はなく、「これらは皆倒置法では解釈することができない」と断ずるばかりです。
これらも「私に会うことができるようにさせてもらえるかがわからない」、「この言葉が本当にそうであるかがわからない」として、相手に判断を委ねる表現とみなせば、通らないことはないと思います。
断っておきますが、私がそう判断し、この構造を氏のいう倒置とみなしているわけではありません。
ただ、私が言いたいのは、この説明では「これでもまだ、いや倒置法であると主張する人」を納得させることはできないということです。
お叱りを覚悟して言うなら、これらの人を納得させるためには、訳をごまかしたりせず、なぜ倒置法ではないのかを、きちんと説明する必要があるのではないかと思います。
今、私の頭の中にあるのは、『標準漢文法』に書かれている「帰着性従属」の一語です。
それがずっと私をモヤモヤさせているわけです。
この「不知[疑問]」「不識[疑問]は、おそらくその構造でしょう。
原田氏の「『いったい』と訳すのは意訳ではなくして適訳である」を、いや、実は「適訳」ではなくして「意訳」ではあるまいか?と思ったりもするのですが…
公務が忙しく、なかなか考える時間が生まれてこない状況にはありますが、松下大三郎氏の「帰着性従属」を紹介し、検討してみたいと思います。
懸案の「曰はく」の働きも本当にそれで説明できるのか… 考えてみたいと思います。
少しずつですが。