「亦」について・3
- 2021/06/11 16:50
- カテゴリー:漢文の語法
(内容:「亦」の働きと意味について考察する。その3。)
前エントリーまで、「亦」が限定を表すかという問題について論じてきました。
次に私が学生時代に読み、なるほど「亦~而已矣」の「亦」は「たダ」と読んで限定を表すのだと知って驚いた岩波文庫『孟子』の、小林勝人氏の記述について考えてみたいと思います。
氏は「梁恵王章句上」の「亦有仁義而已矣。」の部分に、次のように注しています。
亦の字、趙岐は亦惟をもってこれを釈き、群書治要は惟を唯に作っておる。亦の字は普通は上文を承けて「も亦」とよまれるが、ここでは上文を承けていない独立の助字と見なして、本書の旧版(昭和十一年刊行)においてはじめて「ただ」と訓じておいた。なお、滕文公上篇第四章の「亦不用於耕耳」および告子下篇第二章の「爰有於是、亦為之而已矣」・同篇第六章の「君子亦仁而已矣」などの亦の字も、同じくまた「ただ」とよむのがよい。
「はじめて『ただ』と訓じておいた」というくだりに、氏の自分が初めてそれを論じたのだといわんばかりの口吻を感じるし、この勢いに押されてそうなのかと思ってしまいそうな気もするのですが。
まず、趙岐の注を見ましょう。
『十三経注疏校勘記』によれば、諸本文字異同があるようで、
・「亦有仁義之道」,閩、監、毛本同,宋本「亦」下有「惟」字,廖本、岳本「道」下有「者」字,孔本、韓本、考文古本作「亦惟有仁義之道者」。
との記載に従えば、小林氏が見たのは宋本ということになるのですが、そうすると、趙岐の注は次のようになります。
・孟子知王欲以富国強兵為利、故曰、王何以利為名乎、亦惟有仁義之道可以為名。
(▼孟子王の富国強兵を以て利と為すを知り、故に曰はく、王何ぞ利を以て名と為すや、[亦]惟だ仁義の道以て名と成すべき有るのみと。
▽孟子は王が富国強兵を利としているのを知ったから、王はなぜ利を名分とするのか、[亦]ただ仁義の道を名分とすべきことあるのみですと言った。)
小林氏は『孟子』本文が「亦有仁義而已矣」とある部分が、趙岐の注では「亦」が「亦惟」となっているから、「亦」を「ただ」とよむのがよいと主張しているわけです。
しかし、「而已矣」に呼応しているのは「惟」であって、「亦」は「やはり」と解すればよいのではないでしょうか。
つまり、「やはりただ仁義があるのみです」です。
趙岐は「而已矣」による限定の文意を明確にするために「惟」を補ったのでしょう。
「亦」が「惟」の意だと考えていたなら、「惟有仁義之道可以為名」と書き換えていたはずです。
氏が指摘する『群書治要』には、次のようになっています。
・亦惟有仁義之道可以為名耳。(群書治要・巻37)
先の趙岐の注に見られない「耳」が文末に置かれ、「唯」が「惟」になっていますが、これも「亦」が置き換えられたわけではありません。
「亦」は「亦」として機能しているからこそ、「唯」や「惟」単独に置き換えられていないのではないでしょうか。
失礼ながら、これだけでは小林氏の主張は成立しないと考えます。
「亦」が限定の意味を表すかという考察の最後に、解恵全 等による『古書虚詞通解』の記述を引用します。
此项诸例“亦”句句末大多有表示限止的语气词“耳”“已”“而已”,其实“亦”还是也,虽说可以译为只、特、但、不过,那也是受句意和句尾语气词的影响所致。
(この項の諸例は“亦”句の句末にほぼ限定を表す語気詞“耳”“已”“而已”があり、実際のところ“亦”はやはりである、只、特、但(ただ)、不過(過ぎない)と訳せるとはいえ、それらは句意や句末の語気詞の影響によるものである。)
私の出した結論と同じですね。
次に、検証すべきは、予期と逆になることを表し「かえって」などと訳されるとする「亦」です。
虚詞詞典、たとえば『古代漢語虚詞詞典』(中国社会科学院語言研究所古代漢語研究室編、商務印書館2012)に示されている例を1つ挙げると、次の通りです。
・上帝不神、祝亦無益。(晏子春秋・内篇諫上)
(▼上帝神ならずんば、祈るも亦た益無し。)
これを「天帝が神明でないならば、祈ってもかえって無益である。」と解するわけですね。
これも例文だけを見れば、なるほど「亦」は「かえって」という意味なのか…と納得してしまいそうです。
限定の例の場合と同じく、虚詞詞典を見た学生や先生方が、そうなのだと信じてしまう記述になっています。
はたしてどうでしょうか?
原典にあたってみましょう。
斉の景公が皮膚のかゆくなる病気にかかり、あわせて瘧(熱病)にもかかって、一年経っても良くなりませんでした。
景公は史官と、主人のために幸いを祈る祝官に山川宗廟を祀らせ、平癒を祈らせましたが、治るどころか悪化するばかり。
景公は史官と祝官を殺して上帝に申し開きをしようと考え、晏子に意見を聞きます。
すると晏子は「祈ることに益があるとお考えでしょうか?」と言うので、景公はそう思うと答えます。
晏子は「祈ることに益する力があるなら、呪うことにも害を与える力があるはずです。主君が家臣を疎んじ遠ざければ、誰も諫言をしなくなります。そもそも国民の多くが政治を恨んでいるのに、あの2人が祈るだけでは呪いに勝てません。そのうえ祈りの際に、本当のことを言えば主君を誹ることになり、過ちを隠せば上帝を欺くことになります。上帝が神明であれば欺くことはできないし、…」
この晏子の言葉の続きが例文「上帝不神、祝亦無益」です。
話の流れからもう明らかなように、「祝亦無益」は「祈ってもやはり益がない」です。
つまり、「上帝が神明であれば、祈りの嘘がばれて、益がない」という条件文に対して、別の条件の場合でも同じ結果になることを示す「亦」(~もやはり)の用法です。
別に転じた事情になるわけではなく、「無益」という同じ結果になるわけです。
長々と論じてきましたが、虚詞に限らず、字の意味や機能を考えるとき、合理的に説明がつくからこの字にその意味や機能があると考えることは、大変危険なことです。
それはそう解する方がわかりやすいということから起きるのだと思いますが、字の働きや意味を、その字本来の働きや意味から離れて、文脈から合理的に解釈しようということに対する危険性の指摘です。
そして大いに矛盾したことを言うようですが、同時に文脈から字の働きや意味を冷静に分析することも重要だと思うのです。
中国の虚詞詞典に載せられている例文は、複数の書において同例であることが極めて多いのですが、一つひとつ丹念に例として妥当であるかどうかを、執筆者が確認せずに引き写していることもあるのではないかと懸念します。
しかし、そのことは同時に私自身への戒めでもあります。
過去のエントリーやページエントリーに、誤りはたくさんあるはずです。
恥をさらしても、誤りは正し、そのことを皆さんに報告しなければならないと考えます。
「則」字についての「『鴻門の会』・語法注解」の誤り、「亦」字についての過去エントリー「『羿に』罪があるのか、『羿にも』罪があるのか?」の誤りは、近々訂正したいと思います。
前エントリーまで、「亦」が限定を表すかという問題について論じてきました。
次に私が学生時代に読み、なるほど「亦~而已矣」の「亦」は「たダ」と読んで限定を表すのだと知って驚いた岩波文庫『孟子』の、小林勝人氏の記述について考えてみたいと思います。
氏は「梁恵王章句上」の「亦有仁義而已矣。」の部分に、次のように注しています。
亦の字、趙岐は亦惟をもってこれを釈き、群書治要は惟を唯に作っておる。亦の字は普通は上文を承けて「も亦」とよまれるが、ここでは上文を承けていない独立の助字と見なして、本書の旧版(昭和十一年刊行)においてはじめて「ただ」と訓じておいた。なお、滕文公上篇第四章の「亦不用於耕耳」および告子下篇第二章の「爰有於是、亦為之而已矣」・同篇第六章の「君子亦仁而已矣」などの亦の字も、同じくまた「ただ」とよむのがよい。
「はじめて『ただ』と訓じておいた」というくだりに、氏の自分が初めてそれを論じたのだといわんばかりの口吻を感じるし、この勢いに押されてそうなのかと思ってしまいそうな気もするのですが。
まず、趙岐の注を見ましょう。
『十三経注疏校勘記』によれば、諸本文字異同があるようで、
・「亦有仁義之道」,閩、監、毛本同,宋本「亦」下有「惟」字,廖本、岳本「道」下有「者」字,孔本、韓本、考文古本作「亦惟有仁義之道者」。
との記載に従えば、小林氏が見たのは宋本ということになるのですが、そうすると、趙岐の注は次のようになります。
・孟子知王欲以富国強兵為利、故曰、王何以利為名乎、亦惟有仁義之道可以為名。
(▼孟子王の富国強兵を以て利と為すを知り、故に曰はく、王何ぞ利を以て名と為すや、[亦]惟だ仁義の道以て名と成すべき有るのみと。
▽孟子は王が富国強兵を利としているのを知ったから、王はなぜ利を名分とするのか、[亦]ただ仁義の道を名分とすべきことあるのみですと言った。)
小林氏は『孟子』本文が「亦有仁義而已矣」とある部分が、趙岐の注では「亦」が「亦惟」となっているから、「亦」を「ただ」とよむのがよいと主張しているわけです。
しかし、「而已矣」に呼応しているのは「惟」であって、「亦」は「やはり」と解すればよいのではないでしょうか。
つまり、「やはりただ仁義があるのみです」です。
趙岐は「而已矣」による限定の文意を明確にするために「惟」を補ったのでしょう。
「亦」が「惟」の意だと考えていたなら、「惟有仁義之道可以為名」と書き換えていたはずです。
氏が指摘する『群書治要』には、次のようになっています。
・亦惟有仁義之道可以為名耳。(群書治要・巻37)
先の趙岐の注に見られない「耳」が文末に置かれ、「唯」が「惟」になっていますが、これも「亦」が置き換えられたわけではありません。
「亦」は「亦」として機能しているからこそ、「唯」や「惟」単独に置き換えられていないのではないでしょうか。
失礼ながら、これだけでは小林氏の主張は成立しないと考えます。
「亦」が限定の意味を表すかという考察の最後に、解恵全 等による『古書虚詞通解』の記述を引用します。
此项诸例“亦”句句末大多有表示限止的语气词“耳”“已”“而已”,其实“亦”还是也,虽说可以译为只、特、但、不过,那也是受句意和句尾语气词的影响所致。
(この項の諸例は“亦”句の句末にほぼ限定を表す語気詞“耳”“已”“而已”があり、実際のところ“亦”はやはりである、只、特、但(ただ)、不過(過ぎない)と訳せるとはいえ、それらは句意や句末の語気詞の影響によるものである。)
私の出した結論と同じですね。
次に、検証すべきは、予期と逆になることを表し「かえって」などと訳されるとする「亦」です。
虚詞詞典、たとえば『古代漢語虚詞詞典』(中国社会科学院語言研究所古代漢語研究室編、商務印書館2012)に示されている例を1つ挙げると、次の通りです。
・上帝不神、祝亦無益。(晏子春秋・内篇諫上)
(▼上帝神ならずんば、祈るも亦た益無し。)
これを「天帝が神明でないならば、祈ってもかえって無益である。」と解するわけですね。
これも例文だけを見れば、なるほど「亦」は「かえって」という意味なのか…と納得してしまいそうです。
限定の例の場合と同じく、虚詞詞典を見た学生や先生方が、そうなのだと信じてしまう記述になっています。
はたしてどうでしょうか?
原典にあたってみましょう。
斉の景公が皮膚のかゆくなる病気にかかり、あわせて瘧(熱病)にもかかって、一年経っても良くなりませんでした。
景公は史官と、主人のために幸いを祈る祝官に山川宗廟を祀らせ、平癒を祈らせましたが、治るどころか悪化するばかり。
景公は史官と祝官を殺して上帝に申し開きをしようと考え、晏子に意見を聞きます。
すると晏子は「祈ることに益があるとお考えでしょうか?」と言うので、景公はそう思うと答えます。
晏子は「祈ることに益する力があるなら、呪うことにも害を与える力があるはずです。主君が家臣を疎んじ遠ざければ、誰も諫言をしなくなります。そもそも国民の多くが政治を恨んでいるのに、あの2人が祈るだけでは呪いに勝てません。そのうえ祈りの際に、本当のことを言えば主君を誹ることになり、過ちを隠せば上帝を欺くことになります。上帝が神明であれば欺くことはできないし、…」
この晏子の言葉の続きが例文「上帝不神、祝亦無益」です。
話の流れからもう明らかなように、「祝亦無益」は「祈ってもやはり益がない」です。
つまり、「上帝が神明であれば、祈りの嘘がばれて、益がない」という条件文に対して、別の条件の場合でも同じ結果になることを示す「亦」(~もやはり)の用法です。
別に転じた事情になるわけではなく、「無益」という同じ結果になるわけです。
長々と論じてきましたが、虚詞に限らず、字の意味や機能を考えるとき、合理的に説明がつくからこの字にその意味や機能があると考えることは、大変危険なことです。
それはそう解する方がわかりやすいということから起きるのだと思いますが、字の働きや意味を、その字本来の働きや意味から離れて、文脈から合理的に解釈しようということに対する危険性の指摘です。
そして大いに矛盾したことを言うようですが、同時に文脈から字の働きや意味を冷静に分析することも重要だと思うのです。
中国の虚詞詞典に載せられている例文は、複数の書において同例であることが極めて多いのですが、一つひとつ丹念に例として妥当であるかどうかを、執筆者が確認せずに引き写していることもあるのではないかと懸念します。
しかし、そのことは同時に私自身への戒めでもあります。
過去のエントリーやページエントリーに、誤りはたくさんあるはずです。
恥をさらしても、誤りは正し、そのことを皆さんに報告しなければならないと考えます。
「則」字についての「『鴻門の会』・語法注解」の誤り、「亦」字についての過去エントリー「『羿に』罪があるのか、『羿にも』罪があるのか?」の誤りは、近々訂正したいと思います。