『馬童面之』は顔を背けたのか?
- 2020/11/11 07:38
- カテゴリー:漢文の語法
(内容:『史記』項羽本紀のいわゆる「項王の最期」で「馬童面之」とあり、呂馬童は「顔をそむけた」と解されているが、これは反訓で解するべきか考察する。)
『史記・項羽本紀』のいわゆる「項王の最期」は、「鴻門の会」や「四面楚歌」と並んで、必ず教科書にもとられている定番教材です。
ですから、2年生の古典を受け持てば、必ず扱うことになるのですが、依然としてまだよくわからないことはたくさんあります。
その中で、今年気になったことの一つ、「馬童面之」を取り上げてみましょう。
調べていてわかったことを述べるだけで、自分が何か発見したり解明できたわけではありません。
それでも、何かの参考になればと思って書いてみます。
・顧見漢騎司馬呂馬童曰、「若非吾故人乎。」馬童面之、指王翳曰、「此項王也。」
(▼顧みて漢の騎司馬呂馬童を見て曰はく、「若(なんぢ)は吾が故人に非ずや。」と。馬童之に面し、王翳に指(さ)して曰はく、「此れ項王なり。」と。
▽振り返って漢の騎兵部隊の長・呂馬童を見て言うことには、「お前は私の旧友ではないか。」と。呂馬童はこれに[面]し、(味方の)王翳に指さして言うことには、「これが項王だ」と。)
この「馬童面之」が問題で、どの会社の教科書も「馬童は顔を背け」と訳しています。
ある指導書に丁寧に説明してありました。
「面」はここでは、顔を背けるの意。「顔」「向かう」の意の「面」を「そむく」と読むのは反訓による。反訓とは「乱」を「治」、「廃」を「置」、「離」を「着」のように、文字を本義とは正反対の意味に用いる漢文のレトリックの一つ。項羽から「お前は昔なじみじゃないか」と言われて、漢の追っ手であった呂馬童もさすがに恥じ、顔を背けたのであろうと解釈するわけである。しかしこれには異説もあり、人情の自然から言えば顔を背けてしかるべきところを、そうしないで向かっていった呂馬童の厚顔ぶりを皮肉ろうとしている表現とも読める。会注考証には、集解に「面、不正視」とあるほかは、全て「面と向かう」意味の用例をあげている。
「面」を「背く」とするのは反訓だと、きちんと説明されています。
別の指導書には、「異説」として、
「顔を背ける」と注したのは伝統的な注の一つである『史記集解』の説による。「若は吾が故人に非ずや」と項羽が思わず言ったように、呂馬童は項羽と旧知の関係であるがゆえに正視して斬りかかることができず、顔をそむけたととる。一方、『史記会注考証』に引く劉攽(りゅうはん)洪頤煊(こういけん)の説では「向かう」の意とし、顔をそむけず直視する解をとる。洪頤煊は直視して項羽だと知ったがゆえに王翳に指さして項羽だと知らせたのだという。伝統的解釈に従ったが、最近では後者の説も有力である。
と説明されています。
「面」をなぜ「背く」の意に解するのかは直接的に述べられていませんが、「伝統的な注」の説によったとしたわけです。
先の指導書にある「反訓」は、別に創案ではなく、『史記』の参考書に書かれていることです。
ですが、「面」を反訓と片付けるのは、本当にそれでいいのだろうかという気がしてきます。
そもそも1つの言葉が、どんな事情があるにせよ、その正反対の意味を表したのでは、明らかに困る事態だと思うのです。
それがコミュニケーション上のことならなおさらです。
「私は桃を食べる」と言ったのに、実は「私は桃を食べない」という意味なのだとなれば、もう大混乱です。
まあ、確かに、「私はまだまだ何もわかっていない」というのは、わかっていると思い込んでいる人よりも「わかっている」という自負を背景にすることもあるので、人の感覚としてはあるかもしれない表現ではあるのですが。
嫌い嫌いも好きのうちなんてのもありますね。
しかし、感覚としてそのように受け取ることもできることでも、客観的に書かれた文章に、そのような正反対の意味で表現することはやはり不適切であろうと思うのです。
反訓の代表例として挙げられる「乱」は、「乱れる・乱す」という意味と、その真逆の「治まる・治める」という意味の2つをもっています。
・武王曰、「予有乱臣十人。」(論語・泰伯)
(▼武王曰はく、「予に乱臣十人有り。」と。
▽武王が「私には治めてくれる十人の家臣がいる。」と言った。)
この例は、前後の文意から功臣を指しており、いわゆる「乱臣」の意味では解し得ませえん。
武王の言葉は『尚書・泰誓中』にある同文を引用したもので、そうでなければ『論語』に「治めてくれる家臣」の意味で「乱臣」は用いられなかったはずです。
というのは、「乱」が「治」の意味で用いられるのは、西周時代に多く見られる用法だからです。
この反訓については、樋口靖氏の論文『いわゆる“反訓”について』(駒澤大学紀要)に分析されているので、詳しくはそちらを参照していただくとして、その由来を大雑把にいえば、原義と派生義の関係から反訓が起こるという説や、本来別の語が仮借によってたまたま同じ文字で表記されたとするもの、字義の相反する二字からなる語句があるが、そうなり得なかったものが一字で相反する意味をもつようになったとする説など、歴史的にさまざまな考え方があったことが紹介されています。
そして東晋の郭璞に始まる反訓説について、反訓と認められた例が、本当に反訓といえるものであるかどうかは疑わしいとしています。
「乱」の話に戻れば、これがなにゆえ「治」の意味を表すのかについては諸説があります。
たとえば、白川静氏は、旧字「亂」は、その左側の部分「𤔔」(らん)と右側の部分「乙」(いつ)から成り、
旧字は亂に作り、𤔔(らん)+乙(いつ)。𤔔は糸かせの上下に手を加えている形で、もつれた糸、すなわち乱れる意。乙は骨べら。これでもつれを解くので、亂はおさめる意。「亂(をさ)む」とよむべき字である。〔説文〕十四下に「治むるなり。乙に從ふ。乙は之れを治むるなり」という。〔段注〕にその文を誤りとし、紊乱の字であるから「治まらざるなり」と改むべしとする。字形からいえば、𤔔が乱れる、亂が治める意の字。のち亂に𤔔の訓を加え、「乱る」「治む」の両義があり、反訓の字とする説を生じたが、一つの文字が、同時に正反の二訓をもつということはない。(『字通』平凡社)
と述べています。
これによれば「乱」の2義を反訓とすること自体おかしいということになります。
また、藤堂明保氏も、𤔔を「もつれる」の意と解し、
乱の字は,右側に乙印をそえているが,これは軋アツと同義で,上からジッと抑える意味を表す。つまり,もつれをおさえて解決する意を加えたもので、<説文>がこの字を「治なり」と解したのは正しい。(『漢字語源辞典』學燈社)
と説明して、基本的には白川氏と同様の解釈です。
一方、黄生の『義府』巻下・面縛の条では、「古治字本作乿」(古は「治」の字はもと「乿」に作った)として、いわゆる反訓による解釈を「此蓋昧於字義之俗説」(これは思うに字義に暗い俗説である)としています。
そもそも字が違うというわけです。
このように諸説あり、反訓の代表例とされる「乱(亂)」自体が、果たして本当に反訓なのか疑わしくなります。
さて、本題に戻って、項羽本紀の「馬童面之」について考えてみましょう。
そもそも「面」を「顔を背ける」と解するのは、『史記集解』に引用する次の説によります。
・張晏曰、「以故人故、難視斫之、故背之。」如淳曰、「面、不正視也。」
(▼張晏曰はく、「故人の故を以て、之を視斫し難く、故に之に背く。」と。
▽張晏は「旧友であるために、見て斬りにくい、ゆえにこれに背を向けた。」という。如淳は「面とは、正視しないのである」という。)
この張晏の説が「背く」の根拠となるわけですが、「面」を「背く」と解する根拠は示されてはいません。
ちなみに、王叔岷は『史記斠證』で、この張晏の注が、『太平御覧』巻87で「難親斫之」(みずからこれを斬りにくく)になっていることを指摘し、字形が似ているために、後の如淳の注の「視」につられて誤ったものと解しています。
『漢書』注に顔師古が引用した張晏の注も「親」に作っています。
「見て斬る」ではなく、「自分で斬る」の意だったというわけですね。
顔師古は、張晏と如淳の注に対して、次のように評しています。
・如説非也、面謂背之、不面向也。面縛亦謂反偝而縛之。杜元凱以為但見其面、非也。
(▼如の説は非なり、面とは之に背くを謂ひ、面向せざるなり。面縛も亦た反偝して之を縛る。杜元凱以て但だ其の面を見ると為す、非なり。
▽如淳の説は誤っている、面とはこれに背くことをいい、面と向かわないのである。面縛も背いて縛る。杜元凱はただその顔を見るとするが、誤っている。)
面縛というのは投降儀礼で、勝利者に降伏して、後ろ手に縛って顔だけを見せる行為ですから、この顔師古の注は誤っていると思います。
この「面」は顔の意で、背くの意ではないでしょう。
しかしそうなると、「馬童面之」の「面」を「背く」と解するのは根拠の示されない張晏の説だけとなってしまいます。
事実として、王先謙は『漢書補注』で次のように注しています。
・劉攽曰、「面之、直面向之耳。」沈欽韓曰、「劉説是。少儀云『遇於道、見則面』。鄭注『可以隠則隠』、則謂面為向也、亦作偭。説文『偭、郷也』。少儀『尊壺者偭其鼻』。」
(▼劉攽曰はく、「之に面すとは、直だ之に向かふのみ。」と。沈欽韓曰はく、「劉の説は是なり。少儀に『道に遇ひ、見れば則ち面す』と云ふ。鄭注の『以て隠るべければ隠る』は、則ち面を謂ひて向かふと為すなり、亦た偭に作る。説文に『偭は、郷かふなり』と。少儀に『尊壺は其の鼻を面にす』と。」
(▽劉攽は、「これに面すとは、ただこれに向かうである。」という。沈欽韓は、「劉攽の説は正しい。礼記・少儀に『道で(尊長に)会い、(尊長が自分を)見れば面とむかって挨拶をする』といい、鄭玄が『隠れることができるなら隠れる』と注しているのは、面を向かうとするのである、また偭にも作る。説文解字に『偭は、郷(む)かうである』とある。礼記・少儀に『酒樽と酒壺はその鼻を前に向ける」』とある。」という。)
劉攽は北宋、沈欽韓は清の人です。
また、瀧川資言の『史記会注考証』は、清の洪頤煊の説を引用しています。
・洪頤煊曰、「面、向也。謂向視之、審知為項王、因以指王翳。礼記玉藻『唯君面尊』、鄭注『面猶郷也』。田完世家『淳于髠説畢、趨出至門、而面其僕』、面即郷也。」
(▼洪頤煊曰はく、「面とは、向かふなり。向かひて之を視て、審らかに項王たるを知り、因りて以て王翳に指すを謂ふ。礼記玉藻に『唯だ君のみ尊に面す』と、鄭注『面とは猶ほ郷かふがごときなり』と。田完世家に、『淳于髠説き畢はり、趨り出で門に至りて、其の僕に面す』と、面とは即ち郷かふなり。」と。
▽洪頤煊は「面とは、向かうである。向かってこれを見て、はっきり項王であることを知り、そこで王翳に指さしたというのである。礼記・玉藻に『ただ君だけが酒樽に面と向かう』とあり、鄭玄は『面は郷と同じである』と注している。史記・田完世家に「淳于髠は説き終わり、走り出て門に至って、その僕に向かった」とある。面とはつまり郷(む)かうである。)
これらの説はみな「面」を反訓とせず、「向かう」の意としています。
王叔岷は『史記斠證』で、「面」を「向かう」の意とする諸説を紹介し、最後に歴史学者の陳槃(槃庵)の説を引用しています。
・槃庵兄云:『黄生義府:「詳上下文語意,項王此時雖在囲中,然去馬童尚遠,故曰『顧見』云云。時項王一行,尚有二十余騎,先尚未弁孰為項王,因其呼而諦視之,然後指示王翳云云。『面之,』即諦視之謂。
(槃庵氏はいう、『黄生の義府:「上下の文の語意を詳らかにするに、項王はこの時、包囲の中にいたが、馬童からまだ遠く離れていたので、『顧見(振り返り見る)』云々という。時に項王たちは、なお二十数騎おり、まだどれが項王であるかは見分けられず、その呼ぶ声によってはっきりこれを見て、その後王翳に指示する云々である。『面之』とは諦視する(はっきり見る)ことをいう。
これは、陳槃が『義府』を引用したもので、馬童が離れた項王から呼びかけられ、間違いなく項王だと確認するために、直視したと解したものです。
さらに『義府』の説明は続きます。
或謂古人多反語,故謂背為面,如治之為乱,馴之為擾,香之為臭,其例可見。此蓋昧於字義之俗説。古治字本作乿,馴擾之字本作㹛,臭為香気之総名,其臭腐之字本作殠。後人伝写訛謬如此,豈古人之意哉!若面之訓背,乃偭耳。且此時漢視羽如几肉矣,尚何所諱而背之言乎?」(巻下面縛條。)
あるいは、古人は反訓が多いので、背を面というのは、治を乱とし、馴を擾とし、香を臭というように、その例は見られるともいう。これはおそらく字義に暗い俗説である。古は治の字はもと乿に作り、馴擾の字はもと㹛に作り、臭は香気の総称であり、その腐った臭いは殠に作る。後の人がこのように誤って書き伝えたが、どうして古人の意図であったろうか。もし面を背と読むなら、偭である。さらにこの時漢は項羽を台の上の肉のように見ていた,なおどこにはばかって背くなどと言おうか。」(義府・巻下・面縛の條)
これは『義府』による反訓そのものの否定です。
背くの意は「偭」であって、「面」ではないという指摘がありますが、これについては、後で触れたいと思います。
これらについて、陳槃は次のように述べています。
槃案礼少儀:「尊壺者面其鼻。」鄭注:「鼻在面中,言郷人也。」正義:「尊与壺悉有面,面有鼻,鼻宜嚮於尊者,故言面其鼻也。」面之訓嚮,此類亦是也。又通作偭,則段氏説文注亦詳之矣。至羽紀此文,則訓嚮似于義較長。
私が礼記・少儀を案ずるに、「酒樽と酒壺はその鼻を前に向ける」とあり、鄭玄の注に「鼻は面の中にあり、人に向かうをいうのだ」とあり、正義に「酒樽と酒壺にはみな面があり、面には鼻がある、鼻は尊者に向けるのがよく、ゆえにその鼻を前に向けるというのだ」とある。面を向かうと読むのは、これらもそれである。また通じて偭に作るのは、段氏の説文注にも詳しく述べられている。項羽本紀のこの文については、向かうと読むのはより適切な解釈である。』)
『礼記』の例を引いて、「面」はやはり「背く」の意ではなく、「向かう」の意であろうと結論づけています。
このように「面之」を「これに向かう」と解する方がよいとする説を見てくると、「背く」の意の反訓で済ませることには問題を感じてきます。
ところで、『義府』に指摘されていた「偭」の字について、加藤常賢氏の『漢字の起源』(角川書店)で、興味深いことが述べられています。
「面」の字が「背」の意に使われるのは「偭」がその意の本字であると言われているのを踏まえ、『説文解字』に「偭、郷也」とあるのに対して、次のように述べています。
根本的に言って、説文の「郷」(嚮)の上に脱字があると思う。私は「面の声」は「臱(へん)」の意を表わしていると思う。「臱」の音は「傍」あるいは「左右両側」の意を表すと思う。
とした上で、「偭」の字義を次のように述べています。
「人」の意符と「面」の音の表わす「旁」あるいは「左右両側」の意味を加えると、「人体の旁」、あるいは「人体の両側」の意味である。これを項羽列伝の「馬童面之」と言うことばに当てはめると、「馬童が体を傍に向けた」という意味になり、「面縛」と言うことばに当てはめると、「体の両側に手を縛してぐるぐる巻きにする」という意味になる。手を両側で縛れば、璧を手に持って献ずることができないから「面縛銜璧(面縛セラレテ璧ヲ銜ム)」と言うことになるのである。
「偭」字の意味が以上誤りないとすれば、前に挙げた史記・漢書の「偭」字の解釈のうち、如淳の
面謂不正視也。(面ハ正視セザルヲ謂フなり。)
と言うのが正しく、「背」と解する張晏・顔師古説は、体を傍に向けた意味を強く解釈して「背を向けた」と解釈したにすぎない。
以上の考察に誤りがなければ、説文の解釈は「傍郷(嚮)」とあるべきであると思う。「旁」音と「面」音は声転にすぎない。
これは「面」は「偭」であるという条件と、「偭、郷也」という説文の説明を「偭、傍郷也」の脱字であるという条件の2つをクリアしない限り、あくまで仮説の域を出ないものだと思いますが、興味深いものではあります。
そもそも、「馬童面之」を、「馬童は顔を背け」と解するのは、先の指導書にもあるように、「項羽から『お前は昔なじみじゃないか』と言われて、漢の追っ手であった呂馬童もさすがに恥じ、顔を背けたのであろうと解釈」したものでしょう。
集解が引く張晏や如淳の解釈は、その延長上にあり、いわば馬童の気持ちを推し量ったものです。
つまり、文脈上、あるいは場面の状況から、そう解釈した方が自然に思われるからです。
しかし、実際馬童がそんな気持ちを抱いた証拠はどこにもありません。
司馬遷は「面之」と表現したのです。
「面」は対面する、向かうという意味なのに、馬童の気持ちを忖度して、それをわざわざ真逆の意味で解した張晏の説を根拠づけるために、反訓という根拠の疑わしいレトリックを持ち出した。
しかも、私の知る限り、「面」を明確に背くの意で解する例はないのにです。
顔師古の注も加藤常賢氏の仮説が成立しない以上は、有効な説明にはなっていません。
私としては、今のところ、この「馬童面之」の「面」は、文字通り「向かう」の意だと思います。
文脈から強引に字義を論じたり、文法を論じるのは、やはり危険なことではないでしょうか。
『史記・項羽本紀』のいわゆる「項王の最期」は、「鴻門の会」や「四面楚歌」と並んで、必ず教科書にもとられている定番教材です。
ですから、2年生の古典を受け持てば、必ず扱うことになるのですが、依然としてまだよくわからないことはたくさんあります。
その中で、今年気になったことの一つ、「馬童面之」を取り上げてみましょう。
調べていてわかったことを述べるだけで、自分が何か発見したり解明できたわけではありません。
それでも、何かの参考になればと思って書いてみます。
・顧見漢騎司馬呂馬童曰、「若非吾故人乎。」馬童面之、指王翳曰、「此項王也。」
(▼顧みて漢の騎司馬呂馬童を見て曰はく、「若(なんぢ)は吾が故人に非ずや。」と。馬童之に面し、王翳に指(さ)して曰はく、「此れ項王なり。」と。
▽振り返って漢の騎兵部隊の長・呂馬童を見て言うことには、「お前は私の旧友ではないか。」と。呂馬童はこれに[面]し、(味方の)王翳に指さして言うことには、「これが項王だ」と。)
この「馬童面之」が問題で、どの会社の教科書も「馬童は顔を背け」と訳しています。
ある指導書に丁寧に説明してありました。
「面」はここでは、顔を背けるの意。「顔」「向かう」の意の「面」を「そむく」と読むのは反訓による。反訓とは「乱」を「治」、「廃」を「置」、「離」を「着」のように、文字を本義とは正反対の意味に用いる漢文のレトリックの一つ。項羽から「お前は昔なじみじゃないか」と言われて、漢の追っ手であった呂馬童もさすがに恥じ、顔を背けたのであろうと解釈するわけである。しかしこれには異説もあり、人情の自然から言えば顔を背けてしかるべきところを、そうしないで向かっていった呂馬童の厚顔ぶりを皮肉ろうとしている表現とも読める。会注考証には、集解に「面、不正視」とあるほかは、全て「面と向かう」意味の用例をあげている。
「面」を「背く」とするのは反訓だと、きちんと説明されています。
別の指導書には、「異説」として、
「顔を背ける」と注したのは伝統的な注の一つである『史記集解』の説による。「若は吾が故人に非ずや」と項羽が思わず言ったように、呂馬童は項羽と旧知の関係であるがゆえに正視して斬りかかることができず、顔をそむけたととる。一方、『史記会注考証』に引く劉攽(りゅうはん)洪頤煊(こういけん)の説では「向かう」の意とし、顔をそむけず直視する解をとる。洪頤煊は直視して項羽だと知ったがゆえに王翳に指さして項羽だと知らせたのだという。伝統的解釈に従ったが、最近では後者の説も有力である。
と説明されています。
「面」をなぜ「背く」の意に解するのかは直接的に述べられていませんが、「伝統的な注」の説によったとしたわけです。
先の指導書にある「反訓」は、別に創案ではなく、『史記』の参考書に書かれていることです。
ですが、「面」を反訓と片付けるのは、本当にそれでいいのだろうかという気がしてきます。
そもそも1つの言葉が、どんな事情があるにせよ、その正反対の意味を表したのでは、明らかに困る事態だと思うのです。
それがコミュニケーション上のことならなおさらです。
「私は桃を食べる」と言ったのに、実は「私は桃を食べない」という意味なのだとなれば、もう大混乱です。
まあ、確かに、「私はまだまだ何もわかっていない」というのは、わかっていると思い込んでいる人よりも「わかっている」という自負を背景にすることもあるので、人の感覚としてはあるかもしれない表現ではあるのですが。
嫌い嫌いも好きのうちなんてのもありますね。
しかし、感覚としてそのように受け取ることもできることでも、客観的に書かれた文章に、そのような正反対の意味で表現することはやはり不適切であろうと思うのです。
反訓の代表例として挙げられる「乱」は、「乱れる・乱す」という意味と、その真逆の「治まる・治める」という意味の2つをもっています。
・武王曰、「予有乱臣十人。」(論語・泰伯)
(▼武王曰はく、「予に乱臣十人有り。」と。
▽武王が「私には治めてくれる十人の家臣がいる。」と言った。)
この例は、前後の文意から功臣を指しており、いわゆる「乱臣」の意味では解し得ませえん。
武王の言葉は『尚書・泰誓中』にある同文を引用したもので、そうでなければ『論語』に「治めてくれる家臣」の意味で「乱臣」は用いられなかったはずです。
というのは、「乱」が「治」の意味で用いられるのは、西周時代に多く見られる用法だからです。
この反訓については、樋口靖氏の論文『いわゆる“反訓”について』(駒澤大学紀要)に分析されているので、詳しくはそちらを参照していただくとして、その由来を大雑把にいえば、原義と派生義の関係から反訓が起こるという説や、本来別の語が仮借によってたまたま同じ文字で表記されたとするもの、字義の相反する二字からなる語句があるが、そうなり得なかったものが一字で相反する意味をもつようになったとする説など、歴史的にさまざまな考え方があったことが紹介されています。
そして東晋の郭璞に始まる反訓説について、反訓と認められた例が、本当に反訓といえるものであるかどうかは疑わしいとしています。
「乱」の話に戻れば、これがなにゆえ「治」の意味を表すのかについては諸説があります。
たとえば、白川静氏は、旧字「亂」は、その左側の部分「𤔔」(らん)と右側の部分「乙」(いつ)から成り、
旧字は亂に作り、𤔔(らん)+乙(いつ)。𤔔は糸かせの上下に手を加えている形で、もつれた糸、すなわち乱れる意。乙は骨べら。これでもつれを解くので、亂はおさめる意。「亂(をさ)む」とよむべき字である。〔説文〕十四下に「治むるなり。乙に從ふ。乙は之れを治むるなり」という。〔段注〕にその文を誤りとし、紊乱の字であるから「治まらざるなり」と改むべしとする。字形からいえば、𤔔が乱れる、亂が治める意の字。のち亂に𤔔の訓を加え、「乱る」「治む」の両義があり、反訓の字とする説を生じたが、一つの文字が、同時に正反の二訓をもつということはない。(『字通』平凡社)
と述べています。
これによれば「乱」の2義を反訓とすること自体おかしいということになります。
また、藤堂明保氏も、𤔔を「もつれる」の意と解し、
乱の字は,右側に乙印をそえているが,これは軋アツと同義で,上からジッと抑える意味を表す。つまり,もつれをおさえて解決する意を加えたもので、<説文>がこの字を「治なり」と解したのは正しい。(『漢字語源辞典』學燈社)
と説明して、基本的には白川氏と同様の解釈です。
一方、黄生の『義府』巻下・面縛の条では、「古治字本作乿」(古は「治」の字はもと「乿」に作った)として、いわゆる反訓による解釈を「此蓋昧於字義之俗説」(これは思うに字義に暗い俗説である)としています。
そもそも字が違うというわけです。
このように諸説あり、反訓の代表例とされる「乱(亂)」自体が、果たして本当に反訓なのか疑わしくなります。
さて、本題に戻って、項羽本紀の「馬童面之」について考えてみましょう。
そもそも「面」を「顔を背ける」と解するのは、『史記集解』に引用する次の説によります。
・張晏曰、「以故人故、難視斫之、故背之。」如淳曰、「面、不正視也。」
(▼張晏曰はく、「故人の故を以て、之を視斫し難く、故に之に背く。」と。
▽張晏は「旧友であるために、見て斬りにくい、ゆえにこれに背を向けた。」という。如淳は「面とは、正視しないのである」という。)
この張晏の説が「背く」の根拠となるわけですが、「面」を「背く」と解する根拠は示されてはいません。
ちなみに、王叔岷は『史記斠證』で、この張晏の注が、『太平御覧』巻87で「難親斫之」(みずからこれを斬りにくく)になっていることを指摘し、字形が似ているために、後の如淳の注の「視」につられて誤ったものと解しています。
『漢書』注に顔師古が引用した張晏の注も「親」に作っています。
「見て斬る」ではなく、「自分で斬る」の意だったというわけですね。
顔師古は、張晏と如淳の注に対して、次のように評しています。
・如説非也、面謂背之、不面向也。面縛亦謂反偝而縛之。杜元凱以為但見其面、非也。
(▼如の説は非なり、面とは之に背くを謂ひ、面向せざるなり。面縛も亦た反偝して之を縛る。杜元凱以て但だ其の面を見ると為す、非なり。
▽如淳の説は誤っている、面とはこれに背くことをいい、面と向かわないのである。面縛も背いて縛る。杜元凱はただその顔を見るとするが、誤っている。)
面縛というのは投降儀礼で、勝利者に降伏して、後ろ手に縛って顔だけを見せる行為ですから、この顔師古の注は誤っていると思います。
この「面」は顔の意で、背くの意ではないでしょう。
しかしそうなると、「馬童面之」の「面」を「背く」と解するのは根拠の示されない張晏の説だけとなってしまいます。
事実として、王先謙は『漢書補注』で次のように注しています。
・劉攽曰、「面之、直面向之耳。」沈欽韓曰、「劉説是。少儀云『遇於道、見則面』。鄭注『可以隠則隠』、則謂面為向也、亦作偭。説文『偭、郷也』。少儀『尊壺者偭其鼻』。」
(▼劉攽曰はく、「之に面すとは、直だ之に向かふのみ。」と。沈欽韓曰はく、「劉の説は是なり。少儀に『道に遇ひ、見れば則ち面す』と云ふ。鄭注の『以て隠るべければ隠る』は、則ち面を謂ひて向かふと為すなり、亦た偭に作る。説文に『偭は、郷かふなり』と。少儀に『尊壺は其の鼻を面にす』と。」
(▽劉攽は、「これに面すとは、ただこれに向かうである。」という。沈欽韓は、「劉攽の説は正しい。礼記・少儀に『道で(尊長に)会い、(尊長が自分を)見れば面とむかって挨拶をする』といい、鄭玄が『隠れることができるなら隠れる』と注しているのは、面を向かうとするのである、また偭にも作る。説文解字に『偭は、郷(む)かうである』とある。礼記・少儀に『酒樽と酒壺はその鼻を前に向ける」』とある。」という。)
劉攽は北宋、沈欽韓は清の人です。
また、瀧川資言の『史記会注考証』は、清の洪頤煊の説を引用しています。
・洪頤煊曰、「面、向也。謂向視之、審知為項王、因以指王翳。礼記玉藻『唯君面尊』、鄭注『面猶郷也』。田完世家『淳于髠説畢、趨出至門、而面其僕』、面即郷也。」
(▼洪頤煊曰はく、「面とは、向かふなり。向かひて之を視て、審らかに項王たるを知り、因りて以て王翳に指すを謂ふ。礼記玉藻に『唯だ君のみ尊に面す』と、鄭注『面とは猶ほ郷かふがごときなり』と。田完世家に、『淳于髠説き畢はり、趨り出で門に至りて、其の僕に面す』と、面とは即ち郷かふなり。」と。
▽洪頤煊は「面とは、向かうである。向かってこれを見て、はっきり項王であることを知り、そこで王翳に指さしたというのである。礼記・玉藻に『ただ君だけが酒樽に面と向かう』とあり、鄭玄は『面は郷と同じである』と注している。史記・田完世家に「淳于髠は説き終わり、走り出て門に至って、その僕に向かった」とある。面とはつまり郷(む)かうである。)
これらの説はみな「面」を反訓とせず、「向かう」の意としています。
王叔岷は『史記斠證』で、「面」を「向かう」の意とする諸説を紹介し、最後に歴史学者の陳槃(槃庵)の説を引用しています。
・槃庵兄云:『黄生義府:「詳上下文語意,項王此時雖在囲中,然去馬童尚遠,故曰『顧見』云云。時項王一行,尚有二十余騎,先尚未弁孰為項王,因其呼而諦視之,然後指示王翳云云。『面之,』即諦視之謂。
(槃庵氏はいう、『黄生の義府:「上下の文の語意を詳らかにするに、項王はこの時、包囲の中にいたが、馬童からまだ遠く離れていたので、『顧見(振り返り見る)』云々という。時に項王たちは、なお二十数騎おり、まだどれが項王であるかは見分けられず、その呼ぶ声によってはっきりこれを見て、その後王翳に指示する云々である。『面之』とは諦視する(はっきり見る)ことをいう。
これは、陳槃が『義府』を引用したもので、馬童が離れた項王から呼びかけられ、間違いなく項王だと確認するために、直視したと解したものです。
さらに『義府』の説明は続きます。
或謂古人多反語,故謂背為面,如治之為乱,馴之為擾,香之為臭,其例可見。此蓋昧於字義之俗説。古治字本作乿,馴擾之字本作㹛,臭為香気之総名,其臭腐之字本作殠。後人伝写訛謬如此,豈古人之意哉!若面之訓背,乃偭耳。且此時漢視羽如几肉矣,尚何所諱而背之言乎?」(巻下面縛條。)
あるいは、古人は反訓が多いので、背を面というのは、治を乱とし、馴を擾とし、香を臭というように、その例は見られるともいう。これはおそらく字義に暗い俗説である。古は治の字はもと乿に作り、馴擾の字はもと㹛に作り、臭は香気の総称であり、その腐った臭いは殠に作る。後の人がこのように誤って書き伝えたが、どうして古人の意図であったろうか。もし面を背と読むなら、偭である。さらにこの時漢は項羽を台の上の肉のように見ていた,なおどこにはばかって背くなどと言おうか。」(義府・巻下・面縛の條)
これは『義府』による反訓そのものの否定です。
背くの意は「偭」であって、「面」ではないという指摘がありますが、これについては、後で触れたいと思います。
これらについて、陳槃は次のように述べています。
槃案礼少儀:「尊壺者面其鼻。」鄭注:「鼻在面中,言郷人也。」正義:「尊与壺悉有面,面有鼻,鼻宜嚮於尊者,故言面其鼻也。」面之訓嚮,此類亦是也。又通作偭,則段氏説文注亦詳之矣。至羽紀此文,則訓嚮似于義較長。
私が礼記・少儀を案ずるに、「酒樽と酒壺はその鼻を前に向ける」とあり、鄭玄の注に「鼻は面の中にあり、人に向かうをいうのだ」とあり、正義に「酒樽と酒壺にはみな面があり、面には鼻がある、鼻は尊者に向けるのがよく、ゆえにその鼻を前に向けるというのだ」とある。面を向かうと読むのは、これらもそれである。また通じて偭に作るのは、段氏の説文注にも詳しく述べられている。項羽本紀のこの文については、向かうと読むのはより適切な解釈である。』)
『礼記』の例を引いて、「面」はやはり「背く」の意ではなく、「向かう」の意であろうと結論づけています。
このように「面之」を「これに向かう」と解する方がよいとする説を見てくると、「背く」の意の反訓で済ませることには問題を感じてきます。
ところで、『義府』に指摘されていた「偭」の字について、加藤常賢氏の『漢字の起源』(角川書店)で、興味深いことが述べられています。
「面」の字が「背」の意に使われるのは「偭」がその意の本字であると言われているのを踏まえ、『説文解字』に「偭、郷也」とあるのに対して、次のように述べています。
根本的に言って、説文の「郷」(嚮)の上に脱字があると思う。私は「面の声」は「臱(へん)」の意を表わしていると思う。「臱」の音は「傍」あるいは「左右両側」の意を表すと思う。
とした上で、「偭」の字義を次のように述べています。
「人」の意符と「面」の音の表わす「旁」あるいは「左右両側」の意味を加えると、「人体の旁」、あるいは「人体の両側」の意味である。これを項羽列伝の「馬童面之」と言うことばに当てはめると、「馬童が体を傍に向けた」という意味になり、「面縛」と言うことばに当てはめると、「体の両側に手を縛してぐるぐる巻きにする」という意味になる。手を両側で縛れば、璧を手に持って献ずることができないから「面縛銜璧(面縛セラレテ璧ヲ銜ム)」と言うことになるのである。
「偭」字の意味が以上誤りないとすれば、前に挙げた史記・漢書の「偭」字の解釈のうち、如淳の
面謂不正視也。(面ハ正視セザルヲ謂フなり。)
と言うのが正しく、「背」と解する張晏・顔師古説は、体を傍に向けた意味を強く解釈して「背を向けた」と解釈したにすぎない。
以上の考察に誤りがなければ、説文の解釈は「傍郷(嚮)」とあるべきであると思う。「旁」音と「面」音は声転にすぎない。
これは「面」は「偭」であるという条件と、「偭、郷也」という説文の説明を「偭、傍郷也」の脱字であるという条件の2つをクリアしない限り、あくまで仮説の域を出ないものだと思いますが、興味深いものではあります。
そもそも、「馬童面之」を、「馬童は顔を背け」と解するのは、先の指導書にもあるように、「項羽から『お前は昔なじみじゃないか』と言われて、漢の追っ手であった呂馬童もさすがに恥じ、顔を背けたのであろうと解釈」したものでしょう。
集解が引く張晏や如淳の解釈は、その延長上にあり、いわば馬童の気持ちを推し量ったものです。
つまり、文脈上、あるいは場面の状況から、そう解釈した方が自然に思われるからです。
しかし、実際馬童がそんな気持ちを抱いた証拠はどこにもありません。
司馬遷は「面之」と表現したのです。
「面」は対面する、向かうという意味なのに、馬童の気持ちを忖度して、それをわざわざ真逆の意味で解した張晏の説を根拠づけるために、反訓という根拠の疑わしいレトリックを持ち出した。
しかも、私の知る限り、「面」を明確に背くの意で解する例はないのにです。
顔師古の注も加藤常賢氏の仮説が成立しない以上は、有効な説明にはなっていません。
私としては、今のところ、この「馬童面之」の「面」は、文字通り「向かう」の意だと思います。
文脈から強引に字義を論じたり、文法を論じるのは、やはり危険なことではないでしょうか。