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「知らず、生まれ死ぬる人…」は倒置か?・3

(内容:『方丈記』の「知らず、生まれ死ぬる人…」は倒置文か?ということの考察から、帰着性従属について考える、その3。)

文頭の「不知」をどう考えるかについて、考えをめぐらしてきました。
その推論は、「不知〈AがBする〉乎」の形式をとる場合、〈AがBする〉は「A之B」の形をとって、「AがBする(こと)」が帰着語「不知」の客語であることを明確にし、文末の語気詞「乎」が「AがBする」への疑問の語気を表すのではなく、「不知」に対するものでは?でした。

しかし推論はあくまでも推論であって、事実の裏付けは何もありません。
となれば、実例にあたるしかない。
そこで、「不知」がどのように用いられているかを調べるために、三国時代より前にしぼって「不知~〈疑問の語気詞〉」の例を探してみました。
時代はしぼらずに調べた方がもちろんいいのですが、さすがに大変ですので。

推論というものは、えてしてそれに都合のよい例を求めてしまうものですが、実際に見られた用例は、なかなかに判断に迷うものになりました。

・汝不知夫螳螂(荘子・人間世)
(▼汝夫の螳螂を知らずや。)
(▽あなたはあのかまきりをご存じでしょう。)

・汝不知夫養虎者(荘子・人間世)
(▼汝夫の虎を養ふ者を知らずや。)
(▽あなたはあの虎を養うものをご存じでしょう。)

これは「夫螳螂」「夫養虎者」が帰着語「不知」の客語であることは明らかで、語気詞「乎」は「不知」に対する疑問の語気であり、「汝知らず、夫の螳螂や」などとは解せません。
これは「夫螳螂」「夫養虎者」が名詞句なので当然です。

・晏子曰、君独不知死者之不可以生(晏子春秋・内篇諫下)
(▼君独り死者の以て生くべからざるを知らざらんや。)
(▽君だけが死者が生き返れないことを知らないでしょうか。もちろんご存じのはず。)

・彼且蘄以諔詭幻怪之名聞、不知至人之以是為己桎梏(荘子・徳充符)
(▼彼は且に諔詭幻怪の名を以て聞こゆるを蘄(もと)めんとす、至人の是を以て己が桎梏と為すを知らざるか。)
(▽彼は並外れた怪しげで得体の知れないごまかしの名声が広がることを求めようとしている、至人がそれを手枷足枷と考えていることを知らないのか。)

この2例は「不知〈AがBする〉乎」の形式になっているものです。
いずれも語気詞「邪」は「不知」に対するものであって、「知らず」と先に読むことはできません。
「死者之不可以生」「至人之以是為己桎梏」は帰着語「不知」の客語であり、〈AがBする〉は「A之B」の形をとっています。
そして、どちらも「君」「彼」という一人称以外の主語が置かれているのが共通点です。

このような例は他にあってもよさそうなものですが、私のデータベースではこの2例と、前エントリーで紹介した「不識舜不知象之将殺己与。」しか見つけられませんでした。
そしてこれも「舜」が「不知」の主語になっています。
しかし、あくまで三国時代より前の用例に限っての話であって、それより後の時代なら、もっと用例があり、〈AがBする〉が「A之B」の形をとらず、単に「AB」になっているものも、あるいはあるかもしれません。

さて、従来「知らず、~」と読まれている、もしくはそう読むことが可能な例を見てみましょう。

不知亦有貴知夫天者乎。(墨子・天志中)
(▼知らず亦た夫の天より貴知なる者有りや。)
(▽知らず、やはりあの天より貴く知恵あるものがあろうか。)

不知子之義亦有鉤強乎。(墨子・魯問)
(▼知らず子の義にも亦た鉤強有りや。)
(▽知らず、あなたの義にもやはり鉤強(鉤距)がありますか。)

不知門下左右客千人者、有六翮之用乎。(説苑・尊賢)
(▼知らず門下左右の客千人なる者、六翮の用有りや。)
(▽知らず、門下左右の食客千人に、要の働きをする者はおりますか。)

これらの例は、「亦有貴知夫天者乎」「子之義亦有鉤強乎」「門下左右客千人者、有六翮之用乎」が、それぞれ単独で文として成立し、文末の語気詞「乎」は「有」に対するものであって、「不知」に対するものではありません。
したがって、いずれも「知らずや」と読むことはできません。
あえて言うなら、「不知」以下の部分は、わからない具体的な中身ということになります。
このことをもってすれば、原田氏が「ある大学の入試問題に件の『方丈記』の文が示され、『不知(知らず)』とは何を知らないのであるのかという設問に驚」かれ、「不知」を「いったい」という適訳で解せず「……がわからない」と解する人々を批判されたのも、果たしてどうであろうかと思えてきます。

さて、さらに用例を見ていくと、「不知、~」の形式は、後が単句ではなく、二者選択の二句になっているものが多く見られます。

不知周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。(荘子・斉物論)
(▼知らず周の夢に胡蝶と為るか、胡蝶の夢に周と為るか。)
(▽知らず、荘周の夢で胡蝶となったのか、胡蝶の夢で荘周となったのか。)

・今且有言於此、不知其与是類乎、其与是不類乎。(荘子・斉物論)
(▼今且(しば)らく此に言有らん、其の是れと類するか、其の是れと類せざるかを知らず。)
(▽今かりにここに言葉があるとして、知らず、その言葉がこれ(=今述べている明智)と類似しているか、その言葉がこれと類似していないのか。)

・且不知其在彼乎、其在我乎。(荘子・秋水)
(▼且つ其の彼に在るか、其の我に在るかを知らず。)
(▽それに、知らず、それが他人にあるのか、それが私にあるのか。)

不知論之不及与、知之弗若与。(荘子・秋水)
(▼知らず論の及ばざるか、知の若かざるか。)
(▽知らず、(私の)議論が(彼に)及ばないのか、(私の)知恵が(彼に)及ばないのか。)

不知先生之洗我以善邪、吾之自寤邪。(荘子・徳充符)
(▼知らず先生の我を洗(みちび)くに善を以てするか、吾の自ら寤(さ)めたるか。
(▽知らず、先生が私を導くに善でしてくれたのか、私が自分で悟るのか。)

ここで気になるのは、後の2例が二者選択の各句が「A之B」の構造をとっていることですが、考えてみれば、「知らず、XかYか」という、名詞(名詞句)2つを選択肢にとり得るのは当然のことで、

・孟嘗君寄客於斉王、三年而不見用、故客反謂孟嘗君曰、「君之寄臣也、三年而不見用、不知臣之罪也、君之過也。」(説苑・善説)
(▼孟嘗君客を斉王に寄するに、三年にして用ゐられず、故に反りて孟嘗君に謂ひて曰はく、「君の臣を寄するに、三年にして用ゐられず、知らず臣の罪なるか、君の過ちなるか。」)
(▽孟嘗君が食客を斉王に預けたが、三年用いられなかったので、食客は帰って孟嘗君に言った、「君が私を預けたのに、三年用いられなかったのは、知らず、私の罪ですか、君の過ちですか。」)

という、ABが名詞句の例も見られます。

二者選択の句の間に「抑」や「其」などの語が伴う例もあります。

・今夢黄熊入于寝門、不知人殺乎、抑厲鬼邪。(国語・晋語八)
(▼今黄熊寝門に入ると夢みる、知らず人殺すか、抑(そもそ)も厲鬼か。)
(▽今黄熊が寝門に入る夢を見ました。知らず、死神でしょうか、それとも邪鬼でしょうか。)

不知天之棄魯耶、抑魯君有罪於鬼神、故及此也。(春秋左氏伝・昭公)
(▼知らず天の魯を棄つるや、抑も魯君鬼神に罪有りて、故に此に及ぶや。)
(▽知らず、天が魯を見捨てたのか、それとも魯君が鬼神に対して罪があって、だからこんなことになったのか。)

後の例は、『史記・魯周公世家』では「天之棄魯耶」を「天棄魯乎」に作っています。
「之」を伴うことの不自然さを解消したものでしょうか。

不知日月安不足乎、其有窃疾乎。(墨子・耕柱)
(▼知らず日月足らざるか、其れ窃疾有るか。)
(▽知らず、食物に不自由しているのか、それとも盗み癖があるのか。)

これは、「日月」の意、「安」の意に判然としないところがありますが、2句の間に「其」が用いられている例です。

不知天将以為虐乎、使翦喪呉国而封大異姓乎、其抑亦将卒以祚呉乎。(春秋左氏伝・昭公)
(▼知らず天将に以て虐を為さしめんか、呉国を翦喪して異姓を報大ならしめんとするか、其れ抑も亦た将に卒に以て呉を祚ひせんとするか。)
(▽知らず、天は暴虐をさせるのか、呉国を討ち滅ぼして異姓を広げようとするのか、それとも最後は呉に幸いを与えようとするのか。)

これは2者選択ではなく、3者選択になっていて、「其抑」が用いられています。

不知君将従易而是者乎、将従難而非者乎。(呂氏春秋・審応覧)
(▼知らず君将た易くして是なる者に従ふか、将(は)た難くして非なる者に従ふか。)
(▽知らず、君は易しくて正しい議論をお採りになりますか、それとも難しくて間違った議論をお採りになりますか。)

不知君之食客、六翮耶、将腹背之毳也。(劉向新序・雑事一)
(▼知らず君の食客は、六翮なるか、将た腹背の毳なるか。)
(▽知らず、君の食客は、鴻鵠の羽根の中心にある堅い茎ですか、それとも腹の柔らかい毛ですか。)

不知囚之精神著木人乎、将精神之気動木囚也。(論衡・乱龍)
(▼知らず囚の精神木人に著けるか、将た精神の気木囚を動かすか。)
(▽知らず、これは囚人の心が木偶に乗り移ったものか、それとも心の気が木囚を動かしたのか。)

これらは2句の間に「将」が用いられている例。

・今夢黄熊入於寝門、不知人鬼耶、亦厲鬼耶。(説苑・弁物)
(▼今黄熊寝門に入るを夢見る、知らず人鬼か、亦厲鬼か。)
(▽今黄熊が寝門に入る夢を見ました。知らず、霊魂でしょうか、それとも邪鬼でしょうか。)

これは「亦」が用いられている例で、先に引用した『国語・晋語八』では「抑」に作っていました。

不知都之精神在形象邪、亡(也)将匈奴敬鬼精神在木也。(論衡・乱龍)
(▼知らず都の精神形象に在るか、亡将(そもそ)も匈奴精神の木(人)に在るを敬鬼(畏)するか。)
(▽知らず、郅都の心が人形に籠っていたのか、それとも匈奴は心が人形に籠もっているのを恐れたのだろうか。)

不知寿王不得治東郡之術邪、亡将東郡適当復乱、而寿王之治偶逢其時也。(論衡・定賢)
(▼知らず寿王は東郡を治むるの術を得ざるか、亡将(そもそ)も東郡適(たまたま)復た乱るるに当たりて、寿王の治偶(たまたま)其の時に逢ふか。)
(▽知らず、寿王は東郡統治の術を心得ていなかったのか、それとも東郡が偶然争乱の時代に当たっていて、さすがの寿王の統治も折悪しく争乱の時代に出会ったものか。)

これは「亡将」が用いられているもの。
「亡将」が「抑」の意で用いられるというのは、初めて見ました。

総じてこれらの例は、「不知」をどう解釈するかはともかくとして、判断のつきかねる選択事項、もしくは判断のつきかねる風を装う選択事項です。
いずれもそれぞれの選択事項が独立していて、最後の語気詞はそれぞれの謂語に対して疑問の語気を添えているのであり、「不知」に対するものではありません。

したがって、これらの形式「不知――乎」は、「不知」を帰着語とした場合、客体があるとすれば、「――」ではなく、「――乎」にならざるを得ません。
してみると、「先人の業績を認めることすらできない」「烏滸(おこ)の極み」と罵倒された人々の考え方も一理あることになります。

これらの例を見ていて、ふと気づいたことがあります。
いずれの例も「不知」の主体は表現者ですが、一人称「我」や「吾」が伴う「我不知~乎、~乎」などの例がありません。
そこで、「我不知」「吾不知」で、すべてのデータベースで検索をかけてみることにしました。
すると、「我不知」で文末に「乎」などの疑問の語気詞を伴い、なおかつ「我知らず、~か」の形をとっている例は見られませんでした。
次に、「吾不知」で同様の検索をかけると、次の1例が見つかりました。

・吾不知翠石先仁而後富者耶、抑先富而後仁者耶。(聊斎志異・巻五)
(▼吾知らず翠石は仁を先にして富を後にするものか、抑も富を先にして仁を後にする者か。)
(▽私は知らず、翠石は仁を先にして富を後にするものか、それとも富を先にして仁を後にする者か。)

この例の場合は、原田氏が主張する「いったい……であろうか」では訳せません。
やはり、「私は翠石が仁を先にして富を後にするものか、それとも富を先にして仁を後にする者かわからない。」とするのが自然な解釈でしょう。

しかし、『聊斎志異』は極めて現代に近い清代の文章です。
私のデータベースはわずかとはいえ、先秦から清代に至る170以上の主要な書籍をおさめています。
この1例しか見つからないというのは、どういうわけでしょうか。
「不知」の主体は自分なのだから、いちいち表現しないのだと言ってしまえばそれまでですが、「私は、~か、~かを知らない」もしくは「私は、~か、~を知らない」という意味なら、「我」や「吾」を示したとしても不思議ではないと思うのですが。
「私はわからない」に重きの置かれない表現だからではないでしょうか。

結局のところ、断定的な物言いはできないのですが、私はこのような「不知」は、判断が付きかねるという思いを「不知」で示した上で、それが何であるのかを示しているのではないかと思います。
つまり、「わからない」ということを主張することに重きがあるのではなく、わからぬこととして自分が疑問に思うことを述べることに重きがあるということです。
文法的にそう断じ得るところまでは行き着きませんが。

「不知」は本来客語を伴う帰着語です。
しかし「知らない」「わからない」の意で一度断句となったものが、後の部分に従属化して修用語(連用修飾語)となっているのでしょう。
つまり、「わからない、~か、~か」です。
これをもう少し意訳すると、「わからぬこととして、~か、~か」となるし、関西でよく言う「知らんけど、~」も似たような表現かなと思います。
しかし、それはあくまで意訳であって、「不知」は「わからない、~か、~か」です。
用いられ方が「いったい」で置き換えてしっくりするとはいえ、それは適訳というより、やっぱり私には意訳に思えます。

『方丈記』の例の文、

知らず、生まれ死ぬる人、いづ方より来たりて、いづ方へか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。

鴨長明が、漢籍に古くから見える表現を踏まえてこのように表現したのだとしたら、この「知らず」は、「生まれ死ぬる人、いづ方より来たりて、いづ方へか去る」から返るように見え、「仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる」から返るように見えても、「わからないこととして」「わからないけれども」のように、帰着性従属として「知らず」を用いていると言えないでしょうか。

「知らんけど、生まれ死ぬ人は、どこから来て、どこへ去るん?」「知らんけど、仮の宿りやのに、だれのために心悩ませ、何によって目を喜ばせるん?」

叱られるかもしれませんが、そんな意味なのではないかと思います。

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