「何楚人之多也」の「之」の働きは?・2
- 2022/02/03 15:41
- カテゴリー:漢文の語法
(内容:『史記』項羽本紀の「四面楚歌」に見られる「何楚人之多也」の「之」について、中国の語法学では「このように」という意味だと説明することに対して、疑問を呈する、その2。)
前エントリーを公開してからも、なおも「何A之B(也)」の形が気になって、中国の語法書を次から次へとめくっていると、康瑞琮の『古代漢語語法』(上海古籍出版社2008)に、次のように説明されているのを見つけました。
在古汉语中,这是一种常见的惯用型,它用来表示反问。这里中疑问代词“何”放在句子的开头,是全句的谓语,为了强调反问的内容而把它提到主语之前。而“何……之……”型的主语不是单词,而是词组。“之”是词组中的一个助词。例如:
(古漢語では,これは一つのよく見られる慣用型で,反問を表すために用いる。この中の疑問代詞「何」は文頭に置かれ,文全体の謂語であり,反問する内容を強調するために主語の前に出す。そして「何……之……」型の主語は単詞ではなくて、連語である。「之」は連語の中の一つの助詞である。たとえば…)
①何得車之多?(《荘子・列御寇》)…原文簡体字
――为什么得到(这么)多的车?
(なぜ(こんなに)多くの車を得たのか?)
这里的“何得车之多”就是“得车之多何”的倒装。“得车之多”是主语,即动补词组作主语。因此这句话也可译作“得到(这么)多车是为什么”。不过,这样翻译反问的语气便弱了。
(この「何得車之多」は「得車之多何」の倒置である。「得車之多」は主語で,動補構造が主語となっている。それゆえこの文は「(こんなに)多くの車を得たのはなぜか」と訳すことができる。しかし,このような訳の反問の語気は弱まってしまう。)
康瑞琮は、さらに「何許子之不憚煩?」(孟子・滕文公上)と「何秦之智而山東之愚耶?」(戦国策・斉策)の2例を挙げて、同様の説明をした上で、次のように述べています。
总之,在“何……之……”型的句子中,疑问代词“何”一般是与它后面的整个词组构成主谓关系,不是与某一动词、形容词产生状语与中心词的偏正关系。
(要するに,「何……之……」型の文中において,疑問代詞「何」は普通その後の連語全体と主謂関係を構成するのであって、ある一つの動詞や形容詞と、状語と中心語の偏正関係を生じるものではない。)
つまり、奇しくも康瑞琮の説明は前エントリーで類推を試みた私の考え方と同じで、「何A之B」を「A之B何」の倒置だとしているわけです。
ここで、我が意を得たりと喜びたいところなのですが、逆にまたぞろ「本当だろうか?」と思ってしまいました。
しかも、康瑞琮は「之」を「词组中的一个助词」(連語の中の1つの助詞)と述べているだけで、その働きには触れず、例文の訳の中で「(这么)」と( )付きで「之」の訳のつもりなのかどうかわからない形で示すばかりです。
実は、それなりに倒置という結論を出しておきながら、なおも語法書をめくっていたのは、どこかしっくり来ないものを感じていたからです。
それは文末の語気詞「也」です。
康瑞琮は他の2つの例のうち、「何許子之不憚煩?」(何ぞ許子の煩を憚らざる)については、「許子之不憚煩何」の倒置だと述べていますが、「何秦之智而山東之愚耶?」の方は倒置構造であることは説明しても、具体的にどんな文の倒置なのかは示していません。
もし示すとなると、「秦之智而山東之愚何耶」となるのでしょうか。
日本語からの想像はよくないかもしれませんが、もし私が類推したように「何A之B也」が「何だ、AのBするのは」もしくは「なぜだ、AのBするのは」という構造であるなら、語気詞「也」をどう考えればよいのでしょう。
この形式には康瑞琮の挙げた例に「耶」が用いられているように、「也」のほかに明らかに疑問、反語、詠嘆の語気を表す語気詞も文末に置かれます。
もし倒置であるとすれば、句末に置かれていることをどう説明できるでしょうか。
というよりも、そもそももし倒置であるとすれば、「何也A之B」とか「何耶A之B」などの例がいくつかは見つかりそうなものなのに、私が調べる限り、そのような例はありません。
実際のところ、「何」の直後にポーズを置き得るのでしょうか。
そんなふうに思い始めると、以前の「所」考察の折と同じように、また一度出した自分の結論を打ち消して、もう一度考え直すことになります。
「もし『之』を通説である『このように』という意味などではなく、『之』本来の働きに基づく『A之B』という一つの塊だとしたら」という前提に立ち戻らなければなりません。
前エントリーでは可能性は2つと即断しました。
つまり、主語「何」+謂語「A之B」の構造か、もしくは謂語「何」+主語「A之B」という倒置構造かです。
しかし、つくづく「何楚人之多也」をはじめとする多くの例を見ていると、まだ他に可能性があるように思えてきました。
定語「何」+中心語「A之B」からなる単独の謂語、あるいは状語「何」+謂語「A之B」です。
「何」が後に名詞をとって「何A」(何のA)という用いられ方をするのはごく普通のことです。
しかし、「何」がたとえば「なぜ」の意味で明らかに名詞だけでなる謂語を修飾する例はちょっと見つけられません。
「何A」(何のA)について考えてみます。
これはつまり、「何楚人之多也」を「何の・なにゆえの楚人の多さだ」と解することになります。
前エントリーで引用した例なら、次のようになります。
・何太子之遣。(史記・刺客列伝)
(▼何ぞ太子の遣はすや。)
→何の・なにゆえの太子のご派遣か。
・此非吾君也、何其声之似我君也。(孟子・尽心上)
(▼此れ我が君に非ざるなり、何ぞ其の声の我が君に似たるや。)
→この人はわが君ではないのに、なにゆえのその声の我が君に似ていることだ。
・大姉、何蔵之深也。(史記・外戚世家)
(▼大姉、何ぞ蔵(かく)るることの深きや。)
→姉上、なにゆえのお隠れになることの深さです。
あえて「何のA」を意識して訳したのでぐらぐらした訳になっていますが、それなりに通りそうです。
これらはつまりは「どうして太子が派遣するのか」「どうしてその声が我が君に似ているのか」「どうして深く隠れているのか」につながる表現だと思います。
日本語で考えることの危険を承知でいうなら、「なんのお出ましですか」とか「なにゆえのためらいですか」が、要するに「なぜ出てこられたのか」「なぜためらうのですか」という意味を表しているのと似ていると思うのです。
先ほど「何」が「なぜ」の意味で名詞謂語を修飾する例が見つけられないと書きましたが、それはつまり「何」を状語として名詞謂語を修飾する例が見つけられないという意味です。
しかし、次のように考えることはできます。
たとえば「何書」は「何の書」「どんな書」以外の意味を表し得ません。
少なくとも「書」が書物という意味の名詞であれば。
しかし、「何益」や「何利」は、「何の利益」「どんな利益」以外にも、「何の利益があるか」「どんな利益があるか」のように解することができます。
そして「何ぞ益あらん」「何ぞ利あらん」として「どうして利益があるだろうか」と「何」を状語として説明することが可能になります。
もちろんその場合の「利」や「益」は名詞ではなく動詞なのだと言われてしまえばそれまでですが、私は「利」や「益」が叙述性をもつ語だからだと思うのです。
名詞はその用いられる環境の中で、叙述性をもつ場合があります。
たとえば「君君、臣臣」(君は君たり、臣は臣たり)なら、初めの「君」「臣」は単なる名詞ですが、後の「君」「臣」は名詞でありながら「君である」「臣である」という叙述性をもっています。
私は、そのような名詞述語の場合、「何の~」という表現が、「なぜ~する」という意味を表し得るのではないかと思います。
つまり、「何A」(何のA)は形の上では「何」は定語ですが、Aという名詞が叙述性をもつ場合、「何ぞAする」という意味を表し得るのではということです。
「君」「臣」が「君たり」「臣たり」という「たり」に相当する意味を含むように、「何益」の「益」には「あり」という意味を含むと考えれば、「何A之B」の「A之B」は、もともとAがBする関係、あるいはAする程度や状態がBである関係という叙述性のある名詞句なのですから、「AのBするあり」「AすることのBなるあり」など、「あり」に限らないとはいうものの何らかの叙述性を含んだ謂語たり得るのではないでしょうか。
したがって、「何楚人之多也」は、「なにゆえの楚人の多さだ」ではあるが、それはそのまま「なぜ楚人の多さあるだ」(変な日本語ですが)などの意味を表すのではないでしょうか。
ここでは「何」が定語なのか状語なのかということはあまり問題にならないような気がします。
「何益」は「何の益があろうか」とも「どうして益があろうか」とも解せますが、要するに同じことですから。
そのように考えれば、「何楚人之多也」は「何」はそのまま「楚人之多」を修飾して、間にポーズの置かれようはずもなく、「何也楚人之多」「何耶楚人之多」など直後に語気詞を取ろうはずもありません。
「何楚人之多」全体が謂語であるからこそ、語気詞「也」は文末に置かれるのだと思います。
私なりの結論として、この「何A之B(也)」という形式は、「何の・なにゆえのAのBすることだ」から「どうしてAがBするのだ」、あるいは「何の・なにゆえのAすることのBであることだ」から「どうしてAすることがBであるのだ」という意味を表すのであって、「之」は「このように」という指示語として働いているのでもなく、また、「A之B、何(也)」の倒置文でもないと考えます。
このような推論は、もはや主流の古典中国語文法からしてみれば、世迷い言になってしまうのかもしれません。
ですが私から見れば、「之」が「このように」という意味を表すのだという説の方がよっぽど不可解な解釈です。
誤っているかもしれないし、あるいはまたぞろ考えを変えてしまうかもしれませんが、それなりにすとんと落ちたような気がしています。
前エントリーを公開してからも、なおも「何A之B(也)」の形が気になって、中国の語法書を次から次へとめくっていると、康瑞琮の『古代漢語語法』(上海古籍出版社2008)に、次のように説明されているのを見つけました。
在古汉语中,这是一种常见的惯用型,它用来表示反问。这里中疑问代词“何”放在句子的开头,是全句的谓语,为了强调反问的内容而把它提到主语之前。而“何……之……”型的主语不是单词,而是词组。“之”是词组中的一个助词。例如:
(古漢語では,これは一つのよく見られる慣用型で,反問を表すために用いる。この中の疑問代詞「何」は文頭に置かれ,文全体の謂語であり,反問する内容を強調するために主語の前に出す。そして「何……之……」型の主語は単詞ではなくて、連語である。「之」は連語の中の一つの助詞である。たとえば…)
①何得車之多?(《荘子・列御寇》)…原文簡体字
――为什么得到(这么)多的车?
(なぜ(こんなに)多くの車を得たのか?)
这里的“何得车之多”就是“得车之多何”的倒装。“得车之多”是主语,即动补词组作主语。因此这句话也可译作“得到(这么)多车是为什么”。不过,这样翻译反问的语气便弱了。
(この「何得車之多」は「得車之多何」の倒置である。「得車之多」は主語で,動補構造が主語となっている。それゆえこの文は「(こんなに)多くの車を得たのはなぜか」と訳すことができる。しかし,このような訳の反問の語気は弱まってしまう。)
康瑞琮は、さらに「何許子之不憚煩?」(孟子・滕文公上)と「何秦之智而山東之愚耶?」(戦国策・斉策)の2例を挙げて、同様の説明をした上で、次のように述べています。
总之,在“何……之……”型的句子中,疑问代词“何”一般是与它后面的整个词组构成主谓关系,不是与某一动词、形容词产生状语与中心词的偏正关系。
(要するに,「何……之……」型の文中において,疑問代詞「何」は普通その後の連語全体と主謂関係を構成するのであって、ある一つの動詞や形容詞と、状語と中心語の偏正関係を生じるものではない。)
つまり、奇しくも康瑞琮の説明は前エントリーで類推を試みた私の考え方と同じで、「何A之B」を「A之B何」の倒置だとしているわけです。
ここで、我が意を得たりと喜びたいところなのですが、逆にまたぞろ「本当だろうか?」と思ってしまいました。
しかも、康瑞琮は「之」を「词组中的一个助词」(連語の中の1つの助詞)と述べているだけで、その働きには触れず、例文の訳の中で「(这么)」と( )付きで「之」の訳のつもりなのかどうかわからない形で示すばかりです。
実は、それなりに倒置という結論を出しておきながら、なおも語法書をめくっていたのは、どこかしっくり来ないものを感じていたからです。
それは文末の語気詞「也」です。
康瑞琮は他の2つの例のうち、「何許子之不憚煩?」(何ぞ許子の煩を憚らざる)については、「許子之不憚煩何」の倒置だと述べていますが、「何秦之智而山東之愚耶?」の方は倒置構造であることは説明しても、具体的にどんな文の倒置なのかは示していません。
もし示すとなると、「秦之智而山東之愚何耶」となるのでしょうか。
日本語からの想像はよくないかもしれませんが、もし私が類推したように「何A之B也」が「何だ、AのBするのは」もしくは「なぜだ、AのBするのは」という構造であるなら、語気詞「也」をどう考えればよいのでしょう。
この形式には康瑞琮の挙げた例に「耶」が用いられているように、「也」のほかに明らかに疑問、反語、詠嘆の語気を表す語気詞も文末に置かれます。
もし倒置であるとすれば、句末に置かれていることをどう説明できるでしょうか。
というよりも、そもそももし倒置であるとすれば、「何也A之B」とか「何耶A之B」などの例がいくつかは見つかりそうなものなのに、私が調べる限り、そのような例はありません。
実際のところ、「何」の直後にポーズを置き得るのでしょうか。
そんなふうに思い始めると、以前の「所」考察の折と同じように、また一度出した自分の結論を打ち消して、もう一度考え直すことになります。
「もし『之』を通説である『このように』という意味などではなく、『之』本来の働きに基づく『A之B』という一つの塊だとしたら」という前提に立ち戻らなければなりません。
前エントリーでは可能性は2つと即断しました。
つまり、主語「何」+謂語「A之B」の構造か、もしくは謂語「何」+主語「A之B」という倒置構造かです。
しかし、つくづく「何楚人之多也」をはじめとする多くの例を見ていると、まだ他に可能性があるように思えてきました。
定語「何」+中心語「A之B」からなる単独の謂語、あるいは状語「何」+謂語「A之B」です。
「何」が後に名詞をとって「何A」(何のA)という用いられ方をするのはごく普通のことです。
しかし、「何」がたとえば「なぜ」の意味で明らかに名詞だけでなる謂語を修飾する例はちょっと見つけられません。
「何A」(何のA)について考えてみます。
これはつまり、「何楚人之多也」を「何の・なにゆえの楚人の多さだ」と解することになります。
前エントリーで引用した例なら、次のようになります。
・何太子之遣。(史記・刺客列伝)
(▼何ぞ太子の遣はすや。)
→何の・なにゆえの太子のご派遣か。
・此非吾君也、何其声之似我君也。(孟子・尽心上)
(▼此れ我が君に非ざるなり、何ぞ其の声の我が君に似たるや。)
→この人はわが君ではないのに、なにゆえのその声の我が君に似ていることだ。
・大姉、何蔵之深也。(史記・外戚世家)
(▼大姉、何ぞ蔵(かく)るることの深きや。)
→姉上、なにゆえのお隠れになることの深さです。
あえて「何のA」を意識して訳したのでぐらぐらした訳になっていますが、それなりに通りそうです。
これらはつまりは「どうして太子が派遣するのか」「どうしてその声が我が君に似ているのか」「どうして深く隠れているのか」につながる表現だと思います。
日本語で考えることの危険を承知でいうなら、「なんのお出ましですか」とか「なにゆえのためらいですか」が、要するに「なぜ出てこられたのか」「なぜためらうのですか」という意味を表しているのと似ていると思うのです。
先ほど「何」が「なぜ」の意味で名詞謂語を修飾する例が見つけられないと書きましたが、それはつまり「何」を状語として名詞謂語を修飾する例が見つけられないという意味です。
しかし、次のように考えることはできます。
たとえば「何書」は「何の書」「どんな書」以外の意味を表し得ません。
少なくとも「書」が書物という意味の名詞であれば。
しかし、「何益」や「何利」は、「何の利益」「どんな利益」以外にも、「何の利益があるか」「どんな利益があるか」のように解することができます。
そして「何ぞ益あらん」「何ぞ利あらん」として「どうして利益があるだろうか」と「何」を状語として説明することが可能になります。
もちろんその場合の「利」や「益」は名詞ではなく動詞なのだと言われてしまえばそれまでですが、私は「利」や「益」が叙述性をもつ語だからだと思うのです。
名詞はその用いられる環境の中で、叙述性をもつ場合があります。
たとえば「君君、臣臣」(君は君たり、臣は臣たり)なら、初めの「君」「臣」は単なる名詞ですが、後の「君」「臣」は名詞でありながら「君である」「臣である」という叙述性をもっています。
私は、そのような名詞述語の場合、「何の~」という表現が、「なぜ~する」という意味を表し得るのではないかと思います。
つまり、「何A」(何のA)は形の上では「何」は定語ですが、Aという名詞が叙述性をもつ場合、「何ぞAする」という意味を表し得るのではということです。
「君」「臣」が「君たり」「臣たり」という「たり」に相当する意味を含むように、「何益」の「益」には「あり」という意味を含むと考えれば、「何A之B」の「A之B」は、もともとAがBする関係、あるいはAする程度や状態がBである関係という叙述性のある名詞句なのですから、「AのBするあり」「AすることのBなるあり」など、「あり」に限らないとはいうものの何らかの叙述性を含んだ謂語たり得るのではないでしょうか。
したがって、「何楚人之多也」は、「なにゆえの楚人の多さだ」ではあるが、それはそのまま「なぜ楚人の多さあるだ」(変な日本語ですが)などの意味を表すのではないでしょうか。
ここでは「何」が定語なのか状語なのかということはあまり問題にならないような気がします。
「何益」は「何の益があろうか」とも「どうして益があろうか」とも解せますが、要するに同じことですから。
そのように考えれば、「何楚人之多也」は「何」はそのまま「楚人之多」を修飾して、間にポーズの置かれようはずもなく、「何也楚人之多」「何耶楚人之多」など直後に語気詞を取ろうはずもありません。
「何楚人之多」全体が謂語であるからこそ、語気詞「也」は文末に置かれるのだと思います。
私なりの結論として、この「何A之B(也)」という形式は、「何の・なにゆえのAのBすることだ」から「どうしてAがBするのだ」、あるいは「何の・なにゆえのAすることのBであることだ」から「どうしてAすることがBであるのだ」という意味を表すのであって、「之」は「このように」という指示語として働いているのでもなく、また、「A之B、何(也)」の倒置文でもないと考えます。
このような推論は、もはや主流の古典中国語文法からしてみれば、世迷い言になってしまうのかもしれません。
ですが私から見れば、「之」が「このように」という意味を表すのだという説の方がよっぽど不可解な解釈です。
誤っているかもしれないし、あるいはまたぞろ考えを変えてしまうかもしれませんが、それなりにすとんと落ちたような気がしています。