『史記』「鴻門の会」注解
(内容:『史記』「鴻門の会」の文法解説。はじめに。)
『史記』「鴻門の会」注解
はじめに国語の授業は、もっと「主体的・対話的で深い学び」でなければならぬという要求の中で、古典の授業法も改善が叫ばれる。
古典・漢文嫌いを生み出す元凶が文法指導に傾き過ぎた授業にあるというのは至極もっともな指摘ではあるが、しかし一方で、妥当な鑑賞や考察が「主体的・対話的で深い学び」のもとに実現するためには、正確な本文解釈が前提になることを忘れてはなるまい。
それがないままに、ただ「こう読んであるから」と訓読に頼って日本語として何となくわかったつもりの題材を、深い知識や教養、さらには適切な資料なしに想像をめぐらし、思いつきを越えない対話を繰り返してみても、「深い学び」など実現すべくもない。
つまり、文法理解に基づかぬ曖昧な本文解釈からは決して「主体的・対話的で深い学び」は生まれてこないのだ。
これはむしろ授業者側に言えることではないか。
しかし、だからといって今まで通り、あるいは今まで以上に文法理解を中心にした授業を行うべきだと主張するのではない。
よりわかりやすく、より真実に近く、より合理的に漢文の文法を学ぶ方策について論じることはおもしろいが、本稿はそれを論じるためのものではなく、あくまで授業者や学習者が教材を正しく理解することによって初めて適切な学びの場が実現するとの信念のもとに、授業者の一助になればと語法注解を試みるものである。
正しく教材を理解することを前提に、鑑賞や考察の妥当な切り口を見つけ、そこから何を対話し、何を主体的に学んでいくのか考えたい、深い授業の構築を目指したいものである。本稿は、筆者がこれまで古典中国語文法に基づく漢文の授業を模索してきた延長上に、定番教材の『史記』「鴻門の会」を中国の古典文法に基づき解説するものである。
こう訓読しているから、なんとなくそういう意味だと思っていたではなく、語法的にこう説明されるという理解を基盤として、授業者がまず授業者として自信をもって授業作りを行えるための一助、それを目標に筆を執るものである。
『史記』の「鴻門の会」は教科書定番教材であるために、教師用指導書や参考書に、時代背景や事物の説明等は詳細なものがいくらでも見つけられるが、本稿の性質上、それらについては諸本に譲り、詳しい説明は行わず、もっぱら語法解説に重きを置いた。
ただ、筆者が興味を抱いたことについてはその限りではない。
テキスト本文は瀧川資言の『史記会注考証』を底本とし、文字の異同について諸本を参照して改めたところがある。
また、句読点については、あえて中華書局『点校本二十四史修訂本 史記』に従い、従来日本で読まれていた句読とは異なる中国の捉え方を示して参考に供した。語法については、諸説ある部分、幾通りにも解せる部分は当然あり、本稿に述べることが唯一のものではないこともご理解いただきたい。
各段落末には「文の成分および品詞分解」を設け、理解の便をはかった。
特に謂語(述語)については、たとえば「能」「可」などの助動詞を伴っている場合はそれをも含めて謂語として示し、また、謂語が副詞などの修飾語を伴う場合は否定副詞「不」などを伴う場合以外は、中心語のみを謂語とした。
「不食」(食べない)の「食」のみを謂語とするのはあまりに不自然だからであり、この点の不統一はご容赦いただきたい。
当然「不自意」(自分では思わない)なども、「自」のみを省いて謂語とするわけにもいかなかった。各成分については、それ自体がさらに別途成分分解が可能なこともあり、その場合は(謂)(賓)などと示したが、煩雑さを避けるために、それ以上の成分分解は行わなかった。
浅学ゆえに誤りもあろうかとも思う。
ご指摘、ご教授いただきたい。
「文の成分および品詞分解」で用いた略語および文法用語は、およそ下記の通りである。〔成分〕
主…主語
謂…謂語(述語)
賓…賓語(目的語)
補…補語(後置修飾語)
連用…状語(連用修飾語・句)
介…介詞句(前置詞句)
〔品詞〕
名…名詞
名(方)…方位詞
代…代詞
動…動詞
副…副詞
形…形容詞
助動…助動詞
介…介詞(前置詞)
数…数詞
量…量詞
連…連詞(接続詞)
嘆…嘆詞
語気…語気詞
結構…結構助詞(構造助詞)
助…その他の助詞
↓下の目次よりご参照ください。
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