『史記』「鴻門の会」注解4
『史記』「鴻門の会」注解4■原文(1)
項荘抜剣起舞、(2)
項伯亦抜剣起舞、(3)
常以身翼蔽沛公、(4)
荘不得撃。(5)
於是張良至軍門、(6)
見樊噲。樊噲曰、「(7)
今日之事何如。」良曰、「(8)
甚急。(9)
今者項荘抜剣舞、(10)
其意常在沛公也。」噲曰、「(11)
此迫矣、(12)
臣請入、(13)
与之同命。」(14)
噲即帯剣擁盾入軍門。■訓読項荘剣を抜き起(た)ちて舞ふも、項伯も亦た剣を抜き起ちて舞ひ、常に身を以て沛公を翼蔽(よくへい)し、荘撃つを得ず。是(ここ)に於て張良軍門に至り、樊噲(はんくわい)を見る。樊噲曰はく、「今日の事何如(いかん)」と。良曰はく、「甚(はなは)だ急なり。今者(いま)項荘剣を抜き舞ふも、其の意は常に沛公に在るなり」と。噲曰はく、「此れ迫れり。臣請ふ入らん、之と命を同(とも)にせん」と。噲即ち剣を帯び盾を擁(よう)して軍門に入る。■訳項荘は剣を抜いて立ち上がって舞ったが、項伯も剣を抜いて立ち上がり舞い、常に身体で沛公をつばさで覆うようにかばったので、項荘は斬りつけることができなかった。そこで張良は軍門へ行き、樊噲に会った。樊噲は、「今日のことはどのようですか」と言った。張良は、「とても危ない。今項荘が剣を抜いて舞っているが、その狙いは常に沛公にあるのだ」と言った。樊噲は、「それは差し迫っている、私めどうか(中に)入らせてください、彼と運命を共にしましょう」と言った。樊噲はすぐに剣を帯び盾をかかえて軍門に入った。■注(1)【項荘抜剣起舞】主語「項荘」に対して、謂語「抜」「舞」が時間軸で配置される連動文。
「起」は、起き上がる。項荘は剣で舞うことの許諾を項王に得るにあたり、ひざまずいていたはずである。
(2)【項伯亦抜剣起舞】「亦」は、行為や事情が前と同じであるか繰り返されるかを表す重複副詞。
項荘が剣を抜いて立ち上がり舞いだしたが、項伯もまた同じ動作をするということ。
(3)【常以身翼蔽沛公】 謂語「翼蔽」+賓語「沛公」からなる文、介詞句「以身」(身体で)が謂語を連用修飾する。
「翼蔽」は、名詞「翼」が連用修飾語として謂語動詞「蔽」の前に置かれたものだと思う。
古代漢語においては、介詞を用いずとも動詞の前に置かれた名詞が副詞のように働いて、状態や比喩、手段などを表すことがある。
たとえば、『春秋左氏伝・荘公八年』に「射之、豕人立而啼」(これを射ようとすると、豚は人のように立ち上がって鳴いた)とあるが、名詞「人」は副詞のように働いて「人のように」の意で謂語動詞「啼」を連用修飾する。
「翼蔽」は「翼のように覆う」とも「翼で覆う」ともとれるが、これと同じ用法か。
なお、王叔岷『史記斠証』は、「翼蔽」は複語であり、「翼」も「蔽」と同じであるとする。
(4)【荘不得撃】「得」は1の(7)で述べた。
「不得」は不可能を表すが、客観的な状況が許さない、つまり項伯にじゃまされて斬りつける機会がないために不可能なのである。
(5)【於是】介詞「於」の賓語が代詞「是」の句。したがって介詞句としては、代詞の指す内容により、「この時に」「この場所で」などの意になるが、熟して連詞としても用いられ、前に述べられた内容を踏まえてその因果関係で、次のことが起こることを表す。そこで。
(6)【見樊噲】「見」は、1の(1)で述べた。
(7)【今日之事何如】「今日之事」の「之」は結構助詞。連体修飾の関係を示す。
「何如」は、形容詞性の疑問を表し、状態や評価を問う。
どうであるか。「如」は類似を表す動詞で、「如A]の形で「Aに似る」から「Aのようである」という意味を表すが、ここでは「如」の賓語が疑問代詞「何」なので倒置されたもの。「何若」「何似」も同じ。
(8)【甚急】「甚」は、程度が大きいことを表す程度副詞。とても、非常に。
「急」は、事が差し迫り危険であるの意の形容詞。
(9)【今者】1の(8)で述べた。
(10)【其意常在沛公也】「其意」は、「彼の狙い」。
「其」は人称代詞で「項荘」を指す。
「意」は、「心の中に抑えられて充満する思い」が原義の語で、心、思い、思惑、狙いなどの意味を表すようになった。
ちなみに、いわゆる「意味」の意は、「事物に対する客観的な思い」で、その引申義である。
「在」は、存在を表す語だが、「有」が何が存在するかに焦点があるのに対して、「在」はどこに存在するかに重点が置かれる語である。
「也」は、ここでは確認(断定)の語気を表す語気詞。
(11)【此迫矣】「此」は、近称の指示代詞。これ、それ。
張良が述べた、項荘が沛公を狙っている事態を指す。
「迫」は、切迫した状態、危険な状態を表す形容詞。危ない。
「矣」は、必然的判断の語気詞。
訓読の語調からか「迫れり」と読まれることが多いが、ここは完了の意ではない。
(12)【臣請入】「請」については、3の(12)で述べた。
この箇所、日本では概ね後の部分も含めて「臣請、入与之同命。」と句読点を施し、「臣請ふ、入りて之と命を同じくせん。」と読んでいるが、中国の標点本ではみな「臣請入,与之同命。」とする。
「請」の後の読点はともかくとして、解釈の違いが気になるところだ。
つまり日本では「どうか中に入ってこれと命をともにさせてください」と解しているのに対して、中国では「どうか中に入らせてください、これと命をともにしましょう」と解していることになる。
どちらでも解せるところだが、直接的には入らせてほしいというのが張良に求める内容で、命をともにするのは樊噲の意志だと思えば、中国の読みでもよいのかもしれぬ。
(13)【与之同命】介詞句「与之」(彼と)が、謂語「同」を連用修飾する形。
この句、人称代詞「之」が誰を指すかで、古来解釈の分かれるところである。
すなわち、「項荘と(刺し違えて)生死をともにする」、「主の沛公と生死をともにする」、「主の沛公と(刺し違えて)生死をともにする」の三つである。
項荘を項羽方の連中と広げて解せばさらに増える。
いずれも通じるが、もともと二様の意味を含む表現で、沛公と生死をともにし、項羽らに命を投げ出しましょうと解する説もある。(張大可『史記新注』華文出版社2000)
(14)【噲即帯剣擁盾入軍門】主語「噲」に対して、時間軸で謂語「帯」「擁」「入」が置かれる連動文。
「即」は、即時を表す時間副詞。すぐに、すぐさま。
「帯剣」は、剣を身につける。
「擁盾」は、盾を身体の前に抱え持つの意。【文の成分および品詞分解】(←クリックしてください)