『史記』「鴻門の会」注解3

(内容:『史記』「鴻門の会」の文法解説。その3。)

『史記』「鴻門の会」注解3

■原文
(1)范増起、出召項荘、謂曰、「(2)君王為人不忍、(3)若入前為寿、(4)寿畢、(5)請以剣舞、(6)因撃沛公於坐、殺之。(7)不者、(8)若属皆且為所虜。」(9)荘則入為寿、寿畢、曰、「(10)君王与沛公飲、(11)軍中無以為楽、(12)請以剣舞。」項王曰、「(13)諾。」

■訓読
范増起(た)ち、出でて項荘(かうさう)を召し、謂(い)ひて曰はく、「君王人と為(な)り忍びず、若(なんぢ)入り前(すす)みて寿(じゆ)を為(な)し、寿畢(を)はらば、剣を以て舞はんことを請ひ、因りて沛公を坐に撃ち、之を殺せ。不(しから)ずんば、若が属(ぞく)皆且(まさ)に虜(とりこ)とする所と為らんとす」と。荘則ち入りて寿を為し、寿畢はりて、曰はく、「君王沛公と飲むも、軍中に以て楽を為す無し、請ふ剣を以て舞はん」と。項王曰はく、「諾(だく)」と。

■訳
范増は立ち上がり、(宴会場を)出て項荘を呼び寄せ、(彼に)告げて、「君王(=項王)は人柄が無慈悲ではない、お前が(中に)入り進み出て長寿の祝いをし、長寿の祝いが終わったら、剣で舞うことを求め、その機に沛公を席上に斬りつけ、彼を殺せ。そうしなければ、お前たちはみな捕虜になるであろう」と言った。項荘はそこで(会場に)入り長寿の祝いをし、祝いが終わると、「君王は沛公と飲んでいらっしゃるが、軍中には音楽をなす手立てがありませんので、どうか剣で舞わせてください」と言った。項王は「よかろう」と言った。

■注
(1)【范増起、出召項荘、謂曰】
主語「范増」に対して、「起」→「出」→「召」→「謂曰」と、複数の謂語が時間軸で配置される文。
このように複数の謂語が何らかの関係をもちながら配置される文を連動文という。


「起」は、立ち上がる。
「起」の原義は「走るのをやめて立ち止まる」の意で、故に「立つ」の意味を表すようになったが、屈していたものが起き上がるの意はその引申義である。


「召」は、呼び寄せる。「招」に通じる。
日本語の「召す」とは違い、尊敬表現ではない。


「謂」の用法は多く、「告げる」「批評する」「名付ける」「思う、考える」など様々な意味を表すが、ここでは「謂A曰B」(Aに(告げて)Bと言う)の意味で用いられている。
その意味で「謂」はあたかも介詞のようにも見えるが、「曰」を用いない例もあり、やはり動詞であろう。

「謂」の用法については西田太一郎『漢文の語法』(角川書店1980)に詳しいが、それによれば、Bが短い内容であれば、「謂AB」(AにBと謂ふ)の形もまれにとることがある。『詩経・小雅・出車』の「謂我来矣」(私に来いという)などがその例。

ここの「謂曰」はもちろん「謂項荘曰」の省略形で、直前に「出召項荘」とあるので省略したもの。
「謂之曰」(彼に言う)と表現することもある。


(2)【君王為人不忍】

主語「君王」に対して、謂語がさらに主語「為人」+謂語「不忍」の構造をとる主謂謂語文。
いわゆる「象は鼻が長い」に似た構造である。

「為人」は、本来「人である」の意で、「為」は繋辞であったが、名詞化して「人であるさま」から人の性格や人柄、体の特徴などを表すようになったもの。
「ひととなり」という和訓は、古く「性」にあてられた訓だが、「為人」を「人と為る」と訓じた動詞「なる」の連用形が名詞化したものであろう。


「不忍」は、残虐でない。
「忍」は、むごい、無慈悲だの意の形容詞。


(3)【若入前為寿】

「若」は二人称代詞、あなた、お前。
牛島徳次『漢語文法論(古代編)』(大修館書店1967)には
「『二人称』は,話し手が聞き手を直接さし示すもので,史記においては,話し手が聞き手よりも社会的あるいは主観的に優位にある場合に限って用いられる」
として、「若」について
「史記において,最も一般的に用いられている『二人称』は『若』である。このことは『若』が漢代の物語中に多く用いられていることと,『予』や『余』とは併用されず,『吾』『我』とだけしか併用されないことによっても裏付けられよう」
と述べている。


「前」は、進む。前進する。
「前」の本義は「揃えて切る」で、いわゆる「前」は借用である。引申義として、前に進むの意を派生した。


「寿」は、酒杯などを献じて長命の祝いをすること。


(4)【寿畢】

「畢」は、終わる。「終わる」「終える」の両義がある。

(5)【請以剣舞】

後にも項荘の言葉として同じ「請以剣舞」が出てくるが、構造は異なる。
ここは、謂語「請」+賓語「以剣舞」の構造。
「請」は求めるの意の動詞である。
賓語の「以剣舞」は、さらに介詞句「以剣」+謂語「舞」の構造をとる。
「以」は、「~を用いて、~で」の意で、手段を表し、「以剣」(剣で)が謂語「舞」を連用修飾する。


(6)【因撃沛公於坐、殺之】

主語「若」に対して、謂語「撃」「殺」を時間軸に配し、手段と行為の関係を示す連動文。

「因」は、「その機に乗じて、その機会に」の意の副詞。


「撃沛公於坐」は、謂語「撃」+賓語「沛公」+補語「於坐」の構造。
介詞句「於坐」が謂語や謂語+賓語に後置され、後から謂語を修飾する。
介詞「於」は場所を表す。~で。


「殺之」の代詞「之」は人称代詞。彼。沛公を指す。


(7)【不者】

否定副詞「不」と仮定の語気詞「者」からなる。そうしなければ、そうでなければ。
前に述べたことを否定した場合どうなるかを後に導く場合に用いる。
したがって、「不者」は単独で複文の前句になる。
意味的には、この例の場合なら「不者」は「不殺者」に相当するが、省略形というよりは、「不者」で一つの固定的な表現である。
「否則」「不則」(しからズンバ・しからザレバ)も同様に用いられる。


(8)【若属皆且為所虜】

「若属」は、お前たち。
「属」は助詞で、同類のものを表す名詞から複数を表す助詞に転じた。代詞の後に置かれる。
この箇所、項荘の一族と説明されることがあるが、事実は合致するにしても、「一族」という意味で用いられているわけではない。
後に范増が「吾属今為之虜矣」(我らは今に彼の捕虜になるであろう)と述べているが、まさか范増の一族を指すわけではあるまい。
自分も含めた項王方を指しているのである。


「且」は将来を表す時間副詞。~するだろう。


この句は、「若属皆且為沛公所虜」の省略形で、主語「若属」+謂語「且為」+賓語「(沛公)所虜」の構造。
「A為B所C」で受身と説明される形式だが、「AがBのCとなる」「AがBのCである」の意から、受動を表し得るもの。
「いけどる」の意の動詞「虜」が結構助詞「所」の働きにより名詞化し、さらにその「所虜」(=捕虜)が、沛公に修飾限定されるので「沛公の捕虜」という意味になる。
つまりこの句は「お前たちはみな沛公の捕虜になるだろう」の意なのだが、「捕虜にされる」とことさらに訳されるのは、「A為B所C」が安定的な受身形式だからであろう。


(9)【荘則入為寿】

「則」は、ここでは「そこで」の意。
この箇所の「則」について、以前筆者は中国の語法書に時間副詞として「即」に通じるという説かれるのに従い、「すぐに」の意と解していた。
この解釈については日本の漢和辞典にもその記述が見られるものだが、今はどうかと思う。
「則」の字は、その成り立ちが、「刀で傷つける」意とも「基準に照らして器の肉を切り分ける」意とも「器に刀を添える」意ともいわれ、転じて「法則」「規則」の意に用いられる。
その原義が、虚詞「則」の働きに通じているはずで、「A則B」(AすればBする)は、「Aする場合はBする」との法則に基づくものだ。
ここで、「則」を「そこで」と訳すのは、前の内容を受けて、後に続ける働きであって、前の内容を踏まえれば、こうなると法則の働きで示すのである。
項荘が范増に沛公暗殺を命じられ、沛公を斬らなければ一族はみな捕虜になるぞと脅された以上、そのような状況である場合、項荘は必然的に言われたとおりに行動することになるのであって、これは法則に基づくものというべきだろう。


(10)【君王与沛公飲】

主語「君王」+謂語「飲」の構造。
介詞句「与沛公」(沛公と)が謂語を連用修飾する。
「与」は動作行為を共にする相手を示す。
これがいわゆる従属の用法だ。


(11)【軍中無以為楽】

「無」は存在や所有を否定する動詞。
通常、「A無B」(AにB無し)で、非存在を表す存在文を作る。
賓語Bは意味上の主語となり、存在主語AがそのBの存在しない範囲を表す。
しかし、「無以」は、「無」が「以~」(それによって~する)を賓語にとり、手立てのないことを表す。
ここでは「それによって「為楽」(娯楽をする)手立てがないという意味。「以」はもちろん介詞だが、その賓語が特定できない場合もある。


「楽」は娯楽。音楽とする説もある。


(12)【請以剣舞】

(5)と同文だが、構造は異なり、謂語は「請」ではなく「舞」である。
副詞「請」と介詞句「以剣」は謂語を連用修飾する。

この「請」は敬謙副詞で、主に会話中で用いられ、相手に対してへりくだって自分の行為の許諾を求め「どうか~させてください」という意味を表す場合と、へりくだって相手の行為を求め「どうか~してください」という意味を表す場合の二種類がある。ここでは前者。
いわば英語の「please」に相当する。


(13)【諾】

嘆詞で、応答の辞。はい、よし。同意を表す。

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