『史記』「鴻門の会」注解9

(内容:『史記』「鴻門の会」の文法解説。その9。)

『史記』「鴻門の会」注解9

■原文
(1)沛公已去、(2)間至軍中、張良入謝、曰、「(3)沛公不勝桮杓、(4)不能辞。(5)謹使臣良奉白璧一双、再拝献大王足下、玉斗一双、再拝奉大将軍足下。」項王曰、「(6)沛公安在。」良曰、「(7)聞大王有意督過之、(8)脱身独去、(9)已至軍矣。」(10)項王則受璧、(11)置之坐上。亜父受玉斗、置之地、(12)抜剣撞而破之、曰、「(13)唉、(14)豎子不足与謀。(15)奪項王天下者、(16)必沛公也、(17)吾属今為之虜矣。」沛公至軍、(18)立誅殺曹無傷。

■訓読
沛公(はいこう)(すで)に去り、軍中に至るを間(うかが)ひ、張良入りて謝して、曰はく、「沛公桮杓(はいしやく)に勝(た)へず、辞する能(あた)はず。謹みて臣良をして白璧(はくへき)一双を奉(ほう)じ、再拝して大王足下(そくか)に献じ、玉斗一双は、再拝して大将軍足下に奉ぜしむ」と。項王曰はく、「沛公安(いづ)くにか在る」と。良曰はく、「大王之を督過(とくくわ)するに意有りと聞き、身を脱して独り去り、已に軍に至れり」と。項王則ち璧を受け、之を坐上に置く。亜父(あほ)玉斗を受け、之を地に置き、剣を抜き撞(つ)きて之を破りて、曰はく、「唉(ああ)、豎子(じゆし)は与(とも)に謀(はか)るに足らず。項王の天下を奪ふ者は、必ず沛公なり、吾が属(ぞく)今に之が虜(とりこ)と為らん」と。沛公軍に至り、立ちどころに曹無傷(さうむしやう)を誅殺(ちゆうさつ)す。

■訳
沛公はもはや去り、軍中に到着する頃を見計らい、張良は(宴会場に)入り謝って、「沛公は飲酒に耐えず、ご挨拶できません。謹んで私良めに白璧一対を捧げ、再拝して大王様に献上させ、玉斗一対は、再拝して大将軍様に差し上げさせます」と言った。項王は、「沛公はどこにいるのか」と言った。張良は、「大王様が彼をおとがめになることにお気持ちがおありと聞いて、脱出して単身去り、すでに軍に到着いたしました」と言った。項王はすぐに璧を受け、それを座のそばに置いた。亜父は玉斗を受け、それを地に置き、剣を抜き突いてそれを壊して、「ああ、小僧とは(大事を)はかることはできない。項王の天下を奪うものは、きっと沛公であろう、我らはまもなく彼の捕虜になるであろう」と言った。沛公は軍に到着し、すぐさま曹無傷を罪をとがめて殺した。

■注
(1)【沛公已去】
「已」は、完了を表す時間副詞。すでに、もはや、もう。

沛公の脱出が無事成功したことになるが、このことについては、『会注考証』等諸本が引用する董份の説が状況の不自然を指摘する。
すなわち、禁衛の士が鴻門の軍門出入りをとがめており、沛公が自由に逃げ出すことはできなかったはずであること。
沛公ならびに張良、樊噲が揃って宴会場を出てずいぶん経つのに、内には項王が何も疑わず、外には項王の耳目となるものが一人もいなかったこと。
まして范増は沛公を殺すつもりなのであって、取り逃がすことを恐れていたはずなのに、沛公が出てずいぶん経つにもかかわらず速やかに呼ばなかったこと。
これらがみな疑わしいとする。


これに対し、梁玉縄『史記志疑』は、沛公は厠に出てから、張良樊噲と数語交わしただけですぐに去っており、それほど時間は経っていない。
車騎はなお鴻門にあるのだから疑うはずもなく、まして項王はすでに陳平に沛公を呼ばせており、何もしなかったわけではない。
禁衛の士も樊噲一人止められなかった者どもで、沛公の脱出を抑止できるはずもないとする。


他にも沛公の脱出劇に疑問を抱くもの、またそれに対して説明するものが見られるが、どうあれ、たやすく脱出できたことは確かに現実的ではないと思える。
司馬遷の闊達な筆致であり、必ずしも史実に忠実な記述ではあるまい。


(2)【間至軍中】

「間」は、解釈が揺れる。
副詞として、「秘密裏に、こっそり、ひそかに」、あるいは「抜け道を通り、近道をして」の意とするもの。
「しばらくして」の意とするものもある。
さらに動詞として「見計らう」の意とするもの。
手元にある中国の訳本では、張良の估計(見積もる、はかる)とするもの、抜け道を通りの意とするものの二つに大きく分かれているが、ここでは「見計らう」の意として解した。
これを「~(する)ころほひ」と訓読するものもあるが、「うかがフ」と動詞で読んでおく。


(3)【沛公不勝桮杓】

「桮杓」は、さかずきと、酒をくむひしゃく。
転じて「酒を飲むこと」の意。
「桮」は「杯」に同じ。


「勝」は、耐えるの意。
「不勝桮杓」とは、酔っ払ってもう酒を飲めないということ。


(4)【不能辞】

「能」は能力的に可能であることを表す助動詞。

「辞」は、6の(2)で述べた。


(5)【謹使臣良奉白璧一双、再拝献大王足下、玉斗一双、再拝奉大将軍足下】

「(沛公)使臣良」(沛公が私良を使役する)と、「臣良奉白璧一双、再拝献大王足下…」(私良が白璧一対を捧げ、再拝して大王の足下に献上…させる)の2文が、「臣良」を介して1文化した使役の兼語文。
この文のように、2文目の謂語が多岐に分かれている場合は、「~させ、~させる」などと工夫して訳すとよい。


「謹」は、7の(7)参照。


「臣良」は、項王に対して張良がへりくだった謙称、「わたくしめ」にあたる。
「臣」は必ずしも自分の直接の主君でない場合にも多用される。
沛公の家臣である良という意味ではあるまい。


2つの「奉」はいずれも動詞で、両手で恭しく捧げ持つが原義。
「奉白璧一双」の方は捧げ持つ、「奉大将軍足下」の方は、捧げ持って献上するの意で用いられている。


「再拝」は、二度お辞儀をする。
丁重な態度を示すための動作。


「足下」は、目下から目上に対する敬称。
本来文字通り足下の意だが、直接相手を指すことを避け、足もとに換えて表現したもの。
単独でも「あなたさま」の意で用いるが、この例のように呼称とともに用いることもある。
したがって、「大王足下」「大将軍足下」は、大王陛下、大将軍閣下ぐらいの意で、必ずしも大王様の「足もと」に献上するという意味ではないかもしれぬ。


なお、大将軍は范増を指すが、『史記』の中で范増を大将軍と称するのは、この箇所のみである。
張良により持ち上げられた表現。


(6)【沛公安在】

主語「沛公」+賓語「安」+謂語「在」の構造。
「安」が疑問代詞「どこ」の意味を表す賓語であるため、謂語の前に倒置したもの。
「何在」(いづクニカあル)も同義。


(7)【聞大王有意督過之】

主語は沛公。つまり、主語「沛公」+謂語「聞」+賓語「大王有意督過之」となる。
賓語自体は、謂語「有」+賓語「意」+賓語「督過之」の構造の存在文で、「気持ちが彼をとがめることにある」の意だが、賓語であるため「気持ちが彼をとがめることにあること」という名詞句とみなす。

「意」については、4の(10)で述べた。


「督過」は、罪を責めとがめる。
王叔岷『史記斠証』は、「過」は「責」であるとして、「督過」を「督責」と同じであるとする。


「之」は、人称代詞。彼。沛公を指す。


(8)【脱身独去】

7の(12)参照。

(9)【已至軍矣】

完了を表す時間副詞「已」と、完了の語気詞「矣」の呼応で、「すでに~してしまった」の意を表す。
「すでに覇上の軍に到着した」ということ。
しかし、張良はそれを見たわけではなく、あくまで沛公が脱出してからの経過時間による推測なので、「今頃はすでに軍に到着しただろう」と解釈されることもある。


(10)【項王則受璧】

「項王則~」は、「項王は・項王の場合は」の意。
松下大三郎が『標準漢文法』(紀元社1927)にいう分節の用法で、場合を分けて説明する働き。
亜父が玉斗を地に置き壊すのに対して、項王は受領して坐上に置く。
つまり、「項王の場合は~したが、亜父は…」と、場合を分けて説明しているのだ。
牛島徳次も『漢語文法論(古代編)』(大修館書店1967)で、「則」の字の働きとして次のように述べ、この例文を引用している。
「則」は,他の場合と対照的に,「Sの場合は,Pだ。」という限定を表す。
例:「秦人諺曰:力則任鄙,智則樗里。」
(秦の人々の諺に「力なら任鄙,ちえなら樗里。」というのがある。)
 :「項王則受璧,置之坐上;亞父受玉斗,……」
(項羽は璧を受けとると,それを座席に置いた。亜父は玉のさかずきを受けとると,……)
この「項王則~」の「則」の意を、筆者は以前「即」に通じて「すぐに」と述べていたが、そうであるまい。


(11)【置之坐上】

謂語「置」+賓語「之」+賓語「坐上」の構造。
介詞を用いた「置之於坐上」と同義。
いわゆる双賓文とは異なり、二つの賓語をとる構造では、この例のように後の賓語が処所賓語であることが多い。


「坐上」は、座席のそば。
「上」は方位詞で、そばの意。
「川上」なら川のほとり。
「塞上」なら塞のあたり。


(12)【抜剣撞而破之】

主語「亜父」+謂語「抜」+賓語「剣」、謂語「撞」、謂語「破」+賓語「之」の連動文。
時間軸で構成される。
あるいは、「抜剣撞而」が謂語「破」の連用修飾句を構成しているとみることもできる。


「撞」は、叩くの意の動詞。


「破之」は、これを壊す。
「之」は指示代詞、玉斗を指す。


(13)【唉】

嘆詞。嘆息の声を表す。
応答の声が原義。
参考までに郭錫良『漢字古音手冊』による上古音は「ə」。
呼びかけに対して「アー」と応じるのだが、嘆息の声はその引申義。
訓読では、いずれの場合も「ああ」と読む。


(14)【豎子不足与謀】

この句、本来は「(吾)不足与豎子謀」(私は小僧とはかりごとはできない)の介詞賓語「豎子」を文頭に出し、主題主語としたもの。
したがって、「与」は「ともニ」と訓じても「一緒に」の意味ではなく、あくまで「豎子と」の意。
あえて訳せば「彼と」となる。
『論語・微子』の「鳥獣不可与同群」(鳥や獣はそれらと群れを同じくすることはできない)も同様の表現。
介詞「与」の賓語が主題主語になっているのだから、「小僧とは」とでも訳すと自然か。


「豎子」は、若造、小僧。項王を指すとも項荘を指すともとれる。
暗に項王をそしるとするのが一般的な解釈だが、『会注考証』では、暗に項王をそしりはするが、直接的には項荘を非難したものとし、もし直接項王をそしったとすれば、下文の「奪項王天下者、必沛公也」の「項王」の二字が不可解であるとする。
つまり、項王を小僧とそしったのであれば、下文で客観的に「項王の天下」と述べられるのには違和感があるわけだ。
あくまで沛公暗殺を成し遂げられなかった項荘を責め、そのために項王の天下が奪われるという流れで解釈するのが自然だということ。


助動詞「足」については、6の(2)参照。


(15)【奪項王天下者】

後の「必沛公也」に対して、判断文の主語になる。

「者」は、「~者、…也」(~は、…である)の形をとり、語調をいったんポーズして主語を提示し、判断を明確にする働きをする語気詞。
ただし、「者」には動詞句の後に置かれて名詞句を作る結構助詞の働きもあり、ここはそれを兼ねたものとみることができる。


(16)【必沛公也】

「必」は、なりゆきからのほぼ確定的な推定を示す副詞。きっと、かならず。
その意味で、この句を「必ず沛公なり」と読みはしたが、「也」を不読として「ならん」を送ってもよい。
ただし、原文は「きっと沛公だ」の意であって、「だろう」ではない。


「也」は、判断を表す語気詞。


(17)【吾属今為之虜矣】

中国では一般に「為」を受身を表す介詞として、「彼に(=沛公に)捕虜にされるだろう」と解している。
「A為B所C」の形式についても、「為」を介詞とするのが普通である。
しかし、おそらくこの形式の「為」は動詞である。唐の陸徳明『経典釈文』では介詞(~のために)の「為」には「于偽反」と発音が示されているが、受身を表すこの句形の「為」にはそう記した箇所がない。
つまり、この「為」は動詞(~である、~となる、~となす)であった証左になる。
つまり、「A為BC」(AがBのCとなる)から「AがBにCされる」、「A為B所C」(AがBのCする対象となる)から「AがBにCされる)と受身で解釈されるようになったものであろう。
したがって、この句は、主語「吾属」+謂語「為」+賓語「之虜」の構造と説明されることになる。


「吾属」は、我ら。3の(8)で述べたように、自分も含めた項王方を指し、范増一族を指すわけではない。


「今」は、時間副詞。近いうち、まもなくの意。


「之虜」は、彼の捕虜。
「之」は人称代詞で、「虜」を連体修飾する。
話し手に近いものを指していう「この」とは異なり、自分が前に述べた「奪項王天下者、必沛公也」という内容を受けて、「沛公」を指す人称代詞なので「この」ではなく「これ」と読む。

あるいは、「之に虜と為る」(彼に虜となる)の意の双賓文とも解せ、あるいはそうかもしれぬ。

「矣」は、必然的な判断を表す語気詞。将来的判断の語気とも解せる。


(18)【立誅殺曹無傷】

「立」は、時間副詞。すぐに、たちどころに。
現代中国語でも「立刻」が同義で用いられている。


「誅殺」は、罪をとがめて殺すの意。
曹無傷が覇上に残っていたということは、自分が密告者であるということを、よもや項王方が洩らすはずはないと信じていたか、あるいは沛公が生きて帰るはずがないと思っていたかのいずれかであろうが、いずれにしてもまさか誅殺されるとは思っていなかったはずである。



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※参考文献

・瀧川資言 考証・水沢利忠 校補『史記会注考証附校補』(史記会注考証校補刊行会)
・『点校本二十四史修訂本 史記』(中華書局)
・韓兆琦『史記』(中華経典名著 全本全注全訳叢書 中華書局)
・馬持盈『史記今註』(台湾商務印書館)
・張大可『史記新注』(華文出版社)
・李国祥・李長弓・張三夕『史記選訳』(古代文史名著選訳叢書 巴蜀書社)
・楊燕起『史記全訳』(中国歴代名著全訳叢書 貴州人民出版社)
・許嘉璐・安平秋『二十四史全訳 史記』(漢語大詞典出版社)
・梁玉縄(清)『史記志疑』(二十四史研究資料叢刊 中華書局)
・王叔岷『史記斠証』(王叔岷著作集 中華書局)
・韓兆琦『史記箋証』(江西人民出版社)
・漢詩・漢文教材研究会編『漢詩・漢文解釈講座 歴史Ⅰ 史記』(昌平社)
・吉田賢抗『新釈漢文大系 史記二』(明治書院)
・大修館、三省堂、東京書籍、筑摩書房、第一学習社、数研出版 各教科書指導書「鴻門の会」部分

・牛島徳次『漢語文法論(古代編)』(大修館書店)
・西田太一郎『漢文の語法』(角川書店)
・太田辰夫『古典中国語文法 改訂版』(汲古書院)
・太田辰夫『中国語歴史文法』(朋友書店)
・杨伯峻・何乐士『古汉语语法及其发展(修订本)』(语文出版社)

・李佐丰『先秦汉语实词』(北京广播学院出版社)
・中国社会科学院语言研究所古代汉语研究室『古代汉语虚词词典』(商务印书馆)
・何乐士『古代汉语虚词词典』(语文出版社)
・解惠全等『古书虚词通解』(中华书局)
・王政白『古汉语虚词词典(增订本)』(黄山书社)
・尹君『文言虚词通释』(广西人民出版社)
・韩峥嵘『古汉语虚词手册』(吉林人民出版社)

・郭錫良『漢字古音手冊』(商務印書館)

・李学勤『字源』(天津古籍出版社)
・谷衍奎『汉字源流字典』(華夏出版社)
・加藤常賢『漢字の起源』(角川書店)
・藤堂明保『漢字語源辞典』(学燈社)

・漢語大詞典編輯部『漢語大詞典』(漢語大詞典出版社)
                                                                                        等