『孟子』注解2
(内容:『孟子』で、教科書によく採用される「五十歩百歩」の文章の文法解説。)
『孟子』注解2■原文梁恵王曰、「(1)
寡人之於国也、(2)
尽心焉耳矣。(3)
河内凶、(4)
則移其民於河東、(5)
移其粟於河内。(6)
河東凶亦然。(7)
察隣国之政、(8)
無如寡人之用心者。(9)
隣国之民不加少、寡人之民不加多、何也。」(10)
孟子対曰、「王好戦、(11)
請以戦喩。(12)
填然鼓之、(13)
兵刃既接、(14)
棄甲曳兵而走。(15)
或百歩而後止、或五十歩而後止。(16)
以五十歩笑百歩、(17)
則何如。」曰、「(18)
不可、(19)
直不百歩耳、(20)
是亦走也。」曰、「(21)
王如知此、(22)
則無望民之多於隣国也。…」(梁恵王上)■訓読梁の恵王曰はく、「寡人(くわじん)の国に於(お)けるや、心を尽くすのみ。河内(かだい)凶なれば、則ち其の民を河東(かとう)に移し、其の粟(ぞく)を河内に移す。河東凶なるも亦(また)然り。隣国の政(まつりごと)を察するに、寡人の心を用ゐるがごとき者無し。隣国の民少なきを加へず、寡人の民多きを加へざるは、何ぞや。」と。孟子対(こた)へて曰はく、「王戦ひを好む、請ふ戦ひを以て喩へん。填然(てんぜん)として之を鼓(こ)し、兵刃(へいじん)既に接するに、甲(かふ)を棄て兵を曳(ひ)きて走る。或(ある)いは百歩にして後止まり、或いは五十歩にして後止まる。五十歩を以て百歩を笑はば、則ち何如(いかん)。」と。曰はく、「不可なり、直(た)だ百歩ならざるのみ、是(これ)も亦走るなり。」と。曰はく、「王如(も)し此(これ)を知らば、則ち民の隣国より多きを望む無かれ。…」と。■訳梁の恵王が言うには、「私の国ですることは(=私の国で政治を行うことは)、心を尽くすばかりだ。河内が凶作であれば、その民を河東に移し、その粟を河内に移す。河東が凶作である場合もそのようである。隣国の政治を調べ見ると、私が心を用いているような者はいない。(それなのに)隣国の民が少なきを加えず、私の民が多きを加えないのは、なぜか。」と。孟子がお答えすることには、「王は戦争をお好みですので、どうか戦争で喩えさせてください。ドンドンと(進軍の)太鼓を打ち鳴らし、(敵味方の)武器がぶつかりあってから、(ある兵たちが)鎧を捨て武器を引きずって逃げ出しました。あるものは百歩逃げてのちに止まり、あるものは五十歩逃げてのちに止まりました。(五十歩逃げた者が自分は)五十歩であることで百歩を笑ったとしたら、どうですか。」と。(恵王が)言うことには、「だめだ。ただ百歩でないだけだ、そやつも逃げたのである。」と。(孟子が)言うことには、「王がもしこのことをおわかりなら、民が隣国より多いことをお望みになってはなりません。…」と。■注(1)【寡人之於国也】「寡人」は、諸侯の謙称。私。徳の寡(すくな)き者と謙遜するのである。
「寡人之於国也」は「寡人之於国為政也」(寡人の国に於て政を為すや)の意。
「於」は、元々は「在る」という存在の形式的な意義を表す動詞であったが、介詞に転じて場所(~で)や対象(~に)などの意味を表すようになった。
したがって、たとえば
「寡人於国為政」
(寡人国に於て政を為す)
なら、介詞句「於国」は「国で」という意味を表して謂語「為」を連用修飾し、「寡人が国で政治を行う」という意味を表す。
ところが、「寡人於国」(寡人国に於てす)のように「於」が単独で用いられる場合は、「為」の義を帯びる。
つまりこの句の場合なら「(政治を)行う」の意味を含む動詞として機能して、「寡人が国でする」すなわち「寡人が国で政治を行う」という意味になる。
ところが、この句「寡人之於国」には結構助詞「之」が用いられているから、その働きにより、主語「寡人」と謂語「於」の関係が取り消されて、「寡人が国ですること」という名詞句になる。
したがって、「寡人之於国也」は、語気詞「也」によって名詞句「寡人之於国」が提示された形になる。
この句は「尽心焉耳矣」を修飾しているのだから、主語というべきではないかもしれぬが、主題主語として扱われよう。
なお、「也」は提示する働きと共に、先行する語や語句を受けて語調をポーズする働きがある。
この働きを「停頓」という。
(2)【尽心焉耳矣】政治にただただ心を尽くすばかりであると言いたいのである。
この「焉耳矣」については、教科書などでは単に断定、強意の働きとひとまとめに説明してあることが多いが、3字それぞれに働きが異なると思う。
「焉」は、1の(15)で述べたように、本来は兼詞である。
転じて語気詞として「尽心焉」も「心を尽くしている、これにね(=焉)」のように解せる。
しかし「此」や「是」のような実質的な意味はないから、読まないことが多い。
「焉」は「之」と同様に前言を借りて指示するので、あえていえば「焉」は「於国」(国で政治を行う)を指している。
次に「耳」は、限定の語気詞。
そればかり、それまでであるという終結の語気を表す。
「尽心焉」で終わり、それに尽きるということだ。したがって、「(これに)心を尽くすばかり」ということである。
「矣」は確認の語気詞。
前言の「尽心焉耳」と述べた内容を確かめるのである。
普通は訳さないが、「(これに)心を尽くすばかりだよ」と確認する働きがある。
ところで、この箇所の後漢の趙岐注に
「焉耳者懇至之辞。」
(焉耳は懇ろに至るの辞なり)
とあるのについて、清朝考証学者の焦循が次のように述べている。
「焉耳」は「焉爾」に作るべきで、『礼記・三年問』や『公羊伝・隠公2年』に例が見られる。
何休が『公羊伝』につけた注に「焉爾、猶於是也。」(「焉爾」は、「於是」と同じである。)とあるのによれば、「尽心焉爾」とは「尽心於是」と同じであると(『孟子正義』)。
これに対して、安井息軒は次のように述べる。
「焉耳」と「矣」はみな決するの辞であり、ただ「焉耳」は緩やかであるが、「矣」は緊(ひきしまる)である。
もしただ「矣」とのみ言えば、緊にすぎる。
先に「焉耳」と言えば、緩やかで詳しく意味をこめたのである。
それゆえ趙岐が「懇ろに至るの辞」というのだ。
もし「耳」を「爾」に作って「於是」と訓じると、実字になり、助字ではない(『孟子定本』)
とのように疑義を呈する。
筆者案ずるに、「焉耳矣」は「耳」を「爾」に改めずとも「焉」はもともと「於之」の意であり、語気詞としての働きも兼詞「於之」からの引申義だと思う。
「これ」と訓じれば確かに実字のようだが、もともとは前語を借りるだけの形式的な名詞であって、語気詞としても、強意の働きは前述したように「これにね」と再示することによるものであろう。
「尽心矣」と短く言い切らずに、「尽心焉耳矣」と語尾に「焉耳」を加えることで語調はその分緩やかで且つ強まる。
「焉耳矣」3字は、単なる「のみ」とは異なる。
何休が「焉爾、猶於是也。」と述べたのは、『公羊伝』の本文が「託始焉爾」(始に託す焉(=これに)のみ)であったためで、「焉耳」と異なると述べているわけではない。
(3)【河内凶】「河内」は後の「河東」と共に魏の地。
明の郝敬の『孟子説解』によると、
「魏地亘三河。河内・河東・河西也。河自西北来、曲遶其南、而東流入于海。故河北為河内。魏徙大梁、在河之東南、故名河東。而以故安邑為河内也。」
(魏の地は三河にわたる。河内・河東・河西である。黄河は西北より来たって、曲がってその南をめぐって、東に流れて海に入る。だから河北が河内である。魏は大梁に移って、黄河の東南にあり、ゆえに河東と名付ける。そして旧都の安邑を河内とするのである。)
とある。
(4)【則移其民於河東】「則」は連詞。
その成り立ちは「刀で傷つける」意とも「基準に照らして器の肉を切り分ける」意とも「器に刀を添える」意ともいわれる。
転じて「法則」「規則」の意に用いられる。
その原義が、虚詞としての働きにも通じているのだ。
ここでは前句「河内凶」の場合、法則として「移其民於河東」(その民を河東に移す)という行為を行うのである。
だから「~(する)場合は・~(である)場合は」の意で「~(すれ)ば・~(なれ)ば」と訓じるのだ。
「其」は「河内」を指す。
「於」は、ここでは移す場所を表す介詞。
中国の語法学では一般に謂語の前に置かれても後に置かれても介詞として同様の意味を表すとされる。
しかし、謂語の前に置かれる場合は副詞的に謂語を連用修飾するが、謂語または謂語+賓語の後に置かれる場合は、謂語動詞の依拠性を明確にする。
「移」は他動性を第1として賓語をとるが、依拠性を第2とする。
「移其民河東」も可である。
『韓非子・外儲説左下』に
「移車異路而避之」
(車を異路に移して之を避く)
という例があるなどがその証左だ。
それをあえて「於」を置くのは、さらに依拠性を明らかにするためで、「移其民於河東」とは「その民を移すこと河東に於てす」の意。
「於てす」とは「あってする」の意で、ここでは先行する「移」と同じ動作を表す。
介詞とされるが、「於」は本来形式的な動詞であり、日本語の助詞「に」とは性質が異なる。
(5)【移其粟於河内】句の構造は(4)に同じ。
「其」は「河東」を指す。
「粟」は、穀物の総称。
殻のついたままの籾。
焦循は
「移民之壮者、就食於河東、移河東之粟、以賑河内之老稚也。」
(人民の壮健な者を移動して、河東で食につかせ、河東の粟を移動して、河内の老人や幼児に施すのである。)
という(『孟子正義』)。
(6)【河東凶亦然】「亦」の字については、拙『論語・語法注解一』(本校研究紀要95号)で詳述したが、必要部分を採録しておく。
「亦」の字は、人の体を表す「大」の字のわきにあたる部分に「ハ」を付けて示したもので、要するに「わき」を表す字で、対称もしくは反復がこの字の原義であると思われる。
「亦」は、「則」に対する語である。
「太郎好桃」(太郎が桃を好む)に対して、「花子則不好」(花子は好まない)であれば、「花子は」と太郎の場合とは異なることを分けて説く。
それに対して、「花子亦好桃」(花子も桃を好む)であれば、事情が同じであると合わせて説くのである。
また、「則」は前句の内容を受けて、「その場合は」と法則に基づいて結果を示す。
つまり、「好桃則可」(桃を好めばよい)に対して、「不好桃則不可」(桃を好まなければよくない)となる。
それに対して、「亦」は「その場合もやはり」で、「好桃則可。不好桃亦可」(桃を好む場合はよい。桃を好まない場合もやはりよい)となる。
「亦」の働きは基本的にこれである。
「河内凶」である場合に、河内の民を河東に移し河東の粟を河内に移したのと同様に、河東が凶である場合にも同じ対策を行う、つまり河東の民を河内に移し河内の粟を河東に移すのである。「然」は、そのようであるの意。
代詞とされる。
前句の「移其民於河東、移其粟於河内」を指して、同様の内容であることを示す。
(7)【察隣国之政】「察」は、詳しく調べ見る。
「之」は「隣国」を統率して、後の「政」に対して連体修飾する結構助詞。
(8)【無如寡人之用心者】「如」は「若」と字義の通じる字で、類似すなわち「似る」の意。
「従順である」が原義という(加藤常賢『漢字の起原』、藤堂明保『漢字語源辞典』)。
従順で言いつけ通りにすることから、「似る」という意味が生まれたものであろう。
また、さらにその似た状態に及ぶという意味から、「及ぶ」という意味をもつのである。
この「似る」の方を「ごとシ」、「及ぶ」の方を「しク」と訓読するわけ。
この句、諸本概ね「寡人の心を用ゐるがごとき者無し」の方向で読まれているが、小林勝人氏は「寡人の心を用うるに如(し)く者なし」と読んでいる(『岩波文庫・孟子』)。
前述したように「ごとシ」と読もうが「しク」と読もうが根は同じであり、どちらも通じる。
「寡人之用心」は、「寡人用心」であれば「私が心を用いる」の意だが、結構助詞「之」の働きにより名詞句となっている。
「之」は「寡人」を統率して「用」の主体を表す連体語として「用」を修飾する。
「私の心を用いること」とは、「私が心を用いること」である。
これが動詞「如」の客体となり、「私が心を用いることに似る」の意を表すのだ。
「者」は結構助詞とされるが、先行する「如寡人之用心」により実質的な意味が補充されて、ここでは人を指す形式的な名詞である。
「無如寡人之用心者」は存在文の形式をとり、存在主語は置かれていないが、前句の「隣国」もしくは隣国の為政者である。
存在文は構造上の賓語が意味上の主語となり、構造上の主語(存在主語)はその意味上の主語が存在する、あるいは存在しない範囲を表す。
この句なら、意味上の主語「如寡人之用心者」が存在しない範囲が「隣国」となる。
(9)【隣国之民不加少、寡人之民不加多、何也】主語「隣国之民不加少、寡人之民不加多」+謂語「何」の構造。
「隣国之民不加少」(隣国の民が少なきを加えない)も「寡人之民不加多」(私の民が多きを加えない)も、それぞれ独立した文として成立し得るが、主語となっているからには名詞句で、「隣国の民が少なきを加えず、私の民が多きを加えないこと」もしくは「~加えないの」という意味になる。
「隣国之」「寡人之」の「之」は、それぞれ「隣国」「寡人」を統率して連体語として「民」を修飾する。
「何也」は、疑問代詞「何」と語気詞「也」からなる。なぜかの意。
「也」は、「なぜ(である)」という叙述性のある代詞「何」を受けて、その意義を押さえて疑問の語気を強調する。
この句、もとより恵王が、善政を行っていると自負する自国を慕って他国より民が流入せず、それほどでもない隣国から民が逃れ流出しないことを疑問に感じているのである。
(10)【孟子対曰】「対」は1の(4)参照。
(11)【請以戦喩】この句、現在主流の語法学では、副詞「請」+介詞句「以戦」+謂語「喩」の構造とされる。
すなわち「請」は動詞ではなく敬謙副詞とみなし、会話文や手紙文で用いられた時、相手に対して敬意を示しつつ行為を依頼して「どうか~してください」という意味を表したり、自分が行為をすることの許可を求めて「どうか~させてください」という意味を表すとするものである。
この句は後者に該当する。
今、それに従っておくが、「請」は本来やはり動詞であろう。
ただし、「請以戦喩。」と「請我之以戦喩。」とでは表す意味も構造も異なる。
後者は結構助詞「之」によって名詞句となった「我之以戦喩」(我の戦ひを以て喩へんこと)が「請」の賓語となっているので、会話文であろうと「請」は副詞ではなく動詞でなければならぬ。
では、前者はどうかというと、「以戦喩」は「請」の賓語ではない。
これは本来客語をとる帰着性の動詞「請」が非帰着化し一度終止して、客語を修飾する形になっており、松下大三郎氏はこのような働きを帰著性従属(帰着性従属)という(『標準漢文法』)。
つまり「戦争で喩えることを請う」ではなく、「請うこととして戦争で喩えたい」である。
その働きが副詞に似ているというだけであろう。
「梁恵王曰、~」の「曰」(いはく)なども同じである。
(12)【填然鼓之】「填然」は、ドンドンと。
「填」は太鼓の音そのもので、後に「然」を置いて、その様子や状態を表す。
「然」は語綴助詞とされ、すなわち接辞で、ここでは接尾語である。
しかし、なにゆえ「然」が副詞や形容詞、あるいはこの例のように音そのものの後に置かれて様子や状態を表すかというと、もともとが「そのようである」という意味の代詞であって、「ドンドンそのようである様子」という意味になるからだ。
「鼓之」は、太鼓を打ち鳴らす。
「之」は代詞とされるが、実質性のある「此」「是」とは違い、形式的な名詞である。
本来は前後の内容を借りて指す。
ところが、前後に指すべき内容がないことがある。
「鼓之」の「之」がそれである。
「鼓」といえば、太鼓という名詞にも見える。
「填然鼓」はドンドンと鳴る太鼓だ。
そうではなくて「ドンドンと太鼓を打ち鳴らす」としたい時、たとえば「填然鼓此」とすれば、何か具体的な近くにある「此」(これ)を打ち鳴らすことになってしまう。
そこで客体の位置に形式的な「之」を置くことで、「鼓」が動詞であることが示されるのだ。
「鼓之」については、趙岐は
「兵以鼓進、以金退。」
(兵は鼓によって進み、金によって退く。)
と注し、『荀子・議兵』にも
「聞鼓声而進、聞金声而退。」
(鼓の音を聞いて進み、金の音を聞いて退く。)
とあるのによれば、進軍の合図を指すことになる。
(13)【兵刃既接】「兵刃」は、刃のついた武器。
「既接」は、すでに敵味方の武器がぶつかりあった状態で。
「既」は、食事をし終えて満腹の状態を表すのが原義(加藤常賢『漢字の起原』、藤堂明保『漢字語源辞典』、李学勤『字源』)。
つまり、「既」は、「し終える」「十分にしてしまう」という意味だということになり、日食、月食の「皆既」などに見られる「つきる・つくす」という意味の動詞として用いられるのが元かもしれない。
それが、副詞に転じたものか。
この副詞「既」について、中国の虚詞詞典の中には、「とても・非常に」、「すべて」、「すぐに・まもなく」、「もともと・本来」などの意味を表す多義語として説明されているものがあるが、これらはいずれも文脈上の意訳であって疑わしい。
やはり完了・終結の意味を表すのが「既」の働きであると筆者は思う。
「既A、B。」の形をとることもあり、そのまま「すでにAして、Bした。」と訳すと、日本語として不自然になってしまうことがあるが、これもAという動作が完了してからBするの意であって、「Aしてから、Bする。」と訳せばその不自然さはなくなる。
この「填然鼓之、兵刃既接」の句も、実は「填然鼓之、兵刃既接、棄甲曳兵而走。」と、後の句につながる形での用法で、「ドンドンと(進撃の)太鼓を打ち鳴らし、(敵味方の)武器がぶつかりあってから、鎧を捨て武器をひきずって逃げ出す。」の意であろう。
(14)【棄甲曳兵而走】「棄甲」は、鎧を捨てる。逃走に便なるように、身軽にするのである。
「曳兵」は、武器を引きずる。戦う気力のないさまを表す。
焦循『孟子正義』には
「曳、拕也。」
(曳とは、ひくである。)
と注する。
これを小林勝人氏は
「曳は拕である。拕とは擲(なげす)てること。」(『岩波文庫・孟子』)
と説明するが、そうではあるまい。
「而」は連詞。
そのような状態での意。
「甲を棄て兵を曳き、シテ走る」と読めば、その働きがわかる。
「鎧を捨て武器をひきずる」という状態で逃げるのである。
つまり、「棄甲曳兵而」は「走」の状況をその方策をもって連用修飾しているのである。
「走」は、逃げる。走の原義「急ぎ行く」から、逃げるという義を生じたものか。
(15)【或百歩而後止、或五十歩而後止】「或」は、不定の代詞。あるひと。
「百歩」は、百歩逃げるの意。
「歩」については、一般に長さでいえば凡そ2足で6尺ともいわれるが、歩数とみなす方がよかろう。
「百歩」は名詞だが、叙述性を帯びて「百歩逃げる」という意味を表しているのだ。
「而」は前項に述べたごとく、「百歩し、シテ後止まる」と読むとよい。
「百歩逃げた」という状態でその後止まるのである。
これも「百歩而」が「後止」の状況をその方策をもって連用修飾している。「或五十歩而後止」も同じ。
(16)【以五十歩笑百歩】「以」介詞句「以五十歩」が副詞的に謂語「笑」を連用修飾する形。
五十歩逃げた者が百歩逃げた者を笑うのではない。
「(逃げたのが)五十歩であることを根拠として百歩逃げた者を笑う」の意である。
「以」の字の原義については諸説あり、古代の曲がった農具で土を掘る「すき」をかたどった「㠯(ム)」と「人」からなり、人がすきを持つ姿(加藤『漢字の起原』、藤堂『漢字語源辞典』)、人が物を携えた形(落合淳思『甲骨文字小字典』)ともいう。
前者だとすきを用いて耕作することから「用いる」の意、後者だとが物を持つことから「もたらす・率いる」の意味ということになる。
いずれにしても、「用いる」「率いる」の働きが虚化して引申義として「~を用いて・~で」という介詞の働きが生じ、さらに「~を用い根拠として」から「~を理由に」という意味、「~を用いて~する」から「~に~する」、「~を~する」という動作の及ぶ対象を表すなどの意味を派生したものであろう。
この句「以五十歩」は、「自分が逃げた歩数が五十歩であるということを用い根拠として」という意味で、「以」は理由・根拠を表す。
(17)【則何如】「則」は(4)で述べた。
「何如」には2義がある。
1に「どうであるか」、2に「どちらがまさるか」である。
ここでは1の用法。
(8)で述べたように、「如」は「似る」の義と「似た状態に及ぶ」の2つの意味があるが、「何如」の「如」がどちらの意味を表しているかで、表す意味が異なるのだ。
1の場合は、本来の語順「如何」(何に似る)の賓語「何」が疑問代詞であるため倒置され、「何如」(何にか似る)となったもので、それが「どうであるか」という意味になるわけ。
本文「則何如」の用法はこれだ。
ちなみに、疑問代詞だからといって絶対に謂語の前に置かなければならないわけでもないので、倒置されずに「如何」が「どうであるか」という意味を表すこともある。
それに対して、2の場合は、「何」が「どちらが」「どんな点で」の意味で、「如」は「しく」「まさる」の意で、「何如」(何れか如く)は「何が及ぶか」「どんな点でまさるか」のになる。
たとえば「長安何如日遠。」(世説新語・夙恵)は、「長安は太陽の遠さにくらべてどうか」と訳されるが、「長安はどんな点で太陽の遠さにまさるか」の意味である。
(18)【不可】「不可」は、いけない、だめだの意。
「可」は助動詞としても用いられるが、もとは形容詞で「よろしい」の意で、この句もそれ。
助動詞として「可A」(Aすべし)として用いられるのも、「Aするに可なり」(Aすることによろしい)の意から「Aすることができる・Aしてよい」という意味を表すのだ。
単独で「不可」とある場合は、「よろしくない」から、だめだ、いけないの意になる。
(19)【直不百歩耳】「直」は、「ただ」と読むが、本来は「ひとえに・まっすぐに」の意の副詞。
だめな理由はひとえに百歩逃げなかっただけということ。
「不百歩」は、百歩しない、つまり百歩逃げない。
あるいは百歩でない、逃げた距離が百歩ではないという意味。
要するに、この「百歩」は名詞ではあるが叙述性を帯びている。
たとえば、『管子・形勢』の
「君不君、則臣不臣。」
(君 君たらざれば、則ち臣は臣たらず。)
の最初の君・臣は通常の名詞だが、後の君・臣は同じく名詞ではあっても「君らしくある・臣らしくある」という叙述性を帯びている。
この「百歩」も同じだ。
「耳」は(2)でも述べたが、限定の語気詞。
清の顧炎武『日知録』に
「而已為耳。」
(「而已」は「耳」である。)
とあり、それを受けてか楊樹達『詞詮』が「而已」と同じ、裴学海『古書虚字集釈』が「而已」の合声と説く等より、一般に中国の虚詞詞典ではそのように説かれるものが多い(韓崢嶸『古漢語虚詞手冊』、尹君『文言虚詞通釈』など)。
しかし本邦江戸期の解釈は違いがあるとして、たとえば荻生徂徠は「而已」は「――ニシテ已ム」の意で虚字よりは実字寄りであるのに対して、「耳」は純然たる虚字で、「已」や「爾」よりは軽く、
「故ニ『耳』ノ字ハ、他ノ義ヲサシハサマズ、『ノミ』トバカリ、意得ルナリ。『ノミ』トハ、『コレキリ』『コレバカリ』ト、限リタル辞、一途ナル意ナリ。」(『訓訳示蒙』)
と説く。
つまり、「直不百歩耳」とは、ひとえに百歩でない、ソレバカリ」ということ。
「而已」や「耳」「爾」「已」など、限定の語気詞は数多くあるが、その義の違いについては、もう少し慎重であってよい。
(20)【是亦走也】「是」は、中称の代詞。
「それ」に近い。
ここでは孟子の話の五十歩逃げた者を指して、恵王は「是(そいつ)」言ったのである。
「亦」は、(6)で述べた。
「也」は説明の語気詞。
(21)【王如知此】「如」は、仮設連詞。もし。
(8)で述べたように、「如」は、「しなやかで、言いつけに従順である」が原義で、言いつけ通りにするから動詞「似る」の義が生じたというが、「似る」から「(似た状態に)及ぶ」の意に転じ、さらに「至る」の意を生じた。
「~に至らば」から「もし」の意を派生したのであろうか。
接続詞「如」は複文の前句、文の先頭か主語の直下で用いられ、仮定を表す。
恵王が「知此」(このことを理解する)が仮に事実であると想定すればという意味だ。
「此」は近称の代詞。
「之」とは違って実質的な意味をもつ。
このこと、すなわち恵王自身が述べた「不可、直不百歩耳、是亦走也」、すなわち、百歩逃げていないだけで逃げた点では五十歩のものと変わらずだめだという理屈を指す。
(22)【則無望民之多於隣国也】仮定の形では、この句のように複文の後句の初めに、因果関係を示して結果を表す連詞「則」が置かれることが多い。
必ずしも訳さないが、あえて訳すなら「その場合は」などとする。
「則」は(4)で述べたように法則を表すから、前句のように仮定するなら、法則として後句のようになるという働きを示すからだ。
「無」は本来動詞だが、他の動詞や動詞句を賓語として禁止を表す。
中国の語法学では禁止を表す否定副詞とする。
この場合は「なかれ」と読む。
「民之多於隣国」について、この句は「民多於隣国」であれば「民が隣国よりも多い」という意味になるが、(8)でも述べたように、結構助詞「之」の働きにより名詞句となっている。
「之」は「民」を統率して「多」の主体を表す連体語として「多」を修飾する。
「民の隣国より多いこと」とは「民が隣国より多いこと」だが、これが動詞「望」の客体となるのである。
「多於隣国」について。
「多」は形容詞だが、表す概念には2種ある。
たとえば、「青い」という語の意味を考える時、「空が青い」と「今日の空は昨日の空より青い」の「青い」は異なる。
前者は青いか青くないかの別に従って「青い」のであり、後者は昨日の空と比べて「より青い」のである。
「多於隣国」の場合も、「多」自体が「より多い」という比較態なのである。
それが何より多いかという依拠性を示すために「於」を用いている。
つまり、「より多きこと隣国に於てす」と読み直してみればわかる。
謂語が形容詞の場合、この「於」が後に置かれることで依拠性を明らかにし、また比較はその比較の対象がなければ意味をなさないが、「於」によって形容詞は比較態となるともいえる。
「也」は、命令の語気を強める語気詞。ここでは禁止の語気を強める。
孟子は五十歩百歩の喩えを用いて、結局のところ恵王の行っている政治も、恵王が自分ほど心を尽くしているとも思えぬという隣国の政治も、民の安定した生活を保障するものではないという点において大した差がないと述べたのである。
この後、王道政治の実際を説き、凶作で民が餓死してもそれを政治のせいだと認めず歳のせいだと言い訳をする政治のあり方を批判した上で、「王無罪歳、斯天下之民至焉。」(王が歳のせいにすることがなければ、天下の民は集まってくるでしょう。)と、仁政による政治こそ必須だと述べるのである。
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※参考文献・孫奭『孟子注疏』[十三経注疏](北京大学出版社)
・朱熹『四書章句集注』[新編諸子集成 第一輯](中華書局)
・郝敬『孟子説解』(明万暦刊本)
・焦循『孟子正義』[十三経清人注疏](中華書局)
・史次耘『孟子今註今訳』(台湾商務印書館)
・楊伯峻『孟子訳注』(中華書局)
・伊藤仁斎『孟子古義』[日本名家四書註釈全書](東洋図書刊行会)
・中井履軒『孟子逢原』(日本名家四書註釈全書)
・安井息軒『孟子定本』[漢文大系](冨山房)
・簡野道明『孟子通解』(明治書院)
・中村惕斎『先哲遺著 漢籍国字解全書2 孟子』(早稲田大学出版部)
・近藤正治『孟子講義』(大修館書店)
・内野熊一郎『新釈漢文大系4 孟子』(明治書院)
・小林勝人『岩波文庫・孟子』(岩波書店)
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・楊樹達『詞詮』(中華書局)
・裴学海『古書虚字集釈』(中華書局)
・尹君『文言虚词通释』(广西人民出版社)
・韩峥嵘『古汉语虚词手册』(吉林人民出版社)
・楚永安『文言复式虚词』(中国人民大学出版社)
・中国社会科学院语言研究所古代汉语研究室『古代汉语虚词词典』(商务印书馆)
・何乐士『古代汉语虚词词典』(语文出版社)
・解惠全等『古书虚词通解』(中华书局)
・荻生徂徠『訓訳示蒙』[漢語文典叢書](汲古書院)
・釈大典『文語解』[漢語文典叢書](汲古書院)
・皆川淇園『助字詳解』[漢語文典叢書](汲古書院)
・松下大三郎『標準漢文法』(紀元社)
・牛島徳次『漢語文法論(古代編)』(大修館書店)
・西田太一郎『新訂 漢文法要説』(朋友書店)
・西田太一郎『漢文の語法』(角川書店)
・鈴木直治『中国古代語法の研究』(汲古書院)
・太田辰夫『古典中国語文法 改訂版』(汲古書院)
・加藤常賢『漢字の起源』(角川書店)
・藤堂明保『漢字語源辞典』(學燈社)
・白川静『字統』(平凡社)
・落合淳思『甲骨文字小字典』(筑摩書房)
・李学勤『字源』(天津古籍出版社) 等