李漁『十便十宜』詩 注解・「伊園十便7・樵便」
(内容:清の劇作家である李漁(李笠翁)の有名な「十便十宜詩」の注解。「樵便」。)
李漁『十便十宜』詩7.樵便(薪を手に入れる便利さ)■原文臧卑秋来総不間拾枝掃葉満林間抛書往課樵青事歩出柴扉便是山■書き下し文臧卑(ぞうひ)
秋来たれば総(すべ)
て間(かん)
ならず枝を拾ひ葉を掃きて林間(りんかん)
に満つ書を抛(なげう)
ち往きて樵青(せうせい)
の事を課せんとし歩みて柴扉(さいひ)
を出づれば便(すなは)
ち是れ山なり■口語訳下男たちは秋が来るとみな忙しくなり
枝を拾い落ち葉を掃いて林の中でせわしく立ち働く
書物を放り出してかつて樵青がした薪集めを命じに行こうとして
柴扉を歩み出せばすぐ前が山である■注【臧卑】《しもべ》「臧」は、僕(しもべ)の意。男の僕をいやしめて呼ぶ呼び名。【総】《すべて、みな》範囲副詞。【不間】《ひまではない》「間」は暇であるの意。したがって、「不間」で、暇がない、忙しいの意になる。【満林間】《林の中に満ちあふれる→せわしく立ち働く》僕たちが薪などを求めて林の中を走り回る光景を表現したもの。僕が大勢いるとは思われないので、「満ちあふれる」とせず、「せわしく立ち働く」と訳した。【樵青事】「樵青」は、唐の張志和(ちょうしか)
が皇帝粛宗(しゅくそう)
から賜った女僕の名。『新唐書・張志和伝』によると、張志和は、官から退いた後、自ら煙波釣徒と称し、隠逸の生活を送った。粛宗から賜った男女のしもべを夫婦とし、男子を漁童、女子を樵青と名付けたという。この故事を踏まえた表現。したがって、「樵青」とは女僕の名だが、ここでは「樵青事」で薪拾いの仕事を指すものと思われる。【柴扉】《柴で作った戸》【便是】《とりもなおさず~である》「便是」は「即是」「就是」に同じ。「柴扉」のすぐ外が山であるの意。