李漁『十便十宜』詩 注解・「伊園十便6・浣濯便」

(内容:清の劇作家である李漁(李笠翁)の有名な「十便十宜詩」の注解。「浣濯便」。)

李漁『十便十宜』詩
6.浣濯便(洗濯する便利さ)

■原文
浣塵不用繞渓行
門裏潺湲分外清
非是幽人偏愛潔
滄浪引我濯冠纓

■書き下し文
塵を浣(あら)ふに渓(たに)を繞(めぐ)りて行くを用ゐず
門裏の潺湲(せんくわん)分外清し
是れ幽人の偏(ひと)へに潔を愛するに非ず
滄浪(さうらう)我を引きて冠の纓(えい)を濯(あら)はしむ

■口語訳
衣服の汚れを落とすのに渓流を辿りゆく必要はない
門のうちにさらさら流れる小川の水がことのほか清らかだ
隠棲者がいちずに潔癖を愛するというのではなく
(滄浪川の)水が清らかなればこそ私に冠のひもを洗わせるのだ


■注
【浣】
《洗う》
衣服の汚れを落とすの意。

【繞】
《たどりゆく》
ぐるりとまといめぐるの意。草の蔓が棒やひもに巻きつくようなイメージで、物や事に関わるの意で用いる。したがって、ここでは、曲がりくねって流れている渓流のよどみを求めて、川伝いに辿りゆくことをいう。もちろん、ここではその必要がないということである。

【門裏】
《門のうち》
「裏」は、なか、うちの意。敷地の中に川が流れているのであろう。

【潺湲】
水がさらさらと流れるさま、またその音。ここではそのような川を指す。

【分外】
《格別に、とりわけ》
「分外」は、本来、自分の身分に相当しない、ほどほどをはずれる、身分不相応の意であるが、「自分程度の人間にはいささか身分不相応なほどに川の流れが清らかである」と解するには不自然の感がある。近世の用法として「格別に」と解するべきだろう。

【幽人】
《隠棲者》
人里離れて静かに暮らしている人のこと。

【偏】
《いちずに》
ひたすら、いちずにの意の副詞。

【非是】
《~ではない》
「是」が繋辞として判断を表す用法は、古くにも少しく見られ、魏晋以降には頻繁に用いられるようになり、現代にまで通じている。それを否定する「~ではない」は、現代語では「不是」であるが、それに先んじて「非是」が用いられた。
「非」は単独で否定的判断を表すのに、なぜ「非是」と表現するのかについては、太田辰夫『中国語歴史文法』(朋友書店1957)に、「がんらい古代語の《非》は《不是》に相當するものであるから,これにさらに《是》をつけて《非是》とする必要はないわけであるが,《是》はがんらい代名詞で否定には《非》を用いたものであり,同動詞となった後も,べつに代名詞の《是》が用いられたために,同動詞の《是》にも《非》が用いられたのであろう。つまり《非是》は《是》が新に獲得した動詞性を忘れたことにもとづく一種の誤用ともいえる。」と述べられていることを紹介しておく。


【滄浪】
川の名、漢水の下流(漢水の別流という節もある)。
『楚辞・漁父辞』に
滄浪之水清兮、可以濯吾纓。
滄浪之水濁兮、可以濯吾足。
(滄浪の水清ければ、以て吾が纓を濯ふべし。滄浪の水濁らば、以て吾が足を濯ふべし。)
(滄浪川の水が清らかであれば、自分の冠のひもを洗うことができる。滄浪川の水が濁っていれば、自分の足を洗うことができる。)
とあるのに基づく。ここでは門裏の水が清らかであることをいうために引かれた表現で、もとよりその川の名が滄浪であるというわけではない。

【冠纓】
《冠のひも》

【滄浪引我濯冠纓】
《滄浪川が私を導き冠のひもを洗わせるのだ→滄浪川の水が清らかなればこそ私に冠のひもを洗わせるのだ。》
この句は兼語式の文構造で、「滄浪引我」(滄浪が私を導く)と「我濯冠纓」(私が冠のひもを洗う)が一文になり使役を表すもの。つまり、前文の賓語が後文の主語を兼ねているわけだ。
『漁父辞』では、潔癖に過ぎて世に相容れない屈原(くつげん)に向かって、漁父は前項に引用した歌を歌い、物事にこだわらず、清らかであれば清らかなりに、濁っていれば濁っているなりに身の処し方があろうものをと諭す。すなわち滄浪川そのものが清らかというのでも濁っているというのでもなく、その水の清濁に合わせて洗うべき対象をかえるということから、この詩の作者は、自分が、よくある潔癖にこだわった隠棲者のように水の清らかさを求めるのではなく、たまたま清らかな水にめぐまれた自分が心地よく洗濯をするだけだと言いたいわけである。水が清らかであればこそ、冠のひもを洗うのであって、清水にこだわっているのではないということ。もちろん、実際に冠のひもを洗うわけではなく、『漁父辞』の表現を引いただけである。