李漁『十便十宜』詩 注解・「伊園十宜9・宜陰」

(内容:清の劇作家である李漁(李笠翁)の有名な「十便十宜詩」の注解。「宜陰」。)

李漁『十便十宜』詩
9.宜陰(陰によろし)

■原文
烟霧濛濛莫展開
好詩憑着黒雲催
捲簾放却観天眼
多少奇峰作意来

■書き下し文
烟霧(えんむ)濛濛(もうもう)として展開する莫く
好詩(かうし)黒雲に憑(よ)りて催(もよほ)さる
(すだれ)を捲(ま)きて観天(くわんてん)の眼(め)を放却(はうきやく)すれば
多少の奇峰(きほう)意を作(な)して来たる

■口語訳
もやが濛々とたちこめて晴れることもなく
よい詩は黒雲によって次々に生まれてくる
簾を巻いて空を見る目を解き放ってしまえば
多くの奇峰が趣をもって見えてくる


■注
【烟霧】
《もや、かすみ》

【濛濛】
霧などがたちこめて暗いさま。

【展開】
《のべひらく》
ここでは烟霧が晴れることをいうのであろう。


【好詩】
《よい詩、立派な詩》

【憑着】
《頼みとしながら》
「憑」は、頼る、頼みとする、基づく。
「着」は、動詞について、動作・行為が進行していることを表す語綴助詞。~しながら、~しているうちに。

【好詩憑着黒雲催】
この句意味がとりにくい。「憑着」が後に名詞を伴って、「~に基づきながら、~を頼りとしながら」という意味を表すと考えると、「好詩は憑着す黒雲に催さるるに」と読んで少しは意味が通るかも知れないが無理がある。「着」を置き字として読まず、「好詩黒雲に憑り催さる」と読むのがよいのではないかと考える。

【捲簾】
《すだれを巻き上げる》

【放却】
《手放してしまう、解き放ってしまう》
「却」の用法については、「防夜便」注参照。
「放却」の例は、李白の『悲歌行』に「楚王放却屈大夫」(楚王は屈大夫を放却す)とあり、これは手放すの意。また仏典での用例が散見され、邪心や煩悩を取り払うの意で用いられている。

【観天眼】
《空を見る目》
現在でも「観天望気」(…空の色、雲の形で天候の変化を予測する)という言葉が気象用語として用いられている。

【多少】
《多い》
「少」は添えただけで意味がない。

【奇峰】
《珍しい形の峰》
「奇」は、異なる、変わっている、めずらしいの意。

【作意来】
「趣をもつ」という意味であろうか。「来」は、動詞(ここでは「作」)の後につき、こちらの方へ行われるという意味を表す趨向補語か。この三字、やや意味をとりにくい。