李漁『十便十宜』詩 注解・「伊園十宜8・宜風」
李漁『十便十宜』詩
8.宜風(風によろし)■原文鳥皈芳樹蝶過牆花与隣花貿易香聴罷松濤観水面残紅皺処又成章■書き下し文鳥は芳樹(はうじゆ)
に皈(かへ)
り蝶は牆(しやう)
に過(よ)
ぎる花は隣花(りんくわ)
と香を貿易す松濤(しようたう)
を聴き罷(をは)
はりて水面を観(み)
れば残紅(ざんこう)
皺(しわ)
よるの処(ところ)
又た章(しやう)
を成す■口語訳鳥は香木に帰り蝶は垣根に舞う
花は近くの花と香りを交換する
松風を聞き終わって水面を見ると
夕陽の残光が水面に映り風に皺よるあたりがまた彩をなしている■注【鳥皈】《鳥は帰る》「皈」は、「宜晩」の注参照。帰るの意。鳥がねぐらに帰るとなれば、夕暮れであろう。【過牆】《垣根を通りがかる》「牆」は、垣根。「過」は立ち寄る、通りがかるの意。ここではひらひら舞うように飛んでいた蝶が、ちょうど垣根のあたりに至った光景である。【与】対象を表す介詞。ここでは介詞句「与隣花」が謂語「貿易」を連用修飾し、香りを交換する相手を示す。【貿易香】《香りを交換する》「貿易」は、入れかわり変化する、交換するの意。花の香りがこのように混ざり合うのは、風が吹いているからだと考えるのがこの詩の味わい方であろう。【聴罷】《聞き終わる》「罷」は、「宜秋」の注参照。【松濤】《松風の音、松林に吹く風の音》【残紅皺処】「残紅」の意味については、用例上の大きな問題がある。「残紅」を夕陽の残光として、風に吹かれて皺よる水面に夕陽の赤い光が映っていると解釈できれば最もわかりやすいが、「残紅」という語が夕陽の残光を表す用例を今のところ見いだせない。本来「残紅」は散り残った花、地に落ちた花を指し、古今の用例が多い。唐の王建の『宮詞』に「樹頭樹底覓残紅、一片西飛一片東」(樹頭樹底残紅を覓(もと)
む、一片は西飛し一片は東す)とあり、また、宋の李清照の『怨王孫』に「門外誰掃残紅、夜来風。」(門外誰か残紅を掃(はら)
ふ、夜来風なり。)とある。さらに、晩唐の皮日休の『牡丹』には「落尽残紅始吐芳」(残紅落ち尽くして始めて芳を吐く)とある。これらは散り残った花、名残の花である。また、張公庠の『遊春詩』に「夾路桃花新過雨、馬蹄無処避残紅」(路を夾みて桃花新たに過雨す、馬蹄残紅を避くる処無し)とあるのは、道に落ちた桃花である。このように「残紅」の用例はいくつも見いだせるが、いずれも「紅」は赤い花である。それを詩意から「夕陽の残光」と解するのは不安が残る。一方、「皺処」とは、風によって水面に皺が生じているのであり、水面に映じた夕陽の光がかすかに波立っている光景を想起するのは容易であり、またごく自然である。「成章」という表現も、水面に映った夕陽が風によって美しい彩をなしていると捉えれば、光景の美しさを引き立てる。この四字、名残の花と解すれば、第二句に表現された花が風に誘われて水面に浮かび、さらに水面をかすかに波立たせる風によって吹き寄せられている構図になる。風に弄ばれる水面の花びらを、「成章」と表現しうるものかどうか疑問が残る。しばらく「残紅」を夕陽の残光として通釈しておく。【成章】《美しい模様を描き出す》「章」は、あや、いろどり、美しい模様。