李漁『十便十宜』詩 注解・「伊園十宜7・宜晴」

(内容:清の劇作家である李漁(李笠翁)の有名な「十便十宜詩」の注解。「宜晴」。)

李漁『十便十宜』詩
7.宜晴(晴れによろし)

■原文
水淡山濃瀑布寒
不須登眺自然寛
誰将一幅王摩詰
曬向当門倩我看

■書き下し文
水淡く山濃く瀑布(ばくふ)は寒し
登りて眺むるを須(もち)ゐず自然に寛(くわん)なり
誰か一幅(いつぷく)の王摩詰(わうまきつ)を将(もつ)
当門に曬向(さいかう)して我に看(み)るを倩(こ)はん


■口語訳
水は淡く山は緑濃く滝は冷たげである
わざわざ登って眺める必要はない、自然に心がゆったりとする
誰が一幅の王維の絵を
正面にさらして私に見よと請うのだろう


■注
【水淡山濃瀑布寒】
「瀑布」は滝。「寒」は「冷たい」の意。
この一句、水の淡さと山の緑の濃さが対比されているが、くっきりとした輪郭を感じさせるのは、晴れ渡った空のもとならではのものである。

【不須】
《~する必要はない》
「須」は、助動詞で、後に動詞(ここでは「登眺」)を伴い、「~する必要がある」という意味を表す。「須らく~(す)べし」と訓読するが、否定した形「不須~」は、「須らく~(す)べからず」とは読まず、「~(する)を須ゐず」と読む習慣がある。
第二句は、人というもの、雄大な景色をみてくつろいだ気分になることを求めがちだが、ここにあっては、ことさらに高きに登らずとものびやかな心地を味わえると言いたいのである。

【寛】
《ゆったりする》
くつろいだ状態をいう。

【将】
介詞。「以」に同じ。~をの意。ここでは賓語「一幅王摩詰」を謂語動詞(次句の「曬向」)の先に引き出す働きがある。

【王摩詰】
盛唐の詩人王維(おうい)のこと。摩詰は字。草隷および詩画を善くし、特に山水雲石に長じ、南画の祖となった。

【曬向】
《~に対して日にさらす》
「曬」は、さらす、日に乾かすの意。「向」は、動詞(ここでは「曬」)の後につけて、動作の方向を表す趨向補語。

【当門】
《真正面》

【倩】
《請う》
「倩我看」で、私に見ることを請うの意。

【誰将一幅王摩詰、曬向当門倩我看】
「誰」は代詞。「誰が~(するのか…疑問)・(しようか…反語)」の意を表す。ここでは詩意から疑問を表し、眼前に広がる光景があたかも南画の祖王維の一幅の画を見るようだという気持ちを表すために、ことさらに誰かにそれを強いられたかのような凝った表現をとったもの。